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園長の日記

子どもの集団的思考、関係的思考

2021/12/02

「人間は考える葦である」と言ったのは、かのパスカルですが、彼が17世紀に「パンセ」の中で書いているのは、私には人間の宗教的ともいえる幾何学的視野の持ち主でした。そんな人間が考えること自体の美しさを、彼が自身で見本となったように、数学者でもあったパスカルは人間の特性をそこに見出しています。

ところで、人間に限らず、動物でも考える力はあるのであって、人間だけが何をどう考えるか、あるいは考えるということそのものが、他の動物とは、何がどう違うのか、それが問題なのです。

子どもと大人の「考え方」の違いをよく見ると、面白いことがわかります。

子どもは考えるときに、感覚と体も使って考えます。何かを考えるとき、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触ったり、といった五感の感触と常にセットです。だから、遊びながら考えるのです。今日は塗り絵をしている、らんらん組のOSさんに「ハリネズミの色は何色?」と聞かれたので、一緒に図鑑を開いて調べました。このような「考える」を、アクティブラーニング、というわけですが、写真では白黒に、イラストでは茶色に見えました。OSちゃんは、黄土色の色鉛筆を持っていたのですが、他の色鉛筆を探しに行きました。

これからの時代に必要な力は、非認知的な力だとよく言われるのですが、子どもの考える力は、私には「身体知性」のようなものだと思われるので、認知も非認知も未分化な知性ではないでしょうか。ハリネズミの色は、何色だろう? そう思って実物を見たくなるのが、画家や写真家です。そうした芸術家たちは、間違いなくアクティブラーニングをします。教科書に載っている正解を机の上で覚えて終わり、という勉強は、もうやめましょう、というのが、これからの「考える」スタイルです。探求なので正解があるとは限らない学びです。

これと同じアクティブラーニングを、屋上でボールを転がしならが、1歳児クラスのぐんぐんさんが、学んでいます。ボールを転がしても、相手から帰ってくることがわかると、それを信じて転がしあうことができるようになっていった姿が報告されています。この場合の「考える」は、相手の行為を信頼したり、予想したりする「他者込みの考える」なので、関係的思考、集団的思考、といっていいでしょう。

実は、こんな「考える力」が、まさしくこれからの時代に必要な、「人との関わりの中で生まれる非認知的スキル」なのです。最近の保育や教育の世界では、やたらと「最後まで成し遂げる力」だとか、「我慢強さ」だとか、「立ち直る力」だとか、まるで大人が必要だと考える力を、そのまま子どもにも当てはめようとしているような言葉遣いになっていて、私には、その粗雑な言葉遣いの押し付けが、訓練や鍛錬を連想させて、危なく見えてしょうがありません。

これまで、その力は「心の根っこ」と表現したり、心情や意欲と言われていたものに他なりません。ヘックマンがノーベル経済学賞を取った研究者だから、説得力が高まったのかどうか知りませんが、彼は認知的な力ではない、名付けようのない何かだから、「非認知的なもの」と、そう言ったに過ぎないのですが、簡単に「最後まで成し遂げる力」だとか、「我慢強さ」だとか、「立ち直る力」だとか、そういう側面だけを強調して言わないで欲しいと思います。それだけを、取り出してしまうと、無理矢理我慢させるといった、訓練や鍛錬をさせてしまう危険性を感じてしまいます。

そうでは、ありません。あくまでも、自由遊びの中で、しかも子ども同士の遊びの中で、自然に起きる葛藤の中で、それらの力「も」同時に育っていくもなのです。

自由と民主主義と市場経済と

2021/12/01

(今日から始まった、クリスマスまでのアドベントカレンダー。玄関に飾った赤い靴下の中に、サンタクロースからの手紙が届きます。)

・・・・

政治のニュースを見ていたら、若い頃のことを思い出しました。高田馬場で開かれていたルドルフ・シュタイナーの勉強会。ドイツ語で書かれた「社会有機体三層構造」を日本語に翻訳して持ち寄るという勉強をしていた時期があります。20代の頃です。

社会は自由と公正と友愛からなると説くこの説は、この三つは精神、政治、経済によって、それが実現されると同時に、自由がない精神は退廃であり、公正のない政治は腐敗した社会を生み出し、友愛のない市場経済は過酷な格差社会を生み出すということを予言していました。まったくその通りじゃないかと思えます。

人の内面には自由がないと、おらかさや思いやりは育ちません。公正があるからこそ信頼できる人間関係が作れるのでしょう。そして本来の経世済民はお互いの幸せを願ってなされてきたのではないでしょうか。

今日の日本、米国、韓国の関係を考えるとき、北朝鮮や中国、ロシアの独裁的国家が目指すものとの違いを考えていたからです。園児たちがあと20年経った頃、この東アジアはどうなっているのでしょう。20代になったこの子たちが、活躍している社会です。

 

自由、民主主義、市場経済を成り立たせている思想的な背景には精神的自由度、公正や正義を目指す政治的成熟度、そしてお互いを生かしあう、つまり持続可能でウェルビーイングな考えを基礎とした経済活動が必要です。

クラスのブログを読んでいると、この3つが、子どもたちの生活と遊びの中にも見られることがよくわかります。自由遊び、子ども会議、協力し合う生活です。

自由遊びによって、創造的な精神が発達します(環境、表現)。子ども同士の会話、やり取り、コミュニケーションは自分の考えや思いを言葉で伝えることや、相手の考えや思いをよく聞く姿勢を育てます(人間関係、言葉)。そして教え合い、助け合い、協力することは人間である証のようなものであり、ホモ・サピエンスの最大の特徴なのでした(健康、人間関係)。

現在を最もよく生き、望ましい未来を作り出す基礎を培う、という保育原理における「保育の目標」は、選択できる自由遊び、子ども同士の話し合いによる意思決定、そして異年齢児保育やお手伝い保育など、そんな生活を豊かにすることで達成できるのだろうと思います。

 

ちょこっとした気持ち

2021/11/30

(写真は文章とは直接関係がありません)

子どもと過ごしていると、ほんのちょっとした心の動きに、何か大事なこと感じます。でも、その信号がどんな意味を持っているのはわからないうちに、その微かな信号は消えてしまいます。言葉にするのも難しいような、でも確かに表している、何かのサイン。

昨日は夕方になって、園長ライオンをやってほしいと頼まれて、4時から30分ほどやりました。なぜか、年長さんたちが続々と集まってきて、それぞれが「こんな遊びがいい」というイメージを持っているので、「じゃあ、どれにするか話し合って」というと、それぞれが、自分の思いをどの程度主張していいものか、ちょっと遠慮がちなのが、いつもと違っていて、ちょっと相手を気遣っている感じがしたのです。

自分の思いが募ってしまい、なぜが泣き出してしまう子がいて、その理由を私にそっとつぶやく子もいます。「ネコのまたたびは、相手にしないで」。ちょうど捕まえてほしいタイミングだったのに、どうも私が他の子の相手をしてしまったことが、続いてしまったことが原因だというのです。そこ子には聞こえないように、私の耳元で、そう囁くのです。子どもにしか見えていない心の動き。泣き出したくなる気持ちの理由。

久しぶりに今朝は、朝から絵本を読んでほしいということになり、朝のお集まりが始まる前まで、数人の年長の子どもたちに「日本昔ばなし」を読んであげることに。「かさじぞう」「さんまいのおふだ」「ないたあかおに」でした。年長にもなると、あかおにが泣く理由に共感できるようになってきます。人間と仲良くなりたいあかおにの気持ち。あおおにのとった行動の意味にも気づくことができるのです。

一方で「かえうた かえうた こいのぼり」をフルバージョンで読まされました。制作ゾーンで、キャンディを作っていた子からは、包み紙をねじって「飴玉」にする方法を尋ねられたき、3歳の彼は中に飴玉を入れないで、そんな形にしようとしていました。中が空洞なので、それは難しいはずです。もしかすると、そんな包装のキャンディは、今時ないのかもしれない!と気づくのです。絵本に出ているものは、大人にとってそれらしくても、子どもはまだ実物を食べたことがないものなのかもしれません。

事務室に戻ると、あるものを鉛筆で書いた紙の前でニコニコしています。その顔から、こんな気落ちが伝わってきます。「ほら、見てみて、すごいでしょ!」。誇らしげな笑顔です。私に見せたかったのは、それまでの経過を私が知っていることを、彼が知っているから。この「すごさ」を私なら、認めてくれるだろうという期待がこめられたにっこり!なのです。

(写真は文章とは直接関係がありません)

 

大学生の卒論研究「移行対象」

2021/11/29

保育士養成を担っている大学は、学士の資格も取得することになるのですが、そのために卒業論文を書かなければなりません。保育士資格や幼稚園教員免許を取得して先生になろうという学生の卒論は、大抵、保育や教育に関するものが多いのですが、当園には時々、その協力をすることがあります。

先週の11月26日(金)には、白百合女子大4年生がアタッチメントについて研究するために、アーサー・ミラーの絵本「ジェインの毛布」を読み聞かせにきました。複数の保育園や幼稚園で年長さんを対象に、同じ絵本を読んで、その感想を聞くという方法です。面白い研究方法だなと思いました。

ところで、子どもたちは、ふわふわしたものが好きです。毛布といえば、「ライナスの毛布」が有名です。スヌーピーが登場する漫画「ピーナッツ」でライナスがいつも毛布を持っているので、そう言われます。「ライナスの毛布」という言葉は、イギリスの精神分析系の小児科医でもあったウィニコットが「移行対象」の例として取り上げて、「安心毛布」という心理学用語にもなっています。

子どもは何かに依存しながら、だんだん自立していく発達の過程をたどります。ウィニコットによれば、安心で安全な心休まるところが、依存対象である<母親>です。成長するということは、そこから独立していく、離れていくことだといえます。

何から何に移行するのかというと、簡単にいうと<母親の乳房>から<ぬいぐるみ>などへ、です。その、中間にある物です。移行の最中の対象という意味です。

赤ちゃんは、最初、指をしゃぶったり、幼児は髪をしゃぶったりすることもあります。それが、徐々に自分の手や指ではなくて、毛布の端とか服の袖の端、タオルなどへ「移行」していく、というのです。ウィニコットはその対象を、「移行対象」と呼びました。

ぬいぐるみ、に象徴されるようなものは、大人も持っています。人によってはそれがタバコだったり、お酒だったり、最近はそれがスマホだったりする人がいるかもしれません。では、どんな状態が健全なのだろう?と、私はよく考えます。

私の結論はシンプルです。自立の反対が依存ですから、人は誰でも、その中間を行ったり来たりしながら生きています。大人も時には甘えが必要です。ですから、物や何かに一時的に依存するのはいいのですが、それがなくなると困った状態になってしまう「中毒」になることは避けたい、ということだろうと考えています。お酒を嗜む程度はいいとして、お酒には飲まれないように、というわけですね。

子どもにとって、何かに依存したり、甘えたり、その心の支えや安全基地があることは大切なことです。徐々に自立に向かう力を得ていくためには、必要な時に十分に依存したり、甘えたり、安心したりすることができる体験によって満足することが必要です。それが十分に満たされれば、その充実感から、自分で安心して離れていくようになります。外から離そうとするのではなく、十分に満たされるようにすること。そうすると「自分で」自立していく道を歩み始めるのです。

安心毛布は、懐かしく、温かい、心の故郷のような場所ですね。

 

換気扇の全館清掃

2021/11/28

11月28日(日曜日)、毎年1回の換気扇の分解清掃をしてもらいました。天井についている換気扇です。

当園は目の前を昭和通りと首都高速道路が走り、車の排気ガスや騒音があるので、ホテルと同じような全館換気システムを導入してあるので、24時間、常に室内の空気を吸い出しています。

基本的には窓を締め切っても換気されるように、通常の保育園よりも多くの換気扇が天井に設置されています。

将来を思い描きながら現在をよく生きる

2021/11/27

(園だより 12月号 巻頭言より)

12月になると、卒園や進級に向けた生活が増えてきます。小学校以降の生活とのつながりを考える機会も増えてきます。この生活は、保育園だけで完結できるものではなく、小学校以降の生活と学びにもつながっていくものです。中学、高校と進学していくこともそうですが、さらにその後の社会人としての生活は、世界中の人々にとって、望ましい未来を作り出す仕事や生き方である必要があります。このことは昔に比べてSDG’sのように、とても身近なことに感じられる時代になりました。大人も何がしかを学び続けることになります。

そういうことを思う時、もともと保育は、将来に必要となる力の基礎を育成するという役割があると同時に、現在の生活と遊びを豊かにしていくという役割があることを思い出します。この二つのことは別のことではなく、同時に満たされていくようなものになります。このことを、保育所保育指針は「保育の目標」として「現在を最もよく生き、望ましい未来を作り出す基礎を培う」という言葉で表してきました。

では、望ましい未来とは、どんな未来でしょう? 現在を最もよく生きるとは、どんな生き方でしょう?

この二つに分かれているように思える方向は、昔からずっと考えられてきたテーマと言えます。たとえば、私たち保育者は、必ず保育者論のなかでルソーを学ぶのですが、望ましい未来についての考察が「社会契約論」になり、現在を最もよく生きることについての提案が「エミール」になるのです。この二つの領域のことは、切っても切れない関係になっていて、両方をセットで考えていく必要があります。ルソーもそう考えていました。

将来の社会は、一人ひとりの能力を発揮されやすいようにすることと同時に、協力したり、助け合ったりしながら、共生社会を実現することが必要になります。どうやったら自分らしく貢献できるか、何をすることがそうなることなのかを考えながら、自分のキャリアパス(進路)を探り続ける社会になっていくでしょう。

私たちの保育園の保育目標は「自分らしく、意欲的で、思いやりのある子ども」ですが、自分らしくあるためには、その持って生まれた多様な個性がそのまま発揮されるような生活や遊びを用意しておく必要があります。発達課題にあった生活や遊びが選択できるようにします。そしてお友達の気持ちに気づいたり、どうしたらもっとよくなるかを考えたりすることが楽しいという生活を体験していきたいと思います。

間中ムーチョさんの世界へ

2021/11/26

いつもの海老原商店の玄関ではありません。一歩、商店の中に入ると、そこは確かに「ワンダーランド」でした。あの動物のマナケモノの世界です。

2階への吹き抜けが、大きなうんちが落ちてくる土の中に続いているという大規模な異空間に仕上がっているのです。

中にそ〜っと入ると、子どもたちはその空間に引き込まれてしまいました。

2年前、2019年10月22日の「園長の日記」に、「・・間中ムーチョさんと出会う」というタイトルの日記があります。女性絵本作家の間中さんの初の絵本『にんげんさまへ』の原画展を紹介しています。

その間中さんが今日26日(金)から、海老原商店で個展「マナケモノさん 土の中から ありがとう ワンダーランド」が始まったので、誕生会のあと早速、園児10名と出かけてきました。28日(日)までです。ぜひ親子でお出かけください。

 

11月は2回目の木場公園

2021/11/25

前回11日に続き、今月2回目となる木場公園へのバス遠足。にこにこ組9人と、わいらんすい組24人の合計33人でかました。

にこにこ組は2回目となるバス遠足。その楽しそうな様子はにこにこ組のブログでご覧いただくとして、私は前半はにこにこ組の付き添い、後半はわいらんすいの様子を見守りました。

にこにこ組用に、折り畳み式の立ちのりバギーを持って行っているのですが、最初はバギーに乗っていた子達が、歩いている子たちが行く先々で花を触ったり、赤い綺麗な葉っぱを見つけたり、噴水を見たりするので、やっぱり「降りる」と言って、みんな歩き出します。

興奮してたのは、ミミズを見つけた時です。

花壇の中に入ると、列を作って楽しそうに歩き出し、そのうち、周へんを走り出します。その様子を見ていると、「こうやって環境が子どもの活動を引き出すんだなあ」と実感します。別に誰から歩こう!とか走ろう!なんて言っているわけではありません。

非常にわかりやすい「環境を通した保育」の事例であり、そこには「自ら体を動かすことを楽しむ」という健康のねらいが実現されています。

また「自ら体を動かそうとする意欲」も育っています。走って暑くなると、自分からジャンバーを脱いでいます。衣服の着脱を自分でするようになってきたことがよくわかります。

にこにこ組は、その後、花壇の方から、初めて大型の遊具がたくさんある「冒険広場」へ移りました。最初から遊んでいた、わいらんすいと合流します。

いろいろな大きな遊具も魅力的ですが、地面いっぱいに広がっている「落ち葉の海」の中を歩き回ったり、手に取って宙に投げたり、落ち葉の小山を作ってみたり、ダイナミックな自然を満喫していました。

また色々な木の実が落ちていて、それを袋に入れて集めています。この子達にとっては、大切な宝物です。ここには「身近な環境に親しみ、触れ合う中で、様々なものに興味や関心をもつ」という環境のねらいが実現されています。

また「発見を楽しんだり、考えたりしようとする意欲」も育まれています。あまりに魅力的だった木の実を「みかんの実」と呼び、大事に袋に入れて持っています。それがなくなったら大変です。

興味や関心をもつ、どころか、すっかり心を奪われてしまったようで、容赦なき奪いあいが勃発しかねません。それくらい、心動かされた体験だったようです。

冒険広場では、さまざまな運動の種類が楽しめます。わいらんすいは、普段の生活では体験できない、ダイナミックな体の動かし方を楽しんでいました。

あれもやってみたい、よ〜し、こっちも!というように、どこまでできるか試したり、挑戦したりする姿もたくさんみられました。

子どもの体験を幅を広げる水辺にするために

2021/11/24

 (リバーサイドプロジェクト事務局長の岡田さん)

当園のロケーションの強みと弱点を考えてきたこの2年半。弱点は狭いし、園庭はないし、自然は乏しいし、交通事故などの危険性があるし、こらの課題を乗り越えてきた2年半だったわけですが、これを乗り越えるべく、地域を園庭しようと発想を転換したり、身近なところにある自然を大切にしたり、バギーやバスで広い場所へ移動したり、ハンデキャップを克服してきました。

 (小林やすお・千代田区議会議員)

しかし、千代田区と地域活動との連携を地道に重ねてきたことによって、新しい強みが育ってきているように感じます。その一つが神田川が目の前にあるというロケーションです。

 (新倉健司・屋形船三浦屋社長、屋形船東京都協同組合会長)

昨日24日、この神田川や運河の水辺を再生させて活用する活動に参加してきました。

園の前の佐久間橋児童遊園で、その発足会の式典が開かれ、その組織のメンバーに加わりました。

これは神田川と運河の清掃を行いながら、水辺としての環境を豊かにしようという活動です。この活動の主役は、東京お茶の水ロータリークラブの方々と、佐久間1丁目町会、及びこの活動の区議会議員連盟の方々です。この活動を広げ、深めること、その組織のメンバーになったことで、当園のみならず、近隣の人たちとの連携に、また一つ大きな可能性が広がりました。

樋口高顕・千代田区長も「大事な活動なので応援したい」と協力を約束してくれました。

個人的にワクワクしています。こんな大きな可能性に関われるという期待感と静かな高揚感です。子どもたちに、新たな体験の機会が生まれるかもしれません。

 

遊びの中で体が自然に動き出すダンス

2021/11/23

勤労感謝の日の今日23日、海老原商店とその前の柳原通りが、ちょっと面白い空間になりました。

楽器や木箱を叩く音に合わせて子どもと大人が踊ったり、保育園の屋上でダンサーをモデルにデッサンをしたりと、「コレモ?ダンス?」のタイトルのとおり、どこまでがダンスだかわからないパフォーマンスを参加者が楽しみました。

主催したのはコンテンポラリー・ダンサーの青木尚哉さんとその仲間たちです。今回のイベントにはクラリネット奏者の西村薫さんと、代々木デッサン会を主宰する北村範史(ノリチカ)さんとのコラボレーションがあったことです。

午後1時から6時までの5時間。秋晴れのもと、休日で通る車もあまりない柳原通り。

海老原商店の玄関前で、子どもがチョークで黒板や歩道にお絵描きをしたり、木琴をバチで鳴らしたり、ポータブルラジオから音楽が流れたり、そのリズムや音が醸し出すイメージに合わせてダンサーたちが即興的に踊ります。

保育園までの間の通り全体が、ダンスパフォーマンスの空間になって、歩行者も「何をやっているんだろう」という面持ちで、立ち止まって身いったりしていました。

保育園からは4家族の親子が楽しみました。お絵かきや楽器遊びをしながら、子どもたちは自然に体が動き出します。それもダンスだと思えてくるから、面白い空気感です。

子どもは本質的に体を動かすことが好きな存在ですが、そのことを本人も周りの大人も積極的に楽しもうという雰囲気があること。この意味を再発見できたことが大きな収穫でした。海老原商店の中でかくれんぼしたり、おやつを食べたり、楽しいひと時だったようです。

夕刻になるとクラリネットの音色に合わせて青木さんたちが本格的なダンスを披露してくれました。歩道で見ていた人たちも一緒に踊ってフィナーレでした。

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