ツナチャーハン
麻婆豆腐
わかめのスープ
いちご
麦茶
2020/02/04
ツナチャーハン
麻婆豆腐
わかめのスープ
いちご
麦茶
2020/02/04
ジャーマンポテト
麦茶
2020/02/04
お楽しみ会にて演奏をしていただいた柳囃子の方々からお誘いをいただき、子ども達と豆まきに参加させていただきました。 これも千代田せいが保育園初の出来事でした。神社は人で溢れていてびっくり!!『毎年らんらん、すいすい組の20人くらいでないと難しそうだな。』と思うほど、、、地域にこのような機会と伝統が行き次いでいることは嬉しいですね!!これも、地域全体が園庭ということですね!
配られる福豆に子どもたちは『くださーい』と手を広げてアピール。約80袋の福豆を持って帰ってくることができて、ちぐに組へもお裾分けしました!
そういえば、地域の方々から(出張研修で参加できなかった)『あれ?園長さんは?』『園長先生はどこ?』と声をかけられました。千代田せいが保育園をPRしている倉掛園長先生はもう地域の一員のようです。また、緑帽子をみて『あっ!(千代田せいが)保育園の子だねー』と暖かい声かけをいただきました。この『声かけ』こそ子ども達にとって大切な環境ですね!保護者と地域の関係、それを繋ぐ保育園ではなく、みんなでスクラムを組んでワンチームのように広げていきたいですね
2020/02/03
今日はかなめくんのお誕生日でしたので、みんなでお祝いしました!
みんなのHAPPYBIRTHDAYの歌と温かい拍手に嬉しそうなかなめくん😊
かなめくんお誕生日おめでとうございます😊
2020/02/03
◆怖い思いをする経験の意味は
1階のちっちとぐんぐんには、お面をつけずに、ちょっとだけ鬼に出てきてもらいました。
2階のにこ〜らんらんの子どもたちには、鬼の仮面もつけて赤鬼にきてもらいました。あまり怖がらせるのは良くないので、みんなで力を合わせて「鬼は外」と豆を投げて追い払いました。
今のような時代でも、子どもが怖い思いをする経験も必要です。何かをちゃんと恐れるという人間の心。恐怖を感じる能力は、ヒトが生存競争の中で、生死をかけて生き抜いてきた長い進化の中で必要だった感情です。危険なものから、反射的に自分の生存を守ろうとする行動を素早くできるための感情です。そういう身体反応が起きる機会がなくなったのが現代社会です。現代の節分には、そんな意味があるのかもしれません。
◆「鬼が嫌いなものは?」
わいわい、らんらんの子どもたちは「イワシ!ヒイラギ!」と、元気よく答えてくれました。
先生たちが「絵本」で節分のお話をして、その後、実際に鰯を目の前で焼いて、その頭を柊の枝に刺して「やいかがし(焼嗅)」を作って見せました。玄関につけるところも子どもたちに見せました。
そこで私からこの話も付け加えました。
「じゃあ、鬼が好きなものは?」「・・・・」
これは絵本にも紙芝居にも出ていません。ですから子どもたちもわかりません。
「鬼が好きなのはね、悪い心が好きなんだよ。嘘をついたり、お友達に意地悪をしたりする子が大好きなんだって」・・
こんな話をしたら、どんな顔をするかな、と思って話してみました。面白かったですよ。実に神妙な表情を見せてくれました。これはやりすぎると、ちょっと怖い思いをさせて良いことを促すという、出来の悪いむかし話のようになってしまいますから、あっさりと済ませましたが。「怖い鬼はね、みんなの心の中にいるのかもしれないね」。みんな、ぽかん、としていました。
2020/02/03
恵方巻
野菜フルーツジュース
2020/02/03
オニライス
大豆の揚げ煮
大根と白菜のゆかり和え
たまねぎのスープ
麦茶
2020/02/02
先週は保護者会でいろいろな話ができて、楽しい時間を共にできました。参加していただき、ありがとうございました。この数ヶ月間、子ども(赤ちゃんも)が自分づくり(自分探し)をしている姿に感動したり、夜の睡眠がとても大切なことだと再認識したり、そして鬼ごっこのように規則のある遊び(ゲーム)を含む創造性が発揮されやすい遊び(プレイ)を増やしたりと、いろいろな保育実践を積み重ねてきた成果を、保護者会という機会に少し確認できた気がします。2月は、これまでの成長の軌跡を振り返る行事「成長展」があります(29日)。そこで今月は、子どもの成長の読み取り方を意識してみます。
◆子どもの育ちを見る目を持つ
子どもの成長や育ちを表す言葉は、英語では二つあります。一つはグロースです。「一年で随分と大きくなったね」と言う時に使います。身長や体重など身体的な成長を指すことが多いですね。経済学の「経済成長」はエコノミック・グロースです。もう一つが、デベロップメントで発達と訳されますが、こちらは精神的な側面も含むので、保育で発達というと心身両面の育ちを意味します。心の発達という言い方をします。
私たち保育士は、この発達を理解することが、専門性の中心に位置づきます。ただし、お医者さんのように健康かどうか、病気や障害かどうを診断する視点ではなく、教育(5領域)と養護(生命の保持・情緒の安定)の視点から捉えます。この教育と養護は世界中、同じです。英語ではエデュケーション・アンド・ケアです。略してECと言います。
ちなみに「保育」のことを、乳幼児を意味するアーリー・チャイルドフッド(EC)をつけて、Early Childhood Education and Careと呼びますので、略してECECと書くことが多いです。これが世界的には保育の意味です。英語では、とても長い言葉になりますが、日本では「保育」という言葉が、これを意味するので便利ですね。でも、保育には教育が入っていないと誤解されやすいという欠点もありますが、私たち保育者は、保育とは「養護と教育が一体となっている」と理解しているのです。
◆小学校以降は教科カリキュラム
教育の視点は幼稚園もこども園も全く同じですし、教育内容も全く同じです。保育園だから教育がないと誤解されている方が多いのですが、そんなことはありません。全く同じ目標や内容で実践しているのです。違って見えるのは、幼稚園が4時間、保育園は8時間ですから、日本の幼稚園は制度的には「学校」ですから、大人が決めた活動が時間割で活動が並ぶ「教科カリキュラム」的な園が、私立を中心に多くなります。就学準備型、と分類されることもあります。
この方の特徴は、世界的に読み書き計算の基礎(知識・技術)の育成に力を注ぐので、遊びという形式(手段)を通しての文字や数や体力などの習得を目指します。ですから厳密な意味での自由遊びではありません。遊びが手段になっているので、子どもの「自発的な活動としての遊び」(本来の遊び)にならないことが多いのです。現在の日本の幼稚園教育要領はこのやり方を否定しています。
ただし、公立幼稚園は幼稚園教育要領をよく理解しているし、それに準拠していることが多いので、子ども主体の自由遊びの時間を多く設けています。ただ、私が知っている年配の経験豊かな保育者によると、昔の活動内容としての5領域(あるいは6領域時代)の方法の影響と、どうしても一人担任や乳児の担当制になるために、以下に説明するオープン保育に移行できない壁があるようです。
◆乳幼児期に目指したいオープンカリキュラム
一方、千代田せいがのような、世界が目指し始めた保育、OECDが推奨している保育は、一人ひとりの子どもが決めた(あるいは選んだ、創っていく)生活と遊びなので、その内容を時間割で並べることができません。もちろん室内遊び、散歩・戸外探索、食事、休憩、午睡などの大まかな区切りはあります。こちらは「オープン(経験)カリキュラム」あるいは「生活基盤型」となります。知識・技術がしっかりと身につくように、その基盤(根っことか土台とよく言いますよね)となる、子どもの自信や意欲や人間関係力など非認知的能力を大切にします。土台をしっかりしていないと、その上に建つ建物がしっかり立たないからです。毎日の生活の中で、子どもが気づいたことが出発点になります。園庭がないから、「地域全体を園庭に」という発想は、学びの対象を実社会におき(教科書やドリルやお稽古教室ではなく)、地域や保護者の方も一緒に、子どもの経験を豊かにするために協力しましょう、というカリキュラムなのです。
では、この違いはどちらが、<教育的に効果が高い>と思いますか?
◆経験から自ら学ぶ力(learning to learn)が育つ
これは、すでに学術的にはっきりしていて国が強く求めいる「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)が実現しやすいのは、後者です。前者は早く結果の姿が現れますが、小学校三年生で変わらなくなり、その後、後者に追い抜かれます。このスタイルは小学校以降の学びにはふさわしのですが、乳幼児期はまだ早いでしょう。後者は生活と遊びの中で、自分の切実なテーマ(発達のテーマ、課題)に沿って学ぶことができるので、学び方も学んでいます。これを昔から「単なる知識を教え授ける教育」ではなく、子どもが「経験から自ら学ぶ力(learning to learn)」を育てようといわれてきたものなのです。そう考えれば、後者が生涯学習時代の基礎になることや、変化の激しい時代、学ぶ内容がどんどん変わっていく時代にも対応しやすいというのは自然にご理解いただけるはずです。
後者の保育は、保育者の力量、園全体のマネジメントが難しのですが、千代田せいが保育園は、後者のノウハウ(保育理念〜保育方針〜保育方法)があることと、保護者の皆さんがこの保育を支持してくださっていることから成立しています。
2020/02/01
◆免疫力や抵抗力も高めましょう
今日は電気に依存した機械が急に動かなくなったので、急いでその対策を講じることに追われました。このようなことが起きると、バップアップや代わりの手段を用意しておくことをシミュレーションしておきたくなります。新型コロナウイルスでWHO(世界保健機構)が緊急事態宣言を出すと、店頭からマスクがあっという間になくなりました。リスク回避能力は、経験と学習から育つものも多いのですが、病原体に関しては侵入を防ぐことですね。手洗いやうがいはもちろんのこと、子どもの心身の健康を維持増進するためのポイントは、大人にも通用します。また心が疲れていると病気になりやすくなります。栄養、腸内細菌、運動、睡眠、休息にも目を向けましょう。やはり自分の免疫力や抵抗力を高めておくことが大事だと感じます。
◆増え続ける煩雑な手続きが人間性を麻痺させる
保育の仕事をしていると、子どもの心の健康を考えることが多いのですが、この日記で以前、人類学者のデヴィッド・グレーバーの著書『官僚制のユートピア』を紹介したことがあります。この本のタイトルはもちろん皮肉です。官僚制賛美の本ではなく、現代社会の特徴として、ペーパーワーク的な仕事が増え、人間としてのシンプルな生活に専念できないというジレンマがなぜ生まれるのかを探求しているのです。人間の内面にまで官僚制が侵食してきていることに警鐘を鳴らしている本です。私はこの本を読んでいると、現代の社会がいかに心の健康に良くないかということに気づかされます。
◆私たちの人間性を振り返る
規制を緩和して自由競争を進める新自由主義社会になれば、煩雑で手続き的なルールに縛られなくなると思っていたら、現実はそれとは正反対になってしまいました。どの企業でも起きている書類や印鑑に象徴されるような煩雑な手続きをが増え続け、つい最近発明された企業の接客態度やクレーム処理をめぐる振る舞いなども、唯一の正解かのように思い込まされています。これらの行為を、私たちは当然視するようになってしまいました。
これら問題は、社会学で重要なテーマとして研究されています。人類が共生社会を維持するために、動物は力関係を権威と威圧と暴力で構築しました。しかし、ホモ・サピエンスはそこにとどまらず、協力と和解を生み出して進化させたのです。それが「笑顔」でした。生まれたばかりの赤ちゃんは生理的微笑という「笑顔」で親の養育を引き出します。
官僚的社会は、人が「生きる意味を考える」ことから遠ざけさせる、人間力の形式化、空洞化のテーマとして考察されてきました。これは自覚の可能性が問われている問題なので、共有することがとても難しいテーマにもなっています。
◆多様性から協働性へ
このような社会を変えること。それに気づく大人を増やすこと。これは生涯教育の大切なテーマなのですが、環境に適応することが上手な人間は、知らず知らずに、周りの環境を変えることが「自己実現」になると信じ、バラバラの価値観が多様化することに歯止めがかかりません。今年の新年会で藤森統括園長から頂いた色紙の言葉は「多様性から協働性へ」でした。
◆豊かさと他罰性、貧しさと自己罰は結びつきやすい
さて、佐々木正美さんの講演をまとめた本「生き方の道標 エリクソンとの散歩」(子育て協会)の冒頭に、こんな話が語られます。引用します。
文化人類学の方面から人間ということを考えますと、地球上ほとんど至る所にいろいろな種族、民族、いろいろな人間が住んでいるわけではありますが、経済的、物質的に豊かな地域や文化圏に住んでいる人間ほど、外罰性とか他罰性という感性を強く持っていると言われます。外罰、他罰というのは、何か不愉快なことがありますと、自分以外の人を罰したくなる、そういう感情、感覚、感性のようなものであります。人のせいにしたくなるとでも言いましょうか。卑近な例を申しますと、仮に幼い子どもの手を引いて自分の家の周囲を歩いていて、ちょっと親が心の隙を作ったときに、子どもが親の手を振り払って、ちょろちょろって歩いて行って、転んで、運悪く道の端のドブ川へ落っこちたとします。この場合、「ああ、しまった、いけない」と思うだけで済ませれば、それは自己罰であり、内罰でありますが、同時にこのどぶ川の管理責任者は誰だろうという感情が湧き上がったとします。こういう人通りの多いところにどぶ川をオープンのままにしておくというのは許しがたい、この道とどぶの管理責任者は誰だ、という感情に自分が支配されたとしますと、この部分が外罰であり他罰であります。経済的に、あるいは物質的に恵まれない社会に住んでいる人の場合は、おそらくこんな時に、こんな外罰的な感情は湧き上がらないというわけであります。豊かさと外罰、他罰性、貧しさと内罰、自己罰という感情が結びつきやすい。これは人類としての特性だそうです。
・・・・・・・・・
私もこんな感情にとらわれることがあります。皆さんはどうでしょうか。この感情が湧き上がってくるとき、私の中に感謝する心が足りないな、と反省します。人間関係力を小さい時から育むことがいかに大事か、保育園の子どもたちの様子を見ていると、強く感じてしまいます。