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見守る保育(保育アーカイブ)

神話の故郷島根で、人と自然の関係を考える

2019/05/31

■豊かな自然が目の前に広がる
畑の耕運機の周りを何羽も鳥が飛び交っています。凄い!と思ってシャッターを切ったら、目の前の高校生2人が目を覚まして同時に顔を上げました。私が撮っているものが、それだと分かると、すぐまた夢の中にもどっていきました。「悪かったね、起こしちゃって」。そう心で呟いて、またシャッターを数枚だけ切りましたが、2人は、もう起きません。
(「疲れたぁ」と笑っていた2人。約1時間30分の移動、お疲れさま!)
自然豊かな田舎の風景が、延々と続いています。眺めているだけで、目が健康になりそうです。山、川、海、鳥、花、何でもあります。だけど人があまりいないのは、しょうがないかなぁ。ここは島根県の中央部。J R 山陰本線アクアライナーがもうすぐ江津市に着きます。明日6月1日に、保育士向け「キャリアアップ研修会」で5時間の講義が待っているのです。
■自然に魅せられた大人が子どもの傍らにいる大切さ
講義のテーマは、幼児教育の意義と保育内容です。その中に、教育の5領域「環境」があります。一般に自然が少ないと思われている千代田区の子どもたちも、少ないながらに、生き物に好奇心や探究心を持って関わり始めています。
ただ大人になっても、どうやったらその自然環境を生活に取り入れ続けることができるのか、そんなことを考えている時、目の前に鳥たちが現れたのでした。こんなにすごい自然が目の前に展開されているのに、運動部の少女たちは、いつも見慣れた風景だからでしょうか、それには関心がないようです。後でわかったのですが、今日は高体連の大会が開かれていたそうです。それはそれで素晴らしいことです。
いくら環境が豊かであっても、関わりがなければ経験になりません。その経験の質が、教育の質にダイレクトに関わります。まずは心揺さぶられる体験がなければ、好奇心も探究心も生まれようがありません。
私にとって、今日の出来事は、象徴的でした。そして、次のような強いインスピレーションを与えました。
・・・人間の心は人と人の間で成長する。子供にとって、自然に感動している大人がそばにいなければ、子どもはその自然に共感し続けることができないのではないか。・・・
人と自然の関係は日本の場合、縄文時代から「里山文化」と言う形で、バランスをとってきました。その精神文化が、国づくり神話を生んだ、ここ島根には息づいています。それが千代田区の神田祭までつながっていることに思いあたり、5領域「環境」の、次の趣旨が新しいイメージを持って迫ってきたのでした。
「周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活の中に取り入れていこうとする力を育む」

(巻頭言)子どもの心の世界を見つめながら

2019/05/30

園だより6月号「巻頭言」
 雨がやんで日差しがのぞいた昨日の朝、ちっち組がバギーで散歩に行くことになった時のことです。先生が「ちっちさん、散歩に行こう」というと、何人かがその気になって赤いドアの方へ向かいます。廊下を過ぎても玄関へ向かわず、階段を登るのが楽しくなって、四つん這いで登り始める子もいました。先生が「そっちじゃなくて、お散歩に行こうよ」というと、止まって振り向きます。でも、先生が近づくと安心したのか、また階段を登り始めます。2階まで登った後、立って降りるのはまだできないから、結局、玄関まで抱っこしましたが、この間の子どもを「見守る」中に、育ちを保障するための大切な時間が流れていました。

お散歩に行こうよ、という「保育者の願い」と「こっちに行ってみたいもん」という子どもの願いが、柔らかく行き交っていました。ちっちさんは言葉ではなく、目配りや表情や仕草でそれを伝えています。先生は言葉で言ってもわからないだろう、なんて素ぶりは全くなく、穏やかな雰囲気の中で「あれ、そっちにいくの?」と、赤ちゃんの気持ちに寄り添いながら、外へ誘うタイミングを見計らっています。そんなことがしたいのね、と認めながら、ゆったりとした気持ちで接しています。0歳の赤ちゃんにも、もちろん人間としての尊厳があり、その意思や気持ちを尊重しながら、生活を作り上げていく。こんな時間が流れる日常になってきたんだなあ、と思うと、感慨深いものがあります。子どもたちの心が、だいぶ落ち着いてきたようです。

 ちっちやぐんぐんさんは、私と目線を合わせて手を振ると、手を振って返してくれることが増えました。こうして言葉にならないうちから、赤ちゃんとの「心の通い合い」と「挨拶」が成立していきます。挨拶は心を通わせることが大切だと思うので、いろんな心の通わせ方が、いろんな形の挨拶を生んでいます。
にこにこ組の子は、顔を見るとおもちゃを渡しに来たり、手を振るとちょっとだけ手をあげて「やあ」とやってくれたりします。幼児になると、やりたいことを一緒にやりたがります。「挨拶」と「一緒に遊ぼう」が一瞬で融合します。挨拶なんて、どこへやら、親御さんはハラハラかもしれませんね。でも、子どもの気落ちは分かっていますから大丈夫です。先日も子どもから「園長先生さようなら」と言われた時、「もっといてほしい」という気持ちが届いたので、少し遊びました。

ここに述べたことは、私と子どもたちとの関係ですが、園生活が始まって2ヶ月がたち、親子の関係、先生と子どもの関係が上手にバランスをとりながら、一人ずつの子どもの心の居場所が広がってきたようです。意欲的な姿を大切にしながら、子どもの「やりたい」の向うに目線を送りながら、人と物と空間の環境を整え、発展させていきたいと思います。

 園外保育、暑さ対策、水遊びの場所作り、交通環境の改善、隣のビルの解体、心痛む悲惨な事故報道など、色々なことが子どもを取り巻く環境にはありますが、子どもの心の世界をしっかり見つめていきたいと思います。

ルールは守るといいことがある

2019/05/23

■ルールは守ればいいことがある

「いいですか、大人になったらね、自動車に乗って自由にいろんな所に行けるんだよ。でもね、守らないといけないことがあるんだけど、それはなんだと思う?これをちゃんと守れば、自動車で行きたい所に行くことができるんだけど」
こんな話を昔、子どもたちにしたことがあります。
「それはね、信号を守ることです。青信号は進め、赤信号は止まれ、だよね」
子供たちは、うんうんと納得します。交通安全指導の話ではありません。ルールを守れば、やりたいことが実現すると言うことを伝えるための話です。やりたいことをやるには、お友達のやりたいこともできるようにする必要があります。そのためにルールというものがあることをわかってほしいからです。ルールはどこからか勝手にできるものではなく、それを守ることで良いことがあると言う経験が必要です。
■「ルールは守ればいいことがある」が嘘にならないように
この話を思い出したのは、信号を守らない交通事故が後を絶たないからです。子どもに「青信号は進め」とだけ教えるとはできません。昔から「青信号でも、本当に車が来ていないか、右左をよく見てから渡ろう」でしたが、今はその切実さが違います。
さらには、赤信号だからと歩道で待っていても、事故に遭うとしたら、どうしたらいいのでしょう。柳原通り全てとはいいませんが、せめて園のまえや、車が侵入してくる交差点のそばにはガードレールを付けて欲しい。ヒューマンエラーのリスク削減の原則は、意識改善ではたりず、物理的な改善が必要だからです。

東京都の行政説明会(5月22日)

 

交通事故で子どもや親が巻き込まれて死亡する事案が相次いだことから、東京都が危険箇所の再点検に乗り出しました。そこで、警察署と千代田区に保育園から改めて要望書を出すことにしました。「ルールを守ればいいことがある」と教えられることが、続きますように。

皆さんもこんなこと考えること、あるでしょ?

2019/05/14

■振り返る時間があることへの感謝

毎日、1日を振り返りながら、自分の行いを反省する時間があることに感謝する気持ちになります。振り返り。簡単な言葉ですが、その時何を感じ、思い返し、気づくことができるのか。1日を振り返ったとき、いろんなことに気づきますが、ありがたいことに、自分の有り様に気づける時は本当に「ありがたいなぁ」と思えます。どんな自分に気づいたのかということは、恥ずかしいのでここでは言いませんが、同時にいつも、こんなことを考えます。
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「こんな複雑な生き方をしなければならなくなった人間て、一体何なんだろう」
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そして、最近また、こう思うようになりました。
自分が「自分の有り様に気づける事がありがたいと思えると言う事は、自分がなぜだかわからないけど『よりよく生きようとしている』と言うことに他ならないんじゃないか」と。
実際のところ、どうして人がよりよく生きようとしているのでしょうか。どんな行動にも、どんな感性にも、どんな言葉にも、その裏側には、「よりよく生きようとしていた自分」と言うものがある。それに気づき、信じることができれば、自信をなくす必要など全くないのではないか。そのことを皆さんに強く伝えたいと言う気持ちになります。子育てに間違いなんかないんですよ。一言で言うと、あなたの今のその存在がそのままで大丈夫ですよ、と言うことです。
■善さを探求した村井実という人
人は、なぜだかわからないけれど、よりよく生きようとしている。このことを哲学的に突き詰めて考えた人に、村井実という人がいました。私の世界観に大きな影響を与えた方で、今でもブーメランのように影響を与え続けている哲学者です。若い頃はよくわからなかったけど、こうして歳をとってくると「すごい人だったんだなぁ」とわかる人がいるものです。皆さんも、機会があったら、ぜひ村井実の思索のプロセスに付き合ってみてください。人の生き方の本質が見えてきます。
■気づけることが幸せなこと
今日、どうしてこんな話になったのかと言うと、ある方と「徳とはなにか」について、夕方から話をしたからです。その人は、ある会社の社長さんですが、純粋に生きている方です。いつも物事を真正面から捉えて言葉にする人なのですが、生きていく中で、自分が思い込みすぎていたことに気づく瞬間と言うものがあるよね、というテーマになっていったのです。
そして結論は、「そういう気づきができるというのは、幸せなことなんじゃないか」ということになりました。
■等身大の私
今日はこんな主観的な思いをつらつらと、園長としての日記に書き連ねる意味があるかどうか、自分でもわかりません。でも、そんな悩める人間が、園長をやっているという等身大のリアリティーを理解していただけたらありがたいです。「皆さんもそんなことってあるでしょ」と言うことです。

ゾーンの紹介 ごっこゾーン

2019/04/15

ごっこゾーンは、今は生活に慣れたお家をイメージして設定しました。その中で自然とお店屋さんをする姿もあり、少しずつ必要なものを増やしています。子どもたちのやってみたい、なりきりたい思いを表現するゾーンなので、今後はお姫様?王子様?コックさん?などなど中身は子どもたちが広げ、変化していくゾーンです。

最初は冷蔵庫とレンジが大人気!家では出来ないからこそ、やってみたい気持ち(意欲)が体験できて大好きなゾーンの1つになりました。

真似してやってみたがることの意味

2019/04/13

土曜日は子どもが少ないので、先生と子どもの距離が近くなり、関わりが密になります。「先生これやるけど、〇〇君もやってみる?」。絵本にブッカーをかけたり、ラミネートで掲示物を作ったり、階段や廊下の掃除をしたり。先生にとっては仕事であっても、子どもにとっては興味深い体験であり、新しい学びになっています。子どもは大人がやっていることを真似してやってみたくなります。「子どもはどうして、真似をしたくなるのだろう?」と改めて考えてみると、面白いことに気づきます。

【行動の意味や目的を知りたがる】
実は、子どもは真似をする前に、このように考えます。「あれ、先生が絵本に何か透明なものをくっつけようとしている。何をしてるのかなあ」と思って、子どもは、こういいます。
「先生、何してんの」
なぜ子どもはそう聞くのでしょうか。何をしているのかと聞きながら、実は何をしているのかだけを聞いているのではありません。そうすることの意味、あるいは目的も聞いているのです。
また、お友達がそう聞いて先生から返事をもらっているその様子を、じっと見ているお友達もいます。このように、人がやっていることには意図があることを察して注意を向けるのが9ヶ月ぐらいから始まっています。言葉が上手に話せるずっと前から、人は観察によっていろいろなことを学習しているのです。
【目的志向の模倣について】
絵本にブッカーを貼りながら「この透明なのはね、ブッカーって言うんだけど、こうやっておくと、絵本が長持ちするんだよ」と、先生が説明しています。
同じように、ラミネートをする時も「2枚あったのが1枚になって、中に紙がサンドイッチみたいになったでしょ。これで丈夫で綺麗な掲示になるね」といったやりとりが見られます。
このように、やっている事の「意図を理解すること」で、その目的に向かって自分もやってみると言うのが、ヒトしかやらない模倣の本質です。ただそのままやり方を真似ると言うことも多いのですが、幼児になってくると目的を達成するためなら子どもなりにやり方を変えることもあります。そして、自分のやった出来栄えを確認したがります。狙っていた目的にかなった結果になっているかどうかを確認しているのです。それが「みて、みて」と言ってくることの意味なのです。
このような目的志向の模倣は、ホモ・サピエンス独特のものです。そのような場面が、今日はたくさん見られました。

藤森統括園長の講話

2019/04/06

藤森統括園長と私は、兄弟でも親戚でもありません。クラスの担任から「保護者の方から聞かれた」と聞きました。兄弟ではありませんが、私の師匠です。師匠がいなかったら、私はこの世界に足を踏み入れる事はなかったでしょう。そのいきさつは別の機会に譲るとして、今日は私の師匠の皆さんへのお披露目の日、と言うと変ですが、とにかく師匠の話をたくさんの保護者の方に早く聞いてほしいと思っていました。開園して1週間、最も早い土曜日に設定させてもらいました。今日ご参加いただいた保護者の皆さん、ありがとうございました。以下、話を要約してご紹介します。

【どうしてこのような保育なのか】
今日の講演の内容は、2つテーマがありました。1つ目はどうしてこのような保育なのかということでした。私たちの保育は、「子ども一人ひとりを大切にした保育、子どもの主体性を育む保育」と言うことができます。
世界ではいま、保育の質に関する研究が盛んです。中でも、脳科学の進展によって、人生が健康で幸せであるためには、乳児の頃の在り方がとても大事であることがわかってきました。
例えば、一歳になる頃までに、環境から受ける刺激の感受性がピークになるという研究があります。その研究が正しいとすれば、赤ちゃんにとって必要な環境は親だけではなく様々な人々の応答的な関わりだ、ということになります。
これは人類の進化の中で、ずっと行われてきた子育てとも一致します。しかし日本では、家庭や地域にこども同士の群れ社会がなくなってしまいました。大人がさせる体験ではなく、子どもの方から環境に働きかけて、その変化が子どもに戻ってくるような体験が大事なのです。
【これからの時代に必要な保育】
AI技術の進展によって、今ある仕事の約7割近くがなくなってしまうだろう、と言われています。どんな時代になっても必要な資質や能力は何か?それは一言で言うと非認知的能力です。平たく言うと、何かを認識して覚えたり理解したりする力は、コンピューターが得意です。
しかし、人の気持ちに共感したり、自分の感情をコントロールしたり、何かと何かを組み合わせてクリエイティブで芸術的な営みを行うこととか、人と協力して何かを成し遂げる、そういった人間力が将来も、もっと必要になるだろう。そうした力を育てていくためにも、人と人の関わりを大切にして、長所に着目しながら持って生まれた力や脳のシナプスが強くなった部分を伸ばしていくこと、その人格特性を一人ひとりの個性として伸ばしていくような教育が必要になります。
【子育てのポイントについてQ&Aも】
参加された方々から、いくつか質問もありました。家庭での育児のポイントは?睡眠時間が与える発達への影響は?お稽古事についてはどう考える?こんな質問に、「師匠」から答えてもらいました。

子どもの内面世界を想像しよう

2019/04/05

すべての子どもたちが帰った後の保育園。誰もいないのに、子どもたちが残していった、様々な出来事がおもちゃ箱のように積み重なっています。1日を振り返ると言う事は、そのおもちゃ箱の中から私だけが知っているおもちゃを、もう一度手に取って、その数個のおもちゃをめぐる子どもの内面世界を追想することに似ています。まだ5日しか経っていないのに、もうこんなにたくさんのおもちゃが積み上がってしまった。もう、全てを紹介することを不可能です!毎日1冊の本が書けそうな位ですが、残念ながら1日は24時間しかありません。本当に残念です。
【だんだん子どもらしさを発揮】
「だんだんその子らしさを発揮してきましたね」「本当はこんなことやりたがってるんだよね、やっぱり」。日を重ねるごとに、そんな先生たちの会話が聞こえてきます。
ママやパパと別れて、1人で過ごした寂しさを、たった1日で乗り越えた赤ちゃんがいました。「たった1日で、けろりと泣きやんで。あんなに泣いてたのに」と今朝、ちっち組の先生が教えてくれました。君はどうしてそんなことができたのと、聞いてみたい。その子がもし話すことができたら何と言ってくれるんだろう。「ママと別れるのは嫌だけど、別れちゃったあとは忘れてた。だって、こんな面白いことがいっぱいあるんだもん。泣いてる暇はないわ」とでも言ってくれそうな気がします。
私はこういう子どもたちの姿の中に、本来の子どもらしさを見出します。心理学者だったら、順応性が高いとか、レジリエンスが高いなどと言うのでしょうが、私には、「子どもは複数でいて初めて子どもであり得る」と思えて仕方がありません。だから先人は「子」ではなく「子ども」と複数形で表したのでしょう。英語のchildrenも複数形ですね。
【制止を振り切ってでもやりたい欲求の強さ】
また1歳児クラスの中だけでは飽きたらず、とにかくいろんな場所を探索してみたいと言う子もいます。その、やってみたいと言う意欲の強いこと、強いこと。まさしく子どもらしい子どもです。私はその姿を、おおらかに肯定します。大げさな話ではなく、真実の話として、この「新しいものへのあくなき欲求」という、持って生まれた資質があるからこそ、アフリカではなく日本と言うこの極東の地にまで、私たちホモ・サピエンスの先祖がたどり着けたのです。「そっちには行かないでね」「それはやらないでね」と言う制止言葉を振り切って、人類は地球上に広がっていきました。
【好奇心いっぱいの子どもたち】
その子もまた、移動できるようになってこの数ヶ月の間に、同じような制止言葉をもう何十回も聞いてきたはずです。それは顔を見たらわかります。その子はその言葉を聞く前から、「この人もまたきっと、私に向けて、やっちゃダメとか、そっちに行かないでとか、そんなことを言うだろう」と、もう想像がついている顔をしています。ものすごく賢くて、そんなことを言いに私に近づいて来てるんだろうなと、空気を読みきっています。子どもにとっては、全てが新しいことの発見の連続だから、その面白さ、楽しさに比べたら、「それを我慢してやらないでおくなんてできないわ」と言う表情をしています。
【ちょっと想像してみよう】
私たちはその欲求の強さをどうやったらリアルに想像できるでしょうか。大人の場合に置き換えて想像してみるとしたら、こんなのはどうでしょう。例えば、その欲求の強さは、ディズニーランドのアトラクションに2時間並んだ後で「今日はもうこれで終わりです」と言われて入れなかったときの気持ちぐらい悔しいと想像してみてください。そんなことになったら、ブーイングの嵐ではありませんか。私にはまだ子どもの方が素直だと思います。まだ生まれて2年も経っていないのに、とても我慢強く物事に接しています。それに比べて大人の方が切れやすく短気です。
だから、たいていの保育園は、最初からそんな面白い情報に接しないように、そんな習慣をつけないように、管理保育を行うことになっていくのです。
社会的なルールを身に付けて、自分の気持ちをコントロールできるようになるのはもう少し先です。ですからこの時期を大人から見たら何でも抵抗するように見えるので「いやいや期」などと名づけましたが、これは現代社会の環境がそういう名前をホモ・サピエンスに貼り付けただけです。子どもたちの中には、何でもやりたがるキュリアス・ジョージ(好奇心いっぱいのジョージ。日本語訳はおさるのジョージ)がたくさんいるのです。

園長の日記〜子どもの育ちと私たちの保育

2019/04/01

「子どもを取り巻く環境によって、子どもの発達を促す経験がどのように違ってくるのか」。私たち社会福祉法人省我会は、このことの探求に多くの時間を費やしてきました。この「園長の日記」では、園長から見た園全体の動きや、保育エピソードをとおして、保育の意図や意味、子どもの姿の捉え方などを語っていく予定です。

園庭はなくても、町全体を園庭に

2019/03/26

ちっちゃな園庭でこじんまり遊ぶより、広い地域そのものが園庭なんだ。そんなつもりで戸外活動も積極的に行う予定です。今日は散歩コースの確認。園舎から、歩道橋を渡って昭和通りを越え「和泉公園」「佐久間公園」「美倉橋東公園」の遊具状態をチェック、人の混み具合なども皆で体験しました。柳原通りを直進して美倉橋を渡るルートが比較的、安全です。
エアスプリング素材の布団が届きました。通気性の良い新品の布団です。厚みがあって、程良い反発性が心地よい眠りを作り出しそう。サイズは大きめですが、2つ折りにして布団庫に収まりました。この布団のサイズにぴったり合う専用のシーツを使ってもらい、保護者の方には、週に1度取り替えてもらうつもりです。
神田川側のベランダには、窓ガラス上部部分に転落防止のネットを張りました。普通に生活している限り、十分な高さの窓ガラスのフェンスですが、子どもは思いもよらぬ行動をとることがあり得るので、万が一に備えた措置です。子どもたちは窓ガラス越しに、風景を楽しむことができます。またその窓ガラスには、外部からの覗き見や、撮影などから子どものプライバシーを守るために、ドットの大きさがグラデーションになったフィルムを貼りました。和泉橋の歩行者や、向かいの高層ビルなどからの視線を防いでいます。
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