今日24日(金)の日誌を読みながら、ふとこう思いました。こんなに小さい時からまずはやってみたくて、その結果どうなるかわからないけど、近寄っていく。そしてその場所や空間の何かを感じ取る。やってみながら、その環境の意味や関わり方がやってくる。
そういうことをするのが、その時が始まりではなく、実はずっと活動している継続的な時間の流れの中で、走り出したり立たずんだりする姿に、始まりとりを私たちが当てはめているだけかもしれません。私たちは冷静に考えれば、生きている限り常に「動いて」いて(睡眠中や休憩をしていても)、ある「活動」の中にあって、初めから何かをやっているとも言えます。そして、ほとんどのことが生きていくために必要な活動であり、環境と調整したり、様々な情報の検索と活用が試されているような気がしないでもありません。
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広い空間を一斉に走るちっちさん。気になる場所へ行ってみます(ちっち)
ちっちの子どもたちが「気になる場所へ行ってみたくなったようです」とか、「子どもたちは新しいことが好きなので」などの表現によく出逢います。要するに子どもたちは未知のものへの関心がとても強く、自分の関わりの中でそれを取り入れていくために、さまざまな関わり方の調整をしていて、その動きや活動の中に教育の五領域の内容が盛り込まれているように思えます。
子どもたちが生きていく世界にどうやったらうまく参加できるようになるのか、つまりそれぞれの環境の意味がわかり、その中で生きていく方法を身につけていくこと。世界への探索行動をいろいろ思いつきで試すことが遊びになっていて、その世界との対応の方法を幅広くするための柔軟性のようなものが遊びという姿になっていくのかも知れません。