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2021年 12月

わいわい組「ねこのおいしゃさん」

2021/12/21

この園長の日記では、クラスごとに子どもの発達の意味をお伝えしていますが、今年は、その発達とは「何かとの関係の育ちなんだ」、という視点で説明させてもらっています。動画のイントロダクションでは、どのクラスも撮影に至るまでの劇遊びの様子や、お面や背景づくりなどの様子が紹介されていますが、わいわい組の動画では、画面の下に次のような説明が流れました。

・・・・・・・

バーコードリーダーのおもちゃをおでこに当てて、検温。ごっこ遊びがすきなわいわい組は、お医者さんごっこを盛んに繰り広げていました。コロナウイルス感染対策の社会、経験を遊びの中で表現していました。そんな子どもたちにとって、ニャーっと気合を入れて 何でも病気が治ってしまう ねこのお医者さんは みんなが好きで、それは劇遊びとなりました。

・・・・・・・

子どもたちの「ごっこ遊び」は、たしかに現実の「社会の縮図」でもあります。ごっこ遊びは、心に残った自分の体験を再現する遊びですから、子どもが真似をして遊ぶ対象として取り上げるものは、子どもにとって意味があります。たとえば、子どもの「ごっこ遊び」は、ままごと(飯事)から始まることが多いのですが、それは一番身近な体験になっているからです。どんな「ごっこ遊び」をするかで、子どもが体験している社会が見えてきます。家庭の中の出来事から始まって、お買い物にいったお店、お出かけした遊園地、お泊まりした親戚のお家や観光地、海や山へいった出来事など、生活圏の広がりと共に、ごっこ遊びの世界も広がっていきます。しかも、どこで心が動かされるか?ということですから、その子の興味や関心に入ってこないと、記憶には残りません。いくら綺麗な満月を望遠鏡で覗いたとしても、小さいうちは心にヒットしません。

ごっこ遊びの中で「お医者さんごっこ」は定番中の定番。お医者さんを知らない子はいません。誰もがお世話なったことがあり、「もしもし」の聴診器や体温計、注射器などは必衰アイテムですが、コロナ社会らしいのが、建物の中に入るたびに、ピッとやる非接触型の体温計でしょうか。保育園のごっこ遊びゾーンには、お店やさんごっこ用のレジ用の「バーコードリーダー」があるのですが、それが非接触型の体温計として使われている、ということになります。電話をする真似も、昔はダイヤルを回す時代がありましたが、そのうち携帯になって、今は画面をシュッと擦ったりしています。

わいわい組になると、グッと劇らしくなりますね。どうしてでしょう?何が違うのでしょうか?

一つは言葉の使われ方が大きく変わるんですね。にこにこ組(2歳)までは、「うんとこしょ、どっこいしょ」「まだまだ、かぶはぬけません」と同じセリフの繰り返し。しかも同じ節やリズムに乗って、子どもはセリフだという意識があまりありません。歌でも歌うかのような気軽な感じで繰り返しやるのが楽しそうでした。わいわいになってくると、役柄に合わせた独立した短いセリフがでできました。ただの「ごっこ遊び」が「劇遊び」と異なるのは、この台本のある決まったセリフになる、というあたり。間違ったセリフやタイミングに対して「違う」という意識を、子どもたちは共有しています。

なので、お医者さんが「次の人、どうぞ」と言って、動物の患者さんが登場する前に「どうしましたか」というと、「まだいないでしょ」という声があがるのでした。役はお医者さんとその奥さん、そして患者さんという3つ。象の患者さんは「鼻水が止まりません」、キリンの患者さんは「首が痛いです」、クマの患者さんは「眠れないんです」、うさぎの患者さんは「咳がとまりません」・・それぞれに「・・・♪ ニャーと気合を入れたなら、誰でも良くなる、すぐに良くなる、お大事に〜」をみんなで歌って、お薬がわりの果物をあげます。劇の中では、すいすい組(5歳児クラス)がコーラス隊でお手伝いをしてくれました。最後は、奥さんから元気な赤ちゃんが産まれて、みんな大喜びです。

子どもたちは色々な役をやりたくて、数人の子は途中で役割を交代しています。ごっこ遊びですから、それも自然なことですね。

最後はみんな一緒に、「ジャンボリーミッキー」でダンスです。

動画の説明によると<・・・なかなかディズニーへ行けないという気持ちに寄り添い、保育園でディズニーへ行っている雰囲気を味わおうと 画面に映し出してミッキーと踊ったりと、楽しんできた一つです。> こうやってコロナ社会を子どもたちは想像力で乗り越えてきたのですね。

にこにこ組「おおきなかぶ」

2021/12/20

にこにこ組(2歳児クラス)の動画のイントロダクションは、みごとな「関係の発達」のポイントが表れたものになっています。どういうことでしょうか? よく読んでみましょう・・・

会話がとても上手になり、友だちとの関わりも深まり、さらに笑顔が増えたように感じる今日この頃。

にこにこさんらしい「集団」での姿が多く見られるようになり、成長を感じる日々です。

みんなで声を揃える絵本が大好きで、「おおきなかぶ」以外にも、「おおかみと7ひきのこやぎ」や「3びきのこぶた」のおはなしも普段の遊びの中で盛り上がっていました。

・・・にこにこさんらしい「集団」での姿が、今回のお楽しみ会で伝わるといいのですが、それは一言でいうと「一緒に何かすることが楽しい」という姿になります。会話が上手くなるというのは、自分の思いや考えを言葉で表現し、また相手のいうことを聞こうとする姿が増えたと言うことです。これは相互に理解し合うことから生まれることが「楽しい」という関係に育ってきた、ということになります。そこが楽しいという笑顔も増えるのでしょうね。

一緒に何かすることが楽しいという姿は、役ぎめの時にもみられます。

配役ぎめの会議中・・・先生の声を拾ってみると・・・「おばあさんやりたいひと?」「まごがいいひと?」「犬がやりたいひといる?」「 Mちゃん、ねずみ」「きりんやりたい?」「〇〇ちゃん、何がいい?ん? わんわん? じゃあ、〇〇ちゃんはわんわんね」「・・じゃあ、わんわん2匹にしようか」「Uちゃん、ねずみだって」「ティラノザウルスがいい?!、よ〜し、ティラノザウルスね」・・と、こんな具合。楽しそうですね。

自分が何になりたいのかを、はっきりと言葉で伝えています。言葉による意思疎通が達者になるにつれて、自分の思いや気持ちを受け止めてもらうことができて、情緒は安定していくのですね。言葉で自分の気持ちや考えに道筋ができて、それまで、モヤモヤとした葛藤を抱え込んでいたものが、沈殿して意識は透明度を増していく、そんな感じがしますね。

こういう風に、満2歳から満3歳ごろに起きる子どもたちの特性を、昔のアメリカ由来の児童心理学は、「第一次反抗期」だとか「いやいや期」だとか、大人目線のもっともらしい表現で括ってみたのですが、これにはたくさんの異論が出ていて、「関係の発達」の視点から見直してみたら、子どもを取り巻く人的環境によっては、そんな特性がない国や地域もあることがわかっています。

なので、せめて日本でも、私は大人目線ではなく、子ども目線から<はがもの時代><主語時代>と呼びたいと思います。

誰もが「〇〇ちゃんは」「〇〇ちゃんが」「〇〇ちゃんも」「〇〇ちゃんの」と「は」「が」「も」「の」で主張するからです。小学生の高学年になると、日本語の文法を学びますが、その時、主語には、この「はがものや」がつくことを教わります。この助詞がついていたら、その単語や語群が文の主語です。つまり、主語とは英語でサブジェクト、別の日本語訳では主体です。子どもの主体性が、この助詞の活用とともに育っていく時期なのです。どの子どもも、精神世界の主人公(主体)に自分がなっていくのです。

とうわけで、役を決めたり、お面を作ったり、これはまさしく「自分が主役です!宣言」なのです。ぐんぐん組やにこにこ組の子どもたちは、劇遊びという架空でありながら、実はリアルな「自分の人生」という物語の主人公、ヒーローやヒロインとしてデビューするのです。

もう一つ、ここで注目してほしいのは、この時期の「関係の発達」で見逃せないのものでもあるのですが、自由に使える「身体の育ち」も著しいので(例えば、絵を描いたり、排泄が自立したり、走って移動ができたり・・・)、自分の意志で随意筋を動かして、ものや道具を使いこなすことが上手になっていることがわかりますよね。自分でできる身体的な世界も広がるのです。

それは「みんなで小道具づくり」の場面で、よくわかります。動画では「お面づくり」や「かぶ」を作る場面が紹介されていますね。紙をくしゃくしゃにまるめて・・この嬉しそうな笑顔ったら・・たまりませんね。自分の嬉しいという感情を人に伝えているカメラ目線も、いい顔ですね。

そして、かぶを作っていくとき「どうやっていくのかな?」「それがどうなるんだろう?」と、ものづくりに興味津々の眼差しで、先生のやっていることを、じ〜っと見つめていますよね。手先を器用に使えるようになって、身体的自由が以前よりも、ずいぶんと成長しているので、「もの」との関わり方に厚みや広がりが出てきているのです。かぶを抜く、と言う動作。ロープを持って引っ張るという動作。こういうことは、ぐんぐんさんではまだちょっと、むぞかしそう、ですよね。

そう考えると、「おおかみと7人のこやぎ」とか、「さんびきのこぶた」も、家やら籠やら粉やら、色々な道具が出てきて、それをうまく使いこなすことで、何かを得たり、守ったり、闘ったり、だましたり、成し遂げたりしていきます。心と身体の成長が「ものを作って使う」と言う、人間らしい営みに参加し始めていることも見えてきます。フランスの『創造的進化』で有名な生の哲学者ベルグソンは、こうした人間のことを「ホモ・ファーベル」(ものを使う人)といったのでした。

ものを使いながら、人生の主人公になっていくにこにこさん。生活の広がりの中に、育てたり、お願いしたり、力を合わせたり、強くなったりして、自分と世界の関係が広がっていくのです。これが、にこにこさんの「おおきなかぶ」の関係論的な意味です。さあ、人生の主人公としてデビューする姿をどうぞご覧ください。

「うんとこしょ〜どっこいしょ〜♪」だいすきなうたと共に、にこにこさんらしい笑顔溢れる「おおきなかぶ」どうぞ!おたのしみに!

ぐんぐん組「めざましや〜」

2021/12/19

 

7人の子どもたちが、ずらりと自分の椅子に座っています。そして何かが始まることを、この子たちは予想しています。そして先生との「会話」がしっかり成立しています。このように言葉による意味のやりとりから、動画は始まります。

先生「ぐんぐんさん、そろった?」子ども「うん」先生「♪もう いい かい?」子ども「♪もう いい よ〜」

そして「ぐんぐんさん、今日はお歌うたってみようかな、いっぱい。何のお歌がいいですか?」子ども「かえる」「アンパンマン」「かえるのうた〜」という、何人もの声によるリクエスト。この歌がいいよう〜と、先生に駆け寄ってきてアピールする子もいますね。

ここで注目してほしいのは、かえるやアンパンマンをすでに演じ始めている子がいるのです。地面に四つ這いになったり、ぴょんぴょん飛び跳ねています。言葉で、イメージが喚起されて、頭の中には、これまでその歌を歌ってきた時に、きっとカエルやアンパンマンになりきって遊んできたことを、その子が教えてくれます。歌をうたうことも、音楽に合わせて、つもり遊びをすることも、踊ることも、子どもは別に区別しながら遊んでいるわけではないことがわかりますね。

リズムに合わせて、手や膝をたたき、歌っています。とっても上手です。音程もあっているので、すごいですね。もし、近い将来(SF映画でよくあるように)子どもの頭の中に思い描いている風景を三次元スクリーンか何かに投影できるようになったら、アンパンマンを歌いながら、7人がそれぞれ何を想像しているか、みてみたいものです。

音楽の持つ力は大きく、体に染み込んでいる曲が、ある瞬間に体を動かします。たとえば、アンパンマンの最後、「君は優しい、ヒーローさあ〜」ジャン、ジャンに合わせて「あ〜ん、パンチ」風に右手を突き上げる子がいます。ちゃんとタイミングがあっていますね。歌い終わると「イエェ〜イ、イエェ〜イ」と飛び跳ねて楽しそう!何かをやり遂げたような雰囲気で歌い終わるというのは、現代的な感覚かもしれません。

2曲目は「かえるのうた」ですが、みんなが席に並ぶ前から、待ちきれなくて歌い始める子どもたち。あら、もう始まったちゃった、そんなに好きなのね〜と、先生は微笑ましく受け止めて「ちょっと待ってね」としないで、そのまま気持ちよく1番を歌い終わらせてあげています。それが、バラバラじゃなくて、揃っているからまたすごいですよね。動画のイントロダクションで、散歩中もバギーの中で「はらぺこあおむし」を合唱している場面が出てきますが、結構難しいメロディなのですが、しっかり頭の中で音楽が聞こえていることがよくわかります。

でも、ここでもう一つ注目してあげてほしいのは、このフライングをフライングだと気づいていて、“本当はまだ始まっていないんだけどな”と歌わないで待っている女子が3人いるんです。その子たちがどんな気持ちでいたのかわかりませんが、この子たちの普段の生活から想像するに、たぶん「まあ、いいか、うたわせてあげよう」と思っていたんじゃないかと思えます。これもすごい「関係の発達」です。なぜなら、「じゃあ、いくよ、もうい一回、本番ね」と歌い始めると、さっき歌わずに待っていた子たちも、前奏から手をたたきながら、しっかり歌うからです。

このフライング場面、目立たないから、気付きにくいのですが、子どもの中には、お互いの性格や意図を理解しあっている関係が育っていて、子どもが友達を見守っているのです。そのモデルは、きっと先生の見守る姿からでしょう。子どもの育ちは、大人がやってあげる関係から始まって、自分でできるところは自分でやる、という関係になり、お友達にやってあげる関係になり、そしてお友達にやらせてあげる関係に発展していきます。この4つの「やって」が、やってもらう→自分でやる→やってあげる→やらせてあげる、というように発展していくのです。

先生が「じゃあ、もう一個だけ、歌っちゃおうかなあ」というと、また「アンパンマン、アンパンマン」と声が挙がります。先生が「アンパンマン、いま歌ったから、もういっこ、違うのない?」というと、その状況を見定めているかのように、じっと考えてくれたのでしょう、Fちゃんが「じゃあ」とばかりにかけ寄ってきて先生に「スズムシ」と伝えます。「Fちゃんがね、虫の声だって、みんな、覚えてる?」。そうして、みんなで楽しく歌います。もちろん、その歌い方、楽しみ方はさまざまですけどね。(微笑)

このように、もう一度アンパンマンを歌ってもいいのですが、そうではなく「むしのこえ」という別の歌が選ばれました。ここに「行事」という性格が現れています。どの子にとっても「よりよいと思われるもの」へ、先生によって導かれます。つまり、この歌ならいつも楽しく歌ってきたから誰もが楽しく歌えるだろう、という判断です。「集団の中で個が生かされる」ような歌が支持されていることになります。

そして、毎朝、歌っている朝の歌になります。やっと朝の会の始まりです。名前を呼ぶとみんな楽しそうに返事をします。このとき、子どもたちは度々、席を立って先生のところに立ち寄ります。なぜだと思いますか? 自分に名前があり、それを呼ばれると返事をするということも、考えれてみれば不思議なことです。よくそんなことができるようになりますね。それはきっとこうです。「名前を呼ばれて返事をする」というやりとりは、先生と子どもが心を通わせているからこそ、それをイキイキとした表情で楽しそうにやるのでしょう。

つまり、これは単に出席をとっているのではありません。そうなんです、「は〜い」と手をあげて返事するということと、立って先生のところへ駆け寄ってしまうことと、どちらも先生と心を通わせていることが楽しいからでしょう。その実感が溢れ出して、先生に伝えたいという気持ちが子どもにあるからでしょう。ここにも、子どもと先生の間にある「親密な関係」が、形を変えて現れています。座って「は〜い」をする子、立ち上がってきてタッチをしにくる子。私にはどの子も、同じ親密な感情の発露が形を変えて現れているように見えます。

お行儀よくできることに目を奪われて、それを優先させようとしてはいけません。気持ちのキャッチボールが心地よいという関係になっている方が、心の成長にはいいに決まっているからです。さて、絵本とダンスのことを説明する余裕がなくなってしまいましたが、最後のお仕舞いにする場面では、「もいっかい(やりたい)」という声が聞こえてきました。楽しかったんでしょうね。

ちっち組の「ぴよピヨ家族」

2021/12/18

お楽しみ会の動画、ご覧になられたでしょうか。初日の再生回数はちっち77回、ぐんぐん61回、にこにこ62回、わいわい47回、らんらん58回、すいすい35回、わいらんすい合奏・合奏53回でした。多くの方にご覧いただけたようで、嬉しいです。みまさんの反応がどうだったのかわかりませんが、楽しくみていただけたのなら嬉しいです。

園生活というのは、いうまでもなく「集団」の世界です。家庭の生活とは大きく異なります。園生活には、いろいろな人がいるということは、一人の子どもにとって、複数の人と人の関係があるということになります。家庭ならパパ、ママ、きょうだい、祖父母・・3人から多くて5、6人でしょう。子どもとつなぐ線をひけば1本、2本・・6本、という線の数になります。

ところが保育園では、その数が乳児でも20〜30本、幼児では60本を超えることになります。知っている人がそれくらいはいます。まずこのことを想像してみてください。毎日、常時ではないにしても、人的環境でこれだけの人たちとの関わりが生じているのです。さらに、家庭にはない空間やもの、室内に限らず外遊びもあるので、その体験たるや、家庭の代わりに保育園があるというものでは、全くありません。家庭で保育ができないから、その代わりに預ける、というイメージでいると、子どもの体験の違いを見損なってしまうかもしれません。

このイメージを持ってもらった上で、お楽しみ会の出し物の10数分間をご覧になると、そこに見出される「人との関係の線」がいかに複雑に絡み合っているか、考えてみてください。例えばちっち組の「ぴよピヨ家族」。

そのイントロダクションは「いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい食べて、いっぱい眠って いっぱい遊び、いろいろな経験をしながら毎日を全力で過ごしてきました。子どもたちのかわいらしく、一人ひとりが異なる表現で楽しむ姿をぜひご覧ください」です。本当に「いっぱい」の生活経験が詰まっていて、それが10分の動画の中に溢れていました。

冒頭の1分だけでも、それまでの生活の積み重ねが見えてきます。たまごの殻から6人のかわいい「ひよこさんたちが生まれましたよ〜」という先生の声が聞こえると、歩ける子は頭に被ったお面の殻を先生の持っているカゴに入れにやってきます。それをみて、僕も・・というように椅子に座っっている子も、頭の殻を外そうとする様子を見せてくれます。子どもたちは、先生の声、お友達の様子、目の前に広がる空間、そうした人や空間との間の中を、いきいきと生きています。

毎日歌っている、聴き慣れている朝の歌も、先生の歌に合わせて体を揺すり、手拍子を取りながら、頭や体を前にペコリと倒してのご挨拶も楽しそう。「じゃあ、名前、呼んでもいい?Kちゃん」というと「うん」と返事して「は〜い」。こんな言葉のやりとりが楽しくて、椅子から立ち上がって、トココトと飛び出してくる子どもたち。子どもは心と体が未分化なまま、世界を自分のものにしているとみることもできる場面ですね。

さらに、お友達のその応答の様子を、我が事のようにみながら、一緒に手をあげたり、拍手をしたりして、先生とのご返事のやり取りを共有することが楽しい、という姿が見られます。いかに普段から仲がいいか、自他未分化の子どもらしい特性も、子ども同士のつながりの心地よさも、こんなところからも感じることができます。お友達の名前が呼ばれるたびに、そこに視線を寄せるて、本人がどう反応するのかも、しっかり見ています。返事しないように見えても、それに先生が「◯◯くん、いたね」と返しているやり取りを、じっと見つめている子もいて、こんな観察によって、先生と◯◯くんの関係のありようを学んでいるようです。このような関係の複雑な重なり合いの中で、自分をつくっていくのですね。

この子たちが好きな絵本は、また関係を楽しむテーマのものです。だるまさんが、いちごさんとあいさつの「ぺこっ」としたり、バナナさんとのお尻を合わせて「ぽにん」としたり、めろんさんと抱き合って「ぎゅっ」としたり、そして縦に重なり合って窮屈な状態から「ぱっ」と解放されて、「やったー」と嬉しくなります。絵本の世界でありながら、自分がやっているかのように一体化しています。「ぎゅっ」というところは、自分でも腕を組んでぎゅっとしていますね。

「お休みはゼロ人です」という数の概念も体験しています。こんな複数の「関係の束」を拾い出していくと、これはもう書ききれませんが、こんな瞬間の連続の中で、子どもたちが刻々と意味ある体験を積み重ねていることがわかります。個人の育ちというものが、いろいろな関係の中で育まれていて、その関係そのものが変わっていくことが集団の育ちにもなっていくことを、次回はぐんぐん以降と比べてみたいと思います。

劇遊びから見える「関係の発達」

2021/12/17

 

いよいよ明日18日(土)に、お楽しみ会の動画の配信が始まります。すでにお配りしたプログラムのあいさつで、次のように書かせてもらいました。

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この「お楽しみ会」という行事は、子どもたちが生活の中で感じている、楽しさや面白さを、皆さんと一緒に楽しもう!という趣旨で始まりました。ですから、生活発表会でも、お遊戯会でもなく、あくまでも「お楽しみ会」なのです。

さて、今年の「おたのしみかい」は、感染症対策のためにネット配信(オンデマンド方式)でお届けすることになりました。同じ空間を共にできないので、この「皆さんと一緒に」楽しめないのが残念なのですが、それでも普段楽しんでいる子どもの遊びや生活の雰囲気が、動画でも伝わるといいなあ、と願っています。

遊びにはいろんなものがありますが、お友達と一緒にやる「ごっこ遊び」や「劇遊び」には、一人だけでは味わえない格別の楽しさがあります。ちっち・ぐんぐんはお集まりでのやり取りや絵本・歌・踊りといった姿を、にこにこ以上は、劇遊びを取り上げました。

完成された作品というものではありません。あくまでも、普段の生活と遊びのドキュメンタリーとしてご覧ください。どの子も登場するように、できるだけお休みのない日に収録しましたが、その子の状況によっては写っていないこともありますので、ご了承ください。  (園長)

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というわけで、このお楽しみ会の動画を通じて、普段の生活と遊びの実態を、ぜひ想像してみてください。そして、ぜひ全部の動画をご覧ください。子ども一人ひとりの育ちと同時に、集団の育ちというものが見えてきます。その集団の育ちというのは、実は「関係の育ち」なのです。

お楽しみ会の楽しそうな人間関係が問うもの

2021/12/16

個人の発達から、関係の発達に焦点を変えてみると、面白いことが見えてきます。お楽しみ会の動画ができて、いよいよ今週末に「公開」されます。今日16日(木)は、午後から千代田区の「就学前プログラム策定検討会」の第二回が開かれたのですが、その中でも子どもの「関係の発達」について、提案してみたいと強く思いました。というのは、区内にはいろいろな就学前の施設があって、その中での育ちを保障していくためには、子どもが関わる環境について考えることが不可欠だからです。

どの子どもも「自分らしく」生きていくためには、その子にとってふさわしい環境になっていることが、どうしても必要です。区内にいろいろな施設があるのですが、策定委員会は、保育の内容に関して、保育や小学校との連携、特別な援助、子育て支援、自己評価など幅広く議論することになりました。多様は施設は、どの子どもも「自分らしく」生活していくために、準備されるべきなのですが、施設の多くは保護者のニーズに応えてできたものであり、子どものための環境になっているかどうかは、改めて精査していく必要がありそうです。

昨日15日には、同じく千代田区教育委員会が主催した研修会があって、園医の星野恭子先生(瀬川記念小児神経学クリニック)が、小中学校のいじめ問題に関して話をされました。発達神経症の特性は、いじめられやすかったり、いじめと取られてしまったりする傾向があります。その特性からくる問題を参加した学校関係者に投げかけました。私はここでも「関係の発達」問題があると思いました。その子どもの特性ではなくて、人間関係の権力関係からもいじめは発生するからです。

その子どもが生きやすくなる環境というのは、人と人の関係が安定するような関係でもあります。その関係を変えないで、発見を早くとか、させない、されない意識を育てるとか、子ども虐待の対策が児童相談所の発見能力に課題があるかのように議論がずれているのと同じように、どうしていじめや、虐待や、不登校が起きるのか、発生の構造を解き明かさない対策がいかに多いことか。人間の問題はほとんどが関係=人的環境のあり方でもあるのに、です。

劇遊びが面白いのは、一人ではできない遊びだからです。しかもやってみたら、面白くて「また、やってみたい!」という感想が飛びててくるようなものになっています。ここでみられる子どもたちが楽しく過ごしている人間関係の質と、いじめが起きてしまうような人間関係の質と、ぜひ比較してもらいたいものです。ここに「関係の発達」という問題があるのです。

1歳児クラスの子が主体としてお互いを尊重し合う関係の発達

2021/12/15

昨日の話の続きです。「関係発達」のことを、お楽しみ会の動画から説明しようと思ったのですが、子どもの自律というのが個人の力に閉じたものではなく、お友達との心の通い合いの中で成し遂げていく様子を、ぐんぐんのブログが見事に伝えています。このエピソードは、いろんな意味で画期的です。たぶん、ほとんどの保育園ではみられない関係発達の姿です。私の「園長の日記」は、他園の園長先生や大学の研究者など、いろんな保育関係者の方や、保育園を選ぶ際に参考にしようとして読んでいる保護者の方など、たくさんの読者の方がいるので、個人名を伏せて、以下にそのまま、掲載します。

〜12月15日のぐんぐん組のブログ〜

先日、砂場でこんな場面がありました。
帰る時間になって、片付けをしていたのですが…まだ遊びたいRちゃんは、砂場のへりに腰掛けて、砂場道具を抱えています。

 

Rちゃんは、遊びに向かう力や遊びへの集中力があるだけに、もっともっと遊びたかったのですね。「遊び=学び」というくらいですから、とっても大切な力です。

(でも・・・お昼の時間も近づいているし、ほかのお友だちはバギーに乗り込み始めているし、そろそろ帰りたいなぁ…という大人の気持ちも…。)

そんなRちゃんの様子を、LちゃんとFちゃんが、気にかけにきてくれたようです。

すると、Fちゃんが、砂場道具入れの袋の口をあけて、Rちゃんに「Rちゃんここ(に入れるん)だよー」と教えてあげます。


でも、Rちゃんはまだ砂場にいたいみたい…。その様子を察したFちゃんは、こんなことを言います。「じゃあ、できたら入れてねー。」そして、横に立って待っています。
このひとこと、この姿が、すごいなぁと思うのです。
無理矢理入れさせようとするのではなく、”いま作っているものが終わったら、ここに片付けてね”ということですね。
相手の気持ちを推測って、その子がやりたくなるまでちゃんと待ってあげる…こんなことが、2歳の頃からできるんだなぁと感動です。

そんなFちゃんの思いやりも響いたのか、そのあとRちゃんは片付けをする気になったようで、Fちゃんが持ってくれている袋に自ら砂場道具をしまっていました。

Rちゃんも、納得した様子で「入れてきた」と言いながら、砂場から出ると、二人でバギーへかけ戻っていきました。

とっても寒い一日でしたが、ふたりの心の通ったやりとりにあったまるのでした。

そして、今日は、こんな場面が。
散歩前、Aちゃんが ちっち組のKちゃんに靴下を履かせてあげています。


半分くらいまでやってあげたところで、「これで自分でできる〜?」と立ち上がるAちゃん。


Kちゃんも、Aちゃんを見上げて「うん〜」と返事をします。
この場面も、すごいですね。
全部やってあげるのでなくて、(このくらいからなら、自分でできるかな?)と考えて、身を引く。ちゃんと相手の力を見極めて、できるところは自分でやらせてあげようとしているみたいです。子ども同士の『見守る保育』です。

「お手伝い」は、自分のやりたい気持ちだけでは成り立ちません。相手が何を求めているのか見極めて、必要なときに手を貸す・・・その本質を、こんな小さなぐんぐんさんが体現しています。

 

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いかがでしょうか。こんな発達の姿は、個人の中に閉じた状態で獲得されていくような能力(例えば、優しさとして捉えたりする個人の特性)というよりも「お友達との関係のなかで発現される姿」だと言いたくなるのです。人は自分自身を生きるために、「信頼を寄せる相手に見守られている」つまり「そっと、支えてもらっている眼差しに包まれている関係性」を相互に作り出しているように見えます。

たしかに、個人が成長してもいるのですが、それが姿を表すのは、姿を現すような「関係」が育っていないと生まれない、と言ってもいいでしょう。成長とはその環境のありようとセットなのです。これが関係の発達という見方です。

 

「関係の発達」とは何か?

2021/12/14

私が初めて園長になった時、平成19年度(2007年度)のことですが、毎月の「園だより」で、保護者向けのちょっと長い連載を始めました。その時に詳しく説明したのが、この「関係の発達」と言う概念です。ちょっと耳慣れない言葉かもしれません。

私たちは保育を通して、一人ひとりの子どもの育ちを支えているのですが、その育ちというのは、「個人の中に閉じたもの」ではなくて、「外の世界に開かれたもの」であって、世界との関わり方、つまり「世界や人との関係の作り方そのものが発達になっていく」という考え方です。

この発達の見方は、ちょっと慣れないと難しいかもしれませんが、実は発達はこの関係の質の変化の中で、起きているのです。そんな見方を、お楽しみ会の動画で伝えることができたらいいな、と思い立ちました。というのは、今日、動画編集された完成版がほとんどできたからです。

それぞちっちからぐんぐん、にこにこ、わいわい、らんらん、すいすいと順番に見ていくと、関係性の育ちがよく見えてきます。とても面白いので、ぜひ保護者の皆さんも、全ての動画をご覧になってください。

昨年から、コロナの影響で行事のあり方が大きく変わってきたのですが、子どもの姿を動画に収めることになったことから、とても面白い気づきが生まれるようになりました。

録画ということをしなければ、一回きりの本番を、これほど丁寧に振り返り、その子どもたちの遊びの中に見えてくるものを、省察によって分析的に可視化することはできなかったかもしれません。その見えてくるものを、先生たちと一緒に振り返り、保育の質を考える機会になりますし、より大事な普段の生活のあり方の改善にもつながります。

昨年のお楽しみ会では、劇の物語について説明しましたが、今年は「関係の発達」という視点から説明していきたいと思います。

樋口区長へ3項目を提言

2021/12/13

今日は入園見学で3組の親子を2回に分けて案内しました。そのお母さんは1歳の自分の子どもが、初めて会った私に普通に抱っこされたり、園児に興味を持って自分から探検を始めたりする姿に驚いていました。こんなとき、私は「子どもは、子どものいる環境を求めている」ということを、実感するのですが、また同時にこうも思います。3歳まで親子で過ごすことの方がいいという常識は、人類の歴史から見ても、江戸時代までの子育てを見ても、まったくの誤りだと言うことです。このことは、多くの子育て家庭に早く気づいてもらいたいと、思い返すのです。

今月は樋口区長と意見交換をする機会があります。区長へはすでに3つのことを提案してあります。以下に、その内容を紹介します。

 

◆区長への提言◆

私は新聞記者だったのですが、今は保育園の園長をしています。平成20年告示の時の保育所保育指針は解説書を書きました。マスコミ時代と24年に及ぶ保育現場での保育の経験をもとに、就学前の非認知的スキルの育成、児童虐待の解決、学校のいじめ対策について、以下に3つの具体的な提案をします。

<提案3項目>

これらの課題を解決するためには、子ども同士のかかわりが豊かな保育園に対して、新たな時代にふさわしいアロペアレンティングな社会的役割を位置付け直す必要があると感じます。

(1)全ての千代田区民に対して、子どもが生まれたら、認可保育園に全入できるようにします。遅くとも6ヶ月から9ヶ月ごろまでに、育児休業を取得していても、赤ちゃんが集団生活の機会を得ることができるようにします。長時間保育は不要です。午前中だけ2時間ほど、子ども同士の関わり体験ができるようにします。いわば、これは3歳からの1号認定を、0歳にまで広げるという、新しい教育制度です。

(2)保育園をこれからの時代の社会的親として位置付け直します。人間は本来、核家族では育ちません。持って生まれた脳に相応しくない社会環境(人との関わり、身体的な感触遊びの減少、睡眠時間を含む生活リズムの乱れなど)が、親の子育てを苦しめ、虐待が増える子育て環境を助長しています。

(3)学年別の学習や生活が子どもの集団の権力関係を固定化し、いじめを発生させてしまう心理的なメカニズムを助長しています。異年齢の学びを入学前にも就学後にも大胆に取り入れて、個別最適な学びと協同的な学びを充実させるべきでしょう。

この制度改革によって、子どもの学力の基礎となる力の芽生え、特に創造性、コミュニケーション能力、協力する力、実行機能などの非認知的な力が育ちます。また減少する気配を見せない児童虐待の問題に対して、構造的な予防策に繋がります。さらに中教審答申後に動き始めている学校教育改革の中で、依然として未解決なままになっている「いじめ」の問題に、子どもの社会を育てることによる解決の道を見出すことができるはずです。

<背景>

ノーベル経済学賞を受賞したヘックマンの提言以降、教育・保育界は、VUCAの時代に向けて、自制心やレジリエンシーなどの非認知的能力を育てることが課題になっています。しかし具体的にどうしたら、それが育まれるのかについて教育・保育の現場にまだその具体的な方法論が浸透していないように思われます。一方OECD(経済協力開発機構)などの知見では脳の発達の敏感期は多くが1歳から3歳までにあり、その中に感情コントロールなど、脳の実行機能に大きな影響を与えるものが含まれていることがわかっています。

オンライン・コーヒータイム3回終了!さて次回は・・

2021/12/11

10月から再開した月1回のZOOMによる「オンライン・コーヒータイム」ですが、今日の3回目が終わりました。このコーヒータイムは、もともと平日の夕方に私がコーヒーや紅茶を用意して、2階のダイニングのところで開いていた茶話会なのですが、コロナで集まれなくなって、中止していたものをオンラインで再開したものです。オンラインだから休日の方がいいかな?と土曜日の午前中にしてみたのですが、都合の合わない方が多そうなので、開催方法や曜日、時間帯を見直したいと思います。またコロナが落ち着いたら対面に戻します。

3回のオンライン・コーヒータイムには、毎回ゲストをお呼びしました。10月16日(土)は、鬼ごっこ協会の羽崎貴雄さん。当園の鬼ごっこの浸透に協力してくださっています。11月27日(土)は睡眠インストラクターの永持伸子さん。毎月、オンラインの睡眠講座の講師を担当してもらっています。そして今回12月11日(土)は、コンテンポラリー・ダンサーの青木尚哉さん。昨年、今年の「親子運動遊びの会」で、ご存じだと思います。

この3人の方は、当園にとって、毎日の生活の質を高めるための協力者です。一言で言うなら、子どもにとっての「早寝早起き朝ごはん」を作り出すことにあります。これは、極めて重要なもので、子育てで何がうまくいかないと感じたら、まず、ここへのアプローチをやってほしいのです。

生活リズムは毎朝同じ時刻に起き、朝日などの光を浴び、タンパク質の入っている朝ごはんを食べ、午前中に散歩など外に出かけて光を浴び、活発に体を動かします。ここまでのために、外遊びに鬼ごっこ、室内遊びにダンスという、良質な伝統と自分らしい表現など、本物の遊びと表現スキルの学びを取り入れたかったのです。その後のお昼寝は夜の睡眠の質を高めるための準備活動のようなもので、全く役割が違いますし、あくまでの大事なのは夜の睡眠時間を10時間にすることを目指します。このように夜の睡眠までの、トータルな生活リズムづくりを永持さんに手伝っていただいています。

コーヒータイムでは、もっとプライベートな思いを語っていただいたのですが、3人に共通するものがありました。それは実際に自分の子どもを育てながら、もっとこうありたい、こんな社会になったらいいな、という熱い思いがあるということです。こんなに精力的に社会に貢献しようとされているのですから、その秘めた思いに触れると大いに励まされます。

今回の青木さんの話で面白かったのは、30年以上過ごした舞台上のダンスから降りて、街の中でのダンスに踏み出している経緯でした。その意味を探しているプロジェクトが今進行している「ダンスのある風景」です。興味のある方は、青木さんのファイスブックなどをご覧ください。

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