MENU CLOSE
TEL

園長の日記

コーヒータイムで話題になった「和泉小・いずみ公園の整備計画」

2025/02/12

コーヒータイムでは、その時々の話題が違います。今日は・・・

「いずみこどもプラザが建て替えるらしい」。「和泉公園はどうなるんだろう?」・・・など。

千代田区のホームページにもでていました。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/documents/32470/r701gaiyo_1.pdf

和泉小学校・いずみこども園等の施設整備について

・・・・・・

そのほか、今回話題になったのが、次のようなこと。

・住むところが高いよね。子どもが増えるとスペースがたりなくなる。したの子どもが生まれたり、入園のタイミングで引っ越すことを考えてしまう。でも、保育園が好きだし離れたくないから、どうしよう・・・

・千代田区の小学校のことを知りたい。私立を選んでいる方はいるの?

私からは近々「ちよだフードコート」をはじめます、という計画について、話しました。

小学校の生活にそのリズム、あってますか?

2025/02/11

夜の睡眠時間が8時間で昼寝が1時間半だから足して9時間半。足して10時間近く寝ているから大丈夫だろう? そういうふうに考えていたらちょっと危険です。大切なのはあくまでも夜の睡眠です。子どもの夜の睡眠時間は11時間ほしい。子どもの脳は夜作られるのですが、昼寝は夜の睡眠までの補助機能、サポートです。

足して「足りている」というのでありません。でも個人差があるので、次のような様子が「ない」なら、足りているのでしょう。

すっきり自分で朝起きてきているか?午前中に自分から活発に体を動かそうとしているか?保育園に行きたくないなど理由のない登園しぶりがないか?イライラしたりすぐ癇癪を起こすようなことがないか?週末に朝寝坊していないか? もし、夜の睡眠時間が11時間前後よりも1時間以上短くて、このようなことに心当たりがあるなら、夜の睡眠を見直したいところです。

夜の睡眠時間がしっかりとれて、朝から自分でサッと目が覚めて起きてきて、朝ごはんも食べて(朝から食欲があって)、朝に排便もできて、生き生きとしているという状態。これが元気な子です。この状態を作ってあげられるかどうかは、大人が用意する環境、生活リズムに左右されます。

では具体的にどうするか?朝の起床時間を目安として6時50分にカーテンを開けて、遅くともその時間までにはおきましょう。小学校は8時10分ぐらいに学校に着いていないといけないのです。15分前に家をでるとすると7時45分〜50分ごろ。7時起床で間に合いますか?ということです。

ここからはとくに、年長さんに向けての話です。ですか、いずれすべての子どものたちに待っている生活リズムです。

保育園時代は9時半までの登園でよかったかもしれませんが、もし8時ごろに起きて9時に登園していたら、小学校生活のリズムに全くあいません。それを8時に小学校(しかも自分で歩いていく)につくように、かりに1時間ずらすのだとしたら、それは並大抵なことではありません。覚悟を決めて、朝7時前には起きていくように、1週間で10分ずつぐらいずらしてあげましょう。一度にやっても反動が大きくて、うまくいきません。6週間で1時間ずらす。これくらいでどうでしょうか。いまは2月中旬ですから、4月の入学に向けて、あと6週間。最低このタイミングから考えてあげましょう。これだけで、小学校での生活の大切な下準備になっていきます。

仮に4月から親が早く起こしてなんとか学校に到着できても、午前中の授業に気持ちが乗らない、人ととの関係がうまくとれない、前向きな気持ちになれないなどの「小さなこと」がつもり、うまくいかないことが起きやすくなってしまいます。午前中に体を活性化させるのはホルモンのセレトニンです、これがよく出るようにするには朝日をちゃんと浴びて、顔に光をあてること(だから朝やはくのラジオ体操なんて最高!)、必須アミノ酸の入った朝ごはんもちゃんと食べること。それが後で眠りを誘うメラトニンをつくることにつながっていく。

朝7時までに起きて、朝日を浴びて、午前中10時〜12時が1日のゴールテンタイムですから、ここで外遊びをいっぱいやって、昼食後にいったん休憩ないしお昼寝を個人差に合わせてとって(また夕方4時以降の午睡はしない)、おやつをたべて、また遊びに熱中する。

夜8時〜朝7時の11時間。これを難しくしているのは夕方の過ごし方。夕方は夕食以降はテレビを消す。タブレットは覚醒と依存の効果が高いので遠ざける。ブルーライトが子どもの睡眠を妨げるからです。

夕食は満腹を目指して簡素に。大事なのは子どもの話をじっくり聞いてあげる時間をつくること。睡眠先進国の北欧はこれをとくに大事にしているそうです。触れ合いの時間。ここにオキシトシンも役立ってくる。親が忙しいと子どもは落ち着かない。ダウンライトにしてテレビもタブレットもしまって、のんびりとダラダラ10分ぐらい過ごす時間をとる。最初ははしゃぐでしょうが、リズムができるようになると、自ずとあくびが出て眠くなっていくものです。親子で「あ〜幸せ〜」という感じになっていくように。ゴリラの親子がやっているような。私たちの身体は霊長類でできているから。

保育園での様子は保育ドキュメンテーションでお伝えしていますが、そのときのことを「〜したみたいだね」と子どもが思い出すような話題をすると、その話をしだすかもしれません。また保護者の方でも、こんなことがあったのよ、と失敗談とか、おかしかったエピソードとか子どもには受ける、心がほころぶでしょう。

この睡眠講座は毎月開いています。

次回は3月8日(土)にzoomで開催します。

お申し込みは以下からどうぞ。

https://docs.google.com/forms/d/1pCFRbxlgZRvs4wUvuMKpr4WotF-V5otQUwM3ptf4_tc/edit

 

ちゃんと学ぶこと

2025/02/10

すべての保育者に向けて。

大人でも自分の可能性が開かれたと感じる時、大きな喜びを感じます。それは、何事にも代えがたい気づきであり、学びです。そうだったのか!とわかったり納得できたりする事は、自分が生きていく方向性を見出した喜びです。同じような感慨を人類の先達たちは、何度も繰り返し、述べています。

北大路書房から刊行され始めた「主体としての子どもが育つ」シリーズの『保育内容「人間関係」』の終章に無藤隆先生の解説が出ています。子どもの主体的活動ということの本質的な意味がよくわかります。多くの人に、ぜひ皆さんに読んでほしいと思いました。特に見守る保育を大切にしている人たちに、ここに書いてあることを改めてスタート地点として、これまでのパースペクティブを整理し直すと、保育や教育がどの方向に進むべきかが見えてくるような気がします。

「教えること」の再発見と言う視点をもう一度じっくりと考え直す必要があると思いました。

無藤先生ありがとうございます。

保護者と一緒に「子どもの権利条約」の理解を深める

2025/02/09

新宿・高田馬場にある当園の姉妹園「新宿せいが子ども園」は2007年の開園当初、学童が併設されていたのですが、その卒園児保護者らで作られたコミュニティ「落四小学区域の学童クラブと地域の子どもたちを考える会」(代表・渡辺仁子)が9日(日)午前、同園で「子どもの権利条約って何だろう?」と題するイベントを開きました。会場には20人ほど、オンラインでの参加者が高校生や学校の先生方も含めて100人ほどになりました。

この「考える会」は同園が待機児童解消のために定員を1・5倍に増やした際に、学童が地域に移管され、その後この会が発足して、地域を巻き込んだ活動をしてきました。今回のイベントは7回目になります。

参加申し込み時にとったアンケートによると「子どもの権利」に関するは「優しい教育を受けられる権利」「子どもが子どもとして生きるうえで尊重されるべき必要な権利」「子どもがもつ当たり前の権利」「家庭での子どもの権利のあり方は、とても深刻な課題であると感じる」・・など。最初に司会から紹介されました。

最初に、同こども園の園長で、社会福祉法人省我会の理事長でもある藤森平司園長が、40分ほど話しました。内容はOECDなどの調査結果を紹介しながら、日本の若者の「生きる力」が本当に育っているのか? 主体的に学ぶ力、学ぶことが楽しいから学んでいるという姿になっているのか?といった話でした。

この話を聞きながら、その頃のことを思い出しました。1989年(平成元年)に国連が採択し、その後日本が1994年(平成6年)に批准するのですが、これをうけて平成11年改定の保育所保育指針の第1章総則に「乳幼児の最善の利益」(the best interests of the child)という言葉が冒頭に登場します。日本の批准から昨年は30周年でした。

この間、その理解は<深化>し続けているように感じます。現在は子ども主体の保育といえば、GTでは<子どもの発達にあった選択や参画、自己決定>などがキーワードの一つです。自分に関係することに自分らしくコミットメントできる環境を、子どもにとってどう可視化するか、また同時に、そこで生じる遊びや学び、探究など、ものや他者との間との相互作用や創発する子どもの姿をどう深めていくか、ということと関係していきます。

私たちは慣れ親しんでいる「子どもの最善の利益」。子どもの意向や考え(view)を尊重するということは、実際の保育の姿として深め続けられていると言っていいでしょう。たとえば象徴的な姿をあげるなら、赤ちゃんの鼻水を拭いてあげる時も、今はちゃんと声をかけて同意をえてから拭いてあげるように変わっています。虐待や不適切保育などは論外ですが、いまだに続いていることから目を背けることもできません。

続いて中山利彦副園長は、子どもの権利条約が成立してきた歴史的過程を簡単に振り返りつつ、条約の特徴を説明しました。また4コマ漫画でわかりやすい本『保育に活かす子ども権利条約』も紹介されました。この本は日本保育学会でも推薦されました。続いて元ソニー開発マネージャーで富士大学教授の鬼木一直教授が、主体的な子どもを育てる育児のポイントを解説しました。

その後、グループに分かれて10分ほど意見交換。「学校の決まりやルールが受け身になってしまい、保育園のときのように、自分のこととして、親子で話し合ったり、考えてかかわる感じになれないのはどうしてだろう?そういうことを話し合う機会もなくなってしまったように感じる」(卒園児の母親)など、いろいろな話題がでて、話し合ったことを共有しました。最後に質疑応答のあと地域からの報告がありました。地域からの事例としては「子どもが笑顔になるサポート」がいくつか紹介されました。2時間のなかにギュッと内容の詰まった学びの時間でした。

「一緒に食べたかった」という気持ちに気づく保育者の「集団的敏感性」

2025/02/06

6日の午後のこと。おやつはレーズン入りスコーンでした。私も入れてもらって、子どもと食べようと席に着くと、ちょっと遅れて私の前に座った4歳児クラスの子が「一緒に食べたかったあ」と怒って涙をこぼしています。そうか、ごめんね「いただきます」がちょっと早かったんだね、もうちょっとで席に着くところだったのに。

この子の気持ち、大切にしたいです。なぜ、みんながちゃんと席に着いてから「いただきます」をした方がいいのかということを、この子が教えてくれました。行儀の話でもマナーの話でもなく、まさに「みんなと一緒に食べたかった」のです。私の園では、一人で食べる個食や孤食ではなくて「一緒に食べたら美味しい」という体験を大切にしているつもりです。よくそういう説明をしてきました。でもそれが叶わなかったから、この子は泣いて抗議しているのです。

急いで席に着こうとしている子どもの気持ちに添わない「いただきます」のタイミング。「みんな揃ったかな?」という配慮をしあうのは、このように、子どもの中には「いま行くから、みんな待ってて」の気持ちの子どももいるかもしれないと想像すること。そういう気持ちに応えるようにすること。

もし、そういうモヤモヤした気持ちが残ってしまっていることに、誰も目を向けてあげないとしたら、そこに集って共食する目的は、なんだったんだろうと反省してしまいます。

涙を流して嫌だった、と訴えている子どもの気持ちが事実としてそこにあって、それに誰も応答してあげないのは、見守っているとはいえなくなります。子どもの気持ちがスルーされないように、ちゃんと心の動きをとらえて保育をしていきたい。そういうことは多くはないのですが、もし多かったら、子どもたちの意見(View)を尊重しているとはいえないことになってしまいます。

こういうことは、ざわついた空気感に起きやすい事象だろうと考えます。大人の注意力も散漫になって、あるいは注意の向く方向があらこちらに分散してしまい、大事なことが見過ごされてしまうような時間帯。活動と活動の境目などにおきやすい。

先生が「いただきます」は始めようとする当番さんに「ちょっと待って、何々ちゃんが今、〜しようとしてるから」と注目を促すことも必要なのです。でも一方では、そんなときに、子どもが自身が「ちょっと待って、もうすぐ席に着くから」と伝えることができる子どもに育ってほしいと願ってもいるのですが。またこのような目の行き届かせ方を、保育士の「集団的敏感性」といいます。

I小学校で図工の魅力にハマる

2025/02/06

1回目の小学校訪問で「小学校行きたい!」の気持ちにギアが入っている年長すいすいさん7名。今日はもう一つのI小学校に出かけました。8時45分登園もばっちりで、これからだんだん登園時間を早くして小学校時間に合わせていきます。近隣の3つの保育園と合同で授業を参加させてもらいました。

まずは2年生の教室。ぴょんぴょんガエルを作っていました。教えてもらってすぐにマスター、やりたい!、つくりたい!という眼差して食い入ってみてました。そして帰ってきてから食後にすぐに完コピして作ってました。担任曰く「普段からいろいろ自由に作って遊んでいる経験から、あっという間に完コピして仕上げていました!」だそうです。

5年生の図工もみせてもらいました。こちらも中に入らせてもらい、板と釘と輪ゴムを使ってピンボールのような製作をお兄さん達がしていました。

「おぉ、、、これも作ってみたい。。。」いろいろな道具や素材が並んでいて、あれはなんだろう、どうやって使うんだろう?と興味津々。優しいお兄さんが使い方を教えてくれました。

以下は今日のドキュメンテーションから。

<廊下には先輩たちの焼き物の作品。 Yちゃん、お姉ちゃんの作品を見つけ嬉しそうでした♪>

<図書コーナーも案内してもらいました。 魅力的な本がいっぱいで、しばらく座り込んで読んでいました。図書の先生曰く、せいがの子達はみんな本が好きだっておっしゃっていました^^>

ちょうどその時、卒園児の5年生NUくんが友達に「保育園の時に園長ライオンにもエルマーとかいろんな本も読んでもらっていた」と説明。彼も熱心に聞き入っていたことを思い出しました。

<見学の後は、アイグラン、ほっぺるランドのお友達たちと一緒に和泉公園で遊びました。 まずは3園のみんなで何をするかのプチ会議。 最初は鬼ごっこ!少しずつ打ち解けていきます。>

<「お友達出来たよ♪」嬉しい言葉を子ども達から聞きながら、ご飯を食べに保育園に帰りました^^>

小学校で一緒になる年長さん同士、名前も覚えあって、いい交流になりました。

 

 

社会の変化を見通した成長のあり方とは?

2025/02/05

園だより2月号「巻頭言」より

 毎年この時期になると「子どもの育ちと自らの保育」を振り返るのですが、そのための数ヶ月ごとの記録がある種の「物語」が浮き出てくるのが面白いのです。その集大成となるのが当園の場合は「成長展」と呼んでいる行事になるのですが、数ヶ月ごとに定点観測のように録ってきたエピソードや子どもの作品を追っていくと、一人一人の変化を発見できます。この行事はその変化のプロセス(成長)を家族と先生と一緒に喜び合いたいという趣旨になります。

 この成長の物語が、彼らが大人になった時の時代に花咲く物語であるのかどうか? それに相応しい経験の物語になっているのかどうか? すでに、彼ら彼女らをその待ち受けている社会の(一部?あるいは、大部分?)変化は加速度的に速くなっており、どうなるのか不確かで、複雑で、しかも物事の意味や帰結があいまいになり、明確な意思決定を行うのが難しいと感じる時代です。昨今の話題はそれを物語っているようにみえてきます。

 OECDの「教育とスキルの未来2030年」まであと5年です。大学共通テストをChatGPTが91%(昨年は66%)正解する時代です。遠藤熊本市教育長の「AIを使えば簡単に解ける問題を自力で解けるようになるために小中高12年間を勉強する必要があるのか?」という問いは、冗談ではなく、真剣に考え抜く必要があるでしょう。

きっと社会の変化の流れを感じ取り「学習者が継続的に思考を改善したり、意図的かつ責任のある形で行動できるような反復的な学習プロセス(AAR)」が、どうしても不可欠になってきように見えます。これは大人も同じでしょう。世間の騒動をみてもそう思います。それをやっていないと、こうなると言うような。あと5年。その頃から始まる学習指導要領を今から決めなければならないのですが、たしかに「10年サイクルでは遅すぎる」という話が出てもおかしくないだろうなあ、と思います。

それでも、いまの要領や指針が大事にしていることが、将来も通用することが多くあるはずであって、それがまだまだ実現されていない、という側面を忘れてはならないでしょう。要領や指針は深い理解(あるいは深読みも?)がきっと大事なのでしょう。

社会の中で育つ人間は、その経験を社会でします。それはAIでは経験できません。保育園はAIができることを包摂する身体的で社会的な空間である、といえるのではないでしょうか。ちょっと、おこがましいかもしれませんが、その空間創造の延長線上に学校のあり方も変わっていく必要がある気がします。

栄養士を目指す学生たちが園児と一緒に豚汁づくり

2025/02/03

大妻女子短大の学生さんたちが「食育活動」の体験に来られました。

豚汁を子どもたちと一緒につくり、学生さんたちが用意したクイズを楽しみました。

自分たちで包丁を使って切った白菜や大根やにんじんの入った豚汁。主食は焼き海苔の上に、ご飯と鶏肉を乗せたり、挟んだりして食べました。

栄養士を目指す4人の学生さん。乳児から高齢者まで、いろいろな発達にあった食事をつくること学んでいます。幼児と一緒に食べる食事は初めて。野菜の下拵えが終わった後は、豚汁ができるまでの時間、保育室で園児と遊び楽しかったようです。

第5回 全国実践研究大会in熊本(2日目)

2025/02/01

大会の2日目は、6つの実践報告がありました。昨日の講演やトークセッションで語られたことが、いわば理論だとするなら、今日の保育実践の事例は、それを具体化したものと言えるものばかりでした。少し詳しく報告します。それぞれにきっと参考になる工夫と今後の見通しが語られているからです。とくに学校教育の構造転換提案の3つの柱を「苫野一徳プラン」と呼ばせていただくと「藤森プラン」(つまり要領指針の具体化の一つ)との接続がかなり重なると思います。

・・・・・・・

同年齢でも異年齢でも「子ども同士の関わり」で育つものがたくさんあるのですが、苫野プランでいう1と2の柱になる実践でしょう。ある種プロジェクト的な継続的な活動を異年齢で協働して作り上げていく事例が報告されました。その活動のなかで育つものがよくわかる事例でした。

🔳井尻保育園(福岡)は「笑顔・意欲・生きる力〜異年齢の関わりで育ち合う子どもたち」。

天気のいい日は乳児から幼児まで総勢235人が園庭で夢中になって遊んでいます。報告されたのは、運動会のお神輿リレー競技を作り上げていく過程でした。異年齢の5グループがペンギン、いか、ひとで、くらげ、ちんあなご、といった海の生き物を作っていきます。海の生き物を何にするのか、5歳児が3〜4歳児の気持ちを汲み取りながら、図鑑を見せたりして時間をかけて決めたそうです。どんな形のものをどうやって作るのかも、4〜5歳児がアイデアを出しあい、3歳児の興味も引き出されながら、みんなで試行錯誤しています。

一つものもを力を合わせて作り上げて完成させる喜びはひとしおです。自分たちで考え、話し合ってできた自信は、次のハロウィンパーティにも生かされます。お化け屋敷、ダンスパーティ、お楽しみコーナー、写真スポットなど、話し合いの結果すぐ決まり、5歳児がリーダーとなって自分たちで役割も分担してきめてワクワクしながら仲間と一緒に楽しんだ。そんな報告でした。

・・・・・・

子どもたちが意欲的に活動していくために、保育ではよくアタッチメントの話が重視されます。不安になったり困ったししたら安心できる人に避難したり保護されて、また回復して元気を取り戻してそこを離れて、遊び始めます。「安心感の輪」モデルでは避難場所であり安心基地になるのが家庭では親、園では先生ということになるのですが、子ども同士の関係が育っていくと、とくに異年齢の関係が豊かな場合は、その安全基地に年長の子どもがなることもあります。さらに安心毛布などの移行対象が、保育空間や子ども集団であるのではないかと思えることさえもあるのです。

🔳加茂川保育園(熊本)は「2023ー2024 の保育実践と安心感の輪の広がりを考察する」。

この報告では職員がどのように子どもの安全基地になっているかを、子どもへのアンケートから調査したユニークな事例報告でした。幼児クラスの子どもたちに以下のような11の質問をしています。そして、乳児と幼児の担任、調理などの役割での違い、経験年数、個人差などで興味深い結果がでました。

この園でも異年齢保育をしているので、幼児の子どもたちでも、現在乳児を担当している先生も選ばれています。職員全体で幼児を保育していることがよくわかるものでした。また子どもが先生の違いをよく把握しており「子どもは気持ちや状況にあわせてしっかり大人を選択して、いろんな人と関わって成長していると感じた」「ちゃんと関わりを持ってくれる先生や安心できる先生を見つけられていて嬉しく思った」「自分で思っている自分と子どもに写っている自分が違うことに気づいた」などの感想が紹介されました。

1朝保育園に来た時に「おはようございます」を言いたい先生や会えた時に笑顔になる先生は?

2お部屋の中で遊んだり何かを作ったり、描いたりするときにいてほしい先生は?

3園庭で遊んだり、散歩したりする時にいてほしい先生は?

4運動遊びや思っきり体を動かして遊ぶどきにいて欲しい先生は?

5歌を歌ったり、踊ったり、リズム運動をしたりするときにいてほしい先生は?

6給食やおやつを食べる時に一緒に過ごしたいと思う先生は?

7お昼寝の時や、少し休みたいときにそばにいてほしい先生は?

8自分の気持ちや話や、考えていることをしっかり聞いてくれる先生は?

9何かができるようになったり、挑戦したりする時にそばにいてほしい先生は?

10悔しい時、悲しい時、寂しいと感じた時にそばにいてほしい先生は?

11満足しているとき、嬉しい時、心地いい時にそばにいてほしい先生は?

保育は子どもと気持ちの交流があって初めて成立します。先生が毎日、一人ずつの子どもと心を通わせているかどうか、子どもの側からみた安心基地になれているかどうか。それらがあって初めて、子どもにとって先生が安心の見通しであり、ちゃんと「見守られている」と思えることになるのでしょう。

・・・・・

安心して遊び始める世界には、子ども同士の関係があります。それが人的環境としては不可欠なわけですが、そこをどうやて豊かにしていくといいのでしょうか。乳児から幼児への架け橋といっていい「2歳児クラス」の保育テーマです。そこに「自立」のプロセスを実践から報告したのが次の事例でした。要領・指針には領域ごとに「内容の取り扱い」がありますが、人間関係の一つ目は、いわば「見守るための保育者の関わり方」が4つ書いてあります。その実践例にもなっています。

🔳しんじゅくいるまこども園(東京)は、テーマが「自律心」。

安全基地としての保育者が、子どもの自発性を大事にしながらも、集団生活を行う社会性を育むために、それまで以上に自分を好きになるように「受容を大切にしながら」、一方で社会性を育てるために友達が好きになり、友達を一緒に楽しむことがしやすいような工夫しました。それを「みんな(少しずつ友だち同士)でやる楽しさやルールに気づかせる保育」と説明しています。そこから、異年齢の仲間との関わりが増えていき、相手の違いに気づいて、話し合いながら相手に合わせてルール変えて鬼ごっこを楽しんでいる様子が紹介されました。

・・・・

子ども同士の関わりをサークルタイムを通じて育んだ事例の報告が次です。

🔳デュランタ保育園「試行錯誤のサークルタイムー子どもたちの成長の裏側」。

乳児のお集まりも習慣になったり、2歳児クラスでは絵本「おおきなかぶ」を楽しみ、劇遊びにも発展し、その後の話し合いでは「そのあとかぶはどうなったの?」という言葉から会話が交わされて「猫が料理したんじゃない」「猫だよなべに落ちるかも」「じゃあ、おばあさんが料理したんじゃない」という結論になったというエピソードも。言葉や会話がふえて相手の気持ちに気づいたり、寄り添う言葉も増えて、自分の気持ちも言葉で伝えようとする姿になってきたそうです。先生たちも、どうしてそう思っていたのかなど子ども理解が深まる機会になっていっています。

幼児でも試みていくうちに、それ以外の時間でも自発的な発言や行動がみられたり、人の話を聞いたり、話し合ったり、人前で発言できるようになっていったようです。この大会への発表を飛躍の機会にとらえた取り組みだそうですが、タイトルにある「裏側」には、先生たちの成長があったようです。

・・・・

実践発表は、具体的な保育事例を取り上げますが、保育者の関わり方のポイントに絞った報告が次になります。

🔳新宿せいが子ども園(東京)「子ども同士のかかわりを大切にするための環境と保育者の関わり方を考える」。

内容はこれまでの研修会などでよく聞かれる質問への回答例をダイジェスト的にまとめたようなものです。先に触れたように領域「人間関係」の「内容の取扱い」の一つ目は4つあります。子どもの行動に温かい関心を寄せること。心の動きに応答すること。共に考えること。子どもなりの達成感を味わう経験を支えることです。これらを具体化したものに一部相当します。とくに一つ目の「子どもの行動に温かい関心を寄せること」の解説文にはこのような留意が強調されていますので引用しておきます。

「しかし、『待つ』とか『見守る』ということは、子どものすることをそのまま放置して何もしないことではない。子どもが他者を必要とする時に、それに応じる姿勢を保育士等は常にもつことが大切なのである。それは、子どもの発達に対する理解と自分から伸びていく力をもっている存在としての子どもという見方に支えられて生まれてくる保育士等の表情やまなざし、あるいは言葉や配慮なのである」

新宿せいが子ども園の報告は、ここを強調することから始まりました。

・・・・・

さて、最後の発表は、まさしく子どもの可能性を信じる保育としての見守る保育の実践例です。

🔳いるべ保育園(福岡)「子どもの力を信じた保育園へ」。

迷いながらも子どもたちを信じて見守っていくと、こんな素敵な事例がうまれることもあるという感動的な事例でした。それは砂場遊びの用具入れのカゴで遊び出したことに対して、先生たちがどこまで見守るのか、話し合っていった経過が報告されました。きっと多くの園が同様の悩みや葛藤を抱えるのではないかと、思って聞きました。なんでも自由にしていいわけではない。ルールは統一したほうがいい、などの意見もあるものです。これに対して、別のものを代用してみては?危なくなければいいのでは?しかし危ないの基準が先生によって違う。保育者がそばいればいいのでは?片付け用のケースと遊ぶ用のケースを分けてみては?などと話し合いが続き、「子どもたちの気持ちはどこにあるのか」という点から、しばらく見守ることになったそうです。

すると写真のように、自分たちで遊びを作り出し、危険な遊び方に気づいていき、うまい片付け方も発見していったそうです。その姿から先生たちは「危険な場合をのぞき、遊びが発展していくことを子どもを信じて見守ろう」と保育者間で意見が一致した」といいます。この職員の話し合いの過程は、昨日の苫野一徳さん話では「最上位目標で合意する」という事例にもなるでしょうし、民主主義的な話し合いは効率が悪くて合意にいたるまでに時間がかかる、という課題を乗り越えた事例としても大切だろうと思います。またお異年齢で遊んでいると、上手な遊び方を生み出していく知恵も伝承されやすいという点も明記しておきたいことです。

・・・・・

今回の大会の参加者は茨城、埼玉、東京、神奈川、新潟、長野、三重、京都、島根、香川、福岡、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄の17都府県から80園、約315人を超える参加となりました。300人収容の会場が満員で熱気にあふれるものでした。こうした草の根的な運営ができるのも、普段から研鑽と交流を積み重ねてきたからこそです。

他に類を見ない、大人の主体的学びの熱量の源泉となっているのは、主体的な子どもの姿が具体的に目の当たりにしてきている「身近な実例」があるからでしょう。こうした研修会は、自分の園の子どもたちと保育者の変化を実際に目撃し、感じ、その意味を吟味し合う機会になっているからです。

私たちたちが互いの保育をみあい「もっといい保育にできそうだという手応えと自信」を相互に得て帰っていく研修会。私たち保育者の「学びと自己効力感」を育む機会になっているように見えてきて、それをまた、熊本でも強く感じる大会でした。

第5回 全国実践研究大会in熊本(初日)

2025/01/31

この全国大会の企画は保育環境研究所ギビングツリー(略称GT・藤森平司代表)で、運営は各地のGT園が協力して開いています。午前中は熊本市内の保育園、幼稚園、こども園の見学で、午後からは「くまもと県民交流会館」のホールで2つの講演とトークセッションでした。

最初の藤森代表による基調講演は、私たちの保育が「要領や指針が求めているような主体的な子どもに育っているか?」を振り返りを求めるものでした。参考指標として例に挙げたものは、文部科学省・国立教育政策研究所が令和5年12月5日付でまとめた「OECD生徒の学習到達度調査〜PISA2022のポイント」です。それは以下のものです。

これはコロナ禍を経て15歳の義務教育課程修了の子どもたちの読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの3分野を国際比較したもので、いずれも上位5位に入る「世界トップレベル」の学力を維持していることがわかりました。ところが気になるのは「自律学習を行う自信」(自律学習と自己効力感)は、OECD37カ国のうち34位だったことです。質問は「学校が再び休校になった場合に自律学習を行う自信があるか」を調べるために「日本の高校1年生に「今後、あなたの学校が再び休校した場合、以下のことを行う自信はどれほどありますか」と8項目を聞いたのです。

写真を参照ください。

レポートは次のように分析しています。

<感染症の流行・災害の発生といった非常時のみなら
ず、変化の激しい社会を生きる子供達が普段から自律
的に学んでいくことができるような経験を重ねること
は重要であり、主体的・対話的で深い学びの視点から
の授業改善の推進により、自ら思考し、判断・表現す
る機会を充実したり、児童生徒一人一人の学習進度や
興味・関心等に応じて教材学ぶ方法等を選択できる
ような環境を整えたりするなど、自立した学習者の育
成に向けた取組を進めていく必要がある。>

どうでしょうか?世界や日本が、このような学校教育
に変わっていくことが求めらている中で、私たちの乳
幼児教育は、どうあるべきなのでしょうか? 

学校教育がこのような方向に向かって変わろうとしていることを踏まえると、保育ではこの「選択できるような環境」をどう受け止め直し、乳幼児にふさわしい形でどう深めるか、という話と関係します。そこで「選択」「参画」「自己決定」などを乳幼児に相応しい形に吟味し直してきました。

一方で「教育基本法第1条(教育の目的)にある「〜平和で民主的な国家及び社会の形成者として〜」をどう育てるのかというように法令から参照していくときも、子どもの権利条約や子ども基本法、こども大綱、OECDのエイジェンシーなどを踏まえて、保育を進める必要があります。

そのときの鍵は「子どもが自分に関係する事柄について自らが影響を与える経験をすること」を保育でどう具体化するかということにつながっていきます。

つづく記念公演は熊本市教育長の遠藤洋路さんだったのですが、話はちょうど同じ文脈になりました。生成AIなどが将来の学校教育を変えるのか?学校の役割はどう変わるのか?教育はどう変わるのか?

次期学習指導要領ができる頃に、もしかしたらシンギュラリティが現実味を帯びているかもしれないほど急速に変化している時代に、大人も含め子どもの学びのビジョンをどう描くのか、極めて重大な時期に来ていることをわかりやすく説明していただきました。

そして令和5年12月22日に閣議決定された「こども大綱」について、「若者やこどもの意見をきいて施策に反映することや、若者やこどもの社会参画を進めること」には次の2つの意義があるとします。

(1)こどもや若者の状況やニーズをより的確に踏まえることができ、施策がより実効性のあるものになる。

(2)こどもや若者にとって、自らの意見が十分に聞かれ、自らによって社会になんらかの影響を与える、変化をもたらす経験は、自己肯定感や自己有用感、社会の一員としての主体性を高めることにつながる。ひいては民主主義の担い手の育成に資する。(赤文字と下線のあるところは遠藤教育長が強調されていたところです。)

この話は、基調講演でスウェーデンの民主主義教育が紹介されたので、そこでピッタリとつながりました。

会場を移動してトークセッションには哲学者の苫野一徳・熊本大学准教授を交えて3人による<これからの教育・保育に必要なこと>について語り合っていただきました。苫野さんは熊本市の教育委員でもあり遠藤教育長とは何年も話し込んでいる間柄です。3人とも「そもそもところが大事」というところが共通でした。

苫野さんは「教育とは子どもが自由に生きたいように生きていくための力を身につけること」とだとし、その自由とは「自由の相互承認」という表現で人類がその実現を目指してきたもの、といいます。教育に必要なことは「子どもを信じて、任せて、待って、支えること」。それは誰もが当たり前のことと感じているはずなのに、それが十分にできなくなっているのは、システムがそうすることを阻んでいるからではないか。そういう意味でも150年経った日本の学校教育も構造転換が必要で、考え方は250年の積み重ねを経てできているから、それを実装する時期にきているとし、それに必要なのは次の3つではないかと提案されました。

構造転換の柱を項目だけ紹介すると①「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」をすすめ②「探究をカリキュラムの中核にして自分たちで対話を通して学び」さらに③「学校を多様性がごちゃ混ぜのラーニングセンター」にしていこう、といった話でした。「これらは各地で、すでに始まっています。10年後は明るい」と話されました。

 

top