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園長の日記

「関係の発達」とは何か?

2021/12/14

私が初めて園長になった時、平成19年度(2007年度)のことですが、毎月の「園だより」で、保護者向けのちょっと長い連載を始めました。その時に詳しく説明したのが、この「関係の発達」と言う概念です。ちょっと耳慣れない言葉かもしれません。

私たちは保育を通して、一人ひとりの子どもの育ちを支えているのですが、その育ちというのは、「個人の中に閉じたもの」ではなくて、「外の世界に開かれたもの」であって、世界との関わり方、つまり「世界や人との関係の作り方そのものが発達になっていく」という考え方です。

この発達の見方は、ちょっと慣れないと難しいかもしれませんが、実は発達はこの関係の質の変化の中で、起きているのです。そんな見方を、お楽しみ会の動画で伝えることができたらいいな、と思い立ちました。というのは、今日、動画編集された完成版がほとんどできたからです。

それぞちっちからぐんぐん、にこにこ、わいわい、らんらん、すいすいと順番に見ていくと、関係性の育ちがよく見えてきます。とても面白いので、ぜひ保護者の皆さんも、全ての動画をご覧になってください。

昨年から、コロナの影響で行事のあり方が大きく変わってきたのですが、子どもの姿を動画に収めることになったことから、とても面白い気づきが生まれるようになりました。

録画ということをしなければ、一回きりの本番を、これほど丁寧に振り返り、その子どもたちの遊びの中に見えてくるものを、省察によって分析的に可視化することはできなかったかもしれません。その見えてくるものを、先生たちと一緒に振り返り、保育の質を考える機会になりますし、より大事な普段の生活のあり方の改善にもつながります。

昨年のお楽しみ会では、劇の物語について説明しましたが、今年は「関係の発達」という視点から説明していきたいと思います。

樋口区長へ3項目を提言

2021/12/13

今日は入園見学で3組の親子を2回に分けて案内しました。そのお母さんは1歳の自分の子どもが、初めて会った私に普通に抱っこされたり、園児に興味を持って自分から探検を始めたりする姿に驚いていました。こんなとき、私は「子どもは、子どものいる環境を求めている」ということを、実感するのですが、また同時にこうも思います。3歳まで親子で過ごすことの方がいいという常識は、人類の歴史から見ても、江戸時代までの子育てを見ても、まったくの誤りだと言うことです。このことは、多くの子育て家庭に早く気づいてもらいたいと、思い返すのです。

今月は樋口区長と意見交換をする機会があります。区長へはすでに3つのことを提案してあります。以下に、その内容を紹介します。

 

◆区長への提言◆

私は新聞記者だったのですが、今は保育園の園長をしています。平成20年告示の時の保育所保育指針は解説書を書きました。マスコミ時代と24年に及ぶ保育現場での保育の経験をもとに、就学前の非認知的スキルの育成、児童虐待の解決、学校のいじめ対策について、以下に3つの具体的な提案をします。

<提案3項目>

これらの課題を解決するためには、子ども同士のかかわりが豊かな保育園に対して、新たな時代にふさわしいアロペアレンティングな社会的役割を位置付け直す必要があると感じます。

(1)全ての千代田区民に対して、子どもが生まれたら、認可保育園に全入できるようにします。遅くとも6ヶ月から9ヶ月ごろまでに、育児休業を取得していても、赤ちゃんが集団生活の機会を得ることができるようにします。長時間保育は不要です。午前中だけ2時間ほど、子ども同士の関わり体験ができるようにします。いわば、これは3歳からの1号認定を、0歳にまで広げるという、新しい教育制度です。

(2)保育園をこれからの時代の社会的親として位置付け直します。人間は本来、核家族では育ちません。持って生まれた脳に相応しくない社会環境(人との関わり、身体的な感触遊びの減少、睡眠時間を含む生活リズムの乱れなど)が、親の子育てを苦しめ、虐待が増える子育て環境を助長しています。

(3)学年別の学習や生活が子どもの集団の権力関係を固定化し、いじめを発生させてしまう心理的なメカニズムを助長しています。異年齢の学びを入学前にも就学後にも大胆に取り入れて、個別最適な学びと協同的な学びを充実させるべきでしょう。

この制度改革によって、子どもの学力の基礎となる力の芽生え、特に創造性、コミュニケーション能力、協力する力、実行機能などの非認知的な力が育ちます。また減少する気配を見せない児童虐待の問題に対して、構造的な予防策に繋がります。さらに中教審答申後に動き始めている学校教育改革の中で、依然として未解決なままになっている「いじめ」の問題に、子どもの社会を育てることによる解決の道を見出すことができるはずです。

<背景>

ノーベル経済学賞を受賞したヘックマンの提言以降、教育・保育界は、VUCAの時代に向けて、自制心やレジリエンシーなどの非認知的能力を育てることが課題になっています。しかし具体的にどうしたら、それが育まれるのかについて教育・保育の現場にまだその具体的な方法論が浸透していないように思われます。一方OECD(経済協力開発機構)などの知見では脳の発達の敏感期は多くが1歳から3歳までにあり、その中に感情コントロールなど、脳の実行機能に大きな影響を与えるものが含まれていることがわかっています。

オンライン・コーヒータイム3回終了!さて次回は・・

2021/12/11

10月から再開した月1回のZOOMによる「オンライン・コーヒータイム」ですが、今日の3回目が終わりました。このコーヒータイムは、もともと平日の夕方に私がコーヒーや紅茶を用意して、2階のダイニングのところで開いていた茶話会なのですが、コロナで集まれなくなって、中止していたものをオンラインで再開したものです。オンラインだから休日の方がいいかな?と土曜日の午前中にしてみたのですが、都合の合わない方が多そうなので、開催方法や曜日、時間帯を見直したいと思います。またコロナが落ち着いたら対面に戻します。

3回のオンライン・コーヒータイムには、毎回ゲストをお呼びしました。10月16日(土)は、鬼ごっこ協会の羽崎貴雄さん。当園の鬼ごっこの浸透に協力してくださっています。11月27日(土)は睡眠インストラクターの永持伸子さん。毎月、オンラインの睡眠講座の講師を担当してもらっています。そして今回12月11日(土)は、コンテンポラリー・ダンサーの青木尚哉さん。昨年、今年の「親子運動遊びの会」で、ご存じだと思います。

この3人の方は、当園にとって、毎日の生活の質を高めるための協力者です。一言で言うなら、子どもにとっての「早寝早起き朝ごはん」を作り出すことにあります。これは、極めて重要なもので、子育てで何がうまくいかないと感じたら、まず、ここへのアプローチをやってほしいのです。

生活リズムは毎朝同じ時刻に起き、朝日などの光を浴び、タンパク質の入っている朝ごはんを食べ、午前中に散歩など外に出かけて光を浴び、活発に体を動かします。ここまでのために、外遊びに鬼ごっこ、室内遊びにダンスという、良質な伝統と自分らしい表現など、本物の遊びと表現スキルの学びを取り入れたかったのです。その後のお昼寝は夜の睡眠の質を高めるための準備活動のようなもので、全く役割が違いますし、あくまでの大事なのは夜の睡眠時間を10時間にすることを目指します。このように夜の睡眠までの、トータルな生活リズムづくりを永持さんに手伝っていただいています。

コーヒータイムでは、もっとプライベートな思いを語っていただいたのですが、3人に共通するものがありました。それは実際に自分の子どもを育てながら、もっとこうありたい、こんな社会になったらいいな、という熱い思いがあるということです。こんなに精力的に社会に貢献しようとされているのですから、その秘めた思いに触れると大いに励まされます。

今回の青木さんの話で面白かったのは、30年以上過ごした舞台上のダンスから降りて、街の中でのダンスに踏み出している経緯でした。その意味を探しているプロジェクトが今進行している「ダンスのある風景」です。興味のある方は、青木さんのファイスブックなどをご覧ください。

世界人権デーに考える自由

2021/12/10

(エレノア・ルーズベルトとスペイン語の世界人権宣言 ウィキペキアより)

精神的自由や移動の自由、言論や報道の自由が保障されない「人権」というものはない気がするのですが、それを制限しておいて、民主主義が成り立つという主張は理解できません。同じ場所に光と闇が両立できると言い張っているようなものです。白を黒と言い張り通せば成立してしまうのが専制主義の恐ろしいところなのですが、そんな国が増えているそうです。

そんな社会では「個人」がどう感じているか、何を望んでいるかさえ、表現されることができず、自由な精神の発露が封じ込まれてしまいます。希望が持てません。そこでは社会の「公正」というものを期待できなくなってしまうからです。未来は個人の多様性(ダイバシティー)や共生社会に向かっているという話は、虚しいスローガンにしてしまうのでしょうか。そうだとしたら、子どもたちにとっての未来を、大人の現在が奪ってしまうことになってしまいます。

赤ちゃんに自由があるでしょうか。大人と同じように自由なのでしょうか。自由とはなんでしょうか。いろんな定義がありますが、私は「自分が思い通りの自分でいられること」だと説明します。たぶん「自己意識」が発達して初めて、自由という意味がわかるのでしょう。保育では自立を目指すわけですが、それは自分で自由に生活できる基盤を育てているつもりです。やってもらったり、指示されたりしなければできないという状態は、不自由だからです。

そこで常に、自由の話をすると、義務の話が出てきます。義務がどこから発生するかというと、お互い自由を認め合うことに合意するところからです。個人の自由が先にあって、相互にそれを尊重しましょうというところから、社会の規範が生まれます。また同時に、そこから「善さ」の探求も生まれますが、その話はおいておいて、お互いの自由が先にあって、近代の憲法も「個人の尊厳」を基本理念に置くようになっています。

ということは、現実社会の中での自由というのは、「自律」と非常に近いものになります。自分の意志で自分の考えや行動を決定し、自分の生き方をコントロールする力だというわけです。どうでしょうか。

さらに、昔からこの話になると、運命論の話が出てきます。人は自分の意志で何かを決めているようにのように思っているかもしれないけれど、本当は生物としての欲求や社会的な欲求につき動かされているだけで、そんなに自由ではないんじゃないか、さらには、この話の先には、「なぜ私たちがここにいるのか」、「なんのために生きているのか」を考えると、わたしたちの存在を超えた、何か大いなる世界の必然に織り込まれているだけじゃないか、という人生の決定論も控えています。

人の尊厳は、精神的な豊かさを前提にしないと、それが損なわれたときに、何が損なわれてしまったのかが、わからなくなってしまいます。例えば、誰かが事故で亡くなったとします。その「損害」を日本では、逸失利益、つまり生きていたとしたら、どれだけ収入があっただろうとという予想額を損害賠償額にしてしまいます。人の価値を経済の物差しだけで計算しようとします。全くおかしな話です。これこそ憲法違反なのですが、そんな議論もあまりありません。

私たちは、保育を考えるときに、個人の価値を社会への適応度や経済的成功度を目指して考える習慣から自由になりたいものです。保育をサービスと名づけて商品にようにして、その満足度を高めようとする物差しだけは、保育の質が見えてきません。全ての子どもが自分らしく自分を生きること。それを尊重しあうことができる社会をつくらないといけませんね。自由に思い描いた希望や夢は、格差を残したままの優越的なドリームではなく、誰もが叶えるものであってほしいと願います。それが私の自由な意見表明です。

カナダに行ってみたい!

2021/12/09

子どもたちが大きくなった頃、今よりも世界は小さくなっているでしょう。今日9日のニュースで日本人の富豪が宇宙旅行を楽しんでいることが報じられていました。その宇宙船が先ほど日本上空を通過したそうです。ロケットを打ち上げるのに、どれくらいの二酸化炭素を排出するんだろう?エネルギーの無駄じゃないか?とも思いながら、それでも宇宙旅行ができる時代がきっと来て、園児たちが乗るようになるのかもしれないと思います。確実に地球は小さくなっていくのでしょう。

すると、今よりもずっと多くの外国の人たちとの出会いや交流も増えることでしょう。国際機関で働く人も増えるに違いありません。グローバル化はさらに進展するでしょう。保育園では、時々世界に目を向ける機会を意識的に作っています。東アジアの国々や、世界の国旗に親しんだりしています。

今日は午前中にカナダについて学びました。講師は世界40ヵ国以上を旅行したことのある坪井先生。首都オタワの町やトロントの大都会の風景を写真で説明してもらいました。

世界地図を広げて、日本はここだよね、とポイントしながら「じゃあ、カナダはどこでしょう?」というと、ハイハイとたくさん手がありました。

正解だったのは5〜6人ほど。国旗のカエデの由来を聞きながら、同じ名前の園児も興味津々で嬉しそうでした。楓の樹液がメイプロシロップであることを初めて知った子どもたち、ケーキにかかった写真が出てくると「食べた〜い」「おいしそう」と、目がらんらんでした。

子ども目線の国際理解教育の時間でした。

わいらんすいの合唱を収録

2021/12/08

今日は3〜5歳(わい・らん・すい)クラス一緒の合同合唱・合奏を収録しました。当園では、お楽しみ会の合奏・合奏は、クラス別ではなくて3クラス合同です。これだけの人数が揃って一緒に歌を歌ったり、好きな打楽器をもって合奏したりするのは、就学前の幼児にとっては、難しいことなのですが、わいわい、らんらんの子たちも一緒に歌うことが好きなので、一列に並んで歌うことができました。

歌は、みんなが好きな、新沢としひこ作詞、中川ひろたか作曲の「虹」と「世界中の子どもたちが」、そして「あわてんぼうのサンタクロース」です。

子どもによっては、何かを同じ時間に同じ場所で同じことをすることに、その子の気持ちや実行機能の調子が、うまく合わないこともあります。合唱という行為は、まさしく一斉に同じことを、同じ場所に集って、同じタイミングで行うことになります。このことは、その子にとって「簡単なこと」か「簡単ではないこと」かは、個人差が大きいものです。

本人が無意識に行ってしまうことも含めて、集団生活の中で初めて現れる傾向のものもあり、家庭では気づきにくいものであったりします。一概に何歳ぐらいになれば、当然、誰でもができるはず、というように思わないでほしいところでもあります。

そのことを前提として考えても、これだけの人数の子どたちが、それなりに自分らしく参加して楽しめた姿を、普段の生活や遊びのドキュメンタリーとして収録できました。これは私たちにとっても、色々なことに気づくことができ、とても有意義な時間になったのでした。

 

 

劇という遊び

2021/12/07

今週に入って、劇遊びの収録が始まりました。コロナ対策のために今年のお楽し会はネット配信にしたのですが、そのための収録です。昨日はらんらん組(4歳)、今日は午前中にすいすい組(5歳)とわいわい組(3歳)のテイク2、午後からはちっち組(0歳)を撮りました。続けてみたので、はっきりと分かったのが1年での成長の大きさです。

わいわい、らんらん、すいすいという1年ずつの差ですが、これにクッキリとした成長の差が見られました。この頃の1年の成長は、本当に大きいものを感じました。

各クラスの保護者の方には、すでにそれぞれの劇の内容をお伝えしていますが、年長組は、グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」、年中組は創作劇「らんらん電車」、年少組はケロポンズ(*)の「ねこのおいしゃさん」です。

いろいろなお話にたくさん親しんできた年長組は、スイミーなどの中から子どもたちが選びました。年中組は、子どもたちの好みが絵本やお話につながる形で意見がまとめることは難しいので、みんなが好きなものでまとまりました。それが「のりもの」でした。そして、年少組は遊びも劇もあまり区別のつかない段階ですから、遊びのように楽しいものが選ばれました。

物語から劇遊びへ。その流れにも発達の特徴がよく現れていていました。どの劇遊びも、子どもが楽しそうでした。あくまでもやることが楽しい!という気持ちを大切にしてきました。日々の生活も行事も、そこに差があってはいけません。もっとやりたい1またやりたい!という気持ちで楽しんでいた劇遊び。違うのは行事仕立てになっているということだけです。その繋がりを大切にしたいと思っています。

ZOOMでコーヒータイム(12月11日)ゲストは青木尚哉さん

2021/12/06

第3回 リモート・コーヒータイムは12月11日(土曜日)です。

時間は10時〜11時

今回のゲストはダンサーの青木尚哉さん

誰でも参加できます。聞いているだけでも大歓迎です。

参加される時は、名前を保護者名にしてください。

 

https://us02web.zoom.us/j/84453167261?pwd=NFQ1QkVySU9xUlhGVHh5RXRMdHltQT09

ミーティングID: 844 5316 7261
パスコード: 244238

人権を守るための人間性

2021/12/05

もし人間性が遠い将来に向かって、今よりも少しでもよくなっていく可能性があるとしたら、私はどうなって欲しいと考えているかというと、現代人は、もっともっと他者に共感したり、優しくなってほしいと、強く思います。早く「国民国家」の発想を超えて、世界のことを力強く語る大人が増えないと困るのです。

アジアにブッダが現れた時代のその前と、その後を比べると、人間は人に対して共感する力や倫理的な力が強まっただろうと想像します。仏教が慈悲の心を広めたからです。同様にイエス・キリストが人類に奇蹟を示したものが愛の力であるように、人類は明らかに「他者への愛」の力を強める方向へ向かって、その人間性を高めているのだと、はっきりと見てとることができます。

それは宗教史だけではなく、社会学からみても、そうです。18世紀にたどり着いた自由と平等と博愛の理念は、一人ひとりの人権を守るために、20世紀には、人類はやっと「世界人権宣言」を手にしました。それでも、人類の人間性は、その理性的な力に比べて、道徳的、倫理的な力を支える「共感力」が、まだまだ足りないと思います。

現代は認知的な力が、科学や技術を大きく進展させています。しかし、人間性はどうなんでしょう。巨大な摩天楼に匹敵するだけの「温かい人間性」が、私たちにあるのでしょうか。身近な家族の中だけにとどまっている愛でいいのでしょうか。世界人権宣言を記念した世界人権デーが12月10日ですが、4日から「人権週間」が始まりました。知識としての人権ではなくて、必要なのは人間らしい包容力や優しさ、その前提になっている人への共感力が心の中を脈打っていないと、本当に必要は行動に結びつくことはないでしょう。

子どもはそれを持っているなあ、といつも思います。今日は岩波ホールで「ユダヤ人の私」を観てきました。

説明には、こう書かれています。以下、引用します。

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「終戦から74年間 悪夢を語り続けたホロコースト生存者による最後の警鐘」

ユダヤ人のマルコ・ファインゴルトは1939年に逮捕され、アウシュヴィッツを含む4つの強制収容所に収容される。終戦後は、10万人以上のユダヤ人難民をパレスチナへ逃がし、自らの体験とナチスの罪、そしてナチスに加担した自国オーストリアの責任を、70年以上訴え続けた。本作はマルコの数奇な人生を通じ、反ユダヤ主義がどのように広まりホロコーストに繋がったか世界初公開のアーカイヴ映像も交えながら映し出す貴重なドキュメントである。
“国家と人は過去の過ちを忘れていると語るマルコのインタビューは、過去と地続きにある現在に警鐘を鳴らす。”

・・・・・・・・・・・・・・・

生存者のマルコさんの言葉を聞きながら、ナチスが400万人を殺害した事実を前にして、たった74年前に、人間というのは、こんなに酷いことをやってしまうという事実を前にして、人類の人間性というものの中身を考えた結果、キーワードは一人ひとりの「共感力」だと思ったのです。そして、ちっとも感じきれない私の感性に、私は私にとてもがっかりしたのでした。

 

 

現象の理由〜済んだ気持ちで

2021/12/03

子どもは決して、大人が学ぶようには学ばない。

大人はすでに知っていると思っているから、知らないことに気づけない。

・・・パスカル風の断章を呟きたくなるようなまなざしで、子どものやっていることや、感じていることを感じてみたい。

この写真は、二キロまで測ることのできる秤。メモリはちょうど2キロ。

 

らんらん組のMKくんが「お月様は新月だよね」(のようなことを、挨拶代わりに、ふと、話した)

同じくらんらん組のKHさんも「お月様はどこ?」という。

私たち大人は、検察して知識を得てしまう。

そのうち、実際に夜空に月を探す親子はいなくなり、12月の冬の青空の向こうには「夏の星座」が広がっている宇宙があることを想像しなくなるのだろう。

 

だから、実際に望遠鏡で見てみたり、ちょうど2キロの重さを実感してみたい。

パスカルはいう。「知恵はわれわれを子ども時代に連れ戻す。もしも、幼児のようにならなければ」(82)塩川訳

そこで、新月の今日、クリスマスの電飾を点灯してみました。

 

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