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園長の日記

子どもの心が解放される意味

2019/08/04

子どもの心が解放されるときって、どんなときだろう? 今日はそんなことを考える1日でした。きっかけは「高畑勲展」に行ったからです。
◆心が躍動している時間
早々と脇道にそれますが、ここでいう「解放」は解き放すというときのカイホウです。「人質が解放されました」の方です。校庭開放の「開放」ではありません。自由になること。束縛や拘束から逃れ心や身体が自由になることの方です。
◆自由に解放された遊び
高いところへ登り、虫を触り、動物や植物の神秘に驚き、心を躍動させて思いっきり自由に遊んでいるとき、子どもの心は解放されています。保育園では、そんな時間があります。子どもの心が自由になる時間に、子どもの心は成長します。子どもの精神世界は、思い通りにやりたいことができる時に、広がっていきます。・・・・そんな思いを強くする展示と出会いました。
 
◆プレヴェールのことばから学んだこと
高畑勲がアニメーションの世界に進むきっかけとなったのが、アニメーション映画『やぶにらみの暴君』を観たからだそうで、展示会場で、その一部が上映されていました。その脚本がフランスの国民的詩人ジャック・プレヴェール(1900~1977)です。映画「天井桟敷の人々」の脚本も彼です。
そして驚いたのは、当時未訳のプレヴェールの詞華集(アンソロジー)の代表作 『ことばたち』(ぴあ2004年)を訳したのが、高畑勲だったのです。プレヴェールの詩は、大きな影響を与えているそうです。その本は絶版なので今、アマゾンで調べたら1万円以上するのですが、その本の中で高畑は、こう解説しているそうです。
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「プレヴェールは、早くから太陽や月や大地や海への敬愛や、草木や動物たちへの連帯と自由意思尊重を、子どもの心とユーモアで歌った」
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私の興味を引いたのは「子どもの心」で、どのように「太陽や月や大地や海への敬愛や、草木や動物たちへの連帯と自由意思尊重」を歌ったのだろうか?ということことです。
それがわかれば、私たち保育者も、子どもの心を捉えながら、子どもが心動かされている対象の「太陽や月や大地や海」つまり「自然」への敬愛や連帯そして自由意思尊重を捉えることができるはずだからです。
◆奈良美智の「子ども」
そして、わかったのです、「子どもの解放された心」の意味が。
まず、プレヴェールの詩『鳥への挨拶』(ぴあ2006年)を高畑が編・訳を手がけたとき、その詩に奈良美智の絵がついているのです。「子ども」はあの奈良美智の子どもです。自由の意味がはっきりしてきました。
さらに、私にとって「あぁ、そういうことか!」と、はっきりしてくるのは、高畑が手がけた作品「太陽の王子  ホルスの大冒険」「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」「セロ弾きのゴーシュ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成たぬき合戦ぽんぽこ」に登場する子どもたちと、その子ども(=自然)が躍動するために必要な舞台こそ、高畑がこだわってきた部分であり、その装置にプレヴェールと同じ精神が息づいていることに気づいたのです。
◆ハイジは服を脱ぎ捨てて走る
展示でそれを象徴的に解説していたのは「アルプスの少女ハイジ」のオープニング・エピソードでした。「“解放される心”第一話アルムの山へ」で、ハイジが、ふうふういいながら急斜面を登りながら、重ね着をした服を一枚一枚脱ぎ捨てながら登り終わり、ペーターと屈託なく大笑いするシーン。こんなにわかりやすい「心の解放」があるだろうか、と誰もが共感するはずです。
◆8月になるといつも・・
高畑は2つの世界大戦をナチスから解放されるまでフランス人として生きたプレヴェールについて、こう書いています。
「まず何よりも自由と友愛の、そして徹底した反権威・反権力の詩人だった。彼はあらゆる支配や抑圧や差別に反対し、戦争や植民地支配を憎み、人間性の解放と自由を擁護して、抑圧された者たちへの友情と連帯を歌った」
平和しか知らない私たちには、想像しにくい心情かもしれません。そこにこだわって日本のアニメーションを世界に発信した高畑勲の遺作は「かぐや姫の物語」になりました。
(図録「日本のアニメーションに遺したもの  高畑勲展」より)
子どもの心が解放された生きやすい世の中かどうかが、私たちの目指す社会でありますように。

和泉公園の盆踊り

2019/08/03

日本で夏らしい風景といえば「盆踊り」もそうですね。先週は隅田川の花火を見物しましたが、今日は「和泉公園広場」にいます。昨日2日金曜から開かれている「第39回秋葉原東部納涼大会」です。子どもは故郷の景色の「思い出」の一コマに必ずなるでしょう。

◆華やかな櫓と提灯
盆踊りの櫓を中心に、そこから放射状に提灯が華やかにぶら下がり、その周りをぐるりと町会などのお店のテントが取り囲んでいます。親子遠足のゴールだった同じ公園なのに、とても狭く感じるのは、人が多いからでしょうか。それとも何組もの保護者の家族とお会いして話ができたからでしょうか。きっと「私たちが共にしている公園」という感覚が狭く感じさせているのでしょう。
私にとって懐かしい音頭が公園全体に流れています。櫓の上では今、自治会婦人部が踊っています。学童のお友達がさっきまで踊りを披露していたそうです。その周囲を浴衣姿の家族が緩やかな輪を作っています。
◆企業がささえるコミュニティ
平安時代や室町時代に遡る「盆踊り」が日本の村々で長く続いてきたことについて、いろいろな説明がありますが「宗教的な意味よりも庶民的な感覚で村中の人たちの団結力が高まったり、男女の出会いの機会にもなっていた」という説明に私は共感します。現代の都市部の盆踊りは、危険な部分は漂白されて健全なイベントとして定着しています。
高度経済成長期に住民による村々での盆踊りが解体されたあと、ここのように再興された都市部の盆踊りは、商店街や企業の社会貢献活動が下支えして初めて成り立っています。食事を提供するテントは飲食店の協力を得ているそうです。課題はここでも町会と同じ高齢化です。20〜30代の親の家族は、子育てで忙しいので「実働部隊」を担うのは難しいでしょう。このような盆踊りに参加する家族は、子どもが小学5年生ぐらいまでで、中高生になると、見向きもしなくなります。若者向けのコンテンツへの若返りと伝統との共存がテーマになっていきます。それはニュータウンで経験済みだからです。
◆若者世代にとっての「盆踊り」を創造したい
実際のところ、音楽と踊り、食事とお酒、家族単位の交流が成立する機会は、日常生活のなかにありそうであまりありません。とても貴重な機会なのです。そういう意味では年配世代にとっては、格好のハレの時間です。しかし、子育て中の家族にとっては「子どものため」にきています。このままでは、老人と子どもの盆踊りのままでしょう。
数年後、例えば秋葉原のアイドルが櫓の上で、またスマホのSNSで初音ミクとコラボしながら婦人部や青年部と一緒に、米津玄師がアレンジした「ニュー大東京音頭」を踊っている。そんな「和泉公園」も楽しいかもしれません。

にこにこの部屋を模様替え

2019/08/02

にこにこ組は今日、保育が終わってから模様替えをしました。ちょうど4ヶ月経ったところで、子どもたちが今求めている「空間」へ再構成しました。

遊びの空間を大きく静と動に分け、右側の静の空間には従来からある絵本、制作、見立て遊びに加えて隅に「くつろぎ」を、そして窓側には「観察」の場を設けます。のんびりと安心してリラックスして過ごす場所は、とても大切だからです。また、せっかく乗り物がたくさん通る昭和通りも生活環境として、取り入れたいからです。にこにこさんたちの月曜日が楽しみです。

水槽に新しい仲間が来ました!

2019/08/01

事務所の入り口にある水槽に、不思議な身体の魚が増えました。名前は「トランスルーセントグラスキャット」。名前の本当の意味はわかりませんが、長いので「ガラスのように半透明な猫」と、勝手な訳をつけました。不思議なことに体が透明です。

 

坪井先生の説明文には「だから ほねが  すけすけなんだよ」とあります。ナマズの仲間だそうで、タイやマレーシアなどの東南アジアにいるそうです。

【園全体】毎月の「園だより」をホームページで読めます

2019/07/31

毎月の「園だより」をすべてホームページで読めるようにしました。

メニュー画面から「保護者の方へ」の中の3番目「園だより・お知らせ」からどうぞ。

職員室だより、クラスだより、保健だより、調理室だより、献立表ごとにPDFファイルになっています。スマホでもパソコンでも見ることができます。

ただし、クラスだよりなどに個人情報が含まれますので、IDとパスワードがないと見ることはできません。

順次、バックナンバーも読めるようにしていきます。

また、行事の案内なども、集合場所や時間などの入ったものは、パスワードのかかった「園だより・お知らせ」に載せます。

なお、この「お知らせ」欄は10件まで表示されるように改善しました。

心の世界が広がるという意味

2019/07/30

人の心が発達するというのは、心の通いあいが豊かになること、そして関わりの中でそれぞれの「世界」を広げているんだなぁと、実感します。身長、体重、身体機能など体の成長も大事ですが、外からは見えにくい「心」の健康や発達は、その子が住んでいる精神的な世界、社会的な世界そのものですから、その「世界」が豊かになることは、素晴らしいことです。
◆気持ちのキャッチボール

毎日の「世界の広がり」は、気づけないほど、ちょっとずつです。そのちょっとずつの変化を、園のクラスブログが紹介しています。とても面白いです。

例えば7月27日の「キャッチボール」。13ヶ月のRちゃんが5ヶ月Mちゃんの頭を「いい子いい子」とやさしくなでてあげると、されたMちゃんが、きっと嬉しかったのでしょう、いい子いい子してくれたRちゃんの右手を触っていたそうです。
5ヶ月のMちゃんはこう思ったのではないでしょうか。「なでなでしてくれて、気持ちいいよ」と。だから「そう、この手だよ、気持ちよくしてくれたのは」とでも伝えたいかのようです。
Rちゃんの方も、自分の手を触り返されるのですから、自分で働きかけた相手からの反応にまた、何かの関興を覚えたに違いないのです。
◆情感のこもったやりとり
まだ、明確な感情の分化はこれからという時期に、このような情感の発生と交流が起きていることが、ものすごく意義深いことなのです。どうしてかというと5ヶ月の赤ちゃんがとった反応は誰かに教えてもらったことではありません。心地好さを生じさせた「手」に自分の手を伸ばすこと(リーチングすること)は、手をうごかしている「相手」の意図を感じ、それを確かめているのかようです。不思議な事ですが、そうして「相手」との関わりの中で自分を作り上げていく、まさに二者関係の中の自分作り、そのプロセスを私たちは目の前で目撃しているのです。
◆言葉を獲得した指差しの意味
7月27日の「友だちたくさん」では、14ヶ月のYちゃんが、写真絵本のお友達の顔を見て、本物のお友達を指差します。
はっきりと三項関係が成立していて、自分とお友達の間に表象としての写真が介在していて、その関係(二つは同じ)を指し示していることになります。その表象に「Rくん」という発語が伴ったときが言葉の獲得ではありません。すでにYちゃんは表象としての「Rくん」をしっかりとイメージしており、内面世界では言葉を獲得しているのです。言葉は表象の一つだからです。この関係世界の広がりが、人間らしい社会性の基盤を象っているのです。

【巻頭言】皆さんからの言葉を受けとめながら

2019/07/29

私にとても大切な宝物ができました。

皆さんから頂いたアンケートの「言葉」です。毎日忙しく働いていらっしゃるにも関わらず、園からのアンケートに心を込めてご返事をくださり、本当に感謝です。一枚一枚にお子さんへの愛情を感じながら、そこに込めて頂いた思いをこぼさず受け止めようと、熟読しました。また職員全員で回覧して読み込みました。

実はうちの法人はあまりアンケートを取りません。なぜかというと「家族でアンケートなんか取らないでしょ」ということです。満足度調査などのアンケートを取ることは、人間関係を消費社会の役割を演じる関係に位置づけてしまう力が働きます。サービスを提供する人とそれを享受する人という関係です。しかし保育コミュニティの形成は、その次元を超えていく必要があるのです。本当に伝えたいことや大切にしていることは、一緒に生活していると、いい意味で以心伝心、いいも悪いもわかり合うことになるからです。夏目漱石ではありませんが、言いたいことも言っても角が立たない、情に流されることもない、でもそういう信頼関係というか、家族のようなありようが、現代社会には必要なのです。お互いに性格やタイプがわかり合うまでは、コミュニケーションを潤滑にするためにも、メッセージ性の強いアンケートを取らせていただきました。そうはいっても改善すべきことは改善するPDCAはしっかり回します。

とても嬉しい言葉をたくさんいただきましたが、その中で、こんな一文と出会いました。

「担任の先生はもちろんですが、全ての先生が子どものことをよく把握して下さって安心しております。お友達を含めて大きな一つの家族のようだと感じております。保育園生活が始まってから子どもの目覚ましい成長を目の当たりにし、先生方と共に子育てしていけることが、私自身の仕事を続けていくモチベーションになっております」

現代社会は核家族や三歳児神話にみられるように、人類史上、過去にやったことのない子育てスタイルに追い込まれています。生物学的な親だけが子育てを担うということは、一度も経験したことがありません。いわば壮大な子育て実験が行われていて、その中で保育園がそれぞれの家庭の「第二の家族」「大きなお家」の役割を期待されています。それは託児という商業的サービスの延長にあるものではなく、人と人が信頼し合うことの延長にあります。

そのためのアンケートです。心を通わせる手段としてのアンケート。ですから、私どもへ伝えたい、こうであってほしい、でも直接的に言うとトゲが立つしという配慮を感じる文面もありました。ありがたく、また心して行間を受け止めさせていただきました。

私ども保育園に与えられた資源(予算と人材)の中で、できる限りのことに挑戦しますので今後も楽しい園生活の創造にお力をお貸しくださいますようお願いします。(園だより8月号より)

花火大会

2019/07/27

神田にいると花火が身近になります。八王子のニュータウンにいた時は、打ち上げ花火を見るために、立川や調布まで行く必要がありました。そんな環境だったので、保護者との話し合いから行事で子どもたちに「打ち上げ花火を見せてあげたい」ということになり、父さんたちが園庭で「花火大会」を開いてくれています。10メートルぐらい上がってポンと鳴るちっちゃな「夜火矢」でしかありませんが。もう15年以上、続いています。
◆有り難みの違い
それに引き返え、こちらに住んでいる人に「花火大会を見に行く」というと「どうして、わざわざ行くの?」という反応が返ってくることがあります。身近過ぎて、有り難みが薄れるのかな?と思って、改めて墨田区に住んでいた知人に聞いたら、本当の意味がわかりました。
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知人「ものすごく人が多くて、橋に辿りつくのが大変かもしれないです。ビルの間から、あ見えた!って感じですよ。しかも歩きながら・・・」
私「ん?歩きながら?・・・」
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◆花火は、花火
テレビでしか見たことがなかったので、ますます、好奇心に駆られて、行ってきました。いま午後8時で浅草にいます。そうです、隅田川花火大会です。確かにすごい人です。ビルの隙間から見える花火の丸が欠けた一部分たけでも、花火は花火。これも確かに「見えた!」です。私も立って眺めている群衆の一部となり、同じ方角に顔を向けます。その前で、お巡りさんがメガホンスピーカーで「立ち止まらないでください」と叫んでいます。
◆歩きながらみる花火大会
台風で開催が危ぶまれましたが、できました。全国各地で今日は花火大会が予定されていましたが、中止になったところも結構あります。それにしても、なぜ、こんなに日本人は「花火」が好きなんでしょうか。
私も子どものころから打ち上げ花火が大好きでした。長崎港に上がる花火はグラバー邸に続く階段に座って眺めるものと思っていたので「歩きながら見物する花火」は初めてでした。
◆もし広重だったら
子どもに見せたい日本の風物詩としての花火とは?浮世絵のモチーフにもなり江戸時代から続く花火の美学とは?色々な花火論がありますが、今日の目の前の花火は、残念ながらイベントとしての喧騒が風情をかき消していました。
ところが、花火は「浴衣姿の夕涼み」とセットにると「絵」になります。あの広重ならビルの隙間の欠けた花火を「絵」にしてしまう構図を見つけるかもしれません。そんな穴場があったら、どなたか教えてください、来年のために。帰りの満員電車のなかで考える花火考でした。

【園全体】ガードレールがつきました

2019/07/26

すでにお気づきのことと思いますが、昨日7月25日、園の前にガードレール(ガードポール)がつきました。作りは予想していた形よりも、あっさりしていますが、ないよりは断然安心です。植木との隙間も付けてもらう約束なのですが、それは警察署の管轄です。担当者からは「年度内には間に合わせますから、ご了解頂きたい」と頼まれました。12月頃になるのではないかと予想しています。(ニュース)

MIMAは全ての基盤である

2019/07/25

◆ファンデーションとしてのM I MA
「MIMAMORUプラクティスは、保育の分野や方法論ではなく、全てを支える基盤(ファンデーション)となるものです」。
マイ・ファースト・スクール(MFS)のジェネラルマネージャー(GM)のアイ・リーンさんが、なぜ藤森先生の保育から学ぶ必要があると考えたのかを説明します。
「2017年4月に幹部を連れて北京と東京を視察しました。印象的だったのは、新宿せいがの子どもたちが幸せそうでした。・・このMIMAMORUプラクティスは世界を変えることなので、決して高い投資だとは思いません。私の側近たち、4人のエリアディレクターと16人のクラスターマネージャーは、これが子どもにとって必要なことであると自然と理解できました。・・2019年はこうして実践して学びを深めています」
◆「MIMAMORUアプローチ」誕生
7月18日からのシンガポール視察研修も24日、最後の日を迎えました。この日はMFSのオフィスで、終日ミーティングです。この視察研修には日本から22名が参加していますが、過去2年間の振り返りと今後の展望に繋がる会合になりました。
このブログを読んでいる全ての方に伝えたいことは、冒頭のアイ・リーンGMの言葉に尽きます。世界には、様々な保育方法があります。MFSもモンテッソーリ教育やレッジョ・エミリアなども吸収しています。ただそれらのフェーズというかレイヤーとは異なり、もっと根本的な根幹となるものだということです。
GMは教育学の修士資格を持ちシンガポールの教育省に勤めてしましたから、この保育の意味深さがすぐに分かったそうです。
そのことが理解できると、メソッド(方法)という言葉では言い表わせないと考えるようになってきます。彼女たちがMIMAMORUの実践のことを「MIMAMORUアプローチ」というのが、わかるような気がします。
ちなみに、ピーステーブルの実践で私が感じた違和感の理由がよくわかりました。アイ・リーンさんも、子ども同士の関係のなかで育つ可能性の大切さを、本当によく理解されていました。現在の子どもたちの状況から出てきた課題を解決するために、ピーステーブルと感情のクールダウンを組み合わせたのでしょう。私の認識も変わりました。
 
◆2019年は90人を日本に派遣研修
GMは2017年4月に藤森先生に会ったときに受けた印象、インスパイアされた内容、そしてその後のスピーディな導入の経緯を説明しました。2017年の8月には早速導入を決めて、自らが143人の全ての園長に説明しています。そして全施設の中から21人の施設長がパイロットスクールになることに手を挙げています。昨年2018年は団体全体に広げています。そして今年2019年は実践しながら、さらに深める年にしてします。年間90人分の日本派遣研修の予算を組んでいます。すでに今年4月には26人が来日しましたが、そのなかには設計士2人や用務員も含まれていました。8月にも第2グループが来日します。「MIMA」が「基盤」であるからこそ、保育者だけではない専門チームが必要なアプローチなのですね。
◆今回の視察研修で学んだこと
私たちがやってきた保育実践のどこにどんな意義を見出し、それをどう理解しているかがよくわかりました。また、どのように広めようとしているかもわかりました。大きな組織のなので、一つの園のマネジメントとは違いますが、「違うけど同じ」の視点でみると、一人も組織も、基本には「学びのプロセス」というものがあり、それは子育ても同じ事がいえますが、それぞれが心から納得しないと、他人に説明できません。まずは一人ひとりが本気で「わかる」とこが必要です。
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