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2022年 1月

1月6日 昼食

2022/01/06

ごはん

しそあげ

白菜のにびたし

なめこの味噌汁

いちご

麦茶

わらす部屋へ

2022/01/05

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します!

 

今日はわらす部屋に遊びに行きました。

すいすいさんの お手伝い保育の日だったので、すいすいさんのお兄さん・お姉さんに遊び方やルールを教えてもらったり、難しいものは手伝ってもらいながら遊びました。

前回までは、”ごっこゾーン” “絵本ゾーン” “クライミングゾーン” の3箇所で遊んでいたのですが、今日は”ゲーム・パズルゾーン” “制作ゾーン” “積み木ゾーン”の3箇所を新たに開けました。

それぞれ目を輝かせながら、夢中になって遊んでいる様子…!

「だってもうすぐわいわいさんだもん!」「わいわいさんになるから、〜」などと口にすることが増え、進級への期待や憧れが日に日に高まってきているにこにこさん。

これからが楽しみですね♪♪

 

戻ってきた素晴らしき子どもたち!

2022/01/05

2022年の保育が始まって2日。帰省していた子たちも戻ってきて、また「あの活気」が戻ってきて嬉しくなりました。子どもたちも再会が嬉しそう。そのぶん、はしゃぎ過ぎの面もありますが、家庭と保育園の両方を行き来しているのは「子どもだけ」という事実の意味を再確認したいと思いました。子どもたちは二つの環境との「往還」に、自分の色々なことをチューニングしています。家ではこう、保育園ではこう、そんな環境への適応を一生懸命工夫しているのが、子どもたちかもしれません。

でも、それがいつも、いつも、うまくいくとは限りません。年末年始と、1週間近い休みとなると、その生活にやっと慣れた頃に、また園生活が再開するというタイミングになっているかもしれません。家庭と保育園という、二つの居場所の役割交代への調整は、今週いっぱいぐらいはかかるでしょう。また、保護者の皆さんも、年末年始はとても忙しかったはずです。お祝い気分が、その疲れを隠してしまいがちですが、実は、皆さんも「とっても疲れている」はずです。普段の人間関係とは異なる触れ合いが多くなる年末年始は、この2年間、できなかった分、今年こそは、と張り切った方こそ、さらにいろんなストレスを感じているものです。

現代の家庭は、親も子どもも、心の故郷という安全基地が、今住んでいる場所ではないことが多いものです。本来、人間の子育ては核家族で行ってはいけません。危険です。一人ひとりを大切にするという「個の尊厳」を支えあうには、もっと太くてどっしりとした土台が必要なのです。昔に比べて「子どものため」に考えたり、やってあげたりすることが遥かに増えました。理想的な理念は大きく、重くなったのですが、その大きな理念を実現させるには、それを乗せる土台は核家族だけでは、支えきれません。人類は大家族が集まった村が、子育てを担い合っていたのです。この子育ての構造変化が、いろんなことを不安定化させています。

二つの居場所を行ったり来たりしている子どもたち。子どもは大人に比べて環境への適応力が高いとはいえ、この世に生を受けてまだ数年しか生きていない子どもたちです。そんなにうまく適応できるわけではありません。たった数年でこんなに成長するなんて、すごい。本当に素晴らしい子どもたちです。何年も生きてきた大人の私なのに、こんなこと絶対、真似できません。しかも大人にはお茶して愚痴をこぼしたり、宴会やお酒ではしゃいだり、カラオケ、スポーツ、趣味など、ストレス解消の手段があります。でも子どもにはありません。ふざけたり、はしゃいだり、羽目を外したりしたい気持ちがあるのは、子どもも同じだと思います。

 

年始保育が始まりました

2022/01/05

「あけましておめでとうございます」

子どもたちは昨年に比べて、はっきりと年始の挨拶が出来る滑らかさを感覚で感じるのは、昨年よりも「あけましておめでとうございます」のやり取りが身近にたくさん存在したのではないだろうか(年末年始に親族などで集まったなど)と思いめぐらせております。 まだ、お休みをしているご家庭もおりますが、4日より2022年の保育が始まりました。

 


さて、子どもたちはというと、お休みとは違う、社会生活の営みが始まった(保育園生活)けれども、自宅でゆったりと過ごしたこともあってか、友達との再会を喜びつつも、気持ちのすれ違い、敏感な反応、気持ちの起伏などが沢山見られる、そんな心情をもって一日を過ごしておりました。 

 そこで、ここ二日間の課題保育に「きもち」について考えるような関わりや時間を丁寧に持っています。 何を考えるのかというと、一つは「自分が目指したい、望ましい自分の姿」をイメージすること。です。

 

・今日は馬の水飲み場へ行きました。  ゴミが沢山あって遊ぶことができませんでした。この出来事から感じる「きもち」について、考えてみました。

 

・お友達から嫌なことを言われて傷つきました。話し合おうとしたら「おまえだって言うじゃないか」と言い返されてしまいます。「もう遊ばない」「○○とは遊びたくない」  そんなことから、きもちについて考えてみました。考えてみると「友達がいるから色々な気持ちが生まれる事に気づきました」 そこで 保「お父さんやお母さんは友達とどんなふうになって欲しいというかな」と問いかけると 「仲良く、喧嘩しないであそんでほしいっていう」とのこと。  保「なんで、お父さんお母さんが、そういうのかちょっとわかった気がするね」 と話しました。

 

・公園に到着する時間が遅くなり、どうやって過ごそうかを考える時間を持ちました。「初詣に柳森神社に行きたいグループと公園で遊びたいグループとの話し合い。」   どこで過ごすか決めるのに15分かかりました。遊べる時間は結果的に10分。。。でも、話し合いで意見がぶつかった同士で氷鬼を楽しみました。10分と短かったけれども、らんすい組の多くのお友達はすぐに気持ちが切り替えられて、食事の支度に間に合うように集まりへと気持ちを切り替えらえていました。

・わらす組ではちょっと気持ちが上手く表現できないで困っていました。そこでお手伝いを誘ってみると、進んでにこにこクラスへお手伝いに行きました。モデルにすいすい組のお手伝いをお願いすると、快く受け入れてくれました。 午前中クラスから離れていたけれども、小さな子と関わることで、気持ちが落ち着いてきたようです。 「さっきより いい」とクラスに戻ってきました。

 

「すいすい組」にモデルになってもらったり、こちらでもすいすい組に示してあげる関わりで、気づいて行動へと移す中で、「きもち」 を整理したり向き合う時間を持ちました。また、

 

子どもの姿を きもち と向き合う活動から始まった2022年。 今年度も残り100日もありませんね。

皆様と健康で安全で、安心した1日1日を過ごしていきたいと、こころより願っております。

気持ちのコントロール

2022/01/04

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
保育始めの今日、ぐんぐん組はお休みのお友だちも多く、少人数でののんびりスタートとなりました。

午後、りょうちゃんがわらす組から借りてきたボールを抱えていると・・・それが欲しくて欲しくてたまらないかえでくんです。

「ほしい〜ボールほしいよ〜」と、なんとかボールをゲットしようと手を伸ばすかえでくんに、りょうちゃんは「まっててー!おわったらかしてあげるー」と応えます。

「だめ」と言うだけでなくて、「終わったらかしてあげる」まで伝えてくれるのが、素敵ですね。もちろんいつもいつもそれが言える訳ではないけれど、それでも、自分からその言葉が出てくるのがすごいなぁと思います。

いつもしばらくすると貸してくれるりょうちゃんなので、『待ってたら貸してくれるって、ちょっと待っててあげたら?』とかえでくんに伝えつつ、その後のふたりの様子を見ていました。

その後、かえでくんはりょうちゃんに色々話しかけながら、まだかなぁまだかなぁと、そのときを待っているようす…。



「わらすさんから借りてきたのー?」
「オレンジ(色)みたいだけど〜。なんでボール持ってきたんだよー」
「これ、わらすさんから借りてきたんだよねー!」
「こーゆーボール取ってきたんだよー」



それとなく話題を振りつつ、チラッとボールに目をやったり、ちょっとだけ触ってみたり。



(ボールほしい!けどまだかなぁ…)


(触りたい!けどもうちょっと…)



・・・かえでくんの健気な葛藤がひしひしと伝わってきます…!
こんなに触ってみたくてたまらないものが目の前にあるので、無理矢理取ってしまうことだって、できてしまいます。(そうしてケンカになるのも、ちぐん組の日常ではよくあることです。)
でも、自分の欲求や思いだけをぶつけていくのでなく、一生懸命、相手の様子を伺いながらやりとりしようとしているんだなぁと感じられたのでした。触ってはみるけれど、決して無理に取ろうとはしないのです。

最後は、そうたくんが見ていた絵本のところへ。

ボールを待っている間、別の物へと気を向けて、自分で気を紛らわせているようにも見えました。


かえでくんなりに自分の気持ちを一生懸命にコントロールして、相手のタイミングを待っていたのですね。
この『気持ちのコントロール』は、なかなか簡単なことではないと思います。

ぐんぐん組の年間目標のひとつには、(自分の気持ちに気付き、)相手の気持ちにも気付いていく というのがありますが、そこでは自分と相手との思いのギャップにぶつかることも多いでしょう。

そんなときに、どうしたら良いか考えながら相手と気持ちをすり合わせていくこと(=コミュニケーション)が必要になります。その中では 少なからず、思い通りにならない葛藤やイライラ、挫折、我慢、忍耐…を体験するでしょう。そこで大切なのが、「感情のコントロール」だと思います。

イライラやモヤモヤ…色んな感情に直面したときに、どうやって気持ちをおさめたり、落ち着かせたり、気を紛らわせたりしていくか。そんな体験を、時には大人の力も借りながら、自分なりに経験して学びとっているようです。これは、大人が教えてできるようになることではありません。子どもたち自身の実体験からしか、学び得ることができない力ではないでしょうか。

そう思うと、ぐんぐんさんのうちから、すごいことをしていますよね。。(この時期だからこそ大切なのでもありますが…) コミュニケーションの力の芽生えだと思います。


その後、最後にはりょうちゃんがボールを貸してくれて、嬉しそうに壁に投げて遊んでいたかえでくんでした!我慢強く待っていた甲斐があって、良かったですね…!


玩具の貸し借り… ふたりの絶妙な距離感と葛藤の姿に、またすこし成長を感じた場面でした。

正しいことをやって経済成長になるかどうかは別の話

2022/01/04

ジェンダー平等で何年も世界一を続けているアイスランドの女性の首相が、先ほどNHKの「クローズアップ現代」のインタビューでこんなことを言っていました。以下は私の要約です。

「正しいことをしていくことが大事です。その結果が経済成長になるならそれは結構。経済成長のために何かやるべきではない。私がやったのは、男女の間で給料に差があるのはおかしいと法律にしたこと。職を失った人たちのために、大学で教育を受けるチャンスを広げたことです。その結果、若い人たちから生まれたアイデアや技術革新で、新しいビジネスも生まれました」。

そう、この感覚が大事なんだろうと、素直に思います。ものを大事に長く使えば、消費が減ります。そうすれば経済成長の数字は減ります。市場メカニズムに乗らないものや労働はたくさんあります。子育てもそうです。家事もそう。教育も本来そうでした。しかし、今はなんでも「外注」できるので、つまりなんでもお金を払えば手に入るような錯覚に陥っているだけです。

この感覚に慣れてしまうと、大切な自己表現や話し合いや民主主義の営みも、雑誌や新聞やSNSなどの市場メカニズムに組み込まれた媒体でなければ、その意味内容を伝え合うことにならないと、思い込んでしまう社会がきてしまうかもしれません。なんて恐ろしいことでしょう。井戸端会議や、集会を開いたり、政府に文句を言ったり、政治家に会いに行ったり、行政にやってほしことを署名活動したり、そうした自然発生的に直接意見を述べたり、広げたりすることも、市場を挟まないとできなくなるとしたら、それは民主主義の危機に通じます。

インターネットやSNSを否定するつもりはありません。このホームページも、その恩恵を被っています。でも、なんでも「いくらになるか」で価値判断することに慣れてしまうと、本来はそれで「食べていけるはずのない自己表現」でさえも、「フォロア数」やら「いいね数」やらの、市場に絡め取られていることに気づかなくなるかもしれません。また「売れる」「作品」にするのが無理だと考えて、自己表現すら、自分からやらなくなってしまいます。

私たちは詩人、芸術家、アーティストなど、自分のことを自分で名づけることが自由にできるのですが、それが職業として「食べていけること」と同一視したり、前提条件にしてしまいます。また、そうでないと本物と思わない市場社会になってしまいました。それは一面の真実でしかありません。

何かになりたい、という思いは、「それで食べていけるか」が、まず試金石になっていることの不思議さを、もう一度、問い直してみましょう。売れる作品を編み出さないと芸術家、音楽家、作家とは言えない。もし、そう考えるなら、市場経済が成立していなかった昔、洞窟壁画を描いた人や、法隆寺を建てた人、仏像を彫った無名の人たちは、どうなるのでしょうか。わたしたちよりも、ずっとすごい技術とセンスを持っていたのです。でも、別に高値で売ったり買ったりしていたのではありません。

スポーツ選手のプロとアマの違いに、スポーツの本質的な違いはありません。その人にとって正しいことや好きなことをした結果、それが結果的に市場で価値が出た、ということです。本人がやって楽しいスポーツから、見てもらってなんぼのスポーツが幅をきかせすぎると、子どもの夢の持ち方が歪んでしまいます。稼ぐことができるスポーツが、かっこいい、になっていくでしょう。人気のあるもの、多くの人がいいと思うものにならないと、成功とは言わない、という誤ったキャリア(進路)観を育ててしまいます。

日本はアメリカ、中国に次いで世界第三位のGDP大国です。だから、なんなのでしょう。経済成長をしているからと言って、それが個人や社会の何かの豊かさを表しているとは限らないのは、当たり前だったはずです。この認識をまず、しっかりと大人がもつべきです。そうでなければ、子どもの持ついろんな良さを、今の市場価値で値踏みしてしまう恐れがあるからです。

1月4日 昼食

2022/01/04

ご飯

さけの西京焼き

ほうれん草のすまし汁

ブロッコリーのサラダ

麦茶

バナナ

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