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見守る保育(保育アーカイブ)

社会の変化を見通した成長のあり方とは?

2025/02/05

園だより2月号「巻頭言」より

 毎年この時期になると「子どもの育ちと自らの保育」を振り返るのですが、そのための数ヶ月ごとの記録がある種の「物語」が浮き出てくるのが面白いのです。その集大成となるのが当園の場合は「成長展」と呼んでいる行事になるのですが、数ヶ月ごとに定点観測のように録ってきたエピソードや子どもの作品を追っていくと、一人一人の変化を発見できます。この行事はその変化のプロセス(成長)を家族と先生と一緒に喜び合いたいという趣旨になります。

 この成長の物語が、彼らが大人になった時の時代に花咲く物語であるのかどうか? それに相応しい経験の物語になっているのかどうか? すでに、その待ち受けている社会の変化は加速度的に速くなっており、どうなるのか不確かで、複雑で、しかも物事の意味や帰結があいまいになり、明確な意思決定を行うのが難しいと感じる時代です。昨今の話題はそれを物語っているようにみえてきます。

 OECDの「教育とスキルの未来2030年」まであと5年です。大学共通テストをChatGPTが91%(昨年は66%)正解する時代です。「AIを使えば簡単に解ける問題を自力で解けるようになるために小中高12年間を勉強する必要があるのか?」という問いは、冗談ではなく、真剣に考え抜く必要があるでしょう。

きっと「学習者が継続的に思考を改善したり、意図的かつ責任のある形で行動できるような反復的な学習プロセス(AAR)」が、どうしても不可欠になってきました。これは大人も同じでしょう。世間の騒動をみてもそう思います。本当にあと5年しかありません。その頃から始まる学習指導要領を今から決めなければならないのですが、当然10年サイクルでは遅すぎるという話が出てもおかしくないだろうなあと思います。

それでも、いまのそれが大事にしていることが、将来も通用することがあって、それがまだまだ実現されていない、という側面を忘れてはならないでしょう。要領や指針はその深読みがきっと大事なのでしょう。社会の中で育つ人間は、その経験を社会でします。それはAIでは経験できません。保育園は間違いなくAIができることを永遠に包摂する身体的で社会的な空間であるといえるのではないでしょうか。ちょっと、おこがましいかもしれませんが、その空間の延長線上に学校のあり方も変わっていく必要がある気がします。

第5回 全国実践研究大会in熊本(2日目)

2025/02/01

大会の2日目は、6つの実践報告がありました。昨日の講演やトークセッションで語られたことが、いわば理論だとするなら、今日の保育実践の事例は、それを具体化したものと言えるものばかりでした。少し詳しく報告します。それぞれにきっと参考になる工夫と今後の見通しが語られているからです。とくに学校教育の構造転換提案の3つの柱を「苫野一徳プラン」と呼ばせていただくと「藤森プラン」(つまり要領指針の具体化の一つ)との接続がかなり重なると思います。

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同年齢でも異年齢でも「子ども同士の関わり」で育つものがたくさんあるのですが、苫野プランでいう1と2の柱になる実践でしょう。ある種プロジェクト的な継続的な活動を異年齢で協働して作り上げていく事例が報告されました。その活動のなかで育つものがよくわかる事例でした。

🔳井尻保育園(福岡)は「笑顔・意欲・生きる力〜異年齢の関わりで育ち合う子どもたち」。

天気のいい日は乳児から幼児まで総勢235人が園庭で夢中になって遊んでいます。報告されたのは、運動会のお神輿リレー競技を作り上げていく過程でした。異年齢の5グループがペンギン、いか、ひとで、くらげ、ちんあなご、といった海の生き物を作っていきます。海の生き物を何にするのか、5歳児が3〜4歳児の気持ちを汲み取りながら、図鑑を見せたりして時間をかけて決めたそうです。どんな形のものをどうやって作るのかも、4〜5歳児がアイデアを出しあい、3歳児の興味も引き出されながら、みんなで試行錯誤しています。

一つものもを力を合わせて作り上げて完成させる喜びはひとしおです。自分たちで考え、話し合ってできた自信は、次のハロウィンパーティにも生かされます。お化け屋敷、ダンスパーティ、お楽しみコーナー、写真スポットなど、話し合いの結果すぐ決まり、5歳児がリーダーとなって自分たちで役割も分担してきめてワクワクしながら仲間と一緒に楽しんだ。そんな報告でした。

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子どもたちが意欲的に活動していくために、保育ではよくアタッチメントの話が重視されます。不安になったり困ったししたら安心できる人に避難したり保護されて、また回復して元気を取り戻してそこを離れて、遊び始めます。「安心感の輪」モデルでは避難場所であり安心基地になるのが家庭では親、園では先生ということになるのですが、子ども同士の関係が育っていくと、とくに異年齢の関係が豊かな場合は、その安全基地に年長の子どもがなることもあります。さらに安心毛布などの移行対象が、保育空間や子ども集団であるのではないかと思えることさえもあるのです。

🔳加茂川保育園(熊本)は「2023ー2024 の保育実践と安心感の輪の広がりを考察する」。

この報告では職員がどのように子どもの安全基地になっているかを、子どもへのアンケートから調査したユニークな事例報告でした。幼児クラスの子どもたちに以下のような11の質問をしています。そして、乳児と幼児の担任、調理などの役割での違い、経験年数、個人差などで興味深い結果がでました。

この園でも異年齢保育をしているので、幼児の子どもたちでも、現在乳児を担当している先生も選ばれています。職員全体で幼児を保育していることがよくわかるものでした。また子どもが先生の違いをよく把握しており「子どもは気持ちや状況にあわせてしっかり大人を選択して、いろんな人と関わって成長していると感じた」「ちゃんと関わりを持ってくれる先生や安心できる先生を見つけられていて嬉しく思った」「自分で思っている自分と子どもに写っている自分が違うことに気づいた」などの感想が紹介されました。

1朝保育園に来た時に「おはようございます」を言いたい先生や会えた時に笑顔になる先生は?

2お部屋の中で遊んだり何かを作ったり、描いたりするときにいてほしい先生は?

3園庭で遊んだり、散歩したりする時にいてほしい先生は?

4運動遊びや思っきり体を動かして遊ぶどきにいて欲しい先生は?

5歌を歌ったり、踊ったり、リズム運動をしたりするときにいてほしい先生は?

6給食やおやつを食べる時に一緒に過ごしたいと思う先生は?

7お昼寝の時や、少し休みたいときにそばにいてほしい先生は?

8自分の気持ちや話や、考えていることをしっかり聞いてくれる先生は?

9何かができるようになったり、挑戦したりする時にそばにいてほしい先生は?

10悔しい時、悲しい時、寂しいと感じた時にそばにいてほしい先生は?

11満足しているとき、嬉しい時、心地いい時にそばにいてほしい先生は?

保育は子どもと気持ちの交流があって初めて成立します。先生が毎日、一人ずつの子どもと心を通わせているかどうか、子どもの側からみた安心基地になれているかどうか。それらがあって初めて、子どもにとって先生が安心の見通しであり、ちゃんと「見守られている」と思えることになるのでしょう。

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安心して遊び始める世界には、子ども同士の関係があります。それが人的環境としては不可欠なわけですが、そこをどうやて豊かにしていくといいのでしょうか。乳児から幼児への架け橋といっていい「2歳児クラス」の保育テーマです。そこに「自立」のプロセスを実践から報告したのが次の事例でした。要領・指針には領域ごとに「内容の取り扱い」がありますが、人間関係の一つ目は、いわば「見守るための保育者の関わり方」が4つ書いてあります。その実践例にもなっています。

🔳しんじゅくいるまこども園(東京)は、テーマが「自律心」。

安全基地としての保育者が、子どもの自発性を大事にしながらも、集団生活を行う社会性を育むために、それまで以上に自分を好きになるように「受容を大切にしながら」、一方で社会性を育てるために友達が好きになり、友達を一緒に楽しむことがしやすいような工夫しました。それを「みんな(少しずつ友だち同士)でやる楽しさやルールに気づかせる保育」と説明しています。そこから、異年齢の仲間との関わりが増えていき、相手の違いに気づいて、話し合いながら相手に合わせてルール変えて鬼ごっこを楽しんでいる様子が紹介されました。

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子ども同士の関わりをサークルタイムを通じて育んだ事例の報告が次です。

🔳デュランタ保育園「試行錯誤のサークルタイムー子どもたちの成長の裏側」。

乳児のお集まりも習慣になったり、2歳児クラスでは絵本「おおきなかぶ」を楽しみ、劇遊びにも発展し、その後の話し合いでは「そのあとかぶはどうなったの?」という言葉から会話が交わされて「猫が料理したんじゃない」「猫だよなべに落ちるかも」「じゃあ、おばあさんが料理したんじゃない」という結論になったというエピソードも。言葉や会話がふえて相手の気持ちに気づいたり、寄り添う言葉も増えて、自分の気持ちも言葉で伝えようとする姿になってきたそうです。先生たちも、どうしてそう思っていたのかなど子ども理解が深まる機会になっていっています。

幼児でも試みていくうちに、それ以外の時間でも自発的な発言や行動がみられたり、人の話を聞いたり、話し合ったり、人前で発言できるようになっていったようです。この大会への発表を飛躍の機会にとらえた取り組みだそうですが、タイトルにある「裏側」には、先生たちの成長があったようです。

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実践発表は、具体的な保育事例を取り上げますが、保育者の関わり方のポイントに絞った報告が次になります。

🔳新宿せいが子ども園(東京)「子ども同士のかかわりを大切にするための環境と保育者の関わり方を考える」。

内容はこれまでの研修会などでよく聞かれる質問への回答例をダイジェスト的にまとめたようなものです。先に触れたように領域「人間関係」の「内容の取扱い」の一つ目は4つあります。子どもの行動に温かい関心を寄せること。心の動きに応答すること。共に考えること。子どもなりの達成感を味わう経験を支えることです。これらを具体化したものに一部相当します。とくに一つ目の「子どもの行動に温かい関心を寄せること」の解説文にはこのような留意が強調されていますので引用しておきます。

「しかし、『待つ』とか『見守る』ということは、子どものすることをそのまま放置して何もしないことではない。子どもが他者を必要とする時に、それに応じる姿勢を保育士等は常にもつことが大切なのである。それは、子どもの発達に対する理解と自分から伸びていく力をもっている存在としての子どもという見方に支えられて生まれてくる保育士等の表情やまなざし、あるいは言葉や配慮なのである」

新宿せいが子ども園の報告は、ここを強調することから始まりました。

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さて、最後の発表は、まさしく子どもの可能性を信じる保育としての見守る保育の実践例です。

🔳いるべ保育園(福岡)「子どもの力を信じた保育園へ」。

迷いながらも子どもたちを信じて見守っていくと、こんな素敵な事例がうまれることもあるという感動的な事例でした。それは砂場遊びの用具入れのカゴで遊び出したことに対して、先生たちがどこまで見守るのか、話し合っていった経過が報告されました。きっと多くの園が同様の悩みや葛藤を抱えるのではないかと、思って聞きました。なんでも自由にしていいわけではない。ルールは統一したほうがいい、などの意見もあるものです。これに対して、別のものを代用してみては?危なくなければいいのでは?しかし危ないの基準が先生によって違う。保育者がそばいればいいのでは?片付け用のケースと遊ぶ用のケースを分けてみては?などと話し合いが続き、「子どもたちの気持ちはどこにあるのか」という点から、しばらく見守ることになったそうです。

すると写真のように、自分たちで遊びを作り出し、危険な遊び方に気づいていき、うまい片付け方も発見していったそうです。その姿から先生たちは「危険な場合をのぞき、遊びが発展していくことを子どもを信じて見守ろう」と保育者間で意見が一致した」といいます。この職員の話し合いの過程は、昨日の苫野一徳さん話では「最上位目標で合意する」という事例にもなるでしょうし、民主主義的な話し合いは効率が悪くて合意にいたるまでに時間がかかる、という課題を乗り越えた事例としても大切だろうと思います。またお異年齢で遊んでいると、上手な遊び方を生み出していく知恵も伝承されやすいという点も明記しておきたいことです。

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今回の大会の参加者は茨城、埼玉、東京、神奈川、新潟、長野、三重、京都、島根、香川、福岡、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄の17都府県から80園、約315人を超える参加となりました。300人収容の会場が満員で熱気にあふれるものでした。こうした草の根的な運営ができるのも、普段から研鑽と交流を積み重ねてきたからこそです。

他に類を見ない、大人の主体的学びの熱量の源泉となっているのは、主体的な子どもの姿が具体的に目の当たりにしてきている「身近な実例」があるからでしょう。こうした研修会は、自分の園の子どもたちと保育者の変化を実際に目撃し、感じ、その意味を吟味し合う機会になっているからです。

私たちたちが互いの保育をみあい「もっといい保育にできそうだという手応えと自信」を相互に得て帰っていく研修会。私たち保育者の「学びと自己効力感」を育む機会になっているように見えてきて、それをまた、熊本でも強く感じる大会でした。

第5回 全国実践研究大会in熊本(初日)

2025/01/31

この全国大会の企画は保育環境研究所ギビングツリー(略称GT・藤森平司代表)で、運営は各地のGT園が協力して開いています。午前中は熊本市内の保育園、幼稚園、こども園の見学で、午後からは「くまもと県民交流会館」のホールで2つの講演とトークセッションでした。

最初の藤森代表による基調講演は、私たちの保育が「要領や指針が求めているような主体的な子どもに育っているか?」を振り返りを求めるものでした。参考指標として例に挙げたものは、文部科学省・国立教育政策研究所が令和5年12月5日付でまとめた「OECD生徒の学習到達度調査〜PISA2022のポイント」です。それは以下のものです。

これはコロナ禍を経て15歳の義務教育課程修了の子どもたちの読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの3分野を国際比較したもので、いずれも上位5位に入る「世界トップレベル」の学力を維持していることがわかりました。ところが気になるのは「自律学習を行う自信」(自律学習と自己効力感)は、OECD37カ国のうち34位だったことです。質問は「学校が再び休校になった場合に自律学習を行う自信があるか」を調べるために「日本の高校1年生に「今後、あなたの学校が再び休校した場合、以下のことを行う自信はどれほどありますか」と8項目を聞いたのです。

写真を参照ください。

レポートは次のように分析しています。

<感染症の流行・災害の発生といった非常時のみなら
ず、変化の激しい社会を生きる子供達が普段から自律
的に学んでいくことができるような経験を重ねること
は重要であり、主体的・対話的で深い学びの視点から
の授業改善の推進により、自ら思考し、判断・表現す
る機会を充実したり、児童生徒一人一人の学習進度や
興味・関心等に応じて教材学ぶ方法等を選択できる
ような環境を整えたりするなど、自立した学習者の育
成に向けた取組を進めていく必要がある。>

どうでしょうか?世界や日本が、このような学校教育
に変わっていくことが求めらている中で、私たちの乳
幼児教育は、どうあるべきなのでしょうか? 

学校教育がこのような方向に向かって変わろうとしていることを踏まえると、保育ではこの「選択できるような環境」をどう受け止め直し、乳幼児にふさわしい形でどう深めるか、という話と関係します。そこで「選択」「参画」「自己決定」などを乳幼児に相応しい形に吟味し直してきました。

一方で「教育基本法第1条(教育の目的)にある「〜平和で民主的な国家及び社会の形成者として〜」をどう育てるのかというように法令から参照していくときも、子どもの権利条約や子ども基本法、こども大綱、OECDのエイジェンシーなどを踏まえて、保育を進める必要があります。

そのときの鍵は「子どもが自分に関係する事柄について自らが影響を与える経験をすること」を保育でどう具体化するかということにつながっていきます。

つづく記念公演は熊本市教育長の遠藤洋路さんだったのですが、話はちょうど同じ文脈になりました。生成AIなどが将来の学校教育を変えるのか?学校の役割はどう変わるのか?教育はどう変わるのか?

次期学習指導要領ができる頃に、もしかしたらシンギュラリティが現実味を帯びているかもしれないほど急速に変化している時代に、大人も含め子どもの学びのビジョンをどう描くのか、極めて重大な時期に来ていることをわかりやすく説明していただきました。

そして令和5年12月22日に閣議決定された「こども大綱」について、「若者やこどもの意見をきいて施策に反映することや、若者やこどもの社会参画を進めること」には次の2つの意義があるとします。

(1)こどもや若者の状況やニーズをより的確に踏まえることができ、施策がより実効性のあるものになる。

(2)こどもや若者にとって、自らの意見が十分に聞かれ、自らによって社会になんらかの影響を与える、変化をもたらす経験は、自己肯定感や自己有用感、社会の一員としての主体性を高めることにつながる。ひいては民主主義の担い手の育成に資する。(赤文字と下線のあるところは遠藤教育長が強調されていたところです。)

この話は、基調講演でスウェーデンの民主主義教育が紹介されたので、そこでピッタリとつながりました。

会場を移動してトークセッションには哲学者の苫野一徳・熊本大学准教授を交えて3人による<これからの教育・保育に必要なこと>について語り合っていただきました。苫野さんは熊本市の教育委員でもあり遠藤教育長とは何年も話し込んでいる間柄です。3人とも「そもそもところが大事」というところが共通でした。

苫野さんは「教育とは子どもが自由に生きたいように生きていくための力を身につけること」とだとし、その自由とは「自由の相互承認」という表現で人類がその実現を目指してきたもの、といいます。教育に必要なことは「子どもを信じて、任せて、待って、支えること」。それは誰もが当たり前のことと感じているはずなのに、それが十分にできなくなっているのは、システムがそうすることを阻んでいるからではないか。そういう意味でも150年経った日本の学校教育も構造転換が必要で、考え方は250年の積み重ねを経てできているから、それを実装する時期にきているとし、それに必要なのは次の3つではないかと提案されました。

構造転換の柱を項目だけ紹介すると①「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」をすすめ②「探究をカリキュラムの中核にして自分たちで対話を通して学び」さらに③「学校を多様性がごちゃ混ぜのラーニングセンター」にしていこう、といった話でした。「これらは各地で、すでに始まっています。10年後は明るい」と話されました。

 

公園の落ち葉がベランダにきてアリが誘う床の下の世界

2024/11/28

子どもを未知の世界に誘いたいと思っていたら、いつの間にか私たち大人も未知の世界に引き込まれていた!ということがあります。今週初めの1歳児クラスの保育の記録に、それが書かれていました。

<柳北公園の落ち葉が、テラスにやってきて、その葉っぱ遊びがアリの観察のきっかけになって、アリとの出会いが、テラスの床下の世界につながって・・・と、毎日の遊びがどんどん色々な方向につながっていく様子が面白いです。(テラスの床下を覗いたことなど、この保育園に勤めてから初めてでした…!)子どもたちは、大人が気付かない、いろんな世界を見せてくれます^^>

この「まとめ」の前の、1連の写真報告を、ぜひご覧いただきたい。

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いかがでしょうか?

このちょっとしたことのように思える展開の中に、担任のきめ細かな観察や優しさが垣間見えます。公園の落ち葉への関心を大切にしてあげたいという思い、公園で落ち葉を集めている子に、袋を用意してあげるかどうか。それをベランダに撒くことを許してあげるかどうか。その中に見つけたアリを追いかけ始める姿に、心の鼓動の高鳴りを聴くことができるかどうか。床の隙間を覗くために、スマホのライトを用意してあげるかどうか。

こうした、その都度のつながりは、まるで小さな木の実に細い糸を通してあげるような、小さな保育の営みなのです。それを丁寧にその糸に通し続けてあげるかどうか。担任が「ぐんぐんさんように懐中電灯を用意したいな」と呟いていたのですが、そういうことが嬉しい話です。子どもの後ろをちゃんとついていくような保育。後ろいいても子どもが注意を向けている世界へのピントは外さない。こっちだよ、と子どもが教えてくれることも多いですけどね。

子どもの姿が表舞台なら裏舞台には担任の思いも

2024/11/25

保護者の方々が毎日みてくださっている「保育ドキュメンテーション」ですが、それを表舞台だとすると、その裏舞台に「今日の気づき・振り返り」という記述欄があって、その二つをみると、<保育劇>の両舞台が見えてきます。

たとえば、ちっち組の表舞台には「今日は天気が良く散歩日和でした。みんなの好きな和泉公園で落ち葉にたくさん触れて遊んだちっちさんです。いろんな色や形の落ち葉がありましたが、大きな葉っぱはみんな一度は手に取っていて魅力的なんだなぁと感じた担任です。」と書いてありましたよね。

その裏舞台には「気分等からバギーに乗りたくない、一人乗りがいい、抱っこがいいと泣いて訴える姿があるが、バギーの中で楽しいことを見つけると笑いが起こったり喃語を発したりと子どもたちの中で共通の遊びが始まる様子がある。子どもたちにとって楽しめる遊びや歌など取り入れながら、世界観を見守っていきたい。

和泉公園では地面が落ち葉でいっぱいになっており自然物に興味が惹かれる姿があった。ちぎる、握りしめる、降らせる、顔を隠すなど様々な使い方を見つけて楽しむ姿があった。引き続き自然に親しみを持って過ごせるようにしていきたい。」と書いてあるのです。

表舞台に登場する「大きな葉っぱ」が、いかに子どもにとって魅力的なものなのか、感心し、その様子をお伝えしているのですが、子どもによって葉っぱがさまざまな使い方を呼び起こす素材として、親しめるようにしてあげたいと願っている先生の心情が伝わってきます。とくに表舞台には描きにくいバギーの中での「共通の遊びが始まる様子」について、その世界観を見守っていきたい、という先生のまなざしからは、子どもたちの持つ何か良い兆しというか、何かの芽生えを感じ取っているように思えます。

もうひとつ。2歳児クラスでは「公園では、枝や、枯葉を集めて、バーベキューをごっこを楽しんだり、枝を組み合わせてなにを作ってるのかなー?と覗いてみると、ツリー作ってるのー!と子どもたちからの言葉が!」とありました。それについて、振り返りの方には「紅葉した葉っぱや、木の実、枝を使ってお友達と一緒に協同して遊ぶ姿が見られた。あれもってくるねー、私はこれといったような、役割的な所もあった。保育者にも枝もってきてーとリクエストしたりと、ごっこ遊びのリアリティが以前より高くなった遊びになってきている。一緒の物を作ろうといった、目的が一緒で遊ぶ姿があったことがよかった。」と分析しています。

先週から楽しみしていた4歳児のクッキー作りについては、「クッキングには全員が楽しんで取り組めており、五感を使って色々は発見や気づきがあった様子。エプロンを着る・脱ぐ・畳む・片づけるという所も、時間をゆっくりと確保することで自分でしっかりと行っており、成長を感じた。 Rちゃんは最近、Yちゃんとの仲が深まっており、年下の子に対しての気遣いや思いやりがとても素敵。それぞれの良い所を伸ばしていける関わりや活動を引き続き組んでいきたい」と振り返っています。

最後に年長さんが見つけたザリガニについて。「御徒町公園の池でザリガニを見つけ、最初は「飼いたい!」と興奮していましたが、特定外来生物の法律の話をできるだけわかりやすく伝え、持ち帰れないことを何とか理解してもらった。毒のある生物以外にも、このような特定外来生物もこの先増えてくることが考えられるので、併せて子ども達には伝えていきたい。」

どうでしょうか。毎回お伝えすることはできませんが、先生たちがこのように様々な願いをもち、何が子どもたちにとって望ましいかを考えながら、台本のない〈保育劇〉が展開しています。

 

勤労感謝の日に考える感謝の意味

2024/11/24

自分の意思で物事をちゃんと進めていくことを自立した姿と呼んでいいのなら、そうしていきたいという思いを伝えたい相手は、それまでの自分の経緯を理解してくれている人へ、かもしれません? しかも、その経緯をずっと支えてくれてきたと思える人だからこそ、そのことに応えたいと思うようになる気がします。

次のエピソードは、ある娘さんが結婚する時に父親に書いた手紙の内容です。こんな趣旨だったそうです。

<・・お父さん、これまで私を育ててくれてありがとう、というつもりはありません。私をこれまで見守ってくれてありがとう。・・私が結婚相手をつたえたとき、お前が決めた相手なんだから、とだけ言って信じてくれました。それでかえって本当にこの人でいいんだろうかと真剣に考えました・・云々>

見守ってもらえていると思う時、人は自分の歩みを、自分でもちゃんと振り返る、自分で自分も見返すようになる、ということかもしれませんね。つまり、見守ってもらえるという体験には、きっとその度合いの差、真剣さの度合いというものがあって、その強さが伝われば伝わるほど、自分で自分を大事にしようという気持ち生むのかもしれません。そしてそれを責任感、という言葉で語る場合もあるのでしょう。自分で決めたことだから責任をとりなさないという話ではありません。責任感というものが生まれてくる関係性というものが、先にあるのでしょう。

この話を聞いて思い出すのは、川上哲治が亡くなった時のお別れ会で、王貞治がこんな挨拶をしました。テレビでみたことを覚えています。ネットで検索すると、その全文を読むことができます。最後の文章は次のような言葉です。

<・・・巨人軍だけでなく野球界に残された大きな影響力は、これからも生き続けていきます。プロ野球界はもとより、野球ファンの間でながく語り継がれることでしょう。プロ野球界は力強く前進してまいります。どうぞ見守っていてください。  川上さんありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。ゆっくりお眠りください。 平成25年12月2日 読売巨人軍OB会長 王貞治>

これを聞いた時、野球界をもっと良くしていきたいというという王さんの決意が伝わってくるのです。そしてもう一つ、大事な人に見守られていることと、それに応えるべく向かう世界は、両者がともに大切にしたい世界を分かち合っているという関係がありそうだ、ということです。同じ方向を向いているのです。向かい合っているのではなく、二人が世界の方へ視線を送り合っているのです。

冒頭の自立した姿は、その歩む世界があって、その世界をよりよくしていく共同作業をしていくための自立に見えてきます。そこには見えないバトンが渡されていく、生きていく命の流れをそこに見出していくことも可能な気がします。そういう視点で歴史を学べると面白そうです。先人が見つけていた未来を思いをはせたり、そのつながりとしての未来を描いてみる。その営みはきっと子どもと過ごす生活に影響を与えていくことになるかもしれません。

見守ってもらえているからもっと良くなろうする

2024/11/19

神様からでも親からでも尊敬する先生からでも、自分のことをちゃんと思ってみてくれていることがわかると、人間は自分でもっと良くしようとし出します。自発性というものが、信じてもらえているというところから生み出されてくる感覚、わかりますよね。それが子どもにもあります。大人にもあります。その気持ちが伝わっていくように保育をすることの大切さを、いつも藤森先生から教わってきました。

 

そういうことがあるので、最も基本となる職員クレド「保育の三省」は、「子どもの存在を丸ごと信じただろうか?」から始まります。その次に「真心を持って接しただろうか?」となります。今日は保育環境セミナーの3回目が開かれて、全国各地からたくさんの方々が新宿・高田馬場に集まりました。今回のテーマの一つ「チーム保育」の根幹にある考え方は、この「相手を信じること〜信じてもらっていること」の関係を見守ると呼んでいることを再確認してもらいました。

藤森先生は決して誰も手放さない方です。最後の最後まで人が自分で立ち上がっていく潜在的可能性を信じてくださる方です。そのあり方は、子育てや保育や教育の文脈にだけではなく、人の生き方の根幹になる部分なので、多くの方々がそれを学びにこられます。教育関係者に限らず起業家やコンサルタントや行政担当者などの方々が、人が自立していく支え方を学ぼうとされて集まってこられます。

確かに方法や環境のあり方などの具体的なアイデアもあるので、それを学ぶことも多いのですが、最も大切なことは人間関係のあり方なのです。藤森先生のいう見守ることは、他者の潜在的可能性を信じて環境を整えるというあり方であって、ただの日本語としての見守るという意味に留まらないことを理解してもらいたいのです。

したがって、保育が生き方と関わる以上、保育学にとどまらず、保育道が必要になるという言い方が生まれる時もあります。

「気持ちが通い合う嬉しさ」ぐんぐん組の最近の様子をブログで紹介

2024/10/24

こんなに小さい子たちが、こんなに豊かに気持ちを通わせています。そして、こんなにも嬉しいことなんですよね。ぐんぐん組(1歳児クラス)のブログからご紹介します。ここでは、写真を加工しましたが、ブログではそのままですので、ぜひご覧ください。

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Nちゃんは最近、お友だちに水筒を配るお手伝いブームのようです。 今日の活動記録でも配信しましたが、プラザでRちゃんに水筒を差し出したり… 

(Rちゃん、気が付いて取りに来てくれました^^) 夕方も、Sくんの水筒を見つけて飲ませてあげようとしたり…。 でも、Sくんは、そのときあんまり飲みたくない気分だったみたいで、床にゴローンとしたままでした。 

フタまであけてくれて、何度かお茶をすすめるNちゃんでしたが、今はSくんは飲まなそう…と分かると、その水筒を大人のところに持ってきて、「せんせー!ごっごっごっ(ごくごく)」と言って、大人に飲ませる真似っこ遊びをして楽しんでいました^^

そんなやりとりをしたあと、もう一度Sくんのところへ行ってお茶をあげてみるNちゃん。 「Sちゃん、Nちゃんが、お茶もってきてくれたよ」と伝えると、Sくん、今度は飲もうかな?という気分になったみたい。 

「よかったねぇー!Nちゃん、ありがとう♪」とほほえましく見ていたら、Nちゃんも、とっても嬉しそうにニコッ! 

 

(嬉しくって、思わず、この笑顔…!) そんなNちゃんの表情を見て、そのかわいい姿に大人も思わず一緒に喜び合っていたら、Sくんも、思わずにっこり。 Sくんが飲んでくれて嬉しいNちゃんと、喜んでくれるNちゃんの姿が嬉しくてつられてニコニコするSくん。 

 

お互いなんだか嬉しくなって、そのあとも何度かお茶のやりとりを繰り返していました。 お友だちと気持ちが通い合う瞬間は、こんなに嬉しいものなのだなぁとそばで一緒に見ていた大人も、その喜びの輪に入れてもらった気分です♫

ぐんぐんさんたちは、誰かのお手伝いをすることへ意欲的な姿が増えています。こうして、自分がやったことを、誰かが受け入れてくれる・受け止めてくれる…そんなやりとりの中で、相手とのつながりを感じているのかな?と思います。

昨日は、お散歩中に、Hくんが、ちっち組のNちゃんに帽子を、かぶせてあげようとしていました。 

でも、Nちゃんはかぶるのがイヤだったみたいで、そのたびポイポイと脱いでしまいます。 すると、かわりに自分の頭へ。 

 

ぼくがかぶっちゃおう!と、そんなユーモアで、Nちゃんの思いを受け止めてくれたのかな? 大人が思わず、Hちゃんかわいい〜!とみんなで言い合っていたら、照れ笑いのHくんでした。笑 

Sくんにお茶を勧めるNちゃんもですが、こうして、お友だちの様子を見ながら、相手はどうかな?いまはイヤなのかな?などと、子どもたちなりに距離感を確かめながら関わっているような姿が見られます。   

(水筒どうぞ) 

(ありがとう〜・・・こんな光景が、日常にたくさんあります。)   ぐんぐんの今年の年間目標には、「自分の気持ちをたっぷり受け止めてもらう」ということと、「少しずつ相手の気持ちにも目を向けていく」という内容が含まれています。 最近の子どもたちの姿を見ていると、それぞれに、お互いの気持ちを主張したり、察して受け止めたり…そんな心の交流がそっと行われているように感じます。(もちろん、真っ向勝負の気持ちのぶつかり合いもたくさんしていますが笑)。

 

それでも、子ども同士で、こうして自分の思いと相手の思いの距離感をはかりながら、そのやりとりの中で気持ちが通じ合っていく体験を喜んでいる姿。そして、やってあげる体験・やってもらう体験、その両方を、その時々に応じて子ども同士で体験し合っているのも、素敵なことですね。 そうした姿を感じるたびに、その成長を嬉しく思っています。

民生児童委員の方々が園児と交流

2024/09/19

今日は千代田区の民生児童委員の3名の方々がいらして園児との交流しました。6月、7月に続き今回で3回目です。来園していただくのは、保育園が託児施設ではなく幼児の教育施設でもあることを実感してもらうことです。3歳児以上は幼稚園と同じ教育施設であるということを知ってもらいたいということがあります。そのために、文部科学省が作ったYouTobe動画「遊びは学び 学びは遊び “やってみたいが学びの芽” 」という動画を見ていただきました。

サブタイトルは、「やってみたい」から始まる学びの芽(知識・技能や思考力等の基礎、学びに向かう力)の育成」です。みなさんもぜひ一度ごらんください。当園と似た環境の保育室が出てきて、子どもたちがいろんな探究をして遊んでいる様子を見ることができます。

長野市の保育園から12人が見学に

2024/09/14

八王子時代から交流の続く長野市のS保育園から12人の先生たちが見学にいらっしゃいました。保育の考え方の基本は同じ保育園なのですが、具体的な物や人の環境は異なるので、その違いから生まれてくる保育について語りあいました。

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