令和6年度 全体の計画
2024/04/08
2024/04/08
2024/04/08
2024/04/08
2024/04/08
園だより4月号 巻頭言より
先週で今年度の第一週が終わったのですが、毎日クラス別の保護者会をひらき、今年度の目標や展望をお伝えしてきました。こんな活動になっていくといいな、という目標は子どものことなのですが、まずは本人たちが毎日わくわくしながら保育園にやってきてほしいというのが一番です。そして何か新しいこと、面白いことに出あって、時々目を見張るような出来事に遭遇してほしい、そんな活動がたくさん経験できるといいな、と思います。
保育園での活動は家庭や地域での経験とつながっています。家庭や地域では経験できないことが保育園ではできるとしたら、またそれを大事にしてもいるのですが、思わず遊びたくなって熱中して遊んでいる世界と、私たちが大人が主に作り上げている世界ともつながっています。私たち大人も地球上のいろんな課題に直面していて、その解決に向けて努力しているわけですが、いずれ子どもたちもその世界に加わってきます。
私たち保育者は、子どもたちが大きくなって社会人になっていくときのことを思い浮かべながら、いま熱中して遊んでいる活動が、その将来の現実の世界に参加していくために、どのようであればいいのかを考えています。それはなかなか難しいことですが、きっとこんなことが大事だろうということを、できるだけしっかりと身に付けていくようにしてあげたいと考えています。
それが保育目標に表した内容です。大きく分けると3つでした。ちょっと順番を変えますが、まずは自分とモノの世界との関係です。自分の気になること、好きなこと、やりたいことができること。それが選べること、そしてその探究が深まっていくことです。そのために生活も遊びも選べるようにしています。二つ目は自分と他者との関係です。自分のことだけではなくお友達ともうまくやっていくこと。お互いの異なる気持ちや考えの折り合いをつけながら、ルールに気づいたり作ったりしていく社会性を育てるようにしています。
そして三番目が、この二つのことを通じて育っていく自分とのかかわりです。思う通りに自分らしくいきていくこと、そこに自信をもって自分を世界にかかわらせていくこと、といっていいでしょうか。ものや他者との関係の中で自己発揮ができるようにあることです。
発達の異なるクラス別の保護者会で、どの子どもにも共通することを表現することは難しいのですが、この三つのことをを保育園の保育目標としては「自分らしく、意欲的で、思いやりのある子ども」としています。保護者のみなさんの愛情をたっぷりと受けながら、自分と他者と世界という関係の中で見せてくれる子どもたちの姿を捉えながら、子どもたちにとって楽しく面白い生活になるように配慮していきたいと思います。
2024/04/06
新聞のコラムからの引用ですが、こういうのも大事な気がしますね。
朝日新聞「折々のことば」鷲田清一 から(3月14日)
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自分の視界の端に会いたかった人がいる。その距離感で十分なのだろう。
(伊藤雄馬)
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タイ北部に住む狩猟採集民・ムラブリの言語を研究する言語学者は、ムラブリの人たちの、気持ちを表に出すよりもむしろそれを慎む態度にふれて、「ポジティブな感情を表現して認め合うこと」が幸福だという、現代社会の感性にふと疑問を抱く。そして「誰かといる」のでも「他人に認めてもらう」のでもない幸福に、むしろある「懐かしさ」を感じる。『ムラブリ』から。
2024/04/05
新しく3人のお友達が加わった、ぐんぐん組。身近なものや周りのお友だちと関わりながら、世界と自分の関係を確かめているようです。
クラスの正式名称は「おおきくのびる ぐんぐん組」。春の保護者会の最後は1歳児クラスでした。進級した子どもたちは、すでに昨年の春から1年間過ごしてきた場所なので、すっかり生活にもお友だちにも慣れているので、新年度を迎えても大きな変化はありません。知っている先生ばかりで、そんなに緊張もありません。
この子たちがやっていることを何に例えるとぴったりくるだろう? 手で触ったり、もったり、振ったり、落としたり、はいはいしたり、つかまり立ちやよちよち歩き。電車を走らせたり、絵本をめくったり、スコップで砂を掬ったり、コンビカーにまたがったり・・とにかくいろんなことをしています。
ウクレレの伴奏に合わせて、いろんな歌も歌います。本人の中では歌がなっているのですが、聞こえてくるのはその片鱗だったり、一部の鼻歌のようなものですが、気分よく歌っているのがわかります。
そんなとき、本人の中では世界との出会いで、目眩く(めくるめく)高揚感に満ちているのですが、それを外に見えるようにすることに長けていません(というか、大人になっても基本は同じだと思うのですが)。ジェスチャーや仕草では限界があって、その大きな手がかりは言葉が大きく、そもそも言葉の獲得は本人にとっても大きな道具になっていくので、本人にとっても周りの人とのつながりにとっても大きな役割を話します。
知らない街の駅に着くと、私はその街の地図を手に入れて、さてどうしよか?と眺めてみることがあります。それと同じように、子どもも出会った世界でその都度、自分なりの世界地図を作っていて、あそこなら手が届くな、とかこうしたらこうなるとか、色々と自分との関係というか関わり方と意味を取り込んでいくのではないでしょうか。あそこには何がある、あそこでこうしたい! そんなことを繰り返しながら、地図(空間的な意味だけでなくて)の中の自分の位置を確かめているかのように見えてきます。
世界と関わることで自分ができる、というようなことをよく聞きます。この時期の子どもに限らず、世界を学ぶことが自分を知ることになるという意味はどういうことなのでしょう。生きるということは、ある種の自分の住んでいる(物理的社会的歴史的な)地図を拡大させ、新天地を取り込んだり解析度を上げたりしながら、その中を自由に行き来できるようになっていく方法を学んでいくこと、なのかもしれません。
そして大事なのは、そのナビゲーションのカーソルを動かすのが本人であり、地図の中の<現在地が自分>というものになるという関係でしょう。自分を制御できることは、道の行き止まりから分かれ道に戻ってきてやり直すフィードバック制御を積み重ねて、自動操縦できるようになっていくことに近いかもしれません。
2024/04/05
2024/04/05
保育園で最後の一年はどうなるんだろう? 今日は年長、すいすい組の保護者会でした。正式なクラス名は「なんでもしよう すいすい組」です。担任は「子どもの希望を叶えてあげる一年にしたい」と意欲満々です。というのも、毎年いろんな場面で子どもが自分の考えを出し合って、話し合って決めていくプロセスを大事にしてきました。そこで内容が毎年少しずつ異なることになります。実際にすでに、子どもに何したい?と担任が聞いたらTHさんからは「アメリカに行きたい!」、S Nくんからは「魚釣したい」という希望が出ているそうです。さて、どこまで実現できるでしょうか???
年長さんの後半になってくると、こんな姿になっていきますよ、という話や小学校に向けて、遊びの中にある目標を実現させるための試行錯誤のプロセスに目を凝らしてみよう、といったことを話題にしました。
雑談的に最近、私がハマっているキーワードが「スパークする瞬間を捉えよう」というもの。スパークというのは火打石の火花のように、パッとやってくる、あれです。わあ、きれい!とか、そこがいいなあ!とか、子どもにはいろんなスパークが起きていそう。あれ、どうなっているんだろう?とかもう一度見てみたい!とか、そういった心の動きを、どうにかして外の世界に表していくような活動も体験させてあげたい。その結果、なにか面白い、ということが生じることを周りの大人が大事にしてあげたい。
子どもはそれを言葉で伝えようとするかもしれないし、何かに表現しようとするかもしれない、そこのしようとすることを本当に「なんでも」に広げてあげたい。そしてゆくゆくは、自分でそこをやっているだという自覚を少しずつ持つことができるようになっていくといいのかもしれません。実際にそんな風な姿が増えていくのですが、まだまだスパークの「なんでも」が足りない!そこに着目してあげたい、という話をしました。
多分、あっという間に過ぎていく1年でしょう。それでも大きく成長する一年です。その成長の姿と、そうなった体験の数々をできるだけ繋いで描いていきたいものです。どこまでその姿を捉えていくことができるか、私たちの保育者の挑戦にもなります。
2024/04/04
ジャムサンド
牛乳
2024/04/04