アマランサスごはん
わかめのすまし汁
かじきの照り焼き
大根の肉味噌かけ
柿
2022/12/12
アマランサスごはん
わかめのすまし汁
かじきの照り焼き
大根の肉味噌かけ
柿
2022/12/11
私の友人から、Facebookでこんな書き込みをもらいました。
全く同感だったので、その内容をご紹介します。私が感じてきた「閉塞状況」を説明してくれています。ここからの解放が、ぜひ求められている気がしてなりません。変えるべき保育の本丸はここからです。
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日本の場合、謙虚さや控え目の裏側に、いつも周りに同調することを良きこととする慣習・文化が根強いのだと感じています。そもそも個性とは独自のものだから、他者や外部の環境と接すれば「違和感」がつきまとうはずです。
2022/12/10
<ある条件>を整えるなら「こんなに楽しくて、自分らしさを表すことができる」ということに、今日、私は感動しました。これまで「自分らしく」過ごすことを大切にしてきた積み重ねが、こういう姿となって現れるということを目の当たりにして、本当に嬉しくなりました。今日10日は、乳児(0歳から2歳児まで)のお楽しみ会でした。今年は保護者参加型でやってみたのです。
<ある条件>というのは、ストレスフリー、ということです。なんのプレッシャーもない、練習なども全くゼロで、いつものように生活して遊んでいればいいという行事です。子どもが親がそばにいて欲しければ、一緒にやります。無理に引き離すこともなく、安心した心理状態で、普段の様子を見てもらいました。
多くの方はお休みの土曜日。9時に登園してもらって、子どもたちだけでひと遊び。その間、保護者の方は2階に集まってもらって、今回のお楽しみ会の流れや趣旨を説明しました。今日、一緒に見ていただいた内容は、ひと遊びした後からの様子です。お名前を呼んで出席を取ったり、歌を歌ったり、絵本をよんでもらったり、朝のおやつも食べて、使ったエプロンやお手拭きタオルも自分で手提げバックにしまって。靴下履いて、靴を履いて、お外へ出て、親子で和泉公園までお散歩。そこで遊んで解散。ここまでを「お楽しみ会」として実施しました。
担任が◯◯ちゃーん、と名前を呼ぶと、は〜い(と声にならないばあいもありますが)と手があがり、その度に周りからおほえましい称賛の拍手。本人も嬉しそうに自分でパチパチパチ、と拍手しています。大好きな絵本を読んでもらいながら、それを自分の親にも指差して「みて」と促す子がいたりして、保護者と一緒に楽しんでいます。
実はこれまでの経験から、朝親子が別れるとぐずってしまうことがあり、再会すると泣いてしまう子が多いんじゃないと予想していたのですが、そんなことはありませんでした。0歳児と1歳児のクラスの子どもたち(満1歳〜満2歳)の子どもたちは、いたって平気で、いつの姿を見せてくれたのです。正直、驚きました。ちゃんと先に「これからお父さんやお母さんがまた来るからね」と伝えてあげると、それをちゃんと受け入れてくれています。
2歳児クラスは、1時間遅れて、2階で同じようにやりました。ここではさらに保護者の参加型を促し、絵本を読んでくださったのはお父さんやお母さん。3冊の絵本を楽しみました。3冊目の絵本「3びきのやぎとがらがらどん」を見終わったら、それをやりたい、というのでテーブルを橋に見立ててごっこあそび。お父さんやお母さんと手を繋いで橋を渡った子は、「もう一回!」といって、またやぎになります。安心できる状態にしてあげれば、意欲的になるとう、当たり前の状態を確認できて、誰もがハッピーでした。
とかく日本の行事は、見せて立派にやり遂げた、よくがんばったね、と大人が喜んでいますが、本当に子どもはみんな嬉しいんでしょうか?本当に「誰一人取り残すことのない」(文科省の「令和の日本型学校教育」で使われたフレーズ)保育なのでしょうか。私はそうは思えません。同じ内容を同じ時間に同じ場所で多くの子どもがやらされること。これは今の世界の時代感覚からすると人権侵害をうむ土壌そのものです。子どもは一人ひとり違って当たり前なのですから。
それでも、まだまだ課題はありますが、せめて出来栄えを見せる、競う行事はやめたい。やるなら選択制にする。それぞれの子どもが安心して過ごせる毎日、発揮したい自分のやり方が選べる方法、それをお互いに認め合い、助け合う関係が育つ場にしたいと思っています。次回幼児(3歳以上)のお楽しみ会は1月になります。これくらいからは、自覚的な「自己表現」といえる姿がミラるようになっていくでしょう。どうぞ、お楽しみに。
2022/12/09
園長向けの研修会で、監査と第三者評価について講義する機会が12月5日の夜、東京・高田馬場の「日本児童教育専門学校」でありました。このシリーズ講座は同専門学校と私の法人の理事長である藤森平司氏が、共同で企画開発し始めたものです。
今行われている保育士向けのキャリアアップ研修では、各分野の最新の制度改正後の概論の確認が中心になっており、国のガイドラインに突き合わせながら、代表的なテキストを調べてみると、受講スタイルは説明&参加者のディスカッションとなっている場合が多いようです。当園の受講者の報告によると、要領や指針が本来目指していることを掘り下げた説明は講師によって差があり、例えば中教審答申に至る過程で影響を与え続けている世界の動向(例えばラーニングコンパスのAARサイクルの意味とコエイジェンシーの関係、社会情動的スキルの育み方など)をはじめ、脳科学などの学際的知見、文科省や内閣府が目指している<学びのパラダイムシフト>などを学ぶことができない、という認識から試行しているものです。
それに合わせて、施設長がアップデートする機会も作ろうと、園長向けの研修も始めたのです。その日は、私の持ち時間90分のうち、監査について20分、残りの多くを第三者評価について説明しました。
監査、学校評価、第三者評価そして自己評価の関係は、それぞれ所管やねらいが異なることからくる違いを確認した上で、共通の問題点として整理したのは、次のとおりです。
一つは理念や目標の再構築過程の評価が弱いことがあります。福祉施設の第三者評価は東京都の場合、めざす理念の内容が問われることがありません。極端なことを言えば、赤ちゃんは白紙で無能という認識のままでも(実際にそう思って保育をしている保育園長がいましたから)、その発達感に基づく保育を実現させるために組織が一丸となって、大人が主体の、子どもを上手に動かす一斉保育が見事に展開されていても、いいのです。
確かに第三者評価の組織マネジメントでは、6つのカテゴリー全体を一年単位のPDCAで回すことになっている(その自己評価がカテゴリー7)のですが、理念(は目標概念ですが)の再構築は、カテゴリー1の名前が「リーダーシップと意思決定」となっているように、その見直し過程のプロセスの評価はあっても、その理念そのものも価値判断は、各法人や施設に任されているので、そこをどうするのか、という問題は第三者評価の圏外になってしまします。
もう一つ、大きな問題だと思うのは、第三者がまるで神の目のように、課題を指摘してもらえるかのように勘違いされている節があるのです。そんなものはありません。最初に評価の基準というものが示されて、その枠の中でやっているものなので、その評価の基準そのものを問い返してもいいのです。
でも、そんな発想は現場からはなかなか出てきません。唯々諾々と、あります、やってます、にしておいて、その裏付けを探しているというのが実態です。監査は法令遵守ですから、ありません、やってません、は指摘されますから、全て「◯」にしないといけませんが、第三者評価は、本来、それの上乗せ部分を評価するのが建前ですから、濃淡があってもいいのです。それがその園の強みや特徴となって、利用者の選択に資する、という考え方です。
ただ、これが最も深刻な構造問題なのですが、東京都の場合は、日本経営品質協会の顧客価値創造経営のモデルを社会福祉に持ち込んだものなので、どうしても、利用者の満足度が幅を利かせる評価構造になっているのです。端的に言って子どもの経験の質が中心にはないのです。延長保育の要望があったら速やかに対応できているか、長時間保育に対応した指導計画をもとに、その工夫をどうしているか全体の計画に位置付けいてるか・・・などが目立ちます。
このことを考えてもらうために、講義では学校教育との比較をしてもらうました。保育所は、直接契約の元で、福祉サービスとい言葉(学校教育にはサービスという言葉は出てこないと思いますが)が表しているように、そこに向けてサービス競争を促す構造はあっても、幼稚園のように教育課程、カリキュラムのマネジメントの質に向かわせる組織の動機が発動しにくいのかもしれません。
そして達成した途端に、新しい地平が見えてきます。新しい頂が覗きます。そこと現時点の差が課題です。課題は第三者から示唆を得ることもありますが、組織の「仕組み」になっていく過程で、必ず新しい目標が見えてくるものなので、その差が新しい目標になっていきます。ここでいう課題は、最近流行の議論で言うなら、最上位目標の再定義と言い換えてもいいでしょう。
私は、第三者評価にしても、保育の質の向上は、子どもの経験の質をプロセスとして捉えることから始まると思ってきました。物や空間のアフォーダンスにまで立ち返り、同時に精神や自我が社会とどういう関係になっているのかを考える時間をできるだけ確保しつつ、資質・能力が創発する環境としての保育園、学校の在り方を考えています。
そのためには、子どもがどんな体験をするのが望ましいと考えているのか。掲げている理念にそれが現れているはずです。その一つをとっても、私には理念の再構築はずっと続いてきた物でした。組織は学び続ける必要があります。第三者評価を受けることでその中身が出てくるわけではありません。それは理念実現に向けた自己評価のための参考指標なのです。望ましいと思える理念は、<私たち>で織り成していくものであって欲しいと願いながら。
2022/12/09
先日の和泉公園の帰り道。
「先生のリュック持つ!」「バギーはなちゃんが押す〜!」
ちっちさんのことが大好きな、らんらん組の「はなちゃん先生」です。
(公園の敷地内です!)
2022/12/09
コテっと寝入ったので、身体の向きを直そうと思ったら…
手をつないでスヤスヤ😌zzZ かわいいですね。
お友だちの存在を感じながら、おやすみなさい。。どんな夢をみるのかな
2022/12/09
夕方、ぐんぐんのお友だちが1冊の図鑑を囲んで、みんなでおしゃべりしていました。
ゆうかちゃん「知ってる〜?これ。見たことある」
かほちゃん「ないよ〜ないない。」
「上野動物園でみた」
「さらちゃんもー…」
「これ、れんれんが…あまねくんも見たことある〜」
・・・
みんな口々に自由に発言していますが笑、なんとも微笑ましい光景です。
言葉でのやりとりができるようになって、こうしたお友だち同士でおしゃべりしながらの時間が、楽しそうですね。
修行先生が、『放課後に雑誌を広げておしゃべりしている女子高生みたい』と言っていましたが、ほんとうにそんな感じです😂
少し前には、ちっち組のれあちゃんも混ざって、みんなで図鑑を囲んでいた日も。ぐんぐんさんたちのやさしい眼差しが印象的です。
そして、食後の時間には、川辺先生と図鑑を見ながら「これなーんだ?」クイズが盛り上がっていました。
川辺先生のネイティブな発音を、一生懸命真似っこして、「tomato(トメィトォ)」と繰り返すみんなが、なんとも健気でかわいらしかったです。(笑)
2022/12/09
最適 の反対は 最適でないです。 不適切や不向きといった、「合っていない」という事です。 自分が最適にいれるにはどうしたらいいのか と考えると、それは、それぞれが違っててよく、自分でいられる(自分らしく)という事と考えます。 そのための環境条件には必ず「選択」が必要で、私たちの保育で大事にしている環境の1つに選択が多いのもこのことからです。
2つのグループの活動を紹介します。
〇Aチーム
朝、登園すると窓掃除をしている先生がいました。すると、「先生なにしているの」と聞かれて「お掃除だよ」と伝えると、「やりたい」となりました。 そこで、ベランダで水洗いの掃除活動が始まりました。最初は、下駄箱の掃除。スポンジで磨くのですが、どんどん汚れが落ちて「たのしい」と。 途中、窓の隙間から手を室内に入れて「こっちあったかいよ」と冷たい手を温めていました。それでもやめません。 朝のお集まりの後、また続きを始めました。今度は、神田川側の窓の掃除です。 「あ~この汚れ夏に色水遊びしたよなぁ」「懐かしいなぁ」 「きれいになると気持ちいいな」と 汚れから自分の育ちを悟っているのが何とも面白いです。 3枚目の窓を掃除していると「手が冷たい」(限界・・・)「他に(水でないもの)掃除あるかな」という事になり、屋上へ掃き掃除に行きました。
屋上ではちり取り大盛7杯分の落ち葉などを集めました。 お日様が暖かくて、「きもちいいね」 「柳北公園でのご飯たのしかったな」「外でご飯食べるの良いよね」 先生「屋上の綺麗になったところでご飯食べようか」「でも、みんな来たら座われない」「時間がないし、場所がない(きれいになったスペースが狭い)」「今から食べちゃおうか」となって、調理さんに相談。 11時15分からの早めの昼食です。 ごはん中は「あのビルなんだっけ」「総武線きたぁ~」「昨日お父さん8人前のシチューつくったんだよ」「8人前ってすごいね。僕のパパは、頑張ってラーメン3人前かな」と何とも面白い会話を広げていました。
〇Bチーム
「ダンボールください。」と先週くらいから神宮司先生へお願いする子どもたち。神宮司先生も、「最近やたらとくるからなぁ~」と多めにストックしてくれています。今日はそのスイッチが開花。船作りを始めました。なぜ船になったのか、またこれは空を跳ぶんだそうです。 船の帆をどうやって立てるのか。どの部分で曲がるのか、どうやれば支えられるのか、テープを使い何度も挑戦です。1時間20分くらいでしょうか、無事に完成すると運動ゾーンの綱に登ったりと大喜び。 羽?_をパタパタ空飛ぶ飛行機の完成です!!!
〇AとBの遭遇。
Aチームが部屋に戻るとちょうどいつもの食事の準備が始まりました。 Aチームは「なにこれ」とBチームに尋ねると解説が始まります。 「遊んでいい?」(A)「いいよ」と船を使わせてくれて一緒に遊び始めました。すると、Aチームが「早くご飯行きなよ」「え?Aチームは?」「もう食べ終わったよ」「え?なんで?先生もう終わったって言っているけど」 先生「先生も食べ終えたよ」「(B)え?なんで?」となってAチームが説明。Bチーム「え。いいな今度行きたいな」と こんな風にして互いのできごとを共有していました。 そういえば、ご飯の時にAチームで「みんなで食べたい」という事から「でも、みんなが座るにはまだ汚れているよね」「食べ終えたらまた掃除しよう」と言っていました。
AとBは別々の生活をして、全く違う活動をしていました。でも、なぜ互いを意識して繋がっているのでしょうか。 そうだ、社会と同じだ。 大人もそうですね。今目の前にいる知らない人が、誰で、何をしているかはよくわからないけども、それぞれがやりたいこと、やらないといけない事、それが繋がっている社会なんだ。だから、今の生活もあるんだよな。
重要なのは、みんな違くて良いという事。でも、大事なのは自分一人でなく、一緒に体験してくれる人や、一緒に喜んでくれる仲間や、集団でいれていることにあるのではないかと思います。
この一連からの「学び」とは何でしょうか。 コミュニケーションですかね。でも、わざわざそこに当てはめる必要はないのでしょうが・・・一人一人が最適な環境にいるからこそのエピソードの1つと思い紹介させていただきました。
2022/12/09
プライベートでの体験。
トラッキング、 たこ足配線 これらの電子機器を使用するときに気を付けなければならない事です。
町会の仕事をしていると色々な相談を受けます。 昨夜、単身高齢者の自宅から「匂いがして気になる」とのこと。 相談を受けてお邪魔すると確かに匂うのです。 これが、またなんとも表現しずらい匂いで、焦げでもなく、魚でもなく、でも匂うのです。 どうやら前日の夜からとのこと。
原因を探ってもわからず、また換気したので「また匂ったら」と一旦帰宅。その後また、匂うとのことで言ってみて、色々探ると原因が分かったのです。
タイマー式のオイルヒーターのたこ足コンセントが焦げていたのです。
「あぁ、、、危なかった」
皆さんもお気を付けください。
2022/12/09
ごはん
松風焼き
ブロッコリーとにんじんおかかあえ
大根の味噌汁
バナナ