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保育アーカイブ

お盆の日に

2020/08/14

子どもが熱中して遊んでいる証(あかし)をどのように伝えたらいいのだろう。最もいいのは、それを家でも園でも子ども本人が「またやりたい」という気持ちを伝えてくれる時かもしれません。いくら上手な絵になったり、他人が撮った一瞬の写真を見ても、本人がそうかどうかは、本当は本人しかわからない。だから、「ああ、面白かった」「ああ、楽しかった」「ああ、美味しかった」という、素直な満足感が、もっとも信用できるんじゃないか。子どもは楽しかったことを、楽しくなかったと嘘はつけないものなので、素直な笑顔を見ると、幸せな気持ちになります。今日14日も、そんな安心感を持って眺めていた時間がたっぷりあった1日でした。

微笑ましかったのは、どうして泣いているのかな、と思って見ていたら「お腹減ったよ。早くお昼ご飯にして」とせがんでいるちっちさん。あの絵本、この絵本、あのお話、あのうた歌って!と、リクエストが終わらないぐんぐんさん。飽くなき好奇心に溢れています。

レゴブロックを長く繋いで「たか〜い」と見せ合っているにこにこさん。いろんなことを僕も私も「自分で」やりたいよね。

動物将棋にハマっているわいわいさん。うーんと考えている姿は立派な棋士だね。

つながる花形ピースで大きな怪獣を作っているらんらんさんは、すごい造形家です。

クーゲルバーンでビー玉を転がしては、自分たちが笑い転げているすいすいさん。君たちこそビー玉だね。

どの子も、いい感じです。

こんな時間がずっとずっと続きますように。そしてこの時間は、過去の多くの人たちによって叶えられ、支えられていることに感謝しなければなりません。納涼会の前から飾っている盆踊りの提灯ですが、もしお目見えいただいているご先祖様がいらしたら、この子どもたちの姿にきっと喜んでもらえるんじゃないかと思います。

よい絵本ってなんだろう?

2020/08/12

◆「ちよだせいがぶんこ」の蔵書方針

今年はこの7月ぐらいの間、ずっと保育における「言葉」について考えてきました。大学生にそのテーマで15回分の資料を作ったからです。その中には、絵本などの児童文化も含まれるのですが、保育園で使う絵本の他に、お貸しする「ちよだせいがぶんこ」もあるので、絵本についての考え方を少しお話しします。絵本に関して「別冊太陽」の特集など、いろいろなものがあるので参考にしてきましたが、毎年、幼児向けの図書は3000点も出版されているので、星の数ほどある絵本の中から、何を選ぶのかは大変です。そこである程度、ロングセラーとなっているものや有名なものから選ぶことになるのですが・・・。

◆よい絵本の3条件

まず、よい絵本とはなんでしょうか? 長らく保育の世界で仕事をしてきた私としては、この質問については、次のように答えてきました。良質な絵本と言われているものは、大抵は大人が良かれと思って選んだものであり、子どもに聞いて決めたことはほとんどありません。そうなってしまっているのは、もちろん子どもに聞いてもわからないから、という事情もあります。そこで私が「よい」絵本だと思うものは、次のような特徴があります。

その1つは、まずは子どもがそれを「好む」ということです。2つ目は良質な物語(ストーリー)があり、絵本の絵や言葉が「アート」である、ことです。3つ目は大人にとっても魅力的であることです。大人が魅了されていないと子どもに伝えようと思えないからです。いい絵本というものについては、細かな条件がいろいろありますが、大きく分類すると、この3つの要素が重なり合っているように思えます。子どもにとってという視点、それから中身、内容のよさ、そして大人にとっても「これはいい」と思えること、この3要素があってほしいのです。

◆全国学校図書館協議会(SLA)

実際にどんな絵本があるのか、どうやって選べばいいか、いろいろなものを紹介していきたいと思いますが、まずは安全パイになりそうなのサイトであり、困ったときには、このサイトをお勧めしています。全国学校図書館協議会(SLA)のホームページです。ここには「よい絵本」の選定基準と絵本リストの解説が出ていて、とても便利です。

https://www.j-sla.or.jp/recommend/yoiehon-top.html

 

令和2年度の保育カリキュラム

2020/04/01

令和2年度の保育カリキュラムは次の通りです。

令和2年度 全体的な計画(教育課程含む)(千代田せいが保育園)

重点目標は次の通り

•○ 都市型の保育→ 音環境・プライバシー・交通安全
•○ 感染症対策・自然災害(水害)対策
•○ 園庭の3要素(運動・自然・開放感)→ 地域を園庭として利用する 地域連携
•○ 子どもの発達の連続性(学年で区切らない保育)→ オープン保育
•○ 家庭と園生活の連続性(アロペアレンティング)→ 保育の協働性 信頼と対話
•○ 保護者と共に子どもにとって豊かな生活を創り出す → 身体・睡眠・アート

 

第4回 マムズ・サロンより

2020/02/25

「これからの保育園入園を控えているため、それに向けての生活リズムの心構えができた。夜泣きのタイミングやその改善方法が知れてよかった。常夜灯NGがわかったのは、とてもよかった」

今日の参加者の感想です。保育園生活が始まるというのは、育児休業中の保護者の方も仕事が始まることになるので、子どもの生活リズムも変わってきます。今よりも朝起きるのが早くなり、仕事から帰ってきて晩御飯を食べさせてお風呂に入って、8時半にはお布団に入って電気を消して・・そうした生活リズムを作っていくために必要な準備がとっても大切な時期です。それをどのようなことから始めたらいいのか。今回はその「逆算マネジメント」のコツを中心に、ポイントをまとめるような会になりました。

理想の睡眠サイクルになるまでのポイントを、私なりに、まとめてみました。

(1)夜の睡眠は10時間から11時間が必要。

これは0歳から小学生になるまで同じです。夜の睡眠時間を10時間確保しようとしたら、朝7時に起きても夜9時には寝ないと確保できません。小学校は朝8時15分に着席していることをイメージすると、歩いていく通学時間を考えれば7時何分に家をでる、すると何時にトイレを済ませ、何時に食事を済ませ、何時に起きないと間に合わないか。小学生になるまでを見通して、今から生活リズムを整えるようにしましょう。

(2)逆算マネジメントで生活リズムを作ろう。

朝起きる時間が決まれば、そこから11時間の睡眠を確保するには何時に寝る必要があるか。夜8時か8時半か9時か?そこから逆算すると、何時に布団に入るか。ツンツン・ごろこごろ・心のスキンシップの時間を考えて何時に食事を済ませるか。何時に夕食の準備を始めるか。何時に保育園にお迎えに行くか。

(3)お昼寝の時間を補って11時間にするのではない。

夜の睡眠は特別であり、それ自体として確保しないといけない。足して11時間になればいいというものではない。夜の睡眠が確保できるように、お昼寝は調整すること。

(4)お昼寝を短くして夜が良く寝るならそれでいい。

3歳ぐらいまではお昼寝をしても夜ちゃんと11時間寝ることができる。4歳以降から昼寝が長過ぎると夜の睡眠が短くなってしまうリズムの崩れがあるなら、お昼寝は短く、あるいは無くしたほうがいい。そこには個人差があるから、一概に何歳だからとか何時間だからということはできない。

(5)日本人は世界の中でも睡眠時間が短い。

子どもも短い。子どもがよく寝ている国は北欧とニュージーランド。北欧は学力も高い。睡眠と生活リズムと学力の高さにも相関関係が見出せる。中学生も夜9時には寝ている。単に勉強時間が長ければ学力が良くなるという関係は疑わしい。

(6)夜の睡眠の質が高いと、昼間の活動や学びの質も良くなる。

学校での学習の質が高くなり、脳の集中力とか、主体的に考えることなどの質と影響する。

(7)睡眠には質の違いがある。

最初の深い眠り(ノンレム睡眠)の時に、成長ホルモンなどが出る。明かりの影響が最初の眠りの質を貶める。睡眠は単なる休憩ではない。脳を育て、知識を定着させ、神経細胞を整えるなど、多様な役割がある。

(8)夜の睡眠をよくするには24時間の生活リズムが大事。

午前中に活発に活動する。脳は10時から12時にもっとも活動できる。夕方から脳は眠りたいタイミングに入る。

(9)寝る部屋は基本、真っ暗にすること。

常夜灯は不要。夜起きて何かするときだけ。エアコンや空気清浄機の電源の点灯や、加湿器のほの赤い灯などもタオルをかけて口のところだけ開けて使う。

(10)眠るホルモンの分泌を妨げる青白の光

昔のブラウン管テレビと今のとは光の性質が異なり、青色や白色が多いので子どもの脳は、それに依存するようになり、覚醒させてしまう。その光の影響はテレビよりもスマホ、スマホよりもタブレットの方が影響は大きい。

(11)小児科学会は、いつであろうと2歳まではテレビはNG。

これは世界の常識になっている。日本はいつの間にか忘れられているかも。もし見るなら親子で双方向性を保つように見ること。子どもが受動的に受け身で見るだけはよくない。

表現③自分の体の動きがアートになる遊び

2020/02/18

◆体の動きのつながりとアート感覚

アートってなんだろう。色々な定義や説明があるのですが、子どもの言葉を借りると「なんかいい!」という感じのことです。今日もその「なんかいい」といった男の子がいました。今日はダンスのアーティストが3人いらっしゃって、わんらんの子どもたちと体を動かして遊びました。体を動かして遊ぶ、といっても、いつもとちょっと違います。例えていうと、体の動きを、一つずつ丁寧にバラして感じとっていくプロセスがある、といっていいでしょう。あるいは、粗大運動の中の微細運動といってもいいかもしれません。

◆いろいろな身体遊び

やったことは、正式な名前があるわけではないのですが、今日楽しんだ子には多分、こう言ってもらえたら通じると思います。一人スキップ、二人スキップ、やさしいだっこ、マネキンとデザイナー、片手にょろにょろ、両手にょろにょろ。どれも楽しそうにやっていたのですが、マネキンとデザイナーはかなりアートらしい体験だったと思います。

◆自分の体の骨をイメージする

一人がマネキンになり、もう一人がデザイナーになって体の一部を優しく押したりして動かします。これをやる前に、イミテーションの人の骨を見せて、人の体には骨が入っていて、それがうまく動くようになっていることを感じ取った上で、この遊びをしたのです。自分の体の中にも、この骨があって、それが動いて体の動きができていくんだということをやりながら学んだのです。

◆自分の身体を自分で感じながら動かす

こんなことはやったことがなかったからでしょう、それが面白かったようで、カクカクと動かされる自分の体の姿勢やバランスを感じながら、それが「身体表現」になっている面白さに気づくことができました。動かされている本人の感覚はあっても、外からどう見えるのかがわかりません。少しの力に優しく動いては静止し、少し押されてはまた動き、その繰り返しの中で、自分の体の姿変わっていく。そうした自身の身体の動かし方を意識したのは初めてだったのではないでしょうか。

◆自己イメージの形成

逆に動かしているデザイナーの方は、「こうしたらどうなるかな」「もっとこうしてみよう」という造形的な面白さを感じています。「こっちの方が、なんかいい」という感覚を頼りに、友達の体を使って造形活動をしている、まさしく表現遊びです。動かされる方(マネキン)と動くかす方(デザイナー)の両方を交代でやりながら、最後は同じポーズで記念写真を撮りました。自分の姿がどのように見えているのか、何度か繰り返すことで、マネキンになりながら外から見える「自己イメージギャップ」にも気づく体験になっている子どももいたことでしょう。

◆知らなかった自分の体の動きと出会う

たった一時間という短い時間でしたが、3人のアーティストをご紹介しておきましょう。リーダーの青木尚哉さんと、芝田和さん、高谷楓さん。子どもたちは、ダンス遊びの途中から「もっとやりたい!」の連発でした。青木さんも「あの意欲が大事なんですよ。それを引き出したくてね」とおっしゃいました。このようにアートの力は、例えばマネキン人形になって体を動かす/動かされる、という中に「今までなかった自分の体と出会う」という貴重な経験を作り出す力を持っているのです。

成長のしるしとしての夢中度

2020/02/17

 

春の訪れを知らせる梅の開花。八王子市の姉妹園の園庭に白梅が綺麗に咲いていました。小川にはヤマアカガエルが生んだ卵の寒天のような塊が漂い、すでにおたまじゃくしが泳いでいました。すでに春が来ています。このような分かりやすさと同じように、わいらん(3歳4歳)クラスの子どもたちの姿に、くっきりとした成長の印を今日17日、来客者と一緒に確認しました。

それは見学者が来ても、誰も寄って行かったことです。「見学者が多いんですか?」とおっしゃるので、「いいえ。見学者は少ないですよ」と答えたのですが、この質問の意味は「寄って来ないのは珍しくないから、つまり、見学者慣れしているからだろう」。こんな考えからなのですが、私の説明に納得して「覚えておきましょう」と感心されていました。私の説明とはこうです。

「子どもたちは遊び込んでいると、見学者には気づかないんです。もし気づいたとしても、やっていることに夢中になっているから、見学者に関心が向かないんですよ。もし見学者にすぐに寄っていくような姿が多い時は、まだ情緒が安定していないか、没頭して遊び込んでいないのかもしれませんね」

こうした姿は、保育の質を測る「ものさし」の一つになっています。開発したのはベルギーのF・ラーバース女史で、日本でもSICSという略語で有名になりました。先日、いずみこども園で講演された秋田喜代美教授が日本版を開発しました。ごく簡単にその要点を説明すると、ラバースは保育の質を、子どもの情緒的な安心の度合い(安定度)、熱中度(夢中度)、大人の関与の3つの要素から捉えました。そしてSICSはそのうち、安定度と夢中度を保育者の観察によって自己評価するのです。

もし、ラバースさんが、その視点で今日のわいらんの子どもたちの様子を見ると、とても高い得点がついたと思います。今日の来客者は、実は千代田区の保健福祉オンブスパーソン事務局の方と相談員のお二人です。お二人は千代田区の保育園を全て見て回っていますが、子どもが誰もよって来ない経験は初めてだったそうです。それだけ遊び込んでいた時間だったとも言えますが、子どもたちが主体性を発揮した集団の雰囲気の良さを感じ取ってくださいました。

表現②豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする

2020/02/16

15日(土)の午前中、私が昨年3月までいた八王子の「せいがの森こども園」が開いた行事「成長展」に出かけてきました。成長展は子どもの成長をお伝えするものです。これは、現在の子どもの状態をお伝えするだけではなく、昨年の4月から毎月、記録してきた育ちを並べてみることで、その成長のプロセスを可視化します。教育の「ねらいと内容」は5つの視点があるのですが、その分類(領域)に従って展示します。

子どもの発達を概ね右肩上がりのグラフで表すとすると、それは直線にはなりません。カーブを描いたり、山並みのようにギザキザになったりします。身長や体重、手や足の大きさ、人間関係の広がりやコミュニケーション力、遊具のバリエーションや活動範囲、言葉の発達など、それぞれのテーマで異なりますし、個人差もあります。

特に表現の領域は「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする」ことです。そこで成長展では、1歳児クラスから子どもの4つの描画制作を展示します。4つというのは「自由画」「ぬりえ」「人物画」「シルエット」です。

シルエットというのは、人や家、犬などの形をしたシルエット(黒画用紙を切り抜いたもの)を子どもが白い画用紙の上に自由に並べて「お話」を語ってもらうます。それを先生が聞き取って説明文を添えたものです。

この4つを4月から2月まで、それぞれ4ヶ月ごとに作って並べます。ですから自由画が3枚、ぬりえが3枚、人物画が3枚、シルエットが3枚並び、その変化をみてもらいます。1年での「変化」の中に、子どもたちの成長の軌跡が見えてきますから、興味深い気づきが生まれることでしょう。

表現① 感じたことや考えたことを自分なりに表現する

2020/02/15

◆アートの中の「中間領域」

14日金曜日の夜、ある知人の保育園で、4歳の子どもが作った造形作品について、その園の先生(アート担当)からとても面白い話を聞きました。3歳児、4歳児、5歳児と成長していくにつれて、制作遊びも発展していくのですが「4歳児のクラスのある特徴に気づいた」とおっしゃるのです。それは昨日もお話ししたように、制作というアート(技術)の中にも「中間領域」がある話と通じるものでした。

「なんと名付けていいのかわからないのですが、ちぎったり、ハサミで切ったりしてくっつけていく過程で、いらなくなったものがたくさん出てきますよね。それがとても多いんです。ゴミというか無駄というか、余計なものへの配慮がまだあまりできないので、それがどんどん出てくる。5歳児クラスになると、それがあまりなくなる。3歳の頃は逆に少ない。そこまで活用しようとしない。この特徴に気づいたので、それをなんとか展示で伝えられないかと思って、作っている途中で出てきた、切り屑を取っておいて、ジッパーの袋に入れて作品の隣に飾ってみたんです」

(上の写真)

◆いらなくなったモノが知らせる子どもの発達

子どもの制作の結果としての作品だけを展示するのではなくて、その制作の過程で生じた「くず」「ゴミ」「無駄」の方にも目を向けてみるという展示方法。これはちょっと、深く考えてみたくなる気づきをいただいたなと、とても面白く感じたのです。子どもの造形のプロセスに目を凝らしてみる。しかも、その場で捨ててしまうようなモノ(あるいは再生用としてストックしておく)に着目する発想。そこに発達の特徴を感じ取るアーティストのセンス。

「それは面白いですね。それなら作品を1枚目のパネルに貼って、その制作過程で出た余りをその裏に展示して、どっちが作品かわからないような展示というのもアリかもしれないですね。それぞれが作品Aであり作品Bであるような」

作品Bの増加と減少の軌跡を発達に応じて展示してみるのも面白いかもしれません。ストックという量だったり、素材の種類だったり。2月29日(土)の成長展は、子どもの結果としての作品を展示するだけではなく、その作品が変化していくプロセスをお伝えします。その方法として、こんなアプローチも面白いかもしれないと思ったのです。

◆展示の仕方が園のアートになる

そして、こんなことを考えていてさらに気づくのは、私たちは何かにつけてすぐ「作品」というけど、それは意図した結果だけなのか、それとも偶然の結果も含むのか。あるいは人の営みでありながら、意識の対象に入らないものはアートとは言えないのか。その自覚の発達を追うこともアート表現になるような展示が可能なら、それは子どもの作品でありながら、子どもの発達を可視化するための、園あるいは先生の意図に基づく「展示という作品」になるものです。つまりアート展示の多層性をそこに見つけることができそうです。

発達の中間領域を大切に

2020/02/14

自信のある人になるには、思いが受け止められることが世界を信じることになり(基本的信頼感)、そもそも自分の力で世界に働きかけること自体が喜びになったり(自己効力感)、さらにその結果が他人の役に立っているという手応えが返ってきたり(自己有用感)、そうした一連の自己に対して自分が未来に対して前向きに取り組めそうな気持ちが湧き出てくること(自己有能感)。今日14日の午後は、そうしたことに思いを巡らす時間がありました。

いずみこども園が開いた研究発表大会に参加してきました。3歳と5歳の公開保育、その後の研究協議、シンポジウム、記念講演です。研究テーマは子どもが自分を大切にすること、そして他者へも大切にできること。そうした人になるには乳幼児期にどんなことが大事なのか。実際にやっている保育を視察して、配布された資料を読んでこども園全体でどんな保育を目指そうとしているのかを理解して、そのアプローチについて、教育関係者が集まって知恵を寄せ合う。千代田区教育委員会がこども園に委託して2年間実践した研究結果の報告会です。

学んだことがたくさんありましたが、千代田せいがの保育実践と同じ研究根拠に基づいて、いずみこども園も実践していることがよくわかりました。乳幼児期からの発達観や環境を通した保育と援助、その中でも人的環境の質に焦点を当てた研究論文などが参照されていました。こども主体の保育や環境を通した保育など、保育理念や保育方針で世界が向かっている方向と同じでした。その羅針盤の役割を担っているのは、海外の保育動向に詳しい秋田喜代美・東大大学院教授です。記念講演の中で、印象に残ったのは保育のプロセスの質について、私が「成長の中間領域」と呼んでいるプロセスに言及したことでした。

私たちの認識は、対象を捉える時には、必ず無意識に節目や輪郭を設けてしまいます。切れ目のない移ろいを捉えることは苦手です。私たちは「できた、できない」「わかった、わからない」。その境目を漂っている意識を捉えることがとても苦手です。「やるの?やらないの?」「食べるの?食べないの?」「〇〇なの?○○じゃないの?」「ウンチは自分でしたか、しなかったか」「寝たのか、寝てないのか」。そうした区切りを求められて生きざるを得ないのが現代社会の特徴なのですが、発達のプロセスはもっと複雑系で、行ったり来たり、できたりできなかったり、わかったような、わからないような、そんなぼんやりした境目が定かでない「うつろい」を大切にしないといけないのです。

ここからが大切なのですが、それでも教育を語る人たちは、つい「できる、わかる、しようとする」に向けて、こどもに暗黙の圧力をかけてしまいます。どうしてそうなるかというと、それが「好ましいこと」だからです。でも、動機が善いことでも、結果がよくなるとは限らないところに、教育の難しさが潜んでいます。それを見分けることは、難しいことに思われますが、わかりやすい目安があることを、知っています。それは子どもが教えてくれるのです。

その暗黙の圧力を敏感に感じ取り、そこから逃れようとして「自分で、自分の中から、自分らしく」動き出したくて、思いっきり「イヤイヤ」を主張したり、本人にとっては「大きなお世話」と思えることから身を引いたり、その空間や場から逃れようとしたりします。それが多くの事例となって証明されているのが、学校や園に行くのが怖くなったり、自分の部屋に引きこもっている方々の存在です。自分を大切にすることは、その人を心から信じることが必要なのですが、その大前提が語られることが少ない気がします。

成長の「中間領域」を大切にすること。これも、大切な見守る保育のスタンスの一つです。その実例がクラスブログに、毎日のように報告されています。冒頭の写真は佐久間橋児童遊園ですが、「できるかなあ、どうかなぁ」と、身体と空間との内的対話が聞こえてきそうです。

今日からはじめるエシカル消費

2020/02/10

今日の第5回コーヒータイムで使うかもしれない「今日からはじめるエシカル消費」の資料をホームページにアップしておきます。

20200210「今日からはじめるエシカル消費」

この資料は私が先日2月3日に東京都消費生活総合センターが開いた「消費生活講座」の資料です。講師の山本良一さんはこの内容を広く市民に伝えて欲しいとおっしゃっていました。

ここからは、コーヒータイムが終わった後のレポートになります。

◆にこにこさんと「お客さん」を待ちながら・・

このコーヒータイムは、本当に気軽に仕事帰りにちょっとコーヒーでも飲んでもらう、くらいの気軽な空間にしたいと思っています。それで今日は、最初のお母さんがいらっしゃるまでに、にこにこの子どもたち3〜4人が「何してんの?」とやってきました。私が電気ポットでお湯を沸かし、電動コーヒーミルで豆を挽きはじめると、興味津々で私がやることをジッと見守ってくれました。その眼差しが可愛いので、私は楽しいのですが周りの先生たちは「あ、園長先生のそばに行ってしまって、どうしよう」とハラハラしているのも伝わってくるので「大丈夫ですよ」と伝えました。子どもたちと「お客さんがなかなか来ないね」と待っていたら、最初のお母さんがのぞいてくださいました。

◆どんな時間が「自分の時間」か?

今日は4人のお母さんが参加されました。一人、二人、三人と増えていくたびに、「お仕事お疲れ様です。まあ、コーヒーでもどうぞ」という感じでおもてなしていたら、ふと、“これってコーヒーじゃなくて本当はビール?”という思いがよぎりました。「まあ、まあ、まずはぐっと一杯どうぞ」とやるのが筋だよな、などと思いながら。

「みなさんには、ビールというストレス解消法があるけど、子どもにはそんなストレス解消法ってないですよね」という話に。子どもにもストレスはあるはずだけど、その解消法は親御さんへの「甘え」ですかね。それとも遊びがストレス解消でしょうか。子どもの遊びのエネルギーと飽くなき探究心へのリスペクトと同時に、親御さんが、いつもそれに応えることができているのはすごい!というのと同時に、子どもからのそれをスルーしたり対応できない時ってありますよね、仕事と子育てから離れて自分のほっとする時間ってありますか? それはどんな時ですか?かという話になったかと思います。飲み始めたらもうそのあとは・・・やっぱり、そこはおんなじですね、と安心する話が聞けて小さな連帯感を感じたのは私だけでしょうか?

◆エシカル消費を実践したくても・・

さて、エシカル消費ですが、私の場合、これまで「食べ物は体に良いものを」という基準ぐらいしかなかったのですが、「倫理的な消費」には、もっと広い視野から考えることが求められます。例えば生産や流通の過程で、子どもに過酷な労働を強いていないかとか、食べることになる動物の福祉に配慮しているかと(鶏は平飼いにしているか)、環境保護の観点があるか、などとても幅広い視点から見直されています。保育園の周辺で生鮮食料品はどこで買っているのか教えてもらったのですが、ライフやまいばすけっと、成城石井ぐらいで、あまりないですよね。子どもの健康を考えると、エシカル消費を実践できる環境なのかどうか、この町をもっとよくする余地があることに気づかされました。ネット通販を使うしかないのでしょうか。もう少し情報を集めたくなりました。

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