2022年の保育が始まって2日。帰省していた子たちも戻ってきて、また「あの活気」が戻ってきて嬉しくなりました。子どもたちも再会が嬉しそう。そのぶん、はしゃぎ過ぎの面もありますが、家庭と保育園の両方を行き来しているのは「子どもだけ」という事実の意味を再確認したいと思いました。子どもたちは二つの環境との「往還」に、自分の色々なことをチューニングしています。家ではこう、保育園ではこう、そんな環境への適応を一生懸命工夫しているのが、子どもたちかもしれません。
でも、それがいつも、いつも、うまくいくとは限りません。年末年始と、1週間近い休みとなると、その生活にやっと慣れた頃に、また園生活が再開するというタイミングになっているかもしれません。家庭と保育園という、二つの居場所の役割交代への調整は、今週いっぱいぐらいはかかるでしょう。また、保護者の皆さんも、年末年始はとても忙しかったはずです。お祝い気分が、その疲れを隠してしまいがちですが、実は、皆さんも「とっても疲れている」はずです。普段の人間関係とは異なる触れ合いが多くなる年末年始は、この2年間、できなかった分、今年こそは、と張り切った方こそ、さらにいろんなストレスを感じているものです。
現代の家庭は、親も子どもも、心の故郷という安全基地が、今住んでいる場所ではないことが多いものです。本来、人間の子育ては核家族で行ってはいけません。危険です。一人ひとりを大切にするという「個の尊厳」を支えあうには、もっと太くてどっしりとした土台が必要なのです。昔に比べて「子どものため」に考えたり、やってあげたりすることが遥かに増えました。理想的な理念は大きく、重くなったのですが、その大きな理念を実現させるには、それを乗せる土台は核家族だけでは、支えきれません。人類は大家族が集まった村が、子育てを担い合っていたのです。この子育ての構造変化が、いろんなことを不安定化させています。
二つの居場所を行ったり来たりしている子どもたち。子どもは大人に比べて環境への適応力が高いとはいえ、この世に生を受けてまだ数年しか生きていない子どもたちです。そんなにうまく適応できるわけではありません。たった数年でこんなに成長するなんて、すごい。本当に素晴らしい子どもたちです。何年も生きてきた大人の私なのに、こんなこと絶対、真似できません。しかも大人にはお茶して愚痴をこぼしたり、宴会やお酒ではしゃいだり、カラオケ、スポーツ、趣味など、ストレス解消の手段があります。でも子どもにはありません。ふざけたり、はしゃいだり、羽目を外したりしたい気持ちがあるのは、子どもも同じだと思います。