MENU CLOSE
TEL

園長の日記

昨日の「合同こども会」が交流のきっかけに

2023/11/16

今日の保育写真をみて、思い出したことがあります。先週末のことですが年長のKSくんが、お迎えにきたお父さんにまっすく帰らずに、ある公園で遊びたい!と駄々をこねていました。聞いてみると「雲梯」ができるようになって、やりたがっているそうです。偶然にもその姿の写真が次のように選ばれていました。

<遊具で遊んでいると、昨日合同こども会のバスで一緒だった保育園のお友だちが・・>

 

昨日の合同こども会は観劇が中心で、せっかく集まっても交流がありません。でもこうやって近くの公園で一緒に遊ぶ仲間になるきっかけになったのなら、それはそれで意味があったといえそうです。

 

<お互いの園の帽子を確認し合い、「また公園で会ったら遊ぼうね~」と少し交流をしました♪>

また別の保育園とも再開があったようです。

<和泉こども園のYちゃんのお友だちに会いました。Yちゃんとそのお友だちが遊んでいるとお互いに周りのお友だちも集まってきて・・・

こ~んなに大集合!!名前を言い合い、「また遊ぼうね~♪」とバイバイしました♪

さらに、近所の親子でしょうか、アゲハが取り持つ新しい出会いも生まれたようです。

<Mちゃんは、公園に来ていた親子と交流中。Mちゃんが捕まえたアゲハ蝶を見に来た所からお友だちになったようです。「おねえちゃ~ん」ととても仲良くなっていました♪>

<今日は2つの保育園のお友だちとの交流がありました。昨日の合同子ども会をきっかけに、色々な園との交流が持てると、小学校へも繋がっていくので、そんな中で和泉公園は、近隣の保育園との交流がもてるので、とても良いな~と感じた日でした。それぞれの公園の良さがありますね。色々な保育園との繋がり持っていきたいと感じた1日でした。>

まだまだ、ほんの小さな一歩でしかありませんが、あの「架け橋」に向けて、ちょっとでも繋がっていきたいものです。

 

千代田区の「合同こども会」で「長靴をはいたねこ」の観劇会

2023/11/15

千代田区は毎年、年長組を対象に「合同こども会」を開いています。参宮橋の国立オリンピック記念青少年総合センター(オリセン)の大ホールでの観劇会です。区内の幼稚園、こども園、保育園のすべてが参加します。今年は午前中の二日間になり、当園は二日目の今日でした。私は引率しなかったので、以下、担任の報告をドキュメンテーションから少し紹介します。
「小学生になったらここの会場にいるお友だちやバスに一緒に乗っているお友だちと同じ小学校かもしれないね~!」なんて話をしながら過ごした合同子ども会。少し緊張しながらも、バスを降りていく他園のお友だちに「なに保育園ですか~?」と聞いてみたり「バイバイ~!」と言ってコミュニケーションをとってみたり、最近は小学校をイメージすることも増えてきたのですが、より小学校を身近に感じた日になったのかもしれません。

子どもにとっての同僚性という環境

2023/11/14

研修会の二日目(14日)は、高田馬場の研修会場で藤森代表の講義、実践発表、質疑応答です。テーマは「チーム保育」です。今年3回目の保育環境セミナーの総まとめになります。藤森代表の講義は「ヒトという環境 子どもにとっての環境 同僚性としての環境」という内容でした。チーム保育というのは、かなり前から提案されているものなのですが、私たちの保育グループでは次のように考えています。この考え方は、保育学用語辞典にも載っているので、そのまま引用してみましょう。

「習熟した保育者が、初任期の保育者とともに複数でチームを形成して保育にあたる体制。(省略) 藤森はチーム保育について、役割分担をしてともに保育することと定義し、メリットとして、子ども理解を複数の視点で行える点を第一に挙げている。近年は、チーム保育の基礎として組織文化が存在し、組織の在り方が保育の質に対して強い影響を与えることが示され、組織の一員としての保育者の成長を促すことを目指して園内研修の新たな試みが進めれている。」(中央法規『保育学用語辞典』(秋田喜代美監修169ページ)

今日の研修会では、実践発表として2園から報告されましたが、学級担任をやめ複数担任で保育をしている事例もありました。千代田せいが保育園では、年齢別のクラスとそれぞれに年齢別の担任がいます。ただ子どもの生活する空間は、それぞれのフロアを自由にどこでも行っていい、遊んでいいということになっています。子どもの発達や興味関心から活動が生まれうやすいようにしているからです。子どもが行った先に先生がいて、クラス担任を超えたところで対応することもあります。

チームワークを良くするために

2023/11/13

見学者に保育を説明することは、保育を振り返るきっかけになります。今日13日(月)はさいたま市と江戸川区から保育リーダーの方が見学に来られました。他人に説明していると、自分が知らないこと、分かっていないことに気づくことがあります。そして後で調べてみよう、という気になります。そして保育の場合「そもそも、どうしてそうしているのか?」「どうして、そう言えるのか?」が、よくわからないことがあるのです。今日は見学者の方と話合いになったのは、チームワークの在り方でした。

千代田せいが保育園は、社会福祉法人省我会が都内(八王子市・新宿区・千代田区)に4つ運営している認可保育園(うち2つはこども園)の一つです。その省我会の理事長が私の上司にあたる藤森平司統括園長です。その藤森理事長が作った保育研修団体「ビギングツリー」が、毎年4回ほど研修会を開いています。今年は7月9月11月の年3回「保育環境セミナー」になり、コロナ禍が終わって、全国からたくさんの保育者が高田馬場の研修会場に集まりました。その一環として、お互いに見学もしあっているのです。

毎回テーマが異なり、7月は「子ども同士・異年齢」、9月は「子ども主体」、そして今回の11月は「チーム保育」です。見学者の方と同僚性のあり方を、具体的に語り合えるのはお互いに貴重な機会になります。私はリーダーシップがあるならフォロアーシップも必要だし、そもそもメンバーシップを意識しているか、ということが大事だろうと思っています。省我会の保育理念は「共生と貢献」。それが子どもの成長にふさわしい経験になるようにチームワークを働かせたいと思います。

おたまじゃくしの101ちゃん

2023/11/11

絵本の読み方はいろいろあっていいのです。私の場合は、その絵本にふさわしい読み方をしています。今日10日(金)は、かこさとし「おたまじゃくしの101ちゃん」のリクエスト。事前に2歳児クラスの子も参加するというので、ざりがにとたがめが戦うところでは、読む前にさっと作った紙人形も登場させて読んであげました。

この絵本の場合は、紙芝居を読んであげている感覚に近く、子どもたちが後で劇として遊び出す可能性もあります。だんだん仲間意識が強まっていく年長さん後期ぐらい、つまり今頃になると、こういう話がちょうどいいかもしれません。また最近は散歩でザリガニ釣りに行ったり(実際にはできなかったのですが)、1階でカエルを飼っていたりしているので、少し身近な話にもなったようです。

園長のコーヒータイム(11月17日)17時~18時ごろまで

2023/11/10

コーヒータイム掲示用チラシ2

お仕事から帰ってきて、お迎えへ行く前に、コーヒーでもちょっと一杯いかがですか?

保護者の方同士の自由なおしゃべり、懇談に、お気軽にご利用ください。

場所は2階のダイニングです。

月1回ぐらいのペースで開いています。

もし早めに園に来れたら、お迎えの時間までお茶しながらお話しましょう。

<ゆる~いルール・利用の仕方>

・時間になったら子どもをお迎えに行ってね。その後、もし時間が許すなら、子どもも一緒に2階で過ごしましょう。
・途中参加、途中退席ももちろん大丈夫です。いつでも出入り自由です。
・17~18時が基本時間、後片付けまで含めて18時半には完全撤収します。

 

令和6年度の入園申し込み(11月22日から開始)

2023/11/09

千代田区は来年度(令和6年度)の保育園の募集を始めました。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kosodate/hoikuen/riyoannai/hoikuen-nyuen.html

申込期間は11月22日(水)から12月22日(金)まで。

★「いい夫婦の日」から1か月間、と覚えておきましょう。

ただし郵送やオンライン申請は1週間早い12月15日(金)必着なのでお間違いなく。

ぜひ、見学にいらしてください。

見学日はできるだけご希望日に合わせますので、お電話ください。

詳しくご案内します。

03-6811ー6686

 

 

 

馬の水飲み場で虫をつかまえる

2023/11/08

8日(水)の夕方、「馬の水飲み場」で、ちょっとだけ遊びました。草ぼうぼうの空き地ですが、こういう場所は子どもたちが大好きです。

こんな場所には「なにかいそう」と、子どもたちはわくわくしながら入っていきます。虫をとりたいRくんは、手作りの虫網ならぬ虫袋を手に、ちいさな蝶を「つかまえた!」といって見せてくれました。

自然や虫が好きな子どもたちの姿をみていると、ヒト自体が自然がうんだ生き物であることを思い出させてくれます。

 

横断歩道を渡るときのルールを確認する

2023/11/07

いま9人いる年長さんの「お手伝い保育」は、毎週1回、火曜日に実施しています。1階の0~1歳児の乳児、2階の2歳児、そして事務室つまり私のところの三か所に3人ずつ3グループに分かれて行います。事務室で何をするかというと、金魚の水換え、園内にある観葉植物への水やり、そして乳児向けの手作り遊具づくりです。

今日7日はほかのグループでもすでにやった「マーブルチョコレートは溶けるとどうなるか」。

実験の内容は、前のグループでこれまでお伝えしてきた本と同じです。紙皿に並べたマーブルチョコレートが、お湯に溶け出してきれいな模様をつくります。ティッシュペーパーとトイレットペーパーの溶け具合の違いを確かめます。砂糖もとかしてみます。その後、スポイト、ロート、試験管、フラスコなど実験器具のセットを使って、水を入れたり出したり、操作を覚えます。

最初に近くのデイリーヤマザキへ買い物に出かけるのですが、横断歩道を渡るときのルールも再確認しました。

「さあ、ここは何がある?「横断歩道」「ここを渡るんだけど、何をするんだったけ?」「手を挙げてわたる」「その前にやることがあったでしょ?」「・・・・」「あれ、これをしないと、わたり始めて車がきたらひかれちゃうよ」「・・あ、みぎ・ひだり・・」「そう、車がきてないかなあ、って右も左もよく確かめるんだったよね。じゃあ、やってごらん」・・

私たちがそれをやっていると、<まあ、かわいらしいわねえ>という風に目を細めて笑顔で眺めていく方も結構います。

保育園のまえの横断歩道は信号もなく、大勢の人がいつも渡っていますが、右を見て左を見て・・なんてしている大人はほとんどいません。中にはスマホをみつめてそのまま歩いているひともいます。子どもたちにとって大人の姿はモデルになりません。だからこそ、交通ルールの基本は子どものうちにしっかりと知っておく必要がありますね。

青虫が食べやすい「みかんの葉」のかたちと出会う意味

2023/11/06

私の故郷は長崎で、小さい時から「みかん」や「びわ」をよく食べていました。それらを育てる農家にとって、その実や葉っぱを食べる虫は害虫なので駆除する対象でした。でも保育園では、「はらぺこあおむし」として子どもたちに「かわいい〜」と愛されています。同じ虫でも、害虫と見做される文脈に置かれると、私たちはその駆除の方法に関心は向いても、その生き物が棲む生態の面白さには気づきにくいものです。

今朝6日月曜日の朝。玄関の自動ドアにアゲハのさなぎができていました。どうしてこんなところに? 日曜日一日、自動ドアは閉まっていたので、動かない場所だと勘違いしたからでしょうか? 3歳児クラスの二人の男子も問答を聞いていると、半分当てずっぽうの、冗談を言い合っています。「どろぼうにみつからないように、ここにしたんじゃない?」「あ、わかった。こっち(ドアの外側)だと鳥に食べられるから、こっち(ドアの内側)にしたんじゃない?」など、どこまで本気だか、よくわらなないことを言い合っていました。

大人の私たちもよくわかりません。どうしてこんな場所で蛹になるのか?みかんの木の枝なら納得できるのですが、わざわざ大きな植木鉢を降りて、地面を這って別の場所で蛹になる。青虫にとっては、その場所に何かの「意味と価値」があるのでしょう。そこを選んだという「行為」を俯瞰的に眺めてみると、青虫とその周りの環境との切り結び方(出会い方)に、青虫なりの「意識」のようなものを感じないわけでもありません。

実は、もっとそれを感じる出来事が、先週2日(木)にも起きていました。すでにご存知の通り、玄関の外に置いていたみかんの木を室内に入れた時、すでにみかんの木は、7ひきの腹べこ青虫によって、葉っぱはほぼ食べ尽くされて、丸裸にされていました。そこで屋上に置いていた別のみかんの木から数本の葉つきの枝を添えたのですが、全く食べようとしません。しかし、私が「あること」をしたら、食べなかったみかんの葉を、青虫が食べ始めたのです。

それまで、過去の経験から「自分が生まれた場所のみかんの葉しか食べないのではないか」と思っていたのですが、その仮説が覆ったのです。青虫とみかんの葉の関係に新しい意味が見つかったのです。

もしかして?と試しにやってみたら的中しました。みかんの葉の縁をハサミで1ミリほどトリミングして、葉に切れ目を入れてみたのです。青虫は葉を食べる時、葉を掴んだ位置から口を葉の縁に沿わせるようにして食べます。それを見ていると、青虫にとっては、それまで自分の世界の外側にあって出会えていなかったみかんの葉が、トリミングされたことで匂いなのか汁なのかわかりませんが、青虫の知覚システムが「これは食べる」という情報をピックアップしたと言えるのかもしれません。あるいは感知されていなかった食べ物が、自分の世界の中に急に姿を現した、と言えるかもしれません。これは擬人化して説明しているのではなく、生態学的心理学を使った、あくまでも科学的な説明のつもりなのですが。

もし、こういうことが言えるなら、青虫に「意識」があると言えるような気にもなってきます。もちろん人間と同じような意識(コンシャンス)ではなくアウェアネスということらしいのですが。行為があたかも人間がそうするのと同じような姿として「喩えている」ということではなくて、青虫にとって生態学的に意味のある情報をみかんの葉の中から選択したということになります。これは青虫が葉っぱをバリバリと食べることができる潜在的に持っている機能が、食べられると知覚できる状態になった葉っぱ(本来は同じもの)との出会いによって、創発されて行為として現れた、という説明になるのかもしれません。

この考察は、こういうことに発展します。私たちは生活している中で、必ず何かをしているのですが、それは食べたり寝たりする<生物としてのヒトの営み>でありながら、同時にそこにも<社会的人間としての学習者>の姿も織り込まれていたりします。子どもたちもそうです。その生活や学びの実際をできるだけ「その通り」に記述するために、いま生態学的心理学を勉強しています。どうしてそれを勉強しているのかというと、これまで思っていた人の「発達」という概念が、そうじゃなかったかもしれない、もっと異なる見方があるのだ、ということを知ったからです。意識と行為、意味と価値などが身の回りの環境との「きり結び方」で変わってくるという見方なのですが、それで保育の何がどう変わるのかを、勉強中なのです。

そんなことを始めたものですから、身の回りの生物への眼差しがちょっと変わりました。(まだ子どもの姿の読み取り方の変化は、もう少しお待ちください)例えば、青虫の生態を観察しながら、アフォーダンス心理学の見方の練習をしているという状態です。

青虫と子どもを一緒にするつもりはありませんが、青虫にとっての「トリミングされたみかんの葉っぱ」に相当するものを、それと同じようなことを、子どもにとっての環境もアレンジしておくといいのかもしれません。つまり、それまでとは違うのは、その子どもの「知覚システム」の中に、その環境の情報が届くようにするということです。これまで「子どもの目線に合わせて」などと言っていたことに近いかもしれません。あるいは環境の再構成の本質的な意味なのかもしれません。

top