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園長の日記

睡眠講座「赤ちゃんのねんね講座」の日程変更

2023/12/19

平日の参加があまりないので、1月からの残り5回のうち4回を

すべて「土曜日」開催に変更します。ぜひ、ご参加ください。

1月13日(土)27日(土)

2月10日(土)20日(火)

3月9日(土)

 

 

来年1月14日(日)「小学校ってどんなところ?」座談会

2023/12/18

園長のコーヒータイムや日曜開放を通じて、こんなことをやってみたいという話になりました。題して「小学校ってどんなところ?みんなで話そう座談会」。1月14日の「にちよう開放」の日の午後1時から3時にやることになりました。

座談会チラシ

「小学校生活ってどんな感じ?」「我が子に合った学校って?」。卒園して小学校になったご家庭の親御さんたちの交流の機会に、また就学に向けての不安や疑問などを聞いてみるいい機会にもなりそうです。

「にちよう開放」にどうぞ

2023/12/17

園長の「にちよう開放」は月1回のペースですが、今月12月から来年2月までは月2回開いています。子どもたちは園内で遊びながら、親御さん同士で何かやりたい時などにもご利用ください。私以外の職員はいないので、基本的には親御さん同士で子どもの面倒を見てもらっています。昼食を親子でみんなで一緒に食べて帰る、という流れが出来始めています。

 

表象を迂回しない知覚と行為の繋がりについて

2023/12/16

この話は土曜日の午後の園長の「うたた寝の夢」みたいなものです。少年が時計を分解して元に戻せなくなった悪夢みたいな。真面目に読まないでくださいね。

このところ、子どもたちはどうして模倣するんだろう?と考えています。すると私が考えていることは、心理学でもよく検討されていることなんだ、ということに気づき、また新たな見え方が生じて面白がっています。例えば発達心理学者の森口佑介さんが書かれた本『おさなごころを科学する 進化する乳幼児観』を読んでいたら、こんなフレーズに出会いました。ピアジェの「感覚運動期」第六段階を説明するくだりです。

「・・・そして模倣は行為による表象だと言えますが、これが内化されることにより、思考による表象へと変遷していきます。かくして身体や知覚を通した直接的な知的活動から、表象を通した間接的な知的活動へと質的な変化を遂げていくのです」

 私がおっ、と思ったのは「模倣は行為による表象だと言えますが」と、サラリと書いてあるところです。何かを真似をすることが、その模倣行為そのものが表象になっていると考えてもいいんだというわけです。そのことは、偶然にも今月12月の園だより巻頭言に書いたことと似た見方です。

そこでは表象を心動かされたことを再現する行為全般に広げてみたらどうか、という提案でした。それでもいいとなるなら、子どもの遊びや活動は表象活動であり、それが言葉や記号操作などに置き換わっていくことによって遊びや活動が減って大人になっていくという見方ができるのではないだろうか。ふとそんなふうに思えてきたのです。

つまり、それは私には「なぜ人間の場合は表象(文化)が拡大するのか」という問いと同種に思えるのです。と言うのは、動物には表象行為がほとんどありません。霊長類と人間の、その分岐点をマイケル・トマセロが指差しなどの共同注意に見出したのですが、意図を模倣したり共有することが人間たらしめ、そのラチェット効果によって、文化文明が進展しているのだと考えられています。

生態心理学は、知覚と行為をある意味で一体的に捉えるのですが、そのシステムの道の途上のどこかで、人間は表象という分かれ道を作り出しているのかも知れません。それが迂回して行為につながる道と、限りなく表象の彼方へ拡散していく道をつくっているように思えてきたのです。

 こんなことを考えていると、まるで分解しかけたアナログ時計を元通りに戻せなくなりそうな概念の混乱に襲われるので、また使い慣れた道具一式(デカルト的に二元論的なもの)を使って考えることに戻ってきてしまうのです。そんなことを言ったり来たり。まさにメカニズムを考えてしまうのですが、私たちが「生きていること」はメカニズムではなく、複雑な関係的な生成過程そのものなのでしょう。

ただ、模倣や表象という言葉にとらわれず、私たち生きているものとしてやっていること、あるいはやってきたことを、率直に表現し直す方が、実態に即して物事を捉えることができるのだろうと直感しています。が、しかし、それもまた使い慣れた概念道具一式をまえに、一筋縄ではいかないのです。

今年最後のコーヒータイム

2023/12/15

絵本の読み聞かせが終わると、今月の「園長のコーヒータイム」。面白いもので、人はT P Oに応じて思いつくことが変わるものです。家庭、職場、喫茶店、居酒屋、お茶会・・・面子も話題も違うことが想像できます。

それと同じで、お迎えに行く前にちょっと一息。コーヒーでも飲んで親子の対面。お迎えが終わった後も、親子で6時ごろまで過ごしてもらって構いません。子どもはにこにこ組(2階のベランダ側)で過ごしています。私も他愛のない雑談タイムで1週間の疲れが少し回復しそう・・・

民話「とりのみじいさん」が意外と好評で

2023/12/15

絵本の読み聞かせをしていると、子どものその絵本への好みの差を感じます。読み終わった時に、前に座っている子がその絵本を「ほしい」といって、取り合いになることがよくあります。今日はめずらしく民話「とりのみじいさん」でそうなりました。

誤って飲み込んでしまった小鳥の尻尾がおへそから出て、それを引っ張ると世にも不思議なヘンテコなオナラがするというお話です。いいいおじいさんと悪いおじいさんが出てきて、いいおじいさんは宝物などをもらって幸せになるのですが、いじわるなおじいさんは、痛い目にあうという、昔話によくあるパターンの一つです。

絵本の人気度はお話の展開の面白さもそうですが、絵の力や言葉遊びの面白さなどにもよります。今日読んだのは(株)教育画劇の「日本の民話えほん」シリーズからですが、絵は長谷川知子さんで、人の表情が優しくてユーモラス。またオナラが調子のいい唱え文句になっているので、読む前からそこだけ声を出して覚えてから、お話を読んであげました。絵本の中の唱え文句や面白いリズムのある言葉は、子どもたちも大好きです。こういうものも身につけてしまう子どもたちの吸収力というものに、いつも感心します。

それにしても、昔話や民話は、語られている時間の間だけに存在する(小沢俊夫)ものだったのが、こうして絵や文字を伴う絵本として語り継がれていると言う事はありがたいことかもしれません。と同時に、それだからこそ読んであげている時間を大事にしたいと思います。

睡眠に個人差も大きいし、例外的夜ふかしは大丈夫

2023/12/14

昨日の「園長日記」に、無藤隆先生から貴重な大切なコメントをいただきました。ご紹介します。

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なるほどと思うのですが。もう一つ大事なことは子どもの体質的気質的な個人差がかなりあることと、特定の日が寝不足になっても大丈夫だということではないでしょうか。例えば、4歳5歳になると、昼寝をよくした日は夜なかなか寝ないということを見聞きします。結構寝る子どももいます。寝付きの良い子どももそうでない子どももいます。もう一つは子どものサイクルは基本的には一日完結で、大人と違って、疲れても動けるという余地が少ないということですが。その二つの両立を図りつつ、穏やかに暮らすことが家庭では何より大事だと思います。

・・・・

このコメントをいただいて、本当にその通りだと思いまして、昨日の日記の続きとして、いくつか補足します。

一つ目の個人差について。

・当園もそこは大事にしているつもりです。皆さんご存知だと思います。帰宅後と夜の様子を情報交換しながらその子に保育園の午睡が必要かどうか、どの程度必要かどうかは話し合って決めています。簡単には「選択制です」という言い方をしていますが、基本は個別の対応です。大事なのは必要かどうかの個別判断です。午睡があると夜寝られないという場合も当園では午睡をやめたり短くしたりして調整させてもらっています。

・たまに例外的に夜更かししても大丈夫、というのは経験上もそうですよね。たまに遅くなっても、それで生活リズムが一気に崩れるといったことはなく、また元のリズムに戻ります。この睡眠リズムというのは出来上がると、変える方が帰って難しいものです。

・個人差についてですが、ちなみに当園の実態で見ると、3歳でも午睡がいらない子も時々いますし、5歳でも必要な子もいます(今年度はいませんが)。おおよその感触ですが、4月当初で3歳は約7〜9割が寝て、5歳は約9割が起きていて、4歳の1年間でだんだんお昼寝がいらなくなっていく感じでしょうか。

・年長さんになると就学に向けて全員起きています。午睡が必要だった子どもも1月から3ヶ月間は最低午睡なしの生活(休憩をとる場合もあります)に切り替えていきます。年長は大抵は春〜夏から自然と午睡がいらなくなり、起きていることがほとんどです。ただプール遊び、水遊びをする夏は年長でも午睡をとることが多いです。夏は疲れやすい。遠足に行った日の午後は年長さんも一寝入りしたりしますし。

・今でも一律に寝かせている園もあると聞きますが、幼稚園が午睡がなくて大丈夫なのに、保育園が同じ年齢で午睡があるというのは、ずっと前からどこか不自然だと思っていました。確かに朝7時半から登園している子は起床が6時だったりしますし、就労や通勤など生活リズムの違いもあるでしょうが、それでも午睡の在り方は保育園の方が寝かせようとしている感じがしますがどうなんでしょう? その時間しか書類などの事務作業が取れないという事情も大きく影響してきた時代が長ったからでしょうか。

・また寝つき具合も個人差がありますね。寝るまでに5〜10分で寝てしまう場合と、かなり時間がかかる場合とあります。睡眠の専門家によると、寝るまでに5分ぐらいかかるのはよくて、バタンキューで寝てしまうのはよくないそうです(私などはそのくちですが)。10分以上かかる時は、リズムができていないのでしょう。

二つ目の大人と違って、子どもは疲れても動ける余地が少ない。なるほどと思います。大人は寝不足でもばんがって動いたり働いたりしてしまいます。そのつけが大人は週末の休日の朝寝坊でしょうか。そこで足りなかった睡眠を取り戻していうのでしょう。負債を返していることになります。ちなみに普段の睡眠不足の負債を返済はできるのですが、大人も子どもも「寝貯め」はできません。週末たくさん寝たからといって、それは借金の返済であって、貯金ではないので、その分で平日の睡眠時間が少なくてもいい、ということではありませんのでご注意を。

最後に「この二つの両立を図って、穏やかに暮らすことが家庭では何より大事だと思います」という言葉。先生の温かい愛情を感じますね。コメントありがとうございました。

 

夕食・入浴・ほっこりタイム・就寝の流れのポイント(おさらい)

2023/12/13

昨日12日は睡眠講座だったのですが、残念ながら参加者がいませんでした。この講座の内容は「私のいち推し」なので、大切にしているポイントを私なりに以下、まとめてみました。

朝登園してから家に帰るまで8時間から10時間ほど、保育園での生活があるとすると、自宅で夜の睡眠を10時間から11時間とってほしいので、24時間のうち通園時間を除くと、残りの時間はわずか3~4時間ということになります。

睡眠講座の永持先生とそのことがよく話すのですが、スウェーデンやベルギーの育て事情を先生のご友人の方から伺うことがあります。保育園のお迎えが夕方6時だとして8時半までにベッドに入るとすると2時間半ですが、日本では2時間半しかない、と言う受け止め方になりますが、睡眠先進国と言われている国の方の受け止め方は違っていて「2時間もあるのに、どうしてそれまでにできないのか不思議だ、中学生でも9時には寝ている」と言う反応らしのですが、その話を聞いたとき、私はにわかには信じられませんでした。でも、数々の事例を伺っていると、いまでは日本の方が遅れているんだと言う認識に変わりました。

実際のことろ、この2〜3時間で朝食、夕食、お風呂などを「こなしている」方が多いことでしょう。(私の子育ての時もそうでした。子どもを寝かしつける時、私も一緒に9時ごろ寝てあとで一人起きて仕事、なんていうこともよくありました。)

あるいは子どもの睡眠時間が夜は8時間程度になってしまっているかもしれません。あるいは就寝時刻が遅くなり、朝起きるのが辛い状態になっているかもしれません。

確かにそれでは昼間の活動の質は低下してしまい、結局は全体的な成長発達を促進することが難しくなってしまうでしょう。とくに午前中の10時頃が1日の中で、もっとも活発ないい時間帯になる必要があるのに、ぐったり、ダラダラ、人にベタベタしていることが目につきます。保育をしていて、その影響は非常に大きいものがあります。でも日本では社会全体が、この認識が非常に甘い気がしましす。

ここで多くの人が誤解しているな、と私が感じることがあるのですが、その一つは、お昼寝を仮に1~2時間ぐらいしているとすると、その時間を夜の睡眠時間11時間から差し引いてよいだろうと思っている方が多いことです。夜と昼の睡眠の役割は違うので、夜は夜でしっかりと十分な睡眠時間を確保してもらいたいのです。

もう一つ誤解が多いなと思うのは、昼間の運動は戸外だけに限らず、通園の際の歩行や階段の上り下り、園内での生活と遊びに伴う身体的な運動がかなりあるということです。その上で外遊びをできるだけ毎日1時間以上はとっているのですが、睡眠と運動について、食事の栄養と同じぐらい、24時間を通してどんな生活を過ごしているかを振り返ることをお勧めします。

その際、毎日繰り返すことのうち、保育園で専門的な知見を動員していろいろな工夫をしているのですが、家庭での就寝時間のずれ込みだけは、保育園からは手が届きません。これが夜の睡眠不足につながり、昼間の生活意欲や活性度の低下につながっているので、その関連を意識してもらえると嬉しいのです。

これまでの4年間、親御さん達と接してきた中で思うのは、お忙しい毎日のなかで工夫の余地があるかもしれないのはまずは夕食の時間かもしれません。夕食は手の込んだものは避けてパパっと済ませて大丈夫です。一家団欒は大事ですが、毎回献立の工夫に追われるのも、個人差もありますがストレスにならないようにしましょう。折角作ったのに食べてくれない!という気分モードにはまらないようにするのがコツ。栄養面は基本、園の給食に任せてください。

次が光のコントロール。食事から就寝までの時間、室内は白い光ではなくて、間接照明か赤い光に変えます。乳児のころから、食後はテレビやタブレットははつけない、ぐらいの習慣ができるといいのですが。いずれもブルーライトを浴びて、覚醒させてしまうからです。これらの光は依存性があります。視聴しだすとやめるのが一苦労です。

そして入浴のタイミング。日本は湯船につかるので、お風呂に入ると体温がいったん上がり、そして下がるときに睡眠ホルモンであるメラトニンがよく出て眠くなります。帰宅してから先にお風呂に入り、その後食事と言う流れの場合、子どもが寝るタイミングよりも早い段階で、一旦眠くなってウトウトし、また目覚めていないか確かめてみてください。

乳幼児の子育てでストレスがたまるのは、子どもが言うことを聞いてくれないという感覚に陥るときです。子どもが身体的にも興奮して活性化してしまうようなことをさせておいて、またそれをやめさせるというのは大変です。その悪循環になっていないかも見直したいところです。

また子どもは夜寝るときに疲れて寝るのではありません。今日も十分楽しかったなあ、という「満足感」で寝るのです。もう一つは、寝る前の5分~10分の親子でのふれあい「だらだらタイム」(おさるさんが毛づくろいをしているあのイメージ)をぜひ設けてください。眠くなった時は甘えも出ます。子どもは眠くなると、ある意味で、タガが外れて、社会的な人間関係のふれあいの欲求、親からの愛情欲求などを求め、もっとやりたいとせがんだり、ぐずったりしがちです。兄弟がいたりすると、その奪い合いになってしまうので、1人ずつタイミングをずらすか、父と母の分担をするかできると良いのですが。それが満たされると、このほっこりした「安心感」で子どもは寝ます。満足感と安心感。このが子どもを夢の世界へ誘うのです。

食後に「絵本タイム」でもいいのですが、1冊とか2冊とか約束してやるほうがいいでしょう。だらだらと何冊も読んでいると絵本をとりに行ったり活発な活動になってしまい、また覚醒してしまいがちです。絵本はできればベッドではなくリビングで。ベッドに絵本を持ち込むと「眠る」ことと他のことがセットになってしまうので、寝ることはそれだけにして。乳児のころから本当は授乳と睡眠も分けたほうがいいのですが、一般に、日本の保健師さんの指導はそこがルーズです。寝るのとセットにしたいのは「だらだらタイム」「ほっこりタイム」の方です。

そして寝るときは「真っ暗」にします。赤ちゃんも加湿器やエアコンのスイッチランプでさえ、見つめてしまいます。それもマスキングしてかくしましょう。幼児になれは薄暗くても大丈夫かもしれません。子どもが寝入ったらダウンライトをつけてもいいです。

このようなことがこれまで成功した事例から私が大事だなと思っているポイントです。当てはまりそうなところがあったらぜひ有効活用してみてください。

なお、来月1月12日(金)は保育園での夕食会を計画しているのですが、多くの方がご参加の意向です。これを機に帰宅後から睡眠までの時間の使い方をチェックしてみませんか?

2歳の子がお友達に読み聞かせる紙芝居の姿から

2023/12/12

このエピソードは、2歳3か月の男の子が、紙芝居を見せてあげています。クラスブログから以下紹介します。

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ぐんぐん組のRくんが、お気に入りの紙芝居『まんまるまんま たんたかたん』を見つけてきて、先生気分(!?)で、読み聞かせを始めました。
先日のおたのしみ会では、Rくんのお父さんにも 絵本の読み聞かせで活躍していただきましたが(Rくんのお父さま、Yくんのお母さま、素敵な読み聞かせをありがとうございました!!)、こんどはRくんが、ちっちさんたちの前で読み聞かせです。

読み聞かせといっても、もちろん紙芝居の文章を読み上げるわけではありませんが、紙芝居をめくるたび、ちゃんとそのイラストに沿って、おなじみのセリフを言ったり、紙芝居をぐるぐる回してみたり…。子どもにとってはちょっと大きめの紙芝居をめくっていくのは、すこし難しそうに思えますが、Rくんはまるで大人のような手捌きで紙芝居をすすめていて、驚きました。
それに、主人公のちびっこ忍者「まんまる」が、ヘビのまわりをぐるぐる回るところでは、ちゃんと紙芝居をぐるぐる回して再現していました…!
M先生がよく読んでくれるので、真似っこしていたのかもしれません。このときばかりは、紙芝居のストーリー以上に、”紙芝居を読み聞かせる先生の姿”を再現して、楽しんでいるのかもしれません。

このお話は、「まんまるまんま、たんたかたん!」というセリフに合わせて手をパチパチたたくのですが、Rくんが、「まんまるまんま、たんたかたん!」と言うたび、ちっち組のRちゃんやSくんが、パチパチと手をたたきながら、Rくんの紙芝居に見入っていました。ちゃんと、リズムに合わせて手をたたいているのが、すごいです。
Rちゃんも、Y先生のひざの上でじぃっと眺めていました。

Rくんの紙芝居を楽しむちっちさんの姿もまた可愛くて、ほっこり。

かわいらしい光景に、大人も見入ってしまいました…!

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これを読んで、いろいろと考えます。

どうして人間はそもそも模倣をするのだろう?さらに、たくさん真似したいことがありそうなのに、どうしてそれなんだろう?なにかしらの選択がなされているように見えます。

「学びの事典」によると、模倣は対象を取り入れる形だけの模倣(エミュレーション)から、やっている人の意図も理解してやる模倣(イミテーション)へと発展していくと書かれています。もし行動なら模倣といい、何かの物への定着へ集約されるなら表現(描いたり作ったり)と言い換えていいのなら、いずれもその「世界への参入」とでもいっていい気がしましす。そして、そのガイド役が周りの人々なのでしょう。

模倣したり再現したりしている行為は、最初から世界の一部であり、生きている私たちの世界に新しいものを生み、世界を少しだけ変化させていることになります。子どもの姿というのは、このように世界とのかかわりの中で常に流動するなかに現象するものといえるのでしょう。

そこには人間ならではの、よりよいもの(楽しさや新奇性など)への志向が感じられ、人間独自の世界を創り出しているようにみえます。それを時間的な経過でたどっていくと、その子の軌跡としてのラインや歴史が世界に刻まれているともいえるでしょう。

そして、その姿の中に、資質・能力を認めるなら、知識や技能はRちゃんに部分的に蓄えられていくだけではなく、模倣という環境とかかわる行為(経験)を洗練させながら、つまりその過程に思考力や判断力や表現力の動向が垣間見られるわけで、それはまた同時に楽しみながらその世界の意味を意欲的に発見していっている(学びに向かう力)ということになりのでしょうか。

子どもの姿から感じる生きていることのエネルギー

2023/12/11

今日の日記はとても個人的な「感慨」になります。子どもたちと生活している、という言い方ですませてきたものに、ちょっと別の言い方をしたくなった瞬間があったからです。

お昼ご飯を食べている時でした。ある2歳児クラスの子どもがハンバーグのお代わりをしたくて、泣きながら訴えていたのです。でも食べ過ぎるとよくないので、これでおしまいにしようねと、先生が優しく説得していました。このようなことはよくあることで、それ自体が何か新しいことではないのですが、彼を突き動かしているエネルギーの率直なありように、私は感動を覚えたのです。これほどまでに何かを強く望むことが、ある意味で、私たちにできているだろうか?と。

今日は0歳から2歳までの3クラスはそれぞれ散歩や公園に出かけ、午前中は外出していました。その時間、久しぶりに3歳から5歳の幼児3クラスは2階と3階の室内で過ごしています。

その様子が写真と文章で記録され公表されていますが、そこからもある程度伝わってくると思うのですが、子どもたちは実に生き生きと遊んでいます。

ただ、こう「生き生きと遊んでいます」と書くだけでは、今日私に湧き起こった「感慨」を説明しきれないのです。これは例えていうしかないのですが、何かのエネルギーが子どもたちに押し寄せてきていて、そのうねりのような動きの中で子どもたちが、いろんな姿を見せてくれているように感じるのです。まるで大きな波が押し寄せてくる海岸で、その波に上手に乗っているサーファーだったり、その波に逆らって泳いで行こうとしている姿のようにも感じます。波と子供が一体になって生きているといった、ようにです。

いつもの表現をするなら、遊びの名前を羅列することができます。カードゲーム「レシピ」を楽しみ、お家ごっこでパパ役を面白がり、そのアイスクリーム屋さんは、お客さんもアイス作りができ、バトントワラーの発表会から新たなメンバーが加わってバトン作りが始まり、ピアノで弾けるようになった曲を聴いて持ったり、おおきな紙飛行機や大型の船が走っていたりします。

・・・これらの遊びは登園する前まで、誰もこうなると予想されたものではなく、保育園にある環境の中で子どもたちの思い(思いつき)が、ほとんどが偶然のように現れてきたものなのです。

このようなことはこれまでも毎日起きてきたことであって、同じような遊びではあるのですが、担任は今日の日誌に最後にこう書いています。「・・・それぞれの発達にあった環境で、やりたいことにのびのびと取り組んでいた良い時間でした。ごっこあそびは昼食後も遊びが継続されていて、一つのあそびから発展したり深まってきているように感じます。」

こういう遊びをしているのは、間違いなく子どもなのですが、その子どもに発展させ、深めさせているようにさせている大元のもの、その姿にさせているのは、彼らだけでなくその家族も私たちも全ての人間の営み全体のありようが、ここに一つの姿を表しているように思えるのです。

 

生きていることが、このような現象を生じさせているとでもいうのでしょうか、生活しているとか遊んでいるとか、食事をしているとか、ぐっすり寝ているとか、色々な言い方はできるのですが、それらを全部ひっくるめて、私たちはずっと生きていて、ここに生息しているから、このようにあるんだ、ということなのですが。・・このことは、また別の表現で繰り返しお伝えしたくなることになりそうです。

 

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