平成も今日を入れて残すところあと3日となりました。5月から令和が始まりまります。平成のうちにあった事は平成のうちに語り尽くしておこう、そんな気にもちょっとだけなります。
ちなみに、日本中の子どもたちは、はらぺこあおむしのことを知らない子はいませんが、ほとんどの子どもたちが実物を見たことがありません。アゲハチョウの幼虫は大きく、きれいな緑色をしています。みかんの葉っぱを本当によく食べます。小さなみかんの木だったら、葉っぱが食べつくされてしまうほどです。だから「はらぺこ」なんです。
2019/04/28
平成も今日を入れて残すところあと3日となりました。5月から令和が始まりまります。平成のうちにあった事は平成のうちに語り尽くしておこう、そんな気にもちょっとだけなります。
2019/04/27
■歴史のある地域と歴史のない地域
この東京・神田と多摩ニュータウン。どちらが住みやすいんだろう?保育園の役割はどう違ってくるのだろうか?そんなことをよく考えます。
写真【『散歩の達人』5月号 交通新聞社】より
2019/04/26
散歩のとき、2歳児の女の子が、私の人差し指をしっかりと握りしめてきます。その力は強いものでした。この小さな手が将来、未来を創り出す手に成長していきます。子どもの小さな手は、希望の手です。
5月5日の「こどもの日」は、昔から「端午の節句」と呼ばれてきました。玄関には、鎧かぶとの人形を飾りました。危険から身を守るという意味があります。
端午の節句は、七草がゆを食べる1月7日の「人日の節句」、3月3日の「桃の節句」に続く節句になります。江戸時代から一年に、5つの節句を設けて祝日としてきた風習が、今でも続いていることになります。日本の行事は、その季節の植物にちなんだものが扱われるので、季節感があって楽しいものです。5月は菖蒲、7月7日の七夕、9月9日は菊の節句がやってきます。その頃の子どもたちがどんな風に育っているか、これから楽しみです。
さらに面白なあと思うのは、長く続いている風習は、それを創り上げてきた先人たちの知恵や思いに接する時です。なぜ鯉のぼりなんだろうと考えると、はっきりしたことはわかっていないのですが、山の幸と海の幸に恵まれた日本人が滝を上る「鯉」の姿に、自然や命の力強さを感じたのは確かでしょう。一方で、アジア各地で日本の錦鯉が高値で取引されているニュースに接すると、国際化するバブルな時代の現実に複雑な思いになります。
ところで「屋根より高い鯉のぼり」と、子どもたちの歌を聞きながら、この1ヶ月を振り返ると、随分と子ども一人ひとりの「思い」が私たちに届くようになりました。どんな「思い」で毎日を過ごしているのか、これまでどんな生活をしてきたのか、私たちにもだんだんと見えてきました。自分でやりたいけど、まだできなくていたり、お友達と一緒に遊びたいけど、どう言ったらいいのか分からないでいたり、我慢できなくて喧嘩になった時の自分の感情を味わったりしながら、いろいろな姿を見せてくれたり、いろいろな話を聞かせてくれるようになりました。
これからの園生活が充実したものになっていくように、との願いを込めて、大きな鯉のぼりを作ることにしました。一人ひとりの手形と職員の手形でできた鯉のぼりです。これからの成長が本当に楽しみです。
ちっち
ぐんぐん
にこにこ
わいわい
らんらん
子どもも先生も全員
2019/04/26
【赤ちゃんのための手作りおもちゃ】
2019/04/24
【交通安全指導】
私たちの保育園が建つ場所を、どんなに贔屓目に評価したとしても、先進国の基準から考えると極めて例外的だと言わざるを得ません。まずこのような場所に保育所が建つ事はありません。本当に子どものことを考えていたら、こんな危ない場所に保育所を建ててはいけないのです。それでも保育をスタートしたからには、何があっても子どもの安全を守る必要があります。門を出たら数メートルのところに車道がある環境を変えることができないのなら、保護者の皆さんと私たちとで、協力して子どもを守りましょう。
2019/04/23
4月23日その2
2019/04/23
2019/04/22
「早くやりたい!」「ねぇ、まだぁ!早くぅ」この言葉を今日は何回聞いただろう。もうちょっと待ってね、と言いながら、私は内心嬉しくて、ニヤニヤしているのですが、その感じ、分かってもらえるかなぁ。待ちに待った、運動用のネットが付いたのです。
2019/04/21
【法人合同研修会】
2019/04/20
【子どもは自然である】
「都会の子ほど、自然を大事にするかもしれない」と思うようになることが、今週の散歩のときありました。養老孟司さんは、子どもは大人と同じ人間だけど、大人と全く違うのは、子どもは自然そのものだと言います。この自然とは、人工の反対です。便利で安全で都合よくできているのが人工ですが、自然は不便で危険で思うようにならないものです。それと同じように、子どもは本来、大人が思うようにはならない存在だと、養老さんは言います。山の中に入れば、本来そこに道はなく、一歩前進するだけでも不便で危険で思い通りにはなりません。ところが都会で生活していると、段差の無い平らな舗装された道が整備され、スマホを見つめて歩いていても何とかなると思えるほどに、便利で安全なことに気づくことさえないのかもしれません。ところが、その人工の世界に子どもが現れるとどうでしょう。まるで珍しいものを発見したかのように、驚いたり、微笑んだり、手を振ったりする大人たち。改めてここが大人の街、人工の街だという現実をつきつけられます。
【数本の綿毛をめぐって】