10月の日曜開放は13日です
2024/09/20
2024/09/20
2024/09/19
今日は千代田区の民生児童委員の3名の方々がいらして園児との交流しました。6月、7月に続き今回で3回目です。来園していただくのは、保育園が託児施設ではなく幼児の教育施設でもあることを実感してもらうことです。3歳児以上は幼稚園と同じ教育施設であるということを知ってもらいたいということがあります。そのために、文部科学省が作ったYouTobe動画「遊びは学び 学びは遊び “やってみたいが学びの芽” 」という動画を見ていただきました。
サブタイトルは、「やってみたい」から始まる学びの芽(知識・技能や思考力等の基礎、学びに向かう力)の育成」です。みなさんもぜひ一度ごらんください。当園と似た環境の保育室が出てきて、子どもたちがいろんな探究をして遊んでいる様子を見ることができます。
2024/09/18
午前中はダンサーの芝田いづみさんと宮崎知佳さんがいらして、ちっち・ぐんぐんからわらすまで、順番にダンスを楽しみました。前回からさらに進展してきたダンス。何が「進展」してきているかというと、その場の子どもの状況に応じて内容が流動的に変化してく感じになってきました。
グーパー体操、トンネル、マネキンとデザイナー、やさしくタッチなどが「もっとこういうのを試してみたい」という感覚を広げてあげいく感じです。そこで偶然に瞬間に生まれる動きの面白さや素敵さに気を止めて、「そこそこ!」「いまの!」という気づきを味わっていく感じです。
身体が先にそれに気づき、心は跡付けていることがわかる、とでも言っていいのでしょうか。あるいは心も体も一緒に動いていることが実感できるということです。
<ちっち・ぐんぐん>
赤ちゃんたちとはダンスというより、手遊び歌で楽しく体を動かす、「お母さんと一緒」ならぬ「先生と一緒」という空気感で楽しみました。お馴染みの「からだだんだん」や「バスに乗ってゆられてる」が流れると、もうその気になって気持ちが動き出します。そこに、いづみさん・ちかさんも一緒に加わって、子どもの「あれやりたい」「これやりたい」を上手に拾っていただきながら、運動遊びが繋がっていきました。
【ダンスでは、音楽が流れると、楽しくて思わず体が動き出す子どもたち。馴染みのある触れ合い遊びやダンスでは、自らぴょんぴょん飛び跳ねてみたり、決めポーズを決めてみたり…触れ合いながらたっぷりと体を動かしまた。】(日誌)
【「ブーブー」というしょうたくんのリクエストに合わせて、バスに乗って♪ や、大型バスに乗ってます♪ はたらくくるまなどたくさんの曲でダンスや触れ合い遊びをたのしみました。 怪獣になってみたり、ちょうちょを探したり、お歌に合わせて体をたくさん動かして表現を楽しむすがたがたくさんみられました^^】(日誌)
<にこにこ>
輪になって座り、グーパー体操は足でやってみる。そこから「寝転がってもできるよ」と寝て足を広げたり窄めたり。そこから、こんどは腹ばいになって、手足を挙げると、お腹を支点にしてくるくる回ります。まるでスカイダイビングのような格好です。頬杖をついた格好でもグーとバーをやってみます。するとちょっと茶目で可愛いポーズにも。
【心から溢れ出てくる表現が盛んに繰り広げられた楽しい時間を過ごすことができました。写真からは伝わりづらい部分もあると思いますが、それぞれの参加の仕方でダンスを楽しんでいました。見ることも大切な表現、身体が動き出しやすい環境の影響もあるので、それぞれの子ども達が心から動き出す、歯車を自分で動かしていく、そんな機会をこれからも大切にしていきたいと考えています。】(日誌)
<わいわい>
トンネルを潜っていると、それが電車のレールに見立てられたのか、自分から寝転がってレールのように繋がっていくと、そこを足で跨いだトンネルが電車になって動いていきます。名前のない見立っぽい遊び。横なっているのが「線」のイメージなのか、その先に横たわって延長させたり、途切れているところを繋ごうとします。それが自然と輪になっていきました。
大人の「もっと大きくできる?」という声にそれを理解した子が広がろうとします。ごろごろしたり、うつ伏せで動く膝下の足を左右に動かしてみたり、床と寝そべった身体が転がったり、すべったりする接触感を感じつつ、自分からは周りの世界がいろいろ動いて面白いのでしょう。
【今日はAくんが2階に置いてあった楽器を見つけた所から、楽器を使いながら表現あそびをしました。Yちゃんはあまり参加せず、見ていることも多かったのですが、大人のマネキンを動すこと(デザイナー)は楽しんでやっていました。全体的にマネキンダンスが好きな子が多く、Aくん・Aくん・Hくんもマネキンやデザイナーに楽しんで取り組んでいました。】(日誌)
<らん・すい>
今回はじめてやってみたのは、床にマスキングテープで子どもたちが自由に線を貼り、できた線の模様の上を、いろんな姿勢で移動してみるというもの。線から外れないように、だいたいのところを歩いたり、細いところは爪先立ちになったり、ちょっと遠いおころは跨いだり、さらに遠くは跳んだり。あるいは足だけではなくて手もついて、足と一緒に移動させたり、あるいはカエルのように両足でピョーンと跳ねていたり。線と線が離れて遠いときは、そこを転がってみたりしました。
そのほか、マネキンもテンカウントで時間で区切らず、好きな形になるまで自由に動かしてみたり。野球のバッターのポーズができあがったりと、動かすデザイナーよりも動かされるマネキンとの共同作品になっていきました。
わらべ歌ダンス「お鬼さん何するの?」は、前回に続き、真似をするだけでありましたが、ダンサーの繰り出す、いろんな即興の形に、子どもたちは引き込まれていきました。体の動きには本当に無限であって、それぞれがいろいろな感情を引き出す体験ができました。
2024/09/18
千代田区は子どもたちの読書を盛んにするための推進計画を見直しています。その計画づくりに参加しているのですが、すでにやってきたものをどのようにしたら、さらに良くすることができるか、そのアイデアを考えています。実態調査の結果をみると、幼少期に好きだった絵本が小学生低学年までは本好きとしてつながっているのですが、高学年、中学生、高校生となるにつれて、本を月に1冊も読んでいない子が増えていきます。
どんな時間に本を読んでいるのか、学校から帰ってきてからどういうふうに生活しているのかを調べた結果を見ると、本以外のメディアに接している時間が多いこと、だんだんと勉強や塾に通う時間、部活動などが増えていることなどがはっきりしています。昔とちがってインターネット経由で手に入る情報も増え、さらにスマホなどでSNSに触れる時間も多くなり、本を楽しむということが相対的に低下していることは明らかです。
その傾向は大人も同じでしょう。多様なメディアや情報ソースがあるなかで、本というものの魅力をどのように再定義して位置づけ直していくべきなのか、大きな課題が残されていると思います。この会議に参加してみて、文字を読む、文字を書くというアナログな行為のもつ役割や意味をもう一度しっかり考え直してみる必要がある気がしてなりませんでした。現代にふさわしいリテラシーとはどういうことになっていくのか、生成IAが当たり前になっていく時代にあって、言葉の「聞く話す」から「読み書き」に発達していく子どもの成長プロセスからも見直してみる必要があります。
2024/09/17
ふだん日常的につかっている言葉や概念について、ちょっと待てよ、ほんとうはどうなのよ?と考え出すと、面白いけれども同時につながりが広く深いため、考えても太刀打ちできず、ちゃんと理解したいと思っても無理だろうなと諦めるのですが、それでも気になってしょうがないというジレンマに似た想いを抱くことがあります。
「世界のほうは、本当はこうなっているのかもしれない。これが正しいと思ってきた世界の方が、実は記号や表象に欺かれ、だから、本当の事実を救いきれていない、描ききれてはいない」といった感覚です。ふだんの常識的な感覚とは、なにか次元が違うというか、ある意味でそこは割り切って生活していかないといけないので、モヤモヤした気持ちになります。
とくに概念としての意識や精神や時間や空間がからんでくると、そもそも、のことなので考えたくなるんです。あまり保育とは関係がないかもしれないのですが、ただ自然であり生命である私たち人間のふるまいである保育や教育のことですから、どうしても心とか姿とか能力とかを、どう理解していくのかということと大いに関係する気がするのです。保育の言葉も、本当は抜き差しならない議論を経なければならないはずものもなのでしょう。
そういう意味でも保育は重層的でむずかしい「はず」です。はず、というのは、保育の通常の難しさとはまた異なった次元のことで、私がまだよく理解しきれていないからです。つまり日常の意識ではとらえきれない、生命の働きが子どもにも大人にも影響をあたえていて、それはなかなか捉え難いものだろうからです。しかも大人のことではなくて乳幼児のこと。さらに年齢での変化も著しい。個人差もあるし、動的な関係の中でも捉える必要がある、というように非常に込み入った繊細な議論が必要な仕事だと感じます。
2024/09/16
敬老の日はできた頃の時代と現代を比べると、創設したころの祝日の趣旨が変わってきているのではないだろうか。寿命も伸び高齢者の割合が多くなり、若い人が高齢者を敬うということが変質していないだろうか。敬老の日の意義を見直すとしたら、どう見直したらいいだろうか。私自身がその仲間にはいっているので、敬老の日にこんなことを考えました。いかにChatGPTに聞いてみたら、次のような提案が返ってきました。なるほど、と思うので紹介します。
・・・・・・・・
敬老の日の意義について考えると、確かに時代とともにその趣旨や価値観が変わってきていると言えます。敬老の日が1947年に「としよりの日」として兵庫県で始まった当初は、高齢者を敬い、感謝し、彼らの知恵や経験を尊重するという明確な意義がありました。当時は寿命が今より短く、高齢者の存在が貴重であり、特に農村地域では年長者が社会の中で重要な役割を果たしていました。
しかし、現代では平均寿命が大幅に延び、社会全体における高齢者の割合が増えたことで、状況が大きく変わっています。高齢者は今や長寿を楽しみつつ、健康で活動的な生活を送ることが一般的になっており、社会における高齢者の位置づけも複雑になっています。また、世代間の交流や価値観の違いも顕著になり、単に「敬う」だけではなく、相互の理解や協力が求められる時代になっています。
敬老の日の意義を見直すとしたら、以下のようなポイントが考えられます。
従来の「若者が高齢者を敬う」という一方向的な関係から、世代間の対話と相互の尊重を促進する日としての意義にシフトすることが重要です。高齢者は若者に知恵や経験を伝える一方で、若者も新しい技術や考え方を共有することで、世代間の交流がより豊かになる機会とすることができます。
高齢者が必ずしも「弱い存在」であるという固定観念を見直し、アクティブに社会に参加し続ける高齢者の姿を讃えることが求められます。高齢者は社会に貢献し続ける力を持っており、その活力を祝う日としての意義を持たせることができます。
長寿化によって、引退後も長い人生が続くことが一般的になっています。そのため、敬老の日は高齢者がどのように社会に関わり、どのような生きがいを見つけるべきかを考える機会として活用することができます。例えば、ボランティア活動やコミュニティへの貢献、家族の中での役割について考え直す場にすることも有意義でしょう。
敬老の日を通じて、若い世代に「長寿」と「高齢者の役割」について学ぶ機会を提供することも有効です。長寿社会における課題や、世代間の協力がいかに社会全体に影響を与えるかについて考えるきっかけとなるイベントやワークショップなどを実施することが考えられます。
高齢者が活躍する一方で、介護や支援が必要な高齢者も多く存在します。敬老の日を機に、社会全体で高齢者のケアについての理解を深め、福祉の充実や支援体制の強化を考える日とすることも重要です。
これらの視点を踏まえ、敬老の日を単なる「高齢者を敬う日」ではなく、世代間の関係性や長寿社会における新たな課題に焦点を当てた日として再定義することが、現代における意義の見直しになるでしょう。
2024/09/14
八王子時代から交流の続く長野市のS保育園から12人の先生たちが見学にいらっしゃいました。保育の考え方の基本は同じ保育園なのですが、具体的な物や人の環境は異なるので、その違いから生まれてくる保育について語りあいました。
2024/09/13
2階から3階にかけての階段の壁に掲示されている作品をご覧になった方が多いと思います。13日に行った「絵の具遊び」。野菜スタンプ、どんぐりを転がす、自由に描くの3種類。久しぶりに出かけた木場公園で拾ってきたどんぐりを使った絵の具遊びは、ちょっと新鮮だったようです。
暑いので、屋上でまだ水遊びをしていますが、公園に行けばもう既に大量のどんぐりが落ちています。それの絵の具をつけて画用紙の上に転がしていくと、予想できない線の模様ができていきます。
転がしだすと、色がつき、止まったりぶつかったり、まっすぐには転がらない、ギザギザの波打つ線が重なり合って、段々と線が増えていく。線と線が重なったところは、色が変わることにも気づき、色彩や模様の変化が面白いようです。
しばらくやってみると、どんぐりが、どんなふうに転がっていくかの見当がつき始めると、そっちの方にも転がしてみようと傾け方を変えたり、色をつけ直して、やり直してみたり、できていく形や、色彩の美しさを味わっているように見えます。
「どんぐりの動きに注目したり、色の混ざり方を楽しんだり、子供たちは目をキラキラさせて夢中になってやっていました。またやりたいと言う声も上がったので、また機会を作りたいと思います」(担任)
2024/09/12
明日で実習生も最後になります。今日は朝のお集まりの時に、実習生が用意したスケッチブックシアター本楽しみました。
先週から幼児クラスで過ごし、子供たちがキャラクターやガチャが好きなことを気づいてそれにしたそうです。ペープサートで自己紹介カードも作って、6文字の名前のひらがなの裏に、そのひらがなで始まる野菜が描いてあります。
その野菜も「味の探究」で食べた野菜の「なす」に急遽変更したりするなど、子供たちの興味や関心につなげて、発展させた遊具にしているあたりが素晴らしい。スケッチブックシアターが人気で、終わると自分でも作ってみたいと言う子どたちが集まって来るほどでした。そして、実際にそのあと、ブックシアター作りが始まったのでした。
2024/09/12
赤ちゃんの室内遊びが楽しそうです。その姿からどんな意味を見出すといいでしょうか?
9月11日のドキュメンテーションで担任は次のように振り返っていますね。
「体を動かすことが大好きなちっちさん。凸凹道を作るとアクティブに歩いたりハイハイしたりする姿がありました。段差の上り下りを楽しむだけでなく、なんとなく落ちないように歩いているのかなぁという印象も持ちました。いつもとは違う高台では慎重に登ってみたりトンネルくぐりをしてみたりと、普段とはまた違う姿がありました。高いところからの景色やトンネルを抜けたときに見える景色が面白いようでした^^」
この保育事例から、どんな意味があるのか考えてみましょう。chatGPTに聞いてみました。
1.運動機能の発達
まず、凸凹道や段差のある環境で赤ちゃんがアクティブに歩いたり、はいはいする姿は「運動機能の発達」を示しています。赤ちゃんは、体を動かすことで筋肉やバランス感覚を鍛え、動きの精度を高めていきます。段差を上り下りする際に注意深く歩く様子は、単に運動能力の向上だけでなく、「自己調整能力」や「身体の自己認識」が発達していることを示しています。
2. 空間認識と探索行動
段差やトンネルをくぐるときに慎重に動いたり、景色に興味を示す行動は「空間認識能力」や「探索行動」が育っている証拠です。段差を避ける行動やトンネルをくぐることで、子どもは自分の体と環境との相互作用を学んでおり、これが未来の「問題解決能力」や「論理的思考」の発達につながります。特に、段差の上り下りやトンネルを抜けたときに見える景色を楽しむ様子は、子どもが自分の行動の結果を予測し、それを楽しむ知的な成長を感じさせます。
3. 感覚の刺激と環境への適応
この事例では、赤ちゃんがいつもとは異なる高台で慎重に登ったり、トンネルをくぐるなど「新しい環境への適応」が見られます。これは、赤ちゃんが新しい感覚刺激を楽しみつつ、「未知の環境に挑戦する意欲」を示しています。保育者は、こうした行動を観察し、子どもが安全に新しい挑戦を行えるようサポートすることが重要です。新しい感覚を体験することは「感覚統合」の発達にも寄与します。
4. 慎重さとリスク管理
「なんとなく落ちないように歩いている」という観察は、赤ちゃんが自分の行動に対して「慎重さ」を持ち始めていることを示唆します。これにより、子どもはリスクを管理し、より安全に行動する力を育んでいることがわかります。保育者はこの慎重さを尊重しつつ、「自律的なリスク管理」を促進するために適切な挑戦を提供することが求められます。
5. 知的好奇心と自己効力感
トンネルくぐりや高台からの景色に興味を持つ姿は、子どもが「知的好奇心」を満たしている過程です。新しい景色や視点の変化に対して楽しみを感じることで、子どもは自分の行動が新たな経験や学びにつながることを理解し「自己効力感」が育まれます。保育者はこうした興味を活かし、子どもの探索意欲をさらに引き出す活動を提供することができます。
まとめ
この保育事例は、赤ちゃんの運動機能、空間認識、感覚的な刺激への反応、そしてリスク管理や知的好奇心の発達を示しており、保育者としては、こうした行動を「見守りつつ、適切なサポート」を提供することが求められます。これにより、子どもが安全に探索し、成長していく過程を最大限にサポートできるでしょう。
・・・以上がChatGPTのコメントです。
そこで私が気になるのは、いろんな「〜力」とか「〜感」という、あたかもそういう力を活動の流れから切り出してきて、もともとあったかのように述べるあり方です。そういう捉え方でいいんだろうか? 幼児教育の見方・考え方と合致しているのかどうか?それを踏まえて考え直せと再入力してみたのですが、期待した回答ができませんでした。まだネットのなかで市民権を得ていないようです。