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園長の日記

なぜかカッコつけて<アボカッ・ベイべーッ!>

2024/12/28

4回も続けて同じ絵本を読んだのは初めてでした。「もう一回!」という強い要求から、そうなったのですが、どんなところがそんなに魅力的だったのだろうと読みながら、感じ取ろうとして、それを今でも考えています。あの時空はたしかにちょっと特別でした。

お昼ご飯は子どもと一緒に食べることがあるのですが、その時、ある先生の赤ちゃんが生まれた話になって、そこから、たしか「じゃあ、元気な赤ちゃんの話がいいね」となったのでした。ジョン・バーニンガムの『アボカド・ベイビー』。「あるものを食べたら、すっごく元気なる赤ちゃんの話なんだ」とかなんとか言って、ご馳走さまをして、何人かと一緒に3階の「ゴロゴロするところ」へ向かったのでした。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、物語は、家族みんなが心配するほど、食欲もなく病弱な赤ちゃんが、なぜかアボカドだけは好きで、それを食べはじめたらとても元気になって、力持ちになって・・・(わざと抽象的に書きますが)悪い奴も懲らしめてしまうという、痛快なお話です。絵本には奇想天外なところがあって、そこが物語の面白さでもあるのでしょうけれど、私が「面白いだろうから読んであげたいな」という気持ちがなければ、この絵本は選ばれなかったわけですが、そもそも私が、たくさんあるバーニンガムの絵本から、これを思いついたのは、最近、ある大学生と絵本の話をしていて「気になる絵本の一つ」に挙げていたことを思い出したからでもあります。

ですから、私もタイトルの読み方からして、『アボカド・ベイビー』とは読まず「これはね、英語で書いてあるでしょ、英語の発音はね、<アボカッ・ベイべーッ>というんだよ」と、右手を銃の形にしてイェーイ!とカッコつけて、<アボカッ・ベイべーッ>とやってあげました。もちろん「もう一回やって」を何度か繰り返して、子どもたちも真似してましたけど。そういう空気感の中での、『アボカド・ベイビー』です。

ということもあって、この機会が生まれたわけですが、ちょっと前までこれを読んであげようという詳細なプランがあったわけでもなく、食後に絵本を楽しむという大枠の計画はあるのですが、そこで何をどう読んで過ごすかは、それまでの子どもたち、担任たち、私、その場所、その時間、その他の絵本、ジョン・バーニンガムの絵本への思い、担任の赤ちゃんの話題、私が大学生と話題にした過去の記憶の甦りなどと、それらは数え上げれば、それぞれの主体に無数にあって、それがあの時の空間に結晶化したとでもいうようなことではあります。どんな出来事だって、縁のないものはないので、そのつながりの中に、人は大切だと思えるラインを引き直しているのかもしれません。

でも、その中でも「こうこうことが起きるからいいんだよなあ」というのがあります。その空間で、子どもにとっては初めての予期せぬ物語に引き込まれ、「もう一回」のカーテンコールが4回続いたのです。これは滅多にない。それもそれで面白さの度合いが違う何かがあったのでしょう。話は奇想天外で痛快で、こんな感じ自分でも味わいたいという、何か胸のすく解放感が感じられ、絵本の中だから許される経験が疑似体験できるから、もう一回!と反復しながら、子どもたちの時間が生きられたのではないかと思います。そういう快感を求めたいほどの状況を生きている子どもたちだった、とも言えるかもしれません(じゃあ、どういう状況を生きているのか?と気になりますが)。

 

今週は3回、絵本を読んであげる機会がったのですが、上記のことは2回目のことです。1回ずつ、出来事として違いました。同じ絵本の読み聞かせという時間(園長の絵本タイム)であっても、その機会そのものとしても、おそらく個々の子どもたちにとっても毎回違います。まあ、当たり前ですが。それでも今週は3回あった絵本タイムのそれぞれが、違った味わいに彩られていくことが、とっても楽しいのです。

手作りのベイブレードができていた!

2024/12/27

「ちょっと見てくださいよ。すごいですよ」と年長の担任から言われて、年長のSNくんのやってることを見てみました。

確かに、すごい! 市販されているおもちゃにベイブレードというのがあるのですが、それと、同じようなものをRaQ(らきゅー)というピースパズルで作り上げているのです。しかも、実際によく回ります。

ベイブレードは、現代版のベーゴマのようなものです。紐の代わりに、ギザギザのある棒状の薄い板(写真の黄色)のようなものを勢いよく引きます。それによってギアが回転し、駒(緑色)が回ります。この3種類のパーツが、うまく噛み合わないといけないのですが、うまく作ったものですね。

RaQのピースは7種類あって、いろいろなものを作ることができます。これまでも、子どもたちが作ったものを見てきましたが、ここまで高度なものは見たことがありません。多少は教えてもらったりしたかもしれませんが、これは彼のオリジナルでしょう。担任は「ほんとに好きこそ物の上手なれ、の例ですよね」と感心していました。

あえてSTEM保育の文脈で言えば、Eのエンジニアリング的です。パズルですから幾何学としての数学的要素もあります。Aのマスマティックス(数学)。勢いよく長く回ること、戦いにして勝ったり、負けたりすることを面白がっているので、子ども用のストップウォッチを導入して、回っている時間の長さを計測する、それを量的な記号で表すという活動につなげてみたらどうなるだろうと、先生と話してます。

 

小学生や高校生と語り合う中で

2024/12/27

学校が休みになると、小学生や高校生がボランティアに来ます。大学生のアルバイトも増えます。この冬休みの間にも、高校生が四日間保育体験に来ました。人的環境がすこし変わるので、保育にも影響します。例えば、赤ちゃんが新しい大人と仲良くなったり、幼児の制作に少し目新しいものが増えたり、遊びが広がったりします。

この高校一年生はまだ16歳なのですが、自分の保育園の時に出会った先生が忘れられず、中学の時の職場体験でも保育園をえらび、ネットで調べてうちに電話してきました。素晴らしい行動力ですよね。私が高校1年の時にこんなことができただろうかと思うと、とてもしっかりしているなぁと感心します。

と同時に、幼児教育が楽しいと言う実感を持ってもらいたくて、赤ちゃんから、幼児まで、すべての年齢で子どもたちと触れ合ってもらいました。子どもたちとの気持ちの通い合いがとくに嬉しかったようで、夕方、5時の時間になっても帰りたくないような様子でした。毎日簡単な感想を書いてもらいましたが、今日最終日は子どもたちとの深い関わりが具体的に書いてあって「もっと続けて来たい」とあります。

卒園した小学校1年生や3年生もボランティアとして過ごしました。その小学校の校長先生や副校長先生と1月の訪問の日程を相談中なのですが、保育園での生活や遊びが、小学校以降の生活や学びとつながっていくために、特別活動や進路指導の内容から考えていくことも大切だろうなぁと思いました。

私たち、保育士は「現在を最もよく生き、望ましい未来を作り出す力の基礎を培う」と言うフレーズに慣れ親しんでいます。それを言い換えると「自己発揮と社会を夢見る力の実体化」と言ってもいいのかなぁと思います。現在と将来。そこに1本筋を通そうとする生活のあり方。その学びのあり方について、来年は小学校の先生たちとそこも語り合いたい、小学生や高校生の発言の場も設けながら。今日はそんなことも考える1日でした。

 

音楽性のある空間に満ちていた一年

2024/12/26

この一年を先生たちとちょっとだけ雑談的に振り返る時間があったのですが、いつも聞こえてくる歌の話になりました。たしかに、いろんな歌やわらべうたやダンスをしたような気がします。さっきも3階で「お正月」を私がギターで伴奏して、子どもが打楽器でリズムととって遊んでいたのですが、1階の乳児室からも、歌声と笑い声がいつも聞こえていました。

そういえば、大学の先生が当園の音楽のありかたを調査されたのですが、「絵本をまるで楽譜のように使っていて、いつも音楽に溢れていますね」とおっしゃったことを思い出しました。

保育空間の要素に「音」があると思うのですが、乳児の頃から人の声に感受性がある子どもたちは、先生たちの話し声をはじめ語り合いや笑い声、歌や踊りなどが大好きです。

柔らかいウクレレの伴奏で、先生たちのハーモニックな歌声が子どもたちを包み込み、そこで気持ちよさそうに体や声が動き出します。そういう感じは、保育参観やお楽しみ会できっとお伝えできていると思います。

見学案内の時にもお伝えしているので保護者の方はご存知ですが、当園の天井は質の良い吸音材をつかっているので、部屋にはいるとスーッと声が吸い込まれて反響音が少ないことが実感できると思います。コンクリートの壁がないので反響するところがあまりないようにしています。とくに乳児室をそうしているのは、言葉の獲得が大事な赤ちゃんにとって、大人の「声」が自然にこきえてくる環境にしたかったからです。部屋の隅にいても、声が届きます。

目の前に昭和通りと首都高速道路が走り、騒音と排気ガスが部屋に入らないようにすることも目的でしたが、結果的に音からみた保育空間を作っていく意味でも、良い効果をもたらしていると思います。そもそも音楽性をもっている言葉が、さらに躍動的に体に染み込んでいくかのような空間と、声〜ことば〜わらべうた〜音楽の空間は、もちろん先生たちが意図的にそれを作り上げているからですが、そこに吸い込まれていくような感覚があると思います。

一年を振り返って感じる印象が音楽的な空間性というのは意外かもしれませんが、保育の質には持続性が欠かせないと思うので、「それが継続できるといいよね、他のクラスにも発展していくと良いよね」と話しあったのでした。

サンタクロースの意欲が高まる時

2024/12/25

「今年もサンタクロースくるかなあ」。年長のSNくんが、去年のことを覚えていて、とても楽しみにしました。その話を聞きつけた<当園に来てもらう予定のサンタクロース>が、俄然、意欲的になっていたそうです。よ〜し!と気合が張っている様子をそばにいた人から聞きました。ようするに子どもの喜びがサンタの喜びなんでしょうね。

というわけで、いつものようにぷりすますプレゼントをもって、やってきてくれました。サンタがくれたプレゼントは、何かと格別なオーラをまとっており、包装から取り出すときは、まるで世にも珍しい宝に出会ったかのようなドキドキ感が伝わってくるのです。

<当園に来てもらう予定のサンタクロース>は、もちろん、ご想像のとおりです。家庭でもそれを子どもに隠し合って、これだけ壮大なフィクションにしてもいいという、あっけらかんとした合意ができているのも面白い社会現象かもしれないですね。そういえば、昨日はNHKがわざわざ、フィンランドから<本物の>サンタクロースの出発準備のスピーチを流していました。・・・

第三者評価機関の訪問調査をうける

2024/12/24

(写真は「とうきょう福祉ナビゲーション」。当園の前回2021年の審査結果の画面)

今日は東京都の第三者評価機関から、調査員が3名いらして、保育を見たり質問を受けたりする審査をうけました。東京都は第三者評価を最低3年に1回は受審しなければなりません。すでに保護者のみなさんからは、利用者アンケートにご協力いただきましたが、今回は直接保育を実施状況を調査にこられました。

評価項目は大まかには7つのカテゴリーに分かれており、組織全般のマネジメントのあり方から、保育の内容まで大変細かくて多岐にわたります。それぞれの項目について事前に関連する資料を第三者機関に送付してあり、それを踏まえた上で訪問調査は行われました。質問に答えるのは、私だけではなく、主任や担任ら複数の先生たちからヒヤリングをします。いい質問をうけると、こちらも「なるほど、そういうことはあまりかんがえてこなかったなあ」という気づきがあるのですが、今回も、そういう課題発見があって、とても有意義な時間になりました。

私自身が東京都の第三者評価者の資格をもち、これまで50以上の保育園を訪問して評価してきたので、評価項目については熟知しているのですが、受審すると、このように自分たちでは気づけなかったことに気づくことができます。課題発見というのは、悪いところがみつかるというよりも、それもありますが、それを超えて、もっとよくするための次の目標がみつかるという感じのことです。また、さらに意欲的になれるようなことが、第三者評価のよいところです。

今回のフィードバックは2月下旬の予定です。

子どもの遊び、感性と表現がより豊かになっていくこと

2024/12/23

以下の文章は「子どもの遊び、感情と表現がより豊かになっていくことについて」と題されたものです。私が尊敬する大学の先生がフェイスブックで、紹介されていました。

「例えば、2歳児クラス。担任としては、12月はクリスマスが近いから、子どもたちと散歩に行って、拾ってきたドングリ、落ち葉、松ぼっくりなどを使って、事前に担任がダンボール板でつくったドーナッツ状のリースに見立ててつくった一人ひとりの土台に木工用ボンドで貼ってつくっていきたいな、という担任としての気持ちやイメージ、ねらいはよくわかります。

しかし、保育者自身がつくりたいものを子どもより先に提案するよりも、子どもの興味関心のある遊びから子どもの感性と表現を理解しつつ、援助を考えていってほしいなと私は思います。

まずは、拾ってきたドングリなどで子どもたちがどのように遊ぶのかな?という遊びのいくつかを事前に予測しておきながら、子どもたちがそれらの素材を使って様々に遊ぶ実際の行動をじっくり観ていくといいかと思います。

子どもが感じていること、おもしろがっていることを読みとりながら、共におもしろがりつつ、その遊びに必要な環境設定をしていくことで、子どもの遊び、感性と表現がより豊かになっていくのだと思います。」

さぁ、いかがでしょうか? ここに書いてあることが、幼稚園教育要領や保育所保育指針の領域「表現」の考え方です。そうすると、ここで紹介しているような写真、クリスマスのサンタさんの顔の枠組みを、大人が描いて、その中を子どもがコラージュするような表現も、この趣旨とはちょっと違うと言うことになります。でも、こういう活動もあっていいと思います。

ここで難しいなあ、と思うのは、最後のところ、<その遊びに必要な環境設定をしていくこと>ということろです。この具体的な提案がどれくらいできるか、といことが、とても大事なんですが、そこが難しいところですね。

ポイントは子どものやろうとしていること、そこをじっとよく観察したり、話を聞いたりしなが、どうしたいと思っているんだろうと言うところに、徹底的に寄り添うことです。そこを子どもと一緒に考えながら作り上げていく感じですね。

このサンタさんも、子どもたちがやりたいと言う話から展開されたものですが、顔の場合には、サンタらしい顔を子どもは望むものです。そこで、大人が書いてあげるのですが、そこどう考えるか。保育の面白いところです。

 

歯科教室で山本先生「歯医者さんを好きになろう」

2024/12/22

虫歯を防ぐ最大のポイントは「歯医者さんを好きになること」という山本先生。22日の日曜開放では、園医の山本歯科の山本先生に来ていただき、歯科教室を開きました。そのメッセージがこれです。虫歯になったり、トラブルを抱えてから治療にいくことが多いかもしれませんが、まずは、何も問題がないうちから、歯のメンテナンスの習慣ができるとベストです。そのために小さいうちから、歯医者さんへいくことが好きなことにっていると、その後も受診へのハードルがさがるそうです。

また日頃から口腔ケアのポイントを、いろいろと教えてくださいました。赤ちゃんの頃からお風呂でお口の中を触り合ったりして、歯ブラシが入ることへの抵抗を少なくしておくとか、食後酸性に傾く口の中を、ちょっと水で濯ぐだけでも効果があることや、3・3・3のルール(食後3分以内に3分間、1日3回の歯磨きの習慣)とか、1日1回の歯磨きよりも2回以上やっている人が格段に虫歯が少ないなど、すぐに実践できることも、いろいろありました。

保育園では昼食後の歯磨きはしていないので、ご家庭で朝と寝る前の習慣があるといいですね。ただ子どもは丁寧にはできないので、仕上げ磨きが大事なようです。正しい歯磨きの方法も手洗い指導と同じように、歯を染めて綺麗になるまで磨いてみるというようなことも、子どもに気づきやすいようです。

興味のあるデータもいろいろありました。虫歯と有意な相関があるものとして、睡眠時間が短いこと、とくに大人は6時間より短いとぐんと上がります。どうしてだかよくわかりませんが、学生の部活動も運動部や文化部より帰宅部が多いという結果も。また歯並びの悪い人も増えていて、原因は遺伝のほかに、姿勢が悪く口呼吸でぽかんと口が開いているといった生活習慣も要因の一つだと考えられているそうです。

口の発達と衛生について、知らないことがたくさんありました。また来年度も歯科教室をやってもらおうと思います。

 

睡眠は「安心と満足」から

2024/12/21

今年最後の睡眠講座「赤ちゃんねんね」には、ご夫婦でリモート参加されました。毎回聞いていると何かしら気づきがあるのですが、今回はよく知っているはずの「安心と満足」の「安心」について、なるほど、そうか!ということがありました。赤ちゃんにとって、寝ることはもともと不安なことかもしれない、ということです。

というのは、赤ちゃんは眠りが浅くなった時、うっすらと目を開けて周りに異常がないか、みていることがあると言われています。そのとき、記憶力がついてくる4〜5ヶ月ぐらいから、寝る前の状態と違っていると不安になって泣くことがあります。それが多くの場合夜泣きの原因になります。

寝ることが自体に不安要素があるというのは、睡眠時は無防備になるので、警戒させているのでしょう。そこで本人が寝ることを知らないで寝かせてしまうのではなく、「ねんねしようね」「おやすみなさい、だね」などの一言が大事になります。赤ちゃんだから言葉は通じないだろうなどと思わないでください。赤ちゃんは、人の声をちゃんと聞いています。

オニツカ家に赤ちゃん誕生〜年長児が編み出していく「ごっこ空間」〜

2024/12/20

年長さんの女子3人が家族ごっこをしています。赤ちゃんとうさぎのペットの5人暮らしです。

母親「じゃぁ、(子どもの)Rっちが誘って、私たちにあげるんだよ。私たちにちょうだい。3個ずつよ。6個あるから」。

転がっているボールは何か意味があるようです。

父親「あそこ、青いマットの下(にあるよ)」

母親と父親が3個ずつボールを受け取ると、母親が

「ちょっと買ってくるから。ちょっとお父さん、子どもとやっといて。私、行くから!」

といって、飛び出して行きます。一体どこ行くんでしょう? すると、子どもが「赤ちゃん泣いたよ」と教えると、母親が「あぁ泣いちゃった」と、部屋に戻ってきます。

私がそこから「トントンごめんください」と中に入れてもらうと、母親が「赤ちゃんです」と抱えて見せてくれます。名前を聞くと、まだなかったみたいで、ちょっと考えて「ななちゃん」といいます。

すると、子ども役のRちゃんが「ななみは?」とお母さんに提案。母親は「じゃあ、苗字は、おにつかななみ、ね」。(なんでオニツカなんだ?)

3人は私をリビングに案内してくれて、お父さんが「こっちにはすごいソファーがある」と説明してくれました。そしてお母さんが私に「写真撮ってもらいましょう」と言って、3人でポーズ。

「赤ちゃんちょっと泣いちゃったね」と、段ボールと布てきたベッドに寝かせます。お客さんである私に「ここは気にしないでください」と、ベッドが壊れ、かけてでもいたのが気になったのか「ここは違いますから。うさちゃんのベッド」と、お客さんに気を遣ってくれます。

すると、子供がペットのうさぎを連れてきて、ベッドに寝かせます。

「うさちゃん、おやすみ。ここでね。」お父さんが「2段ベッド」。

子どもが「うさちゃんのミルク」とミルクを飲ませます。私がお礼を言って帰ろうとすると、「じゃあ玄関開けなきゃ」とお父さんがドアを開けてくれます。

お母さんも走ってきて「ここはみんなの庭なんですけれど、ここは赤ちゃんのお庭なんです」と離れを見せてくれました。

・・・

私がお邪魔したのは、ほんの5分位ですが、こんな家族ごっこが1時間以上続いていたと思います。犬の散歩に出かけたり、野球をやったり、買い物に行ったり、ごっこ遊びといっても、オニツカ家は大忙しでした。

このように、遊びは単なる模倣に止まらず、そこに持ち込まれる道具としての物と、表現的な要素が流動的に影響しあい、新しい関係性や意味が生成される創造的な場であると言えそうです。

運動ゾーンで展開されるごっこ遊びの空間に入り込んでみると、既存の遊具が新しい道具として使われていることに気づきます。既存の何々ゾーンと言うラベリングを壊していく力を子どもたちの遊びは持っているようです。

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