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絵本(保育アーカイブ)

全園児健診、屋上の活用、楽しい絵本

2020/11/18

◆全園児の健康診断

認可保育園は園児の健康診断が義務化されています。乳児(0歳児クラス、ちっち組)は毎月、そのほかのクラスの子どもは年2回です。今日はその年2回のうちの2回目(1回目は春、2回目は秋)でした。ただし、1歳2歳5歳は先月10月に済んでいますので、今日は3歳と4歳の健康診断をしました。

園医さんは、医療法人社団 昌仁醫修会 瀬川記念小児神経学クリニック(星野恭子理事長)の野﨑真紀(のざき まき)先生です。発達障害の診断もできる日本小児科学会認定小児科専門医です。保育園の園医さんが小児神経系の専門医であることは、とても心強く、恵まれた環境にあると言えます。

乳幼児の心身の発達を医学的に診断してもらうと、多くのアドバイスをもらえます。食と運動の生活習慣が小児生活習慣病に影響するのと同じように、睡眠を含めた生活リズム習慣は子どもの脳の発達(心理や行動)に大きな影響を与えます。わいらんの子どもたちは、この時期に改善できる余地がかなりあります。野島先生も「ぜひ受診してほしい」とおっしゃっていました。

◆屋上を効果的に活用

屋上が広くなったことで、園庭代わりの運動スペースとして機能し始めました。すべてのクラスが時間をうまくずらして活用しています。昨日は乳児が屋上でかけっこや体操を楽しみ、にこにこ組(2歳時クラス)も今日、屋上でトランポリンを楽しみました。幼児は、今日は全園児健診で散歩にでかける時間が取れなかったので、年長児すいすい組が午睡時間に屋上で劇遊び「エルマーの冒険」をやり、午後のおやつのあとは幼児(わい、らん、すい組)が2グループに分かれて、ボール遊び(転がしドッチ)に汗を流していました。

朝の運動ゾーンでの活動、午前中の散歩や公園遊び、そして午後の運動の時間と、体を動かす機会を増やすことができそうです。乳児はベランダと散歩に加えて屋上がプラスされました。また幼児(わいらんすい全体)は今週月曜、火曜と2日続けて「佐久間公園」まで行っていますが、今日のように外へ出られない時は屋上も使って運動不足にならないように活用できるでしょう。

◆ちっちぐんぐんが福田さんの読み聞かせに集中

今日水曜日は恒例の福田さんによる読み聞かせがありましたが、にこにこ組(2歳児クラス)のあとは1階のちっち・ぐんぐん組(0歳・1歳児クラス)で読んでもらいました。

 

乳児への読み聞かせは、先週から始まったのですが、2回目の今日はもうよく覚えているのか、人見知りするどころか、福田さんの前に早速寄っていって座り「かぶりつき状態」に。福音館書店から届いた最新の12月号「ひょうたん ころころ」を含む3冊を読んでもらいました。ひょうたんがリズミカルな言葉とともに転がるたびに、ちっちさん、ぐんぐんさん、笑顔で楽しそうに見入って(聞き入って)いましたよ。(ちっちのブログもご覧ください)

 

楽しみな絵本の読み聞かせ

2020/11/04

今日4日(水)は福田さんによる読み聞かせがありましたが、この時間を楽しみにしている子どもたちがたくさんいます。たとえば、2歳児クラスのにこにこ組の子どもたちは、朝から「今日、福田さんくるね」と待ち遠しくしているそうです。実際に読み聞かせが始まる時間になると、あっという間に丸テーブルに集まり、読み終わると「タッチして〜」「またきてね〜」と手を触りスキンシップも求めていました。にこにこの先生も「水曜日は朝からとても張り切っているんです」と喜んでいます。

わいらんすい(3〜5歳)の子どもたちも同じで、2グループに分かれているのですが、後半のすいすい中心グループは、予定していた絵本が終わると「え〜、もう終わり。これも読んで!」とリクエストも。前半グループで読んでもらった絵本ももう一回読んでもらっていました。

 

いい絵本は子どものことをよくわかっている

2020/10/22

エルマーの冒険を読んであげていると、この本は子どものことがよくわかっているなあ、と感心します。子どもの反応をあたかも予想しているかのように、文章が展開して行くのです。私の話に聞き入っているのは年長さん数人。お昼寝をしない子どもたちにとって、午後1時から3時ごろまでは、活発に体を動かすことはせず、比較的静かにして過ごしているのですが、10月から週2回、物語絵本などを読み聞かせています。先週が「おしいれのぼうけん」だったのですが、今日22日は「エルマーのぼうけん」の途中までです。この大ベストセラー絵本のストーリー展開は、子どもの「次どうなるんだろう」と「きっとこうじゃない?」を強く刺激します。船で密航して「みかん島」まで行くのですが、小麦の袋に隠れて歪な形になってしまい、船員に見つかってしまうのではないかというハラハラする場面では、船員がエルマーの「ひじ」を触って「枝のついたとうもここし」だろうと勘違いすると、すいすいさんたちは、安堵とおかしみと痛快さの混じった、なんともいえないため息を漏らしました。「こういう場面が子どもたちにとってはたまらないんだなあ」と感心します。今日は「どうぶつ島」まで渡りきり「いのしし」に疑われるところまで読みました。空を飛んでみたいエルマーは、子どもの恐竜を助けることができるかどうか、すいすいさんたちの夢見る物語は来週も続きます。

区立図書館へ行こう(イベントの案内)

2020/10/20

◆千代田区立図書館からイベント案内

10月27日から11月9日は“読書週間”です。毎年たくさんの方でにぎわう「神田古本まつり」と「神保町ブックフェスティバル」は、今年は残念ながら中止となりましたが、千代田区立図書館では、読書の秋にぴったりの楽しい展示やイベントを開催しています。ぜひ足を運んでみてくださいね。

vol.10千代田区読書振興センターからのお知らせ

vol.10ポスター

 

子どもは絵本を絵で読んでいる

2020/10/15

◆子どもは絵本を絵で「よんで」いる

昨日水曜日は、もうお馴染みの福田さんによる絵本の読み聞かせがありました。福田さんがにこにこの部屋に入ると、丸いテーブルにさ〜っと集まってきます。2冊の絵本を読んでもらうと、別れを惜しむかのように、いつまでも離しません。タッチしてもらったり、絵本を読んでもらったことへのお礼なのか、お店屋さんごっこの食べ物を「は〜い、どうぞ」していました。

3歳4歳のわいらんの幼児には『ムカムカ ドッカーン』絵本を読んでもらいました。帯には「怒りと上手につきあう方法が物語で学べます」とあります。アンガーマネジメントの絵本なのです。このテーマの本は結構あるのですが、子ども向けの絵本も登場しています。

実はヒトは感情をコントロールする感受性のピークが満1歳ごろにくるのですが、幼児になっても怒りを制御できにくい時代になっているのは、核家族になって乳児の頃からの乳児同士の関わりが減っているからです。保育園にはそれができます。自己主張のぶつかり合いがしっかり体験できるのが、せいがの環境なのです。もう一冊は昔話の『はなたれこぞうさま』でした。

ところで、文字が読めるようになると、大人は絵本を文字で「読んで」しまいがちです。絵よりも文字で意味を理解しようとします。しかし本来、子どもは絵本を絵でよみます。「ああ、文字が読めるようになって残念。絵本を文字で読んで、絵を読まなくなってしまうから」。うちの保育園の先生から今日こんな話を聞きました。こんな素敵なことを話す保育士さんがいらっしゃったそうです。

絵でお話を理解しているベースの上に、読み聞かせてくれる大人の声が重なってくるのです。ですから、いい絵本は絵で物語がわかるものです。それが分かりにくいと子どもには「面白くない」と感じる時期があります。ひとりで絵本を楽しむ姿が保育園には結構多くあります。その子なりの「絵解き」の楽しみがあるようです。

日本人が月に感じてきたものは・・

2020/09/28

清々しい青空がトップニュースになった今日28日(月)、富士山に初冠雪も見られました。季節は確実に秋です。こんな気持ちのいい季節を子どもたちと実感したくて、10月2日(金)の中秋の名月までの今週1週間は、秋づくしの予定です。

布川先生による習字は「月」。ひらがなと漢字で、しかも楷書だけではなく草書も併せて、楽しみました。草書は元の漢字や平仮名を崩すのですが、月の場合はまるで象形文字のように受け止めて楽しめます。三日月のようにも見えたりして、月と文字に秋の風情を感じる時間になったようです。

いただいたものも含めて園内にいまある絵本の中には、「月」に因んだものが8冊ありました。そこで夕方の望遠鏡での観察の前に『お月さまってどんなあじ?」と「ぽんぽん山の月」を読んであげました。前者はわいわい・らんらんぐらいにぴったり。後者はすいすいなら主題が伝わるかな?というものでした。

うさぎがお月さまにいるのは、古い仏教の説話が元になっています。火に自らを投じて自分を食べさせようとした優しいうさぎの話です。それを彷彿とさせるのが「ぽんぽん山の月」。ここには優しい山姥(やまんば)が、可哀想な子うさぎを見かねて、自分のお団子を恵みます。お母さんが漁師に打たれて亡くなっていることを知らない子うさぎたち。その、子うさぎは、お月さまでお餅をついているおかあさんからのものだと喜ぶのです。

今日は夕方になって雲が出て、望遠鏡によるお月見はできませんでしたが、実は6時40分すぎに、山崎パン本社の真上に雲からのぞいてくれました。その写真は以下です。今日こそは見れるといいですね。

 

絵本の読み聞かせ

2020/09/02

静と動、集中と発散。絵本は静と集中にもってこいの贅沢なひと時です。今日2日(水)は先週に続き福田さんによる絵本の読み聞かせの会が開かれました。

毎日繰り返される園生活の中には、絵本を読んでもらうのにふさわしい時間帯というものがあります。例えば午前中のお集まりの前後、ひと遊びした後のお昼ご飯の前、あるいは食後の一時、お昼寝に入る前の一時、夕方のお集まりの前・・・。そうしたいくつかの絵本タイムにふさわしい時間の中で、今日は午後のおやつの後の時間になりました。

2歳児はおやつが済んだ後にクラスの丸いテーブルのあたりで、3歳以上の子どもたちは3階の運動ゾーンで行いました。子どもたちが選んだ絵本は・・

2歳にこにこ組 「おばけなんてないさ」「せんろはつづく まだつづく」

3歳わいわい組 「ねずみさんのながいパン」「じゃがいもポテトくん」

4歳らんらん組 5歳すいすい組 「おとうさんはウルトラマン」「アリババと40人のとうぞく」

そのほか、2歳では子どもから「パンやさん」のリクエストもありました。

 

能は飛び出す絵本だった?!

2020/08/31

能や狂言は、大人の絵本だと思って見てごらん、と学生に語ったことがあります。物語の内容にそれほどの差異はなく、舞台芸術か紙媒体かという違いはあっても、能は飛び出す絵本のようなものだよ、そう思って見たら、とても面白いよ、と。

能の物語の中で、この世のものではない幻想性を背負って登場するのがシテであり、その物語を可視化してくれるものがワキの役割ですから、絵本はその製本と編集の中にワキと同じ役割があるのかもしれません。

そんなことを考えてしまったきっかけは、物語の中に潜む「日本らしさ」を調べていた時です。子どもに読んであげたい絵本を紹介しているものの中に、必ずといっていいほど登場する「さんびきのやぎのがらがらどん」と、柳田国男が日本のオリジナルな物語だと思い込んでしまった「大工と鬼六」が、実はどちらも同じ北欧の伝説に起源を持ちます。

論文「大工と鬼六」

子どもたちがお話の中に引き込まれていくのは、「次はどうなるんだろう」というワクワク感、ドキドキ感があるのが大きいのですが、大人になると「子ども騙し」では本気になれないので、大義や正義や手の込んだミステリーや圧倒的な力の張り合いなどを必要とします。

横浜で今、展覧会が開かれていますが、私はバンクシーの絵が、良質な絵本の物語のあり方に最も近いものを感じます。「あ、絵本を紙じゃなくてストリートにしたのか!と」。ちゃんと時間が止まっていて、絵を(言葉じゃなくて)読むことができて、その気づきまでの間が楽しい。

きっと印象派が登場した時のセンセーショナルな新鮮さは、こんな感じで当時のタブーに触れていたのかもしれないとさえ、感じます。そして、この新鮮さに似た面白さを子どもたちは絵本の昔話に感じてほしい。子どもは本来的に、そんな風刺的センスをもっていて、それを楽しんでいるなと感じるからでもあります。また、狂言のようなおかしみのセンスも持ち合わせています。そんな言葉と表現の感性をくすぐるような、絵本との出会いの時間があったらステキだなと、最近考え始めています。

いい絵本やお話が想像力を豊かに

2020/08/29

私たちは、この子どもの想像力が作り出している物語に気づくことができるといいのですが、そばにいてもそれがわからないことが多いものです。そばにいる子どものことでさえ、紡ぎ出している「物語」の内容を知ることが難しかったりするのですが、さらに知ることが難しいかもしれないのは、私たち自身が、知らない間に、大きな物語の中の「役者」になっていることです。

◆ライフサイクルの物語

たとえばーー。自分や家族のために努力して生きてきた人たちが、我が子の子育てを終えて、自分の仕事もリタイアしたとき、次世代を担う後継者の育成に力を入れたり、あるいは孫や他人の子どもの教育に「人生最後の情熱」を傾けようとする姿に出会います。

この世代間のバトンタッチもまた、人間だけが見せる「文化」の一つかもしれません。しかも世代から世代へと後戻りしない前進です。それまでの功績や遺産を後世に受け渡していくので「文化の累進的進化」といわれています。

紐を締める工具に「ラチェット」というのがあります。カチャカチャとハンドルを回すと紐がピーンと締まるのですが、手を離しても歯車は戻りません。そこから、後戻りしない前進を「ラチェット効果」といいます。これが人類の文明の前進力になっています。

現役の時は同世代と熾烈な競争を演じるのに、その戦場から退くと、次世代には今の世代を乗り越えていってほしいと願うようになるのは、面白いですね。

ところで、競い合いの舞台から降りて初めて、自分を客席から眺めてみて気づくことがあるのです。「あのガムシャに勉強し、競い合わざるを得なかった市場原理とは、いったい何だったんだろう?」と、今になって冷静さを取り戻すわけです。ただ、もっと早く、その市場から撤退して生きている人も増えている気がします。私たちは経済成長という物語から逃れられる方法を発明しなければなりません。

◆いい絵本やお話が子どもの想像力を豊かにする

文字がまだない時代。旧石器時代から伝わる口承文化には、人生とはなんたるものか、ということを物語で語り明かしてくれます。人生の大先輩が子どもに語り聞かせておきたいと願ったものが、綿々と受け継がれてきたもの。それが昔話でした。人生の最後の情熱が昔話を語ることだったと考えると、その内容に目を凝らしたくなります。

そうだったからこそ、言葉を聞いて意味が分かり始めるころ、昔話を聞かせてもらうことは、再現衝動の中で生きる子どもにとって、紡ぎ出す遊びも豊かにしていたはずです。絵本を読んであげたい理由はこの辺にもあります。

昨日、2歳の子どもたちが取り合ったウサギの話をしましたが、それに投影された子どものイメージがあるはずで、そのイメージは、良質な物語に接することで、また違ったストーリーになっていくのでしょう。子どもたちのウサギが必要になった物語を想像しながら、どんなお話で彼らが生きる世界を用意してあげたらいいのか。それを考えることも「環境を通した保育」に違いないのです。彼らにふさわしい昔話というものがあるかもしれません。

物語の中で「気」が躍動する

2020/08/28

園だより9月号「巻頭言」の続きです。

このところ、絵本や昔話に関する話を語ってきましたが、次のような物語に、似ているものを見つけました。2歳の子ども同士の「人形の取り合い」を生じさせる物語と、ライフサイクルの最終段階になって気づく人生の物語です。

◆2歳の子どもの物語

25日(火)のことでした。午後2時過ぎから30分ほど、午睡中の2歳児クラス「にこにこ組」で担任とミーティングをしていました。そのとき、子ども2人が、私たちのそばで、パズルをして遊んでいました。傍らで見ていると、仲良く遊んでいた2人ですが、突然、お気に入りのウサギの人形を独り占めしたくて、取り合いになります。

なぜ、ついさっきまでは誰も気にとめてもいないその人形が、突然、2人にとっては、一歩も譲れない「わたしのもの」になるのでしょうか。

それは一重に「想像力」の力なんだと思えます。

想像力とは、目に見えないものを思い浮かべることができる力のことですが、そのウサギの人形が、それまでの人形ではなくなり、それぞれの子どもにとって、何か特別な、魅力的な、といってもいい、それじゃなくちゃダメな、何かに変貌したのです。その「何か」は、それぞれの子どもの想像力によって生まれたものです。

◆「気」が変幻自在に物語を動き回る

これを興味や関心が「向いた」という言葉で語りたく「ない」のは、自我と対象を律儀に遠ざけてしまうような言葉遣いに感じるからです。そこで日本語は、「気」という言葉を上手に使い分けます。2人はウサギが「気に入った」のだと説明します。この「気」は子どもからウサギに入ったのか、それともウサギから子どもへ入ったのか、どっちなんでしょうか?

子どもと物との関係を「気」で表す日本語。このテーマに深入りするのは避けますが、ここでは、その気にさせたものはなんだったでしょう? 私はそれは「物語」だと考えています。ウサギが二人に想起させたもの、それは二人が何かをストーリーの中を生きている時に、そのウサギと出逢ってしまったのでしょう。

こんなことができるのは、人間だけなのですが、そばで見ていて、それは一瞬で終わってしまったショートストーリーでした。そして、2人がどんな「物語」の中を生きていたのかわかりませんが、それぞれの遊び始めたストーリーの中で、どうしてもそのウサギには登場してもらわないとならない主役に変わったのです。だから「取り合いになった」のでしょう。

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