午前中に江戸川区のある保育園の納涼会にお邪魔して、午後は文京区のほおずき市に行ってきました。風鈴が玄関で夏の音色を奏でます。
ほおずき市
2023/07/22
2023/07/22
午前中に江戸川区のある保育園の納涼会にお邪魔して、午後は文京区のほおずき市に行ってきました。風鈴が玄関で夏の音色を奏でます。
2023/07/21
先週、年長のお泊まり会があったのですが、その余韻を楽しむべく、絵本はお泊まりにちなんだもの。まずは文・中川ひろたか、絵・村上康成コンビの絵本シリーズ「ピーマン村のおともだち」から『おとまりのひ』。子どもは意外とあっけらかんとお泊まりができてしまうものでして、等身大の保育園らしさを感じる絵本です。親が子どもを案じる気持ちが明るく描かれ、ユーモラスな園長のキャラが楽しいシリーズ。八王子市のせいが保育園では、まさにこれと同じような銭湯に入っていたことを思い出します。
2冊目は末吉暁子作、林明子絵の「もりのかくれんぼう」。むかし森だった場所がいま団地になっている街角で、おにいちゃんとけっこしているうちに森に迷い込むと・・・。森の中にはよく見ると動物たちがいっぱい隠れているのかも。かくれんぼして遊びたかった女の子の気持ちが、ちょっと切なく伝わってくる絵本。
その次は、こども園を舞台にした「くらやみえんのたんけん」。お迎えを待つ、つとむくんとたくくんの二人が真っ暗な園内をおばけごっこで楽しんでいるうちに・・・。嘘っことわかっていながら怖いことをやりたがる子どもの心理。どこまで本気で怖がっているのやら、そのたわいのない、その演劇的あいまいな世界を楽しめるのも子どもの特権だ!(まあ、なんと古臭いキャッチだなあ)。
さて最後は海外ものから。「ひとりでおとまりしたよるに」。こちらは、おばあちゃんのお家に3泊4日で泊まりに行く話。だから、寂しさを紛らわすための、大事な宝物を3つリュックに詰めました。リュックに詰めたものが子どもを助けると言うのはエルマーと同じですが、こちらは夜の冒険が始まります。大人がよむと子どもの家族愛にちょっと心打たれるおはなしです。
2023/07/20
保育の良しあしを決める基準のひとつに、間違いなくあると思うのは「一人ひとりの子どもと、毎日心を通わせているか」というものです。そこに大事なポイントがあるように思います。これには「つながっている手ごたえ」があります。このつながり具合は一人ひとりの子どもによって全く違います。このつながりが、しっかりしていると感じることと、保育が見えてくる感触は重なり合っています。一口に「子ども理解」というと、なにか対象化されている感じがするのですが、そうではありません。やはり通い合いなのです。気持ちや心の通いあいです。
このことは乳児の三つのかかわりの視点の一つにもなっていますが、これはその後の年齢になっても必須だと思います。このことは就学してからはどうなっていくのでしょう。担任との関係に引き継がれていくのでしょうか。私の個人的な小学校の記憶に頼ると、それがあった先生のことはよく覚えています。学んだことは忘れていても思い出すのはそういう場面のエピソードです。思い出になっているこからいいことだとはいえないかもしれませんが、やはり大事なことのような気がします。
保育園では何人もの子どもたちと毎日それがあります。その通わせ方の違いが楽しいし、それぞれの子どもが愛おしい。困っていると助けてあげたいし、こうしてほしいというとそうしてあげたい。きょうも私の手を引いて連れていきたいところに一緒にいくと見せてくれる世界があって、たとえばそれはお気に入りの水筒に描かれている「パウ・パトロール」のことだったり、濃いピンク色の水中眼鏡のことだったりします。その世界はまさにその子にとっての「お気に入り」の世界であり、他人に伝えたいこと、わかちあいたいことなのです。
その通い合いは、子供と大人との関係とは違うかもしれませんが、同じようなつながり具合が、子ども同士のなかに、その関係の網の目のように張り巡らされていることでしょう。ただ安定して静的に動かないものではなく、個々のつながり具合に応じてダイナミックに動いているものです。
その網の目は、複雑につながりあっていて、大人もその一端に入り込んで初めて、子どもの中に張り巡らされている網の目に気づくのです。子どもの世界はここにあるのか、と初めて気づくことになるような感覚を覚えます。心のうちに誘ってくれる関係が子どもとの間できたとき、子どもが息づいている世界に入り込めるのだろうと思います。
子どもの世界の中に起きている事とはそういうことであって、それを子どもに説明させるのは難しいことでしょう。だから子供が住んでいる世界とは、大人の方がその世界に迫る努力をしなければならず、心を許してもらえるとその世界を開示してくれるようなものなのです。
2023/07/19
これだけ暑いと外にでるだけで汗が噴き出てきます。この猛暑、日本だけではなく世界各地で過去にないほどの熱波に襲われているそうで、ローマは過去最高の41度を記録した、とニュースになっていました。保育園の近くに子育て支援の広場があるのですが、暑すぎて集まりが悪いそうです。それはそうでしょう、外に出るのも「危険」と感じるほど暑いですからね。
ただ、こういう状況が長く続くのはよくない。長らく子育て支援にかかわってきた経験から想像すると、核家族の場合は、親子で自宅にいると(ほとんどは母親と乳児ですが)、お互いにストレスがたまるときがあります。そうなる前に、一日ちょっとでも親子が離れて、子どもが子ども集団のなかで遊ぶ時間があるといいでしょう。保育園なら、いわゆるリフレッシュでの一時預かりです。また、子どものためにも、乳児の頃からの集団体験が、必要だと思います。
当園でもスペースがあるなら、すぐにでも行いたいものです。でも、従来の正式な一時保育は、それ専用の部屋がないといけないので、そうではなくて園児と一緒に生活します。就労要件のいらない短時間の「入園」という形になるといいのですが(それでもうちの場合は保育室の面積がたりないので、2歳以上でないと、できないのですが)。
その場合、これは私の案ですが、子どもが職員になれるまでは、ファミサポのような保育支援者や保育ボランティアの人が園につれてきて、慣れるまで、一緒に過ごしてもらうといいでしょう。そのファミサポの経費900円程度の半額400円を国と自治体がもち、利用者は1時間ワンコインで保育園に預けることができるというのはどうでしょう。
一日2時間で保護者負担は1000円。ファミサポの提供会員の預かる場所を保育園にするのです。ずっといる必要が無くなれれば送迎だけでいい。そうなれば1000円のままで、保育時間も長くできます。保育園へは現在の公定価格を基本にして「ゼロ号認定こども」として、2時間、4時間、6時間、8時間などの長さに比例した国庫補助をもうける。入園要件が就労などではないので、今のような長時間保育を前提にする必要はないと思います。
そういう設計ならほんとうに必要な人が必要なときだけ利用でき、財源もそれほどいらないのではないでしょうか。保育園とファミサポを一体的に運用するという方法です。
そして、要保護児童やそれに準じると判断されたら、本来の入園になれるようにすればいい。入園の要件を緩和していくこともアリではないでしょうか。ただ長時間保育である必要はありません。
2023/07/18
屋上で育っている「きゅうり」。
水遊び中の子どもたちに、「うくか、しずむか」ちょっと実験しました。
ちょうどいい大きさに育ったきゅうりです。
「どうなるかな?浮くかな?沈むかな?」と私。
すると年中と年少の子どもたちでしたが、予想が二つに割れました。
沈むが一人、浮くが3人です。
やってみると、浮きます。
「やったあ、浮いた」と当たった方は喜んでいます。
でも面白いことに、その子が「こっちは沈むよ」と言うのです。
「こっち」と言うのは、ちょっと育ちすぎた大きなきゅうりの方です。
私が「そうか、こっちは沈むかもね」と言うと、にこにこして見ています。
もちろん、正解は浮くです。
これと同じようなことが、前にもバナナとのきもあったのを思い出しました。
一本は浮いたのですが、2本になると「沈む」と言うのです。
https://www.chiyodaseiga.ed.jp/hoiku-archive/archive-stem/page/5/
面白いですね。
最後はきゅうりと一緒にぷかぷか・・・笑
2023/07/16
子どもたちはいろんなことを教えてくれます。今週、「そうなんだね」と嬉しくなったのは、スイカです。「ここ、ここ」と教えてれました。直径が15センチほどに大きくなっています。いくつも花が咲くので、先生が栄養を分散させないように実になるものを数個に間引いてくれているのですが、いつの間にか二つがこんなに大きくなっていました。
お泊まり会で出かけた科学技術館は北の丸公園にあるのですが、そこを歩いていると、蝉の鳴き声が聞こえました。保育園にいても聞こえないので、子どもたちは鳴き声で蝉の種類を聞き分ける経験はほとんどできません。秋葉原周辺ではクマゼミやミーミーゼミ、ヒグラシなどを自然に区別できるようになる環境にはないのです。それでも「せみ!」と教えてくれます。
しかし少ないチャンスを見逃さないのは虫好きな子どもたち。吉田茂の銅像がたつ雑木林で、ダンゴムシはトンボを捕まえて見せてくれます。こんな姿を見ると、せっかく皇居が近くにあるので、もう少し頻繁に連れてきてあげたいと思います。お礼というわけではありませんが、私もヒキガエル(泥ガエル)を捕まえてあげました。何を食べるの? さあ、なんだろうね・・・。
屋上のプールに水が入ると、トンボがやってきます。写真にとらえることはできませんでしたが、水面に尻尾の部分をちょんちょんとします。都会の中でも工夫すると生き物が寄ってくるビオトープはできるでしょう。
街路樹には赤い花が咲き始めました、百日紅(サルスベリ)です。夏の間、百日近く咲き続けるから、だそうです。東京では調布市がシンボルの花になっています。ちなみに千代田区は花が桜、木は松、鳥は白鳥です。
2023/07/15
お泊まり会につきもののちょっとした「小話」があります。
寝る前になると「園長先生、怖い話して」と頼まれることがよくあるのです。いくつか、その手の小話を仕入れてあるので、いつでもできるように準備してあるのですが、昨日は花火が終わると「ねむ〜い」と何人かの子がいうので、それじゃあ、ということで、すんなり「じゃあ、寝よっか」ということになって布団に入りました。
数分ですぐに夢の中に入っていった子どももいれば、なかなか寝付けない子もいました。それぞれのリズムでおやすみなさ〜い。ぐう、ぐう。
夜は先生たちが交代でそばにつきましたが、親御さんから伺っていた「きっとこうなります」の通り「そうなりました」。・・・。
そして朝が来て、寝ぼけ眼のあどけないこどもたちの表情に笑顔が蘇ってくるころ、玄関のピンポーンがなりました。「ん? こんな朝早く誰だろう?」とインターホンに出ると、なんと園児のお兄さんが心配して見に来たのです。
「だいじょうぶ。みんな元気で、楽しそうだよ。誰も寂しがったり、泣いたりする子はいなかったよ。ありがとうきてくれて」
きっと、お兄さんは自分のお泊まり会が寂しかったのでしょうか。それとも、園長先生のお話が怖すぎたのかもしれませんねえ・・
朝食は和食です。
ブロッコリーととうもろこしのおかかあえ
目玉焼き
しゃけの塩焼き
朝ご飯は7時30分ぐらいからでしたが「お腹減ったあ」「おかわり」と、食欲十分。
和食のおいしさが、身に染みるのでした。子どもたちがお代わりしている様子を見ると幸せな気持ちになりました。
そして、いよいよ、一番気を揉んでいらしたであろう親御さんたちとの対面です。担任が作ってくれた「おとまりができておめでとう」の記念写真入りカードとメダルを渡し、一人ずつ楽しかったことを話してもらいました。その後、主任が作ってくれたスライドショーを親子一緒に楽しんでもらいました。
「お家に帰って、どんなお泊まり会だったか、たくさんお話ししてくださいね」
2023/07/14
当園は開園以来、毎年「お泊まり会」を続けています。保育園に年長が泊まります。コロナ禍でも中止しませんでした。お泊まり初日の午前中は毎年過ごし方が違うのですが、今年は北の丸公園にある「科学技術館」へ出かけました。
当法人は4つの保育園・こども園があるのですが、毎年共通の保育テーマを持ち、題材の選択に困ったらそのテーマのものを選ぶようにしています。
昨年と今年はSTEM保育なので、初日の体験先は子どもたちと話し合って「科学技術館」にしました。夏は川遊びや海遊びをしたいところのですが、当園からだと遠いので、別の機会を考えます。
ご家庭で作っていただいたお弁当。子どもたちはこれも大変楽しみにしていたもので、いつもよりも早めのお昼ご飯になりました。この時間を確保するために、かなり苦労しました。炎天下でも雨でも外で食べるわけにはいかず、かといって室内で団体でお弁当を食べられるところは、ともて少ないからです。コロナ禍ではもちろんできませんでしたが、そうでなくても屋外を使うのは、夏や冬は難しいのです。日本に春と秋があることに感謝です。
園に戻ってきたら、あとは園内でできることを色々やります。すると、やっていることは同じように見えても、その年の特徴がかなり出ます。子どもたちのやりたいことが違うからです。
屋上でみず遊びをしたり、アイス作りやクッキングなど「食べもの」作りは楽しいですね。
中でも、子どもたちが作る夕食は「協同的な活動」を意識したものになります。何をつくるか、かなり話し合って決まりました。たくさんの「こられがいい」を出し合って、みんなが食べられるものに絞り込まれていきました。ホワイトボードの写真はちょうど1ヶ月ほど前の話し合いの様子です。
何にしても、こうした対話を大事にしています。結果的に決まったのは「アイス」と「スパゲッティ」と「ピザ」と「ワンタン」というメニュー。アイス作りも味を選んで凍らせて、夕ご飯の後のデザートにしました。ピザはチーズや野菜、ウインナーなど、生地に乗せるものを変えられるのがミソで、いろんなピザができました。
シャワーを浴びて晩ご飯を食べてからは、屋上で手持ち花火を楽しみました。一人2回、屋上に流れる夜の風も程よく、私たちの味方になってくれました。
そして8時30分に布団へ。今年の年長さんは、ほとんどが1人でお泊まりをしたことがありません。さて、どんな夢を見ながら夜を過ごすことになるでしょうか?
2023/07/13
保育園という生活空間は、家庭がそうであるように、そこにいてはいけない場所というものはありません。どこにいてもいいし、保育園のすべての場所が子どもにとっての居場所となります。
たとえば、保育園の中に内と外の区別はありません。それも家庭と同じですね。家庭の中に、ここからは内でここからは外、というものはないと思います。それと同じです。
あるいは、その子にふさわしい場所は所属するクラスのなかだけとは限りません。その年齢の発達にあったものは、多くはそのクラスにあるようにしていますが、入園してすぐの時期や進級するまえの移行の時期などは、その幅をひろくとる必要がでてきます。
当園はそんな「外」にあたるような場所をなくしたくて、子どもがいてはいけない場所がどこにもないようにしています。園内を全てコーナーやゾーン化して、つまり遊びや生活に必要なリソース(資源)を分類して、子どもにアクセスしやすいように配列して可視化してあります。すると、子どもはきちんと自分にあった(必要だったり好きだったり)選択をします。
そのゾーンと同じ意味で、廊下も階段も、それぞれに子どもが居ていい居場所としての意味があります。例えば階段は上り下りの運動になりますし、歩行の確立期にある乳児には格好の運動遊具です。階段の蹴上の部分には数字のステッカーが貼ってありますが、登る時に1,2,3,4とカウンティングしたり、数字への関心や感覚に親しんだり、リズムのある上り下りができたりします。
月の満ち欠けの写真が貼ってあるのも、そういう意図があります。またちっちぐんぐん(0〜1歳)の前の赤いスペースにも、絵本の棚をおき、ザラザラ、チクチク、スベスベなどの触覚遊びができる手作りボードが掲げてあります。
実は1階の扉の前の空間は、赤いマットを敷いて赤い机と椅子をおき、絵本を貸し出せる「千代田せいが文庫」の空間にしていた時期があります。親子で絵本を読んで帰っていい場所にしたのですが、食事のワゴンを運んだりして、物理的に狭いことから「文庫」は2階に引っ越すことになったのです。
つまり、あまり廊下っぽくしたくなくて、手触り遊びのボードを置いたり、そこで絵本を選んだりできる空間にしてあるのです。今年度からロッカーが並び、お支度のスペースにもなっています。実際に保育中は廊下から階段に至るスペースも、生活や遊び使えるようにしています。したがって内と外になってしまうような仕切りは、できるだけつけていないのです。
さらにクラスという空間の考え方も、柔軟に考えています。確かに01歳児クラスがここで、2歳児クラスはここ、345歳児クラスがここ、というのはあるのですが、実際の生活の空間は、玄関から屋上まで保育園内の全ての場所が生活空間になっています。
実際に他のクラスで過ごすことがあるし、子どもがその場所を好んでいたいからいるということも大いにあります。各クラスには、基本的にはその年齢に合ったものが置かれていて、発達に合った遊びができるように色々な遊具や絵本や運動用具などが配置されています。それでも、子どもはその標準的な幅を超えて過ごしたりします。他の遊具を望んでそこへ行くこともありますし、他の場所はどうなっているんだろうという興味から、探索したり、遊びに行ったりすることもあります。
また、物や空間だけではなく、人的環境としても乳児から幼児まで、全ての子どもが全ての子どもと接することができるようにしています。例えば乳児が幼児クラスを訪ねていくと、幼児の子がすぐに「Sちゃん、かわいい」と声をかけてくれます。子どもたちは、クラスを超えてよく知っている間柄なのです。乳児に年長がお世話をしにくることもあります。新しく入園した子どもが、クラスの仲間関係ができるまで、朝夕はきょうだいのいる部屋で過ごしたり、午睡の時間に幼児のクラスで寝るよりも乳児の部屋で寝る方を好むこともあるのです。
子どもの主体性を尊重することは、それぞれの子どもの幸せな過ごし方を実現させ、自己が発揮できるようにすることに通じると思います。また、それらのことは、それぞれの子どもの人権を守ることにもなります。所属するクラスの集団が、そのクラスの中だけで過ごさなければならないというのは、一見常識のように思っていますが、じつは偏った考え方かもしれません。豊かな体験のためにも生活空間を広く考えることは大切なことだと思います。
ちなみに職員の態勢にも触れておくと、各クラスの担任がいて、そのクラスの子どものことは担任が一番よく理解しているわけですが、ご存知のように朝の早い時間や夕方の遅い時間は、シフト勤務のために担任以外の先生が保育することもあります。そこで全職員が全ての子どものことを、ある程度知っており、全体でチーム保育をしていることになります。クラス以外の子どもがそこで遊んだり生活していても、その対応に困ることはありません。職員間での意思疎通と情報共有はできているので、子どもの生活や保育計画の連続性に支障をきたすこともはありません。
2023/07/12
今年の夏、初めてプールに水を溜めて遊びました。プールの中での遊び方は様々ですが、どの子も楽しく遊べるための目安は、顔に水がかかっても平気かどうかと言うあたりに、基準があります。そこで、水遊びに慣れてくると顔に水がかかっても平気になり、水に顔をつけたり潜ったりできるようになります。水に浮いたり泳いだりできるためには、どうしても、そこに一つのハードルがあるのです。
そこで、四半世紀にわたって当法人がやってきた方法が、そこを基準に遊びを3種類程度にわけて、子どもが選べるようにしてきました。顔に水がかからないように遊ぶグループを「カニ」グループ。潜ったりバシャバシャと水を掛け合ったりできるグループを「イルカ」グループ。その中間ぐらいを「ラッコ」グループとします。カニやラッコやイルカは、子どもにそのイメージが伝わりやすいので、そうしてきました。
すると、子どもたちは「楽しそう」と思う遊びをやりたいので、それに従って選ぶのです。この基準を水との関わり方の「習熟」と捉えることもできるし、バリエーションと捉えることもできますが、それは、その都度、子どもそれぞれが判断する内容は違うものでしょう。その日によって違うグループを選ぶようになるからです。
この選択と判断を繰り返していると、環境との関わり方、つまり、水との付き合い方のバリエーションが増え、結果的に自己理解が進むと考えています。水についてと自分のこと、水との関わり方への理解が深まっていくと同時に、もっとこうしたい、こうでありたいと言う意欲も強くなっていくのです。
また忘れてならないのは、結果的にその都度選ばれて作られるその集団は、年齢別クラスではないので、多様ざまな人間関係を体験することになり、人との関わり方も上手になっていくのです。