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園長の日記

小学校を訪ねて(2)楽しそうな授業の雰囲気を感じる

2024/03/04

今日はS小学校を訪問しました。今日も3人。この小学校へ入学する予定の子どもは一人ですが、今回訪問できない小学校へ行く子どもと一緒です。さらに近隣の保育園もお誘いしたので三園での交流にもなりました。授業は2時間目の途中から、1組の国語と2組の音楽を参観しました。

教室と教室の間は可動式のパーテーションで区切ってあるオープンな空間で、廊下や扉がありません。副校長先生が案内してくださいました。1組は国語でしたが今年の1年間を振り返るという内容で、何月には何あった、何をしたというのを黒板に月毎に書いて、みんなで思い出していました。

「この頃からカタカナを始めたよね」「あれ7月が空っぽだよ。何したか覚えている人?」「神田祭」「それはもう少し前だったんじゃない?」「5月だよ」「そうだね」と言ったやりとりをしながら、1年間でやったことが埋まっていきます。これはちょうど今、保育園でもやろうとしていることと同じで、卒園式の呼びかけにつながる方法だね、と担任とも話しました。

この小学校は卒園児が空くなったので、今回が初めての訪問だったのですが、校長先生は「こうやって来てくださるのは大変大事なこと」と積極的です。また授業中であるにも関わらず、担任の先生方も「どうぞ、どうぞ、入りください。みなさ〜ん、今度1年生になるお客さんですよ。今何をしているのかみてもらいましょうね」と非常に好意的に明るい雰囲気で、私たちを教室に招き入れてくださいました。

授業も時々冗談も言いながら、児童たちも和やかな雰囲気でした。見学している園児も思わず声を出しても、それにも自然に答えてくださるような感じです。

2組の音楽は、鈴やカスタネット、鍵盤ハーモニカなど6種類ほどの楽器を鳴らして試していました。活動のめあてはわかりませんでしたが、グループごとに分かれて、楽器を交代して楽しそうでした。

授業見学の後は、中休みの間、園の前の公園で低学年の児童と一緒に遊びました。その後3時間目の最初の避難訓練の様相も参観して今日の訪問は終わり。

その公園で一緒に訪問したH保育園とA保育園のみんなと遊びました。鬼ごっこや大型遊具で遊んでいると、4年生がその公園にきて「春を探す」というテーマでの自然観察が始まりました。

私はその児童たちに「何かあった?」と聞いてみると、すでに咲いている桜や、その花の蜜を吸いに来ているたくさんの鳥、垣根がわりに並ぶ低木の香りのいい花、小さい蕾から白い花びらが芽生えている白梅など、注意してみると、至る所に春が来ているのを、4年生と一緒に春見つけを楽しみました。

帰りはH保育園に立ち寄らせてもらい、次回以降の交流を約束、同じ小学校区での交流がさらに進みそうです。

 

小学校を訪ねて(1)卒園児との再会

2024/03/01

年長のすいすい組は9人いますが、そのうち3人をその子らが入学するI小学校へ連れていきました。

着くとちょうど中休みで、いま3年生のNUくんが校庭に出てきていたので校門越しに「すいすいさんを連れてきたよ」というと「じゃあ、先生に伝えてきて来ようか」と案内してくれようとします。

「頼もしいね、こんなになるんだねえ」と私は担任のY先生と顔を見合わせました。彼とは1年ぶりの再会でしたが、園生活でいろんなエピソードを思い出し、その姿を重ね合わせながら大きな成長を感じました。

校庭を通って入る玄関で、うわ履きに履き替えながら、次々と1年、2年、3年生の卒園児たちと再会します。「あ、〜ちゃん」と名前を呼び合い、手を取り合ってぴょんぴょん飛んだりしています。こういうことだけでも、小学校がぐっと身近になります。校庭から教室へ生き生きと戻っていく小学生たちの姿がどう映ったでしょうか。6年生に姉がいるKくんは小学校でのその姉とあって嬉しそうでした。

当園の場合は、園生活の中で、乳児から幼児まで交流があるので、お互いのことをよく覚えているのです。

副校長のC先生が出迎えてくださり、挨拶を交わしてから教室を案内してくださいました。1年生はその前まえでは3クラスだったのですが、今年2クラスで、一クラスにいる生徒がちょっと多い感じがしました。

1組は算数でした。赤と黄色の三角のピースを並べて、いろんな図形を作ってみるというもの。その様子を教室の後ろから参観させてもらいました。2組には卒園児が4人いて、3人はその様子をじっとみつめていたのが印象的です。

その後、職員室と校長室の間の、廊下につながる空間に設けられている図書コーナーで、図鑑を見て過ごしました。

国が目指している小学校とも架け橋プランと比べれば、こういった訪問はまだその入り口に過ぎませんが、子供たちが少しでも小学校以降の生活や学びに前向きな気持ちを持って歩んでいけるように、と思っています。

今年の訪問は近くの保育園にも私が声をかけて一緒に出掛けたので、他園の4月から同じ1年生になる園児たちとの出会いと交流にもなりました。年長の残りの子たちも来週ほかの小学校を複数の保育園と一緒に、訪問する予定です。

子どももコミュニティも成長し続ける

2024/02/29

(園だより3月号「巻頭言」より)

成長展が終わり、こうした行事を通じても1年間を振り返る機会になっています。開園してまる5年。17日の卒園式を迎える準備をしていると、卒園していく子どもたちが愛おしい。これくらい長い目でみた時に、手元に見える風景や個人の記憶に頼っても細かなことは思い出せません。でも、その当時の写真や記録を紐解くことで、今の育ちがはっきり見えてくるような感慨を味わっています。これは子どものそうですが、コミュニティにも言えるかもしれません。

まだ生まれて1歳の「しずくの会」の今後のことです。この会について、私はこう思っています。保育園の仲間も「数あるコミュニティの一つ」です。まずは今いるいないにかかわらず親子関係が誰にでもあって、それを軸に色々な家族があったり親戚があったりするはずです。また家族を離れて、友人や知り合いがいたり、会社があったり、学校があったりと、それぞれの人間関係があって、その役割やら機能やらは社会的、歴史的な文化的背景を持っています。

その一つに保育園という、子どもが同じ場を共有している場があり、そこに集う親たちが語り合い、何かを生み出していく場があっていいんじゃないか、それはきっかけとして無いよりはあった方がいいんじゃないか。それが自然に近い形で誕生した「しずくの会」ですが、そこに入ることが義務だったり、意味を感じないのにやらされる感があるような運営にはしなくない、と思っています。

この運営スタンスは、子どもにそうあって欲しいと願ってやっている保育テーマと似たところがあります。おそらく世界の教育はその方向をさし示しています。分断ではなく共生や協力、あるいはダイバシティやインクルージョンのテーマともつながります。それこそ民主主義のテーマと同じだと思っています。

大事にしたいのは、そこの当事者性、エイジェンシー(主体性)であり、他者と対話を閉ざさないことです。しんどくても話し合い、対話をやめない。でも決して傷つけない、暴力に訴えないということ。誤解や間違いやミスがあることもお互いに許しあい許容し合う関係を社会に増やしたいし、より良いものにしていくための提案やシェアリングにしていきたい。寛容性の高い世界を増やしていきたい。

それがいくら牧歌的で甘いと言われても、きっと続けていくことでしょう。

それが、そうではなくなってしまうこと、異なる他者を排除したり、話し合いにならないようなことが占領してしまうようなこと、あるいは孤立や格差の助長などが強くなってしまうなら、わざわざ維持する必要はないわけですよね。あるいは形骸化して有名無実のものになり、無理に形だけ維持するようなものになってしまうなら、しずくの会は、なくても構いません。さっさとやめた方がきっと別のものが芽を出しやすいでしょう。そんなふうに考えています。

でもきっと、子どもたちのために、あるいは私たちのために、きっとより良いことをしようとしたり、課題だと思うことを解決しようとしたりし出すことは、信頼関係が生まれてくれば、きっとなくならないので、そのためには何か動き始めると思います。しずくの会も、そうやってできたものであるし、やってきたことや、やろうとしていることがあるから、それはそれで動いていくことでしょう。

さて、この記録が来年、あるいは再来年、どんな風に再読されるのか、楽しみです。しずくの会がどうなっていくのか?

というわけで、子どもたちも卒園したらどういう風に育っていくのか、とっても楽しみです。成長展の毎年のファイルは、毎年の成長の記録でもあるのですが、積もるほどに見えてくる物語もあるでしょう。呼び起こされる記憶と共に今につながるストーリーが見えてくるかもしれません。ただ、これからもその日その日を大切に、その瞬間瞬間を大切にしていきたいものです。

本日28日で4月の園児が確定しました

2024/02/28

本日2月28日、4月入園の2次募集の結果が公表されました。その結果、各クラスは次のようになります。

0歳 1歳 2歳 3歳 4歳 5歳

定員 6  7  8  10 10 10 合計51

4月 6  8  9   6 10  7 合計46

目標 7  8  9  10 11 10 合計55

その結果、5月は次のように募集しますので、ご希望の方は3月末までに千代田区へ応募ください。

0歳 1名

1歳 0名

2歳 0名

3歳 4名

4歳 1名

5歳 3名

合計 9名

*ただし、千代田区のホームページよりも多いクラスがありますが、受け入れますので応募してください。

たわいもないことを語り合える空間に

2024/02/27

どんな人にも「井戸端会議」と呼ばれるようなことがなされる場があると良さそうです。あるいは路地裏の「縁側」のような空間です。人と人がゆるやかに交わるようなところ。そこではたわいもないことが話されていて、話すことがまるで体の振る舞いのようなものとしているような言葉のやり取り。そうだね、そうかな、まあね、でもさ、それはいいね、それもいいじゃないの、またね・・・。

ぽんぽん、と肩を叩き合って、何を話すわけでもなく、それでもつながっていることを確認しているようなこと。そういうつながりは、意味がないように見えて大事なことかもしれないと思わせるものがあって、そう思ってしまうと、また意味か!となってしまうのですが、いやいや、そんな場所ではありません、と何気ない背景に引き下がっていくようなところです。そこにいるもいないも、その時の気分次第。でも顔を見せないと「最近顔を見ないね、どうしたんだろう」と心配してくれる人がいて、「ちょっとお裾分け」とか言って、惣菜やら貰い物やらを分け合ったりするようなところ。

保育園の中がそんな感じにならないかなあ。気兼ねのない空間。居心地のいい場所を一緒に作り出すような場所。今日は玄関の金魚の水槽を掃除しました。3人の年長さんが手伝ってくれました。優しく金魚を両手で救ってくれました。とても上手でした。保育園の玄関は金魚に餌をあげたりしながら、ちょっとした井戸端会議風の空間でもあります。

・・・今年の桜前線は早くきそうです。東京の開花予想は3月21日だそうで、卒園式の頃は桜の蕾が膨らんでいそう。暖かくなってきたら、公園でまた花見を兼ねたピクニックでもしましょうね。・・

先生は41人目の追究者

2024/02/26

子どもが何かをやっているとすると、それをみてつい大人の私たちは「こうしたらいいよ」と教えてしまいたくなります。今日もありました。なんという名前のおもちゃだったか、パッとわからないのですが、虹色のカラフルなスプリングになっていて、びよ〜んと伸びるやつ。それで遊んでいる子が何人かいたのですが、長〜く伸ばしたり、引っ張ったり、垂らしたり、その動きを楽しんでました。

みなさん、そんな姿をみると、「あれ」を見せてあげたくなりませんか?私はあのスプリングおもちゃ(と、ここでは呼部ことにしておきますが)をみると、階段を自分でビョン、ビョン、ビョンと尺取り虫のように降りていく動きを見せてあげたくなります。でも、そこをグッと堪えて「どう関わるのがいいんだろう」と思い直し、それを見せればきっと子どもたち自身で「それやりたい!」と、工夫し出すだろう。

試しに階段でやってみたのですが、幅がありすぎて、次の下へうまく跳ねません。同じステップのところに落ちて転げてしまいます。階段の幅を狭くするといいわけですが、子どもたちだけでは、それを思いつきそうもありません。さて、ここからどうするか。階段と階段の間にもうステップ作ればいいのですが、そこにちょうどいい大きさの箱か積み木を置いて見ればいいのですが、子どもと一緒に話しながら、そこを試してみるか、どういうふうに活動を繋げようか、そんなことを考えているうちに、今日は終わってしまいました。

ちょうど今読んでいる本に、先生は「41人目の追究者」とある。これは学校の40人学級を前提にした数ですが、私はスプリングおもちゃの発展系を探求中です。皆さんも、子どもと一緒に、1番最後についていく追究者になってみませんか?

(『「個別最適な学び」と、「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』北大路書房より)

 

同期型から非同期型の生活や学びへ

2024/02/25

「今日話し合ったことを、確認のためにラインに挙げておきますね。確認して進めましょう」。こんなやりとりを経験している人は多いことでしょう。その場を共にするアナログな出会いや会合があって、さらにこれの議事録なり、メモなり、あるいは録画したものをネットで発信しておく。そうすることで、振り返ったり、修正しあったり、個々の記憶が外部記録に転換されて、「忘れる」ことがないうえに、いつでも思い出すことができるようになりました。

これと同じことを複数の相手と、複数のテーマで行っているのが、私たちの生活になってきました。家族のなかでもラインを使っているし、時には写真や動画が使われます。先日も旅先のオランダから友人のメッセージが届きました。もう一度見たい人は~で、も当たり前になったテレビ視聴、それぞれのペースで情報入手とコミュニケーションを、その要求や必要性が発生したタイミングで、つまりオンデマンドでやることが増えました。

今日の午前中の日曜開放でも、話し合ったことはオープンチャットなどを使って時間をかけて、共有することがしやすくなりました。このような同期したコミュニケーションから、非同期のコミュニケーションへの移行は、時間と場所を同じにしなければならなかった制約をほとんどなくしてきているように思います。

これと同じことを、令和の日本型教育、あるいは「個別最適な学びと協働的学び」のなかにみることができます。子どもたちは何を学ぶか、どういう方法で学ぶか、いつ学ぶか、そしてどこで学ぶかも個性化されていくでしょう。先生の方は、それに合わせて選択できる教材や教え方などの指導方法を個別化していくことになるでしょう。

私たちは、同期型から非同期型へ、時間も空間も超えて、しかも集い方やテーマもそれぞれに最適なものを自分で自己決定していく要素がふえてきていることを、生活の変化のなかにみることができます。

成長展〜「仲良し」にもいろんな種類がありましたね

2024/02/24

今日は子どもの育ちのある一面を、成長展という形でご覧いただきました。身長や体重、手足型、好きな遊びや公園、描いた絵などから、「自分の子どもはどれだろう」とクイズ形式で当ててもらうものでした。いかがでしたか? お子さんの特徴が現れていたのではないでしょうか?

行事の展示の特徴は、教育の「領域」と呼ばれている経験の中から、子どもの姿として現れているものを捉えて、これは誰だろう?と、自分お子さんだけで吐く、他のお子さんの特徴も見ていただけたのではないでしょうか。また4ヶ月に一度描いた「自由画」や「人物画」「ぬりえ」あるいは「シルエット」でのお話の1年間での変化もお伝えできたでしょうか。

調理さんからは、手作りふりかけのおにぎりを試食いただきました。このふりかけは子どもたちに人気があります。不足しがちなカルシウムもたっぷりで、ご家庭でもぜひやってみてください。

今年の私の「一推し」は、幼児で掲示した「人間関係の相関図」です。一人から矢印が3本出ていて、他の子につながっています。反対に3本が入ってきていて、合計6本の線で、つまり一人当たり6人とつながっています。その線ひとつずつに関係に意味が書かれているのですが、それが面白いと思います。

展示はひらがなで書いてありますが、ここでは漢字を使います。例えば3歳児クラスでは「なりきり世界の仲間」「憧れのお兄ちゃん」「ごっこ遊びのパートナー」「一緒にいると安心」「可愛がってくれるお兄ちゃん」「制作仲間」「ほっておけない弟」など。4歳児クラスでは「信頼があるお友達」「恋心」生き物探しの仲間」など。中には「親友」「恋心」などもあります。

5歳児なると「ダンス仲間」「運動への憧れ」「かっこいいところを見せたい」「大好きなお友達」。目を引いた関係は「癒しの存在」とか「初恋」というもありました。子ども同士の仲間の関係といっても、このように色々な関係があるのですが、それもある状況では「なりきり遊び仲間」でも、ある時は「ライバル心を燃やす相手」だったり、「頼りになる友達」だったりしているようです。

これは大人の場合どうなるのでしょう。ずいぶん昔から人間関係の希薄さといったことが問題になってきたわけですが、SNSの普及や経済のグローバル化、高度情報化社会、生成AIや人工知能など、そういったことを考えたときに、多様な人間関係の中で主体性をどのように育むか考えていきたいと思います。

子ともから招待される世界

2024/02/23

子どもの遊びは世界の可能性を開く扉である。無藤先生から教わっていることですが、そんな考え方を、子どもの姿から感じるようになりました。経験というのは世界との出会いなんだ、遊びがその経験になっていくんだ、それは面白そう、楽しそう、それなになに?みたいなことがきっかけになっていく。その経験の連なりを物語のように語れるとしたら、主人公の子どもの脇役は、環境の中からその子どもに呼びかけているものたちかもしれません。主人公がそれに応えて「そうだ、こうなったらいいな」という小さなゴールが現れてきて、そこに辿り着くために、脇役たちも応援しだします。みんなアクターなんですね。

主人公からすると、気づいたり、できたり、考えたり、試したり、工夫したり、表現したりしながら物語は進んでいきます。脇役からすると、合いの手を入れたり、こっちだよと誘導したり、壁になって立ち塞がったり「協力者があそこにいるよ」と教えてあげたり。大抵は知らんぷりしているのかもしれませんが・・・。物語の描き方は色々ありそうです。それでも、ゴールに向かって制御していくのは主人公の子どもですから、そこに自己コントロールの成長が見られます。どんどんそれが上手くなっていく。実行機能が発達していくように見えます。それを確かなものにしていくことが「自己発揮」としての子どもの人権を保障していくとになっていくのでしょう。そのように成長していく中に、私たちは子どもが主体的に何かをしている姿を見出して嬉しくなるのです。

もう一つ、何が嬉しいのかというと、子どもがそうなっていくこともそうですが、実はその姿に刺激を受けて、私たち大人も子どもが開こうとする世界に<招待されている>ことに気づくことがあります。昨日のダンスの姿を思い出してください。私は「怪獣の花唄」なんて全く知りませんでした。「おお、そこに面白さを感じるんだ!」とか「そこがいいのね!」や「ああ、そうしたいんだね!」「なになに、どうしたいの?」などと、子どもが不明瞭なものから明確なものまで、いろんなものやコトとの出会い、そのエンカウンターの「入り口」や「真っ最中」や「出口探し」に遭遇していることに、私たち大人も巻き込まれて、ある種の学びが起き始めているように思えます。

そうなってくると、私の「子ども理解」という理解の仕方が狭かったかもしれないと反省します。その定義にもう少し、相互的、動的な要素を加えたい。養成課程のように巨視的にみれば、子どもを対象として捉える大きな枠組みは仕方ないにしても、実際の活動を微視的に見ると、こちらがあたかも変化を受けない地点にいて、文字通り子どもをオブジェクト化してしまうことは到底無理で、主体同士の相互補完的で動的で流動的な営みと捉えたくなってきます。

社会が大きく変化しています。その変化の先を見通すことが大事な時代になってきました。その先の世界で必要になることを出会わせてあげたいのですが、それは個別テーマの内容というよりも、どんな内容であっても通用するコンピテンスになってくるらしいので、なおさら「遊び」を大切にしたいのです。

好きだから生まれる目標と練習

2024/02/22

好きなことを自分で見つけてその目標に向かって試したり、工夫したりしている姿を見ると、やっぱり、それぞれに始まる「遊び」がいかに大事か、と思えてきます。何日も前から練習していた子どもたちによるダンス「怪獣の花唄」が、今日の誕生会で披露されました。誕生会そのものは、わらすのホームページでのブログや、アプリのクラスドキュメンテーションを見ていただくとして、担任からこれまでのいきさつを聞き、気持ちよく踊っている子どもたちを姿を見ていると、こんなことを想像していました。

この子たちは「いいな」と思うお友達のダンスを何度も見たそうです。ダンスを始めた子たちは主にNちゃんとMちゃんの2人で去年夏ごろから。2人とも同じ小学校に姉がいて、オリジナルの振り付けをした「怪獣の花唄」に夢中になっており、その姉の影響受けた2人が保育園でもダンスをしだしたのがきっかけです。

バトントワラーを習っているKちゃんもダンスが好きなので、ちょうど同じ頃、時々、見せあったりしているうちに、周囲に広がっていったそうです。発信源2人の影響が大きいのは、周囲に「いいな」「たのしそう」「やってみたい」と思わせる力があったからでしょう。

最初の2人はそれぞれ姉がやっているダンスを身近に見たり、おそらく行事で行われた録画のビデオを何度も見たりして、その音楽やダンスの「完成形」がイメージされていて、それを再現して楽しんでいるときは、本人はいい感じになっていると思っていそう。みるからに、自信を持ってやってます。ここにも個別最適な学びと協働的学びがあるように思います。言葉による対話と言うよりは、身体的表現による対話があるからです。

それからもう一つ。個別最適な学びの発生に関わる大事なポイントだと思うことですが、最初に「いいなぁ、楽しそう、やってみたい」というのがあるかどうか。そういう出会いがあるかどうか。思わずやってみたいと思うような活動と、偶然出会う可能性の高い場が用意されているかどうか。新しい世界や時代が紡ぎ出されるようなネットワークがあるかどうか。

「みんなの前でやるのは恥ずかしいと言う感じだったのが、お楽しみ会をきっかけに、見せたいと言う気持ちが高まっていったように思います」

このように言う担任の捉えている子供の変化は、行事を通じて表現し合うことが学び合いや対話になっていると言うことなのでしょう。

そう考えてくると、よく「結果よりもプロセス」とか「努力の過程を大事に」という話があるのですが、それはそうなのですが、前提として大事なのは、やはりそれが好きだということでしょう。努力は好きだからこそ自然に生まれるといいですよね。努力の前に、その前に「楽しい」「面白い」がしっかりあって、そのちょっと先に見つかっていく目標という関係が大事な気がします。この事は、平凡な結論のように見えますが、新しい世界が開かれていく可能性に結びつくように、遊びというものが機能しているんだと考えると、遊びはとても大切なことだと思えてきませんか?

 

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