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園長の日記

新しい学校のイメージ

2022/09/13

保護者の皆さんが働いている職場は、働きやすいですか? 机に向かう時間が多い方は、どんな椅子にどんな姿勢で座るかが大きな問題になるはずです。ミーティングの多い方は資料の記録、再生、共有などの方法が大事になるでしょう。また外に出ることが多い方は、移動方法や連絡手段も仕事の効率に影響するでしょう。創造的にアイデアを練る仕事なら、そうなるような環境のデザインが工夫されるでしょう。

保育や教育の場合、子どもがどんな生活や活動をするかによって、室内のレイアウトが変わります。同じ内容を同じ時間に同じ場所で受動的に教えてもらうということなら、教師の声が一斉に届く距離に正面を向いて座る机の配置が効率的だったのでしょう。しかし今は一人ひとりが異なる内容を異なる方法で別々の時間に能動的に学ぶ時代になりました。目的や内容に応じた空間が配置される必要があり、子どもが行き来する動線も考慮したレイアウトにする必要が出てきます。

子どもの興味や関心に基づいた探究活動を展開させたいのなら、そうしたテーマやトピックスに応じた物や場所、空間や人などの環境をデザインする必要が出てきます。そのようなプロジェクト型の学びは、どんなテーマやトピックスであっても、共通する活動の形がありそうです。何が探究のテーマなのかを話し合うこどもかいぎの場。活動の見通しを立てる場所、実際にやってみる多様な活動フィールド、そしてまた振り返り共有する発表や展示のできる空間。

これからの保育室や学校には、このような探究活動を保障するような複合的な場所が必要になります。そこには遠く離れた援助者と話ができるコミュニケーションツールが用意され、活動や探究の軌跡がパッと把握できる共有メディアがあると便利でしょう。そんな時代の新しい学校のイメージは、場所や時間を越えたようなものなので、既存の学校のイメージで捉えると、これからの「学びのスタイル」にそぐわないものになるかもしれません。

活動や探究、遊びのリソース(資源)が分散されてゾーニング化され、それが連動して活用されるとき、学びの軌跡はとてもユニークなものになるでしょう。その学びの軌跡を視覚化して、学びの物語として「子どもの自分史」がどの子にも残せるなら、それが小学校、中学校、高校へと繋がっていく「成長の作品集」のようなものになることでしょう。そこに成績や通信簿などはありません。かけがえのない、宇宙に一つだけの学びのプロセスが、この世に生きた奇跡(キセキ)になるのです。

 

風であそぼう

2022/09/13

保育園では毎年、年間テーマを設けています。今年度は「風と光と・・・」というもので、生活の中の風や光に少し興味を持って、子どもの体験が深まったり広がったりすることにつながるといいな、と思っています。たとえば、13日(火)の2歳児クラスをのぞいてみると、うちわで風船を扇いだり、牛乳パックで作ったものを扇いで倒したりして遊んでいました。この遊びは実習生が考えた「風遊び」ですが、このアイデアは、10日(土)に開いた「納涼会」で遊んだ風の実験からつながっているものです。

この「風の実験」は、机の下から噴きあげるサーキュレーターの上に、筒を置いて、その上にいろんなものを「浮かべてみる」という遊びです。風船やスカーフやカップラーメンの容器とか、「こんなものが本当に浮かぶかな?」というものまで浮かんでしまうので、大人が見ても面白い実験装置です。でも大人が面白いと思うことと、子どもが思うものとは違うかもしれません。

風は見えないし、手で触ることもできないので、どういうものかというイメージも持ちにくいはずです。直接さわったり持ったりできないものだけに、それを感じる場面をいろいろ体験して、子どもは、そこから「風」に要素を抽出してくるのだろうと思います。その時の表現(言葉など)は、その子の感じたリアルな感覚なので、誰一人として他の人と同じものにはなりません。いろんな感じ方や表現になることでしょう。

納涼会では、風車を扇風機に当てて、クルクルと回すという遊びもしました。これらの遊びは、風を使ったものですが、普段の生活の中の風体験とどこかでつながって、いろんな気づきを生んでいるのだろうと想像します。暑いときに扇子やうちわで扇ぐと涼しく感じたり、蝋燭の火をふっと吹いて消す時も、それは同じものと思うことがあるのかどうかわかりません。

ジェット機に乗っている時、私たち乗客は外の風を感じることはありません。台風の最大瞬間風速が50メートルと言われても、きっとそれを実感することはできません。子どもの世界で感じる「風」の世界を、たくさん探して集めたりすることで、見えてくる「風」というものがあるのかもしれません。それは子どもなりに、新しい風の体験になっていくかもしれません。そうしたいろいろな経験を重ねる中で、きっといろいろなものを気づき、子どもなりの好奇心が躍動していくのだろうと思います。

遊びであり食育でありアートでもあるような活動

2022/09/12

最近は夕方に新しい出会いがあります。いろいろな相談を受けたり、紹介されて、いろいろな人に会っています。今日12日は、若いシェフ(料理人)から、社会改革の夢を聞くことができました。まだ22歳。これから会社を作ろうとしている方で、その事業のテーマが食です。海外のレストランで学び、調理の幅が広く、自分でおいしい創作料理ができるので、起業する仕事は調理と保育がミックスされたコーチングです。いったい、どんな事業なんだろうと思われるでしょうが、実に真っ当な社会事業なのです。

この若者の話を聞いているうちに、「そうか、料理というのは、私たちが持っている先入観を壊して、「お、うまい!」「おいしい!」という感動が、食材そのもの、食べるという行為そのものを、それまでとは異なる感動体験へと誘うものなんだ」といことがわかりました。その体験を子どもたちに提供しようというのですから、これまでとは全く異なる保育観、食育のアプローチです。アーティストとしての料理人でありながら、保育者と同じ発想をする方でした。そこで応援することにしました。近く、保育であり遊びであり食育でありアートでもあるような活動を体験できそうです。

「NPOちよだの水辺を魅力ある都市空間に再生する会」発足

2022/09/11

先週9月6日(火)のことですが、千代田区の将来の生活環境にとって、画期的な団体が設立されました。名称は「特定非営利活動法人 ちよだの水辺を魅力ある都市空間に再生する会」です。その設立総会が開かれて、来賓として招かれたので参加してきました。

この会の代表は、開園当初からいらっしゃる保護者の方ならご存知の石渡伸幸さん。昭和62年から平成27年まで7期28年もの長い間千代田区区議を務められ、第57代議長も務められた方ですが、コロナ禍の前は保育園の行事に参加いただいたり、神田祭に誘っていただいたりとお世話になっています。また理事長は、皆さんご存知の屋形船の手配で協力いただいている岡田邦男さんです。今年春の屋形船での遠足でも、保育園の園外活動にご理解をいただき、いろいろな便宜を図ってくださっています。(2019年4月17日の「園長の日記」参照のこと)

このお二人が筆頭の「再生する会」が、この日から正式に活動を開始することになりました。設立総会には、樋口高顕千代田区長、千代田区の河川やお堀の水辺再生には連携が欠かせない中央区の山本泰人区長も出席。千代田区議会からは桜井正議長、小林やすお千代田区議会議員連絡会会長を始め、11人の現役の区議さんたち、そして都政からは平けいしょう都議、石島秀起都議のお二人が、また国政からは山田美樹環境副大臣、朝日健太郎参議院議員も出席されていました。

千代田区の「ちよだの水辺」とは、皇居を取り囲む外堀、内堀、当園の前を流れる神田川、三崎橋から枝分かれして区役所の前を流れる日本橋川が主なものになります。この会で初めて知ったのですが、東京都は外堀、内堀を再生するために玉川上水から水を引く計画を持っているそうで、将来それが実現すると、お堀の水に綺麗な水が流れ込み、水泳などのスポーツができるほどの水辺に変わるかもしれません。

保育園にとっても、水辺の再生は散歩や遊び、散策、探究の自然フィールドとして活用できる「魅力ある都市空間」になる可能性を秘めています。都市型保育の保育ビジョンづくりに、また大きな夢が加わりました。保育園として「再生する会を応援する会」を作り、積極的に関わっていくつもりです。興味ある方は、ぜひお声かけください。

 

 

縁日大会のような納涼会

2022/09/10

子どもの頃の気持ちを思い出した瞬間が今日ありました。楽しいことが、もうすぐ終わってしまう時の「え〜、もう終わりなの、まだやりたいのに〜」という、あの感情です。

今日10日の「納涼会」で、最後のフロアにきて、残りの遊びが①「ピンボール」と②「ヨーヨー釣り」で最後だ、とわかった時の、Sさんの「もう、これでお終い?もっとやりたかったあ」。これを聞いて、「そうだ、この気持ち、あった、あった」とリアルに蘇ってきたのでした。

この気持ち、皆さんも子どもの頃の思い出として、ありますよね。友達と遊んでいて、あと少しで晩御飯に帰らないといけないとか、学校の遠足でどこかへ行って、もう少ししたら帰る時間になるとか、夏休みがあと数日で終わりになるとか、残された時間があと少しだとわかって、がっかりする感じ。楽しいからこそ、やめたくない、もっとしたいという気持ち。祭りの後の寂しさではなくて、もうおしまいになっていくことへの、先取りした残念感・・・。

待ち遠しかった上に、時間も短くせざるを得ず、本当に「申し訳ない、ごめんね」という気持ちも混ざって、複雑な心境ですが、ゲットしたヨーヨーや、お土産のキット③「シャボン玉遊び」や④「アイス作り」もお家でも楽しんでね、また保育園では風と光の遊びを用意しておくからね・・・と思うのでした。

今回の「納涼会」は、ご存知の通り、7月の終わりに実施予定だったものがコロナで1か月半延期になったので、「中秋の名月」の日という季節はずれの実施になりましたが、お天気は私たちに味方してくれて、曇りの天気予報だったのが晴天になり、屋上での⑤「水鉄砲の的当てゲーム」も気持ち良くできました。

3分間と言う時間制限の中で、いかにたくさんの的を倒せるか、遠くの的の方が点数が高いので、狙いを定めて力いっぱいシューッと、水を押し出します。子どもよりも大人の方が夢中になったりしてましたね。

納涼会というよりも、秋のお祭りの屋台という雰囲気、晴れ渡った空の下での、レクレーション大会でした。

保護者の方の「やっぱり、用意してくれたんですね」という声を聞いて「嬉しかった」というのが⑥「わたあめ」の店を出してくれた、小林綿菓子店の社長。保護者の皆さんと一緒に何をやるか考えながらのお店だったので、直接、綿菓子の上手な作り方の手ほどきにも、熱がこもっていましたね。

綿菓子の機械の熱さよりも小林綿菓子店のハートの方がアツアツでした。

⑦「ポップコーン」の香ばしい匂いもお祭り気分、浮かれた気分を十分に演出してくれました。

この二つのお祭りの店に欠かせない定番物は、きっと印象ぶかいものになったことでしょう。

今回の体験コーナーで目新しいのは⑧「STEMコーナー」です。風が下から噴き出る筒の上に、いろんなものを置くと風で浮くという遊び。

ゴム風船、紙風船、カップ麺の容器、布、ボール、紙コップなど、いろんなものが宙に舞いました。

訳もわからず面白い、から、あれ、なんで?という感じまで、発達で異なる反応、リアクションが見えて面白い遊びでした。

園内を1階から屋上まで、フルに使っての縁日大会でしたが、テーマは「風と光と・・」でした。

おうちの方に作ってもらった⑨「かざぐるま」も、扇風機で回して遊んでくれたかな?

何をして遊んだか、ブラックライトで⑩「光るインビテーション・カード」で思い出してね。

この行事の目的の一つは、家族のきずな、保育園を縁(えにし)にした大家族のような子育ての楽しさを共有し合うことです。なので、できるだけ、ご兄弟で参加できるようにしました。コロナだからと、家族の楽しい時間をなくしたくないですからね。

浴衣や甚平の方も多くいらっしゃいました。その姿も本当に可愛らしくて「こんな機会もないと、コロナで着るチャンスもなくなったよね」という、計画ミーティングの時の話を思い出します。

ちょっと季節はずれの、お祭り気分の納涼会。いかがでしたでしょうか。また来年も楽しみましょう。

教育改革の目指すものはどこへ?

2022/09/09

4歳児クラスの女の子が、絵本に載っていた美味しそうなケーキ?を調理の先生に「作って」と、頼んでいます。その絵本のページが閉じないように押さえながら。その様子がクラスブログで紹介されています。微笑ましい光景です。

私たちは、どうやって生活を創り出すのか、子どもの考えや意見や思いを大切にしていこうと思っています。いま流行りの言葉で言えば、子どもの参画、パーティシペーションです。

また幼児クラスでは、今日9日、秋のお月見(中秋の名月)にちなんで、子どもクッキングで、さつまいものお団子を、みんなで協力して作りました。きなこをまぶしたお団子は、甘くて好評でした(下の写真)

 

大人が何かしらの目的を達成しようとするとき、何かを成し遂げようとするとき、大抵のことは一人ではできません。そもそも、一人でできることなんて、この世にあるんでしょうか? 私はない、と思っています。そもそもヒトは一人では生まれてこないものですし、両親という協力しあった関係の中で誕生してきていることを考えても、人間はそもそも一人で完結するようには存在していません。

でも、知らず知らずのうちに、私たちは何か一人の力でできるようになることが自立だと、考えるようになってしまっていないでしょうか。あるいは、一人の資質や能力を伸ばそう、伸ばそうと、一人ずつの成績を測定したり、評価したりして、この子の力はこうです、とあたかも、それだけで定まった力かのように思わさせる仕組みがなんと多いことでしょう。

そうなった歴史的な仕組みを調べれば、雇用制度が発生した時代に遡ります。個性的な存在である人間を、社会が必要とする能力のでき不出来で仕分けする仕組み、共同体の中でしか人間らしく生きられない人間を、いったんバラバラにして生産能力に叶う力を持った「個人」を採用するために作られた評価基準、その時代の研究者に必要な高等教育から下へ下ろしてくる教科教育、そうした仕組みが高度化していったものが<近代の学校制度>でした。

近代に(日本なら明治時代に)生まれた学校制度の、その使命と役割は、大抵の先進諸国が1960年代から80年代に終わりました。日本では学園紛争以降、不登校と校内暴力、いじめの過酷化という現象として現れました。今の社会学は「近代はそのあたりで終わった」とみなしています。日本でも昭和の終わりあたりが「ポスト近代」の始まりになっています。ただ、教育制度の歪みを正そうとする動きは、その時期を待たなくても、常に生産者側からではなく、民衆の側から、教育を受ける側から発されてきました。もう一つの教育、オルタナティブな教育という形で世界に広がっています。

ところが、令和になって、流石にこのままの教育の2系統では、世界の経済の動きに取り残されてしまうと焦ってきたのか、きっかけはコロナ禍でデジタル化の大きな遅れに気づいたのがきっかけのようになっていますが、学校教育を学校の中だけに留めない動き、家庭や地域でも遅れを取らない教育の仕組みにしようと改革を始めました。さらに個人の学び方をそれぞれの最適なやり方でいい、ということを言い出し、さらに共同性、つまり学んだことを共有したり協力しあって成し遂げたりすることを、大事にしようと訴え始めました。

政府が大急ぎでポスト近代にふさわしい仕組みに変えようとしているように見えます。この時代や社会が求めてくる教育の内容や方法が、受ける側から求める教育の内容や方法と、ベクトルが微妙に似てきたものを感じます。個別最適な学びにどこまでシフトできるのか、既存の学校制度の枠内の話なのか、それまで学校と認めてこなかった施設や仕組みを学校として認める範囲をどこまで広げるのか? 家庭教育や塾はどうなるのか? その場合の学校の役割はどう変わるのか?

いろんなはてな?がありますが、でも改革のベクトルは、これまでとは違うように感じます。

最も強い内発的動機は理想的な理念から生じる

2022/09/08

私は他人にギターを教わったことがないのですが、中学校の時に覚えたスキルは60歳を超えても指が覚えています。その間、事あるごとに弾いてきた、ということはあっても、学校や塾のように系統立てて教わった事はないので、体験学習で身につけているスキルの一つと言えるかもしれません。でも、自己流というものには限界があって、さらに習熟していくためには、それなりの訓練が必要になります。

それと同じで、もっとこうしたい、こうなりたいという強い動機を持つことが、何事にも大事なのですが、それは昔から内発的動機と、呼ばれてきました。自己研鑽のために意欲的になれるのは、こうなりたい、こうでありたい、という願いや目的が生じたときです。人生において、これが最も大切なものといっていいような気がします。

それが見つかると、強いです。綺麗な言葉で言えば、それは「夢」なのですが、それを叶えるために必要は事は見つけやすいのですが、夢を持つことの方が、かえって難しいのです。動機の強さは、大人の場合、愛や承認や名声や富や名誉を得ることにつながっていることもあるでしょうが、最も強い動機は理想的なるものへの飽くなき追求力かもしれません。

より良いことを実現させたいという欲求は、社会的欲求の中でも、かなり強いもののような気がします。実現させたい理想的なるものをイデアというのがギリシャ時代からの哲学史ですが、現代ではこれを「理念」と言う言葉で表します。大事なのは、個人も法人も社会も国家も、目指すべき理念を語り合うべきなのです。

理念とは実現されるべき目標概念であり、ひたらくいうと「夢」です。個人の夢が理想的であればあるほど、それは普遍的な理念として、多くの人々がそれを実現したいと思うものです。いかに理念を実現させるか、その方法をみんなで探し合いたいものです。

年中さんぐらいから、小学生頃には、そうした「何になりたい!」が、朧げながらもイメージするようになってきますが、その一方で、乳児にはまだそうした夢や希望はありません。面白い、楽しいとういう、五感をいっぱい使った体験をさせてあげたいと思います。

遅ればせながら「すいか割り」

2022/09/07

7月に実施予定だった納涼会は、コロナ禍で延期になって今週末の10日に実施しますが、その中で行う予定だった「スイカ割り」は、行事の人数制限と時間短縮のために、保育の中で行うことにしました。そこで今日7日(水)の午前中にやりました。その様子は、クラスグログ(パスワード必要)の方でご覧ください。

すいか割りは、暑い夏の浜辺や河原などでやると楽しそうですが、保育園では開園一年目の夏から、何らかの形で毎年実施してきました。一年目は夏の納涼会で、屋形船に乗ったとき。保育園で待機している時間にやりました。2年目はコロナになって、お泊まり会や屋上でやっています。そして昨年も、納涼会で行いましたね。ただ、コロナ禍での行事なので密を避けて、家族単位で離れて行ったので、他のお友達のすいか割りの様子は、見たり応援したりする関わりを持てませんでした。

そこで、保護者を交えた打ち合わせでは「今年こそは、ワイワイと見合いながらやりたいね」という声が出ていました。今回は、先のような経緯から、子ども同士で楽しく、ということはできましたが、家族揃って、というのは、また来年以降の目標ということにしておきましょう。

先進的な事例から保育を学ぶ

2022/09/06

昨日から始まって、今日6日(火)で二日目となる研修会「保育環境セミナー」で、藤森平司代表の基調講演と二園の実践発表を聞くことができました。研修会は保育環境研究所(藤森代表)が主催しているもので、今回で56回目。新宿・高田馬場のセミナー会場に約100名、オンラインでの参加者が約300名に上りました。保育について自主的に学び合う研修会に、全国各地から、これだけの参加があるのは珍しく、保育団体や自治体が主催する数ある研修会よりも活気があり、実践のレベルも高いものです。

今日の基調講演のポイントは「子ども同士」「子どもの共同性」をいかに育くむか。<見守る>ことの意味を解説した保育雑誌の特集号の説明(イラストと解説文)を題材にしながら、私たちが追究すべき保育との違いが明瞭になるものでした。雑誌で説明されている保育者の働きかけは、相手が「複数の子どもたち」に変わっただけで、一人の子どもに直接保育者が働きかけるものと、何ら変わらないものです。しかし、私たちの<藤森メソッド>は、その働きかけそのものを、子どもたちの中から生み出すものなのです。

その事例に近いものが、今日のわらすのブログで「お片付け」のシーンとして報告されているものに近いと言っていいでしょう。セミナーで報告された事例は、遊びの停滞を克服していく動きが、子ども同士の関わりの中から生まれていく様子を、年度末に開く「成長展」で展示したものでした。乳児の遊びのつながり、2歳児クラスでの積み木遊びの展開、幼児での協働的な製作活動など、どれも子ども集団そのものが、知恵を出し合ったり、助け合ったり、協力しあったりしながら、生活と遊びを豊かにしていく関係性の育ちを確認できるものでした。

そのためのポイントをまとめたものも、提示され、既存の保育団体や学会からは出てこない保育事例と分析になっていました。OECDが世界の代表的な保育として紹介している5つの保育カリキュラムがあるのですが、それにもまだない、共同性を育む見守るアプローチの提案になっています。

 

実践報告は、熊本から「ステム保育」の充実した環境と実践の事例が、また長野からは「絵本をめぐる多様な活動」が報告され、いずれも海外で提案しても絶賛されそうな内容です。私たちは、このような保育事例を参考にしながら、保育を高めていける仲間を持っていることに感謝です。保育を学び合うことの楽しさを実感できる研究会です。

「こどもかいぎ」という名前の学校ができたらいいな

2022/09/05

このような光景はとても久しぶりです。楽しい。嬉しい。子どもたちもきっとそう思っているはず。こんな時間が子ども目線から見たら、キラキラした夏の思い出になるだろうな・・そうに違いありません。

そう思ったのは、映画「こどもかいぎ」で、お休みの間に出かけて楽しかった場所は? と聞かれて、その子は滔々と長い話を語るのですが、お友だちに「そこ、どこ?」と聞かれて「スーパーマーケット」と答えるシーンがあるのですが、それを思い出したからです。同じシーンのことを、姉妹園の園長も9月の園だよりに書いていました。大人にとっては、もはやなんでもない場所や遊びが、子どもにとっては宝箱のようになっているということが、よくあることだからです。子どもの「思い出あるある」です。

というようなことを思いながら、屋上の水遊びの様子を写真に撮りながら、暑すぎる夏もコロナの第七波も、大人目線だけで、あれはいい、これはダメと決めつけるのも良くないんだろうな、ちゃんと子どもに「聞かなくては」と思うのでした。

 

保育の探求は、子どもと一緒にやろう、子どもと一緒に「どうやっていったらいいんだろうね」と考えながら生きていこう。そこに大人が忘れたり気づかない宝物が見るかるんだろう。そう思います。そして、さらに、そういう保育園や学校の名前を「こどもかいぎ」という名称にしたらいい。そんな学校ができたらいいのにな、とさえ思うのでした。

 

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