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2023年 8月

新しい共同保育の形を模索

2023/08/09

昨日までの研修会で、次のようなテーマが話題になりました。当園の保護者の方はよくご存じだと思いますが、入園案内のときに保育園は社会的親の役割があるという話をさせてもらっていますよね。近年の人類学によると「人類の子育ては村で担い合っていた」という、あの話です。いまでいう核家族が空間的に離れた場所で独立して子育てはしてこなかった、せめて大家族、ほとんどは家族が集まって村単位で子どもを育て合っていた」という、例の話です。保育園は現代版の子育ての共同体ですね、というあの話です。もっと知りたいという方には、ジャレド・ダイヤモンドの「昨日までの世界」の一節をコピーしてみてもらったり、山極寿一さんと探検家、関野吉晴さんの対談の動画を見てもらったりしてきました。

ダイヤモンドはその本のなかで「アロペアレンティング」といい、山極さんは「共同保育」と言っていますが、生物学的親だけで子育てを担うということをホモ・サピエンスはしてこなかったといいます。またある研究者は「一人の子どもがよく育つには村中の人が必要」という、ことわざがアフリカにあるという話を紹介していました。私たちは核家族で子育てをするのが当たまえと思っているところがあります。そう思うのはこの時代の中に生きているからで、長い歴史の尺度に照らし合わせると、変わった子育てをしているのは今の方なのかもしれないと思うことがよくあります。

どんなときにそう思うかというと、保育園が共同保育の場だからこそ、子ども同士の関係に子どもの育ちを見出すときや、私たちの身体の特徴と環境のずれを感じるときです。産前産後のオキシトシンの変化に伴う夫婦間の感情変化や、ワンオペと子育ての孤立感や負担感の関係、増加に歯止めのかからない児童虐待の問題、食事から睡眠まで一日の生活リズムの中での母親の役割など、それらの話題に触れるたびに、共同保育をとりもどしたくなるのです。

最近では就学後の学びを支え合うネットワークも、それに似た新しい言葉が必要だろうと感じます。いわば「共同教育」というようなものです。でも言葉を変えたい。学校、学童、塾、社会教育などが有機的につながるフィールドとしての「新しい村」のようなものとセットで。もちろんAIや仮想空間なども含めて。今後の新しい学校とは、きっとそういうものに変わっていくでしょう。行政の縦割りももっと大胆につながらないと、個々の仕組みがもたらす作用線が分断あるいは断片化されているように感じます。めざず方向性はみえています。子どものいる場を起点に、その場にすでにある仕組みをつなぎ重ね合わせてみたい。もちろん課題となる壁もとてつもなく硬く厚いけれども。

卒園児の親が保育の質を語る(GTサミット)

2023/08/08

保育の質と環境の関係について、実践探求を深めている保育環境研究所ギビングツリー(代表=藤森平司・新宿せいが子ども園園長、略称GT)は、8月7日8日の二日間にわたり 園長らが集うGTサミットを新宿・高田馬場で開きました。約60名が久しぶりに会場に集い、約30人がオンラインで交流を深めました。初日は「保育園を考える親の会」代表の渡邊寛子さんから「見守る保育で育った子どもたちのその後」について話をしていただきました。

渡邊さんは、3人のお子さんが新宿せいが子ども園育ち。こども家庭庁の会議のメンバーでもあり、某市の保育園民間移管の選定委員をされています。自分の子どもたちがどう育ったか、卒園後の小学校以降の様子や、多くの保育園を視察した経験をもとに、保育の実例を踏まえながら保育の質について語ってくださいました。

GTは全国に多くのメンバーがいて、各地域で公開保育や勉強会、養成校との連携活動などをしてきました。二日目は全国各地の先生たちから、それぞれの園や地域でおこなっている活動報告です。鹿児島、富山・石川、長崎、東京からの報告のほか、藤森メソッドあるいや見守るアプローチなどの名称で中国、シンガポールなどから注目されている様子、視察交流も報告されました。

台風の影響で九州からの参加が影響を受けましたが、実際に会って話し合うことで、真摯に取り組んでいる各地の熱気を感じることができるものになりました。

ゆっくりと秋を迎える準備を始めます

2023/08/07

ゆっくりと秋に向けての準備。夏の夜空といえば、今は花火が話題ですが、あと1ヵ月もすれば秋の話題が聞こえてきます。長新太さんの絵本「つきよ」の表紙をちょっとお借りして、「今夜のお月様はどんな形だろう?」と、たぬきさんが、月夜めぐりを楽しむ階段にします。

今年は9月29日金曜日が十五夜です。その前の半月「はんげつ」になる頃、保育園では天体望遠鏡を出してお月様を観察します。

レンズの向こうに金細工でできようなお月様が見えると楽しいのです。

満月の時刻ではお迎えの時間に間に合わないからです。早めにお月様が顔を出してもらわないといけません。

毎日変わっていくお月様の形を追いかけていくのも楽しい時期になります。その装飾の準備を始めました。来週子どもたちと完成させます。

こども基本法ができて勇気づけられること

2023/08/06

こども基本法が施行されて、勇気づけられることが増えました。子どもがその子らしく過ごすことをより積極的に肯定する保育を推進しやすくなったと感じるからです。この基本法ができたことを受けて、いろいろな研修も開かれています。

(写真は、これから何をして遊ぶか、子どもたちが話し合いながら決めていることろ。司会も子どもがやっています)

例えば、最近、東社協保育部会が主催した研修会(森田明美東洋大学名誉教授、今月10日までオンデマンドで視聴できる)を受けて、さらにその気持ちが強くなりました。その研修会で紹介されてい事例を通じて考えてみると、なおさらその感を持ちました。

私は保育でこんな先生たちの姿をよく見ます。子どものやりたいことをなんとかかなえてあげようとしていて、見ていて私が嬉しくなります。たとえば、赤ちゃんが散歩に出かけようとしているときに、玄関の方へ向かわずに、階段を登りたがる様子を見せました。そのとき、先生たちは、階段を登っていく赤ちゃんに「そっちに行きたいのね」と、にこにこしながら、散歩に行こうよー、と促しながらも、まずは赤ちゃんについていくのです。

そんな対応がふつうだと思っているのですが、いろんな方の話を聞いているとそうでもなさそうです。「こっちだよ」と、さっと抱っこしてしまって、連れ戻す先生がいてもおかしくない。あまり考えないで、そうしてしまいそう。そんな感じの対応が日本の多くの園で行われてる(きた)気がします。子どもの人権や主体性を大事にするなら、黙って抱っこしてさっさと連れてきてしまうなどということができなくなります。

その研修会で、例えば、子どもの権利条約12条に関連して、乳幼児にも「権利の保有者として意見を表明する資格」があり、その意見は「その年齢および成熟度に従い、正当に重視されるべきである」されています。つまり、前提として声なき声、いわば「ことば以前のことば」を聞き取る必要が大人の方に求められます。これは保育の基本のはずのものです。

さらに、 こう続きます。

乳幼児の参加の権利を達成するため、「おとなが子ども中心の態度をとり、乳幼児の声に耳を傾けるとともに、その尊厳および個人としての視点を尊重することが期待される」とされています。

ここまでは、受け止めやすいと思います。ところが、さらに具体的に踏み込んで、次のように解説されています。

「おとなが乳幼児の関心、理解水準および意思疎通の手段に関する好みにあわせて自分たちの期待を修正することにより、 忍耐と創造性を示すことも必要である」

どうでしょうか? ここの表現は、ちょっと大人がハッとするようなことかもしれません。この自分達の期待を修正するのは、もちろん、わたしたち大人の方です。そこには「忍耐と創造性を示すことも必要」ということは、「かなり難しいことですよ。チャレンジングなことですよ」と言うニュアンスが込められていそうですし、実際そうかもしれません。ここは噛み締めたいポイントではないかと感じます。

散歩に行きたい、でも階段の方にも気になるから行きたい、そう赤ちゃんが訴えてくるときにどこまでそれを実現させてあげるか。そこに赤ちゃんとの対話が生まれ、相互の主体性の豊かな交流が生まれているかどうか。民主的な資質の基礎となる、相互に主体的で対話を伴う人権の認め合いがあるかどうか。つまり自己発揮を尊重し合う関係が大切にされてるかどうか。それは、子供の人権を尊重した教育指導の中身と言って良いものでしょう。

ちょっと余談ですが、この研修会をうけたある先生は「わたしたちは指導ではなく子どもに寄り添うことが大切だと思いました」という趣旨の感想を述べられました。言わんとすることはわかりますし、共感します。しかし、その対比的な言葉の使い方によって何かをわかりやすく説明しているのだとすると、その前提となっている事柄を解きほぐして共通理解を図る事はなかなか難しいことなんだなぁと、考えてしまうのでした。

手持ち花火ができる近所の公園はどこだろう?

2023/08/05

打ち上げ花火の大会が各地で開かれている今年の夏。大混雑の中、小さな子供を連れて行くのもなかなか難しい。でも、線香花火など手持ち花火を楽しむ事なら小さな子供もできます。そこで、都内でできそうな場所はどのあたりなんでしょう。

https://natura-plus.com/archives/11268#toc23

東京都内で花火ができる公園と検索すると出てきました。他にも確かなサイトがあるかもしれません。内容確かめたわけではありませんので、あくまでも参考まで。

しずくの会から、こんなサイトもあるという情報をいただきました

https://www.wakamatsuya.tv/toy-fireworks/app/

親子でプール!

2023/08/05

部屋の中にじっとしていてもつまらない。そうはいっても外に出れば猛烈な暑さ。そこで昨年に引き続き、在園児の親子だけですが、屋上のプールを開放しました。名前は「親子でプール」。

今日は園児たちと一緒に4家庭の親子が参加しました。19日と26日の土曜日も実施します。

 

 

 

 

プールが砂場のような水場に

2023/08/04

「ねー水、出てる?」「でてるよー」

3歳時クラスの子どもたちが、プールの中で、ホースをウレタンの柔らかい筒にさしこんで、水を流し込んで遊んでいます。砂場で見かける雨どいを使った水流しの遊びのように、プールが「水場」がとても呼びたいような場所として使われています。

2人が入り口のところを、別の2人が出口のところを、そして2本のウレタンホースのつなぎ目を1人が持っています。つなぎ目のところが離れると、出口から水が出ません。子どもたちは、その違いに気づき、そこが離れないように声をかけています。

ウレタンのホースは、水に浮くので、うまく水平に保つことができ、床や砂場などで行うよりも取り扱いやすそうです。雨どいで遊ぶものとちょっと違うのは、傾斜を使って水が流れるのではなく、水道から出るホースの水の勢いがそのまま水を押し出してくるので、傾斜や斜めにすることで、水が流れると言う事とは違います。それでも入れたところとは違う、離れた場所からまた水が出てくるということが面白いようです。

ただ、雨どい等と違って、ホースなので、噴水のように垂直に立てても水が吹き出てくるのが面白く、垂直に立てて、上の方から吹き出そうとさせていました。でも、うまくパラソルの屋根の方まで水が届かず「でな〜い!」と言って遊んでいました。^_^

ジレンマに耐えながら自分を信じること

2023/08/03

先生たちと保育のことや仕事のことを話し合うと、ある種のジレンマ、葛藤、矛盾した感情などがテーマになることがあります。それは結構おもたい話なのですが、それがつきものなのが保育という仕事かもしれません。この仕事について、すっきりと秋の青空のようにスカッと晴れ上がり、はればれとした爽快感に溢れたような時間が、一体どれくらいあるものなのでしょうか?そういう時間が多いに越したことはないでしょう。また単純に明るく楽しいという喜びを感じることも大事でしょう。それはもちろん人ぞれぞれかもしれませんし、園によって違うかもしれません。

それでも、この仕事には、これで「終わり」というものが、時間的にも質的にもなく、ずっと続いていきます。その過程には園児とのその家族が入園と退園を繰り返し、先生たちも一人の人生の大きな要素を園生活あるいは保育という仕事で占めていくことになります。保育というものは幾重にも重なりあう人生が出会い、合流し、混ざり合い、影響しあって一つの流れをなしている川のようなものかもしれません。いつも長閑な春の小川のようにサラサラといくとは限らず、たまには豪雨に見舞われて、ごうごうと濁流をなして波打つときもあるからです。保育はある意味で色々なジレンマを抱えて行うもの、というのが私の結論です。それは向上心と楽観的姿勢につながるものだからです。

この川のたとえは、一人個人の内面にも当てはまるかもしれません。保育に壁や行き詰まりを覚えたり、うまくいかないことに落ち込んでしまうこともあるからです。私もひどくナーバスになってしまった経験があって、しばらく精神的に参ってしまったことをリアルに覚えています。いまこうして仕事を続けていられるのは、私の上司が大らかに見守ってくださっているからなのですが、さらにいうと信頼してくださっていることが心の大きな支えになっています。

この「信」ということは、自分へも返っていくものです。それは迷ったり自信をなくしたりしたときに、それでも大丈夫だからついていらっしゃいというメッセージが伝わってくる関係のありようを「見守る」というのではないでしょうか。それは私が他者を信じることへ導きます。そこには暗黙の太い心の通い合いが成立している関係です。これを他者との間に作り上げていくことが、人生という川の流れのなかに残すことができたら、とても幸せなことだろうと思います。私はそんな気持ちでうちの先生たちを見守りたいと思います。ジレンマは付き物、大雨も必ず晴れるし、きっといつもの春の小川に戻るから、と。

ゼミ生たちと実践を語り合う

2023/08/02

今日はある大学の先生と保育所を目指しているゼミ生4人が見学にいらっしゃいました。午前中見学をしていただいた後、午後、主任を交えてディスカッションをしました。学生さん達をいろんなところに見学に連れていかれているそうです。

保育を見て感じたことを話し合う。他者の考えに触れ、自分の考えを振り返る。子どもの姿、園の環境、保育者の様子、子どもとの接し方、そこに流れている考え方、いろんなことが話題になりました。それは私にとっても勉強になる時間です。

目の前に展開されている光景の中から、どんな事例を拾い出して話し合うことになるのでしょう。それは、そこに集う、当事者たちの関心や印象的な出来事が話題の輪郭を作り上げていくことになります。

例えば園のパンフレットには「保育目標」として、子どもの姿が4つ書いてあるのですが、3つ目には「自分を好きになれる子ども(自尊感情を持てる子ども)」とかいてあります。

学生さんの1人から「どうやったらそうなるのか」と聞かれました。この保育目標を作ったのは私ですが、さぁ、改めて聞かれるとどう説明するか。私の代わりに主任がエピソードを交えて説明してくれました。それを聞いていて「なるほど」と感心しました。このような会話は、いつもいる園のメンバーだけではなかなか生じません。見学をしあったり、公開保育を行ったりすると、このようなことがよく起きます。

今週は屋上でのプールの入り方を変更しています。基本はカニやラッコ、イルカなど、いわば「習熟度別」に子どもが選択するのですが、今週は子どもの姿から3歳児だけクラスで入るようにしたのです。水遊びやプールが好きなはずの子どもが入りたがらないのを不思議に思ったからだというのです。これは、ざっくり言うと、子どもの姿に基づく環境の再構成です。

その話を聞いていて、人間関係の再構築ために選択の方法を変更したことになるのだなと想像していたのですが、主任の話は、もっと柔軟で微妙な広がりのある話し方をしていました。そこに、生き生きとした実践の深さのようなものが脈打っているのです。

それでも、言葉で語ることを放棄せず、実践に迫り続ける語りを積み重ねあうことの大切さを確認できた時間になりました。ありがたいことです。

地球温暖化は終わり、地球沸騰時代へ

2023/08/01

今日から8月。連日、気象庁から熱中症警戒アラートが届きます。屋上のひまわりも、暑さでぐったり? 子どもたちは、このところ紙皿を使ってひまわりを作っています。

にわか雨や夕立のない猛暑が続いていた中で、今日やっと雨が降ったかと思ったら、集中豪雨のような雷雨。国連のグテーレス事務総長が7月27日、「地球温暖化は終わり、地球沸騰の時代が来た」と語ったそうな。7月の世界の平均気温が観測史上最も高くなると発表。実際何度になったのか分かりませんが、日本の場合は、朝日新聞が気象庁の観測データを分析したところ、7月は観測史上最高の平均25.96度だったそうです。最高気温の平均はもっと高い気がします。それを発表してほしいなぁ。いずれにしても、ということは8月もそうなるのでしょうか。

 

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