ご飯
ぶり大根
きゅうりの酢の物
まりふのすまし汁
麦茶
みかん
2020/12/07
ご飯
ぶり大根
きゅうりの酢の物
まりふのすまし汁
麦茶
みかん
2020/12/07
ダンスとも一人芝居ともいえるパフォーマンスアートを今日6日に観ました。今年10月の「親子運動遊びの会」で音響を担当してくださったダンサーの大迫健司さんによる作品「を,,とる ver.0」という身体表現アートです。海老原商店で開かれました。主催は青木尚哉さんのダンスグループ「zer0」です。見ること、聞くこと、嗅ぐことができるものでした。大迫さんが抱いている「海老原商店という歴史的建造物との出会い」に伴う愛着感を、舞踏と独白と音楽を使って表現していました。この表現作品を、言葉でお伝えすることは至難の技です。
何か物事に対して、それは何ですか?と問うことはできます。そして「それは何々です」と説明されている物事もあれば、どこにも説明などされていない物事もあります。説明されていない物事に出会うとき、それを面白がれる人と、不安になる人がいるような気がします。子どもにとって、大抵のことはもともと初めて接するものばかりなので、好奇心を発揮することもあれば、警戒することもあります。それを区別するのは周りにいる大人(親)の表情や仕草や雰囲気を察して判断しています。それを社会的参照と言うのですが、新しいものに接していいのか、逃げるべきなのか、安全なものなのか危険なのか、生存のために必要な判断の基準も学びながら成長していきます。
自分が体験したことは、記憶され、イメージや意味の体系のカテゴリーに分類されて関連づけられます。その時、自分の持っているカテゴリーにうまく一致しない物事と出合うと、「これはなんだろう?」と考えます。そのとき、自分の中に収まる場所がない時、不可解なものとして退けられます。一方で「これは面白そうだ」と感じる人は、分類されたカテゴリーに当てはめることを諦め、その物事自体に関心を寄せ、新しい表象や意味を作り出そうとします。反感作用が強くなるのか、共感作用が強くなるのか、その出会いの一過性によって異なってしまいます。
作品が常に更新されていくような作品。アートの現代性がこうした形で探求されていることに、大変興味深い思いがしました。
2020/12/05
お楽しみ会は劇だけではなく、「歌」も歌うのですが、人類が音楽に目覚めたのは言葉よりも早いという説があるくらい、人と音楽は切ってもきれない関係にあります。どんな関係かというと、喜びや驚き、恐れなどの感情の表出にはリズムや高低が異なる「音」が湧き出てくるという関係です。音は私たちの身体が放つものなのです。身体は楽器であり、色々な音を発しています。手を叩いたり、膝を叩いたり、足を踏み鳴らして音を出すときに、リズムも生じます。ちっち組のU先生はキーボードで、太鼓の音を出して、パーカッションのようにリズミカルな音を奏でると、子どもたちは嬉しそうに笑っていました。心地のいいリズム音は、子どもたちに喜びを伝えるのだなあと感心しました。
もちろん声帯も立派な楽器です。言葉を話す時には、必ずイントネーションがついていて、会話には波があります。子どもは、言葉と言葉の間に「ね」をつけてつないでいくことをよくします。「○○ちゃんね、昨日ね、映画をみたんだよ」のように、「ね」の音階が少し高くなります。リズムがあります。「み・い・ちゃん。あ・そ・ぼ〜」とゆっくりと声をかける時、日本人は、「ミ・ソ・ミ・ミ・ソ・ミ」のような2音階の節をつけています。これはもう「わらべうた」です。少し長い文章に節がついて、その意味にふさわしいメロディがつけば歌の出来上がりです。
わらべ歌を歌いながら手遊びをするときも、手を叩いたり、膝を叩いたり、友達と手を合わせたり、そうした遊びも音楽的ですね。1日の中で歌を歌う機会はお集まりの時にあります。楽器で伴奏音を奏でることで「集まりが始まる」合図にもなっています。
例えば昨日は中川李枝子さん作詞の「手をつなごう」をギターで伴奏すると、何人かが一緒に歌い出してくれました。「あの歌やってえ」とリクエストされるものを一緒に歌っています。楽器を奏でて伴奏し歌を歌うこと。楽器が石だったり木だったりした時代から考えると、人は何万年も繰り返してきた営みなのです。そう考えると、こんなに素晴らしい歌がたくさんあって、何を歌ってもいい自由があることに、感謝です。好きな歌が歌える時代は幸せです。
2020/12/05
今日は、11時40分まで佐久間公園で遊び、12時30分からご飯、13時20分午睡。という流れでした。戸外活動を満喫した一日でした!!!
リレーは、時計台と公園内の照明のポールとの間を往復するコースで行いました。11時5分~11時40分まで、ノンストップで繰り返しのリレー。。。大盛り上がりのわらす組でした。4名から始まったリレーが最終的には14名まで増えて楽しんでいました。
私が、夕方に身体の疲れを感じているのは、きっとこのリレーのせいでしょう。
2020/12/04
子どもは振り返らない、未来の時間に生きている。子どもの魂のベクトルはそうだからこそ、明日のために今日を確認したい。そんな時間が、夕方のお集まりに流れ始めました。
わいらんすい(3〜5歳)の夕方4時45分から5時ごろのことです。3時のおやつを食べ終わると、好きな遊びが始まるのですが、いったんその時間に1日の区切りをつけるためのお集まりがあります。今日は何が楽しかったか、何が面白かったか、自分なりに思い出して語ります。
「将棋が楽しかった。負けちゃったけど」(明日、勝ように頑張ってね)
「塗り絵」(楽しそうに○○を描いていたよね)
それを聞いていると、いったん語ることで明日への展望になっていくのかもしれないと思えます。
サンタからのお手紙、佐久間公園でのリレー、紙芝居、すき焼き風しいたけの味、干し柿の味・・いろんな体験を思い出しながら、自分の中で「楽しかったことって、どれかな?」と自分と対話しています。こんな瞬間が、何かを形作っていくのでしょう。
お家の人に何をどう語っているのか、私たちは分かりませんが、お集まりでの友達の発言を聞くことで、一人では気に留めてもいなかったことが意識されて振り返る幅が広がっているかもしれません。
子どもの意欲と好奇心というものは、本当に留まることを知りません。朝から夕方まで、全力疾走です。大人の私たちも、毎日疲れ切ってバタンキュー!です。
2020/12/04
今日は、午前中にしいたけの収穫をしました!!お昼ご飯の「すきやき風煮」と「おやつに焼いてたべる」機会を持ちました。
「シイタケ苦手なんだよね」と言いながらも喜んで収穫していました。
2020/12/04
ご飯
すき焼き風煮物
さつまいものレモン煮
大根の味噌汁
麦茶
みかん
2020/12/04
フルーチェ
ベジタブルせんべい
2020/12/04
おからのスコーン
牛乳
2020/12/03
科学実験は色々なものがありますが、私の好みは普段の生活の中で何気なくやり過ごしていることを、改めて真正面から取り上げて、実験や観察をしてみるというやり方です。大人もびっくりするような美しさや不思議さと出あうことができます。この方法は日常的に使っている感覚を「拡大する」という方法です。私は「虫眼鏡理論」と名付けました。見る、聞く、味わう、かぐ、触るという五感の機能を拡大するのです。例えば「見る」の例なら、虫眼鏡や顕微鏡や望遠鏡で「見る」のです。そうすると、肉眼の解像度では見えなかったものがより「見える」ようになります。小さいものを大きく、遠いものを近くに見るのです。
これは視覚の例ですが、聴覚も味覚も嗅覚も触覚も「拡大する」ことができます。そうすると、それまでの世界が全くちがってくるのです。同じ世界のはずなのに、全く異なる美しい真実を見せてくれるから面白いです。
今日は「サラダドレッシング」をじっくりと観察してみました。すでに混ざっているドレッシングを見るのではなく、水と油の段階からそれぞれをじっくりと見るのです。具体的には次のようにやってみました。
ガラスの瓶に水道の水を入れます。そこにサラダ油を注ぎます。油はボコボコと入っていくと、最初は油の水玉ができますが、しばらくすると透明になって、水の上に層を作ります。それだけでも「わあ、きれい!」という感想が漏れます。
そこへ、子どもたちが大好きな絵の具に登場してもらいます。今日は青と赤を使いました。絵の具を水で薄めてスポイドでそーっと垂らします。ここからは大人も未知の世界になります。
赤い水滴は丸くなって油の層の中を落ちていくのですが、そのまま通り抜けて水の層へ落ちていくかというと、そうなりません。水と油の境目の膜のところに留まります。しかもその膜が少し凹んでいる状態になります。それをすいすいのJくんは「油が底みたいになった!」と表現しました。
青と赤の水玉は、引き合って集まってきます。すると、しばらくすると、その重さから水と油の境目の膜が遂に破れて、す〜っと色水が水の層の中に流れ込んでいくのです。色水の方が真水よりも重いので、ガラス瓶の底に溜まっていくのです。
この一連の出来事は美しく、私は「この実験はね、心が落ち着く実験なんだよ。気持ちが綺麗になっていくんだよ」と説明すると、深い沈黙と納得が起きていることがわかりました。
水と油と絵の具の比重の違いが生み出す自然の演出の中に自然の法則が見えるのですが、例によって、その意味がわかるようになるのは、もっと後でいいでしょう。今は、目の前で起きている現状の美しさに目を奪われて欲しいと思います。