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園長の日記

東京2020パラリンピック閉幕

2021/09/05

今日9月5日(日)で東京パラリンピックが閉会します。昨年春、東京パラリンピックが始まったら、子どもたちが「ボッチャ」をやるんじゃないか、とイケヤで売っていたボッチャのおもちゃセットを買ったことを思い出しました。そのボッチャで活躍した杉村英孝選手について、3年間取材してきたというNHK放送レポーターの千葉絵里菜さんが次のように語ってたからです。

「杉村さんは私と同じように脳性麻痺で、人の力を借りなければ、生活ができません。でもボッチャのコート上では、誰の手も借りず、自分で選び、自分で決めます。杉村選手はボッチャこそ、自分らしさを出せるスポーツだと言っていました。そして、同じ障がいのある人たちに、こうゆう世界もあるんだよ、ですとか、こういうすごいプレーができるんだよ、ということが伝わってくれたら嬉しい、とも話していました」

障がいがあってもなくても、その人らしく何かができるように選択できること、自立とは支え合って生活するためにある(幼稚園教育要領「人間関係」のねらい)ことの素晴らしさ伝えてくれます。人が多様であるということは、生き方の選択肢も多くなる必要があります。オリンピックよりも、パラリンピックの方が種目の数は多いのですが、同じ卓球なら卓球でも色々な種類が用意されています。支える人も多くいることがわかりました。

この話は象徴的だなあ、と思います。スポーツそのもののあり方も考える機会にもなりました。実際に行われているスポーツの裾野はものすごく広く、放送されることのない、たくさんの種類が作られ、そして楽しまれています。

この話を保育に移すとどうなるのでしょう。思い出すのはやはり「子どもたちが100人いたら、そこには必ず100の言葉がある」と言った、イタリアの幼児教育実践家で哲学者で詩人だったローリス・マラグッティのことです。彼は、それを述べた時代に、こう続けました「そして99が奪われてしまう」と。当時の幼児教育を痛烈に嘆いたのでした。

この「人間の多様性への尊厳」宣言は、今でも幼児教育の世界に影響を与え続けています。彼はその市の教育長になり、彼の名前のついた研究センターもできています。そして今でも公立の幼児学校で60年以上に渡って続いています。そして彼の考えに基づく保育は世界中に広がっていったのでした。

それでも日本でなかなか広がらないのは、多様性を豊かに保障するためには、素晴らしい先生の「数」が必要だと言うことが、ずっと無視されてきたからです。戦後1度も最低基準を改定したことのない日本では、リアルにユートピアのままなのです。すいません、またこんな愚痴をこぼしてしまいました。

藤森先生からのメッセージ

2021/09/03

感染症などで納涼会に参加できなかった方のために、今日9月3日から、お迎えの時間に時間と空間の間隔を空けて、ヨーヨー釣りとピンボールを楽しんでもらうことを始めました。

ちょうど、今日、藤森平司統括園長から次のようなメッセージが届きました。

「日本全国、いや、全世界では、新型コロナに翻弄されています。どの国においても、効果的な対策を行なえているところはなさそうです。しかし、ここは、何とか乗り切っていかなければなりませんし、じっとただ引きこもっているだけでなく、十分な対策を取りながら、前向きに行動していくことが大切です。そんな大人の姿を子どもたちにも示していきたいですね。」

じっとただ引きこもっているだけの姿ではなく、十分な対策を取りながら、前向きに行動していく姿を子どもたちに示していきたい。

こういうメッセージに私たち保育園の職員は励まされます。

その一方で、「前向きな行動」の中には、保育園に外部の方と連携することも多いので、そこで人的環境については、どんな「十分な対策」をとっているのかをお伝えしておきます。この点については、まず、人の尊厳を損なわないこと配慮しています。いまテーマになっている感染対策としては、職員のワクチン接種の状況、行動履歴を確認しています。

実習生は大学からのPCR検査の陰性証明、各種証明書、行動履歴、守秘義務の誓約書など文書でもらいます。アルバイトの学生も、私が知っている大学の先生から推薦をもらったり、実際に私が教えたり指導したりした方を選んでいます。また他の園からの転職などの場合は、前の職場での園長を私が知っていることが多いのですが、本人の評価を確認しています。

また感染対策に併せて、色々な意味で小さい子どもと接するにふさわしい人なのかどうか、職員の採用や地域の関係者と連携をとるとき、必ずその人や団体の評価や評判を確認します。信頼できる人しか園児に接することを許していません。保護者アンケートでその辺りの心配を感じる内容をいただきました。

そうした人的環境は、不審な人をふぜぐ垣根の役割もしてくれます。私はこれまで千代田区の人、地域の人、大学の人、アーティストなどかなり色々な人々とのネットワークを作ってきましたが、怪しい人の防ぐためにも、信頼できる人々との連携は頼りになると思っています。

現代社会は人間関係づくりが下手になっています。SNSでは相手が信頼できるかどうかの判断はできません。確かな人から人への繋がり方を若い人は学ぶ必要があります。そうしたモデルを示すのも、大人の役割だと考えています。

ハエトリグサをめぐる学びの事例を考える

2021/09/02

話は昨日の続きです。これからの小学校以降の学びは「個別最適な学び」と「協働的な学び」が組み合わさった学習が期待されています。それを考えるための事例として、わいらんすいのブログに紹介されている「ハエトリグサ」をめぐる子ども二人の「知らせ合う姿」を考えてみましょう。

この図は、昨日お伝えした子どもの図の左側です。

左の「3段重ね」の一番上は「知識」、2段目は「スキル」、3段目は「態度と価値」となっています。

これが混ざり合って(より合わさって、ねじり合わさりながら)「コンピテンシー」が形成されていくことを表しています。コンピテンシーとは、ほぼ「能力」「力」のことです。

ここで注目してもらいたいのは、「態度」には個人的な態度の他に、協力的な態度が含まれていることでしょう。実物の「ハエトリグサ」、図鑑、それに詳しい友達、気心の知れた仲間、そして先生の存在。これらが「より合わさって、ねりじ合わさりながら」興味の対象が広がったり、調べる方法の知識やスキルを深めたりしているようです。

また「え〜っと」と考える姿も見られますが、子どもは何かに気づいたり、感じたりしたとき、大人のように頭の中だけで考えることはできません。手で触ったり、動かしたり、「ああかな、こうかな」を試します。試行錯誤です。小さいうちは「探索活動」というと、わかってもらえるでしょうか。

これはとても強い衝動で、これを押し留めようとすると、子どもから強い抵抗にあうことでしょう。子どもの興味や関心の最初の表れは、何かに気づいたとき、試行錯誤が引き起こされるのです。手足を使って「試すこと」と「考える」ことが混ざり合っています。

現行の保育所保育指針では、少し要約すると、知識は「豊かな体験を通じて、気づいたり」であり、思考力は「気づいたことを使い、考えたり、試したり、工夫したり」することだと説明されています。

この姿と子ども同士のやりとりも重なることで、子どもたちの姿は複雑に見えるのですが、さらに難しくさせるのは、子ども同士の関係のスキル(我慢したり、譲り合ったり、順番を待てたり、言葉で伝え合ったり・・)もそこで育ちます。

ちなみに、このような姿を捉えて遊びを発展させていくためには、一人の先生が2〜3人ぐらいの少人数の子どもを相手に、じっくりと見守ったり発展させたりする人的環境がどうしても必要です。

特にいざこざを通じて社会的スキルを育てる機会までその場に持ち込むと、学びの場は混乱してしまいます。社会的スキルが未熟な状態の何人もの子どもたちの中に、風船を投げ渡して自由にさせると、みんなが我先に「試行錯誤」を始めてしまい、ただパン!と割れて終わってしまうでしょう。

そのような子ども集団の理解に伴う学びの保障は、経験豊かな保育士がいなければ難しいということになります。単純に子どもの主体性を尊重するからといって、ただ興味をひく教材を与えるだけでは、混乱を生んで熱中できる遊び(つまり学び)にならないこともあります。子どもの状態と教材の間で起きることを見通しながら、子どもの環境(教材)の再構成は作られていく必要があるのです。

ハエトリグサをめぐる二人の学びは、そうした条件を満たしていたのかもしれません。

 

アキバ分室で初めての睡眠講座

2021/09/01

9月1日(水)、今年4月に万世橋にできた「子育てひろば」で、初めての睡眠講座を開きました。講師はお馴染みの永持伸子さん。子育てひろばは、基本的に毎週水曜日の午前中に開かれているのですが、そこでいつものようにZOOMでリモート講座を開きました。ただパソコン画面をプロジェクターで映し出し、音声もスピーカーで流して、そこへ赤ちゃんと一緒のお母さんたちが、一緒に講座を受けることができるようにしてみました。

会の始めに会場の方から睡眠のことで聞いてみたいことを尋ねると・・

「夜の授乳をそろそろ終わらせたいのですが、どうやったらいいですか」とか「昼間のお昼寝はどんな状態が好ましいのですか」など、いろいろな?(はてな)がいっぱいでした。

多くの人にこの講座のことを知ってもらうためにも、感染対策を講じた子育てひろばで開催してみたのですが、睡眠講座を開いてみると、はやり「対面」のよさが分かります。画面越しでは伝わりにくいコニュニケーションがあることがよく分かります。ただ、コロナ禍や距離を気にしないで済む、家から参加できる、夫婦で一緒に参加できるなどリモートの良さもあります。

今年度前期は9月7日(火)と21日(火)で一旦終了します。リピーターの方もいらっしゃいます。子どもの成長に従って睡眠のポイントも変わります。気軽に何度でも参加してみてください。お申し込みは千代田せいが保育園のメール(c.seiga@chiyodaseiga.ne.jp)までどうぞ。

VUCAの時代に思う涅槃とは?

2021/09/01

働いている皆さんは、すでにご存知の方が多いと思いますが、ビジネス界では今の時代の特徴として「VUCA」(ブーカ)という言葉をよく聞きます。VUCAは、次の4つの単語の頭文字をとった造語です。

V(Volatility:変動性)

U(Uncertainty:不確実性)

C(Complexity:複雑性)

A(Ambiguity:曖昧性)

大手ビジネススクールのグロービスによると「VUCA」とは、一言で言うと「先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態」を意味すると説明しています。「元々は1990年代後半に軍事用語として発生した言葉ですが、2010年代に入ると、昨今の変化が激しく先行き不透明な社会情勢を指して、ビジネス界においても急速に使われるようになりました」となっています。

日本政府の審議会は、これからの教育の姿を検討していますが、その中には色々なカタカナや外来語が飛び交っていて、その一つがこの「VUCA」です。一昨日(8月30日)の千代田区就学前プログラム策定委員会でも、OECD(経済協力開発機構)が唱える教育目標「Education2030」で取り上げているキーワードの一つです。ビジネス界だけではなく、教育界でも「急速に使われるように」なってきたというわけでしょう。(と言うと、誤解されるかもしれません、OECDですから、やっぱり経済ですね)

確かに、毎日のニュースはまさしくブーカだらけです。どうやったらコロナ禍から脱せるのか?ワクチンは3回目を打つべきか?空気感染に濃厚接触という概念が通用するのか?アフガンの邦人500人は大丈夫か?私たち大人が右往左往しているのに、10年後はさらにブーカ状況が「悪化」するとしたら、一体、どんな力が必要だというのでしょうか。

ブーカ状況を乗り越えていくための力って、どんなものなんでしょう? どうやったら身につくのでしょうか? それを考え抜いた人たちが作ったものが、下の図です。

子どもがどのようにして自らの人生や世界を歩んでいくのか、その力を身につけていくための「羅針盤」だそうです。30日の福元真由美・青山学院大学教授がまとめた「就学前教育をめぐる動向」にも紹介されている図です。

昨日は涅槃図を眺め、今日はこの学びのフレームワークを眺めています。そうすると、同じものを見出すことができるのです。涅槃のことを今はウェルビーングというのかと。いえ、もちろんWell-Being(ほぼ、しあわせの意)と比較すべきは、お釈迦様がお生まれになった「仏誕」や、悟りを開いた「成道」を思い浮かべてもいいのですが・・

(幸せ)

(涅槃)

 

それはともかく、この図の右側の◯の要素に注目してください。具体例を考えると、意味深いことを要約しています。

 

 

涅槃図を見ながら

2021/08/31

(失神している阿難)

千代田区の保育の未来を考えたり、人々の「しあわせ」について思い巡らしていると、なんとなく「ブッダの教え」を思い出したり、涅槃図を眺めたりしてしまいます。約2500年も前に実在したゴウタマ・シッダルータが80歳で亡くなられた時の様子を描いた絵のことです。いくつもの種類がありますが、横たわるブッダの周りに天からは母親のマーヤーが泣き腫らしながら降りてきて、周囲には僧侶や共に過ごした人々が取り囲んでいます。

またありとあらゆる動物(ミミズも描かれていますが)や虫や草木までもが、悲しみを堪えて集まっています。どの涅槃図を見てもつい探してしまうのが気絶している一人の弟子です。彼は悲しみのあまり気絶してしまうのですが、私がこの気絶している弟子が大好きなのは、彼はお釈迦さまがいなくなってしまったあとをどうして生きていったらいいのかと嘆き悲しむのではなく、それよりも何よりも、ひたすら求めているのに悟りに至らない自分を顧みて気絶してしまうような一途さが描かれているように思うからです。彼こそがアーナンダ、阿難です。

これは人生のテーマですが、これを保育のテーマにトレースしてみると、保育の質がわかった!と悟ったつもりになっても、なんのなんの、所詮はお釈迦様の手のひらの上ではないか。そんな風に考えてみたときに、大事なことを、この涅槃の様子が表している気がします。

大いなるものに繋がっている/いたいという実感。それが失われていく渇望。その奇跡がしめす幸いということ。

千代田区就学前プログラム

2021/08/30

千代田区は「就学前プログラム」を持っています。これは「千代田区の地域特性を踏まえ、各園の特色を尊重しつつも、区立・私立等の設置主体の別や、保育園・幼稚園といった認可形態の別にとらわれることなく、子どもの発達や学びの連続性を考慮し、0歳から5歳の発達段階に応じて確実に経験させたい内容を明らかにしたもの」です。作成されたのは平成25年3月なので、新しく改定することになり、本日30日、その第1回目の策定委員会が開かれ参加してきました。

委員は15名。区内小学校代表として「番町小学校」の渡辺裕之校長、区立幼稚園からは「千代田幼稚園」の穴原江実園長と「九段幼稚園」の横澤峰紀子園長、区立保育園からは「西神田保育園」の永野京子園長と「四番町保育園」の小宮三枝子園長、私立保育園からは私と「ほっぺるランド西神田」の吉田ひとみ園長、認定こども園からは「グローバルキッズ飯田橋こども園」の小松崎珠美園長、地域型保育事業からは「ゆうてまち保育園」の射場紀江施設長、幼保一体施設からは「小学館アカデミー昌平保育園」の手塚知子施設長、そして関係団体区民代表として主任児童委員の佐藤祐子さん、発達支援事業からは「児童発達支援・放課後等デイサービスぴかいち」の中田弾代表理事。委員長は学識経験者として参加された青山学院大学の福元真由美教授が任命されました。また副委員長は区立教育研究所の大関邦子教育研究専門員が指名されました。教育委員会から清水章子ども部長が参加しました。

今日の会議は、委員・副委員の選任に続いて、新井玉江子ども支援課長がこのプログラムの性格と改定の趣旨、今後のスケジュールを説明。その後、福元委員長が「就学前教育をめぐる国の動向」を解説しました。今日は初顔合わせの意味もあり、自由に意見を交換しました。

20210830 千代田区就学前プログラム改定について

20210830 千代田区共育大綱

私は議論したいこととして、使いやすいプログラムの表現スタイル、保育の質の考え方を挙げました。「目指す子ども像を検討することは、子ども観を検討することであり、それは人の発達観と保育観を話し合う必要があります。保育の質は自明のものではなくて、皆さんと何がよいことなのかを丁寧に話し合いたい」と申し上げました。

今日配られた資料をここに載せておきますので、皆さんもご覧ください。時代の危機は約10年後の2030年に到来します。その時点までに軌道に乗せておかなければならないことが山積みです。そこを見通して、今後の就学前の子育てのあり方を議論します。次回の会議は11月と3月です。保護者の皆さんもご意見があれば、ぜひ教えてください。

また今日の資料にも掲載されていたのですが、今年1月に中教審が答申した「令和の日本型学校教育」について、日本PTA全国協議会が動画にしているので、わかりやすいのでご紹介しておきます。小学校の教育は「個別最適」と「協働的学び」がキーワードの学習に変わります。これは当園での「遊び」を「学び」へ転換するものであり、とても馴染みのあるものと言えるでしょう。この辺りのことを、皆さんと9月のリモート茶話会「コーヒータイム」で語り合いましょう。

http://www.nippon-pta.or.jp/news/apleht0000001l5m.html

 

こんな子どもの姿に寄り添いたい

2021/08/27

(園だより9月号 巻頭言より)

子どもの意見や考えに耳を傾け、心を寄せることができる大人になりたいと思うときって、ありますか。私も含めて「子どもは不完全で、大人は完全だ」と勘違いしている大人がいっぱいです。なので、子どもの意見や考えに近寄ろうとしないとダメだあ、といつも反省することばかりです。でも、どうやって? どういうことが子どもに寄り添うということなんだろう? そんなことばかり考えながら、これまで保育の仕事をしてきました。

そこで、私にとってヒントになったのは、次の5つの「ウェルビーング」の視点です。この視点で子どもを見つめてあげることでした。

 

まず、一つ目は子どもが遊びに没頭している姿です。時間を忘れて、我を忘れて物事に積極的に関わっているとき、子どもは「その子らしいな」と感じます。園生活に遊び込んでいる時間をたくさん作ってあげたいと思います。

二つ目は、子どもが闊達に感情が躍動している時です。楽しい、嬉しい、面白い、おかしい、愉快だ、すご〜い!そんな姿の時は子どもの心がポジティブで「今、新しい世界を見つけたんだよ!」とでも言わんばかり。私たち大人の心も明るくなりますね。

三つ目は、子どもが「ねえ、できた!」「これ、みてえ!」と何かを達成したときです。やったあ!という達成感や満足感が全身からあふれ出そうになっています。わあ、すごいねえ。よし、飾ってみよう。みんなに見せてあげよう。子どものセンスや努力や興味・関心の力強さが表れています。

四つ目は、友達や仲間との心のやり取りです。これはみていて微笑ましいし、人が人であることの証を見せてもらっているような幸せを感じます。妹思いのお兄さん、弟思いのお姉さん。じつの兄弟姉妹ではなくても、異年齢の大家族のような生活の中に芽生えるやさしさ。助けてあげたり、教えてあげたり、分かち合ったり、思いやりを受け取り、与え合う関係の発達が園生活にたくさんみられます。

そして五つ目は、こんな子どもの存在自体が愛おしく、その「かけがえのない命」の営みの神秘、不思議さを感じながら、ともに子育ての仲間である所属感を充実させること。それができることへの感謝。子どもたちから、勇気づけられ、生きる意味を見出せることへの充実感。

この五つに名前をつけるなら、「没頭」「ポジティブな感情」「達成」「思いやり」「人生の意味」ということでしょうか。こんな子どもたちの姿が混ざり合い、響き合いながら、毎日の生活を常に新鮮な時間に蘇らせていきたいと強く思っています。

 

幸せの条件について

2021/08/26

子どもは不足してる存在で、発達や成長していくことで豊かになっていくと考えがちですが、そのような見方をやめて、初めから豊かであり、有能であり、大人以上に幸せであると私は考えます。どのような視点を大切にするかで見方は変わってくると思います。

赤ちゃんは生まれながらにして有能であり、人と気持ちを通わせたがっていることの説明に、よく引き合いに出される話があります。赤ちゃんを抱っこして授乳している時、赤ちゃんは時々飲むのをやめることがあります。すると保育者は「ほら、どうしたの、飲んでごらん」などと言って、親や保育者は体を静かに揺すぶってあげることを無意識にします。これは赤ちゃんがあやしてもらうことが心地いいので、それを期待して「飲むのをやめる」という解釈があります。赤ちゃんの方が大人の行動を引き出すように働きかけているのです。

人との関係の中で、積極的に働きかける力があり、それを達成させると嬉しくなり、その行動に没頭します。この時赤ちゃんは幸せな時を過ごしていると言っていいでしょう。この事例の中に見られる要素を取り出すと、まず他者との良い関係があると人は幸せです。保育者から望んでいる援助を受けています。2つ目は何かを達成していることです。望んでいることが達成できることは幸せです。3つ目はポジティブな感情に満たされることです。嬉しい、美味しいという内的受容感覚が満たされます。4つ目は時間を忘れて積極的に関わっています。没頭している時間が流れています。大人になると、これに「人生の意味や意義の自覚」が加わります。自分は何のために生きているのか。自分ともっと大きなものとの関係を意識します。大人は人生の意味の物語を作るのです。

このような状態を幸福で健全な状態、つまりウェルビーングといいます。幸せになる条件とは、成長や発達を条件にしているのではないのです。今できないことができるようにならないと幸せになれない、ということではなく、すでにいくつかの条件があれば、幸せな状態は作り出せるのです。このような「子どものイメージ」を選ぶことが、価値選択です。大人が何を良いこととみなすか、どんな価値を選択するのか、何を大事な価値とみなすのか、ということです。

「自分らしく 意欲的で 思いやりのある子ども」という子ども像は、目標として捉えることができると同時に、赤ちゃんの頃から実は持っているものであり、発達のそれぞれの段階にふさわしい姿に変容していくものなのではないでしょうか。すでにあるものが条件によって引き出されたり、形を変えて何かに「なる」というものが成長なのかもしれません。

何を大切にするかを一緒に考えましょう

2021/08/25

保育のことを保護者の皆さんと語り合いたい。そういう思いに駆られています。そして、日本の保育界が今、大きな帰路に立たされていることを、皆さんにお伝えしたいと思います。昨日24日、開園前のことを区役所の担当者と話し合いました。そして思い出したのが、その方が開いていた勉強会のことです。

千代田せいが保育園が開園する前に、千代田区役所の小さなブースで平日の夜、月1回ほどの勉強会が開かれており、そこに毎月参加していました。参加者は多くて10人ほど。千代田区の公立や民間の先生も来て、ぞれぞれの園から話題提供して語り合うというものでした。その頃、私は「地域を園庭に」の構想を具体化するために、平日は八王子市の「南大沢駅」まで通勤していましたから、休日に千代田区を歩き回り、日々の散歩コースやバス遠足の候補地を探し回っていました。また千代田区には「園長会」がいまだにないので、少しでも知り合いを増やしておきたいという思いもあって、夜7時ごろから9時ごろまでの「勉強会」に毎回参加していたのです。千代田で働くことになる職員も誘い、情報収集に協力してもらいました。

私たちの仕事はパブリックワークです。公的な仕事です。日本の保育施設は、1990年台から顕著になったのですが公立から民間へ、いわゆる「民営化」がどんどん進んでしまいました。背景には新自由主義の「市場原理」を教育や福祉にも導入し、施設同士の競争によって質を向上させ、保育サービスの多様化を図ることが「政治決定」されたからです。待機児童解消というテーマが政治問題となり、ますます民営化へと拍車をかけました。

その導入は比較的簡単でした。「規制で守られているから創意工夫が足りないんだ、規制緩和しよう」というと、反対する人はあまりいません。反対は職域が減らされていく公立の保育園の先生たちぐらいでした。規制緩和というといいことのように聞こえますが、国が定めた最低基準(面積や保育士の数)を下回ってもいい、というわけですから、狭いところに詰め込まれるし、人はたりなくなるし、保育士の仕事は3Kになってしまいました。パートさんを増やすしか方法はありません。やめていく保育士を補充するために、派遣会社に頼るしかありません。市場原理を導入した経済学者は、人的流動性が高まったので「よし」と肯定します。

自治体の行政サイドも、公立保育園を増やすよりも、民間セクター(社会福祉法人、株式会社など)に任せてしまった方が、運営費が安く済みます。保育のコストは8割が人件費ですが、公務員が保育をするので、組合との力関係もあり民間に任せた方が遥かに安上がりなので、議会も民営化をどんどん進めてしまいました。この20年で子育てが豊かになったでしょうか。待機児童は減って働きやすくなったかもしれませんが、幸せになったでしょうか。子どもたちの虐待が減ったでしょうか。小中学生の学力や生きる力が「公教育」で向上したでしょうか。塾などの民間セクターの任せっぱなしのままで「公教育」はいいんでしょうか。

保育の質が公教育としての質ではなく、保育サービスの商品の質のようになってしまったことで、失われていくものに気づく必要があります。皆さんが保育園を選ぶという行為は、保育の質を選んでいるのですが、その背景には政治的な力学が働いていることになります。競争原理で質を高めるのではなく、子どもと子育て家庭のウェルビーング(幸福・健全性)の質を高めていきたい。ウェルビーングの子どもの姿は、園だより9月号の巻頭言で少し説明します。この質を高めていくために、皆さんと対話の場をぜひ作りたいと思います。9月からコロナ禍でもできる「コーヒータイム」「リモート懇談会」などをやりましょう。ぜひご参加ください。

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