レーズンマドレーヌ
麦茶
2022/01/18
レーズンマドレーヌ
麦茶
2022/01/18
ごはん
さけの西京焼き
ほうれん草のすまし汁
ブロッコリーのサラダ
麦茶
バナナ
2022/01/17
今日は千代田区の仕事で中野区の保育園を午前中、見学させていただきました。子どもが自分のやりたいことに熱中して遊んでいました。こんな子どもの姿を見ると、嬉しくなります。とてもいい保育をしていました。
いい保育というのは、現在の子どもの姿はもちろん、子どもが作った制作物や、取り組んでいる具体的な活動の記録、子どもが過ごしている環境によって見えてきます。粘土で作った恐竜、箱とマグネットで作ったリモコン、綿を紡いで作って糸で編んだもの、段ボールにジグザグの穴を開けた迷路、遠足で拾ってきたゴミの写真の一覧・・これらのものを見るだけで、どんな生活を目指しているのかが、見えてきます。
私たちが保育の質を考えるとき、子どもが関わって経験する環境の質を考えるのですが、活動の「あと」に残るものが、その活動の質を示唆しています。これらは、確かに「何かをやった結果」あるいは「何かができた結果」としての展示ではあるのですが、その展示物から、子どもの活動が見えてきて、子どもは「きっとこんな経験をしているのだろう」と、想像することができます。活動の過程で、きっとこんなことを感じたり、試したり、考えたりしたのだろうと想像することができて、それが見学者にも伝わってきました。
もう一つ、展示物や活動記録から見えてくるのは、どれひとつとして、同じものがなく一斉に同じ活動をさせていない、という事実です。またこれらの活動の起点が子どもの興味や関心から始まっていることがわかります。大人が定めた活動ではなく、子どもが起源になっている活動なので、始めてみて、どこに向かっていくのかわからない部分が結構あって、その未知の活動へ向かっていくことに対して、子どもと先生が、それを面白がっているのです。この活動の始まり方と進め方に、子どもの経験の質を表しています。自分が拓いていきたいと考える世界の中へ、自ら意欲的に分入っていくような活動です。自分の世界を切り拓いていくような、未知の世界の中で、何かを創造していくようなプロセスです。
子どもが楽しく過ごしているので、見学者に寄ってくる子どもは一人もいませんでした。遊びに夢中になっているからです。このような姿は、千代田せいがの子どもたちと似ています。遊びや活動に夢中になるような、保育者の支え方には、ある種の知識と技術が必要です。
それは子どもの興味や関心から始まる活動を、面白く展開させていく力なのですが、それは子どもと話し合いながら、じゃあ、こうしてみようか、という活動の編集力のような力です。
このような要素も、環境研究の中に位置付けていく必要性を感じました。
2022/01/17
フルーチェ
ベジタブルせんべい
2022/01/16
朝のちっち組での遊びが続いて、Bブロックを部屋に一箱用意しました。にこにこ組の時に親しんだ遊びです。
クラスに置いて3日くらいたった日に集団で遊び始める子どもたち。長くつないで乗り物に見立てていました。会話が広がり、次から次へと話し合われ、食事前にブロックゾーンへと片付けるときには、トンネルを作るわいわいさん。(運動遊びの会での経験) 子どもトンネルに上手く通そうとするらんすい組。 間違いなく、前よりも遊び方、関わり方、使い方、見せ方が前と全く違う。違いには一人一人の成長と変化がそこにありました。
2022/01/16
ごはん
小松菜のまよあえ
生姜焼き
わかめの味噌汁
いちご
麦茶
2022/01/15
保育という仕事の面白さと難しさは、目に見えないものに関わっているからですが、それは見えないからと言って、存在しないわけではなくて、しっかりとあります。例えば、人の心を思い浮かべてもらえばいいでしょうか。心は見えませんが、存在します。それと同じように、保育は物ではないので、見えませんが、人の営みとして、文化の中に存在します。したがって、そこには望ましい考えや方法というものがあります。
私たちは、その文化的実践としての保育をよりよくしていくために、いろんな工夫をしています。その工夫の一つは、保育実践に質の違いがあると想定して、その質がどんな要素で成り立つのかを分析します。その要素の成り立ち方を明らかにして、また全体と部分の関係を明らかにして、質を高める方法を編み出すようにします。
実は、いまだに保育の質には、その定義がありません。見えない営みである保育の質が、いまだに定義されていないのです。しかし、保育を成立させている要素はあります。子どもと親や保育者の大人がいて、必ずわたしたちを取り巻く環境があります。したがって、保育はその3つの要素、子ども・保育者・環境の相互作用からなる文化的実践である、ということができます。
さて、では保育の質はなんでしょうか。子どもの質でしょうか。保育者の質でしょうか。環境の質でしょうか。
保育は3つの要素の「相互作用」ですから、3つ別々の質を高めるのではなく、子どもと環境の関係、子どもと保育者の関係、保育者と環境の関係を考えることが、どうしても必要になります。教育には、次の図のような3角形があります。子どもは教材や体験を通して学習をします。その学習がうまくいくように、先生は児童・生徒のために学習指導をするのですが、その決め手は教材開発や教材研究、授業方法の研鑽になります。
同じように、私たち保育者も、三つの関係からなる三角形があります。これは、誰も言わないので、私はこれを「保育の三角形」と名づけています。子どもと環境の関係は、生活と遊びになります。保育者と子どもの関係は援助だったり遊び相手だったり見守ったりする関係になります。そして保育者と環境との関係は、環境研究になります。子どもが環境とどう関わっているのか、その関係を分析したり、デザインしたり、読み取ったりして、どんな環境を用意したらいいのかを考えます。この最後の営み「環境研究」で大切なことは、先生同士の打ち合わせや研究や研鑽、そして計画づくりと振り返りです。
15日(土)は、職員全員が集まって保育の質を高めるために研修会を開きました。まず午前中に藤森統括園長にきてもらい「保育の基本」についておさらいをしてました。保育の質は定義されていなくても、保育の目的は明確にあります。それは子どもの発達をきちんと保障することです。保育は、もちろん子どものためにあるのであって、保育者のためでも環境のためでもありません。したがって、保育の質は、子どもが環境に関わって経験している質を高めることある、と言えます。そのために、私たち保育者は、どんな環境を用意すれば、子どもがそれに関わって経験する質が変わるのかを、見極めていく力量が問われることになります。
その力量を身につけるためには、環境のあり方について、望ましい指針が必要です。私たちの法人が創り上げたものが「見守る保育10か条」です。その一つひとつを確認し、さらにその理解に基づく実践事例を確認しました。子どもは時間の経過とともに変化します。しかし経験する内容によって、よく育ったりしなかったりします。例えば優れた遊びや生活がある環境と、例えば何もない空っぽの空間で何もしないで過ごすことでは、子どもの発達に大きな差が生じます。私たちは、子どもの姿を見るとき、どんな経験でどのように変化したのかを見極める力が求められます。
ちょうど、今日のわらすのブログで、Bブロック遊びの様子を見て、過去の遊びの姿との変化への気づきが書かれています。ブロック遊びの中に、過去の体験で記憶に残っている表象が再現されていることがわかります。体験があるからこそ、その効果が遊びの姿の中に現れ、体を使ってトンネルになったり(健康)、子ども同士の関係にも(人間関係)、ものとの関わりにも(環境)、言葉でのやり取りも(言葉)、表現される姿も(表現)、変わっていることを見てとることができるのです。
また子どもの体験は、先生たちによって生じるように計画されていくわけですが、午後からは来年度の保育方針を話し合いました。例えばバス遠足を計画しなければ、木場公園での遊びが生まれないわけですが、私たち職員だけでは生じさせることができない子どもの体験があります。鬼ごっこの遊びをもっと楽しくなるように工夫したり、バリエーションを増やすために、その専門家からアドバイスをもらいます。そこで鬼ごっこ協会の羽崎さんにも、参加してもらいました。またもっとダンスを楽しむために青木さんとは、ダンスと学びの関係を語り合いました。また睡眠の質を高めるために永持さんにも参加してもらい、SDG’Sの食育を作り出すために、レストランを経営している鳥海さんとも今後のプランで合意しました。
職員が保育についての学びを深めるということは、子どもの経験の質を高めること、経験の幅を広げることに結びつくようにします。子どもの体験が発展したり深まったり豊かになったりするとは、一体、どんなことを言うのか。そのことを常に考えながら、保育の三角形を考えていくことになります。この三角形は保育の質が生まれる場所です。ここで目に見えないものが生まれ、動き、成長しているのです。見えないものを捉えるという保育は、面白くもあり、難しくもあるのですが、それを積み重ねがら、見ているものは、子どもたちの笑顔です。保護者の皆さんと、子どもの育ちを一緒に喜び合いたいと思います。
15日は充実した研修日になりました。ご協力いただき、ありがとうございました。
2022/01/14
こんなことが自分の身のおこるとは、思ってもみませんでした。いえ、自分も身ではなく、子どもたちにもですが、楽しみしていたバス遠足のバスが、来ませんでした。時間になっても来ないので、千代田区へ電話すると・・・え!まさか!という事態に私たちは驚き、ちょっとだけプンプンして、それでもすぐに気持ちを切り替えることにしました。子どもたちは楽しみしていたので、本当に申し訳ない気持ちになりましたが、ここで怒っていたところで、時間がもったいない。バス遠足よりも楽しい、公園遊びにしよう!と和泉公園へ出かけたのでした。
私はこれまで25年にわたって保育園の仕事をしてきましたが、また毎年、何らかの形でバスを利用してきましたが、今回のような当日ドタキャンは初めてです。どうして、こんなことになったのかは、区役所とバス会社に連絡して真相がわかったのですが、要するに情報の行き違いだったと言えるかもしれないものでした。今回のバス遠足は、コロナ感染症が急拡大していくことも見込んで、千代田区が依頼した観光バスだったのですが、予期せぬ結果になってしまいました。楽しみにされてたみなさんに、深くお詫び申し上げます。
こういうピンチをチャンスに変えるには、まず大事なのは気持ちの切り替え。先生たちは、すぐに「バス遠足よりも、楽しい公園遊びにしよう!」という前向きな気持ちで、子どもたちを公園へ導いていきます。その後の展開はブログを見ていただくとして、確かに、こんなハプニングが起きるのもまた生活というもの。期待外れ、約束破棄、思うようにいかない事態への向かい合い方、こういうことを乗り越える体験も、確かに大事。初めての体験!としての心構えを学ぼう!そんな展開になっていったのでした。・・・(痩せ我慢も人生の一部ですね。)
2022/01/14
今日は、北の丸公園へのバス遠足を予定しておりましたが、事務手続きの関係で急遽中止となりました。 子どもたちからは、残念がる声もありましたが和泉公園へ予定を変更して遊びに行きました。
さて、今日は予想だにしていない事態と遭遇したのですが、とてもいい経験をしたと思うのです。
残念がる子ども達とこんな話をしました。
子「せんせい、なんでいけないんだよぉ~」 トボトボ
保「そうだよね。行きたかったよね。でもさ、これって不思議な事ではないんだよ。電車とかバスが来ない事があるのって知っている?」
子「え?なにそれ?」
保「いやね。先生は毎日電車に乗っているけど、たまに、「来る」と思っていた電車が遅れてきたり、遅延っていうんだけど、もっとすごいときは電車も来ない事があるんだよ。」
子「あっ。している。この前栃木行った時に21分に来ると思ったら36分に来た」
子「知っているよ」
子「そんなときどうするの?」
保「しょうがないから、歩いたり、違う電車を使ったりして帰るんだよね。」
保「だからね。今日のように来ないってこともあるんだよね。でも、みんなはそんなに体験しないのは、周りにいる仕事している大人の人や、もちろんお父さん、お母さんが社会で一生懸命働いているから、みんなが体験することが、あまりないようになっているのかもしれないね」
~帰ってきて食事の前に今の話を紹介して最後に、「いけなくて、残念だったけども、どうだった?」とにわらす組の子どもたちに問いかけると「楽しかった」と手を上げていました。
今日は良い経験になりました。
バスに乗って自然豊かで、いつもいけない広い公園で、面白い体験はできませんでした。
しかし、日常の当たり前にある事柄は、当たり前ではない事を感じる機会になりました。
そして希望通りにかなわなくても、豊かな生活は気持ちや体験を変化させ自ら作り上げようとすることで乗り越えていける力を一人一人が育んでいると感じるそんな一日でした。
2022/01/14
ご飯
とりの香味焼き
和風サラダ
ほうれん草のすましじる
いちご
麦茶