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園長の日記

平成のうちに語っておきたいこと

2019/04/28

平成も今日を入れて残すところあと3日となりました。5月から令和が始まりまります。平成のうちにあった事は平成のうちに語り尽くしておこう、そんな気にもちょっとだけなります。

【世界的な超ロングベストセラー絵本】
まずは、入園セレモニーで坪井先生が歌った『ベリー・ハングリー・キャタピラー』のことです。エリック・カールが1969年に出版した絵本ですが、半世紀の間にわたって世界中で読み継がれている名作です。『はらぺこあおむし』という邦訳も、新沢としひこさんによる作曲も、見事と言うほかはありません。記念すべき入園セレモニーにふさわしい絵本だったと思っています。昭和から平成、そして令和へと世代を超えて支持されていく絵本の代表格でしょう。
ちなみに、日本中の子どもたちは、はらぺこあおむしのことを知らない子はいませんが、ほとんどの子どもたちが実物を見たことがありません。アゲハチョウの幼虫は大きく、きれいな緑色をしています。みかんの葉っぱを本当によく食べます。小さなみかんの木だったら、葉っぱが食べつくされてしまうほどです。だから「はらぺこ」なんです。
【神田駅開業100周年】
こんどは明治時代から現在につながっている話です。神田須田二丁目の町会が所属している連合会は「神田駅東連合町会」といい、神田駅のある鍛治町二丁目町会が含まれています。その神田駅が1919年に開業して、今年でちょうど100年になります。その記念にJR77駅をめぐるスタンプラリーが行われています。スタンプの絵柄がその街を代表するものになっていて、神田駅は「神田祭」、秋葉原駅は「万世橋とITの街」でした。

居心地の良い人間関係を作ろう

2019/04/27

■歴史のある地域と歴史のない地域

この東京・神田と多摩ニュータウン。どちらが住みやすいんだろう?保育園の役割はどう違ってくるのだろうか?そんなことをよく考えます。

今日、隣の喫茶店アカシヤ(明石家)さんが閉店しました。最後の営業日でした。その店が入っている建物と、その後の山上ビルが、6月から解体されます。明石家さんと40年の付き合いになると言う岡昌裏地ボタン店のご主人が今日「あの店がなくなるのは本当に寂しい」と話されていました。
「まぁ、人生には出会いがあれば別れもあるもの。この地域で子どもの声を聞くなんて、想像もしていなかった。出張所の跡地がまさか保育園になるなんてね。この前は散歩に来た子たちが、ボタンを見て『お金だ!』って言ってたよ。丸くて似てるからだろう。アッハハ」

写真【『散歩の達人』5月号  交通新聞社】より

住みやすさと言うのは、その人が何に価値を置いているかで変わるでしょう。子どもにとって相応しいと思える環境、好きな景観や生活の利便性、ライフスタイルや家族の中の助け合いなど、そこが住みやすいだろうと選んだ方にとっては、その理由はいろいろな要素が絡み合っているはずです。
一方で、代々そこに住んでいる方は、住む場所を選ぶという意識は無いのかもしれません。岡昌ボタン店の店主や、町会の方と話していると、この地域への強い愛着を感じます。
(写真:せいがの森こども園の園庭)
■人とのつながり作りが街づくりだった!
私が22年間勤めた多摩ニュータウンでも、地域への愛着が育っていました。当時引っ越してくる方は、すでにバブルがはじけた後で、DINKS(ダブル・インカム・ノー・キッズ)以降の、そこを終の棲家と考えている方が大半でした。「子どもが生まれたから、両親と3世代で少し広いところに住みたい。周りは自然が豊かな方が子育てにはいいだろう」。そういう方がとても多かった気がします。
たとえば、一緒に自主学童クラブを立ち上げた方とは、「街づくりは人と人が繋がっていくことだ」と、いつも語り合っていました。保育園はそのネットワークづくりの場を提供してきました。その実践がグッドデザイン賞の受賞になっていきました。
■居心地のいい人間関係の中で生きよう
人はどこに住んでいようと、人間関係の中で生きていて、人間関係の中で幸せを感じ、反対に疲れたり傷ついたりもします。家庭も職場も人間関係が最も大きなテーマになるのは、当たり前と言えば当たり前です。その付き合い方がフレキシブルで、自分らしさが発揮できれば、どんなところで生活しても、幸せであるための3条件の一つは満たされることになるでしょう。他の2つはまた別の機会に。
人との距離感、重層的な人付き合い、自分にとっての心地よい仲間。そのような人的ネットワークを、人は無意識に望み作り上げようとします。
そう考えると、家族や地域や学校で、人とは付き合わないと言う関係も含めて、その人らしい人間関係が構築できればいいのでしょう。乳幼児のころから、これからのAI時代にふさわしい人間関係をデザインしていく必要があるのだと思います。

一人ひとりの思いに寄り添いながら(園だより5月号巻頭言)

2019/04/26

散歩のとき、2歳児の女の子が、私の人差し指をしっかりと握りしめてきます。その力は強いものでした。この小さな手が将来、未来を創り出す手に成長していきます。子どもの小さな手は、希望の手です。

 5月5日の「こどもの日」は、昔から「端午の節句」と呼ばれてきました。玄関には、鎧かぶとの人形を飾りました。危険から身を守るという意味があります。

端午の節句は、七草がゆを食べる1月7日の「人日の節句」、3月3日の「桃の節句」に続く節句になります。江戸時代から一年に、5つの節句を設けて祝日としてきた風習が、今でも続いていることになります。日本の行事は、その季節の植物にちなんだものが扱われるので、季節感があって楽しいものです。5月は菖蒲、7月7日の七夕、9月9日は菊の節句がやってきます。その頃の子どもたちがどんな風に育っているか、これから楽しみです。

 さらに面白なあと思うのは、長く続いている風習は、それを創り上げてきた先人たちの知恵や思いに接する時です。なぜ鯉のぼりなんだろうと考えると、はっきりしたことはわかっていないのですが、山の幸と海の幸に恵まれた日本人が滝を上る「鯉」の姿に、自然や命の力強さを感じたのは確かでしょう。一方で、アジア各地で日本の錦鯉が高値で取引されているニュースに接すると、国際化するバブルな時代の現実に複雑な思いになります。

 ところで「屋根より高い鯉のぼり」と、子どもたちの歌を聞きながら、この1ヶ月を振り返ると、随分と子ども一人ひとりの「思い」が私たちに届くようになりました。どんな「思い」で毎日を過ごしているのか、これまでどんな生活をしてきたのか、私たちにもだんだんと見えてきました。自分でやりたいけど、まだできなくていたり、お友達と一緒に遊びたいけど、どう言ったらいいのか分からないでいたり、我慢できなくて喧嘩になった時の自分の感情を味わったりしながら、いろいろな姿を見せてくれたり、いろいろな話を聞かせてくれるようになりました。

 これからの園生活が充実したものになっていくように、との願いを込めて、大きな鯉のぼりを作ることにしました。一人ひとりの手形と職員の手形でできた鯉のぼりです。これからの成長が本当に楽しみです。

ちっち

ぐんぐん

にこにこ

わいわい

らんらん

子どもも先生も全員

赤ちゃんの手作りおもちゃと幼児の散歩

2019/04/26

【赤ちゃんのための手作りおもちゃ】

つまむ、引っ張る、指で押す、触る。赤ちゃんたちが、いろんなものを手で触り、ものを存分にいじることができる手作りおもちゃを、先週ちっちの先生たちが作ったところ、大人気のようです。先生たちが自発的にこのような遊具を作ってくれることに、私は素晴らしいことだなぁと感謝しています。開園してまだ間もない時期に、このような手作りおもちゃがある事は、子どもたちにとってとても大切なことだからです。マジックテープを引っ張って、びりびりびりと剥がす部分が、本当に剥がれてしまうほど、遊び込まれています。
〈完成したばかりの頃〉
〈今日〉
【三項関係の成立】
泣いている子がいなくなった乳児の部屋は、のんびりした雰囲気が流れていて、私が部屋に入って座り込むと、はい、と手にした小さい積み木を私に差し出してきます。「ありがとう」とにっこり笑ってそれをとると、すぐに小さい手を差し出してきますから、返してあげます。
この物をあげたり受け取ったりするやりとりが楽しい時期は、心理学では3者関係が成立してきたことを示し、この物の代わりに言葉が発達するための条件だとされています。「ああ、この子もまた人と関わるためのコミニュケーションが盛んになってきたんだなぁ」と思いながら、自分でパチパチと手を叩いて喜んでいる姿に幸せを感じます。
【ゴミ収集車とお神輿を見る】
幼児たちは、午前中に散歩しました。昨日教えてもらった道路の渡り方を守りながら、靖国通りを横断しました。岩本町の交番のお巡りさんが敬礼をしたり、手を振ったりして出迎えてくれました。実は今朝、出勤前に交番に立ち寄り、「近くにできた保育園です。この横断歩道を渡って散歩に来ることがありますので、よろしくお願いします」と、名刺を渡して挨拶してあります。
大型のゴミ収集車が、マンションのゴミを回収しているところを、じっくり観察することもできました。小学校の社会科見学のようです。「あーやってゴミを詰め込んでいくんだね。ぎゅうって、押されて、つぶれてるね」などと会話を弾ませながら、言葉の表現も楽しみました。このような体験が、見立て遊びと言葉を豊かにすることにつながっていきます。
お神輿も、見ることができました。「宝石みたいだね」「きれいだねぇ」「人が上っていく階段もあるね」「上のほうに鳥みたいなのがあるね」。私に話しかけてくる子供たちの言葉を、私は大事にもう一度繰り返してあげて「共感」を子供に戻してあげると、その子が「うん」と頷くたびに、また言葉が溢れ出てくるのでした。散歩とは、移動ではなく、このようにその都度出会うものや場所を散策しながら、先生や子供同士が会話をしたりじっくり観察したりすることです。

道路を渡るときのルールを学ぶ

2019/04/24

【交通安全指導】

私たちの保育園が建つ場所を、どんなに贔屓目に評価したとしても、先進国の基準から考えると極めて例外的だと言わざるを得ません。まずこのような場所に保育所が建つ事はありません。本当に子どものことを考えていたら、こんな危ない場所に保育所を建ててはいけないのです。それでも保育をスタートしたからには、何があっても子どもの安全を守る必要があります。門を出たら数メートルのところに車道がある環境を変えることができないのなら、保護者の皆さんと私たちとで、協力して子どもを守りましょう。

  

今日は万世橋警察署の福原警部補に来ていただき、3歳4歳の子どもたちを中心に、道路を横断するときのルールを学びました。左右の安全を確認してからいっぽ踏み出す行動習慣をつけることが、どうしても必要です。園の門を出る時も、右や左から自転車が来ていないか、確かめてから外に出るようにすることを子どもたちと約束しました。
私が「いいですか。わかりましたか。では、できる人、手を挙げて」と聞くと、例によってやる気満々で、元気よく「はーい!」と、ほとんどの子どもたちが手を挙げていました(笑)。本当にやってくれるといいんですが、多分忘れてしまうものです。そこで早速夕方、近所を実際に歩いて練習しました。子どもたちがルールを守るように、私たち大人が手本を見せましょう。大人がやらないと、子どもも真似をしませんから、ぜひ協力お願いします。

タンポポの綿毛

2019/04/23

4月23日その2

【たんぽぽ】
先週、歩道橋を渡って柳原通りを散歩していた時、街路樹の根元にタンポポを見つけた話は、先週お伝えしました。その時、Aくんが、しゃがみ込んでにっこり微笑んで、綿毛を見つめていました。私はその食い入るように見ている姿から、それを保育園でもじっくり観察できるようにしてあげたい、そう強く思ったのです。 この私のモチベーションは、目の前の子どもの姿から動き出すものであり、指導案から動き出すものではありません。どの子にも体験させたいカリキュラムが先にあるのではなく、一人ひとりのその子にとって、切実な課題やテーマから動き出すものです。私が考えていることに誘導するのではなく、子どもが見つめているその先に、私の興味も向けるのです。具体的には、たんぽぽの綿毛です。
【選択】
朝早く、近所の公園から、花の状態のものや、これから綿毛になろうとしているものなどを採取してきました。本来なら、散歩先から保育園に持ち帰ってくればいいだけのことですが、それがままならない環境にあるから、ちょっと工夫が必要です。たんぽぽの綿毛をドライフラワーにして、透明な瓶の中に入れれば、いつまでもじっくりと観察できます。今日はそのやり方を見てもらいました。ゾーン遊びの一つとして、私の絵本による説明と綿毛観察を、やってみたい子だけが選択しました。
【綿毛が開いた!そして・・・?】
お昼寝から目覚めた頃、ビンの中で綿毛が大きく開いていました。それを発見したAくんの喜び様といったらありません。絵本と見比べながら、この綿毛がどうやったらまた黄色いタンポポの花になるのか、彼の興味は今日、そこにたどり着きました。綿毛はたんぽぽの種の集まりです。そこからどのように根が出て芽が出るのでしょうか。私もそれを見てみたいと思います。(ひらがなのたんぽぽ、カタカナのタンポポ、どちらも捨てがたいので両方使わせてもらいます)

レモンの木

2019/04/23

【レモン】
まずは昨日、月曜日の話から。土曜日に持ち込んでベランダに置いておいたレモンの木を、園児全員に見せました。幼児もレモンは知っていても、レモンの木は、 誰も見たことないようでした。目を輝かせて、私の話を聞いています。
「レモンって、こんな風に、木になってるんだね。面白いね。今ちょうど食べごろだから、今から切るよ。こうすると、栄養が葉っぱのほうに行くようになって、芽が出て花が咲いてそしてまたレモンの実がなるんだよ。また、レモンがなるように大事に育てようね」と話すと、「うん、やる、やる!」といった意欲満々の表情が返ってきました。
【数を数える】
今度は私はレモンの木には「いくつ実がなっているかなぁ、数えてみようか。いち、にい、さん、し、ご。5だね。5個もレモンがなっているね」と、数に注目して話しました。
わい、らんの子どもたちは難なく5まで数を声に出して「数える」ことができそうです。これをカウンティングといいます。この、私との会話の中で子どもたちは、小学校以降に学ぶ「算数」の数の単元を学んでいることになります。実物のレモンに対して1、2、3と言う数詞が対応することを、順番に声に出して空で言えるようになること。こういうことがとても好きな時期です。今日はそのレモンを輪切りにして、中を見ました。
【季節感】
暖かくなると、ちょうど摘果の時期が来る果実といえば、ミカンなどの柑橘系の果物です。確かにレモンも柑橘系ですが、この時期だったっけ?と、ピンと来ませんでした。そこで調べてみると、レモンは秋から冬を通り越して春まで出回っていて、あまり季節感がない理由ががわかりました。
園庭がなくても、近くに公園がなくても、なんとか季節感あふれる生活にしたい。そう思って、土曜日に用意したものがあります。それは透明なビンとシリカゲルと絵本です。保育は大人が経験させたいと思う方へ子どもを誘導するのではなく、子どもが興味を持ってやりたがっている事を実現させる中に、発達を保障できるように環境を用意することです。(つづく)

ホモ・サピエンス好みの教材届く

2019/04/22

「早くやりたい!」「ねぇ、まだぁ!早くぅ」この言葉を今日は何回聞いただろう。もうちょっと待ってね、と言いながら、私は内心嬉しくて、ニヤニヤしているのですが、その感じ、分かってもらえるかなぁ。待ちに待った、運動用のネットが付いたのです。

早速、ぶら下がったり、四つん這いになって移動してみたりして、ネットというものの手触りや揺れ具合や、怖さや面白さを体験しました。
そして、予想はしていたし、期待もしていたのですが、実際に見てみると、とても良い遊具であることがわかりました。とにかく、いろいろなところに「効き」そうです。
今日はまず、ご挨拶程度の体験ですが、これが身体に馴染んできたら、全身の筋肉と神経が、目覚めて行くこと、間違いありません。これはホモ・サピエンス好みの身体的教材です。

 

乳幼児期の環境の質について学ぶ研修会

2019/04/21

【法人合同研修会】

今日は姉妹園の「新宿せいが子ども園」と「せいがの森こども園」の職員が施設見学に来ました。平日はお互いに保育があるので、同じ法人の職員でありながら開園した園舎を見るのは初めての職員が多数います。休日を使わなければ、お互いに交流することが難しいのが保育と言う職場です。私どもの法人、省我会は1979年創設なので、今年でちょうど40年になります。この40年の変遷を全て知っているのは私の師匠、藤森平司統括園長だけです。そこで今日は、見学の後の合同研修会で、日本の保育の歴史を振り返りながら、これからの時代に必要な保育について学びました。以下は私なりのまとめです。
【環境を通した保育】
生物である私たちは、体内にいる頃から環境に主体的に働きかけて生きてきました。生まれてからも赤ちゃんは自ら環境に働きかける力を持っており、その変化を知覚して自らを形成します。その仕組みが脳科学で随分と明らかになり、1歳になる頃までの赤ちゃんの周りの環境が、その後の人生の健康や幸せに影響することがわかってきました。幼稚園の教育要領に「環境を通した保育」が謳われたのは平成元年の事ですが、それから30年が経ち今は、幼稚園に行く前の乳児の保育の質が決定的に重要な時代になりました。では、どんな保育が必要なのでしょうか。今日の研修はその再確認になりました。
【シナプスの刈り込み】
多くの動物は母親の胎内にいるうちに脳細胞とシナプスを十分に張り巡らせてから、自力できる力を備えてから出産します。しかし人の脳は進化の過程で産道から出られないほど大きくなってしまったので、未熟なうちに出産し1年かけて脳を大きくします。これを生物学で生理的早産(ポルトマン)といいます。その時、張り巡らされたシナプスの中で、いつも使われるルートだけが太くなっていき、使われない結びつきは消えていきます。これがシナプスの刈り込みです。どの赤ちゃんも環境が英語なら英語を聞き分け、環境が日本語なら日本語を聞き分けることができます。しかし、母語以外の言葉は耳にする機会がないので、それを聞き分けるシナプスは6〜8か月で消えてしまうのです。言葉以外にも同様の仕組みで、環境から受け取る刺激によって脳の働き方が決定されていきます。「環境を通した保育」の環境の意味が、このように変わってきているのです。
【興味や関心があることのシナプスは太くなる】
何かが好きで、それを継続的に取り組んでいる場合、それが得意な子になります。あまり好きでなければ、無理にさせても、その脳の回路は十分には発達しません。ですから意欲的であること、自発性に基づいていることが成長発達には決定的なのです。ただ子どもは、親の存在が絶対なので、本当にやりたいことを抑圧したり、親の好意を得るために偽りの自己を形成することもあります。そうなると厄介です。アイデンティティー形成期の中学高校の頃、自分探しと親への反発や否定が深刻となります。「自分らしく意欲的」である事は、乳幼児期の発達にとても大切な保育目標なのです。ですから当園の保育目標は「自分らしく意欲的で、思いやりのある子ども」となっているのです。

子どもは「自然」の住人

2019/04/20

【子どもは自然である】

「都会の子ほど、自然を大事にするかもしれない」と思うようになることが、今週の散歩のときありました。養老孟司さんは、子どもは大人と同じ人間だけど、大人と全く違うのは、子どもは自然そのものだと言います。この自然とは、人工の反対です。便利で安全で都合よくできているのが人工ですが、自然は不便で危険で思うようにならないものです。それと同じように、子どもは本来、大人が思うようにはならない存在だと、養老さんは言います。山の中に入れば、本来そこに道はなく、一歩前進するだけでも不便で危険で思い通りにはなりません。ところが都会で生活していると、段差の無い平らな舗装された道が整備され、スマホを見つめて歩いていても何とかなると思えるほどに、便利で安全なことに気づくことさえないのかもしれません。ところが、その人工の世界に子どもが現れるとどうでしょう。まるで珍しいものを発見したかのように、驚いたり、微笑んだり、手を振ったりする大人たち。改めてここが大人の街、人工の街だという現実をつきつけられます。

【数本の綿毛をめぐって】

これは、もちろん散歩してるときの話です。子どもは自然なのだと言うことを証明するのは、もっと簡単です。子どもは自然を見つけると、まるで仲間を見つけたかのように近寄り、触ろうとし、慈しみます。柳原通りを散歩した時、街路樹の根元に咲いていた、タンポポ、ナガミヒナゲシ、八重ヤマブキを見つけると、じっとしゃがみ込み、綿毛になったタンポポを手にして、「フーッ」と吹いて飛ばそうとします。
その様子を見て、正直ほっとしました。「あー、よかった、子どもだ、子どもだ」と。ところが私自身が、自分がとった言動に戸惑いを覚えたのです。数本ほどしかなかった綿毛をめぐる取り合いが起きそうになり、私は「たんぽぽは取らないで見るだけだよ」と言っていたからです。私はそんなことをこれまで言った事はなかったなぁと気づき、子どもたちが体験している状況に苦笑せざるをえませんでした。
養老さんは昔、子どもが虫取りを禁止されるような時代が来たら、その時の社会はもはや子どもを受け入れられないだろうと予言していました。私はその話を思い出し、もしかしたら、目の前に起きていることがそうなのかもしれないと、その日の夜、改めて保育園が置かれている状況について考え込まざるをえませんでした。自然である子どもが、自然であることを制限されてしまっていることがいかに多いことか。それに適応できる子どもだけが、聞き分けの良い「いい子」だとされてしまうことの危険性は、私たち保育者の間では常識だからです。そして、こう前向きに考え直したのです。誰に気兼ねすることなく、たんぽぽの綿毛ぐらい、いくらでも「フーッ」とできるところに連れてってあげよう。そうしたら「都会の子ほど、自然を大事にするかもしれない」と。
【レモンとブルーベリー】
保育園の隣に5メートルほどの花壇が空いています。屋上もあります。ベランダもあります。これを使わない手はありません。今日、行き慣れた園芸店に行ってみると、実が6個もなっているレモンと、花が咲いてこれから実になろうとしているブルーベリーの木があったのて、買い求めました。小学校の生活科で使う教科書に出てくる草花は、保育園のうちに存分に親しむつもりです。さぁ月曜日が楽しみです。
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