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2022年 12月

脳の感情コントロールの曲線をどう解釈するか

2022/12/21

昨日20日は、藤森先生を交えた会議(ギビングツリー)が午後からあったのですが、その中で乳幼児期のヒューマンコンタクトが大切なことを踏まえた保育や子育て支援のあり方について、認識を深めました。現行の保育所保育指針の改訂の際に出された資料の一つです。これらのエビデンスから乳児保育が一つの章に独立したものになることへ、影響を与えたと伝わっています。

いくつかある曲線のうち、感情コントロール(下の写真のピンク色の線)が、かなり早くに立ち上がるのは、親子などの親密なパーソナルな関係から、やや距離のある大家族の親族関係(さらに離れた村人との関係などもか?)への拡大が想像されるのですが、可能性としては、人類の子育ては6か月ぐらいから離乳が始まって、親だけが母乳による栄養を与えるのではなく、そのほかの協力を得ながら子育てをしてきた、つまり共同保育をしてきたことと関係するのでは、ないでしょか。

人見知りもその頃とかさなり、言葉の獲得過程でも母語の認識の上で大切な時期であり、いわゆる9か月革命の頃までの保育を、家庭だけで過ごさせていいのか、という、まさに今の保育問題の核心にいきなり迫る問題だと、私は思います。育児休業の延長によって、単純に母子関係だけのヒューマンコンタクトを続けていいものなのかどうか? もう少し、多様な人間関係があったに違いない伝統的社会の子育てから、現代の乳幼児保育のあり方を見直したほうがいいのではないか、そんな問題意識を、藤森先生は持っています。

ジャレド・ダイヤモンドは人類の伝統的社会の子育ては、ペアレンティング(親による子育て)ではなく、アロ・ペアレンティング(親だけが子育てをしなかった)だったと述べていますが、そうだとしたら、700万年から考えていいのかそれとも20万年からかはわかりませんが、脳の機能がそのように出来上がっていることは、そうした社会の反映なのだろうと想像します。保育園が人間のデファクトスタンダードとしての脳のあり方にあった環境を用意したり、社会へもモデルを提案していけるような保育を作り上げたいものです。現代版の伝統的社会の子育てです。

たぶん、そのためには地域の子育て支援と入園している家庭の保育を、くっきりと線引きしてしまうような仕組みではなく、地域全体が伝統的社会のような保育機能を取り戻すことが望まれていくのかもしれません。学校が地域に開かれていく機能と調和するようなアプローチを構想していくなら、小学校の就学前の機能はこども園にするべきなのでしょう。地域の子育て支援と0歳の乳児保育が幼児教育につながりながら、小学校以降の生活と学びにつながっていくような形を作りたいと、イメージしてしまいます。

このような仕組みは、中国・上海やシンガポールなどがいち早く着手し始めました。藤森メソッドを急速に取り入れ始めているのです。

御徒町公園から、竹町公園への進化

2022/12/21

「マスクは、リュックにしまえたかな・・・」「忘れ物はないかな」「どうだったかな」と気になるけども、そこは保護者と一緒に寛容に受け止めて、失敗もチャレンジ、自己管理の経験の最中と理解して見守っていただければと思います。

この、あたたかい信頼の環境が様々な挑戦をやりやすくしてくれます。

 



〇御徒町公園へ
今日(21日)は、わらす組で日比谷線に乗って御徒町公園へ行きました。千代田せいが保育園としては、わいわい組が電車に乗って移動するのは初めての活動でした。 公園が初めての子のために園内をぐるっとまわって安全確認。その後は、それぞれの場所に別れて自由に遊びました。鬼ごっこや、固定遊具などそこでの楽しみの感想はぜひ聞いてみてください。

〇選択での活動
この活動は、選択の活動です。お家の考えと子どもの考えもどちらが正しいではなくてどれも大事な意見ですので、その中で決定していきます。今日は登園したわらす組は全員が電車での活動を選んでいました。

〇進化の提案
御徒町公園の近くに、竹町公園という公園があります。「ばなな公園」という子どもからの特別な名称があります。 遊びの中で、すいすい組の喜多村君から「竹町公園にいきたい」という提案がでました。また、あまねさんからは、「この公園は、私には簡単すぎちゃって・・・」とこんな意見も。30分くらいでしょうか御徒町公園で過ごした後、子どもからのこれらの提案を受けて、ここでも選択をしました。「御徒町公園と竹町公園に別れての選択です」4人での引率で2:2に大人を分けて活動を広げる事にしました。
「進化・進化・進化」とすいすい組を筆頭に行きたいグループと残るグループとに分かれて竹町公園へ行きました。

〇竹町公園
竹町公園では、写真のような、ばなな滑り台とローラー滑り台がありました。さらに、「はやぶさ、こまち、かがやき」のスプリング遊具も子どもたちを魅了していました。

こうなると、次に出てくるのが不思議と「おにぎり持ってくればよかったぁ」の言葉。なんとも面白いです。さて、おにぎりか・・・お父さん、お母さん、大丈夫でしょうか・・・(快く受け止めている顔を想像しております)

 

優劣・競争・協同について、ふたたび。

2022/12/20

自分で書いた昨日のコーディネートの話を読み返して、なんだか大事な、もっとわかりすい話を書き忘れたことに気づきました。子どもによって得意なことをお友達の中で分かち合ったり、共感しあったりすることもありますが、いろんな遊びや活動の中で、〜名人として登録したり、認定証を発行したり、お手伝い保育で「小さい子どもの気持ちに気づいたか?」を自己評価してシールを貼ったり、そんな可視化と共有ということをよくやっています。こういうことも、調整の一つでしょう。

こうした活動は、本人の良いところを認めて自信を育て、掲示したりしてあげることで自分を誇らしく感じたり、あるいは他のお友だちの良さに気づいたり、友だち同士の会話やかかわりを増やすことにつながります。また年齢の開きが小さい関係から大きな関係まで、幅広い関係の中での生活になっていると、憧れを持ったり、みられることで背伸びをしたり、そこに競争心や粘り強さが引き出されたりすることもあります。

このような子ども同士の関係がどうして望ましいと言えるのか?という問いに対して、そういう経験のある集団とない集団のその後の比較をするという方法はとても難しいだろうと予想がつきます(いえ、私の不勉強で、実は結構あるのかもしれませんが)。ところが、多分こうした比較研究を待つまでもなく、こんな活動に意味がある、と思える根拠は、正統的な人間社会の縮図をそこにみとることができるからではないでしょうか。例えば、ある縮図は「優劣・競争・協同」とい線でスケッチできるというわけです。

何かが優れ、何かが劣る。その優劣を競い、また協力する。個人も家庭も学校も企業も、文化活動も経済活動も学術活動も、趣味やスポーツも、私たちの生活には、何かの規範やルールのもとに「競う」という営みがたくさんあります。国家間でも平和を築いたり戦争になったりする現実があって、そこには優劣をめぐる競争と協同が作用し続けているという事実を確認できます。

その営みが生命の起源から現在までの進化の過程にも見られ、文化や文明の中でも、そうした特徴が見られるわけですから、園生活での上記のような活動が、子どもたちの経験の正統性が、そこにあると言えるのではないかと思ったりします。長い間、そうした社会の中で人間は生きたきたのだということが、説得力を持ちうるように思えるからです。よく保育環境を考える時に、本物と出合うようにとか、世界を構成する要素の代わりに、といわれたりすることと近いと感じます。

さらに、個々の子どもにとってはどうなのか、とさらに分け入っていくと、無藤先生によると、進化心理学や社会心理学の中で「集団間、集団内の個人間(細かくは社会的な位置と個人間)、パーソナルな親密関係、個人、というあり方として区別できるでしょう。この区別は進化心理学・社会心理学で整理され、実証的に明らかだと言える」そうです。

そうだとすると、保育園の幼児たちが繰り広げている「優劣」をめぐる競争や協同という特徴がみられる活動や遊びは、集団と集団の間にも、その集団の中の個人と個人の間にも、とても仲のいい友達の間にも、さらにそれを超えた同僚的仲間関係の中にもあって、そうした関係を体験していくことが大切だろうと見当がつく、ということになりそうです。

そして、大事なことは「あることの優劣がすべてではなく,他の優劣もあり,また優劣と関係ない活動も多いことが分かることです。幼児に聞けば、誰が運動が得意か,誰が頭がいいか,誰がイケメンまた可愛いかすぐに答えます。それを超えて個人の価値のかけがえのなさと,協同で成し遂げられる凄さを実感して分かるようにすることが幼児教育というものです」ということでした。<個人の価値のかけがえのなさ><協同で成し遂げられる凄さの実感>。

こんなに意味の詰まった保育の言説は、芸術的であり、それを私は散文に書き換え、エピソードを加えて映像化していくことで理解に至るという作業を楽しんでいるのでした。

2歳児クラス募集します(入園申込を検討されている方へ) 

2022/12/20

千代田区の認可保育園の、令和5年4月入園のための、申し込みの締め切りは12月23日(金)です。

区のホームページには、以下のように11月現在の時点での募集人数(予想)が出ています。

それによると、2歳児クラスは募集が「0」ですが、

実際には2歳児クラス「2〜3」人募集する見込みです。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kosodate/hoikuen/enjiboshu/nyuen/index.html

「優劣と競争と協力」の中の保育者の調整力

2022/12/19

 

今日19日は、都内のある保育園に第三者評価に出かけました。そこの園長先生と話していて、保育者のストレスや子どもの葛藤場面に対する職員の心構え、あるいは保育者の力量といったテーマに関して話を伺いました。

コーディネートという言葉は、一般に調整するという意味で使われることが多いと思いますが、保育や教育の場面では、具体的には、どういうことになるのでしょうか。一人ひとりを大切にすると、なおさら、この調整する力が色々求められるような気がします。そんなことを考えてたい時に、一昨日のFacebookで無藤隆先生から、こんな表現をしていただきました。ハッとすることがいろいろありました。ぜひ紹介したいと思います。私なりにこんなことを考えました。

「・・・いや、優劣と競争と協力はどんな社会にもあり,社会を構成するファクターです。それを幼児は現に経験し,児童期には明確に経験します。それがなかったら,子どもにはつまらないでしょう。

ただし,幼児の優劣感覚は自己中心的なので,正確さからは程遠いので,それがよいのでしょう。ともあれそういうファクターを健全に作用させるのが大人の役割で,それらがないのがよいとか、我が組織(園や学校)にないとするのは単に保育者や教師の幻想です。

大事なことは,あることの優劣がすべてではなく,他の優劣もあり,また優劣と関係ない活動も多いことが分かることです。幼児に聞けば、誰が運動が得意か,誰が頭がいいか,誰がイケメンまた可愛いかすぐに答えます。

それを超えて個人の価値のかけがえのなさと,協同で成し遂げられる凄さを実感して分かるようにすることが幼児教育というものです。それがあれば競争や優劣も楽しくなります。毎日、そういう遊びをしているではないですか。」

一つ焦点となるのは「そういうファクターを健全に作用させる」とは、具体的にどうすることなのかということでしょう。教える、モデルを示す、話をよく聞いてあげる、橋渡しをする、ヒントを与える、子ども同士の関係に誘う、褒める、驚く、うなづく・・まあ、いろいろあります、きりながないほどありそうです。そこにコーディネーションという役割で。その役割は実にたくさんあります。大人は、ここのありようをもっと語り合うべきなのだと私は思います。

もう一つ、そうか、と思い当たったことは、どんな社会にだって「優劣と競争と協力」というものがあって、他の要素もあるわけですが、それらの中での子どもたちも自己の相対的なボジションを理解していくことになっていく。そういう面からの資質・能力の創発的プロセスに注目した方がいいということでしょう。だからこそ、私はいろんな子どもたちがその中にいた方がいいと考えます。国籍、人種、性別、年齢・・さまざまな人々が立場を超えて協働していく社会が未来だと予想されているからです。

子どもたちは、その中で、体験しながら、自分と他者の関わりを自分のものにしていくのでしょう。エイジェンシーを当事者意識のことと理解していいのなら、幼児にもそれを大事にしてあげて、その環境を用意して、そこでの体験の作用のありようをしっかり見つめていくことが大事なのでしょう。協同性の中の自立心のかたち、そこを見つめるキーワードとしても「優劣・競争・協力」ということを心に留めておこうと思ったのです。

こういうこととも関係しそうです。例えば、若い方々が精神的に弱くなったという話をよく聞くようになってだいぶ経ちます。若い方々向けのセラピーやカウンセリングをされている専門家の方にも話を聞くこともありますが、幼児教育の協同的体験が、つまり幼児期や児童期のそうした仲間関係の経験が、その後にどのように影響を与えているのかという研究がまだまだ足りないそうです。社会情動的スキルや非認知能力のことを考えてみても、保育園時代の仲間関係の大切さを捉え直す意味でも、これまでに分かっている知見から得る示唆は大きいのだろうと想像しています。

 

12月19日 昼食

2022/12/19

さつまいもごはん

小松菜の味噌汁

さばの生姜煮

大根とハムのサラダ

大人を手こずらせた私の話

2022/12/18

大人を手こずらせた私の話です。私には6学年離れた兄がいるのですが、小学校1年生ぐらいの時のことです。定期購読していた雑誌の付録にレコードがついていました。私に届いたものなので先にそのレコードを触りたかったのですが、兄がそれをとって袋から開いたのです。私はそれが悔しくて怒り、泣き叫びました。そして、大事なレコードなのに、私は割ってもみくちゃにしたのです。兄弟喧嘩の一コマに過ぎません。でも、そのことはずっと忘れずに覚えています。

この心理状態を振り返ることがあります。なんて勿体無いことをしたんだと、自分でも悔やむのですが、それよりも先に「自分でやりたかった」という気持ち。その抑えきれない衝動の強さ。これって、なんなんでしょう。そんな経験は結構あるんじゃないかと、園児たちをみていて思います。兄にしてみれば、封を開けてあげているに過ぎないのでしょうから、そこまで怒らなくても!と戸惑ったことでしょう。

兄弟姉妹のいざこざは、その場にいる大人を困らせますね。あんまり聞き分けがないと、誰だって腹立ちますよね。わんわん泣かれたら、周りの視線も気になるでしょうし。園内では気にしないでくださいね。みんな慣れてますからね。子どもの泣き声がうるさいと思われるようになったり、それで保育園が苦情施設になったりしている事例があるのですが、それもまた困ったものです。14日の日記でも触れたような大人の不適切な対応への関心が高まると、また余計に周りの視線が気にあったりして、それもまたストレスになりかねないですよね。子育てしていたら、もう!って思うことあり、ですから。

保護者の皆さんに、改めてお伝えしておきますが、子育ては親だけで担おうとなさらずに、みんなで分かち合いましょう。お互い様です。困ったら助け合いましょう。一対一の関係はしんどいから、複数対複数で行きましょう。園ならチーム保育、子育ては大家族のように。子どもも子ども同士の中に入れましょう。子ども同士の関係の中で子どもは育ちます。親子関係だけで子育てしなきゃって、思わないようにしましょうね。

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