わんぱくすまいる保育園の運動会に行ってきました。千代田せいがの運動会にお相撲さんを連れてきていただいた今田賢二理事長の保育園です。
他の法人の運動会をみる機会はあまりありません。というのは、大体どの園も9月末から10月中旬までの同じ時期に実施することが多いこと、そして法人内の姉妹園に行くことが優先されるからです。
しかし今回、他の法人の運動会を見学できたのは、11月3日の文化の日という、運動会のシーズンとしては遅い時期に実施するからです。この時期になったのは台風19号の影響です。色々参考になりました。
千代田せいがと同じように子ども主体の保育理念を目指している園ですが、実際の保育や行事は異なるものです。わんぱくすまいる保育園も、親子で一緒に運動を楽しむ演目が多いのは似ていましたが、行事の位置付けは異なりました。それは当然のことです。子どもや保護者の実態、地域の特徴、園の歴史などが異なるからです。
運動会を見たあと、江戸川まで行ったので、ついでに船橋まで足を伸ばして買い物をしてきました。北欧の福祉国家でデザイン立国スウェーデンの家具です。
1階の倉庫でお目当の番号の家具を、そびえ立つ棚の中から探しているとき、この店のような大規模な倉庫型ストアがヨーロッパには多くあって、旧東ドイツの大型店を舞台にしたドイツ映画「希望の灯り」を思い出しました。あの高い棚に荷物を上げ下げするリフトを操る倉庫係の青年が主人公の映画です。
今日は「文化の日」でした。日本国憲法が公布された日ですが、明治時代は天長節、昭和初期は明治節として明治天皇の誕生日を祝う日でした。通常、法令の公布や施行は1日なのですが、憲法の公布が1日ではなく3日なのは、どうしてでしょうか。旧憲法(大日本帝国憲法)は明治憲法ともいうのですから、明治天皇の誕生日に合わせたのでしょう。半年後が施行ですから5月3日が「憲法記念日」になっています。「文化の日」と「憲法記念日」はセットです。では、どうして「文化の日」という名前にしたのでしょうか? そこにはGHQの意向が働いたのですが、その話はまた今後。
http://www.archives.go.jp/result/?q=日本国憲法
なぜ「文化の日」という名前にしたのでしょう。国会審議を調べれば出てくるはずです。「どうしてなのか」ということを実際に探求している、私が知っている人を思い浮かべてみると、面白いことに気づきます。人によってそのアプローチが異なるのです。
その探求を過去の「文献」に向かう研究者もいれば、実際に「実験」をやってみなければ納得しない化学者や料理人もいます。私はわからないことは、知っているはずの人へ「取材」しに行きました。今起きていることが対象でしたから、まず第一情報源に確かめに行きます。沖縄の首里城火災の原因はなんだったのでしょう?
その人の考えを知りたくて、インタビューすることもあります。そして探求が「瞑想い」や「思索」になる人もいます。絵を描く人もいたり、曲を作る人もいます。世界がどうなっているのか「再現」するための表現が「表象」としての芸術です。
過去のことは、過去のことを表したものを探すか、その時生きていた人に聞きに行くしかありません。憲法制定に関わった人はもう生きていませんから、どうしても文献(書籍)になります。
保育はそれらとも違います。「子ども」は「自然の一部」なので、自然学者のアプローチに似ているところがあります。少し似ているのは、フィールドワークをする民俗学者や文化人類学者かもしれません。インタビューしても無理です。子どもは言葉では答えてくれませんから。
もう一つ「保育」が難しいのは、対象である「子ども」のことだけではなく、どうしたらよりよくなるのか、という「価値」の創造と不可分だからです。そこで私は「なぜ人間はより善いことを求めるのか」という教育哲学に踏み込んだのでした。
わんぱくすまいる保育園の運動会は、最後の演目が年長さんによる「よさこいソーラン」でした。それを終えた子どもたちの「やりきった!」という充実した表情は、めったにみることができない、素晴らしい子どもの顔でした。
子どもの成長にとって、どんな生活や経験がより善いのか、探求は果てしないですね。