この園長の日記では、クラスごとに子どもの発達の意味をお伝えしていますが、今年は、その発達とは「何かとの関係の育ちなんだ」、という視点で説明させてもらっています。動画のイントロダクションでは、どのクラスも撮影に至るまでの劇遊びの様子や、お面や背景づくりなどの様子が紹介されていますが、わいわい組の動画では、画面の下に次のような説明が流れました。
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バーコードリーダーのおもちゃをおでこに当てて、検温。ごっこ遊びがすきなわいわい組は、お医者さんごっこを盛んに繰り広げていました。コロナウイルス感染対策の社会、経験を遊びの中で表現していました。そんな子どもたちにとって、ニャーっと気合を入れて 何でも病気が治ってしまう ねこのお医者さんは みんなが好きで、それは劇遊びとなりました。
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子どもたちの「ごっこ遊び」は、たしかに現実の「社会の縮図」でもあります。ごっこ遊びは、心に残った自分の体験を再現する遊びですから、子どもが真似をして遊ぶ対象として取り上げるものは、子どもにとって意味があります。たとえば、子どもの「ごっこ遊び」は、ままごと(飯事)から始まることが多いのですが、それは一番身近な体験になっているからです。どんな「ごっこ遊び」をするかで、子どもが体験している社会が見えてきます。家庭の中の出来事から始まって、お買い物にいったお店、お出かけした遊園地、お泊まりした親戚のお家や観光地、海や山へいった出来事など、生活圏の広がりと共に、ごっこ遊びの世界も広がっていきます。しかも、どこで心が動かされるか?ということですから、その子の興味や関心に入ってこないと、記憶には残りません。いくら綺麗な満月を望遠鏡で覗いたとしても、小さいうちは心にヒットしません。
ごっこ遊びの中で「お医者さんごっこ」は定番中の定番。お医者さんを知らない子はいません。誰もがお世話なったことがあり、「もしもし」の聴診器や体温計、注射器などは必衰アイテムですが、コロナ社会らしいのが、建物の中に入るたびに、ピッとやる非接触型の体温計でしょうか。保育園のごっこ遊びゾーンには、お店やさんごっこ用のレジ用の「バーコードリーダー」があるのですが、それが非接触型の体温計として使われている、ということになります。電話をする真似も、昔はダイヤルを回す時代がありましたが、そのうち携帯になって、今は画面をシュッと擦ったりしています。
わいわい組になると、グッと劇らしくなりますね。どうしてでしょう?何が違うのでしょうか?
一つは言葉の使われ方が大きく変わるんですね。にこにこ組(2歳)までは、「うんとこしょ、どっこいしょ」「まだまだ、かぶはぬけません」と同じセリフの繰り返し。しかも同じ節やリズムに乗って、子どもはセリフだという意識があまりありません。歌でも歌うかのような気軽な感じで繰り返しやるのが楽しそうでした。わいわいになってくると、役柄に合わせた独立した短いセリフがでできました。ただの「ごっこ遊び」が「劇遊び」と異なるのは、この台本のある決まったセリフになる、というあたり。間違ったセリフやタイミングに対して「違う」という意識を、子どもたちは共有しています。
なので、お医者さんが「次の人、どうぞ」と言って、動物の患者さんが登場する前に「どうしましたか」というと、「まだいないでしょ」という声があがるのでした。役はお医者さんとその奥さん、そして患者さんという3つ。象の患者さんは「鼻水が止まりません」、キリンの患者さんは「首が痛いです」、クマの患者さんは「眠れないんです」、うさぎの患者さんは「咳がとまりません」・・それぞれに「・・・♪ ニャーと気合を入れたなら、誰でも良くなる、すぐに良くなる、お大事に〜」をみんなで歌って、お薬がわりの果物をあげます。劇の中では、すいすい組(5歳児クラス)がコーラス隊でお手伝いをしてくれました。最後は、奥さんから元気な赤ちゃんが産まれて、みんな大喜びです。
子どもたちは色々な役をやりたくて、数人の子は途中で役割を交代しています。ごっこ遊びですから、それも自然なことですね。
最後はみんな一緒に、「ジャンボリーミッキー」でダンスです。
動画の説明によると<・・・なかなかディズニーへ行けないという気持ちに寄り添い、保育園でディズニーへ行っている雰囲気を味わおうと 画面に映し出してミッキーと踊ったりと、楽しんできた一つです。> こうやってコロナ社会を子どもたちは想像力で乗り越えてきたのですね。