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2023年 6月

大人は子どものトラブルをどう受け止めるか、の続き

2023/06/01

園だより6月号「巻頭言」より

子どもは「はみ出し」ながら育ちます。このことも付け加えておかなくちゃ、と昨日の「園長の日記」に書いたことの続きです。そのはみ出し具合を、できるだけ「ひろ〜く」とってあげたい。そういう話です。なぜ「広いか」というと、子どもは自然だから、と言うことなのですが。

大人が思う通りに育ってほしいというより、子どもはそれを飛び越え、予想外のことをやりながら、生きているのだと思います。それを「困ったこと」とか「例外」とか「普通じゃない」というように捉えたくありません。子どもを大人の狭い枠組みの中に押し込めたくはないのです。そうではなく、子どもは(つまり人間は)、そういうことが「自然」なんだと思えるといいのかもしれません。

子どもは自然そのものだという話は、私たち幼児教育に関わるものは、よく聞きます。自然というのは思う通りにならない、という性格を持っています。人間は自然を相手に都合のいいように変えて、都市や文明を築いてきたが、時々、自然災害や天変地異などが自然の怖さを思い出させる、というよくある話。それとはまた別に、人間の外側に自然を見るのではなくて、私たち人間が自然の一部であって、大きな自然の営みの中にあるという認識を忘れないでいよう、そういう話が一方にありますよね。子どもはその「うちなる自然」を思い出してくれるということです。

その話で私が思い出すのは、養老孟司さんの「子どもは自然に属する」という話です。どこかで聞いたことがある方も多いでしょう。大人は都会では道に段差があったり障害物があると、つまずいて怒ったりします。ちょっと不便なことや都合が悪い不合理なことがあると文句を言いたくなる、そんな気分を持っています。私たち大人が都合のいい「人工」世界にいるからでしょう。

でも山の中に入って、凸凹しているからといって、それに文句を言う人はいないでしょ。子どもが凸凹していて、大人が思うど通りにやらないからといってイライラしてしまうのは、山に入って歩きにくいと文句を言っているのと同じですよ、というそう言う話でした。

先ほど主任が「ある活動で、幼児がサンダルで山登りをしているところがあるんですよ」と教えてくれました。過保護にしないという趣旨の話ですが、もう一つ、自然の一部である子どもは自然の中なら裸足でいたがるもの、という話にも聞こえてきます。子どもは自然でいることを求めていて、その振る舞いの延長に、「人工的な」人間社会が求める決まりにうまく適応できないことが起きているだけ、という見方もなりたちます。ちょっと理屈っぽい話になってしまいましたが、子どものトラブルを有る意味で自然現象だから仕方ない、そんな大らかな受け止め方も必要な気がするのです。

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