夏野菜カレー
鶏の醤油麹焼き
コンソメスープ
すいか
麦茶
2021/08/11
夏野菜カレー
鶏の醤油麹焼き
コンソメスープ
すいか
麦茶
2021/08/10
年長のNKくんが上野の国立科学博物館で開催中の「特別展 植物ー地球を支える仲間たち」で見つけたらしく、ハエトリグサを持ってきてくれました。
パカっと開いた歯のある葉が、中に虫が入ると、一瞬のうちに閉じて捕まえるという、植物ハンターです。こういうの、子どもにはタマリマセン。私も小さい頃、アリを中に落として、閉まるかどうかやったことがありますが、あれ、なかなか閉まらないんです。
調べてみると、葉の口の中には、感覚毛が生えていて、2回ないしは2箇所以上触れないと閉まらないようになっているらしい。雨の雫や枯葉など、生き物ではないもの、消化でいないものが偶然入っても閉まらないようにできていると言うから、面白い。植物が虫を食べるという、動物が草を食べるなら分かるけど、草木が昆虫を食べちゃうんだから、それだけでも不思議な生態ですよね。北アメリカで発生したのは6500万年前となっているので、ユカタン半島に巨大隕石が落下して、恐竜が絶滅した頃になります。ちゃんと花も咲き、種もつけます。
2021/08/10
ベジタブルせんべい
フルーチェ
2021/08/10
今日は、製作ゾーンの水道で色水あそびゾーンをつくりました。
絵の具は(赤、青、黄色、白)を準備しました。
子どもたちの間で「伝説の〇〇いろをつくろうー!」というワードがやりとりの中で出てきて、自分たちでオリジナルの色を作り楽しんでいました♪
「色水あそびやりたかったんだ〜。」と
らんらん組の女の子たちがニコニコしながらスポイトを使って色水あそびをしています。
(↑表情から楽しさが伝わってきますね♪)
今まですいすい組を中心に活動していた色水あそびでしたが、今日はらんらん組の女の子たちも一緒に遊びました!
(↓いろいろなむらさき色を作ったようです。)
最後には6種類のむらさき色をつくりあげていました!!
日々の遊びのなかや環境を通して、『学び・発見』を繰り返している子どもたちでした。
明日は、どんな学びや発見があるのかな?子どもたちと一緒に探していきたいと思います✨✨
2021/08/10
ひじきのご飯
唐揚げ
スティックきゅうり
しらすのうめあえ
さといもの味噌汁
麦茶
バナナ
2021/08/09
この2日間、肩は痛いし38度を超える熱が出るし、とても辛い時間を過ごしました。予防接種でこんな副反応になったのは初めてです。そこで、ネットで調べてみました。この数字を、みなさん、どう受け止めますか。
新型コロナウイルス対策のためのワクチンを接種した後で、翌日あるいは数日後に亡くなっている人が800人以上もいるんです。このことをあまり言いませんよね。私が疎かっただけでしょうか。
https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000816282.pdf
それにしても、今のマスコミ報道は一方的過ぎるんじゃないかと感じます。
私は論理的思考とは何か、少しは心得ているつもりです。
物事にはAという事象が起きたとき、その結果を発生させた原因であるBを探し出そうとします。結果に対する原因という「因果関係」です。
自然界では、物理現象は因果関係が明快です。だからこそハヤブサは成功し、残念ながら76年前の今日、私の生まれ故郷の長崎に原子爆弾が落ちました。
しかし、大抵の人間の生活に関わるほとんどの事象は、そんなにすっきりとした因果関係にはなっていません。Aという結果は、大抵は複数の要因が絡み合っていることが多いので、一つの「要因」に絞り込むことは難しいのです。特にそこで結果Aとの間に要因CDEF・・・とは「相関関係あり」と見做して、さらに主たる要因を突き止めようとするのが、科学的態度というものです。普通は、そういう態度をとりますよね。
この原因と結果の関係を探る営みは、個人も組織も何らかの反省やら省察やらPDCAやら、言葉は違っても似たようなことをしているはずです。スポーツでもそうですよね。ましてや、物理現象と違って生命現象、複雑系を対象とすると、因果関係を導き出すのは初めから難しいものです。
だから、新薬など、人間の生体に直接、未知の物質作用を与える場合は、結果がどうなるか分からないので、ある一定の時間をかけた実験をします。実験というと道義的に反対されるので、治験というのですが、やっていることは同じです。
ところが、今、日本で起きているワクチン接種推奨のムードは、これでいいのでしょうか。冒頭に紹介した厚生省労働省が報告している「新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要(コミナティ筋注、ファイザー株式会社)」を見ると、7月25日現在(オリンピック開幕の前日)で、ワクチン接種の翌日や数日後に亡くなっている人が828人もいて、ほとんどが「情報不足等によりワクチンと死亡との因果関係が評価できないもの」となっています。
これを言い換えると「因果関係まではわかりませんでした」ということです。「因果関係なし」とは言っていないのです。「ワクチン接種と死亡に因果関係はない」と誤解しているコメンテーターがいるので、困ったものです。因果関係はわからないが、明らかに、強い相関関係はあるのです。死因の引き金になっている可能性があるとみた方がいい。接種日と死亡日が近過ぎるからです。
ですから、上に述べたように、ワクチン接種直後に、これだけの死者が報告されていれば「相関関係は大いにありそう」とアナウンスするべきです。情報不足であることを認めているということは「情報が満たされたら因果関係があるという判断になるかもしれない」とも読み取れます。
繰り返しますが<接種してから数日の間に死亡している>人がこんなにいるという事実だけからも、相関関係はあると見なすべきです。6割の壁といって、接種数を上げることばかりを言いますが、ちゃんと議論して欲しいものです。接種に不安を感じている人には、何か正しい知識を伝える必要がある、という識者がテレビに出ていますが、それを言うなら、この828という数字についてどう思うかを述べてからにして欲しい。
死因は「血栓」が原因になっているもの多くあります。これも、このワクチンの副反応の特徴だったことと一致します。
全てのマスコミ報道をチェックしているわけでもないし、SNSの動向をフォローしているわけでもないのですが、この議論があまりにも少なくないでしょうか。きっと、この数字をどう見るかが次の論点になるかもしれません。そこでインフルエンザワクチンによる死亡数も厚労省が出していますので比較しましょう。
https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000583992.pdf
平成30年度の分ですが、これによると5350万人に接種して死亡報告は、たった3名です。そして同じように「因果関係は不明」とされています。同じ判断基準を用いています。どちらも審査しているのは厚生労働省の科学審議会なのですが、審査基準のあり方を見直さないと、取り返しのつかない事態が進行しているかもしれません。
以上の私の感想が、発熱による妄想が産んだ「大いなる勘違い」だったらいいのですが。どなたか、私の論理的思考の誤りがあれば、教えてください。
2021/08/08
玄関にオリンピックの国旗の鶴を飾りましたが、子どもたちが国旗と触れるなかで、すいすい組の子どもから国旗作りが流行った先週。
オリンピックを見た!という声も子どもたちから聞こえてきます。
2021/08/07
今週もにこにこ組さんは、
夏の暑さに負けるどころか、
暑さを味方につけて元気に過ごしています!
本当にみんな、すこぶる健康です^_^
今週もダンスの青木先生といずみ先生が来てくれました。
お馬さんをしてもらって、みんなゴキゲンです♪
他にも、グーパーあそび、トンネルくぐり、ソフトクリームを真似てのくるくる遊びなど、
とっても楽しく参加しています!
終わった後も、
もっとやりたそうに、わいわい組さんの様子を眺めています。
水曜日には、わらす組さんがやっていたスイカ割りに参加させてもらいました。
みんな興味津々で、割ってみたい子は実際にやらせてもらいました!
丸いまんまのスイカも見せてもらいました。
割れたスイカは、食べたい子で食べました!
枝豆のさや取りもやりました!
みんなもう手慣れたものです!
そしておかずのいっぱいちょっとを始めて、
だいぶ慣れてきたこともあり、
おかずの配膳を自分でするようになりました!
前に並んで、スプーンとフォークを取って、
自分の食べられそうな量のおかずをもらって席に戻ります。
少しずつ、自分の適量や、好きな物、苦手な物を知っていければと思います^_^
お皿をピカピカにすることへの喜びも芽生えてきたこの頃です♪
2021/08/06
ヒトは生物なので、色々な気持ちを持っています。外からの刺激を視覚や聴覚などの五感を通じて感じるもの(外受容感覚)と、たとえば「ああ、お腹いっぱい!しあわせ!」と感じるもの(内受容感覚)などがあります。子どもとふれあい遊びをやっていると、肌と肌を触れ合わせて、接触する遊びには、この二つが融合しているような手応えを覚えます。
木曜日の朝遊び。「ハンバーガー作ってください」と私が一番下のパンになると、ハンバーグが2枚3枚と乗っかってきて、「ダブルバーバーできました」「もぐもぐもぐ、ごちそうさま〜」とやって遊びました。子ども同士が身体的な接触を求めているのは明らかですが、ある仕掛け=遊びの環境を用意しなければ、意外とそれが生まれません。身体的接触がなくては、ヒトの脳は育たないのですが、現代の子育ては、その経験が家庭でも地域でも少なくなってきたと言われています。
親が子どもを産んでも、育てるのは村中の人たちが協力して共同保育をずっとやってきたヒトは、現代でいう保育園のような場所をずっと必要としてきたのですが、いつの間にか、共同保育の場としての大家族が喪失して核家族になり、少子化なのに虐待が増え続け、子育てが苦しいものになってしまいました。不自然な子育ての仕組みができてしまいました。ヒトの子どもが満たしたがっている欲求に丁寧に耳を傾ければ、深いところにあるエモーション(情動=大脳周辺系から生まれる感情)が聞こえてきます。
その深いところで満たしたがっている感情の強力さは、オリンピックを見ていても感じます。
約20万年前にアフリカで生まれたホモ・サピエンスが世界中に散らばって独自の進化を遂げ、亜熱帯気候に変化してきた東京に205もの国と地域が集まって、スポーツという人類が発明した非日常の競技の祭典「オリンピック」が明日で終わります。これを見ていると、どうしてヒトは力や技や美の極限や限界を競うことに、こんなに熱中できるんだろうと考えてしまいます。やるヒトも見るヒトも「競う」ことがこんなに好きな生き物は他にはいません。ここには大きな謎があります。やはりヒトは心理的に「戦う」ことを満たしたがっていて、それをスポーツという文化形式に転換して昇華しているのでしょうか?
そこで何が満たされいるのかというと、勝てば喜びや達成感という高揚感であり、負ければ悔しさや後悔や失望感を味わいます。その質は普通の生活の中では得られないものです。毎年ではなく四年に一回しかないという頻度も大事です。毎年やっていたら、希少性がありません。しかも、スポーツには一つの法則があります。どんな競技や種目も、そこには全く同じプロセスがあるのですが、それは目標を作ってそれに向かって努力して達成するというプロセスです。ルールや評価の基準があらかじめ決まっていて、その枠の中で、訓練や鍛錬を積み重ねなければ成し遂げることができないプロセスです。
競技を終えたアスリートたちが、「今どんな気持ちですか」「結果をどう受け止めていますか」と聞かれて、奥深いところから湧き上がってくるエモーションに、言葉で意味を付与していきます。物語の形式に変換しながら、喜びも悔しさも1人ではできななかったことに感謝するという概念に昇華させていくアスリートたち。ここにも共同保育で創られてきた共感力、他者の気持ちを想像できるメンタライジングの力を感じざるを得ません。
このプロセスがあるので、日常や平凡では得られない、特別なエモーション(情動)が生まれるのでしょう。それが実践者だけではなく、それを見る人までにも伝染し、マスメディアと通じて拡大され、増幅されて伝わっていきます。このような文化装置が巨大になればなるほど、その感染力を止めることは難しいでしょう。
このことは、無理と思い込まされていることも可能だと考え直すことにつながります。今日6日は「ヒロシマ」の願いを忘れない日だったのですが、人類がオリンピックという、これだけの文化装置を作り上げることができるのなら、本気でコロナと戦ったり、核兵器の所持や利用を禁止するためへ、政治のエネルギーを注ぐことぐらいできそうなものなのですが、そうした叡智を政治が発揮できないのは、どこかで私たちが「できない」と思い込まされているからかもしれません。アスリートたちの言葉を信じたり、勇気をもらえるのなら、原爆被害者の方々の戦いからも希望と勇気をもらえるはずなのです。
2021/08/06
ご飯
カレイのパン粉焼き
キャベツの炒めもの
スティックきゅうり
豚汁
オレンジ