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園長の日記

2歳児が「かぶ」を食べ比べる

2025/01/22

今日は「そら先生だよ(が来るよ)」というと、美味しいものが食べられると思ったようで、「子どもたちは朝からウキウキしていました」と2歳児クラスにこにこ組の先生。今日は野菜の「かぶ」なのですが、とても意欲的です。

普通によく見かけるのが「小かぶ」ですが、これに今日はピンク色の「桃かぶ」と、うっすらと赤い「あやめかぶ」、そして全体が黄色の「黄かぶ」の4種類が用意されました。

例によって、まず、かぶの輪郭を描いた絵をみて、かぶの色を想像してみます。白、ピンク、レインボーなど「こうじゃないかな?」と思い思いの色の言葉が出てきました。そして実際に4種類の「かぶ」を見せると・・・色とりどりの株の種類に、R君がわぁ〜、と声をあげました。Yくんは黄色のかぶを見て「柿だあ」。

昨年8月から始まった「味覚の探究」は、これまでなす(8月)、たけのこ(9月)、たけのこピザ(10月)、れんこん(11月)、ロースロチキン(12月)と続き、今回で6回目です。

そのたびに、野菜のおいしさを体験してきた子どもたちは「野菜=おいしい」という認識が強まっているのかもしれません。シェフの江口さんは、このことについて、振り返りの中で面白い表現をしていました。

「食べるたびにおいしいと言う経験を積み重ねていくと、それがおいしい脳になっていくんです」と。「おいしいの脳」。「わー、おいしいのう」と、私がダジャレを言うと、忘れられない表現になりました。

毎回2階の入り口に掲示していますが、個人情報が入っているので、ホームページにこにこのブログに載せておきます。どうぞご覧ください。

 

 

ギビングツリー「リーダー研修」2日目

2025/01/21

リーダー研修の2日目は、3つの保育園(子ども園)からの実践報告とグループディスカッションです。昨日に続き今日も同様の根本課題へのアプローチが議論、報告されました。印象的な要点を抜き出すとこうなります。

「歯車の合わなさは何か?それを解決したい。そして、そこから始めました。まずは自分を知ることから。保育では子どもをありのままでみているのに、自分のことを知っていないなと気づいた。そして自分がかわること。リーダーとは引っ張るのではなくて、他を生かすこと。そのために相手を知ることへ立ち返っていった」

「同じようになるのではなく、お互いの違いを認めある。そのために自分を知って相手を知ること。記録を持って語りあうことと同時に、その保育のことをめぐり、個人的な事情を語り合うことから相互理解が深まって、みんなで語り合えるチームになっていった。」

「リーダーとして思うこと。新人や経験の浅い先生が自信がないように見えるときがある。話を聞いていくと、自分の保育があっているかどうか答えがほしいと思っていたり、他人にダメだと思われるんじゃないかと不安になっていたりした。リーダーの立場の人が『知らないと恥ずかしい』と思わせているかもしれないと気づいた」

「伝え方の工夫したい。ティーチングからコーチングへ変えていきたい。話をきいて、じゃあ、どうしたらいかなあ?と、一緒にやろうよと。そうして自分で答えを出していたことに気づいてもらうということが起きるようにしている」

「物事を考える時に双方の気持ちを考える。自分の役割を認識して他者をリスペクトしたい。本当の良さを感じてくれる職員を強固にしていきたい。木の幹を大きくすると倒れない。そこを一緒に考えていこう!と」

・・どの言葉も実践から滲み出てきた言葉ばかりで、参加者はみな同じような苦労を感じているだけに、熱い思いを感じあっていたのでした。 

 

ギビングツリー「リーダー研修」初日

2025/01/20

今日と明日は、保育環境研究所ギビングツリー(当法人の理事長である藤森平司が代表を務めている保育研修団体)が主催する「リーダー研修」です。午前中は保育園見学で午後から高田馬場の会場で研修です。当園にも3園5名の見学がありました。

園の主任やリーダーが参加しているので、テーマは組織マネジメントが大きな柱になります。園全体の保育の舵取り役として、園長から期待されている役割も重く、抱えている課題や悩みも大きなものがあります。

ある意味で保育で大事なのは実行しているかどうかです。いいなと思ったことが保育として実現できているかどうか。研修を受けたりして、いろいろなことを学んだとしても、それが実践され、良い変化が生まれていなければ意味がありません。何が良い変化かを短期的に見極めることは難しいかもしれませんが、それでも、その兆しや傾向は感じることができるものです。

しかし、それが大事なことだと気づいても、それが実現できるかどうか、その「ここ」と「そこ」の2つの間には溝なりギャップなりが、横たわってています。しかもそれはいろいろあります。やりたいことと現実、自分と他者、思いの違い、伝わり難さ、見えない壁、あるいは落とし穴・・いろいろな溝なりギャップなりが、いろんな形で課題にみえるようなことが、保育の仕事には付きまといます。人間関係の問題というような言葉で語られることも含まれます。

それはどうやっていくと、それが埋められていくのでしょうか。なにかの理解不足と言うこともあれば、意欲や熱意の個人差だったり、あるいはコミュニケーションのあり方が問題だったりするかもしれません。今回のリーダー研修にかぎらず、毎回話題になる、ある意味で永遠のテーマかもしれません。

それでもある程度の鉄則というか王道があるように思えます。それは目指す保育の理念や方針という「のぼりたい山の姿」がなんとなくでも共有していくなかで、相手を変えようとするよりも、まずは自分が変わり、周りが真似したい、そうなりたいと思われるような立場になるように自己を磨こうということ。さらに、どうしたらいいのかはまず自分がやってみて、どうしたらいいのかをわかりやすく示すモデルになっていくこと。そして、誰もがもっている「よさ」を見つけ出し合い、リスペクトしあい、楽しい職場にしていくこと。

なかでも「リーダーは人格を磨くことが欠かせないと思う」(新宿せいが子ども園のM先生)という言葉に共感する参加者たちでした。

モノがたり ワークショップ(2月23日)

2025/01/18

20250117 モノがたりワークショップ

保育園に「演劇」の楽しさを運びにきてくださっている宮野祥子さん(桜美林大学の演劇学の先生)が、2月23日(日)に近所の海老原商店で「モノがたり」というワークショップを開きます。物語ではなく「モノがたり」。どんな内容かというと・・

かたちのある「モノ」、ない「モノ」を、参加者がもちより、そのモノについて「かたり」、一人ひとりの「かたり」を重ね合わせて、「ものがたり」をつくりだし演劇にする、ワークショップ。

・・だそうです。参加者も2月21日(金)まで募集中です(8名まで)

最後には19時ごろから、出来上がった(?)「モノがたり」の発表会を開きます。

保育園でも「エンゲキ」を楽しんでいます。興味ある方はぜひ、どうぞ。

子どもはサーファーでもあるかも!

2025/01/17

子どもはサーファーでもあります。遊んでいる姿を「ノリノリだ」という言葉で表すことがあって、調子に乗って遊んでいる時の気持ちよさは、ちょうどサーフィンを楽しんでいる感じという例えがしっくりくることもあるからです。別に私はサーフィンをやったことがあるわけではないのですが、熱中しているとか没頭しているという姿は、ちょっとサイクルが短くて、「最近の遊びは楽しそうで調子が良い」という感じの長さを表したいのです。

そう考えると、保育の中で、その子へ働きかける「波」は、まるで海岸線に打ち寄せる波のように、実際はひっきりなしにやってきているのですが、子どもは大抵はすでに波のうえに漂っており、あるいはすでに滑走中であったり、いろいろです。うまくいった!というコマ回しやけん玉は、縄跳びが跳べたとか、作りたかったものができたという達成感の一つでしょう。それらの波は、面白そう!いいこと思いついた!のような心情を引き起こして、子どもはどうするか応えていきます。

このとき体調がすぐれなかったり、心が不安定だったりすると、どんな波だろうと関わろうという気持ちになれません。元気そうに見えても、寝不足だったりすると、意欲的になれないということもあります。また家庭や親子関係などで気がかりなことがあると、そちらが気になって波乗りどころではないでしょう。気持ちが乗らないというのは、気が上がらないというのに近いのですが、遊びが面白く展開している時の気持ちよさは、テンションが上がり続けているわけではなくて、程よい調子でのびのびと過ごしている感じです。

その日その日を調子よく過ごしているというのは、野球の打率やゴルフのアベレージのようなもので(こちらもどちらもやりませんが)、子どもたちの遊びを中心とした充実感を示す指標のようなものがあれば、ほどよく打つ寄せる波のある海岸でなければならず、そこに行ったり行かなかったりできる自由も必要です。それでも、好きだからサーフィンはやめられない!そういうことが幸せな過ごし方かもしれません。

子どもたちは「探検家」であり「役者」でもあり・・

2025/01/16

赤ちゃんから年長さんまでの昨日から今日の活動報告を眺めていると、世界への関わり方と意味への気づきが、こんなに多様なんだと、改めて感じます。

そこにあるはずと体験的に理解していて、それがなくなると「どこいった?」と不思議に思える子どもたち。前はあった蕾がなくなっている花壇の変化に気づいています。

体がすっぽり入るような場所をみつけると、格好のいないいないばあ遊びが始まります。あるはずものが見えなくなって、それがまた現れると「ばあ」と、うれしいという気持ちで躍動しているよう。

あるいは、大きな音を立てて走っていく電車を追いかけて、その場から行ってしまって消えていくものには、それを惜しむかのように「ばいばい」と、手を振っています。

そこにじっととどまっているもの、いろんな方向へ動いているもの、見えたり隠れたりしているもの。身の回りの変化にも、「これはこうなる」「あれはああなる」という物事の「からくり」をいろいろと理解していっていて、「それでいいんだ」と確認しながら遊んでいるように見えます。

だから、その例外と出くわすと、あれ?と子どもたちなりに、ちいさな疑問を持ち、それを確かめたくて体が動き出しているよう。そうやってみると、散歩も小さな探検のようなものかもしれません。

いつのまにか、鳩とそうでない鳥の違いを言葉で区別していました。その音(オノマトペ)の指し示すものとの対応を第三者に伝えると、さらに「そうだね、鳩ぽっぽだね」という応答が返ってくるものだから、そのやりとりも楽しくなって、これは?これは?と言葉のコレクターぶりに拍車がかかっていきます。大きくなると、そのものの特徴や面白さを言葉で教えてもらえるので、知識欲も旺盛になっていきます。

また喜劇俳優でもありそうです。何かになってみるのも、ときどき大人にやけに「ウケる」ということもしっかり、わかっていそう。一発芸もしっかり習得していくようです。

身近なものと関わり、好きな人や見知らぬ人との関わり、そして自分を他者にみせたら、面白がってくれるという自己表現(自己との関わり)も、それぞれに楽しんでいる子どもたちです。

 

絵本「きんぎょがにげた」を演劇する!

2025/01/15

昨日に引き続き、今日も夕方、演劇のワークショップ。今日は学生と社会人の2人も加わりました。今日使う絵本は、みんなお馴染みの『きんぎょがにげた』です。「演劇する」ってことがどういうことかわかった子どもたちは、今日は何をするか、最初からワクワクしてる感じでした。

学生さんが考えたワークショップは、こんな内容。絵本『きんぎょがにげた』に出てくる室内の場面を、保育園にあるモノで作ってみる。2つのグループに分かれて、一方のグループが作ったシーンが、絵本のどのページの風景か当てると言うゲームでした。かなり盛り上がってました。

 

演劇を体験!それはいつもやってることだった!

2025/01/14

桜美林大学で演劇学を教えている先生がいらっしゃって「劇のワークショップ」をしていきました。具体的には、まず「演劇って何か」を、実際に体を使って体験して理解します。要するに、「見立て遊びや振り遊び」と同じです。以下の台本を見てもらうとよくわかります。

「では、次に演劇で遊びたいと思います。例えば、これ(と言ってペットボトルを出す)なんだろう?そうペットボトルです。(飲む格好して)水を飲めます。でも、こうすると(電話をかけるジェスチャー)そうそう、電話になるよね」

「今度はみんなの体で何かになってみよう。何になれるかなぁ?例えば、私は木です。みんなもやってみて。例えば木になってもいいし、葉っぱになってもいい。(後は、即興で)雨が降ってきた、ポツリポツリ、ザーザーだあ。わぁ風も吹いてきた。すごい風だ、ビュンビュン!」

こういう事は子どもたちは得意です。エンゲキするっていうのは、いつもやってることだ、とわかっていったようです。

その後で、絵本『ここがわたしのねるところ せかいのおやすみなさい』を読んであげて、その感想を共有した後「演劇で寝るところを作ってみよう」と、運動ゾーンにあるいろいろなものを使って、実際に協力し合いながら寝るところを作り上げました。

普段ごっこ遊びをあまりしないような子たちも、とても楽しそうに参加していました。

 

 

保育から「わたしの人生」を思い巡らす時間に

2025/01/14

2人から3人の先生と、半日、あるいは1日じっくりと話し合う時間を設けています。昨年12月から始めて、今日14日で4回目です。これまでに9人との会話が終りました。面談ではありません、テーマのない深め合いの時間です。これだけゆっくりと話合う時間はなかなか取れないので、とても貴重な時間になっています。それぞれの先生たちが、何をどのように感じ、考えているのか、などが今まで以上に分かり合えます。とくに同僚のことを慮る話が多いのが特徴です。

メンバーによって語りあう話はバラバラなのですが、大きなカテゴリーでざっくり区分すると、ちょっと大袈裟ですが「私の人生と保育」につらなるような話があって、同時にまた「改めて、そもそも保育とは」を考えさせられるものが語られて、そして「当園の保育」について、という3つの焦点がありそうです。職員が結婚したり子どもが生まれたり、家族が変わるようなことを、職員も保護者も分かち合う生活が保育園の特徴かもしれません。

今日はその話し合いのなかで、ある先生から「保育を考える事は、子どもと同時に自分の人生を考えることと重なっている」というフレーズが飛び出してきました。こんなことは普段あまり口にはしないけれど、実際はそういうことが起きているのが保育だと思い当たるのです。話はうまく再現できませんが、例えば3つ目の当園の働き方を話し合っていた時は、何かをどう精選するかということになり、そうすると、何を残して何をやめるかという、そもそも保育の何を大切にして、何を省略するかという判断をめぐる話に展開し、そのために、それは「私たちがどう生きることが良いのか」とつながっていくこともあるのです。

これまでの話し合いのメモをみると、「子どもの主体性」の話は「大人の主体性」と関係し、子どもの「人権」は大人による子どもの「自己発揮の捉え方」になり、その具体的な話をしていたら「領域表現」のありようになり、また今日は「探究活動」の話になったのですが、それは「ものの素材」そのものの探究と、ゴールイメージある造形とは異なるという話になり、それは保育のあり方や大人の好奇心の持ち方の見直しが必要か?といったことになり・・・といったように、話題はそれぞれのメンバーの今の関心事に引き寄せられていきます。

これらは、似たようなテーマ見えながら、話の輪郭とストーリーはそれぞれの先生によって異なります。語り出されてくる内容について、他の人も付け加わってくるのですが、まるで「保育」を語りながら、きっとそれぞれの生き方を考える時間になっていただろう、そんな時間でした。この対話自体が、保育の土壌にあたるものを耕していることは間違いなく、どの会も「時間が足りなかった。またやりたい。もっと話したい」と言う気持ちが後を引くような時間でもありました。

芝で生まれて神田で育つ

2025/01/13

卒園したり、転園したりした子たちが冬休みにやってきて、昔のように楽しく過ごしていきました。しばらく会っていなかった友達とまた共に過ごすと言う経験はどんな感じなんでしょうね。その頃の気持ちも蘇ってくるのでしょうか。子どもなりの何か新しい感慨があるのでしょうか?ともあれ、園としても、こうやって再び戻ってきてくれることは嬉しいことです。

今日は成人の日です。鈴木理生さんの『千代田区の歴史』(昭和53年発行)を読んでいると、この地が「ふるさと」になる意味について、著者は思索を重ねてきたことがよくわかります。千代田区の特徴は「江戸っ子は、芝で生まれて神田で育つ」のフレーズの中に現れているといいます。千代田区は、たくさんの人たちが訪れて、この地で育ち、その後別の地へ移動していくような場所だというのです。江戸そのものの成り立ちからして、また、戦後15年で600万人も急増した東京。生まれるより、育つ場所、そして、そこから離れていく、そういう人の方が圧倒的に多いと言うのです。

そうかもしれません。その日1日過ごしていった卒園児は、今は東京に区に住んでおらず、別の保育園や小学校に通っています。それでも、千代田区が、この子たちの故郷に違いはありません。成長して大人になった時、保育園のことを思い出してくれるでしょうか。

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