明日15日(月)から成長展が始まります。園全体の行事としては、これが5大行事の最後の行事になります。春の親子遠足(コロナで実施できず)、夏の納涼会、秋の親子運動遊びの会、冬のお楽しみ会、そして年度末の締めくくりとなる成長展です。この一年間の子どもの一人ひとりの成長、育ち、発達を「教育の五領域」の観点から見てもらうのと、今年は特別展示として「模倣」をテーマに取り上げて、その年齢ごとにどのように発達していくのかについても動画で見てもらいます。親御さんと私たち保育者と一緒に、子どもたちの育ちをじっくりと味わい、賞賛し合いましょう。
◆模倣力の発達の大まかな筋道は
子どもの模倣力は、親やお友達がやっていることを、そのまま真似する段階の模倣から始まります。生まれてすぐの赤ちゃんが親が舌を突き出すことを真似する「新生児模倣」に始まり、「いないいないばあ」のように目の前に見えることをそっくり真似する「即時模倣」が楽しい時期が続きます。1歳前後になると、赤ちゃんと人の間におもちゃなども物が入って「はいどうぞ」などの物のやり取りを盛んにするようになっていきます。これも大人がやっていることの模倣です。さらに目の前には無いけれども思い出して真似する「遅延模倣」見られるようになり、物を何かに見立てて「ミルクを飲ませる」「人形の赤ちゃんを抱っこする」食べ物や飲み物を「口に持っていく」仕草など、やってもらったことや大人や子どもがやっていることを真似する「見立て遊び」が盛んになります。
◆目的や意図を含めて模倣できるようになる
そのころは、なぜそれをしているのかという意図や目的も併せて真似する模倣へと発達します。なので「それをしている意味」がよく分かっていることになります。哺乳瓶を逆さまにするとお乳が出る、器に食べ物を入れると食べ物になる、ベッドに人形を寝かせてトントンする、そういったことは「何をしているのか」の意味がよく分かっています。
この時、あまりまだ言葉を喋らなくても、そのものが「ミルク」だとか「赤ちゃん」だとか「お手拭き」だとか「手はお膝」だとかの言葉を理解しています。つまりモノとそれを表す音(音声)は、しっかり聞き分けて対応しており、その物についてのイメージ(心的表象)を獲得しています。
だからこそ、見立て遊びが成立しているのです。これが「ケーキ」であることを「ケーキ」という音とセットで頭にイメージできるからこそ、日本語のケーキと聞こえれば、どの子も「あれだ」と同じものを思い浮かべることができているのです。これが言葉が表象であるという意味です。言葉の獲得の広がりと併せて、見立てる対象や世界が広がっていくのです。
◆生活の中にある意味がつながっていく育ち
さらに大きくなると、言葉が連想ゲームのように連なって、一塊のイメージを作り上げていきます。ごはん、おさら、おてて、お腹減った、おいしい・・こうした食事の時に使う言葉と動作や物の名前などが、その状況の中で繰り返されるパターンとしてセットになって記憶されていきます。繰り返されて身についたものは短期記憶から長期記憶に保存され、新しい出来事に出会うと、その意味をそれまで獲得している意味体系に付け加えていきます。
その新奇性への感度の良さは見事というほかありません。「ん?なにそれ?なんて言った?」の連続の中で子どもたちは、出来事と言葉を文脈の中で繋ぎ合わせて、大切な意味のパターンを作り上げていきます。そのパターンの連なりが大きく育っていくと、ごっこ遊び発展していきます。この力は、模倣に限らず、実にさまざまなところでパターン認識が活躍しています(たとえば、言葉の獲得、将棋のコマの動かし方、ダンスの身のこなし、クライミングの登り方・・)。
◆模倣をめぐる話も今回で最終回
この「成長展のためのミニ連載」も今日で最終回になります。特別展示のテーマ「模倣」をめぐって、いろいろな面から解説してみましたが、最後は次の言葉を紹介して、人間の不思議さを感じ取ってもらえたらと思います。それは心理学者で科学史家であるマイケル・シャーマーの言葉です。
テッドでも楽しい話をしているので、以下、暇な時にどうぞ。
「見つけずにいられないのだ。人間の脳は、自分のまわりの世界の各点を意味あるパターンに結びつけるように進化してきた。そのパターンが物事の起こるわけを説明する」(『The Believing Brain』<信じる脳>)
◆子どもは周囲のものに「意味」を見ず出さずにはおられない
第12回目のミニ連載(12日金曜日)で、子どもは無数の体験をしている中から、なぜその体験を選んで再現する(模倣する)のかについて、「記憶の3条件」から考えてみましたが、その2番目の条件「意味が理解できる」の話の補足です。
起きていてしっかり意識している時でも、私たち人間はある形に意味を見出しやすい傾向を持ちます。なぜそうなるのかは「錯覚の心理学」などの説明では、長い進化の過程で、人間の脳が生存に役立つ世界の見方を獲得しているからだと言います。生まれたばかりの赤ちゃんも、教えていないのに人の顔を好むことや、ランダムな図形なのに水平方向や垂直方向に並んでいると錯覚したりします。次の写真はシャーマーが先の動画で取り上げている「火星」の表面です。
私たちはなぜか、顔を見つけてしまいます。このようなパターン認識を、人間は学習ではなく(つまり生まれた後で学んだのではなく)、もともと持って生まれてきているらしいのです。「なぜなら、私たちは進化によって顔を認識するように方向付けられているからです」と彼は述べています。
「人間はパターンを探してしまう生き物です」でもあるようです。なるほどなあと思います。
◆子どもはアニミズムの世界にいる!
昔からよく「子どもはなんでも物を擬人化する」と言われてきました。自然界にあるもの、雲や樹木や石にも動物や顔を見つけ出し、ついでに物語も作ってしまいます。よく「子どもはアニミズムの世界で生きている」とも言われたりします。子どもにとってイメージされているものが、見立て遊びになったり、お絵かきで表現されたり、楽しい創作ストーリーになったりしていることは、ご存知の通り、しょっちゅう起きていることです。
子どもにとっての「意味の理解」には、このような想像力によるパターン認識も含まれることになります。厳密にいうと実生活の中で、実際に体験していることとは違う経験(空想による想起など)も模倣対象に含まれるのでしょう。
◆自分らしく意欲的で思いやりのある子ども、に
今回の成長展では「模倣」を切り口としましたが、この営みは学校へ就学しても同じ能力を使って自分と世界を広げていきます。当園では今の時代の大きな課題になっている「人と関わる力」の育成に力を注いでいます。
乳児の頃から人と親しみ、愛着を持って心を通わせながら、人を信頼する力を持つこと。
その揺るぎない心的基盤の上で、自分から周囲に意欲的に働きかける力(自発性)を育てること。
それが自己効力感となって自信になること、できない時は他者に依存して甘えることができること。それが自立と協力(支え合って生きること)になること。
人の気持ちがわかり通じ合うこと、お友達の嬉しい気持ちが自分も嬉しくなること、悲しい気持ちは自分も悲しくなること。
このような心の通いあいが、模倣が生み出すさまざまな行動の中に見出されます。子どもにとっての子どもの存在は、とてもかけがえのないものです。こうして子どもがちは、自分らしく、意欲的で、思いやりのある子どもになっていくことでしょう。