小学校を訪問して感じたことはたくさんあります。そのなかで幼児教育と小学校教育の「幼小」のつながりのところに焦点をあてて、私の感想をまとめておきたいと思います。
子どもたちが切り開いていく世界への探究を支えていくことが教育だとしたら、幼児教育ではまずは遊び性が横溢し、楽しいという感情が基本に流れている「面白空間」が基本になります。今日はあれをしようと、わくわくしながら、園にやってきてわき目もふらずに遊び始めます。そこに遊びを通した学びがいろいろ起きていて、その学びの芽生えのところを、小学校での学びに生かしてもらいたいと願っています。
(1)まずは学習空間について。この園の「面白空間」と学校の「学びの空間」との差を、子どもたちが肌でどう感じるだろうか。まずはそこが気がかりだったのですが、訪問での出会いは学習そのもとというよりも、授業の雰囲気とか、知っている子どもとか、やさしそうに教えてくださる先生とか、また遊び時間の交流とかの体験を通じて、学校という空間を楽しそうなところだと感じてもらいたくて計画しました。
3学期のこの時期でも1年生は、あまりキチキチやっていません。1年生の終盤として、幼児期の遊び性のなかの無自覚な学びの芽を、系統的な学習の学びに生かしてもらうためにも、その遊び性から自覚的になって行く学びへのなだらかな、つながりを図ろうとしているようにみえました。
(2)教室の環境。幼児教育の場合は「もの」と「先生」が「子ども」に呼びかけ合うような形で展開している共主体的な活動としての遊びが多く、それが諸所の「世界」への導きになっているわけですが、小学校では、子どもがそれまでの感触として経験している、個別具体的なある意味で<想像している世界>が、もう少し<本当の世界>として立ち現れてくるように、確かなことを学んでいくことになっていくのでしょう。
そういう意味では、子どもの活動の軌跡として目に見えると途中経過的な具体的なこの詳細は、一時的な訪問だけでは見えないので、1年間を通じて、どんなことが意図されているのか、先生たちとの今後の交流で学んでいきたいと思います。
(3)個別に学ぶ姿。これがもう少し多様にあっていい気がしました。見る限り一斉授業の進め方が大半でした。どこまでそこを多様にするかは別にして、何をいつどう学ぶかのバリエーションはもう少し広がっていっていくことでしょう。それは生活科を中心にほかの教科との合科や関連をどこまでやるかということと関係します。そこを創り出していく時代になっているのは間違いないのでしょうから、できるだけ期待しつつ応援していきましょう。
(4)学習規律について。授業中の雰囲気と中休みの遊びの時間との境があるのは仕方ないにしても、静かに前を向いて先生の言うことを聞く、という学習スタイルがどこでも前提になっていました。そのためなのか姿勢正しく座るといったことが学びのスタイルとして前景化しています。そこれから外れるいろいろな要素と、本来必要な個別支援と重なってしまうのは、(3)のことと関連しそうです。
・・などと、こちらから期待を述べるのはやさしいのですが、それを創り出すのは並大抵ではないこともわかります。私たちも「幼児期の終わりまでに育てたい10の姿」をどうやって小学校へ伝えるのか。それを幼児教育が用意しないといけないでしょう。要録でそれが伝わるとも思えないので、工夫が必要でしょう。
個別にそれまでの芽生えを小学校へ伝えて生かしてもらう仕組みをどうやって作っていくのか。ここからは、自治体として取り組む仕組みづくりになります。千代田区は来年度から小学校区で幼児教育施設が集まって話し合う機会をもつことになりました。子どもたち一人ひとりの人権としての主体性の発揮をどう保障するか、それは一人ひとりの世界への探究の歩みをどう支えていくかということになるのでしょう。