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園長の日記

社会情動的スキル① 学びに向かう力について

2022/04/24

私の手元に一冊の本があります。その本のタイトルは「社会情動的スキル」(明石書店)というもので、経済協力開発機構(OECD)が、社会情動的スキルの重要性と育成のあり方についての3年間の研究をまとめ、2015年に刊行されました。日本語に訳されたのは2018年です。ベネッセが企画・制作し、翻訳は無藤隆さんと秋田喜代美さんです。そしてのその本のサブタイトルが「学びに向かう力」となっています。日本で社会情動的スキルの重要性が認識され始め、新しい学習指導要領に反映させることになります。そして無藤隆さんが座長だった審議会の中で3つの資質・能力の一つが「社会情動的スキル」なのですが、そのことを「学びに向かう力」と名づけることになりました。

そうすると、私たちが「学びに向かう力」の育成を保育で実践するためには、何が学びに向かう力なのか、中身を理解し、どうやったらそれが育つのかを知る必要があります。この本が提言している内容は、まさにそれに答えようとして、調査した結果です。まだ概念的な内容に留まっていますが、それでも世界が進もうとしている方向性はわかります。またどんな要素が将来に影響するのかという縦断調査も、海外の豊富な調査結果が報告されていて、参考になります。

その中で紹介されている有用な「社会情動的スキル」のかたまりの代表格は、目標達成、他者との協議、感情のコントロールの分野です。それはそうだろうな、と直感的に思います。皆さんもそうだろうと思うでしょう。ここでは「社会的な成功」というものが何か、という価値観も影響することがわかるのですが、目標に向かって力を合わせて協力するためには、自制心などの自分の気持ちや考えや行動を制御できる力が必要だろうということは想像できるからです。ただ、注意したいと思うのは、そこには価値観がある、思想があるということです。それが前面には出てこないけれども、その背景には、民主的社会の優位性が脈打っていることを感じます。

私はこのような書物や研究成果を参考にする際、自分の直感的な判断と異なることがあると、勉強になります。そうか、そういう見方・考え方はしてこなかったなあ、という気づきがあると面白いからです。そういう意味で、自分が納得できる言葉に置き換わるまでこの手の知見は理解する必要があると思っていて、そのような学び方の方が、毎日の普段の保育場面に生かすことができると考えています。

自分で何をするか決めて選択すること、お友達の気持ちや考えもよく聞く場を作ること、選択することから生まれる責任感を大切にしていくこと、そうした意欲や態度を見かけたら、それを「いいね」と強化してあげること(個人差があるので強調の差、手加減を敏感に変えること)、悪いことや誤った行為に対する反応(あえて反応しない、いいところは着目してあげるなど・・)を子どもによって変えること、そうした毎日の保育のポイントがそのままでいいのか、さらにブラッシュアップできる点はないか、そんな振り返りにこのような知見は役立つのです。

自主研修会で非認知的能力について学び直す

2022/04/22

<・・・他方、様々な研究成果の蓄積によって、乳幼児期における自尊心や自己制御、忍耐力といった社会情動的側面における育ちが、大人になってからの生活に影響を及びすことが明らかとなってきた。これらの知見に基づき、保育所において保育士等や子どもたちと関わる経験やその在り方は、乳幼児期以降も長期にわたって、様々な面で個人ひいては社会全体に大きな影響を与えるものとして、我が国はもとより国際的にもその重要性に対する認識が高まっている。・・・>

この文章は、平成30年3月に出された現行の「保育所保育指針」の「序章」に書かれている文章です。指針や要領は約10年ごとに改定されているのですが、改定する理由は時代が変わって新しい制度ができたり、子育てをめぐる課題が変化したり、それらの「大きな社会問題」に対応するためです。また、ここに紹介した文章のように、保育の質をめぐる学術的な新しい知見が登場し、保育のねらいや方法をよりよく改善していくことが求められるからです。

その一つが、「社会情動的な側面」をどのように育てるか、というテーマになります。この社会情動的能力とは、何かができたり分かったりする認知的な能力ではありません。認知的な学力は、これまでも学校教育が力を入れている教科学習の側面ですが、そうではなく自尊心とか自己制御とか忍耐力といった、非認知的な能力になります。私たち保育者が「生活と遊び」の中で、その教育のねらいとしてきた「心情・意欲・態度」がそれにあたります。このことを、今は「学びに向かう力、人間性等」と呼ぶことになっています。

こんな指針の理解について、何が改定の特徴だったのか、何が求められるようになってきたのかなどを、今日は「自主研究会」という形で改めて学び直しました。使った事例は最近の子どもたちの姿です。こんな「勉強会」を開く目的は、子どもたちが何がどのように成長したのか、何を身につけたのか、それを私たちが読み取る視点の中に、ここで取り上げた「非認知的スキル」の観点もしっかり位置付けたいというわけです。

また、社会情動的な能力や非認知的なスキルの他にも、感じたり、気付いたり、分かったり、できたりする「知識や技能」、それから、それらを使って考えたり、試したり、工夫したり、表現したりする「思考力、判断力、表現力」などもあります。これら3つを合わせて「資質・能力」という言葉で、乳幼児期から高校まで、一貫して捉えることになっています。

この保育園を卒園したら、小学校での学びと生活が始まるわけですが、そこでもずっと、この「3つの資質・能力」の育成が継続されていくのです。この3つの観点で評価されたことが「通信簿」に反映されます。では、小学校以降の学びの中で、生きて働くように、保育園時代にやっておかなければならないことはなんでしょうか。そう考えた時にはっきりするのが、「生きる力」の源になってくる、いわばエンジンのような非認知的スキル、社会情動的スキルの習得ということになってきます。

先日16日(土)の藤森先生の講演では、これからの時代に必要な力は「会話する力」「協力する力」「実行機能」の3つである、という話もあったわけですが、これも大事な非認知的能力に他なりません。そしてこれらの力は、相手や仲間や集団の中で育つものばかりです。家庭では育てたくても、なかなかそういう体験が起きるような人的環境がありません。人間の「人間らしさ」の基礎的な力は、人類が集団の中で獲得してきたものが多いからです。自主研修会では、動画を見ながら話し合ったのですが、私たちが園生活の中で当たり前と思っている人的環境は、今の時代の発達課題を考えると、とても貴重な場になっていることが見えてくるのです。

自尊心、自己制御、忍耐力という言葉で代表される非認知的な力は、現在の研究では11項目に整理されています。これらの力がどんな場面で子どもにとって学ぶ機会になっているのか、それを一つずつご紹介していきたいと思います。そして、この「学びに向かう力」をしっかりと身につけることで、小学校以降の人生が豊かになるように、幸せになるように、していきたいと思います。

千代田区就学前プログラムの検討会

2022/04/21

今日は午後から千代田区の「就学前プログラム策定委員会」がありました。昨年度から始まった検討会ですが今日で5回目です。昨年度までの議事内容を踏まえて、今回は千代田区が育成を目指す子どもの姿について話し合いました。子ども部長も子ども支援課長も変わり、新しい事務局態勢のもとでの再スタートとなりました。

私たちが今世紀までに到達している教育学の中で、ずっと変わらない考え方の一つが目的論的教育学です。教育である限り、目指す目的を定めてその手段を考えるという、目標準拠型のアプローチは変わることがないようです。私は公的な教育機関が、全ての子どもに対して同じ教育目標のもとに教育していいという合意を、どうやって取っているのか大いに疑問なのですが、なぜかというと、そこに少なくとも市民(区民)が参加すべきだと考えるからです。

さらにいうと、子ども本人の意思というものをどのように反映させることができるのか(できないだろうことはわかっていても、理念形としてはそうあるべきだということなのですが)、それも大切な視点だと思います。子どもの主体性を尊重する保育を考えるとき、子どもの参画が欠かせません。それは先日の藤森平司理事長の講演会でも触れられたものです。

策定委員会では、私は目指す子ども像を考えるときの観点を述べました。一つは現行の指針や要領が大切だとしていることを踏まえたものにすることと、これからの時代の変化を見据えたものにすること、その2点を強調しました。中でも、最初のことの中には、自尊感情、自己制御(実行機能)、忍耐力などの非認知的スキルが含まれまれます。しかも、それらは人間関係の中で培われることが多いことや、好奇心や探究心が引き出される環境、教材の質が問われることを述べました。

 

ことばから行動へ 行動からことばへ

2022/04/20

ぐんぐん組のブログを読んでいると、言葉の獲得が子ども同士の世界を広げていく様子がよくわかります。よく物の取り合いなどの場面で、手を出したりする前に「ことばで言おうね、かして、って」などと促すことがよくあるわけですが、大人のそうした働きかけは、何をしているのかというと「行動の世界」を「ことばの世界」に置き換えていくことを促していることになります。これが、この時期の子どもたちの成長課題になっています。気に入ったものを自分もやりたい! だから自分もやるから取る、ということは「行動の世界」から見れば、それとして成長してきた証になるわけですが、それを「しつけ」つまり社会的なルールの獲得という、文化継承の面から見れば、相手の思いを尊重しながら承諾を得るというステップがどうしても必要なことを学んでもらう必要があるわけです。

そこで、例えばジェスチャーで、”それを僕もやりたい!”と、身振り手振りで表現してみてもいいわけですが、そこで人間の場合は、その表象の役割を言葉が担うようになっていくから、とても不思議で、面白いのです。ちょうど満1歳ごろから言葉を話し始め(初語)、人との関わる体験を積み重ねることで相手の意思や意図を理解しながら、自分の行動をコントロールしていくことができるようになってきます。その関係性の発達に合わせるように、「行動の世界」に「言葉の世界」が浸透していきます。ことばによる気持ちの通じ合いが体験されていくのです。その様子が子どもたちの遊びの姿からはっきりと読み取れる時期に、今ぐんぐんさん(1歳児クラス)はいます。

ことばが行動になり、行動がことばになって、その行き来が行われる中で、言葉の獲得が進んでいくのですが、見方を変えると実践しながら言葉の意味と使い方を身につけていくようにも見えます。この言葉の誕生期は、人間らしさの誕生と言ってもよく、もう一つの生きていく世界を自分のものにしています。子ども同士の関係の中で培われているものの豊かさを感じますね。

ビオトープとしてのみかんの木

2022/04/19

生き物がいる場所という意味のドイツ語「ビオトープ」は、日本では池を指すことが多いのですが、当園の場合は駐輪場となりの花壇がその役割を果たしています。開園した3年前の春に私がこっそり植えた「みかんの木」には、毎年、初夏になるとアゲハ蝶が卵を産みつけ、孵った幼虫がムシャムシャと葉っぱを食べて大きくなり、蛹になって蝶になります。そのプロセスを卵の頃からずっと観察してきたのが、当園の子どもたち。過去3回、そうした「蝶の一生」のドラマを見続けてきました。

そして今年もそのドラマが幕を開けたのが、ポカポカ陽気に恵まれた今日でした。どこからやってきた成虫(大人の)アゲハなのでしょう。これは謎なのですが、よくこんなところにみかんの木があることを察知するもんだと感心しますし、そして不思議なことでもあります。

 

旧今川中学校の校庭での他園との交流

2022/04/18

自分でやりたいことができると同時に、みんなでやりたいことも一緒にできるようになること。そんなことを話し合えるようになってきた「すいすい組(年長さん)」という話が、18日のブログで紹介されています。それと同じことを感じたのは、旧今川中学校の校庭で遊んでいる時でした。

今日はここでの遊びを選んだ13人の中に、すいすい組の子は4人いたのですが、年下の子の面倒をみることが当たり前のようにリードしています。移動の時の手つなぎ、コンビカーや三輪車の貸し借り、ボールの受け渡し、そういった、ちょっとした関わりの場面でも、自分のやりたいことをちょっと我慢したり、譲ってあげたり、待ってあげたりという姿が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ、自分でやりたいことの方が優先されて、取り合いになったり、先を争ったりすることも多いのですが、それでも期待されていることに気づき、また相手がどう思っているのかを察している姿を見ると、ちょっと褒めてあげるようにしてみます。するとやっぱり、そうなんです。意識して頑張ってやっていることを、認めてほしいようです。「えらいな、Aちゃん、代わってあげるだね」というと、「うん、だってもうすいすいさんだから」と言われたり、横断歩道を渡っていて、上手に手を挙げている姿が「わあ、さすが、かっこいいね」というと、らんらんのYちゃんも、自分だってやっているよと、「yちゃん(自分の名前)は?」と、みてほしいと促されます(微笑)。

 

 

旧今川中学校でできて、保育園ではできないもの。それは思っきり広いところを走り回ったり、思いっきりボールを蹴ったり、三輪車やコンビかーに乗ったりすることですが、今回は近隣の保育園との交流も行いました。3つの保育園が広い校庭の中で混ざり合い、少しずつですが子ども同士のつながりも生まれています。神田ベアーズの子どもたちが、赤白に分かれてリレーごっこをして遊んでいたのですが、年長のOさんは赤組のメンバーに加わって、輪のバトンを受け取って走り出し、次の子に渡していました。いつまにか、面白そうと思うことに参加して、すぐに友達になってしまう子どもたちです。

もう一つ、ここならではの遊びは、校庭の周りの空き地に草花が咲き、ダンゴムシやワラジムシがたくさんいて、木の実を拾ったり虫を集めたりして遊ぶこともできました。千代田の子以外の子どもたちとの散策や採集も、いつもとは違ったやりとりや関わり、会話が生まれていったことでしょう。

ヒューマン・コンタクト

2022/04/16

ねえ、一緒に帰ろう! ねえ、一緒にやろう! あれ、一緒にしたい! こんな言葉を子どもたちから毎日のように聞きます。この「一緒に〜したい」という心の動きが生まれる子どもたちは、心が健康な証拠です。なぜなら、お友達や親や先生に対して、ねえ、これ一緒に〜しよう、〜したいという気持ちになることは、誰かと共有したい世界があって、それを共有できそうな相手がいるということですから。この、供にいたい、共にありたいという心を持ったことで、人類は人間らしくなったのです。この元々持っている資質を、保育や教育で改めて意識して取り戻さなければならない時代になっているんだということを、今日の講演会を聴きながら、再認識したのでした。

今日の講演会とは、当法人(社会福祉法人省我会)の藤森平司理事長による保護者向け講演会のことです。毎年春に開いているものですが(昨年度は急遽、コロナで中止になりましたが)、今年は家庭からのズーム視聴の方も含めて約30家庭の保護者の方が参加され、過去最高の参加率となりました。今日の話のテーマは「これからの時代に必要な教育・保育とは?」という内容でした。今の時代がどんな時代か、その特徴を整理して、これからの時代に期待されている資質や能力とはどんなことかを復習しました。そして、その力を子どもたちが身につけるために必要な保育が、いま私たちが実践している保育であり、その特徴を改めて解説してもらったーという内容でした。

これからの時代の特徴は、次の3点です。

そして、このスキルを身につけるためには、次の5つがポイントになります。

この5つは、「園のしおり」に載せてありますが、これは、私が副園長時代に藤森先生と「せいがの森保育園」時代に実践の中から構築したものです。時代は移り変わっても、必要なコンセプトは変わっていないことになります。

ただ、時代は変わりました。以前にもまして、少子社会は進み、80年代から危惧されてきた「人間関係の希薄化」による利己的個人主義、引きこもり現象、人間関係力の低下は目に余るものがあります。さらにAIがそうした旧来の力はロボット(アンドロイドやAI)などとって代わられ、人間らしさを再発見しなければならない時代になりました。

そこで、毎日の生活の姿と、この話を結びつけると、「人と対話する能力」「他と協力する能力」「実行機能」は、いずれも子ども同士の関係の中で育つものなので、集団のある保育園生活の質が問われます。そして、このスキルを育てるためには、乳児の持って生まれた力、つまり「人間らしい触れ合い」(ヒューマン・コンタクト)を求める傾向、このことを赤ちゃん学では「ジョイントネス」というのですが、この資質の発露が、園生活では、いろんなところに見えるのです。

その姿の一つが、冒頭の「一緒に〜しよう!」という姿ですし、昨日の「歌のある生活」の話でもあるのです。歌のもつ力は、共鳴力ですから、いいものは通じ合い、感染していくのです。この歌の力が発揮されるのも、人間らしい触れ合いがあるからなのです。

生活の中の「うた」

2022/04/15

水曜日の入園進級を祝う会では、幼児では園歌「かぜとひかりと」を歌いました。園歌は、毎日は歌わず運動会や卒園式などの、節目節目の行事の時に歌います。みなさんは幼稚園や保育園で歌ったはずの「園歌」を覚えていますか? 小学校の校歌はどうですか?中学校や高校なら覚えているという方が多いのですが、幼稚園や保育園の園歌を覚えているという方はあまりいません。きっと毎日は歌わないからということと、幼児の記憶力ということも関係しているのでしょう。でも私も園歌は全く覚えていませんが、同じ歳だった頃の「オバケのQ太郎」や「鉄腕アトム」の主題歌は覚えているので、どうしてなんでしょう?それはともかく・・・

保育園の生活の中で「歌」は欠かせない大事なものです。どんな日も、歌を歌わない日はありません。乳児も幼児も保育園で生活していると、必ず歌に親しんでいくことになります。おうちでも園で歌っている歌を子どもが何か口ずさんでいるな、何を歌っているのかな、と思うことがおありでしょう。毎日お知らせいただいているご家庭の様子の中にも「・・・「先生とお友達」の歌が大変気に入ったようで、寝る時にベットで10回以上歌っていました」という子もいて、それは嬉しい話です。でも寝る前だったということは、ちょっと興奮して寝られなくなったんじゃないかと心配・・・そうじゃないといいんですけどね。

先生とお友達は、毎日、朝のお集まりの時に歌っているものです。それとは反対にお帰りの会の時にも、歌っているものがあります。それ以外に大切にしているのは、日本の四季折々の季節の歌です。この4月だと♪さいた さいた チューリップのはなが・・・の「チューリップ」や♪やねより高い こいのぼり〜の「こいのぼり」など。3月に歌っていた♪あかりをつけましょ ぼんぼりに・・の「おひなさま」を、絵本を見て思い出したのか、口ずさんでいる子もいました。

季節の伝統行事に合わせたこのような歌の他にも、昔と違って今の子ども文化の中には、NHKの「みんなのうた」やアニメやテレビで人気になったものも数多くあります。園ではマスコミではあまり登場しないけれども、乳幼児の保育関係者の中ではいいのものとして受け継がれてきたものも、積極的に取り上げていきます。その代表的なものは、なんと言っても「わらべうた」です。家でも寝る前にやってもらい、安心と満足の中で、気持ちよく眠りに誘ってもらおうと、ぐんぐん組の保護者会では担任が寝る前に毎日歌っている童歌「とうさん かあさん・・」(実は本当の名前がわかりません)を実演してもらいました。さっそく、やっていただいたご家庭もあったようです。初めはハッとした顔をして手を叩いて喜んでいたそうです。

歌を歌うのは、何もいっぱい覚えて欲しいとか、歌が上手になって欲しいだとか、ましてや将来どうなって欲しいとか、そんなつもりは全くなくて、あくまでも歌はメロディ、リズム、ハーモニーの中で生きているものがあって、それを言葉と体と手足を通して、お互いに分かち合いたい、共感し合うためにあります。心を通わせる相手がいて、それが親子だったりお友達だったり先生だったち、その関係の共感の中で感じ取るものを大切にしていきたいと思っています。

ぼくの居場所、わたしの居場所

2022/04/14

保育園や新しい生活に「慣れていく時期」にあたる子どもたちは、遊びや友達や先生との関係の中に、新しい遊びや新しい人間関係をつくっています。それら空間や物や人という環境は、その子どもの内面から感じ取る世界そのものです。一人ひとりにとって、ふさわしい空間、やってみたい遊び、一緒にいたいお友達、そうした違いがそれぞれにあって、それぞれの居心地のいい場所やモノや相手を見つけていきます。

それはまるで、絵本「どろんここぶた」のこぶたが、大好きなどろんこの中に、ずぶずぶと沈んでいくのと同じです。昨日水曜日は、園長の私が絵本を読んであげる時間があったのですが、「何にしようかな?」と探していると、先週読んであげた「どろんここぶた、がいい」という声があがりました。へえ、そうなんだ、と思いながら、3冊読んであげた中に入れました。このお話は、お家の中を掃除機で綺麗に掃除して「ああ、気持ちがいい」と喜んでいる大人のおばさんにしてみると、庭の豚小屋が汚くて見てられず、どろんこもなくし、こぶたくんもお風呂にまで入れて、着飾ってあげてパーティーにまで連れていくのですが、途中から機嫌が悪くなったこぶたは、綺麗な衣装も破り捨てて、家を飛び出し、どろんこを探しに出かけてしまう、というものです。

このお話に、子どもたちが惹きつけられるというのは、とっても示唆的なのですが、自分の居場所を探しているこの時期の子どもたちにとっては、こぶたのとった行動は、自分の気持ちとどこかで通じるものがあるからでしょう。3階の運動ゾーンで読んであげていたら、4月に入園したばかりの子が、いつの間にかちゃっかり私の膝の上に座って、このお話に聞き入っていたので、ずっとそのままにしてあげました。私の膝のも、どろんこだったのですね。

1年間の見通しの中で始まるお祝い

2022/04/13

今年の入園・進級を祝う会は、子どもたちが大好きな栽培活動を盛り込みました。(わらすのブログをご覧ください)

1年間がどんなふうになっていくのか、それは学年やクラスによって変わってくるものですが、またそれを保護者会でお伝えしてきたわけですが、子どもたちにとっても「これからどうなるのかな?」という未来に向かう時間を意識できるようになってくる年齢になると、何かを「楽しみに待つ」ということが生活の励みになっていきます。園庭がない保育園であっても、工夫をすることで、園庭がもたらす機能や役割を見出し、子どもたちに「体験してほしいこと」を用意することはできます。この20年ぐらいの間に、園庭に花壇だけではなく畑のある園が増えてきたと実感します。食育の勧めなどの影響もあるのですが、子どもたちが野菜や花を育てて愛でるという活動は、子どもたちの心の育ちにもいいものをもたらすからでしょう。

どんないいことがあるのかというと、子どもが本来的に持っている「生き物への共感」を発揮する機会になります。私たち人間は、普段の生活の中では意識できないのですが、生きているもの(植物、動物、人間)と生命のないもの(鉱物などの)から受ける情報を区別できる潜在的な力を持っていました。その眠ってしまっている感覚は、小さい子どもの頃は活性化しやすいのです。今年の保育テーマは「風と光と水と・・・」というものですが、これは自然の中の「生命のないもの」の方ですが、不思議なことに、「生きているもの」は、これ無しには生きていくことができないのです。

この生命のないものが、生命のあるものに変化していく、変化させていく「生きる力」の不思議さを、子どもたちは栽培活動の中で感じていきます。きゅうりなどの野菜がが大きくなって、収穫の時期を迎える頃、それを「食べてみる」ことにつながる活動は、生命(いのち)の循環の中に自分達が生きているんだという、持続可能な社会が必要な意味を後で理解するときにも役立つ体験になっていくのです。

そこで今日、私が夕方に読んであげた絵本は、せっかく収穫された野菜たちが冷蔵庫に入れられたまま、腐ってしまいそうな野菜たちが、月夜の深夜、ゾロゾロと家を抜け出し、野菜の集会に集まるというお話「ぞろりぞろりとやさいがね」(偕成社 ひろかわさえこ)です。「ああ、野菜さんたち、こんなになったら、かわいそうだね」というお話です。野菜や花の種を蒔いたその日に読んであげたので、ちょうど、いいタイミングでした。絵本の中で「くさる」という言葉が出てきたのですが、年長の男の子から「くさるって、なに?」と聞かれたので、そうか、今時の生活には何かが「くさる」という体験がないのかもしれない、と気付かされたのでした。

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