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見守る保育

見守ってもらえているからもっと良くなろうする

2024/11/19

神様からでも親からでも尊敬する先生からでも、自分のことをちゃんと思ってみてくれていることがわかると、人間は自分でもっと良くしようとし出します。自発性というものが、信じてもらえているというところから生み出されてくる感覚、わかりますよね。それが子どもにもあります。大人にもあります。その気持ちが伝わっていくように保育をすることの大切さを、いつも藤森先生から教わってきました。

 

そういうことがあるので、最も基本となる職員クレド「保育の三省」は、「子どもの存在を丸ごと信じただろうか?」から始まります。その次に「真心を持って接しただろうか?」となります。今日は保育環境セミナーの3回目が開かれて、全国各地からたくさんの方々が新宿・高田馬場に集まりました。今回のテーマの一つ「チーム保育」の根幹にある考え方は、この「相手を信じること〜信じてもらっていること」の関係を見守ると呼んでいることを再確認してもらいました。

藤森先生は決して誰も手放さない方です。最後の最後まで人が自分で立ち上がっていく潜在的可能性を信じてくださる方です。そのあり方は、子育てや保育や教育の文脈にだけではなく、人の生き方の根幹になる部分なので、多くの方々がそれを学びにこられます。教育関係者に限らず起業家やコンサルタントや行政担当者などの方々が、人が自立していく支え方を学ぼうとされて集まってこられます。

確かに方法や環境のあり方などの具体的なアイデアもあるので、それを学ぶことも多いのですが、最も大切なことは人間関係のあり方なのです。藤森先生のいう見守ることは、他者の潜在的可能性を信じて環境を整えるというあり方であって、ただの日本語としての見守るという意味に留まらないことを理解してもらいたいのです。

したがって、保育が生き方と関わる以上、保育学にとどまらず、保育道が必要になるという言い方が生まれる時もあります。

「気持ちが通い合う嬉しさ」ぐんぐん組の最近の様子をブログで紹介

2024/10/24

こんなに小さい子たちが、こんなに豊かに気持ちを通わせています。そして、こんなにも嬉しいことなんですよね。ぐんぐん組(1歳児クラス)のブログからご紹介します。ここでは、写真を加工しましたが、ブログではそのままですので、ぜひご覧ください。

・・・・

Nちゃんは最近、お友だちに水筒を配るお手伝いブームのようです。 今日の活動記録でも配信しましたが、プラザでRちゃんに水筒を差し出したり… 

(Rちゃん、気が付いて取りに来てくれました^^) 夕方も、Sくんの水筒を見つけて飲ませてあげようとしたり…。 でも、Sくんは、そのときあんまり飲みたくない気分だったみたいで、床にゴローンとしたままでした。 

フタまであけてくれて、何度かお茶をすすめるNちゃんでしたが、今はSくんは飲まなそう…と分かると、その水筒を大人のところに持ってきて、「せんせー!ごっごっごっ(ごくごく)」と言って、大人に飲ませる真似っこ遊びをして楽しんでいました^^

そんなやりとりをしたあと、もう一度Sくんのところへ行ってお茶をあげてみるNちゃん。 「Sちゃん、Nちゃんが、お茶もってきてくれたよ」と伝えると、Sくん、今度は飲もうかな?という気分になったみたい。 

「よかったねぇー!Nちゃん、ありがとう♪」とほほえましく見ていたら、Nちゃんも、とっても嬉しそうにニコッ! 

 

(嬉しくって、思わず、この笑顔…!) そんなNちゃんの表情を見て、そのかわいい姿に大人も思わず一緒に喜び合っていたら、Sくんも、思わずにっこり。 Sくんが飲んでくれて嬉しいNちゃんと、喜んでくれるNちゃんの姿が嬉しくてつられてニコニコするSくん。 

 

お互いなんだか嬉しくなって、そのあとも何度かお茶のやりとりを繰り返していました。 お友だちと気持ちが通い合う瞬間は、こんなに嬉しいものなのだなぁとそばで一緒に見ていた大人も、その喜びの輪に入れてもらった気分です♫

ぐんぐんさんたちは、誰かのお手伝いをすることへ意欲的な姿が増えています。こうして、自分がやったことを、誰かが受け入れてくれる・受け止めてくれる…そんなやりとりの中で、相手とのつながりを感じているのかな?と思います。

昨日は、お散歩中に、Hくんが、ちっち組のNちゃんに帽子を、かぶせてあげようとしていました。 

でも、Nちゃんはかぶるのがイヤだったみたいで、そのたびポイポイと脱いでしまいます。 すると、かわりに自分の頭へ。 

 

ぼくがかぶっちゃおう!と、そんなユーモアで、Nちゃんの思いを受け止めてくれたのかな? 大人が思わず、Hちゃんかわいい〜!とみんなで言い合っていたら、照れ笑いのHくんでした。笑 

Sくんにお茶を勧めるNちゃんもですが、こうして、お友だちの様子を見ながら、相手はどうかな?いまはイヤなのかな?などと、子どもたちなりに距離感を確かめながら関わっているような姿が見られます。   

(水筒どうぞ) 

(ありがとう〜・・・こんな光景が、日常にたくさんあります。)   ぐんぐんの今年の年間目標には、「自分の気持ちをたっぷり受け止めてもらう」ということと、「少しずつ相手の気持ちにも目を向けていく」という内容が含まれています。 最近の子どもたちの姿を見ていると、それぞれに、お互いの気持ちを主張したり、察して受け止めたり…そんな心の交流がそっと行われているように感じます。(もちろん、真っ向勝負の気持ちのぶつかり合いもたくさんしていますが笑)。

 

それでも、子ども同士で、こうして自分の思いと相手の思いの距離感をはかりながら、そのやりとりの中で気持ちが通じ合っていく体験を喜んでいる姿。そして、やってあげる体験・やってもらう体験、その両方を、その時々に応じて子ども同士で体験し合っているのも、素敵なことですね。 そうした姿を感じるたびに、その成長を嬉しく思っています。

「初めて」や「再会と繰り返し」におきる新しい関わり方と意味

2024/10/22

今日はいつも親しんでいる人やものに繰り返し「再会」している姿、反対に初めて電車に乗ったり、初めて広い場所で野球をしたりと、そのコントラストのある1日だったように感じます。それぞれの記録を拾ってみました。

 

0歳児クラス「今日はお友だちとの関わりもたくさん見られる一日でした。

いずみ公園にも慣れ親しんできた様子で、いろいろな場所へ行ってみてたくさん新たな発見をしたり、

お友だちのいるところに行って自分もその場で遊んだりと、遊びが広がってきただけでなく、子どもたちの表情も豊かになってきました。

言葉がない中でも、ちっちさんならではのコミュニケーションがあり、お友だちと楽しさを共有できて嬉しい気持ちが増えてきているようです。」

 

1歳児クラス「きのうまでのお散歩の記憶を反芻するように色々なことを思い出しながら…

そして同時に新しいことも発見したり興味を広げたりしながら、お散歩を楽しんでいます。

佐久間公園では、砂場遊びをじーっくりと満喫したり、広場でたっぷりかけまわったりして、遊んでいました。」

2歳児クラス「今日は、旧今川中学校へ遊びに行きました。初めて行くルートだったからか全員が「歩きたい」と言っていたにこにこさん。

学生さんも授業の一環で来てくれていたこともあって、目的地までゆったりと歩いていくことが出来ました。

少しずつ先生と手を繋ぐからお友達と一緒に歩くことを誘ってみると、「わらすさんみたいだね~」とお互いに顔を見合わせて嬉しそうな姿もありました。」

3歳児クラス「今日は、わいわい組だけでどのくらい出来るのかなと子どもたちの持っている力を見て見たいと初めての活動を行いました。

集団活動や社会生活(今回は鉄道)に参加していく中では多少の我慢が必要です。自律ですね。 どのくらいできるだろうかと思っていた通り、難しいシーンもあってその時々にじっくりと時間をもって考えました。

電車には乗れてとてもいい経験でしたがそれに至るまでの多様な時間があったことが良かったです。」

45歳児クラス「今日は旧今川中へ行きました✨中々近隣の公園では、ボールあそびが出来ない所が多いのですが、唯一旧今川中は、のびのびとボールあそびが出来る場所です。

月に1度は千代田せいが保育園が使える日となっているのですが、その他の日は他園の利用日になっていて相談が必要なため、中々利用出来ない日が続いていたのですが、やっと行くことが出来ました!野球やバスケ、サッカー等、色々なボールあそびを楽しみました^^✨」

毎日のドキュメンテーションをみていると、0歳から幼児まで、子どもたちの環境への関わり方と意味が多様に、また繊細に変容していくことが見えてきて面白いものです。確かに「できる」ことが増えていくのが目立ちやすいのですが、同じ人やものであっても「感じ」たり「気づいたり」することも違い、広がったり深まっていくようにみえます。また色々な関わり方が変わっていく様子も面白く、いろいろ考えたり、工夫して試す姿もたくさんあります。

すべてのクラスのドキュメンテーションが読みたいと言う方の声もあるので、今後そういう仕組みに変えてみたいと思います。

 

 

 

公園という環境から得ていくさまざまな身体感覚

2024/10/17

和泉公園での散策の様子の写真が24枚。0歳児クラスの赤ちゃんたちは、保育ドキュメンテーションによると「葉っぱや石の観察、足踏みをして音を鳴らしてみる、気になるところへの探索、たくさん走る…と子どもたちそれぞれが楽しい遊びを見つけて伸び伸び過ごしていました。「今はこれに夢中なんだなぁ」と思う場面が一人ひとり違っいてとても興味深かったです…!」と描かれています。

こんな様子から、私たちが大事にしている姿を再確認してみると・・・。0歳の頃に遡って「身体的発達に関する視点」を参照すると「まず環境に働きかけることで変化をもたらす主体的な存在としての自分という感覚を育むこと」ということが保育所保育指針の解説書には書かれています。すこし拾ってみます。

「自ら感じ、考え、表現し、心地よい生活を追求していく健やかな自己の土台は、安全に守られ、保育士等による愛情のこもった応答的な関わりによって心身共に満たされる、穏やかで安定した生活を通じて築かれる」

「身近な環境との関わりを通して身体感覚を得ていく」

「身体の諸感覚が育つ中で、子どもが自分の働きかけを通して心地よい環境を味わう経験を重ねることが重要である」

「こうした生活の中で、周りの人やものに触ってみたい、関わってみたいという気持ちが膨らみ、子どもは対象にむかって盛んに自分の体を動かそうとする。興味を引かれたものをつかもうと懸命に体を動かそうとする・・・」

いかがですか。写真の一枚一枚に、こんな姿を感じませんか? このことは一歳になっても継続していく姿です。

子どもたちは毎日、身近なものを面白がって触り、動かし、その身体感覚を得ています。ダンスにもあった身体感覚、今日は自然の中にいるとまた違ったそれを感じているのでしょう。

そして他のクラスの写真と記録と繋いでみてもらうと、同じ公園でありながら、その関わり方が大きく変化していくことがわかります。

次の写真は、幼児たちが同じ公園で野球ごっこを楽しんでいるところです。自分たちで道具を作り、大リーグ選手にはなれないけれど、その世界に強烈な眼差しを向けて先取りし、自分たちの世界を切り開いているように見えます。

その変化の中に変わらない傾向のようなものが見えてくるのですが、そこに私たちが「世界を開く」とでもいっていいような関わり方をしているように感じます。そこをもっと繊細に広がりを持たせてあげたいと思います。

「ねこのお医者さん」にみる2歳児の言葉の理解

2024/10/02

子どもたちが環境の方から自らに取り入れていくものはたくさんありますが、ことばはその最たるものかもしれません。昨年ベストセラーになった今井むつみさんと秋田喜美さんとの共著『言葉の本質』を読んだら、保育園で散々やっているCDS(チャイルド・ダイレクテッド・スピーチ)やらオノマトペやらがいかに大事なことかと再認識する機会ともなり、また赤ちゃんたちにとっての周りの人の「声」や身体的な体験(専門的には「身体的接地」ということなのですが)のありようを振り返る機会にもなっています。

先週のお誕生会で、また数年前の3歳児のお楽しみ会で親しんだ「ねこのお医者さん」を、夕方4時ごろ満2歳半の子どもがお医者さん役になって、担任と楽しんでいました。歌に出てくる患者さんは、その場のアドリブで先生がいろいろ演じます。

まぁ、なんでもいいので、先生がお熱が出て体温を測ってもらったり、咳が出たからと咳止めをもらったり、隣にいたRちゃんが鼻水が出ているからそばのティッシュをもってきてもらったりと、2歳のお医者さんが、できそうなことをお願いしながら、いろんな病気を治してもらっていました。

その都度、言葉が通じて、何か行動ができてしまうというのは、一見あたりまえのことのようですが、この本を読んだ後だと、それがいかに凄いことなのかということがわかるのです。

そこで気づいたのですが、あれは何と「もの」の名前をどんどん覚えていく年齢なのですが、「もの」や「動作」から「名詞」や「動詞」を覚えていく方向と同時に、名詞や動詞から、それを理解して見立てることもできてしまう姿をみていると、本に出てくる「言語の本質」のアブダクション推論の「洞察」の具体的な実例を確認しているかのような感覚を覚えました。この本の面白さは「オノマトペ言語起源説」という提案になっていることですが、著者はあくまでも「それも仮説です」と断ってあります。このテーマは永遠の近似値さがしなのでしょうけれど。

とにかく、人間は不思議なことですが、人間の知性がとらえる範囲を超えたところに、世界に組み込まれている生命の仕組みは働いているように思えるので(別に神秘的なことをいいたいのではないのですが)、知覚と行為のその間をいくら細かく分析してみても、子どもの成長という事実は、そうした理屈を超えているように感じてしまいます。

子ども理解を深めていくプロセスを実習生と共に歩む

2024/09/05

今週から保育士養成校(大学)の保育実習生(3年生)が来ています。当園は実習1に続き、2回目になります。本人と話し合って幼児クラスに連続して入ります。今日で4日目だったのですが、毎日、昨日の実習日誌を読んで、コメントを書き、その補足と今日の実習を振り返っての話をしています。2回目なので、前回来た時よりも子どもたちがいろんな意味で成長しており、その変化に驚きながら、子どもとの関わりを深めています。

子ども理解をテーマとした話が連日続いています。昨日はある子どもとの信頼関係ができてきた経緯の中で見えてきた姿を共有しました。そこには「心の交流」があって「それはあなたとしか通わせることができなかった、かけがえのないもの」ということを伝えました。そして「そういう意味で、他の先生たちと対等なんですよ」とも。

その話を昨日したこともあって、今日の日誌には自分と担任との姿の捉え方の違いに気づいたエピソードが出てきました。明日でプールでの遊びも終わるのですが、それを選ばなかったRくんに姿について実習生は最初「プールは苦手、あまり好きではないのかと思った」そうです。ところが違っていました。担任がその姿に気づいて声をかけると、嬉しそうに入りに行ったのだそうです。何があったのか?

日誌にはこうあります。「・・・全然そんなことなく、本当はプールに入るし、好きだけど水が顔にかかることが好きではないと」と先生が「聞き出して最終的にプールに行かせることができて凄いと思った」そうです。「ピアノを弾いている後ろ姿が少し悲しそうに見えたため、仲のいい友だちが(プールに)参加し、自分だけ残ってしまっていたことが嫌だったのかなと考えた。それを自分からは言えないため、先生に気づけてもらえて嬉しかったのではないかと考えた」とあります。

その子と先生の対話にいたく感動したらしく「本当は入りたかったという気持ちが見えていなかった」と振り返り、どうして声をかけたのかと先生に聞くと「R君は前楽しそうに入っていたため何かが不満でやりたくないと思うので、その場合は一応声をかけて何故やりたくないかを聞く」との返事だったそうで、実習生は「日々の保育をして、その子の特性や言動を見ていなければ気づくことができないと思った」と書いています。

ここはよく出てくる「子ども理解」の二つ目です。さて、これからもう少し深い世界に入っていくとになりそうです。

(余談ですが、この大学とは紙のやりとりはなくなり、全て日誌はオンラインです。これは双方ともにスムーズで、職員間での共有もしやすくなりました)

 

子どもと一緒にどうやったらできるかを考える

2024/08/23

左側が子どもたちの野球チーム「ちよだせいがDODGERS」、右側がT先生とY先生の先生チーム。黄色と赤の画用紙のところに、得点が記入されていきます。

3階の運動ゾーンで定期的に開かれている野球の試合。野球好きの男の子たちが中心になって、春先からずっと展開されている野球ごっこです。今日の試合会場は、オリックスバファローズのホームグラウンド「京セラドーム大阪」だそうです。全国の球場の写真が張り出されています。

自前のバットを作っていた5月ごろから、自分の背番号を決めたり、野球ごっこが盛んに始まりました。子どもはボールを上手くストライクゾーンに投げれないので、ピッチャー役は先生です。1塁2塁3塁とベースを決めて、白いテープを四角く貼り付けたり、ベースに滑り込んだり、どこまで飛んだらホームランとか、遊びながらいろんなものやルールが作り込まれてきました。

6月ごろには応援団ができて、応援席からがんばれーと言う声や歌、曲が聞こえてくるようになったり、チームのトーナメント表が作られたりしてきました。

今週は、制作ゾーンでドリンクとポップコーンを作っていたのですが、試合会場に受付カウンターができていました。レジとお金も置いてあって、子ども3人が座ってドリンクとポップコーンを販売しています。

応援団はチアガールも登場し、踊るときに使うボンボンも作られていました。

後楽園球場や神宮球場など、実際に野球を見に行ったことのある子どもたちが知識を広めていて、先生たちと一緒に「どうやったらそれができるかなぁ」と考えながらやっています。

子どもたちが「こんなことやりたい!」と出てくる発想や、アイディアを楽しそうに受け止めながら、一緒に作り上げていく遊びの数々。何かを作り上げていく中に、いろんな要素が入り込んでいます。運動のほかに、得点を競うなかに数や文字をかいたり、数の操作や表示など、そういうことへの感覚や関心も育っていくのですね。

 

全国大会の実践発表から(3)保育者のまなざしについて

2024/08/13

全国大会の実践発表を聞いて、かなりの部分を想像するしかないにしても、子どものそばに子どもがいるという異年齢の人的環境の関わりが起きている経験が起きていることは事実です。そしてそこに、何がどういうことが起きているのかに目を凝らしている保育者たち。こんなに組織として着目しているのか、と感心してしまいます。報告を振り返っているうちに、自分の見えている保育風景と重なってくることがありました。

子どもはやりたいことのために、それをやっていい状況を見つけ出す嗅覚を持っています。その時、周りにいる大人がいいと思っているかどうかに敏感な子どもいれば、他人の目線なり空気なりにお構いなく、やりたいことにまっしぐら、というタイプもいます。大人の顔色に敏感なのか、周りの子どもたちの言動に敏感なのか、あるいは人がいるいない、とか空間の広さや気配などに敏感なのか、それは実に色々であって、そうした傾向は見えにくくなったとしても大人になっても保持していることもあって、人間の成長や変化というものを長い目で見るときに、あまり変わりようのない基底的なものがあるなら、子どもの頃からそれにあった環境を用意してあげたいと思ったりします。

そうは思っていても、その子どもにとってふさわしい空間になっているかどうかは、実際に体験してみないとわからないので(本人も私たちも)、その様子を見ながら、こんな場所があるといいかもとか、こんなところがお気に入りなら無理のない範囲でそのままにしておこうとか、かなり融通をつけてどこでもいていい場所になっていきます。

その時に難しいのがどこまでそれを許容するか、という線引き問題が生じるという話です。きっとどの家庭でもどの園でも、どんな社会でも起きる話なのでしょうが、できるだけ大事にしているのは本人とのやりとりのあり方です。津守真の「保育者の地平」や倉橋惣三の「育ての心」などが大人の心情を満たしていることが理想的ですが、それを知らない、あるいは忙しくてそれどころではないという保育者がこの問題に直面すると、組織としての統一したルールのあるなしが問題という風に捉えられてしまうという難点が生じやすいと想像します。

もし第三者評価などの評価項目として、この辺りの標準化してルールが「ある」として用意するなら、内容はどう考えるか、という書き方になるか、かなりバリエーションを増やす例示の仕方になるかもしれません。

許されているという感覚すらないほど、あっけらかんとそこで過ごしていることが多いわけで、そこには「線」など見えないわけで、引くなら子どもと話し合って引き直すことになるでしょう。「ここね、お客さんが来るから、こっちでやらない?」とか。この辺りの対話がすんなりいく時とそうならないときとがあって、そこには小さい子どもなりに相手との相性とか優しさとかを感じ取っての反応と傾向が見られます。

同じように見える状況ではあっても、子どもによっても、大人によっても、それまでの経過によっても生成している事実はそれぞれ異なるものです。その時に感じているそれぞれの気づきも考えも思いも異なります。このような人と人の関わりの経験を保育としてどのように描き出すのか。どこに力点をおいて、その事象に適った言葉を連ねるのか。例えば「主体的」では意味が大きすぎて何もいっていることにならないとか、「選択」では結果的にそう判断しているかのように見える入り口や出口の様相でしかなく、そこの過程や揺らぎの部分が軽くなってしまう。といった具合に、言葉を使うなら、保育で起きている事実はもっと多面的に色々な姿として描き出す必要性を感じるのです。

起きていること、という捉え方自体も疑いたいのですが、そこまで考え出すと伝えるのも難しくなります。でもそのあたりのことを考えながら、子どもと接しているという日々なのです。

全国大会の実践発表から(2)〜主活動を見直す・食育・心を動かす〜

2024/08/12

ギビングツリーの全国大会の実践報告の続きです。

(4)多賀城バンビの丘こども園(多賀城市・定員69人・鶴島恵理園長)は「これまでの振り返りから 遊びの展開を考える」を発表しました。

主活動なり課題保育なり、名前はどうであれ午前中にある時間帯をそれにあて、それ以外の時間の意味づけなり、それとの関係が不明瞭なままであることがよくあります。そこを大胆に見直した報告でした。

週案の書式を次のように見直しました。左側に「子どもの姿」右側に「環境」を書き出し「子どもの興味や関心に合わせて選択できるように、また意見を表明して参加できる活動やゾーンなど」を対応できるようなものに変えたのです。

どの時間にどこでそれをやるのかは、やりやすいタイミングをアレンジすることになります。事例として「木登りををしたい」「雨の日、そして美容室」「STOP!その丘、危険です」の3つ。

その結果、子どもは「〜したいが増えた。『やりたくない』が減った」「遊びのルールや過ごし方を自分たちで話し合って決めるようになった」そうで、先生も「まず子どもに聞いてみることが増えた」と言います。

藤森代表「子どもがいろんな経験をする意味がよくわかる実践だったと思います。子どもが何かをを選べるようになるために、先生がこんなことが楽しいとか、どんなやり方があるかなどの方法も伝えることが必要です。こんなことができるよと体験できるとよい。心情・意欲・態度の中の心情を作るための課題保育、面白いとか楽しいとか感じるようになるから、意欲が生まれてきます。どこにどんな環境があるかも知らないと、そこへ向かわない。事例の木のぼりをしたい!と公園を選べるようになるのもそういう、それまでの体験があるからでしょう」

(5)大宝保育園(茨城県下妻市・定員120名・山内雄佑園長)は「見守る食育」の実践を報告しました。遊びのテーマ選択はよくある事例ですが、食育活動を選択できるようにした事例です。

「野菜の準備」「食育絵本」「ミーティング」「お米とぎ」をする場所に分けて、年長さんから始めてみると「玉ねぎ」の皮むきをしているグループに「色が違うよ」と絵本で見つけた玉ねぎの色の違いを伝えたり、終わった後の話し合いも気づいたことや感じたことを伝え合うという姿に変化していたそうです。

また、食事や運動や生活リズムなどの子どもの健康のために様々な最新情報を保育に活かしています。

藤森代表「ミーティングをどう考えか。米国のハイスコープでは何をしたいかというプランを立てたり選んだり、やった後にどうだったか振り返り、じゃあ次は何をするか次に結びつける話し合います。発表に『疑問のタネ』という言葉がありました。まさに、これを持たせるのがSTEMです。やってみて9割失敗しても構わないです。大事なのは疑問を持ってやってみようとすることが大事ですね」

(6)しげる保育園(仙台市太白区・定員70名)は「心を動かす環境作り」。

「自分らしく生き、望ましい未来社会を作り出すため」にという理念から「シチズンシップの基礎づくり」を心がけています。その視点からの異年齢の関わりの広がりが報告されました。

新年度は卒園や進級で子ども同士の関わりに変化が起きます。報告では3歳児が「関わりが減ったことを不思議に思っている」と捉え、他のクラスの様子を見に行ってみることに。すると年長児の「青葉祭り」で毎年やる「すずめ踊り」をみて「かっこいい」「一緒に踊ってみたい」。0歳児へいくと優しく触れ合う姿が見られ、先生は「乳児のことを知ろうとする姿」に驚きます。

生活の場面でも、幼児が乳児を部屋へ連れていってくれたり、幼児が「お手本になろう」とする姿が見られたとそうです。その流れで給食を一緒に食べたり、着替えやお昼寝のお手伝いへもつながり「頼られたり感謝される喜びや特別感を感じて」異年齢の交流が広がっていきました。

藤森代表「平成元年から始まった「環境を通して」ということがなかなかいかないといわれています。そこを先生たちがよく見直してます。子ども同士の関わりの環境も含めてです。ベルギーなどもそこを最初に検討するといわれています。4月の新学期は落ち着かないから異年齢はまだしない方がいいといわれることがあるが、異年齢の関わりが安定しているなら、そんな時こそ、年少の不安を年長がケアしてあげることができます。3歳児だけにしないで45歳児がそばにいてあげることで安心すると思います」

全国大会の実践発表から(1)〜異年齢・探究心・参画〜

2024/08/11

仙台市の「仙台サンプラザホテル」で開かれている全国実践研究大会の2日目(10日土曜日)は、実践発表と講評でした。6つの実践発表はそれぞれを詳しくレポートしたいほど素敵なものばかりで、どれもどこかの保育団体などで実践報告してもらいたいと思いました。ギビングツリー(GT)は子ども同士の関わり、異年齢保育、子どもの主体性、チーム保育、園庭の工夫などの面に特徴があります。実践発表にはそこに積み重ねと工夫があって感動します。

というのは、保育を工夫し、子どもたちが育つには時間がかかるからです。と言っても環境を変えると子どもは意外とすぐに変化するものですが、それとはまた別の次元で子ども文化といった集団の育ちは時間がかかります。先生たちが環境を工夫するのにも意思疎通や話し合いやチームワークの良さなどを発揮しながら徐々に良くなっていくものです。

したがって保育は一朝一夕にすぐ良くなるものではないのですが、全国大会の実践発表は、どの園でも子どもたちと先生たちの具体的な姿がたくさん報告されるので、そこに至るまでの苦労が想像できて胸が熱くなるのでした。

(1)マザーズ・かみすぎ保育園(仙台市青葉区上杉・定員90人・三浦えみ子園長)は「異年齢児で育ちあう子どもの姿」が報告されました。

普段の子どもたちの人間関係をつぶさに拾った報告で、0〜2歳児、3〜5歳児のふれあいの中に見られたエピソードが24も報告されました。

2歳児が遊具を容器に入れているを見た0歳児が興味を持って近寄り同じことをし始めても「自分より小さい友達を受け入れ、自然な流れで一緒に遊ぶ様子があった」という事例。そこには育つ姿として「思いやり・安心感・いたわり」を確認しています。

さらに24の事例を分析して表にまとめています。こういう研究の積み重ねはとても貴重な実践研究でしょう。

藤森代表「異年齢児の関わりや思いやりとか、助けるとか協力するとか、そういうことがよく言われるが、安心感ということを言っていますね。これからの小学校以降の学びにも、気遣うという意味のケアや精神的なサポートとして異学年の学び合いが奨励されていくはずです。アタッチメントの本来の機能としてもこういう子ども同士の役割を大切にしたい」。

(2)認定こども園つばさ(茨城県稲敷市・定員120人・本橋久代園長)は、「『体験からの学び』そして『経験から探求心へ』」として4つの取り組みが紹介されました。

1つ目は「異年齢で育ち合う環境」。「朝のお集まりから、遊び、食事、午睡と可能な限り異年齢環境を作り、子ども同士で育ち合う姿が各所で見られる」そうです。発表では動画で3人のやりとりが紹介されました。お店屋さんごっこで4歳の子がやっと手に入った半被を着ていたら3歳の子に「これ貸して」とせがまれ、どうしようかと悩んでいる姿が愛らしく、その様子を見ていた年長の子が貸してあげるという一コマでした。スローモーションで子どもの表情を捉え、揺れ動く心の動きを想像しながら保育を展開してくことを、先生たちが楽しんでいる様子が窺えるものでした。

2つ目の発表は「体験からの学ぶことができるSTEM環境」。風、鏡、光、音、熱などのテーマごとに実験遊びができるほか、園内だけではなく子育てセンターでも「ベビステ」を展開していました。

3つ目の実践は「生きもの・自然とのふれあい、観察」です。園庭にやってくる虫たちを中心に、その飼育を通して命の大切さや、それを維持していくことの難しさを「先生たちも一緒に学んでいる毎日です」というスタンス。

4つ目は「SDGsがある環境『すぐに できるを がんばる ぞ!』」で、絵本、ゴミの分別からスーパーのサイクルステーションへ、端切れや古着を使ったエコバック作りなど。

藤森代表「いろんな活動ができるのは先生たちの得意なことや持ち味を生かしたチームの連携が良い証拠でしょう」

(3)こども園こうほく風の遊育舎(秋田市土崎港北・定員138人・髙橋静子園長)は「子どもの『自ら育つ力』〜その育ちを信じて〜」。

屋上の雄大な園庭(3つのスカイパーク)での食育活動、その畑で育てた野菜などでのクッキング、薪割り、新米おにぎりパーティ、秋刀魚の炭焼きイベント、鰤の解体ショー、里山「森のこども園」での活動、年5回のスキー体験など、自然環境を活かしたダイナミックな保育を展開しています。

発表では、屋上の園庭にある畑を有効に使った保育、おたのしみ会、卒園式を取り上げて、いずれも子どもの「やってみたいこと」から作り上げていった子どもの参画のある保育が紹介されました。

計画の段階から話し合い、体験内容を子どもたちが考えたり話し合ったりしていく様子が動画を交えて報告されました。お泊まりを楽しいものにしたいと、子どもがアイデアを出し、その日にクッキングをするために畑を作るところから始まる活動や、数ヶ月先の見通しを持って継続的に関わっていく姿を見ていると、自然を保育環境に取り入れる場合の年間計画のあり方を考えるヒントになります。

藤森代表「栽培と調理と共食が人類の特徴といわれ、収穫の数ヶ月先、半年先まで待てるのは人類だけ。そこに先を期待して希望や夢を持つのが人間です。卒園後まで待つことになる玉ねぎを育てたのは、いいですね」

(続く)

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