6月の保育参観では「みつかってしまって気持ちがくずれちゃって。普段の姿を観たかったのですが」というケースが何人がいらっしゃったことはお伝えしました。そこで「保育参加」をお勧めしていますが、似たようなことが、送迎の場面でもみられますよね。そこを少し考えてみましょう。
園の生活が長くなると、また成長していくと、親がそばにいてもいなくても子どもの姿はあまり変わらなくなっていきます。それは送迎のときに、朝、親子が分かれるとき、夕方また再開するときとの前後で、子どもの様子が変わるのと、近い関係にあります。そのことを「どうしてだろう?」とよく考えます。
家庭と園の環境はいろいろな意味で異なるわけですが、通園するということは、子どもにとっては親子の関係がもっとも強い安定した関係なのですが、それが園での子ども同士の安定した関係へと、行ったり来たりすることになります。子どもにとっては、親がそばにいて新しい場所へ歩み出て慣れていくことがもっとも慣れやすいアプローチになります。入園直後の「慣れ保育」を思い出してみてください。親がそばにれば、周りのものでどんどん遊び始めました。
子どもは親がいなくなっても、それがだんだんと、できるようになっていくわけですが、つまり親と離れていても、親の存在を忘れて(思い出すこともがあっても)情緒は安定して過ごしていくようになっていきます。親子関係から子ども関係へ、あるいは子ども関係から親子関係へ。家庭と園を二つの円で表すとすると、その二つの円がずれて重なり合っており、子どもだけがその両方を行ったり来たりしているのです。
さらにそれぞれの円は一定ではなくて、変動しています。親子関係は夫婦関係や子どものきょうだい関係、祖父母との関係などの影響をうけて、つねに揺れ動いており、その変化は園生活にも影響します。園生活もまた、慣れ保育がスムーズに終わったからといって、そのまま安定していくかというとそういうこともなく、子ども同士の関係が安定していくまでには、それなりのまた経過が必要になります。さらに子どもの同士の関係も揺れ動くので、それがまた家庭での姿に影響します。そこを丁寧に話し合っていくことが必要です。
そうやって子どもたちをみていると、子ども同士のつながり具合は、その子たち同士の出し合っている波長のようなものがチューニングしあっており、それが同調すると「おんなじ」を受けとめ合いながら、何かを一緒に楽しむという世界が開かれていくようです。そこにも子どもたちなりの「探索」や、もしかすると探究と呼んでもいいい人間関係づくりが営まれているのでしょう。
そういう機会がちゃんと起きやすいようにすることも、ちょっと大げさに聞こえるかかもしれませんが、子どもの権利条約でいう子どもの意見(view)を大切にすることだったり、子どもなりに、ほぼ無意識に、ふとそれに近寄ったり手にしたりすることを「選択すること」や「オープン保育」と名付けたりすることの大切な意味や要素なのでしょう。
親御さんにとっては、「うちの子どもはお友達と仲良く遊んでいるかな」ということが、ときどき気になるものですが、子どもたちは今申し上げたような姿がつながりながら、だんだん自分の居場所や気の合うお友達やできていくでしょう。担任から個別の面談でその詳しい様子はお伝えしていると思いますが、私も個別にそれぞれの子どもたちをよく見てみると、どの子もお友たちとよく遊んでいます。そして、送迎の時の、親御さんと子どもの別れと出会いの「前後の姿」の差について、個別に思い当たることを語り合っていきたいと思います。