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保育アーカイブ

お祭りの起源、そして子どもの「ハレとケ」

2019/12/18

「お祭りなんだから、さあさあ、呑んで呑んで!」

(17日の科学博物館で)

今年5月の神田祭の神輿神霊入れの座で、石渡さんにお神酒を勧められたことを思い出しました、「せっかくだから奥の席に座って」と。それは有り難いお誘いでありながら、こんな時間から飲むわけもいかないので、その旨を言い訳にすると「お祭りなんだから、無礼講でいいんだから」とその方はおっしゃいます。

嬉しいやら困ったらやらで、曖昧で煮え切らない、いかにも無粋な様子だったのでしょう、そばから「園長先生はまだこれから仕事なんだから、無理にすすめちゃダメだって」と救いの手を出してくださったのが、ちよだリバーサイドプロジェクトの岡田さんでした。まだ夕方の4時過ぎだったので無礼を詫びて園に戻ったのです。

忘年会やら懇親会やらの時期になりました。会社勤めの私たちには、こちらの方が「祭り」の気分を味わう機会かもしれません。ちょっとだけ「無礼講」の要素がありますよね。ちょっと寄り道します。

社会科学の学問によると、お祭りは定住社会になってから生まれました。その社会が生み出した言葉と法の中で毎日を過ごしていると、それは本来的に不自然なものなので、徐々に生命力が枯渇していきます。日本では「気=生命力」が枯れるという意味から「ケガレ」ることとみなされます。

そこで、日常世界の外側、人的社会の外側への接点を求めて、そこから生命力を呼び込んで回復しようとします。そこに聖なるもの、大いなる異質なるもの(自然や神や被差別社会)を呼び込み、穢れを晴す「ハレ」なる祭りを企てるのです。その時は、平時のルールは破られるので無礼講というわけです。「お酒の席ですからお許しを」というのも、似たような起源でしょう。

1960年生まれの私などは、その掟を破ってもいいという感覚、お祭りのキワドサの消息を皮膚感覚で知っています。私の小6の担任の先生は「おくんち」というお祭りに連れて行ってくれたのですが、その時、先生らしからぬ、普段は見せないある行動をしました。それはここでは言えませんが、私は小学生ながら「お祭りだと、それくらいは許されるんだ」ということを学びました。

ハレとケの世界を行き来することは、とても危険なことだったので、そこには心を鎮めるための儀式を必要としました。それが神輿だったり、お囃子だったりするのです。こんな経緯を抱えているのが、文化的歴史の中で生きている私たちの「心」なのです。

さて、寄り道から戻ると、本来子どもは、自然そのものです。異質な存在です。養老孟司さんに言わせると「子どもは自然だってことを、大人は忘れている。自然はいいなりにならないものと心得たほうがいい。デコボコの山道で転んで山に文句を言う人はいないでしょ。都市の平らなアスファルトの道を歩くことと同じように、子どもの安心、安全にばかり気を使い、言うことを聞く子にしたがっている」ということになります。

私には子どもは、赤ちゃんの頃から危険を回避する力を持っていて、大人をハレに導く力さえ持っているような気がします。大人が子どもの危険回避能力を奪っているのではないでしょうか。

昨日17日は、わいわい、らんらんの子どもたちが上野の科学博物館にバス遠足に行っています。その様子は「クラスブログ」で紹介されています。私は行けなったのですが、自然の存在である子どもが博物館で何に共振するのかということに興味があります。その私なりの「目撃」は次回に持ち越しです。

私は保育園を子どもたちのための「遊びのミュージアム」にしたいと思っています。子どもたちが、科博で何に着目しているのか、どんな印象を持ったのか、知りたいところです。子どもたちにとっても「ハレ」を感じる何かがあるんじゃないかと。

 

絵本ゾーンが1階に

2019/12/16

お待たせしました!やっと絵本コーナーができました。カーペットは1階のテーマカラーである赤に合わせ、本棚は壁と同じ白にしました。早速、利用していただき嬉しいです。これから絵本を充実させていきます。もし、ご家庭で寄付してくださる絵本があったら大歓迎です。絵本が増えてきたら、貸し出しも始めます。藤森平司ライブラリーもどこかに設ける予定です。もうしばらくお待ちください。

じゃれ遊びについて

2019/12/15

保護者のみなさんは、じゃれ遊び、やった事ありますか? この楽しさはやったことがないとわからないのもだと思います。この遊びの感触を説明するのは難しいんですが、ここがポイントじゃないか、と感じることは、じゃれているときは「気持ちがいい」んです。

一言で「楽しい」と言っても、その中には色々なものがあって、浅い楽しさや深い楽しさがあったり、長く続く楽しさや一発芸のようにすぐに終わってしまう楽しさもあります。声をあげて笑い転げるような可笑しい楽しさもあれば、黙々と観察したり絵を描いたりしている黙々とした楽しさもあります。

いろんな楽しみ方があるなかで、じゃれ遊びの楽しさはちょっと格別なものがあります。決して品位が高いようなイメージはなくて、どちらかというと、「そんなもの!」と軽蔑されかねない、低俗なものと思われがちです。幼い子どもがやることであって、そんなことばかりやっていたら、もうちょっと気の利いたことをやってくださいと言われるんじゃないかと、ちょっと恐る恐るやらないとけないような、なんだかそんな扱いを受けがちな遊びかもしれません。

こんな風に書いてくると、読んでいる方は、きっとじゃれ遊びは、そうじゃなくてこんなにすごい遊びなんだと、話はきっとそういう展開になるじゃないかと期待される方がいらっしゃるかもしれません。申し訳ありませんが、じゃれ遊びはじゃれ遊びでしかありません。

ただ、「気持ちいい」という感覚が残る遊びというのは、脳の深いとろこにある欲求が求めているものです。彼ら彼女らの「食いつきぶり」と言ったらありません。これでもか、これでもかと求めてきます。何か飢えていたものがこれだったのか!と思えるほどに、執拗に求めてきます。ですから園長の朝の運動タイムは最近は私がわざと子どもたちの中に入って遊んでいます。見守るどころじゃありません。こんなに求めてくるのは、明らかに愛着(アタッチメント)の欲求なのですが、それをこんなにも多くの子どもたちが求めているという事実をちゃんと踏まえておく必要があります。

この根深い大切な欲求が満たされていないという事実は、結構重要です。心の安定にとっては、最も大切なもだからです。子ども同士がじゃれ合う遊びをたくさんやることで、心は落ち着き、自信も育っていくでしょう。

私が心がけていることは2つあります。一つは子どもが子どもと体を寄せ合い触れ合うことは、脳の育ちにとてもいいことがわかっているので、できるだけ多くの子どもたちが、この遊びをやってほしいと思っていること。二つ目は、単純な遊びながら、見立て遊びのスパイス(例えば沈没船ごっこやおばけごっこ)を入れると、とても盛り上がり、誰もが「じゃれ遊び」の入り方、作り方を知ることができるようになってほしいと思っていること、です。

私が即興で見立て遊びで「うそっこの世界」を設定すると、子どもたちは「ぽ〜ん」と身も心も投げ入れてきます。その間髪を入れない貪欲さは、本当に求めている遊びなんだろういと感じます。

ちなみに私が船役の沈没船ごっことは、「この船は高い波がくると沈没します。しっかりとおつかまりください」とアナウンスするだけで、ゲラゲラと笑い転げます。子どもたちは高い波がくることを求め、実際に船がひっくりかえり、そしてそれを元に戻す。その過程で、子どもたちが色々な役割を演じてくれます。船から落ちないようにしがみつきあうことが、この遊びの隠れたキー体験になっています。(私が船役なので、写真がありません)

公立の園長たちが2月に見学に来ます

2019/12/09

都内23区が5つのブロックに分かれていて、千代田区は中央区と新宿区と共に「第一ブロック」に入っているそうです。何の話かというと、公立保育園の園長会です。それぞれのブロック会で年3回、会合を開いているそうで、その内1回を施設見学に当てているそうですが、今年度は2月にあり、その見学先がうちになりました。全部で約30数人の公立の園長先生たちが見学に来ます。一度に園内に入らないので、神田川を挟んだ向かいの和泉橋出張所に集まり、私のプレゼンの後で、2時半過ぎから4時頃まで、小グループに分かれて見学して頂くことになりました。今日はその打ち合わせに、区から荒井課長と第一ブロックの代表の先生がいらっしゃっいました。

 

生活の中の声、言葉、椎茸の天ぷら

2019/12/05

◆「にこにこさん、通っていいよ」。

サンタからの手紙が届いているか、確かめに来た3歳のNKくんと4歳のYSさんの2人。NKくんが「今日はよん?いつつ?」とか「ごにちと書いて5日っていうんだよ」とか話していると、ちょうど散歩に出かける2歳クラスのにこにこ組の子たちが降りてきました。そこで私が「あ、にこにこさんが降りてくるから、ここにいると靴がとれないかな」と、にこにこの先生にいうと「大丈夫です。靴は、こっちなので」と先生からの返事。2人はその会話を、聞いていたのでしょう。二人らしいなあと、笑ってしまったのですが、座っている場所は変えずに、足を上げて、冒頭のようにいったのです。

◆英語でおかえり!は何ていうの?

散歩から帰って来たらんらんのUKくんが、坪井先生に聞いています。「英語で、ただいまあって、何ていうの」「アイム・ホーム、じゃない」「じゃあ、おかえり!は?」。いい会話だなあ、としばらくその会話を聞いていました。すると、らんらんのNJくんが、「アイム・ハロー」というから、私が「それじゃあ、僕は今日は、になっちゃうんじゃない」。それを聞いていた、TRくんも、英語らしい発音で何かそれらしい口調を真似していました。英語を喋りながら遊んだり、食事をしたりできる方を探してみようかな?

◆「言葉かけ」という言葉への違和感

11月8日にある大学へ講義へ行きました。その感想と質問が届き、先日返事を返したのですが、その中に数人の学生さんから「子どもの言葉かけで気につけていることはありますか?」とか「どのようなこえかけと接し方をしていけばいいのか?不用意な声かけをして、よくない影響を与えてしまうのではないか?」、あるいは「子どもの気持ちに共感するには、どのような声かけをするべきでしょうか?」といった具合に、何度も「言葉かけ」とか「声かけ」という言葉が使われていました。私からは「言葉かけ」という言葉に違和感を感じてほしい、という返事を次のように書きました。

<(略)・・・まず「言葉かけ」という言葉に、違和感を持って欲しいですね。Eさんは普段の生活で家族や友達に「言葉かけ」なんてしますか? 園生活も生活です。この言葉の由来は、学校での指導のための教育心理学と対応して生まれた教育技術の言葉です。子どもたちと自然な会話をすればいいだけです。

ですから、子どもに教育的な語りかけをしないといけないという先入観をまず捨ててください。その根拠を知りたい方は、『心理学と教育実践の間で』(東京大学出版会)などを読んでみてください。

語りかけることよりも大事なことは、子どもが何をしたがっているのか知ろうとすることです。それがあって、先生が何かに気づいて、「あ、そうか!」があったら、その上であなたの中に何か自然に湧き出てくるものです。それが援助内容なのです。そのつながりが大切なんです。それが「保育のプロセス」になることを押さえておきましょう。・・>

◆なにも言わないという働きかけ

今日、私の中に起きた、「あ、そうか!」は、12時前にお散歩から帰ってきた「わいわい」「らんらん」さんの姿を見たときに閃きました。閃いたことを、先生に伝えました。「この子たちに先生たちは何も言わないで、自分で何をすればいいか考えられるようにしよう」。先生たちが玄関でつい色々言っていた言葉を全く封印して、どうなる見てみました。すると、面白いことに(と言って子どもたちに失礼ですが)、自分で外履を脱いで上履きを靴箱から出して入れ替え、上履きを履いて、水筒を下ろして帽子とコートをかけて全員3階まで登ることができました。

(こう書くと、なんだか当たり前すぎることですね。そんなことも自分でまだできなかったのか?と思われるかもしれませんが。でもそれすら、なかなかできなかったのが現実なのです)

途中で、帽子の紐が絡まって「やって」と助けを求める子が一人いましたが、それ以外全員が自分で考えながら3階まで登って行きました。この子達は、全員できるんです。自分で考えて次はどうするのかも知っているし、大人の「声かけ」はいらないのです。その代わり、先生たちと打ち合わせて意識して声にしたのは、「だいぶ大きくなった椎茸を収穫しなきゃ」とか「お昼ご飯はすき焼き風煮物だって、お腹減ったなあ」とか、「調理の先生が椎茸を天ぷらにしてくれるそうだよ」とか、そんな会話を子どもたちに聞こえるように話しました。

椎茸の収穫の話が聞こえた子は「僕もきのこやる」と言ってきました。自分なりに次の行動に移し始める子ども達です。その中で、困ったことやあれば「やって」「できない、手伝って」などを言えるようになっていけばいいのです。大人は黙って手を出してやってあげてしまいますが、自分でできるようになっていくように助ける。これが大切なことだと思います。

椎茸の天ぷらは、大好評でした。

 

 

 

子どもの育ちと自らの保育を振り返る

2019/11/02

(北の丸公園)

◆1週間を振り返る

毎週土曜日は一週間を振り返ってみることにしています。こんなことがあった、あんなこともあった。そして、こうしたのは良かったけど、それならこうしたらもっと良くなるだろう、そういう「新たな課題」を見つけることが楽しいからです。課題が楽しいというと、不可解に思うかもしれませんが、私のいう課題というのは、その時点から見える景色のことです。その景色を見ると「今度はあそこへ行ってみたい」と思うのです。ですから、どうやったらそこへ行けるかを考えることが楽しいのです。

◆課題とは「あそこへ行きたい」と思う私から見える景色

先週土曜日に親子で体を動かして遊ぶ運動会を終えました。外へ出かけたら「子どもが鬼ごっこをしたがる」ようになるのがねらいですから、その後がどうかが大切です。それに備えて、先生の鬼ごっこスキルをアップすること。それが私の見えている景色=課題です。そのための研修計画を羽崎さんと7日に打ち合わせます。

 

◆全ての赤ちゃんに夜はぐっすり眠ってほしいから

「子どもの早起きをすすめる」ことは、園児だけではなく、子育てをしている全ての家庭に伝えたい。それが私の見えている景色=課題です。そこで、9月のシンポジウムで知り合った睡眠のスペシャリスト永持伸子さんと月曜日に「海老原商店」で打ち合わました。すぐにチラシを作り、区に了承してもらい、11月22日に「赤ちゃんがぐっすり睡眠できるためのミニ講座」を開くことになりました。

(海老原商店の2階)

◆保育参観から、ぜひ保育体験へ

火曜日からは3日間の「保育参観」でした。二日目は園の中での生活に加えて「バス遠足」の様子もご覧いただきました。給食も少し試食してもらいました。隠れてみる保育参観から、今度はママ先生、パパ先生として保育を体験してみましょう。

 

幼児クラスなら子どもも大丈夫なのではないでしょうか。乳児の場合も最初はくっつくでしょうが、そこにいるとわかると、自分から離れて遊び始めるでしょう。子育て広場のようなつもりで、そばで過ごす我が子を見守ることができると思います。

◆感染症に気をつけたい時期

感染症が流行る時期に備えて「手洗いチェック」はどうでしたか。もうしばらく機械があるので、ぜひ試してみてください。昨日は、職員の健康診断だったのですが、これも職員の体調管理として不可欠なものです。

◆今日は秋の園外保育候補の下見

ところで、テレビの天気予報は「秋の紅葉」スポットを紹介しています。今日は午前中に「北の丸公園」へ行ってきました。日本武道館のちょっと奥に行くと、芝生と池と雑木林が広がる場所があります。11月中旬は紅葉が美しい場所です。イチョウ、モミジ、ケヤキ、ニシキギ、ハナミズキ、ハゼノキなどが見られます。池の鯉は手を叩くと寄ってきます。保育園から近いので、保育で出かけたいと思います。

◆科学技術館にも行ってみました

北の丸公園から竹橋の方へ下ると、科学技術館があります。明日11月3日まで「東京パズルデー」展をやっていて、私が行った時ちょうど「ルービック世界チャンピオン」中島悠さんが、華麗なる技を披露していました。キュービックを6回動かすのに1秒もかかりません。指の動きが速すぎて肉眼では見えません。

わい、らんの子どもたちが夢中のパズル「LaQ」もありました。

この遊具は、世界での受賞歴がいろいろある知育ブロックで、製造メーカーのヨシリツ(株)イベント事業部の方に、保育園にきてもらうことになりました。ただ予約が年度末までいっぱいだそうで、4月以降になるそうです。(そこはこれからの交渉次第!これも私の景色です!)

◆子どものアセスメントについて

先生たちは、園児一人ひとりの「成長」を、保育所保育指針の「ねらい及び内容」に沿って、全ての項目をチェックしています。これが自己評価です。

一般に保育では、自己評価の視点は2つです。「子どもの育ち」と「自らの保育」です。一つ目の「子どもの育ち」とは、子どもの成長のことです。子どもがこんな経験をしたけど、それによって、こういうところが成長してきたな、とか、こんなことを学んだな、とか。あるいは、どんなことができるようになったかとか、何を学んだか、何を身につけてきたか、ということです。

◆心情・意欲・態度の育ち

とくに注意したいのは、できた結果よりも、楽しい、嬉しい、面白いといった心情、その体験によって、もっとやりたい、またやりたいという意欲、そうした積み重ねから育つ心の姿勢としての心構え、そうした「心情・意欲・態度」がとても大切です。

この育ちの振り返りは、ある程度期間を置いて、一人ひとりをアセスメントします。乳児(0歳〜2歳)のちっちからにこにこは年に4回、幼児の3歳以上のわいらんすいの場合は年に3回実施しています。

子どもの様子を家庭と園からお互いに伝え合い、了解しあうことも大切ですよね。そのための個人面談や毎日の伝え合いを大切にしたいのです。担任と同じようにとはいきませんが、私もできるだけ子どもの姿を理解しておきたいと考えています。

◆保育の自己評価が大事

二つ目の「自らの保育」とは、私たちの保育のことです。そういう育ちに結びつくために、どんな保育をしたか、ということです。こちらは、その都度の振り返りから、日々の振り返り、週間、月間、期間、年間などがあります。節目節目で振り返ります。その積み重ねが子どもの成長を支えることになります。

子どもと毎日心を通わせているか。その時子どもの育ちについて何かの気づきがあるか。生活の展開、遊びの発展のために環境の再構成ができたか、人間関係の構築も促せたか。そのほかリスクマネジメントのチェックもあります。

 

 

自分を見つめ出した子どもたち

2019/10/31

今朝31日、IKくんの訴えに感動しました。彼は私に“こうしたらどうか”と具体的な方策を提案してきたのです。やる前にルールを読む。読めない子には読んであげる。低いところからでも読めるように下にも掲示する。だから「園長先生、クライミングやりたい。クライミングゾーンを開けて」と言ってきたのです。

実は、子どもの態度を見ながら運動ゾーンの運用と環境を見直すことにしました。きっかけは、今週火曜日の夕方に子ども同士で頭をぶつけてしまったからです。翌日話し合い、波型遊具とスイング遊具を一緒に使わないで、子どもにとって死角がないようにしました。また子どもたちにも、4つのルールがしっかりと伝わるようにして、それを「自ら守ろうとする姿勢」を育むことに、さらに力を入れることにしたのです。

わらすの先生たちには、子どもたちに昨日の夕方、それをしっかり伝えてもらいました。すると今朝、ちゃんと決まりを守って遊ぶから、ゾーンを開いて欲しいと、IKくんが私に交渉しにきたのです。

このような力を「非認知的スキル」と言います。自分なりに課題を解決するためにどうしたらいいかをしっかりと考えることができ、それを相手に話して伝え、しかも相手が(私が)納得できるような論理を持っているのです。これは、すでに年長さんの姿に近い「育ち」がしっかりと見られます。

昨日の先生たちによる子どもたちへの話が功を奏したは間違いありませんが、それをしっかりと受け止めて、「どうやったら、運動ゾーンをもう一度開くことができるか」を真剣に考えてきたことは素晴らしいと思います。

その訴えを聞いて、私がわらすの先生たちに「IKくんがこう言ってきたから、ゾーンをもう一度再開してあげることにしませんか」と提案して、再開しました。

このような子どもたちの「姿」のことを、本当の意味で、心構えができている態度と言います。真剣な気持ちを持った心情、どうしても運動ゾーンを開いて遊びたいという意欲、そして自分を律していく態度。この心情、意欲、態度の育ちのことを文部科学省は「生きる力」と呼び、非認知的能力として、社会で最も必要な力になると考えているのです。

 

木場公園で保育参観

2019/10/30

今日は保育参観の2日目。バス遠足だったクラスは「木場公園での保育参観」になりました。バスで出かけたのは2〜4歳の3クラスの27人。子ども用のバスと保護者用のバスに別れて出かけました。ちょっとした小旅行をした気分で、園に戻ってきた皆さんは「楽しかったあ」との感想。その理由のひとつは、子どもに見つからないようにする「大人のかくれんぼ」が可笑しかったことがありそうです。

「(運動会の)鬼ごっこの次は、(保育参観は)大人のかくれんぼでしたね」。

お迎えの時に保護者の皆さんと、そんな話で今日の参観を振り返りました。子どもに見つからないように、バスのカーテンを閉めて隙間からのぞいたり、遊んでいる場所へ遠巻きにそっと近づいて行ったり。

橋の欄干にしゃがみ込んで写真を撮っている様子は、「やばいですよね、まるで、ストーカーか不審者ですよね(笑)」「この様子を誰かにSNSにアップされたりして(笑)」「子どもを陰から覗き込む不審な集団現る!みたいに(笑)」こんな会話をしながら、「あ、視線が合っちゃった、見つかったかな」など、ちょっとはしゃいだ気分半分で、心配している私たちでした。

私は保護者用バスの添乗員「バスガイド」として、保護者の皆さんを木場公園へご案内。子どもたちの後を集団で追って行きました。ぞろぞろと木場公園の中を歩いて、まずは5月からこの場所で子どもたちが遊んできた「痕跡」を辿りました。ボール遊びやチョウチョを追いかけて走った広い原っぱに立ち寄った後で、子どもたちが先に行って遊んでいる「冒険広場」へ徐ろに向かいました。

「こっちから行くと見つかりそうなので、橋の方へ回ってみましょう」

私が選んだ橋ルートで皆さんをお連れすると、意外とすぐに子どもの姿が迫ってきたので、慌ててしゃがんで橋の欄干に隠れなけれなりませんでした。にこにこさんがよく遊ぶ、滑り台のある大型遊具がすぐ目の前だったからです。

そのスリリング感が、なぜか楽しいのです。そっと自分の子どもをのぞいている姿は、冷静に考えると「大の大人が一体、何やってんの!?」という感じですが、それはそれで割り切って「かくれんぼ」を楽しんだのでした。

その後、みんなで少し移動。橋を少し登ったあたりから下の道に降りました。ターザンロープのあるエリアが見える北側へ回り、雑木林の中から、遠目に子どもの姿を追いました。無線で他の先生から「園長先生、子どもたちは遊びに夢中なので、あまり気にしないで、その道を散歩している人のような感じで歩いても、多分見つからないですよ」というアドバイスを無線でもらいました。

それを聞いて、意を強くした私たちは、堂々とベンチに座ったりして、暫く子どもたちをみていました。

しばらくして、ジョギング風の格好だったAくんのお父さんが道路を走っていきました。そして暫くすると「見つかっちゃった」と、走って戻ってきます。「パパがいた」と先生に伝えているTくん。「パパはどこへ行ったんだろう」と、じっとこっちを見つめています。

すると、また無線で「園長先生、見つかっていますよ、園長先生もいたって言ってます」。それは参った!そそくさと、私たちはその場を後退しました。

10時過ぎから11時20分ごろまで、1時間以上の公園遊び。子どもたちがバスへ戻った後、私たちは遊具を一つずつみて回りました。きっと皆さんは「ここで遊んだんだな」と感触を確かめながら。そして子どもは「楽しかったかな」と想像しながら。この間、保護者同士の懇親にもなってもらえたらいいなと期待していたのですが、話も少し弾んだみたいで、私もそれが嬉しくて、バスに乗り込む前に、橋を背景にみんなで集合写真を撮りました。

(パスワード付き「行事」にアップしました)

保育参観という名の小旅行。今度は親子で遊んだら楽しいだろうなと感じた1日でした。ご参加いただいた皆さん、ご苦労様でした。

SDGSと「楽しんだもん勝ち」

2019/10/29

園だより巻頭言11月号

◆  SDGSと「楽しんだもん勝ち」

 10月はラグビーや鬼ごっこから学んだことが、いくつかありました。近い将来、私たち大人がいない時代を、この子たちは生きていきます。その時、この子らが困らないように、私たち大人が2030年までにやっておかないといけないことが色々あります。

 貧困の解消、飢餓をなくすこと、健康と福祉の増進、質の高い教育、ジェンダーの平等、きれいな水と衛生、持続可能なエレルギーの確保、働きがいのある人間らしい仕事(ディーセント・ワーク)、インフラと技術革新への投資、格差の是正、持続可能な都市、責任ある生産と消費、気候変動への緊急対応、海洋資源の保全、森林その他の生態系の保全、平和と正義の推進、グローバルな連帯の強化。この17は国連開発計画の「グローバル・ゴールズ」(SDGS)です。あと10年です。

 これらの課題を解決していくために必要な手段は「教育」です。国際社会がそれぞれの国益を優先して争えば、共生社会は実現しません。資源獲得の争いから世界大戦が勃発した歴史、そしてEUが第二次世界大戦の反省から国家を超えて共生社会を生み出そうとしている事実、そして日本の近代史を踏まえれば、日本は東アジアの中での「共生」の旗を掲げる責任があります。

 「このチームにはいろんな国の人がいるので、ダイバーシティ(多様性)なところもしっかりと見せたい」。開幕前にリーチ マイケルはそういっていました。ラグビーで発揮できたことを、日本は政治でできないのでしょうか。EUがワンチームを目指しているように、世界がワンチームになるモデルを日本が提示できないものでしょうか。

 私は外に敵を作って、内部に統一感を出すナショナリズムの手法を選びたくありません。では、どうしたらいいでしょうか。それはラグビー日本代表がベスト8の目標を掲げたように、共生における目標を作るのです。「自分らしさ」を生かしきる仕組み、環境をデザインして創造するのです。例えば、遊びがヒントになります。鬼ごっこは練習がいりません。鬼ごっこをするために、練習する人なんていません。誰もが参加できるフェアで差別のない遊びです。日本では親が子どもを守るという精神が根底にある遊びだからです。

 昨日視察した「スポーツ鬼ごっこ」の全国大会で、面白いことに気づきました。それは大会に参加している「ふじみ野市スポーツ鬼ごっこ連盟」の旗にこうありました。

「楽しんだもん勝ち!!」

 もしかしたら、これが勝つこと以上に大きなモチベーションになりうる「ワンチーム」の作り方かもしれません。次回、お楽しみ会で、その精神を表現してみたいものです。

「スポーツ鬼ごっこ」全国大会レポート

2019/10/27

「まずは鬼ごっこをいっぱいやっておくことですよ」

 

やっぱりそうだろうな、と思いました。スポーツ鬼ごっこの生みの親である羽崎泰男さんの言葉です。「いろんな鬼ごっこを、いっぱいやっておいたください」

◆幼児期はまずは、鬼ごっこ

今日10月27日(日)、成田で開かれている「スポーツ鬼ごっこ」全国大会の会場で、そんな話になりました。泰男さんは、昨日の運動会に来ていただいた羽崎貴雄さんのお父さん。日本鬼ごっこ協会の代表理事であり、1980年代以降の日本の子どもの遊びと文化をリードして来た方です。

どうして「スポーツ鬼ごっこ」が生まれたか、その経緯はまたら別の機会に譲るとして、その羽崎さんが、幼児期はまずは、鬼ごっこでいっぱい遊んでおくことが大事というのは、とてもよくわかります。

どんな運動にしても、鬼ごっこがその基本的な体力を育むだろうとこは、もう、想像できますよね。昨日、やってみて、そう思われたのではないでしょうか。実は人類は、生きるためにやっていた活動は、鬼ごっこのような運動だったと想像されています。

◆スポーツ鬼ごっことは

スポーツ鬼ごっこは、7人対7人で戦う「宝取り鬼ごっこ」。縦横28×18メートルのフィールドで、半々の陣地に分かれ、相手陣地の宝を早く取ったら1点。相手陣地で両手タッチされるとスタート地点まで戻らないといけません。前後半5分ずつの10分で得点の多い方の勝ち。

今日の大会は、9歳以下のアンダー9(U9〕、12歳以下(U12)、22歳以下(U22)のクラスがあり、それぞれ地方大会を勝ち抜いてきたチームが参加しています。それだけに、技能もチームワークもレベルが高く、見ていてもたのしいものでした。

◆その特徴は誰でも参加できるオープン性

チームは男子も、女子も分かれていません。男女混合のチームが自然です。アンダー9のチームには、6歳以下の幼児のいたチームもありました。年齢が上だから強いとは限らないそうです。まさにチーム力が問われるスポーツです。

U12で優秀したチームは、女子が多かったのもスポーツ鬼ごっこの特徴を表しているように思います。プレイヤーは「鬼ゴッター」と言います。今日の最優秀選手は昨年に続き女子でした。中学1年生です。技術、チームワーク、そしてリーダーシップの三要素が秀でていることが評価されました。

◆羽崎代表理事のビジョンは「2020オリンピックを超えて」

「鬼ごっこ協会」は、今のスポーツ界の限界を乗り越えていくために「beyond2020」を打ち出しています。羽崎代表理事はスポーツ庁にも日本体育協会にも多くの知人やパイプを持っている方ですが「オリンピックの後をどうしたらいいのかについて、みんな不安を持っています。でも、いい方法が見いだせていません」と話します。

このような草の根的、市民的なものに投資することは、大切なお金の使い方なのですが、そうしたものへの支援が足りないのではないでしょうか。私たちの税金の使い方を勉強する仕組みが欲しいですね。

◆「鬼ごっこのある町ちよだ」の今後について

成田市の後援で、参加者はこんな大きな大会の前日にも関わらず、一保育園の運動会に協力して頂いた羽崎貴雄さんは、今日も昨日と同じように、マイク片手に本部とフィールドを巡って、アナウンスしながら、大会全体の進行をマネジメントしていました。急な変更があると「次の準決勝はBコートで行います」試合が終わると「大きな拍手をお願いします」といった具合です。

羽崎さんとは大会終了後に、「鬼ごっこのある町ちよだ」プロジェクト1年目の展開について、11月に打ち合わせることになりました。年明けに、鬼ごっこのバリエーションを学ぶ研修会を開きます。保育士だけではなく、保護者の方や地域の方も参加できるものにします。

 

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