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保育アーカイブ

お店屋さんごっこはアナログな拡張現実

2021/08/19

お店屋さんごっこ、といっても昔のような市場でやられていたような「売り買い」を、このあたりでみかけることは滅多にないような気がします。三井記念病院の先にイトーヨーカドーがありますが、そのちょうど向かいに八百屋さんがあって、そこでは「今日は〇〇がお得だよ」などと、威勢のいい声を聞いたことがあります。

ある調査で子どもの「お手伝い」の内容が時代でどんなに変化したのかを調査したものがあって、それによると昔よくあった「おつかい」が、今はほとんどなくなっているという結果が載っていました。それはそうかもしれません。交通事故や誘拐事件などの事故に遭わないかと心配ですし、今は宅配という便利な方法も増えました。さらにこの、コロナ禍で人と会って言葉を交わして何かを買う、という行為そのものを避けるような便利さがさらに進行しています。レジで「レジ袋入りますか」と「〇〇円です」しか話さないアルバイト店員のコンビニでさえ、さらに自動支払い機の導入で、全く無言で買い物が成立するようになってきました。

≪・・お客さんたちは受付でチケットにハンコを押してもらい、どれを買おうかとお店の商品をじーっと見て・・・恥ずかしそうに「これください」。本格的なお店屋さんごっこに、お互いちょっと照れながらのやりとりがありました。≫

昨日までの納涼会プレイベント「屋台のお店屋さんごっこ」では、そんな会話の様子が報告されています。

人と話すという基本的なスキルを身につけるには、人と話す機会を設けることですが、赤ちゃんが言葉を獲得する(学ぶ、ではありません)ためには、他者に何かを伝えたい、という心情がなければそうなりません。自分の思いや考えを他人に伝えようとするには、伝えたい相手と伝えたい気持ちがないと言葉は動き出さないのです。その状況は生まれた直後から、親と子の関係を起点としがら発達していくのですが、核家族だけでは、その相手が不足します。保育園のような集団のある場所で、さらに年齢の異なる色々な子どもや大人との交流が起きる生活は、家庭にも地域にも、全くなくなっているのです。

地域で人と人が出会い、会話をかわし、気持ちを交流するような公的空間、井戸端会議や立ち話を含めて、人が何かをやりとりするアナログな機会を、私たちは子どもの生活から奪っているんだという事実を知っておくべきです。それを補うかのように、保育園の生活は色々な人間関係の体験の場になっています。「いらっしゃいませ」「これください」「〇〇円です」・・ごっこ遊びの世界は、こうやって現実では体験できにくいことさえできる機会だと考えると、このアナログな拡張現実(AR)こそ、大事な経験のような気がしてなりません。

今日の夕方、妄想公園に行ってきました。デジタルデバイスを使って、目の前の空間を魚の群れが泳いだり、電車が走ったりします。それはそれで大変面白い体験だったのですが、子どもへの与えたかは微妙だなぁと思いました。その話はまたしますが、アナログな「お店屋さんごっこ」こそ、子どもにとっては必要な拡張現実だと思います。その前に実際の体験がもっと必要なのですが。そこで、子どもが大好きな模倣遊びのことを、デジタルのARに代わって、アナログのAを頭につけて、AARこそ大事と言っておきたくなります。

活況だった屋台のお店やさん

2021/08/18

「いらっしゃ〜い、いらっしゃ〜い」。屋台のお店から売り子の声が聞こえてきます。「園長先生も買ってって〜」と呼び止められて、「わあ、おいそうなアイスに綿菓子、ドーナッツもカラフルで綺麗だなあ」と返事。ちょうど入園先を選んでいる見学者の案内をしていたのですが、2階の屋台マーケットは、活況を呈していました。

お祭りにつきものの屋台ですが、コロナ禍でまともにお祭りを経験してない子どもたち。でも4歳のらんらん、5歳のすいすいの子どもたちは、お祭りの夜店で「買ったことある〜」と教えてくれる子もいて、屋台のイメージを持っているようです。この2年間、ブランクを感じさせない子たちで、私はホッとして、嬉しくなりました。

昨日と今日の2日間、子どもたちが作り上げた屋台マーケットですが、すでに「お持ち帰り」でご覧になった方はご存知だと思いますが、どれもよくできていて、物をよくみているなあと感心です。焼きそばの上に乗っているのは、キャベツとにんじん、赤い紅生姜のトッピング。わたあめの袋は、「せいがぼうや」のお見本を真似て描いた子どもたちの絵です。たこやきの緑色は青のり、パックにはかわいいタコの絵もついています。

世の中はVR(仮想現実)やAR(拡張現実)が流行っていますが、子どもたちにとってはアナログな模倣が創造力の源泉です。実際の生々しい体験が大切で、その生々しさが何事も基準になっているからこそ、何かの模倣、何かの仮想、何かの拡張ということもわかることになります。最初から仮想や拡張だけの体験は、実に危なっかしい。

五感をフルにつかった実体験の面白さがあって初めて、それを再現したい!という強い欲求が生まれます。幸いなことに「食べる」ことだけは、代わりのもというわけにはいかないので、食べ物屋さんがメインの屋台になっているのは、わかる気がします。子どもたちにとっての食体験は、やっぱりインパクトが大きいのですね。

妄想公園(8月20日まで) ARでぜひどうぞ!

2021/08/16

7月19日にこの蘭でお知らせした「妄想公園」イベントが8月20日で終了します。会場は「アーツ千代田3331」です。主催者の方からメッセージをいただきました。以下紹介します。ARを試しましたが、びっくり仰天。室内を魚が泳いでくれます、楽しいですよ。ぜひお試しあれ。

20210727 フライヤー「妄想公園」

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外出困難なこの時期だからこそ、お家で楽しめるように、公式サイトから会場と同じARやクラフト、ぬり絵をダウンロードすることができます。是非以下のURLもご紹介いただけたら幸いでございます。
https://mosokoen.weebly.com/

魚のARは特に人気がありますので、先生も是非園内でお試しください。どうぞよろしくお願いいたします。

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子どもたちにとっての納涼会

2021/08/13

コロナ禍で軒並み中止になってしまった夏の風物詩の数々。大人にとっては懐かしいと感じるお祭りの屋台や盆踊り。

そうであっても、未曾有の感染爆発真っ只中にあるからこそ、彼岸から現世を心配されているご先祖さまをお迎えするのがお盆の礼儀というもの。地域でそれらを準備して、実施していく大人をみながら、子どもは育っていくのです。その光景を無きものにしてしまうことが、現代の残酷さでもあります。

子どもたちは「納涼会プロジェクト」をはじめました。というとなんだか凄そうですが(笑)、要するに「お店屋さんごっこ」です。

納涼会はやることにしました。それに向けて7月上旬から、幼児組の子どもたちは、お祭りの屋台に並ぶ「美味しいもの」を作ろうと話し合っていました。

室内にちょうちんを飾った今日13日(金)。制作ゾーンを覗くと、お寿司を握っていました。

まぐろやしゃけ、玉子焼きなどができていました。屋台でお寿司はあまり見かけませんが、それはまあ、いいとして・・

これまでにも作ってきた様子を主任が玄関に張り出してくれました。焼きそば、たこ焼き、ドーナツなど、どれもおいそう・・・ぜひご覧ください。

咲いた朝顔の花

2021/08/12

子どもたちが種から育てた「朝顔」が玄関で咲きました。

先生に抱っこしてもらって、花の中を覗き込むと・・・

「オシベみたいなのが、4つあった」「キラキラしてた」

すいすい(年長)ともなると、雄蕊って言葉を知っているんですね。

ほんとに綺麗でした。

春に植えた稲も穂が実っています。

玄関周りの緑には、すいすいの子たちが、毎日のように水やりを続けてきました。

 

お手伝いが大好きなすいすい組のお世話のおかげで、さいた朝顔。

いろいろなことを伝え合い、話し合う姿が頼もしいすいすい組の子どもたち。

最近のすいすいさんの成長ぶりを表しているかのようです。

真夏のダンスの向こうに江戸情緒を感じよう

2021/08/03

今日は7月に続き、今年2回目となるダンスの日。青木さんと芝田さんがいらっしゃって、乳児から幼児まで全クラスで体を動かして遊びました。

いま「ダンスの日」と言いましたが、実は青木さんは「ダンスと言うと、その言葉のイメージに引っ張られてしまって、意味が狭くなってしまうよね」と話されています。青木さんの活動は、ダンスの枠を超えて「身体」そのものの可能性を、いろいろな世界に切り開くような営みを探究されています。園の生活の中では「楽しく体を動かす」としかいいようがありませんが、でも、ただ動かすというのではありません。動き全体をデザインしつつ、子どもから生まれてくる創造力を上手に引き出していきます。

例えば今回もいくつかの新しい試みがあったのですが、その一つは「わらべうた」の導入でした。わらべうたは、日本に昔から伝わる児童文化財です。「い・れ・て」「い・い・よ」もわらべうたなのですが、「い・れ・て」(ソ・ファ・ソ)「い・い・よ」(ソ・ファ・ソ)のように、シンプルな音階と休符からなり、会話と音楽を繋ぐような位置にあるのですが、併せて身体遊びと密接に結びついています。

今日の「にこにこ」(2歳)で見られたのは、「おふねがぎっちらこ」です。大人が膝を伸ばした両足の上に、子どもが向かい合ってまたがって座ります。そして、手を持ち合って「ぎっちらこ、ぎっちらこ、おふねがぎっちらこ」と、前後に体を揺らします。最後にブルブルと膝を揺らして揺さぶってあげると、子どもは大喜びです。

わらべうたは、簡単な音階とリズムなので、子どもは自然と覚えてしまいます。しかも、この種類のわらべうたは、体も一緒に動かすので、記憶に残りやすく、言葉、リズム、メロディ、体の動き、動感などが快感とセットになって、いわば身体に染み込むのです。皆さんも、なべなべそこぬけ、とか、ずいずいずっころばし、とか忘れずに覚えていることでしょう。実際のところ、これを「ダンス」と呼ぶよりも「わらべうた遊び」そのものです。しかし、この「わらべうた」がアートに変わっていく瞬間を目撃しました。それは、らんすい(4歳5歳)で「わらべうた」をやった時です。

今年はダンスにわらべうたを取り入れたい、と青木さんにリクエストしたのですが、早速、オリジナルのわらべうたを用意してくださいました。それが「鬼さん鬼さん、何するの?これするの、これするの」というものです。小学生向けのインプロ・キッズ(インプロビゼーションは即興の意味)を、幼児向けの「わらべうた」にアレンジした青木さんのオリジナルなのですが「これするの」のところで、即興的に体を動かしてみるのです。子どもたちはそれを見て、2回目の「これするの」の時に真似して一緒にやります。

この即興による身体表現の「瞬発力」は、自分の中に引き出しをたくさん用意して、それを再現する場合と、全く何も考えず(用意せず)に、その瞬間に何が飛び出してくるか、自分自身も楽しみなっていく場合があるようです。その表現の生み出し方はまさしくアートですね。そして、問いと答えという言葉の意味、身体で答える表現、語りのようなメロディとリズムと間(ま)。遊びの中で、子どもたちは知らない間に、四分音符と休符からなる日本的リズムという音楽的素養も身につけていきます。

こんなことをプロデュースしながら、幼児教育としての身体活動遊びを繰り返していくことで、子どもたちには「自然の営みとしての身体を取り戻していく表現者」に育っていってほしいと願っています。それは本当の健康や幸せに通じるからです。そして江戸情緒など、日本的な文化へ感覚も身近なものになってほしいと思います。

さて、今日はさらに、保育園に素敵なお客さんがやってきました。カナヘビくんとカマキリくんです。ある保護者の家で飼われていて、夏休み間しばらく保育園で過ごします。カナヘビくんは北の丸公園に棲んでいました。

好物は虫ですが、よく水を飲みます。そんなカナヘビくんのことを、まずよく知ろうと、小林先生が用意した動画を見ながら子どもたちは上手な飼い方を勉強です。観察ゾーンにやってきたカナヘビくん、どうぞよろしくね。

連日暑い日が続いています。夕方にはすいすい(年長)の子たちが玄関前の歩道で「打ち水」もしました。クーラーも冷蔵庫もない江戸時代、この柳原通りの夏は、打ち水や柳ごおりが「夏の涼」を演出していました。

 

イ・ローヌさんが誕生会をお祝いに

2021/07/29

今日は7月生まれ4人の子どもたちの誕生をお祝いしました。乳児は今月は3人(1人はお休みだったので別の日に祝います)で、年長の女子が一人でした。

毎月の誕生会は、感染症対策もあり各クラスで行っています。ご存知のように、登園は子ども同士の関係や対話を大切にしているので、誕生会でも子ども同士のやりとりがある「質問タイム」があります。

お祝いをするお友だちのことをよく知ろう、という意味で「好きな食べ物はなんですか?」「好きなおもちゃはなんですか?」などと、尋ねられています。年長のMさんのそれは「 メロン」や「制作遊び」でした。

お祝いの歌をみんなでうたい、先生たちの手作りの色紙や顔写真入りのバッチなどのプレゼントを贈ります。すると今日の誕生会の進行を担当していた小林先生に電話がかかってきて、お客さんがくる事になりました。小林先生のお友達でした。サプライズです。小林先生曰く「誕生会をお祝いしてくれるそうだよ。恥ずかしがり屋だから、優しく接してあげてください」と。みんな「はーい」と、ウキウキしてました。

さて、その人が登場すると、子どもたちはその風貌に興味津々。にこにこ組(2歳)のN Mちゃんは、怖がって、そそくさと山口先生の膝の上に逃げます。名前はイ・ローヌという変わった名前で、年齢も性別も国籍もわかりません。変わった趣味の持ち主で、赤、青、黄の三原色の色水を混ぜたりして「これとこれを混ぜてみたら、どうなるかしら〜」と、メガネを指でつまんでヒクヒクさせながら、子どもたちに尋ねます。

色水実験は、ムラサキキャベツでできた色水と、食器洗い用の洗剤、手洗い石鹸、酢など混ぜてみると、赤くなったり、青くなったり「あら〜、不思議ねえ、ほ〜ら、色、かわったわねえ」と満足そうでした(笑)。みんなも、実験してみてね〜。やりた〜い!。幼児の実験心に火がついたようです。イ・ローヌさん、ありがとう。「また、きてねえ〜」

誕生会の日は、誕生児がフラワーアレンジメントもします。その様子は、それぞれのクラスのブログをどうぞご覧ください。

コロナが始まって、ますます、その意味が深まっている花の美しさ。それぞれは「世界で一つだけの花」ですが、組み合わせると、もっとそれぞれが輝き始めるんです。その体験がフラワーアレンジメント。子どもたちの世界と似ていますね。もちろん、色遊び、色との出会いの実験がこれと絡んでいそうです。

からだが嬉しがる運動

2021/07/27

私たちの体は色々なものを求めています。お腹が減って何か食べたい。ぐっすり眠りたい。疲れをとりたい。そして体を動かしたい。色々な欲求を満たしながら、生きているのですが、食欲、睡眠、休息、運動などは生理的欲求ですが、生きている限り不可欠なものになります。しかし食べて満腹になりたいだけではなく、「美味しいもの」を探したり、ただ寝るのではなく質の高い睡眠を願ったり、体の疲れだけではなく心身ともにリラックスできる癒しを求めたりします。

ダンサーの青木尚哉さんと芝田和さんによる、運動遊びが今日から始まりました。昨年から来ていただいているので、3歳以上の子ども達はよく覚えていて、みんなとても喜んでいました。一緒に体を動かして遊ぶことが楽しいからです。

ところで体を動かす、運動するといっても、これまた、それには「質」というものがあって、からだが嬉しい運動というものがあることに今日気づきました。昨年の親子運動遊びの会でもやりましたが、「グーパー体操」覚えていらっしゃいますか。じゃんけんの「ぐー」と「パー」を、にこにこ組(2歳)は手でやります。足でもちょっとできました。わいわい組(3歳)は、足をぐーで閉じ、パーで開くが楽しそうです。音楽に合わせて跳んで開いたり閉じたり。さらに顔でも「ぐー」と「パー」をします。この辺りの自由な発想が楽しい。

トンネルを作って通る遊びでも、いろんな形のトンネルができます。足と腕で2箇所のトンネルができたり、大人のトンネルを子どもが潜るだけではなく、反対に子どもにトンネルをつくらせて大人がその小さい穴を通り抜けます。わいわいまでは2階のダイニングでやったのですが、らんらん組(4歳)とすいすい組(5歳)は、3階の家具を移動して広くして、そこで、リズムに合わせて、歩く、片足で移動する、音楽が止まったら静止する、さらに片足で静止する、などだけでも、実に楽しそうです。

その次は2人ひと組になって、ポイントワーク(マネキンとデザイナー)です。体が動くこと、動く場所と動かない場所があることに気づき、なんとなくいい形を作っていきます。

できたマネキンの姿をデザイナーも真似してポーズ。交代したり、一度できた形を崩さずに続けたり、体を造形対象にしながら、「えーっと、どうしようかな」と頭もフル回転です。

こんな体の使い方を小さい時から体験しているのとしないとでは、何かが大きく違ってきそうです。体が嬉しいと感じる運動のバリエーションが増えるからです。

運動学では、この体の感覚を「動感」と言います。いわゆる五感の中には、近いものに触感がありますが、体全身の感覚ですから、姿勢や身のこなしや運動やスポーツなど、ありとあらゆる身体の動きを、この「動感」が記憶していくセンサーのような役目をはたしています。体の動きを司どるセンサーの感度を高めておくには、それが快感であるような(つまり体が喜ぶような)経験をたくさんしておくといいわけです。

青木さんとは今朝、こんな話になりました。ダンスというからそのイメージに囚われてしまうけど、実はいろんな分野で同じようなことが求められています。芸術だけではなく、スポーツや医療や教育や建築やランドスケープデザインでも、色々なところで身体そのものの動きについての「善さ」の探究が始まっているそうです。面白いですね。

身近な環境を生活に取り入れる

2021/07/26

自分たちで作ったもので部屋を飾ること。大人になると、買ってきたものを飾ることが多くなるような気がしますが、子どもの頃から、何かの材料を変化させて、あるまとまった形にしていき、あるところで何かが「できた!」と「完成」するというのは、どんなことなのでしょうか。

ブロックや積み木は完成すると、一旦壊してなくなります。大抵は毎週金曜日にそうしているのですが、制作ゾーンで作ったものは、部屋に飾ったり、持って帰ったり、別の遊びで使ったりと、生活の中に取り込まれていきます。

ちなみに教育の五領域「環境」のねらいは「周囲の様々な環境に好奇心や探究心をもって関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う」となっています。

どのように生活に取り入れていくのでしょうか。生物なら観察したり、飼育したり、栽培したり、料理に使ったり。物ならちぎったり、切ったり、折ったり、貼ったり、繋いだり、色をつけたり、あるいは膨らませたり。

こうしたことをやりながら、ある物へ加工していく、造形していくことで、最後は何かに使える道具だったり、装飾物だったり、遊具だったり、集めるものだったりします。

今日はらんらんのSさんが家から石を持ってきてくれました。1階玄関の水槽で漂っている海藻が、底で繋ぎ止めておくために「石が欲しいなあ」と話したら、早速持ってきてくれたのです。さて、これをどう使うか。こんなこと、私たちの生活の中に、色々ありますよね。

私は何か材料を探すときに、100円ショップに立ち寄ります。これ何かに使えないかな?とよく考えることがあります。それと似たような思考は、様々な身近な環境の中らか何かを選んで、収納のインテリアを考えたりするときと似ています。

子ども達の「できた!」の世界は色々ありそうです。アートになったり、エンジニアリングになったり、何かのつもりや再現が、今度は他人から見られて「すごい!」や「面白い!」や「きれい!」になるように作ってみる意識も芽生えてきているように感じます。

 

「ハリーがちょっと可哀想だった」

2021/07/21

私たちは子どもに対して、他人に優しい子になってほしいと願うことが多いわけですが、どうやったらそうなるのかと考えると、他人の気持ちを想像できることや、他人の立場になって考えることができるようになることだと、心理学では述べています。では、どんな時にそんな気持ちを想像したり、考えたりするかというと、他人のはずの相手が親しみを感じるような存在になった場合です。実生活の中では、家族や友達ということなのですが、人との繋がりが少ない幼児期には、実生活だけで親しい他者を多く保つことは難しいものです。

そこで威力を発揮するものが良質な絵本です。今日の「園長の絵本タイム」では、嬉しい感想が飛び出しました。4歳のAさんが「ハリーがちょっとかわいそうだったなあ」というのです。そうです、「どろんこハリー」が真っ黒になって、家族の誰からもハリーだと気づいてもらえないからです。ハリーは「ねえ、僕だよ、ハリーだよ」と伝えたくて、健気にもいろんな芸をするのですが、家族はおかしな犬だなあ、と行ってしまいます。そこに子どもたちは「ハリーが可哀想だった」と思うのです。

実はどろんこハリーの前に、先に「うみべのハリー」を読んであげたのですが、ハリーが最後に家族と一緒に大きなパラソルに入ることができるまでに、海藻まみれになってハリーと気づかれないどころか「お化けが出たあ」と怖がられたり、カゴで捕まられそうになってしまったりと、可哀想な目に合うのは「どろんこ」と同じです。気の毒な目にあっても最後は家族に暖かく迎えられるというハッピーエンドも同じなのです。このような物語を通して、他者への優しさが育つのだとしたら、絵本の力は大きいと感じざるを得ませんね。

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