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園長の日記

成長展の動画を見る前に見てほしい「ハムリンの実験」動画

2022/02/24

ロシアがウクライナに侵攻したニュースを見た後で、子どもたちの姿を思い浮かべると、大人が子どもたちよりも成長しているとは、とても思えません。大人は愚かなことを開き直ってやりますが、子どもは賢明なことを慎重にやっています。赤ちゃんは他者が喜ぶことを喜べる共感力をもって生まれてきます。誰に教えてもらうわけでもなく、生まれながらにして、他者を助けることを好むことが明らかになっているのですが、その事例としてよく引き合いに出される有名な実験が、動画で公開されているので見てみてください。ここには、坂道を登ろうする赤丸くんを、手伝うように見える青色の四角くんと、邪魔をするように見える黄色の三角くんが登場するのですが、それを見た赤ちゃんは、助けようとしている青色の四角くんを圧倒的に支持します。このような「利他性」をもって生まれてくるのがヒトの赤ちゃんです。このような素晴らしい倫理性を持っていると思って、園の子どもたちの動画(明日25日午後2時に公開)を見てもらえると、面白さが倍増することでしょう。

 

成長展でお伝えしたい子どもの育ちとは?

2022/02/23

(動画はIDパスワードが必要な「お知らせ」からどうぞ。2月26日から)

子どもの育ちを伝えたい。そういう趣旨の「成長展」が今週末の26日(土)に開かれます。日本の保育園や幼稚園は、子どもの育ちを5つの視点で捉えることになっています。それは、健康、人間関係、環境、言葉、表現の5領域というものです。この話をすると、何か専門的な感じがして難しく思う方がいらっしゃるかもしれませんが、こう考えると、わかりやすいかもしれません。

私たちは人間です。人間とは?と解説したものはたくさんありますが、そこで共通なのは、ヒトは社会的存在だということです。お母さんのお腹の中にいた時から、母子の間でコミュニケーションをとっていて、そのやり取りは心理的にも身体的にも、重要なやりとりをしながら、初声をあげます。人間は人間に育てられないと育たない存在だということです。

ヒトは動物と共通なものを持っています。確かに動物にも家族があり社会があり集団を持っていますが、人間の社会の場合は、その「関係」の質が育ちそのものに大きな影響を与えるような関係だということが、動物とは異なります。アリストテレスの「人間は社会的(ポリス的)動物である」という有名な言葉がありますが、それです。

その集団の在り方が、子どもの成長にとってはとても大切だということは、言い方を変えると、人間関係が育ちに大きな影響をもつ、ということになります。そこで、今年の成長展は人間関係をテーマにしました。つまりコミュニケーションです。この人との間に心を通わせる、気持ちをやりとりする、その様子から育ちの姿を動画でご覧ください。

この人間関係の発達がどんな状況で行われるのか、と考えるために「環境」を捉えることが保育になります。この環境には大きく分けると自然環境と人工的環境があるのですが、人工的環境というのは、人間が作り出す物やことは全てこの環境のことです。ですから言葉も表現もここに含まれるのです。教育の5領域というのは、健康に人間関係が育つことなのですが、それを捉えるのは環境との関係で考えましょう、ということです。そして環境の中でも、人間だけが獲得した表象としての言葉と、言葉以外でも表すことができる表現に注目しましょう、ということになっているのです。

人間の心身の育ちは、健康であることは必須条件のようなものであり、人との関わりの中で育つ社会的存在ですから、子ども同士の中で使われる関わる力、言葉の力、表現の力を見ていくことにしましょう。関わる力は動画でじっくりご覧ください。そして言葉はシルエットを使った物語の想像力を通して、そしてぬりえ、自由画、人物画でどのように変化してきたかを感じとってみてください。

朝が1日のゴールデンタイム

2022/02/22

1日を一年に例えるなら朝は春。陽が昇って明るさを増していく時間。この時、目覚めた心とからだはもっとも新鮮な状態で世界と関わり始めます。今年度の睡眠講座は17回目を迎え、これに参加された方から、「とても参考になりました」という感想をたくさんいただきました。早速実践してみて、その手応えを感じたという親御さんの感想をお聞きすると、とても嬉しくなります。新しく入園された家族との共同保育が、生活リズムを整えていくことから始まっています。

睡眠講座に参加していると、毎回、感じることがあります。それは人生というものが、私たちがまだ知らない大きな営みの一部でしかないのだろうという予感です。それは自然との調和を示唆している感覚に近いものです。こうした方がいいよ、という直感ににて、どうして?と言われると医学的な科学的根拠を求められてしまうことが多いかもしれませんが、私はとらわれない意識で静かにその事実を感じ取ることができれば、人間も自然の中で生まれ育っていくものだということを素直に受け入れることができます。

例えば、誰にでも公平に与えられている24時間という時間でも、その営み方はいろいろです。その過ごし方にはより良いものあるのですが、より良いものになっていく基準は、私たちの心も体も、実は大いなる自然の営みとシンクロしているということから導かれます。知らず知らずのうちに、人が生み出した楽しく便利なものを享受しているうちに、どうも自然との調和から、ずれてしまうことが多くなってしまった気がします。

野菜を育てたり、椎茸の生長を観察したり、お月様の満ち欠けを眺めたり、雪が降り氷を触ったり、そして毎朝、起きてカーテンを開けるとき、地球や季節の中にいる私たちに気づきます。午前中に体を動かすと、1日が順調に始まる気がします。明日は休日ですが、青木さんが一緒にダンスを楽しむ時間を作ってくださいました。毎日の午前中の時間をゴールテンタイムに変えていきましょう。

 

すこし、白酒召されたか

2022/02/21

子どもたちは身近にある文字や数や記号に興味を持ち出すと、自分の世界に取り入れて、読んだり、数えたり、場合によっては書いたり、計算したりするようになります。絵本の読み聞かせの福田さんから手作りの「まり」を頂いたので、ひな壇に飾ったのですが、集まってきた子どもたちは「うれしいひなまつり」の歌を、もう覚えていて、合唱が始まりました。

でも途中で3番や4番の歌詞がわからなくなって、キンノビョウブニウツルヒヲ〜あたりからモニョモニョ〜スガタ〜みたいになっていたので、早速、模造紙を出して、マジックで歌詞を書いてあげました。

お世話大好きの年長のお姉様方が、ワンフレーズずつ歌い、それを私が文字にしていきます。ぜんぶひらがなで書いて見せたのですが、これは意識して行った保育です。手本を見せる。ひらがなが、このように生活に役立つものだ、という見本であり、文字の形の見本であり、書き順の見本であり、きっと私が意識していないことも、何かしら真似したいと思うような何かのモデルになったことでしょう。

歌のようにメロディやリズムに乗せて覚えてしまう歌詞は、意味がわからなくて覚えてしまいます。♪およめにいらしたねえさまに よくにたかんじょのしろいかお 官女という意味は知らないはずですが、気にせずに歌っています。♪〜す〜こし しろざけ めされたか のところは、知らない言葉だったようで、「め・さ・れ・た・か」と一字ずつ、確かめていました。

お酒を飲んだということはわかっているのですが、「召す」で来る、着る、食べる、飲むなどの意味で使われるのですが、それに「〜れる」のついた敬語(尊敬語)だということは、小学校5年生まで待つ必要があるのですが、耳に馴染んでおくといいですよね。しかもその疑問形。「少し白酒をお飲みになったのでしょうか、ほっと赤いお顔になられた右大臣様です」

ちなみに、右大臣はこちらからみて左手です。この右左に「どうして?」と聞いてくる子はまだいません。これは、STEM保育のM(数学)の面対象(幾何学)の話になるのですが、誰か「あれ?」と気づかないかなあと、待ち遠しいですが。もしかすると、積み木博士たちなら、その違いはとっくに理解している可能性はありますが。

入園説明会(第1回)2月19日

2022/02/19

今年の入園説明会は、保育園に集まらずにリモートで参加していただきました。園のしおりを中心に説明しました。開園して4年目を迎えますが、保護者の皆さんとの情報のやりとりの仕方を、できるだけ分かりやすく、簡便なものにしたいと考えています。この数年の間に、とくにコロナ禍がリモート環境を促進したこともあって、リモートでの実施が自然なものになってきたと感じます。緊急連絡網の代わりに導入した通信アプリの方が、連絡もやりやすくなりました。紙での配布資料を減らして、園だよりはお知らせなども、サイトで確認できるようにした方が皆さんにとっても便利そうです。徐々に替えていくつもりですので、その都度、お知らせします。

4月に入園される方は12名募集して10名が決まり、2次募集も終わり選考中です。今回の入園説明で配布した資料は、ホームページの「お知らせ」や「各種申請書類」(いずれもパスワード必要)にアップしました。園のしおり、ほけんのしおり、たのしい離乳食・食事、そのほかの書類も、ダウンロードできますのでご利用ください。このような案内もまた、通信アプリに一本化していく予定です。

乳幼児に見られる科学的態度とは?

2022/02/18

<生活経験の中で身につけていく知識だけでは、真実の世界を捉えることができない。真実の世界を捉えるためには科学的な見方が必要である>ーー。こんな趣旨のことを、どこかでヴィゴツキーが書いていたと思うのですが、生活の中で獲得する知識を生活概念だとすると、それだけでは本当のところに届かないだろうから、体験の工夫をしてあげたい、そう考えて環境を再構成することを「乳幼児STEM保育」と呼びます。

生活概念というのは「太陽は東から登って西に沈む」という知識です。一方、科学概念は「地球が自転しているので太陽が動いて見える」ということが真実の世界、という意味です。子どもにこの知識が理解できるかどうかが問題ではなく、そういう正しい知識に向かう科学的な学びの力をどう育てるか、ということが保育の課題になっているということです。

今日はそんなテーマの話し合いを、Z00Mを使って11の保育園の園長先生たちと持ちました。例えば寒い日の朝、ある子どもが氷が張っていたのを見つけたのですが、その氷を触っていたら溶けて無くなったことに興味を持ったり、また氷が欲しくて一人ずつの紙コップに水を入れて置いてみたけれど、なかなか凍らない日が続いたものの、ある日、ある場所は凍り、他のは凍らなかったので「どうして?」となった、という事例が報告されました。この一連の活動の中で見られる「思考」と「行為」が科学的な姿勢と言っていいものです。

ある物理現象に気づき、そのものを触ったりして、溶けるという性質に気づき、寒い日には水が凍るらしいという仮説を立てて、試してみる・・・このような「気づき、感じる、試してみる」という思考と行為が生まれているプロセスがとてもいいのです。当園でも同じようなことを最近やっていましたね。他にも積み木ゾーンでは、ビー玉の転がり方を観察して「じゃあ、こうしてみたらどうなるだろう」と試しながら、長く転がる大掛かりな作品がよくできています。

ここには、物質の世界を支配している物理法則が働いているのですが、その一端を遊びの中で体験ししていることになります。

このような現象は物の世界に限らず、生き物を相手にする世界でもあります。興味ある現象に気づき、じゃあ、こうしてみたらどうなるんだろう?と試してみる・・そんな心の動き方をするような接し方です。ダンゴムシは触ると丸くなります。でもじっと待っているとまた動き出します。転がしたらどうなるだろう、水につけたらどうなるだろう?大人だと思いもしないことをやっています。アリの巣を観察していた時も、えさの種類を変えてみるとか、埋まってしまった巣の道も翌朝にはまたトンネルができていたことに気づき、また揺らして穴を埋めてみようとする子もいました。

自然を相手にする科学は自然科学ですが、その性質や仕組みを応用した科学技術が、現代社会の隅々に生かされています。人間は自然の一部でありながら、人間だけが感覚で得た表象を意味ある概念を作り上げて、技術や工学に活かしていきます。それを組み立てるときに、抽象科学である数学や論理学を用います。私たちの生活は隅々までSTEMに取り囲まれていると言ってもよく、これを子どもの発達段階にあった体験にするにはどうしたらいいのかを考えるのも楽しいものです。

大人が科学概念を言葉で説明して理解させるのではありません。大切なのは、子ども自身が何かに気づき、どうして?とか不思議だな?と興味を持って、試したり、考えてみたりする自発的な活動になることです.

この思考と行為の中に見られるのは、ある対象に興味を持ち、たとえば時計の音がすることに感覚(聴覚)を通して「気づき」、それが音がするのなら、こっちの時計は?と「試してみる」という思考が確実にある、ということです。下の写真は、息を吹きかけて回るモノですが、こうしたらどうなるのかな?と言う問いかけが、試してみるという行為には含まれています。

この一連の感じ、気づき、試し、確かめる、考える・・・この過程は科学する心の態度(アティチュード)を育てていることになるのです。

いかにも科学的な対象やそれらしい器具などを用いないと科学ではない、ということではありません。生活経験の中にある科学的思考や行為とはどんな物なのかを、私たち大人が学んでいくことが大事なことなのです。

子どもと飾った雛人形

2022/02/17

このようなものに強い興味を示すのは女子なんだなあと、実感しました。昨今、社会的通念としての「男らしさ」「女らしさ」などと考えること自体がジェンダーとしておかしいという議論があるのですが、お人形に「かわいい」と言って離れない女子たちを見ていると、それはそれで事実として好みに傾向があるものだと感じます。お雛様を飾ったのです。保育園は狭いので玄関に飾るスペースがないため、屋上へ登る階段を使っています。これで3回目になります。

人形を恭しく箱から取り出し、人形を覆った柔ない和紙を覗くところから子どもたちに見てもらいます。人形の白い顔がお目見えすると、おお〜といった、何も言えない高揚感があたりに流れます。お人形のお顔は直に触らないように、お内裏さま帽子を被らせたり、お雛様に扇子も持たせたり、三人官女にお神酒を提げさせたり、五人囃子に笛や鼓を持たせたり、しながら、人形の説明をしてあげました。BGMには「たのしいひなまつり」をかけて、♪明かりをつけましょ、ぼんぼりに〜と、歌詞に沿って、説明していくと「もう一回」「もう一回」と何度も何度も歌っていました。

雛人形は、こうやって子どもと一緒にうやうやしく飾ることで、ものが大事ということを超えて、そこに何か込められているものがあるんだということが、子どもたちに伝わっていくのではないかと思います。言葉では言い表せない大事なことが、ちゃんと体験できていくこと。そんなことが大事な気がします。

勝ち負けよりも大事なもの

2022/02/16

勝ったり負けたりする勝敗のある事柄を人間は古来から好きなようで、それに人生をかけたり、職業にしたりすることができるようになった時代は、ある意味で恵まれていると言っていいのでしょう。ギリシャ時代からプロがいたそうですが、将棋にしてもスポーツにしても、その勝敗のレベルがどんどん高度になっていくにつれて、そのレベルに到達できる人たちは、本人の才能や努力が大いに影響するにしても、幼少期のうちからそれに没頭できるだけの恵まれた「何か」が左右するようです。子どもの頃に没頭して打ち込んだことが、将来の経済的自立に結びつくかどうかは、あまり考えても仕方がないことで、そういうことに左右されない生き方の真ん中を探りたいと思いながら、冬季オリンピックを見ています。

趣味ではなく、それが仕事になったりプロになったりできるのは、それを観て対価を払う人たちがいるからで、その分野が商業として成立する必要があります。それはマスコミが大きな影響力を持ちます。例えば日本で野球がこれだけ国民的スポーツになったのは、読売テレビが巨人戦を毎日放送してしたからですが、最近ではサッカーやバスケット、卓球など、リーグが成立しています。観たり応援したりする人が増えると、そのスポーツがメジャーになっていきます。それにはマスコミやSNSの視聴率とスポンサーがタッグを組む必要があります。その結果、多くの人が見て、それがカッコよかったり、素晴らしかったりして、やってみたい!という青少年が憧れるようになります。

冬のスポーツは雪や氷の上で行うので、滑ったり、躓いたり、溝に挟まったりと、予想外のアクシデントも起きて、力量だけではなくて運も左右することが、今回よくわかりました。その時、日本的美徳かどうかはわかりませんが、人によって競技への挑み方や勝ち方、負け方に差があって、負け方が潔かったり、悔いのない言葉を聞いたりすると、その心の姿勢に感動したりします。勝ち負けを超えたところにある競技への臨み方に魅力を感じます。その競技に向かい合ってきた姿勢のようなものですが、人間性がそこに現れてきます。その日本的情緒の質について、私たちが直感的に良し悪しを感じるのはどうしてなのでしょう。そんなところにアスリートの潔さや美しさを感じてしまいます。

 

当たり前かもしれないけど・・・

2022/02/15

今日は実習生との最後の振り返りの会があったのですが、二人の実習生が語る保育をめぐる出来事は、本人とって意味があるので、その意味を理解したくて、じっと耳を傾けて聞いてみました。そして、大事なことに気づきました。それは二人が印象に残ったこととして取り上げた事例は、私たちだときっともう、話題にしないようになってしまっていることだったからです。私たちは、当たり前のこととなっていることが、実習生には新鮮なことに見える。これは案外、私たちが心しておかなければならない意味があるような気がしたのです。当たり前になってしまっていいことと悪いことがあるかもしれないという話です。

私たちは生活のなかで、いろいろなことをやっています。そこで見聞きしたことを人に話すとしたら、その話の内容は相手によって違うし、そこにいる人たちによっても異なります。何を語るかは、その人間関係の模様が違えば、話題も変わって当然です。実習の反省会ですから、保育のことを語り合い、何某かの意味ある気づきを持ち寄りたいわけですが、いつもと同じメンバーで子どもの姿を語ると、大抵は同じ角度、切り口になりがちです。そこで実習生から見えた子どもの姿や事例への気づきが、私たちに新しい気づきをもたらすこともあります。あるいは、語られずに終わっていた先生の思いや意図が、初めて明らかにされるということもあります。

実習生が子どもに楽譜を用意したことについて「それが保育なんですよ」と語る先生の、その心は?という話が聞けたのも、園長としてはとても嬉しくなりました。また旧今川中校庭で遊んだ日、そこの三輪車で遊んで片付ける時に、年長の二人が率先して動いた姿が、実習生にはとても印象的だったそうです。実習生曰く「教育的にさせたというのではなくて、自分たちでやるように援助した」といった言い方をしていました。その事例について、担任の先生は、年長さんに人的なモデルになってもらうことが意図されていたことなど、幾つもの視点やねらいが隠されていることが説明されました。

そうなんです。保育というのは、ある「ねらい」があって、そのためにこうやったら、こうなった、みたいに単純な話ではなくて、輻輳した線や網目で織り込まれているようなものなので、指導検査などで「ねらいを書いて、それが達成できたかどうか振り返って、ちゃんとPDCAを回して」という趣旨のことをいう方が時々いるのですが、保育所保育指針はそんなことを言っていないのに、自治体レベルでは曲解されてしまっています。これでは日本の心情や情緒を大切にしてきた保育の伝統が薄っぺらいものになってしまいます。当たり前と思ってやっていると、正しいけど浅はかなことになってしまっていないか、そこへの危惧も大事なんだろうと思うのでした。

早く終わってほしいコロナ禍

2022/02/14

「コロナ禍で休園になって、働けない保護者の方が困っているニュースに接すると、それと同じように、子ども集団での経験が失われていることへの危惧も、併せて報道してもらいたい」。藤森統括園長は今日のGT会議で、この間コロナ禍で失われた保育園の教育的機能を取り戻そう、と強調しました。子どもは集団の中でこそ、その子どもらしさを発揮します。子どもの本分は集団の中にあります。そのことを思うと、早くコロナ禍を終わらせなければ、と思います。幸い、東京都の感染のピークは越えたようです。もちろん、油断大敵、感染対策に緩みは禁物です。

4月で年度が切り替わる日本では、子どもの月齢の合計は3月末が最も大きくなります。子どもたちは4月が最も若く、3月が最も成長していることになります。それは数字の話ですが、子どもたちの暮らしていると、この時期の成長は目を見張るものがあって、大きな成長を実感します。

今日、2月26日に開く成長展でお配りする「子どもたちの育ち」(担任によるクラス別の集団の育ちを記述してもの)を読んでいて、改めてそれを感じたからです。誰にでも公平に与えられた時間であっても、子どもの頃の1年、1ヶ月、1週間というのは、とても貴重な時間に思えます。登園を控えてもらうお願いをしなければならない状況を、本当に早く終わらせたいものです。

 

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