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2021年 6月

千代田区が保育園と小学校のつながりについて研究会

2021/06/23

今日23日(水)は午後から、千代田区立いずみこども園・和泉小学校で「令和3年度保・幼・小合同研修会」が開かれたので参加してきました。この研修会は保育園や幼稚園、こども園にいる子どもたちが、それぞれの発達にあった生活と学びができるように、その連携のあり方を探るものです。小学校としては和泉小学校、幼児教育施設としては神田保育園といずみこども園が実施した連携活動を事例として検討しました。参加者の討議はなかったのですが、リモートによる授業参観と3園校からの実践報告を踏まえて、無藤隆(白梅大学名誉教授)さんの講演が行われました。

保育園と小学校の間には、いろいろな溝やハードルがあるのですが、その溝が深く大きく見えるのか小さく浅く見えるのか、あるいはハードルが高く見えるか低く見えるか・・それはそれぞれです。しかし、溝やハードルを過大に捉えるのは間違いです。正しく認識していただきたいことは、無藤隆先生の次のような言葉です。

「間違っていただきたくないことは、幼児教育を小学校教育に置き換えるとか、近づけるということではなく、乳幼児期と小学校教育とで、それぞれふさわしいことをやることをやることが大事だ、ということです」

小学校でやることを先取りして行うことではなく、それぞれの子どもにあった、発達にあったことをその時期にふさわしい体験をしておくということになります。千代田せいが保育園の保育には、「国語のはじまり」や「算数のはじまり」をはじめ、小学校以降の生活や学びで困らないような「資質・能力」を育む経験が生活の中に埋め込んであるのですが、その仕掛けや意味を関係者に可視化していくことが必要な時代になってきたようです。

かなり前から、この幼児教育と小学校教育の連携については、幼小連携という言葉で実践されてきたのですが(このテーマで、ずいぶん昔、本に実践を寄稿しましたが)どうも千代田区は始まったばかりのようです。まだ教員同士の交流もないですし、カリキュラムの連携もできていません。ましてや、子ども一人ひとりの発達と学びの連続性を保障する「つながりの仕組み」も制度化されておらず、それぞれの立場に任されているのが現状です。

ただ、学習指導要領と要領・指針などは整合性が取れているので、その内容をしっかり理解して実践していれば、子どもたちが困ることはあまりないので、今日のような研修会はとても大切です。それぞれがなさなけれはならないことが明確になるからです。そういえば、今日の夕方、この春卒園した1年生がお母さんと挨拶に来られました。小学校も学童も楽しいそうです。このような子どもの姿から作り上げていくつながりが、連携の最も大切な軸になると思います。

 

「なんで?」

2021/06/23

2歳ごろになると、色々なことに対して「なんで?」と聞き返す姿が増えてきます。

そんな今朝 -

「お片付けしよう〜」
と声をかけると、
「なんで?なんでお片付けするの??」
と問いかけられてしまいました。

「・・・っ。たしかにっ!」

たしかに、お片づけって何でするのでしょう。。

おもちゃを大切にしたいから?お部屋がきれいになると気持ちが良いから?次に使うひとがいい気分になれるから?

なんで?どうして?なんのために?…ひとつひとつの行為について考えて深めていくことって、子どもの育ちのためにとても大切な気がします。
当たり前のようにやっていたことの意味を問いかけられて、妙に考えこんでしまいました。

いつでもものごとの核心にせまっていく子どもたちは、大人にいろいろなことを教えてくれている気がします。

『なんで?』の答えを考える、哲学な毎日です。

6月23日 昼食

2021/06/23

ミートソース

コールスローサラダ

野菜スープ

麦茶

オレンジ

生活の広がりを

2021/06/23

保育参観があった22日、今日は佐久間公園へ行きました。道中はにこにこ組に追い付かれたー、帰りは追い越したーなんていうやり取りがあり面白かったです。

 


保育園に兄弟で通うお友達も多いです。保育園は生活の場ですから学校のようにクラス区分されずに広く生活の場として広げていって欲しいですし、子ども同士の関わりもそのように広がりを持っていきたいですね!  お手伝い保育は感染症(コロナではありません。)が落ち着いたら増やしていきたいと考えておりますし、すいすい組からはその意欲が見られています!

1つの石けんで

2021/06/23

ある日の手洗いのシーンです。

ふみちゃん、石けんを使い終わると、さっと れなちゃんのそばへ置いてあげています。

ふみちゃんに置いてもらった石けんで手を洗い始める れなちゃん。一緒にごしごし。

 

そこへ、あやかちゃんがやってきました。
「石けんは?」と少し探しすと、れなちゃんの前にある石けんに気づき、手を伸ばします。


れなちゃんは、急に取られちゃったと思ったのか、一瞬自分のほうに引き戻そうとしますが、あやかちゃんも石けんが使いたいと分かったのでしょう、すぐに「あやかちゃん」と言ってゆずってあげていました。



あやかちゃんも使い終わると、またれなちゃんの前に戻してあげます。



次に、りょうちゃんがやってきました。
りょうちゃんは、「ほしーいー (水道台の上に置いてある石けんを取って)」と大人に訴えます。


それなので、りょうちゃんに代わって、「れなちゃん、石けん貸して〜」とお願いしてみました。(ここまでの場面で大人が関わったのは、この一言だけでした…!)
そうすると、りょうちゃんの姿に気付いたれなちゃんも、サッと石けんを手渡してあげています。




3つの蛇口に、1つの石けん・・・
ほんとうは石けんも3つありましたが、こんなふうにお友だちと交代しながら使っていける姿を見ていたら、思わず、今日はあえて1つだけにしてみようかな?と思ってしまいました。


1つのものをみんなで使う、共有する、分け合う、そして「次の人が使えるように」と気遣う…ということが、お友だちとの生活の中で自然と行われていることに、感心しています。
この日に限らず、水道を使うたび、さらっとお友だちに石けんを渡してあげる姿がみられるのです。とくに大人が教えたわけではないのに、頼もしいですね。

大笑いで始まる1日に

2021/06/22

子どもと大人の違いはいろいろあるけれど、笑顔が好きなのは同じです。しかも朝から大笑いできると、1日が幸せになるような気がします。この日記で朝の運動遊びの話題が多いのは、それが私の当番だからですが、それよりもこの時間が楽しいからです。子どもたちが、おなかの底から笑っている時が特に楽しい。当たり前と思うかもしれませんが、みなさん、朝から大笑いしていますか。大笑いで始まる毎日って、素晴らしいんじゃないでしょうか。

大笑いの発端は、なんてことはない、些細なことです。

今朝のつもり遊び運動は「はたらく車」ごっこでした。タクシーやパトカーや救急車になって、道に見立てた緑のマットやジャバラでできたトンネルを四つん這いで「走り」ます。

しばらくすると、電車が通ることになって、道路を横切る線路ができました。そこで「誰か踏切やってくれないかなあ」というと、我も我もと、踏切だけが4つも5つもできて、それぞれが「カンカンカン」とやり始めます。開かずの踏切です。クルマは一向に走れません。

私はお客さんを乗せたタクシーだったのですが、「これじゃいつまで経っても踏切を渡れないなあ」というと、Mさんが「じゃあ、いっしょに(踏切を)開けよう」と側の友達に呼びかけると、「いちにのさん」で踏切が一斉に開きました。よし、これで通れるぞ、と渡り始めると、踏切がなぜが一斉に電車になって私の方へ走ってきます。団子状態です。それがおかしいらしく、やるたびに笑い転げています。

子どもからすると、開けたふりをして私を騙して喜んでいるような事態なのですが、まあ、それがいたって面白いらしい。

なんとも他愛のない遊びですが、こんなことが子どもは楽しくてしょうがないのです。子どもは体と心が一体です。こんなじゃれつき遊びが楽しいときに、たっぷり楽しんでおくことが、小学校以降の生活で集中力を発揮するようになるのです。

6月22日 昼食

2021/06/22

まめごはん

アスパラフライ

ぶたの醤油麹焼き

ほうれん草の味噌汁

すいか

 

成長を待つ

2021/06/22

 

『靴が履けない』『靴をギュッとできない』『○○ができない』と言い『やって!!!』とお願いしてくる事はよくありませんか?? 保育園でもよくあります。

 

保護者との面談の時にも自分でやってくれない。という相談やどうやって関わるといいのかと聞かれることがあります。

その時私は、『子どもにはやらない、やりたくない理由があるのでそこで何度も何度も言い聞かせたり、やらせようとするのではなくて、やってあげて良いと思いますよ!ただ、全部ではなくて、どこまでやって欲しいのか、どこはできるのかを聞いたりして出来るところはやれるように関わったりしますし、最後は必ず子どもに出来るようにしています。もちろん、その時によってはすべてやってあげることもあります。とにかく、やらせようとするのではなくて、やりたくなる、やれるようになるまでは待てる心持ちが大切ではないでしょうか。1から10までの行程であれば10だけは子どもにやれればそれでよし。10回に1回でいいので、そんな関わりをお家でもやってみてください。』などお話しをします。

 

さて、突然ですが昨年度の2月まで遡ります。その時の写真です。

まさに、できないー!の時だったのですが、年長のお友達が手伝ってくれていました。このやり取りが数週間あったのですが、きっかけはわかりませんがある日からあまねちゃんは自分で全ての用意をしていました。

この部分だけを切り取ると『甘えてばかりで、、、』なんて私が親だと小言が出てしまいますが、もっと広くみると、お手伝いというよりも、優しさを与えていたり受け取っていたり、助けてあげる正義感と、助けられた安心感など、関り合いこそに大きな意味が深くあると思うのです。

 

さて、なぜこんなお話しをしたかというと、先日の公園に向かって歩いていると手を繋いでいたお友達の靴が脱げてしまいました。それをみて

手を繋いでいたあまねちゃんがすかさず手伝ってあげていました。それを見ているさくまくんもいいですね!!

これをみるとですね、甘えてばかりでやらない姿も実は大切だったように見えてきませんか。  この姿までも見据えて、保育をして、見守るのが大事なのだと思います。

 

言って、やらせて、出来た!

信じて、見守って、出来てきた!

どちらも同じではないでしょうか。時間はかかりますが。

 

見守ると書きましたが、待っていれば良いではありませんし、これは簡単ではありません。そこに、保育の専門性があるのでしょうが、ご自宅では難しい場合がたくさんあります。なので、お家でやろうとするのでなく、保育園生活の間だけでも、子どもの葛藤や挑戦、心に響くことを充分に体験させてあげさせてください。

と言いながらも良いことばかりではなく、正直嫌なことや不快なこともあります。ただ、それは人であるからこそ当たり前であって、子ども達が1人の人間として生きている場所でもあると思うのです。という葛藤をしていることも、保育の専門性の一つと考えています。

今日も子ども達の成長が生まれてきますね!

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