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園長の日記

還ってくる場があるという意味

2024/08/03

今日の第6回納涼会はいかがでしたか? 家族で一緒の楽しい時間になったでしょうか? 午前中は在園児の親子で、昼からは卒園児の家庭で楽しんでもらいました。

1日その様子を見ていると、この5年間の間に、子ども同士の仲良しの輪は大人を結びつけて、その輪がこんなにも大きく広がっていくのだなあ、と思いました。

食事コーナーは、お祭りの夜店でよくある「わたあめ」「かき氷」「フランクフルト」。

午後はこれに「焼きそば」も加わりました。

遊びは子ども提案の「輪投げ」「的当て(水鉄砲)」「ボーリング」「ヨーヨーつり」「うちわ作り」そして「スイカ割り」。午後は小学生も多くなることから、これに「型抜き」と「くじ引き」も用意されました。

このような日は、小さい赤ちゃんから小学生までの遊びにおける発達を連続的に見ることができます。特に卒園児は成長を具体的に感じられると同時に、過去の「おんなじ」を想起のうちに現在にあらわにするように感じられました。

いま通っている小学校は違っていても、「再会」は保育園という同じ空間を長く共に過ごしたという過去を今によみがえらせ、共有した者同士でしかつくれない空間を「いま・ここ」に創り出しているように感じました。

ああ、これが懐かしさの正体か、とさえ思えるほど、人間のもっている過去を「想起」できる力は、そこにお互いの意識が重なり合わない限り発生しないのだということに気づかされたのでした。きっと同じ思いを卒園された保護者の皆さんも感じられたことでしょう。

現在に引き寄せられた過去の想起が、子どもも親も自身の過去を今の自分に巻き込んで今を創り上げているかのようです。ここで生きてきた時間の堆積がある場と、そうでない場の違いとなって感じられるのでしょう。このことが「還ってくる場所がある」ということの大切な意味なのかもしれません。

 

溶かして混ぜて自分のクレパスを作りませんか?8月3日(土)

2024/08/01

クレパス作品を手掛けているアーティストのコンドウカヨさんが、8月3日(土)に台東区でワークショップを開きます。クレパスで絵を描いているクレパス画家のコンドウさんは、イベントを通じて親子で集える場所を作っていきたいそうです。「近くの保育園などにお願いして回っています」と尋ねていらっしゃったので、ご案内します。

20240802 one day workshop

今年初のアゲハ誕生

2024/07/31

今朝、アゲハが誕生しました。卵から幼虫になり、玄関の自動ドアの隅で蛹になっていたのですが、ついに綺麗な羽を広げてくれました。待ちに待ったこの日を、多くの親子が見ています。その反応もそれぞれが違っていて面白いのですが、「愛おしい気持ち」を分かり合える方々と、蝶の世界を語り合うのでした。

 

子どもの主体性のない保育には、子どもにも大人にも“揺れ”がない

2024/07/31

巻頭言(8月号)より

こんなことが書いてある研修レポートを読んで「うまいことを言うなあ」と感心しました。散歩のとき、枝を拾ってもいいかどうか?という議論がなされた保育園のエピソード。

「・・何かルールとして決まっていたり、決定されていることを守る方が、悩みもないし、迷いもないけれど、こうして大人にだって“揺れ”があると言うことは、主体性を大切にしていく中ではとても必要は要素なのだと感じました。保育者を含めて“大人”という立場にいると、つい『こうであるべきだ』とか『こうなってほしい』という思いや願いが先行してしまうことも多くて、“揺れ”とか、迷いや悩みといった状態は、知らず知らずのうちに、なんとなくネガティブなものに捉えがちになってしまう気がします。でも、そうして白か黒かという結論を出すのではなく、その間のグレーの部分にこそ、さまざまな関係性ややりとりが生まれていくのだと感じました。

また大人は、そう考えようとはしていなくても、ついどこかで「成功」とか「成果」など、「めでたしめでたし」と思えるような“結果“を追いかけてしまっているのかもしれないなあ、と感じます。例えば、野菜を育てるときに、うまく育っていくように大人の判断でネットをかけたり葉を剪定したり・・。うまくいかずに枯れてしまって、子どもをがっかりさせたくない、という保育者の思いもあるかもしれないけれど、でも、この迷いや揺れ、そして失敗したり試行錯誤したりする経験こそ、子どもの生活の中では必要なものかもしれないと感じました。・・」

研修レポートはニュージーランドの幼稚園の「トマトデモクラシー」(注:ホームページの方で紹介しておきます)のエピソードが紹介と続くのですが、この主体性を尊重し合う「共主体」は揺れ動くものという話は、きっと信頼と対話を育むことにつながるでしょう。その過程を経験してたくさん潜り抜けていく中で身につけることの中に、大事な宝物がある気がします。そこに目を凝らしたい。その見えにくいものを大事にしたい。レポートはこう続きます。

「これは子どもと大人の関係に留まらず、大人同士もまた、何かを誰かに押し付けるような『こうであるべき』という論を持ちすぎず、みんなちがっていいというおおらかな気持ちで保育をしていくことで、より良い関係や距離感を持って良いチームワークでやっていくことができるのではないかと思います。・・・」

・・・・

(注:「トマトデモクラシー」のエピソード。皆で育てたトマトがよく育つように大人が芽をとったら、子どもたちが「なんで相談もしないで勝手に取るんだ」と怒って、大人も子どもも話し合って進めていこうという議論がなされたという話)

納涼会パート2

2024/07/30

8月3日(土曜日)午前中は園の「納涼会」ですが、引き続き、卒園児を対象とした納涼会パート2が開かれます。主催は保育園と保護者有志からなる実行委員会。親子共々70人ぐらいが集まる、賑やかな同窓会になりそうです。

保育園の納涼会は午前中ですので、お間違い無いようにお願いします。

 

胸がいっぱいになる体験

2024/07/28

皆さんはご自身の人生の中で、何かの気持ちで胸がいっぱいになった体験というのはありますか?それはどんな時だったでしょうか?

きっと子どもたちにもそんな体験があるはずです。飛び上がるような喜びや、ジーンとくる嬉しさ。それは子ども同士の関係の中で起きていることもあります。子どもがそんな体験をしている側で、大人が運良くそれを感じ取ることができるかもしれません。

そう考えると、そんな経験は私の場合はやっぱり幼稚園のときの初恋の人だったり、小学校時代の親友と遊び惚けた時間のなかのほんの一コマだったり、中学校のときの部活動の地方大会でペアを組んだ彼との「あの試合」だったりします。

大人になってからはどうして生きているのかといった悩みを聞いてくれたグルとの出会いや、知らないところで応援してくれた方からの激励をふいに受けた経験などがあります。

こんなことを思い出したのは、フェイスブックで知り合った「いいね」同士のある方が新幹線のなかでの偶然の出会いについて書かれていたので「そんなことが起きるのか」と、こちらまでエキサイトさせられたかからです。

やっぱり人生を変えるのは出会いですね。

余談ですが、ということは教育の場こそ、そこを目指すべきなんではないでしょうか?

 

 

神田ベアーズで「大筆」体験

2024/07/26

大きな模造紙に、大きな筆で文字や絵を描く体験をさせていただきました。歩いて15分ほどの神田ベアーズさんから、カブトムシのお礼にと、大学生による大筆パフォーマンスに招待されたのです。年長のすいすいさん7人と出かけてきました。

パフォーマンスは3種類。床に敷いた大きな紙の上で、リズムに合わせて踊りながら大きな筆で文字を書いていきます。出来上がると写真のような文章が書かれていました。

その次は、襖位の4枚の立てたパネルに2人ずつ入れ替わりながら、やはりリズムに合わせて体を動かしながら描いていきます。次の写真。

そして最後は子供たちも参加。床に敷いた大きな模造紙の上に、文字と絵を描きました。

保育園のお友達たちとの交流もでき、また大学生との会話や書き方を教えてもらったり、褒めてもらったりしながら楽しい時間を過ごすことができました。

子どもたちがつくる納涼会

2024/07/26

8月3日土曜日に開く予定の納涼会は、子どもたちの意見が反映されたブースが色々とできますが、そのうちの「輪投げ」と「的当て」は、遊ぶ道具を子どもたち自身が作っています。

その発展していく様子のいきさつが写真入りで、3階の部屋の入り口にど張り出されています。同じ内容が、日々の保育ドキュメンテーションでスマホで見ていただいてきたものですが、同じ遊びのところだけこうしてつなげて展示してみると、遊びの発展の変化がよくわかります。

5月ごろに始まった輪投げの輪の装飾が、国旗のカラーになったり、その頃参加しなかった子が最近は加わるようになってきたり、輪投げの棒をどうやったら作れるか、地面に垂直に立てる方法をいろいろ考えたり、話し合ったり。

屋上で行う予定の的当ては、水鉄砲で的に当てるのですが、その的は「当たって倒れるもの」にしたいと言うことになったようで、紙コップだと水が当たると壊れやすいので、プラスチックのコップで作ろうと言うことになったようです。色をつけ始めると、ステンドガラスのように綺麗だと言うことに気づいたこともたちが、トカゲや怪獣やうさぎなどを作り始めています。

看板もたくさんできて、その「ことば」や飾りを子どもたちが「あいうえお表」を見ながらつくっています。

乳児室の音環境について

2024/07/24

言葉は聞こえないと獲得できないので、生活のなかの声が赤ちゃんにちゃんと届くように、室内は図書館と同じ静けさを確保しています。

24日水曜日、見学者にそんな説明をしました。見学者の方と言うのは保育者です。そのうちの1人の方はベテランの先生ですが、乳児室の音環境と言葉の獲得との関係の話など、あまり聞いたことがないとおっしゃるのです。

しかも、当園の子どもが落ち着いていることや、赤ちゃんの泣き声が穏やかだで、その方が経験されてきた保育園での赤ちゃんの鳴き方と違うとおっしゃるのです。また、うちの先生たちが普段の普通の会話のような感じでしか話していないこと、大きな声を張り上げてないことなどに驚かれていました。

他の保育園の実情はよくわからないのですが、今でも先生が大きな声を出して、子どもたちを導いているような保育がまだあるそうです。

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