MENU CLOSE
TEL

保育アーカイブ

らんらん組「らんらん電車」

2021/12/22

本編の始まる前の、イントロダクション動画で、ごっこ遊びが大好きな子どもたちの様子が紹介されています。ごっこ遊びの中に、「お昼寝ごっこ」があるって、保育園らしいですね。布団をかけてお昼寝中♪です。ホントに可愛いですね。さて、らんらん組(4歳児クラス)になると、興味や関心の世界が広がって、多様性が増していく時期です。物語のヒロインやお気に入りの動物や恐竜など、まさしく十人色。やりたいごっこ遊びも多様になって、一つのまとまりを持たせた劇遊びにするのはむずかしい年頃かもしれません。そこで先生が注目したのは「のりものごっこ」でした。

子どもたちの「ごっこ遊び」は、生活体験の再現であることが多いのですが、その生活体験の中には、絵本や紙芝居をみたり、物語を楽しんだりすることも含まれています。リアルな生活の中に空想や仮想の世界が広がっています。この精神世界を持っているのは、人間だけです。動物はその世界を生きることはできません。しかも自分の人生を大きな物語の中に位置付け直すような想像力を持っているからこそ、聖書が書かれたり、仏典が残されたり、昔話や神話が語り継がれたりしているのです。

その大きな物語の世界へ、大きくなるにつれて、子どもたちも次第に参加していくようになるのですが、それがまた大人になること、成長することとも言えるのでしょうが、その物語には決まって同じ要素が含まれます。それは一体、なんでしょう?

神話学の中で定説になっているものは、人生を旅に例える物語性です。どこからかやってきて、どこかへ去っていく。出発があってたどり着く場所がある。誰からやってきて何かをして去っていく。どこかへ旅たち何かを探し求める。その過程で誰かと出会い、何かが起きる。その過程の中に、人は意味や意義を見出そうとする。絵本のお話も、大人向けの映画も、語り継がれている物語は大抵、人生が旅であるというモチーフになっていることになります。子どもたちの人生号「らんらん電車」も、新しい出会いを求めて出発していくのでした。

<・・・友だちと設定を決めて楽しむ姿がたくさんあります!こちらは、のりものごっこを楽しんでいます!みんなでアイデアを出し合って工夫して遊んでいますね♪のりもの好きのらんらんさんの姿から・・・お楽しみ会のテーマは「のりもの」にしようと決めました! ・・・>

運転手さんが「らんらん電車 出発進行!」と電車を走らせていくと、いろんなお客さんが待っていました。こやぎ、恐竜、プリンセス、うさぎが、それぞれの駅で「乗せてくださいな」と乗り込んできます。<・・個性豊かなところがとっても素敵ならんらんさん!一人ひとり、自分の好きなもの、好きなことがありますね。一人ひとりにぴったりの役を用意し、みんなで話し合ってなりたい役を決めました・・・>

他愛のない乗り物ごっこですが、あえて、やや大袈裟に捉えてみました。この子たちがすでに大きな人生の入り口に立っているんだあ! どんな人生が待っているんだろう! そう思うと、イントロダクションの説明が、なんだか示唆的に見えてきませんか?

わいわい組「ねこのおいしゃさん」

2021/12/21

この園長の日記では、クラスごとに子どもの発達の意味をお伝えしていますが、今年は、その発達とは「何かとの関係の育ちなんだ」、という視点で説明させてもらっています。動画のイントロダクションでは、どのクラスも撮影に至るまでの劇遊びの様子や、お面や背景づくりなどの様子が紹介されていますが、わいわい組の動画では、画面の下に次のような説明が流れました。

・・・・・・・

バーコードリーダーのおもちゃをおでこに当てて、検温。ごっこ遊びがすきなわいわい組は、お医者さんごっこを盛んに繰り広げていました。コロナウイルス感染対策の社会、経験を遊びの中で表現していました。そんな子どもたちにとって、ニャーっと気合を入れて 何でも病気が治ってしまう ねこのお医者さんは みんなが好きで、それは劇遊びとなりました。

・・・・・・・

子どもたちの「ごっこ遊び」は、たしかに現実の「社会の縮図」でもあります。ごっこ遊びは、心に残った自分の体験を再現する遊びですから、子どもが真似をして遊ぶ対象として取り上げるものは、子どもにとって意味があります。たとえば、子どもの「ごっこ遊び」は、ままごと(飯事)から始まることが多いのですが、それは一番身近な体験になっているからです。どんな「ごっこ遊び」をするかで、子どもが体験している社会が見えてきます。家庭の中の出来事から始まって、お買い物にいったお店、お出かけした遊園地、お泊まりした親戚のお家や観光地、海や山へいった出来事など、生活圏の広がりと共に、ごっこ遊びの世界も広がっていきます。しかも、どこで心が動かされるか?ということですから、その子の興味や関心に入ってこないと、記憶には残りません。いくら綺麗な満月を望遠鏡で覗いたとしても、小さいうちは心にヒットしません。

ごっこ遊びの中で「お医者さんごっこ」は定番中の定番。お医者さんを知らない子はいません。誰もがお世話なったことがあり、「もしもし」の聴診器や体温計、注射器などは必衰アイテムですが、コロナ社会らしいのが、建物の中に入るたびに、ピッとやる非接触型の体温計でしょうか。保育園のごっこ遊びゾーンには、お店やさんごっこ用のレジ用の「バーコードリーダー」があるのですが、それが非接触型の体温計として使われている、ということになります。電話をする真似も、昔はダイヤルを回す時代がありましたが、そのうち携帯になって、今は画面をシュッと擦ったりしています。

わいわい組になると、グッと劇らしくなりますね。どうしてでしょう?何が違うのでしょうか?

一つは言葉の使われ方が大きく変わるんですね。にこにこ組(2歳)までは、「うんとこしょ、どっこいしょ」「まだまだ、かぶはぬけません」と同じセリフの繰り返し。しかも同じ節やリズムに乗って、子どもはセリフだという意識があまりありません。歌でも歌うかのような気軽な感じで繰り返しやるのが楽しそうでした。わいわいになってくると、役柄に合わせた独立した短いセリフがでできました。ただの「ごっこ遊び」が「劇遊び」と異なるのは、この台本のある決まったセリフになる、というあたり。間違ったセリフやタイミングに対して「違う」という意識を、子どもたちは共有しています。

なので、お医者さんが「次の人、どうぞ」と言って、動物の患者さんが登場する前に「どうしましたか」というと、「まだいないでしょ」という声があがるのでした。役はお医者さんとその奥さん、そして患者さんという3つ。象の患者さんは「鼻水が止まりません」、キリンの患者さんは「首が痛いです」、クマの患者さんは「眠れないんです」、うさぎの患者さんは「咳がとまりません」・・それぞれに「・・・♪ ニャーと気合を入れたなら、誰でも良くなる、すぐに良くなる、お大事に〜」をみんなで歌って、お薬がわりの果物をあげます。劇の中では、すいすい組(5歳児クラス)がコーラス隊でお手伝いをしてくれました。最後は、奥さんから元気な赤ちゃんが産まれて、みんな大喜びです。

子どもたちは色々な役をやりたくて、数人の子は途中で役割を交代しています。ごっこ遊びですから、それも自然なことですね。

最後はみんな一緒に、「ジャンボリーミッキー」でダンスです。

動画の説明によると<・・・なかなかディズニーへ行けないという気持ちに寄り添い、保育園でディズニーへ行っている雰囲気を味わおうと 画面に映し出してミッキーと踊ったりと、楽しんできた一つです。> こうやってコロナ社会を子どもたちは想像力で乗り越えてきたのですね。

にこにこ組「おおきなかぶ」

2021/12/20

にこにこ組(2歳児クラス)の動画のイントロダクションは、みごとな「関係の発達」のポイントが表れたものになっています。どういうことでしょうか? よく読んでみましょう・・・

会話がとても上手になり、友だちとの関わりも深まり、さらに笑顔が増えたように感じる今日この頃。

にこにこさんらしい「集団」での姿が多く見られるようになり、成長を感じる日々です。

みんなで声を揃える絵本が大好きで、「おおきなかぶ」以外にも、「おおかみと7ひきのこやぎ」や「3びきのこぶた」のおはなしも普段の遊びの中で盛り上がっていました。

・・・にこにこさんらしい「集団」での姿が、今回のお楽しみ会で伝わるといいのですが、それは一言でいうと「一緒に何かすることが楽しい」という姿になります。会話が上手くなるというのは、自分の思いや考えを言葉で表現し、また相手のいうことを聞こうとする姿が増えたと言うことです。これは相互に理解し合うことから生まれることが「楽しい」という関係に育ってきた、ということになります。そこが楽しいという笑顔も増えるのでしょうね。

一緒に何かすることが楽しいという姿は、役ぎめの時にもみられます。

配役ぎめの会議中・・・先生の声を拾ってみると・・・「おばあさんやりたいひと?」「まごがいいひと?」「犬がやりたいひといる?」「 Mちゃん、ねずみ」「きりんやりたい?」「〇〇ちゃん、何がいい?ん? わんわん? じゃあ、〇〇ちゃんはわんわんね」「・・じゃあ、わんわん2匹にしようか」「Uちゃん、ねずみだって」「ティラノザウルスがいい?!、よ〜し、ティラノザウルスね」・・と、こんな具合。楽しそうですね。

自分が何になりたいのかを、はっきりと言葉で伝えています。言葉による意思疎通が達者になるにつれて、自分の思いや気持ちを受け止めてもらうことができて、情緒は安定していくのですね。言葉で自分の気持ちや考えに道筋ができて、それまで、モヤモヤとした葛藤を抱え込んでいたものが、沈殿して意識は透明度を増していく、そんな感じがしますね。

こういう風に、満2歳から満3歳ごろに起きる子どもたちの特性を、昔のアメリカ由来の児童心理学は、「第一次反抗期」だとか「いやいや期」だとか、大人目線のもっともらしい表現で括ってみたのですが、これにはたくさんの異論が出ていて、「関係の発達」の視点から見直してみたら、子どもを取り巻く人的環境によっては、そんな特性がない国や地域もあることがわかっています。

なので、せめて日本でも、私は大人目線ではなく、子ども目線から<はがもの時代><主語時代>と呼びたいと思います。

誰もが「〇〇ちゃんは」「〇〇ちゃんが」「〇〇ちゃんも」「〇〇ちゃんの」と「は」「が」「も」「の」で主張するからです。小学生の高学年になると、日本語の文法を学びますが、その時、主語には、この「はがものや」がつくことを教わります。この助詞がついていたら、その単語や語群が文の主語です。つまり、主語とは英語でサブジェクト、別の日本語訳では主体です。子どもの主体性が、この助詞の活用とともに育っていく時期なのです。どの子どもも、精神世界の主人公(主体)に自分がなっていくのです。

とうわけで、役を決めたり、お面を作ったり、これはまさしく「自分が主役です!宣言」なのです。ぐんぐん組やにこにこ組の子どもたちは、劇遊びという架空でありながら、実はリアルな「自分の人生」という物語の主人公、ヒーローやヒロインとしてデビューするのです。

もう一つ、ここで注目してほしいのは、この時期の「関係の発達」で見逃せないのものでもあるのですが、自由に使える「身体の育ち」も著しいので(例えば、絵を描いたり、排泄が自立したり、走って移動ができたり・・・)、自分の意志で随意筋を動かして、ものや道具を使いこなすことが上手になっていることがわかりますよね。自分でできる身体的な世界も広がるのです。

それは「みんなで小道具づくり」の場面で、よくわかります。動画では「お面づくり」や「かぶ」を作る場面が紹介されていますね。紙をくしゃくしゃにまるめて・・この嬉しそうな笑顔ったら・・たまりませんね。自分の嬉しいという感情を人に伝えているカメラ目線も、いい顔ですね。

そして、かぶを作っていくとき「どうやっていくのかな?」「それがどうなるんだろう?」と、ものづくりに興味津々の眼差しで、先生のやっていることを、じ〜っと見つめていますよね。手先を器用に使えるようになって、身体的自由が以前よりも、ずいぶんと成長しているので、「もの」との関わり方に厚みや広がりが出てきているのです。かぶを抜く、と言う動作。ロープを持って引っ張るという動作。こういうことは、ぐんぐんさんではまだちょっと、むぞかしそう、ですよね。

そう考えると、「おおかみと7人のこやぎ」とか、「さんびきのこぶた」も、家やら籠やら粉やら、色々な道具が出てきて、それをうまく使いこなすことで、何かを得たり、守ったり、闘ったり、だましたり、成し遂げたりしていきます。心と身体の成長が「ものを作って使う」と言う、人間らしい営みに参加し始めていることも見えてきます。フランスの『創造的進化』で有名な生の哲学者ベルグソンは、こうした人間のことを「ホモ・ファーベル」(ものを使う人)といったのでした。

ものを使いながら、人生の主人公になっていくにこにこさん。生活の広がりの中に、育てたり、お願いしたり、力を合わせたり、強くなったりして、自分と世界の関係が広がっていくのです。これが、にこにこさんの「おおきなかぶ」の関係論的な意味です。さあ、人生の主人公としてデビューする姿をどうぞご覧ください。

「うんとこしょ〜どっこいしょ〜♪」だいすきなうたと共に、にこにこさんらしい笑顔溢れる「おおきなかぶ」どうぞ!おたのしみに!

ぐんぐん組「めざましや〜」

2021/12/19

 

7人の子どもたちが、ずらりと自分の椅子に座っています。そして何かが始まることを、この子たちは予想しています。そして先生との「会話」がしっかり成立しています。このように言葉による意味のやりとりから、動画は始まります。

先生「ぐんぐんさん、そろった?」子ども「うん」先生「♪もう いい かい?」子ども「♪もう いい よ〜」

そして「ぐんぐんさん、今日はお歌うたってみようかな、いっぱい。何のお歌がいいですか?」子ども「かえる」「アンパンマン」「かえるのうた〜」という、何人もの声によるリクエスト。この歌がいいよう〜と、先生に駆け寄ってきてアピールする子もいますね。

ここで注目してほしいのは、かえるやアンパンマンをすでに演じ始めている子がいるのです。地面に四つ這いになったり、ぴょんぴょん飛び跳ねています。言葉で、イメージが喚起されて、頭の中には、これまでその歌を歌ってきた時に、きっとカエルやアンパンマンになりきって遊んできたことを、その子が教えてくれます。歌をうたうことも、音楽に合わせて、つもり遊びをすることも、踊ることも、子どもは別に区別しながら遊んでいるわけではないことがわかりますね。

リズムに合わせて、手や膝をたたき、歌っています。とっても上手です。音程もあっているので、すごいですね。もし、近い将来(SF映画でよくあるように)子どもの頭の中に思い描いている風景を三次元スクリーンか何かに投影できるようになったら、アンパンマンを歌いながら、7人がそれぞれ何を想像しているか、みてみたいものです。

音楽の持つ力は大きく、体に染み込んでいる曲が、ある瞬間に体を動かします。たとえば、アンパンマンの最後、「君は優しい、ヒーローさあ〜」ジャン、ジャンに合わせて「あ〜ん、パンチ」風に右手を突き上げる子がいます。ちゃんとタイミングがあっていますね。歌い終わると「イエェ〜イ、イエェ〜イ」と飛び跳ねて楽しそう!何かをやり遂げたような雰囲気で歌い終わるというのは、現代的な感覚かもしれません。

2曲目は「かえるのうた」ですが、みんなが席に並ぶ前から、待ちきれなくて歌い始める子どもたち。あら、もう始まったちゃった、そんなに好きなのね〜と、先生は微笑ましく受け止めて「ちょっと待ってね」としないで、そのまま気持ちよく1番を歌い終わらせてあげています。それが、バラバラじゃなくて、揃っているからまたすごいですよね。動画のイントロダクションで、散歩中もバギーの中で「はらぺこあおむし」を合唱している場面が出てきますが、結構難しいメロディなのですが、しっかり頭の中で音楽が聞こえていることがよくわかります。

でも、ここでもう一つ注目してあげてほしいのは、このフライングをフライングだと気づいていて、“本当はまだ始まっていないんだけどな”と歌わないで待っている女子が3人いるんです。その子たちがどんな気持ちでいたのかわかりませんが、この子たちの普段の生活から想像するに、たぶん「まあ、いいか、うたわせてあげよう」と思っていたんじゃないかと思えます。これもすごい「関係の発達」です。なぜなら、「じゃあ、いくよ、もうい一回、本番ね」と歌い始めると、さっき歌わずに待っていた子たちも、前奏から手をたたきながら、しっかり歌うからです。

このフライング場面、目立たないから、気付きにくいのですが、子どもの中には、お互いの性格や意図を理解しあっている関係が育っていて、子どもが友達を見守っているのです。そのモデルは、きっと先生の見守る姿からでしょう。子どもの育ちは、大人がやってあげる関係から始まって、自分でできるところは自分でやる、という関係になり、お友達にやってあげる関係になり、そしてお友達にやらせてあげる関係に発展していきます。この4つの「やって」が、やってもらう→自分でやる→やってあげる→やらせてあげる、というように発展していくのです。

先生が「じゃあ、もう一個だけ、歌っちゃおうかなあ」というと、また「アンパンマン、アンパンマン」と声が挙がります。先生が「アンパンマン、いま歌ったから、もういっこ、違うのない?」というと、その状況を見定めているかのように、じっと考えてくれたのでしょう、Fちゃんが「じゃあ」とばかりにかけ寄ってきて先生に「スズムシ」と伝えます。「Fちゃんがね、虫の声だって、みんな、覚えてる?」。そうして、みんなで楽しく歌います。もちろん、その歌い方、楽しみ方はさまざまですけどね。(微笑)

このように、もう一度アンパンマンを歌ってもいいのですが、そうではなく「むしのこえ」という別の歌が選ばれました。ここに「行事」という性格が現れています。どの子にとっても「よりよいと思われるもの」へ、先生によって導かれます。つまり、この歌ならいつも楽しく歌ってきたから誰もが楽しく歌えるだろう、という判断です。「集団の中で個が生かされる」ような歌が支持されていることになります。

そして、毎朝、歌っている朝の歌になります。やっと朝の会の始まりです。名前を呼ぶとみんな楽しそうに返事をします。このとき、子どもたちは度々、席を立って先生のところに立ち寄ります。なぜだと思いますか? 自分に名前があり、それを呼ばれると返事をするということも、考えれてみれば不思議なことです。よくそんなことができるようになりますね。それはきっとこうです。「名前を呼ばれて返事をする」というやりとりは、先生と子どもが心を通わせているからこそ、それをイキイキとした表情で楽しそうにやるのでしょう。

つまり、これは単に出席をとっているのではありません。そうなんです、「は〜い」と手をあげて返事するということと、立って先生のところへ駆け寄ってしまうことと、どちらも先生と心を通わせていることが楽しいからでしょう。その実感が溢れ出して、先生に伝えたいという気持ちが子どもにあるからでしょう。ここにも、子どもと先生の間にある「親密な関係」が、形を変えて現れています。座って「は〜い」をする子、立ち上がってきてタッチをしにくる子。私にはどの子も、同じ親密な感情の発露が形を変えて現れているように見えます。

お行儀よくできることに目を奪われて、それを優先させようとしてはいけません。気持ちのキャッチボールが心地よいという関係になっている方が、心の成長にはいいに決まっているからです。さて、絵本とダンスのことを説明する余裕がなくなってしまいましたが、最後のお仕舞いにする場面では、「もいっかい(やりたい)」という声が聞こえてきました。楽しかったんでしょうね。

ちっち組の「ぴよピヨ家族」

2021/12/18

お楽しみ会の動画、ご覧になられたでしょうか。初日の再生回数はちっち77回、ぐんぐん61回、にこにこ62回、わいわい47回、らんらん58回、すいすい35回、わいらんすい合奏・合奏53回でした。多くの方にご覧いただけたようで、嬉しいです。みまさんの反応がどうだったのかわかりませんが、楽しくみていただけたのなら嬉しいです。

園生活というのは、いうまでもなく「集団」の世界です。家庭の生活とは大きく異なります。園生活には、いろいろな人がいるということは、一人の子どもにとって、複数の人と人の関係があるということになります。家庭ならパパ、ママ、きょうだい、祖父母・・3人から多くて5、6人でしょう。子どもとつなぐ線をひけば1本、2本・・6本、という線の数になります。

ところが保育園では、その数が乳児でも20〜30本、幼児では60本を超えることになります。知っている人がそれくらいはいます。まずこのことを想像してみてください。毎日、常時ではないにしても、人的環境でこれだけの人たちとの関わりが生じているのです。さらに、家庭にはない空間やもの、室内に限らず外遊びもあるので、その体験たるや、家庭の代わりに保育園があるというものでは、全くありません。家庭で保育ができないから、その代わりに預ける、というイメージでいると、子どもの体験の違いを見損なってしまうかもしれません。

このイメージを持ってもらった上で、お楽しみ会の出し物の10数分間をご覧になると、そこに見出される「人との関係の線」がいかに複雑に絡み合っているか、考えてみてください。例えばちっち組の「ぴよピヨ家族」。

そのイントロダクションは「いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい食べて、いっぱい眠って いっぱい遊び、いろいろな経験をしながら毎日を全力で過ごしてきました。子どもたちのかわいらしく、一人ひとりが異なる表現で楽しむ姿をぜひご覧ください」です。本当に「いっぱい」の生活経験が詰まっていて、それが10分の動画の中に溢れていました。

冒頭の1分だけでも、それまでの生活の積み重ねが見えてきます。たまごの殻から6人のかわいい「ひよこさんたちが生まれましたよ〜」という先生の声が聞こえると、歩ける子は頭に被ったお面の殻を先生の持っているカゴに入れにやってきます。それをみて、僕も・・というように椅子に座っっている子も、頭の殻を外そうとする様子を見せてくれます。子どもたちは、先生の声、お友達の様子、目の前に広がる空間、そうした人や空間との間の中を、いきいきと生きています。

毎日歌っている、聴き慣れている朝の歌も、先生の歌に合わせて体を揺すり、手拍子を取りながら、頭や体を前にペコリと倒してのご挨拶も楽しそう。「じゃあ、名前、呼んでもいい?Kちゃん」というと「うん」と返事して「は〜い」。こんな言葉のやりとりが楽しくて、椅子から立ち上がって、トココトと飛び出してくる子どもたち。子どもは心と体が未分化なまま、世界を自分のものにしているとみることもできる場面ですね。

さらに、お友達のその応答の様子を、我が事のようにみながら、一緒に手をあげたり、拍手をしたりして、先生とのご返事のやり取りを共有することが楽しい、という姿が見られます。いかに普段から仲がいいか、自他未分化の子どもらしい特性も、子ども同士のつながりの心地よさも、こんなところからも感じることができます。お友達の名前が呼ばれるたびに、そこに視線を寄せるて、本人がどう反応するのかも、しっかり見ています。返事しないように見えても、それに先生が「◯◯くん、いたね」と返しているやり取りを、じっと見つめている子もいて、こんな観察によって、先生と◯◯くんの関係のありようを学んでいるようです。このような関係の複雑な重なり合いの中で、自分をつくっていくのですね。

この子たちが好きな絵本は、また関係を楽しむテーマのものです。だるまさんが、いちごさんとあいさつの「ぺこっ」としたり、バナナさんとのお尻を合わせて「ぽにん」としたり、めろんさんと抱き合って「ぎゅっ」としたり、そして縦に重なり合って窮屈な状態から「ぱっ」と解放されて、「やったー」と嬉しくなります。絵本の世界でありながら、自分がやっているかのように一体化しています。「ぎゅっ」というところは、自分でも腕を組んでぎゅっとしていますね。

「お休みはゼロ人です」という数の概念も体験しています。こんな複数の「関係の束」を拾い出していくと、これはもう書ききれませんが、こんな瞬間の連続の中で、子どもたちが刻々と意味ある体験を積み重ねていることがわかります。個人の育ちというものが、いろいろな関係の中で育まれていて、その関係そのものが変わっていくことが集団の育ちにもなっていくことを、次回はぐんぐん以降と比べてみたいと思います。

間中ムーチョさんの世界へ

2021/11/26

いつもの海老原商店の玄関ではありません。一歩、商店の中に入ると、そこは確かに「ワンダーランド」でした。あの動物のマナケモノの世界です。

2階への吹き抜けが、大きなうんちが落ちてくる土の中に続いているという大規模な異空間に仕上がっているのです。

中にそ〜っと入ると、子どもたちはその空間に引き込まれてしまいました。

2年前、2019年10月22日の「園長の日記」に、「・・間中ムーチョさんと出会う」というタイトルの日記があります。女性絵本作家の間中さんの初の絵本『にんげんさまへ』の原画展を紹介しています。

その間中さんが今日26日(金)から、海老原商店で個展「マナケモノさん 土の中から ありがとう ワンダーランド」が始まったので、誕生会のあと早速、園児10名と出かけてきました。28日(日)までです。ぜひ親子でお出かけください。

 

子どもの体験を幅を広げる水辺にするために

2021/11/24

 (リバーサイドプロジェクト事務局長の岡田さん)

当園のロケーションの強みと弱点を考えてきたこの2年半。弱点は狭いし、園庭はないし、自然は乏しいし、交通事故などの危険性があるし、こらの課題を乗り越えてきた2年半だったわけですが、これを乗り越えるべく、地域を園庭しようと発想を転換したり、身近なところにある自然を大切にしたり、バギーやバスで広い場所へ移動したり、ハンデキャップを克服してきました。

 (小林やすお・千代田区議会議員)

しかし、千代田区と地域活動との連携を地道に重ねてきたことによって、新しい強みが育ってきているように感じます。その一つが神田川が目の前にあるというロケーションです。

 (新倉健司・屋形船三浦屋社長、屋形船東京都協同組合会長)

昨日24日、この神田川や運河の水辺を再生させて活用する活動に参加してきました。

園の前の佐久間橋児童遊園で、その発足会の式典が開かれ、その組織のメンバーに加わりました。

これは神田川と運河の清掃を行いながら、水辺としての環境を豊かにしようという活動です。この活動の主役は、東京お茶の水ロータリークラブの方々と、佐久間1丁目町会、及びこの活動の区議会議員連盟の方々です。この活動を広げ、深めること、その組織のメンバーになったことで、当園のみならず、近隣の人たちとの連携に、また一つ大きな可能性が広がりました。

樋口高顕・千代田区長も「大事な活動なので応援したい」と協力を約束してくれました。

個人的にワクワクしています。こんな大きな可能性に関われるという期待感と静かな高揚感です。子どもたちに、新たな体験の機会が生まれるかもしれません。

 

遊びの中で体が自然に動き出すダンス

2021/11/23

勤労感謝の日の今日23日、海老原商店とその前の柳原通りが、ちょっと面白い空間になりました。

楽器や木箱を叩く音に合わせて子どもと大人が踊ったり、保育園の屋上でダンサーをモデルにデッサンをしたりと、「コレモ?ダンス?」のタイトルのとおり、どこまでがダンスだかわからないパフォーマンスを参加者が楽しみました。

主催したのはコンテンポラリー・ダンサーの青木尚哉さんとその仲間たちです。今回のイベントにはクラリネット奏者の西村薫さんと、代々木デッサン会を主宰する北村範史(ノリチカ)さんとのコラボレーションがあったことです。

午後1時から6時までの5時間。秋晴れのもと、休日で通る車もあまりない柳原通り。

海老原商店の玄関前で、子どもがチョークで黒板や歩道にお絵描きをしたり、木琴をバチで鳴らしたり、ポータブルラジオから音楽が流れたり、そのリズムや音が醸し出すイメージに合わせてダンサーたちが即興的に踊ります。

保育園までの間の通り全体が、ダンスパフォーマンスの空間になって、歩行者も「何をやっているんだろう」という面持ちで、立ち止まって身いったりしていました。

保育園からは4家族の親子が楽しみました。お絵かきや楽器遊びをしながら、子どもたちは自然に体が動き出します。それもダンスだと思えてくるから、面白い空気感です。

子どもは本質的に体を動かすことが好きな存在ですが、そのことを本人も周りの大人も積極的に楽しもうという雰囲気があること。この意味を再発見できたことが大きな収穫でした。海老原商店の中でかくれんぼしたり、おやつを食べたり、楽しいひと時だったようです。

夕刻になるとクラリネットの音色に合わせて青木さんたちが本格的なダンスを披露してくれました。歩道で見ていた人たちも一緒に踊ってフィナーレでした。

学びに向かう力

2021/11/19

大谷翔平が満票でMVPを取ったニュースで始まった今日19日は、ほぼ皆既に近い月蝕で終わった1日でした。

大谷選手は野球界の歴史を作っただけではなく、全てのアスリートの中でも、一際光るものがあります。それは「学びに向かう力、人間性」が素晴らしいのです。下の図は岩手、花巻東高校野球部に入部した時、1年目の冬に大谷選手が作った目標設定シートです。

今季の成績は最低限であって、もっと上を目指している「オオタニサン」は、周囲の人に感謝を忘れず、その人柄も愛されています。

「学びに向かう力」とは、非認知的能力のことなのですが、投手としても打者としても、その「知識・技能」に対して記者30人が全員、ショヘイの名前を選びました。そのスキルに磨きをかけたものは、そのエンジンになった「学びに向かう力」だったに違いありません。

野球というスポーツは、瞬時の思考力や判断力を必要とし、それを華麗なプレイで見るものを魅了する表現力が求められている職業です。これら「思考力・判断力・表現力」は、認知的能力の中でも、「知識・技能」を実際に働かせていくものであり、コンピュータならメモリに対するCPUのような役割に相当します。

今のべた3つの力は、まとめて「資質・能力」という言葉で、平成28年度の「中央教育審議会」答申に位置づいている「生きる力」です。この「資質・能力」は、乳幼児にも当てはめられ、翌年に告示された「指針」や「要領」でも同じ言葉が使われています。ただし「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」には「の基礎」という言葉がついています。このような説明を、今日はある大学の保育士養成課程を履修している学生たちにリモートで説明しました。

「学びに向かう力」は、非認知的能力なのですが、実はその前に次のような修飾語がついているのです。「心情・意欲・態度が育つ中で、よりよい生活を営もうとする」学びに向かう力、なのです。

赤ちゃんの頃から、これらの3つの力が働いていることを見ることができます。一人一人の持っている力がどのように働いているのかを見極めながら、子供たちの成長を見つめていきたいと思います。

朝から「わくわく」「ドキドキ」で始まる1日に

2021/11/17

朝、本当にワクワクして1日が始まるのと、なんとなく受け身で始まる1日とでは、生き方が全く変わってくるんじゃないか。それは大人も子どもも一緒だと直感したら、なんとなく始まる1日は、何ともったいないものでしょう。朝一人ずつに大きな風船を膨らませてあげて渡して、運動遊びをしました。風船を渡すと、上に投げて落ちてくる風船を上手に受け止めるだけでも、普段あまりやらない運動になっていました。ネットに風船をいっぱいのせて、ネットを揺らして落ちてくる風船を受け止める遊びをしました。

時々、風船の取り合いになって喧嘩も始まるのですが、その時、本気で何かを訴え合う欲求のぶつかり合いは、そこで得るものに間違いはないと思えました。そうそう、もっと本気でぶつかり合っていいよ、と。朝からこんなに気分が発散するとその後の活動も落ち着きます。今日の午前中は年長さんの「お手伝い保育」でしたが、事務室グループは「秋拾い」に出かけました。ワクワクしながら柳原通りを歩いて、ボタン屋さんまで行って挨拶して、柳原神社に寄って帰ってきました。たったそれまでなのですが、その途中に落ちていた落ち葉を拾ったり、変わった形の石を見つけたりしながら戻ってきました。途中で、駐車場の料金を確かめている方に「何をしているんですか」とインタビューもしました。

好きな色の画用紙を子どもが2枚ずつ選び、6枚を継ぎ合わせていたのですが、その並べ方も「交互」にしていて「こっちがいいよね」だそうです。そして葉っぱを木工ボンドで貼り付けました。見ていると、花とか蝶とか、鳥などを葉っぱで形作りっていました。同じ色の葉っぱを並べ、それに枝を繋ぎ合わせていました。玄関に立派な装飾ができました。

何気ない活動なのですが、横断歩道の渡り方も上手になったり、桜の木の見分け方を覚えたり、木についている葉の色と落ち葉の色の違いに気付いたり、消火栓の意味が分かったり、ちょっと地域探検を楽しみました。

top