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2019年 8月

心が落ち着いていること

2019/08/09

◆「子どもが落ち着いていますね」

 
今日は2組の親子に入園の案内をしました。0歳と2歳です。「子どもたちが落ち着いてますね」。そう言われてみて、改めて思いめぐらしたことがあります。それは「心が落ち着いているとは、どういうことか」 ということです。
◆安定した気持ち
では、同じような意味をもつ表現を集めましょう。連想ゲーム、言葉遊びです。
・・・・・
心が満たされている。満足している。
やりたいことができている。
不安もない。
愛されている。
認められている。
目的が叶っている。
仲間がいる。
喜んでいる。
・・・

こんな気持ちでいられたら、それは幸せなことです。確かにそんな時、子どもは落ち着き、いい顔をしています。今日は「心の解放」と「安定した気持ち」の関係について考えます。

◆情緒の安定とは・・・
こんな状態を、私たち保育士は「情緒が安定している」といいます。先ほど述べた心の状態を別の言葉でいうなら、安心、愛情、承認、達成感、連帯、歓びでしょうか。これらに共通するのは、一人では得られない社会的なものだということです。人間関係の中で初めて、得られるものです。一人で得られるものではありません。社会性とは、人間関係を上手くやる力だと思って、ほぼ間違いありません。それなら人間性とは、豊かな社会性のことになります。
◆欲求が適切に満たされるから
さて、満たされるから満足するような心の動きを、「欲求」と言っていいなら、欲求が適切に満たされるから、情緒は安定するのです。もし気持ちが穏やかでないなら、その人は何かの欲求が満たされていないのかもしれませんね。
実は、子どもも同じことです。赤ちゃんの頃から、安心した気持ちでいること、愛されること、「見てみて」というとちゃんと応えてもらえること、「やったあ、できた、できたぁ」って嬉しがってもらえること、そばにいるのが親しい「お友だち」であること、そして友だちが楽しそうだと自分も嬉しく思うこと。
こんな生活が確かにあります。
◆心が解放されると心は落ち着く
この「情緒の安定」が図られことを、別の言葉でケアといいます。養護のこと、世話をする、配慮すると言った方がわかりやすいでしょうか。先生たちは、のびのびと心ゆくまで、やりたいことが出来るように、子どもたちの欲求に応えています。先生たちはどこまでも優しく穏やかで、寛いだ雰囲気を大事にしてくれています。だから、子どもたちは落ち着いているのでしょう。
◆心の解放も欲求の一つ
そうすると、欲求に応えてあげることは、心を解放することも含まれてることになりますね。
だだし、大切なことを忘れてはいけません。それは、家庭でもここで申し上げたことをやってくださっているからこその園生活だということです。家庭での落ち着いた生活があって初めて、落ち着いた園生活になるからです。
情緒の安定は、実り多き学びに直結するのですが、その話はまた明日。内発的動機が生じる仕組みについてです。

8月9日 昼食

2019/08/09

チャーハン

豆腐とエビのとろみ煮

わかめスープ

巨峰

麦茶

湧き上がってくる心を受け止めながら

2019/08/08

今週は子どもの「心の解放」がテーマになっています。子どもが「自分の生きたい自分」を生き始めたとき、こんなことをやりたかったんだね、と教えてもらうことがいっぱいあります。今日8日には私たち誰もが持っている「身体をもっと使いたいという衝動」が溢れ出てきた時間がありました。

◆潜在的に持っている力

私がお昼寝マットを胴体に巻いてサンドバック役になってみたら、6人ぐらいの子どもたちが叩く、蹴る、頭突く、押す、剥がす、潜り込む、ぶら下がる・・など、必死で私に向かって「あらん限りの力」を出し切ろうとします。よーし、いいぞ、いいぞ、もっとかかってこい!と思いながら、どうなっていくのかやってみました。
きっかけはJ君が緑の布地の揺れる遊具を丸めて叩いて遊び始めたからで、それなら「園長先生がサンドバックになってあげよう」と試してみたのです。いろんな生活シーンや遊びの中で「やめてー」と叫ぶ子どもが多いのですが、どんな時に叫んでるのか、よーく観察すると、ほんの些細なことが我慢できないので、すぐに他人のせいにしています。まだ3〜4歳の自己中心性を脱していません。そんな彼らの発達心理的な意味を理解しながら、その子一人ひとりの心もちに応えていきました。
15分ぐらいでしょうか、しばらく続きましたが、私はあえて負けてあげなかったので、彼らには達成感はなかったでしょう。そうしたのには、理由があります。
◆私の実体験
私も4歳の頃、大人にこうして遊んでもらったことがあります。思いっきり押しても叩いてもビクともしない、圧倒的な強さの壁。そのときに味わった感情をよく覚えています。自分のなかにある攻撃性や闘争心に火がつく感じ、しかし、いくらやっても力では叶わない相手。やがて悟らされる軽い屈辱感。決してスカッとした爽快感ではありませんでした。もちろん当時こんな分析ができたわけではありません。でも、なぜか何度もやっていましたが、いつしかつまらなくなってやらなくなりました。相手が負けてくれていたら、もっとやっていたかもしれません。それはわかりません。
◆自分のいろんな気持ちに出会ってほしい
彼らもまた、ビクともしない私の身体を相手に、いろんな顔や声や気持ちを見せてくれました。びくともしないことに「アレッ」と意外に思う反応、単純に体を動かすのが楽しいと言う笑顔、タックルして自分がひっくり返ることの面白さ。よーし今度こそ、という気持ちと気合のギアチェンジ、助走を長くして走ってみる工夫、私も想定外なのは、胴体に巻いているお昼寝マットを剥がしにかかる作戦に出てくる子がいて「それもアリなんだ⁈」と、彼の意外なアプローチに彼らしさを感じました。
◆体験の意味について
保育の意味について、何に説得性を感じるかは、科学者でも違いますが、戦いごっこを好むのは「もっと強くなりたい!」という願いの表れということがいわれることがあります。もっと踏み込んで「自信をつけたいから」という深層心理と結びつけることもあります。人間なら誰もが持っている、闘争心や攻撃性、それらと関係もあるでしょう。
でも、そのような一般的な言説が、一人一人の子どものその時々の心理に当てはまるとは限りません。家庭での体験も影響するでしょう。複雑で、変化に富んだ心の動きを、一面的に切り取って解釈しても、真実とは似て非なるものだろうからです。
◆善さに向かう育ちを信じる
そこで私はこう考えています。私の実体験とも一致しているからですが、私は「人はなぜか自らより善き事へ向かって、調整していく力を持っている」(村井実/佐伯胖)という発達観を信じています、というか慣れ親しんでいます。
ですから、こう思います。
まずは子どもたちに、他人との関わりの中でしか噴き出て来ない感情を味わってほしい。お友だちとの関係の中で、息づいている感情と向かいあってほしい。
◆気持ちの調整には時間がかかります
そして、できればこう考えてあげてほしいのです。自分の感情を知りコントロールできるようになるのは、ゆっくりだということ。感情を子どもなりに整理して消化するには、時間がかかります。そのとき、大人から期待された行動がすぐにとれない心理状態というものがあって、自分を守るために、「なにもしない」「いやだ」という時間が必要な場合も多いのです。
家庭や地域には、子どもの同士の関わりの中で学ぶ機会がありません。園生活では、家庭では体験できない社会性を学んでいます。

スイカ食べました!

2019/08/08

 

階段に写真を掲載していますが、内心ヒヤヒヤのフルーツカット!(大人の事情ですね)  スイカがパッカーンと割れた瞬間『あぁーーー赤色だー!』『切れた。美味しそう。』声が飛び交っていました!

子どもたちは、言葉では難しいのですが『味わって食べていた』ように感じます。 そうでありたいというこちらの願望も含まれているかもしれませんが、美味しかったです。

 

大きく育ってくれたスイカ。それをカットしている様子をみていたにこにこさんにもお裾分け。

 

みんなで共有は素敵です。よかった!

 

色々なやり取りがあったのですが、子どもから『おかわりー』という要望に『ごめんね。ないな』『えーーー、』と不満の声。(普段はおかわりがあることもあるので)

 

『畑の人ってすこいね。おかわりができるくらい大きく上手に育てていて』と伝えると(たしかに!)と思ったのか『畑の人すごいなー』と自分達は初心者とわかっているのか、おかわりの欲求は終息。 種を植えてみようと片付けに種ゾーンのお皿を用意して集めました!明日はこれを植えます。発芽を必ずしてみたいですね。実験のスタートです。

 

8月8日 昼食

2019/08/08

ご飯

豚の醤油麹焼き

なすのしぎに

キノコの味噌汁

麦茶

シンカリオンを見てみる

2019/08/07

「子どもが興味や関心を持っているものは、大人も見たり体験してみよう」。私は保育士養成校で学生によくこう言っていました。「子どもがなぜ、それが好きなのか、どういう感じでそれを楽しんでいるのか、実際に感じてみよう!」と。
そこで今朝、シンカリオンを見てみました。一部の男子に人気のテレビ番組です。新幹線がロボットに変形して大怪獣と戦うのです。いまや日本アニメの代表として世界的に有名な「マジンガーZ」と同じタイプの操縦ロボものです。「E5はやぶさ」「E6こまち」「E7かがやき」「E3つばさ」「N700Aのぞみ」など、実際の新幹線の名前がついたロボットを、小学4年生から中学1年生の男女が操縦します。
今朝は「ブラックシンカリオン」が味方のピンチを救うストーリーでした。「ブラック新幹線なんて実際にはないけど・・・?」と思って番組サイトを検索したら、「10年前突如現われた正体不明の謎の新幹線」でした。うまくできてる!
ブラックシンカリオンが、大きな怪獣を押さえている間に、他のシンカリオンがでかい手裏剣のようなものを振り回してやっつけた!と思ったら、「さっきのは影武者だ」とかなんとか言って、また戦うことを約束して次回に続く・・。また次を見たくなるようなところで終るあたり、まぁ、そこも昔と同じでした。
◆男子が好きなツボを押さえた作り
男子が好きな要素を上手に取り込んでいます。変身、鉄道、怪獣、収集、小学生、忍者、戦い。本当の新幹線の系統番号などと同じで、走っている場所の都道府県が出身地になっていたり、女子のキャラクターも配置していたり、あまり過激な表現もないなど、親を敵に回さないための配慮が明瞭です。スポンサーはプラレールやトミカの(株)タカラトミーです。
◆テレビは表層イメージを共有しやすいのが強み
ごっこ遊びは「再現遊び」なのですが、登場するキャラクターを共有していれば、その名前を言うだけで相手にも伝わります。シンカリオンはそれぞれが得意技を持っていて、それを繰り出して戦うときに「フミキリシュリケン!」とか「ビームライフル!」とか、口癖の「ぶちおもしれえ」とか言って遊べるわけです。
運動ゾーンのネット遊びの中で飛び交っていた「言葉」の世界は、きっと、そんな感じだったのでしょう。テレビ映像を思い浮かべて少し想像できます。

◆子どもは手と足で感じて考える

昨日はこの「園長の日記」で、「週1回ぐらいのテレビの影響に負けたくない!」という趣旨を書きましたが、実はこの番組は毎日やっていました。火曜~金曜 の朝7:00~8:00に、2話ずつ放送しています。毎日見られるのです。これは、ちょっと「手強い相手」かもしれませんね。

でも大丈夫です。子どもは身体ぜんぶが感覚です。あくまでも例えですが「子どもは頭と手足で一緒に考える生き物」です。テレビは所詮テレビです。リアルに五感が揺さぶられるような遊びの魅力には、到底及ばないのです。

テレビ番組のシンカリオンよ、千代田せいがは「センス・オブ・ワンダー」な体験で、「しょーぶだぁ!」。

(カブトムシを幼虫の頃から育て、孵化するときも観察し、ジェリーの餌を与えて、飛ぼうとするとき羽を広げるところをみたり、カブトムシを持てるようになったり、こうやって、それを見せてくれたりしています。でも、先日、飼っている虫かごに、カブトムシは湿り気がある方がいいという話を勘違いして、ドボドボと水を入れてしまい、溺れて死んでいましました。そんな痛恨の失敗が起きるのも、実体験の詰まった生活です)

スイカの収穫

2019/08/07

今日は人工受粉をしてから46日が経過しました。葉の枯れ具合やスイカの音などなど、ネットの情報を駆使して考えると今日収穫をしないといけないという決断になり、もう少し大きく育てる予定でしたが第一号のスイカを収穫しました。

 

日照も少なく、はじめての試みに手探りでしたがなんとか収穫までいけたことに感謝ですね!子どもたちはよく水やり、観察をしていたので、収穫と聞いてワクワク!カウントダウンのかけ声でカット。早速お部屋に持って帰りました。

2ヶ月近くかかりましたので、私たち側からすると(ちょっーーと。大事にあつかってねーー。)とヒヤヒヤですね。子どもたちに自由に見せるなかで『どれくらいかかったかな?』『もっと大きいの見たことある?畑の人ってすごいね』『すごーくできるまで時間がかかったねー』 そんな声かけを聞いていたかはわかりませんが、不思議に子ども達の触り方はソフトで取り合いになるかな?と心配でしたが順番を待って互いに渡しあっていました。そんな気の使い方を子どもたちなりにやっていました。すごいなと思ったのはらんらん組の子どもたち。わいわい組の子に『順番だよ』と場のコーディネーターをしてくれていました。

食べ物を育てる意味ってなんなんでしょうか?触れ合うなかで本当にすごいなと思ったのが『太陽にあたっていたから温かいスイカ』と触れたなかで『お日様の匂いがした』『お日様の味がするんじゃないかな』 こんな言葉があふれでていました。先の友達との交代、スイカの取り扱い方、感じた言葉、そして明日はこのスイカを食べます。 『自分で育てた物、収穫して食べる。』極当たり前の活動ですが、そのなかで繰り広げられる体験は本当に多彩であり色鮮やかな多面性が隠れています。  スイカの栽培をやって本当によかった!!  この機会をくれた自然に感謝ですね!

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