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園長の日記

子育ての秘訣と共通するアートの本質

2019/09/02

◆演奏家の対象への働きかけ方の違い

同じ素材の鉄なら鉄、馬の尻尾なら尻尾でありながら、その「振動のさせ方」次第で、小澤征爾が「うん、そうだ!」と頷いたり「ノンノン、もっと小さく小さく」と言ったりしています。「音色」の違いはそれくらい「違う」ものです。その「違い」は、演奏家の弾き方の違いですが、弾き方というのは楽器の音の「鳴らせ方」の違いですから、演奏家の「表現」です。

(彼は、クワガタにどう触ればいいか、よく知っています。私にも教えてくれます)

自分が原因となって対象を変化させています。この場合、対象とは楽器です(上の写真ではクワガタ)。ここが極めて重要です。自分の意思で、考えで、行動して外界を変化させること。これを子どもたちは強く望んでいます。言われてやるのでは、自分がやったことにならない。言われてやったのでは、自分が自分の行動を変化させる源になっていない。自分が原因になりたい。自分がやりたい。そういう欲求を根強く持っているのが子どもであり、また私たち大人もそうです。

(これと、これを混ぜると、どうなるかなぁ?)

◆子育ての秘訣とアートの本質は同じである!

なんの話かというと、実は自信をもった自立した子どもを育てるための秘訣でありながら、またアートの本質の話でもあるのです。

自分が原因となって対象が変化したことが楽しい、美しい!そんな時間を今日は屋上で過ごしました。色水を作って遊んだのです。ペットボトルに絵の具を溶いて、いくつかの色を用意します。それを思い思いに混ぜてみると、色が変わります。

「見て!桃色!」

「ねえ、これ紫だよ」

中には「何色」とは言えない微妙な色いあいになって

「ねえ、これ見て!・・・」

と変化した色合いの、その微妙な差を見比べて楽しんでいます。

「今度はこうしてみよう!」というつぶやきがいっぱい聞こえてきそうな姿でした。

このような働きかけによって生まれた混色は、子どもの創造的なプロセスを経た作品と言っていいのです。これがアートの実践です。できたものは、あっさりと捨ててしまうほどですから、とっておきたいというほどでもありません。

しかしこの営みをじっくりと味わっておくことが、色というものの不思議さを一生かけてでも探求していく人になっていくかもしれません。古来から「色」に魅せられてきたのが人間の歴史なのですから。

◆いってもやらない、意欲がないように見えるとき

子育ての秘訣も自分で決めて、自分で行動する。その自己決定の過程をきちんと保証してあげることが極めて大切です。言われてできる子は、自信が育ちません。自分が原因で外界を変化させている気になれないのです。そんな場合はこれから自分がやらなければならないことは百も承知でも、それをやる意欲が出てきません。やってもいつも言われていることをやるだけなので、もっと違うことをやりたがるようになります。まずはすぐにはやらない。怒られてでもやらない方が、それを自分が決めてそうなっているから、まだマシだと感じるのです。

そのような子どもの心理状態を「自己原因性喪失の不安」と言うことがあります。佐伯胖さんの文章を『「わかる」ことの意味』(岩波書店:1995年)から引用します。

<自己原因性喪失の不安を持たせないためには、家庭や教室で、「やらせる」とか「いわせる」とかをひかえ、子どもが「やる」、「いう」ことを自然な形で、全体の活動の中に取り込むことが必要だと思われます。さらに、子どもたちに自己決定、自己選択のチャンスを与え、自分でじっくり考えて選んだことや実行プランを追求させることが必要でしょう。

家庭の中で、母親が子どもに語りかけることばのうち、いったいどれほど多くが「○○しなさい」という強制になっていはいないかを考えてみてください。たとえ、ことばでいわなくとも、あれやこれやの手だてを講じて、親が子どもにやらせたり、いわせたりしています。このことを反省してみることからはじめなければいけないでしょう。>

一度、時間的な制約のない状況を作ってみて、子ども自身に行動プランを自分で考えて選択できるようにしてみること。そんなことを一緒に考えていきましょう。

◆理屈はそうであっても、実践は苦労の連続・・

自分が原因になって外界を変化させたいという「自己原因性」の行動。子どもが思いつく好む行為は、「戦いごっこ」です。強い自分を求めていますから、「えい、やー、とー」などと手足を振り回して、友達と取っ組み合っています。見ていると「悪者がいなくて、どっちも強い方を演じている」だけなので、実際は「役割分担のある見立て遊び」ではなく、単にレンジャーもののヒーローに自分を投影して、相手を負かす快感を楽しんでいるだけのように見えます。手加減を知らない感じで、お互いにエキサイトしてしまい、本気で叩いてしまうことがありますので、そんな時はすぐにやめさせています。

このような活動ではなく、心の衝動を意味のあるものへ昇華させていく必要があるのですが、それが「美しい」「きれい」と感じる活動です。音でも、色でも、形でも、景色でも、五感を通じて、ワンダーフルな活動を体験させてあげたいと思います。その一つが、今日の色遊びでもあります。

子ども自身に計画させてみること。これがドイツ・バイエルン州の公立保育園すべてで取り組もうとしている子どもの「参画」であり「オープン保育」であり、「小さな科学者」です。子どもの発達の原理は世界共通です。良質な保育が目指すことは同じようなアプローチになるのです。

 

9月1日という1日

2019/09/01

9月1日は防災の日。皆さんのご家庭でも防災用品の話などを、されたかもしれませんね。我が家も食器棚の転倒防止が話題になりました。全国各地の大きな公園では防災イベントが開かれました。今日が防災の日なのは、1923年に襲った関東大震災が9月1日だったからですが、発生時間は11時58分ごろ。昼食が始まる時刻でした。

(町は秋の装いに衣替えです)

その時刻、今日は渋谷のNHKの「スタジオパーク」にいました。園からは、ちょっと遠い場所ですが、バス遠足の候補地として可能かどうかの下見を兼ねての訪問です。スタジオパークは、日曜日ということもあり、親子がたくさん遊びに来ていました。

 

NHKと隣接する代々木公園では、防災イベントと一緒に「第18回東京ジャズフェスティバル」が開かれており、JAZZの心地よいグルーヴなリズム感が身体を揺らします。

その時、ふと感じたことがあります。「そうか、文化はもう秋なんだ」

音楽には、その内容によって旬の時期があります。ただそれは歌詞による内容が季節感をもたらすのですが、JAZZが心地よく感じたのは、歌詞によるものではありません、そもそも歌詞はありません。明らかに季節は秋に入っているのです。

「音」には音色という言葉があるくらい、音の大小や高低では表せない奥深い表情を持っています。音色の違いは、「振動するモノ」の震え方によって変わるのですが、スタジオパークには、南部鉄の音(風鈴)、木の筒と豆(レインスティック)、鉄の音(スチールタングドラム)、皮の音(ジャンベ)、細い金属棒(カリンバ)など、いろんな珍しい楽器の「音」を楽しめるブースがあります。

 

単音の刻み方によって、リズムやテンポが生まれます。それだけで、私たちの身体は動き出します。音が身体を動かすのです。ですから私たちの身体は、音という環境によって表現が引き出されるのです。保育所保育指針には、この環境としての「音」に気づきにくいかもしれません。

音色には音の高低があるので、そのつながり方によって、今度はメロディができます。これが音楽の要素の二つ目です。旋律は曲想を生みます。長調なのか単調なのか、また拍と合わせて、メロディが曲の骨格を作ります。

さらに高低の違う音と音が重なり、和音を作ります。ハーモニーです。これが3つ目の要素です。こうしてみると、JAZZが持つ即興性はこの3つの要素を巧みにノリの良さを最大にする刻み方を追求する音楽と言えそうです。

夜、都立公園で「鈴虫」や「コオロギ」の採集を試みました。綺麗な音色が秋を感じるのは、私だけではありません。秋の手ぬぐいを探していた店では、鈴虫の音色を楽しめる立体ハガキが売られていました。

子どもは「音」から「音楽」を感じて欲しい。そして音楽が音の組み合わせ方で、無限の表情を持つことに出会ってほしい。自然の一部である「音」が、どこからか、文化的な表象行為である「音楽」になっていくプロセスと出合わせたい。今日は、そんなことを考える音の一日でもありました。

8月の「園長の日記」から

2019/08/31

(事務長の神宮司さんが作った屋形船)

今日で8月も終わりですね。そこで今日は8月の「園長の日記」でアップしなかったものから。
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◆日本は「子ども主体の保育」(8月7日)
子ども主体の保育は、文部科学省も厚生労働省も推進している保育ですが、では、その反対の大人主体の保育とは、どんな保育かというと、子どものニード(つまり発達の欲求、思いや願いや意思)を尊重せずに、大人が良かれと判断した内容を体験させる保育です。
ところが、人の脳は状況に応じて学ぶようにできているので、大人が良かれと思ってその内容を順番をつけて並べてみても、どの子にも、その場所、そのタイミングがちょうどいいかどうかわかりません。その子にとってちょうどやりたい時が学び時なので「選択できること」が大事なのです。
まだ小さいときは、大人の誘導も上手くいくかもしれませんが、満2歳頃からは「自分で」という気持ちが強くなるので、子どもの選択を優先することが大切になります。
(知り合いからもらった、しょうのうせん)
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◆GTサミット(8月20日)

(GTサミットで講義をする藤森先生)
19日月曜日と20日火曜日の2日間、日本橋に約100人の園長が集まりました。「子ども主体の保育」を実践している全国の保育園、幼稚園、子ども園の仲間です。この会は年に一度、8月に各園のトップが集い学ぶ1泊2日の研修会「GTサミット」です。主催は研修組織「保育環境研究所ギビングツリー」(略称GT、代表:藤森平司・省我会理事長)です。法人会員が約400、個人会員を含めて約500の園で「見守るアプローチ」が実践されています。今回その約4分の1が集まったことになりますが、知っている仲間ばかりで、親睦を深める楽しい会になりました。
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◆中国でも「見守るアプローチ」(8月21日)
(中国の現状についてレクチャーする戒夢婷さん)
このGTサミットは、各県で実施している研修活動の報告と、相互の交流が目的ですが、毎回時宜にかなった方の講演もあります。今回は中国でこの保育を広めようとしている若手研究者の戒夢婷(ロン ムテイ)さんによる講義でした。ロンさんによると、国の一人っ子政策の下で、家庭も含めて幼児教育が「過保護で自己中心的な若者を大量に育ててしまった」ことから、GTが研究開発している実践が「中国にとっても必要で可能性のあるものです」と話していました。
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◆シンガポールから来日(8月28日)
以下は新宿せいがの先生からの報告です。
(バクテーを作ってくださった料理長のバーナードさん)

【今週の火曜日からアイ・リーンさん率いるMFSの園長先生方が日本に来られて、昨日、今日と新宿せいがと新宿いるまに分かれて研修を行いました。
本当に熱心な先生方で、それぞれが課題を持って見学している姿を見て、私自身、とても刺激を受けました。
今回の研修でそれぞれの先生方が何を学ばれたのか、おそらくフィードバックしてくれるそうなので、また報告できればと思います。
日本を越えて、海外から「見守る保育」を学びに来られる事に本当に嬉しく思うと同時に、もっと私たち自身、藤森先生から多くの事を学んでいこうと思います。

定員約1000名の施設で料理長をされているバーナードさんも来られて、なんとバクテーを作って下さいました!!保育室中にバクテーの香りがして、シンガポールを五感で感じた一日でした!!】

 

動き出す季節と欲求

2019/08/30

季節の変わり目は、昔から「前線の雨」がもたらしてきましたが、梅雨前線も秋雨前線も「亜熱帯性」というのが昔とは大違いです。区役所が全戸配布した「ハザードマップ」を熱帯魚の水槽の上に貼りながら、「想定外って、あとで反省することになる予想外の災難ってことだよなぁ」と考えながら、1階の道具をどうやってエレベーターに載せるか計画を練ることにしました。
◆ハイハイ運動の欲求にビックリ
今週の月曜日に「イケア」でまとめ買いしてきた遊具やカーペットを入れました。運動ゾーンの壁に的当て。これはわいらんの子たちが「投げる」という運動をしたがっていたからです。それから、最近「バブバブ」と言って、赤ちゃんのハイハイをやりたがってることに気づいたので、トンネルも置いてみたら、ピンポン!勘が当たりました。ご覧の通りです。こんな運動をその時期にやってなかったのかしら?と思ってしまうくらい、笑ってしまうくらいやりたがっています。しばらく続けます。トンネルはぐんぐんでも人気だったので、もう一つ購入します。
◆就職活動は、真っ盛り
朝の運動遊びのあとは、専門学校の学生さんに園を案内しました。来年春の就職活動は、最近は保育士不足で、大手企業が早々と「内定」を出していて、今日の学生さんも「知人に決まった人もいる」と。ただ「子ども主体の保育をやっているギビングツリー(GT)園に就職したい」という意思が固く応援することにしました。
◆須田町二丁目の夕涼み会は9月6日
数日前にポスターが届きました。

◆月案会議は8月の振り返り

毎月、クラスから代表が集まって一か月単位の振り返りと、次月の予定を確認します。今日は個別の援助計画をもとに配慮内容を共有しました。9月は防災月間です。20日の引き渡し訓練、地震や洪水の対策方針も確認しました。

◆「うちでも、作ってみました」

お迎えのとき、IYちゃんのお母さんがスマホの写真を見せてくださいました。昨日の「金魚のゼリー」に触発されて家でも作ってみたそうです「涼しげで、いいですよね」と。色は青と赤の2種類。とっても綺麗です。一番下の層が透明です。こうして、家庭でも作ってくださるなんて、嬉しいし、素敵ですね。

涼しげに金魚が泳ぐ「おやつ」

2019/08/29

「彼がこの作品の作者です」ーー。
◆アート作品としての料理
今日はお迎えのとき、玄関の「展示食」を見ていたお母さんに、仕事を終えて帰ろうとする「彼」を紹介しました。栄養士の古川先生です。今日の食事は誕生会メニューだったのですが、それがあまりに素晴らしい「アート作品」だったので保護者の方に、ぜひ見て欲しいと思っていたからです。
◆スイカの金魚が泳ぐ
冷たいゼリーのなかを、スイカの金魚が3匹泳いでいます。その金魚、ちゃんと立って、しかも宙にに浮いています。味はラムネ味で、色はご覧の通りのマリンブルー。昼休みに先生たちがみんなで装飾したビスケットとセットのおやつは、食べてしまうのが、もったいないほどでした。このような「美」は、子どもに嬉しさと美味しさと楽しさを与えます。
◆技巧を駆使した職人技です
作り方を聞いて、また驚きました。金魚鉢は3層になっていて、一層目が固まってからその表面に小さな切れ目をつけ、金魚の型をとっておいた薄いスイカが、そこに立つようにします。二層目は金魚に当てないように、しかも一層目を溶かさないように注ぎます。職人技です。
◆大人気のお子様ランチ
人気だったのは、おやつだけではありません。昼食が「お子様ランチ」です。主食はチキンライスで、主菜がハンバーグとエビフライ、副菜はポテトサラダ。もちろん、お代わりも盛況でした。視覚、味覚、嗅覚のハーモニー。そんなことが出来るアートは、料理だけです。
◆誕生会はまた来週やります
ちなみに、8月に誕生日を迎える子が今日はお休みだったので、みんなでお祝いするのは来週にすることになりました。

「園のしおり」もホームページに

2019/08/29

 

4月のお配りした「園のしおり」もホームページに載せました。

パスワードが必要な「園だより」の5月1日付です。

苦情解決制度第三者委員の名前や連絡先も載せせてあります。

 

 

実りの秋を楽しみにして(園だより9月号巻頭言より)

2019/08/28

◆24時間は一生と同じ
「園長先生、園だよりの締め切りは明日ですよ」と言われて驚いて、慌ててこの巻頭言を書いています。こんな調子で目の前の課題が山積みで、がむしゃらに走ってきましたが、早くも半年の区切りとなる9月を迎えます。私は<一日24時間の中に人生の全てが詰まっている>と思っていますが、ボロボロと抜け落ちて失敗と反省ばかりしている毎日です。
◆子どもからの気づき
こうして私は不完全な生き物でしかないことを、いつも家族や子どもが思い出させてくれます。不思議ですね、子どもから教えてもらうことの方が多いなんて。それなのに子どもは大人になりたがっています。それを感じると「こんな大人でいいのかな」といつも恥ずかしくなってしまいます。
◆真似されても恥ずかしくないように
大人が勝手に決めて作っている社会の、未来への無責任さを思うと、ため息が出ます。特に日本では9月が子どもの自殺がもっとも多い月であることを思い出したり、国際社会の「国益主義」を突きつけられると、もっとしっかりしないといけないのは、大人の方であることは間違いありません。子どもに見られ、真似されて恥ずかしくない大人でいたい。それができれば、次世代へのバトンタッチはまあまあ成功なんだと思いますが、それがなかなか、一筋縄ではいかないですね。
◆今後の半年の見通し
さて9月はこの半年を振り返りつつ、後半の園生活の見通しをお伝えしながら、お子さんの育ちをしっかりと支えていくために話し合いの機会を作ります。赤ちゃんも関わりがほんとに豊かになっていますし、幼児の成長もめざましいです。クラスごとの保護者会や、個人面談などで考えや思いを共有しましょう。
◆子どもの育ちを支える
子ども達は成長したがっています。自分で歩く力をつけたいと願っている存在です。そこを支えてあげたいと思います。例えば綱のぼり「のぼりたい」「ねえ、見ててね」「ねえ、やっぱり手伝って」。こんな風に3回ボールが私に投げられます。私はボールを3回返します。「そうか登りたいのか」「自分でやりたいんだね、やってごらん」「ああ、いいよ、ほら」。
この気持ちのキャッチボールです。これをやりたがっているのが子ども達です。そのうち、やれることが増えていって、自信がつき、やってあげる立場へと成長していきます。それが友達同士の関係も太くなり、子ども文化が成熟していくでしょう。どんな実りの秋を迎えるか、楽しみでしょうがありません。

平凡なる日常の偉大さ

2019/08/27

◆平凡な日常の素晴らしさ

保育の質は平凡な日常に宿る。そんなことをお伝えしたくなるのが、大きな行事が終わった後です。確かに普段できないことをやる「非日常」である行事は、普段できないことをやるからこそのイベントですが、毎日がイベントだったらそれはもう、イベントではない日常です。

ディズニーランドで働いているスタッフは毎日がイベントのようにキラキラ輝いているわけではないでしょう。平凡な日常があるからこそ、ハレとしての非日常が輝くのでしょう。親子遠足、神田祭、盆踊り、子ども縁日、そして屋形船納涼会。たまにあるから、貴重な体験になるのだと思います。

◆思わず拍手を送った光景

でも、しかし、それでも・・大事なのは日常の方ですよね、ということを話したくなるのです。今日、素晴らしい光景を目の前でみました。これは「一見さん」にはわからない素晴らしさです。毎日の生活を共にしているからこそわかる素晴らしさです、思わず目を見合わせて、心で拍手を送りました。

それは朝、USくんがネットのマス目から体を下に降ろしていく時のことです、巧みに両腕をすぼめて、網目から肘を上手に抜くと、ゆっくりとじんわりと自分の体を両腕で支えてマットの上に着地したのです。体幹が全身の動きを調整し、上腕が全体重を支える懸垂力が育っていたのです。このような、静かで目立たない育ちは、毎日見ていないと気付きません。鉄棒の逆上がりができた!というような華やかさもありません。競争して一番になった!という達成感や優越感もありません。でも、です。この小さな一歩一歩の積み重ねが、大きな成長に繋がっていくのです。

 

◆この毎日の積み重ねに勝る方法なし

同じようなことがいっぱい起きています。積み木の乗せ方、パズルの組み合わせ方、巧緻性が育っているLaQの制作物、色鉛筆での塗り絵の上腕と手首の滑らかさ、食い入るように見入っている図鑑や絵本、先生が読み聞かせている面白い生き物の絵本の世界・・・この毎日の積み重ねに勝る強力な方法はありません。

 

◆食事の提供ガイドライン

私は厚生労働省の食育に関するガイドラインの検討委員だった時期がありますが、その時、委員の全員が大事にしていた考えは「食育は毎日の食事が大事であって、イベントとしての食育活動ではない」ということでした。いまだに食育が何かの見栄えのいいイベントをやればいいと勘違いされている節がありますが、そうではありません。

◆誰も言わないけど「美味しい食事」が基本

当園の古川栄養士が作る献立の素晴らしいところは、毎日の食事が実に美味しいという、このもっとも大切でシンプルな事実にあります。これができそうで簡単にはできないことなのです。好き嫌いやら、食べ残しやらの課題が「おいしさ」抜きに語られていることが、不思議です。美味しいと食べます。同じ食材であっても調理によって、味が変わり、美味しいと子どもは食べます。

この当たり前の「日常の味の美味しさ」がベースになるからこそ、その上に偏食やら、誤飲を防ぐ切り方や盛り方、リスクの少ない喫食方法やら食事マナーやらの話が出てくるのです。

◆平凡な、しかし偉大な日常

千代田せいがは毎日の生活の質を大切にしたい。行事のために、おろそかになる日常は避けたいと考えます。平凡な日常の中に偉大な本質があるのです。その様子は各クラスのブログがお伝えしています。

 

たくさんの「楽しかった」の感想

2019/08/26

◆行事の感想ありがとうございます。
「親子ども屋形船を楽しませてもらいました」など、たくさんの方々から「楽しかった」という感想を頂き、喜んで頂いたことがわかり、わたしたちも嬉しく、やってよかったと思いました。また、親子で楽しめることを企画したいと思います。
◆新宿せいがから絵本の提供
姉妹園があると、物の貸し借りでも助かります。今日は新宿せいが子ども園から乳児向けの絵本をもらいました。
◆幼児の寛ぎゾーンの充実を図るために夕方クッションを追加してもらったところ、大人気だったようです。その話を聞いて「ライナスの毛布」を思いだします。
スヌーピーで有名な漫画『ピーナッツ』に出てくる「ライナス」が、いつも毛布を持っているので、心理学で「安心毛布」「ライナスの毛布」と言われています。このような柔らかなモノに触れていたいというのは、心が安心を求めているからでしょう。くつろぎのゾーンは大事にしたい場所になりそうです。
◆シンガポールから30人来日
7月に訪問したシンガポールから、マイファースト・スクール(MFS)のアイ・リーンさんらスタッフが今日から1週間来日しています。早速、都内の見学が始まりました。

夏からアートの秋へ

2019/08/25

◆「夏の終わり」の始まり

子どもが「ああ、これで夏が終わりなんだな」と感じるときは、どんな時でしょうか?「夏休みの終わり」でしょうか?この界隈を歩いてみると、町会ごとの「縁日」がいろいろありますから、それかもしれません。

昨日は屋形船納涼会のあと「岩本町ほほえみプラザ」の盆踊りと、「佐久間こども縁日」をのぞいてみました。

金魚すくい、ヨーヨー、綿あめ、宝釣り・・・昔から変わらない定番ものがあると、なぜかぽっとします。

それを用意している大人世代が体験しているからこその伝承なのでしょう。それが途絶えてしまうかもしれないのは、全国的に見ると、この30年の間にその経験をしていない世代が増えているからです。

◆夏から秋へ

さて、この時期になると、秋の準備を始めている生き物や昆虫のことが気になりだします。いろいろな意味で実りの秋、読書の秋、食欲の秋に向けた準備が始まっています。保育雑誌や研修もすでに運動会や芋掘り、収穫祭、防災特集などが組まれていて、すでにその準備が進んでいます。

◆自由あそびとしてのアート

(左:ダンサーの青木さん。右:制作遊びのアトリエを主催する水野さん)

今日25日は、アート一色の1日でした。午前中は海老原商店での制作遊びを、小学生と一緒に参加して楽しみました。ワインのコルク栓のような形をしたトウモロコシでできた柔らかな素材を、ヤマト糊でくっつけていきます。これは園児にも簡単に遊べそうです。とても軽くて安全な素材です。

ダンサーでアーティストの青木尚哉さんと、小学校の図工の専科の先生たちと、楽しくおしゃべりをしながら自由にくっつけていきます。大人の自由遊び体験のような時間でした。

その後で、青木さんが子どもの体を抱きかかえて逆さにしたり、背中に乗せたり、片膝をついて回転したり、身体の無秩序でありながら心地よい動きを作り出していきます。少年が嬉しそうな声を漏らしては、予想できない青木さんの自在な動きが心地よさそうです。

見ている方が楽しくなってきて「ダンスって言ってしまうと、なんだか狭いイメージなってしまうよね」とか「自分から動きだしたい動きとそうでない動きがぶつかって、逆に快感だったりして、その発見が面白いのかもね」などと、私たちの会話も弾みます。

青木さんの体に流木や骨や木切れをもたせたり、乗せたりして、人体も一つの素材のようなつもりで造形していくプロセスが実に楽しい。

手や足の方向、足の裏を置く場所、腕や肩の位置、顔の角度や向きなどを、子どもや大人が「こうしてみたら」「じゃあ、これ持って」などと、面白い、格好いい、いい感じ、と感じることを付け加えていく。それでなんとなく「できた!」「完成」となり、記念撮影をします。

こういう「遊び」は勝手に大人がアートと呼んでいるだけで、子どもは根っからのアーティストなので、この楽しい感覚を忘れないようにしてあげることが大事なことだし、そうなっている遊びが本当の自由遊びの時間なんだろうなと、改めて感じたのでした。

◆福音館「かがくのとびら展」

午後は「アーツ千代田3331」で金曜から開かれている「かがくのとびら展」に行ってきました。

月刊絵本「かがくのとも」が創刊50年を迎えた福音館書店が開いています。しぜん、のりもの、からだ、たべものの4つのテーマに分類された絵本の内容で、体験遊びができるようになっていました。

保育園のそばを歩いていても、蝉の声が聞こえませんが、展示会場には、蝉の声を聞いて何の蝉か当てるクイズや、聴診器の音を拡大する装置があって「ドクドクドク」という自分の心音を聞くことができます。わいわい、らんらんの子ども達も楽しめる内容でした。

「かがくのとびら展」は9月8日まで。未就学時は無料。

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