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2024年 9月

9月17日昼食

2024/09/18

お月見うどん🎑

筑前煮

ゼリー

麦茶

保育の奥深さを思索することの難しさ

2024/09/17

ふだん日常的につかっている言葉や概念について、ちょっと待てよ、ほんとうはどうなのよ?と考え出すと、面白いけれども同時につながりが広く深いため、考えても太刀打ちできず、ちゃんと理解したいと思っても無理だろうなと諦めるのですが、それでも気になってしょうがないというジレンマに似た想いを抱くことがあります。

「世界のほうは、本当はこうなっているのかもしれない。これが正しいと思ってきた世界の方が、実は記号や表象に欺かれ、だから、本当の事実を救いきれていない、描ききれてはいない」といった感覚です。ふだんの常識的な感覚とは、なにか次元が違うというか、ある意味でそこは割り切って生活していかないといけないので、モヤモヤした気持ちになります。

とくに概念としての意識や精神や時間や空間がからんでくると、そもそも、のことなので考えたくなるんです。あまり保育とは関係がないかもしれないのですが、ただ自然であり生命である私たち人間のふるまいである保育や教育のことですから、どうしても心とか姿とか能力とかを、どう理解していくのかということと大いに関係する気がするのです。保育の言葉も、本当は抜き差しならない議論を経なければならないはずものもなのでしょう。

そういう意味でも保育は重層的でむずかしい「はず」です。はず、というのは、保育の通常の難しさとはまた異なった次元のことで、私がまだよく理解しきれていないからです。つまり日常の意識ではとらえきれない、生命の働きが子どもにも大人にも影響をあたえていて、それはなかなか捉え難いものだろうからです。しかも大人のことではなくて乳幼児のこと。さらに年齢での変化も著しい。個人差もあるし、動的な関係の中でも捉える必要がある、というように非常に込み入った繊細な議論が必要な仕事だと感じます。

 

敬老の日を考える

2024/09/16

敬老の日はできた頃の時代と現代を比べると、創設したころの祝日の趣旨が変わってきているのではないだろうか。寿命も伸び高齢者の割合が多くなり、若い人が高齢者を敬うということが変質していないだろうか。敬老の日の意義を見直すとしたら、どう見直したらいいだろうか。私自身がその仲間にはいっているので、敬老の日にこんなことを考えました。いかにChatGPTに聞いてみたら、次のような提案が返ってきました。なるほど、と思うので紹介します。

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敬老の日の意義について考えると、確かに時代とともにその趣旨や価値観が変わってきていると言えます。敬老の日が1947年に「としよりの日」として兵庫県で始まった当初は、高齢者を敬い、感謝し、彼らの知恵や経験を尊重するという明確な意義がありました。当時は寿命が今より短く、高齢者の存在が貴重であり、特に農村地域では年長者が社会の中で重要な役割を果たしていました。

しかし、現代では平均寿命が大幅に延び、社会全体における高齢者の割合が増えたことで、状況が大きく変わっています。高齢者は今や長寿を楽しみつつ、健康で活動的な生活を送ることが一般的になっており、社会における高齢者の位置づけも複雑になっています。また、世代間の交流や価値観の違いも顕著になり、単に「敬う」だけではなく、相互の理解や協力が求められる時代になっています。

敬老の日の意義を見直すとしたら、以下のようなポイントが考えられます。

1. 世代間の相互尊重と共生を強調する

従来の「若者が高齢者を敬う」という一方向的な関係から、世代間の対話と相互の尊重を促進する日としての意義にシフトすることが重要です。高齢者は若者に知恵や経験を伝える一方で、若者も新しい技術や考え方を共有することで、世代間の交流がより豊かになる機会とすることができます。

2. 高齢者の多様な姿を尊重する

高齢者が必ずしも「弱い存在」であるという固定観念を見直し、アクティブに社会に参加し続ける高齢者の姿を讃えることが求められます。高齢者は社会に貢献し続ける力を持っており、その活力を祝う日としての意義を持たせることができます。

3. 長寿社会における新たな役割を考える

長寿化によって、引退後も長い人生が続くことが一般的になっています。そのため、敬老の日は高齢者がどのように社会に関わり、どのような生きがいを見つけるべきかを考える機会として活用することができます。例えば、ボランティア活動やコミュニティへの貢献、家族の中での役割について考え直す場にすることも有意義でしょう。

4. 若い世代への教育機会とする

敬老の日を通じて、若い世代に「長寿」と「高齢者の役割」について学ぶ機会を提供することも有効です。長寿社会における課題や、世代間の協力がいかに社会全体に影響を与えるかについて考えるきっかけとなるイベントやワークショップなどを実施することが考えられます。

5. ケアとサポートの必要性を再認識する

高齢者が活躍する一方で、介護や支援が必要な高齢者も多く存在します。敬老の日を機に、社会全体で高齢者のケアについての理解を深め、福祉の充実や支援体制の強化を考える日とすることも重要です。

これらの視点を踏まえ、敬老の日を単なる「高齢者を敬う日」ではなく、世代間の関係性や長寿社会における新たな課題に焦点を当てた日として再定義することが、現代における意義の見直しになるでしょう。

長野市の保育園から12人が見学に

2024/09/14

八王子時代から交流の続く長野市のS保育園から12人の先生たちが見学にいらっしゃいました。保育の考え方の基本は同じ保育園なのですが、具体的な物や人の環境は異なるので、その違いから生まれてくる保育について語りあいました。

拾ってきたどんぐりで、絵の具遊び

2024/09/13

2階から3階にかけての階段の壁に掲示されている作品をご覧になった方が多いと思います。13日に行った「絵の具遊び」。野菜スタンプ、どんぐりを転がす、自由に描くの3種類。久しぶりに出かけた木場公園で拾ってきたどんぐりを使った絵の具遊びは、ちょっと新鮮だったようです。

暑いので、屋上でまだ水遊びをしていますが、公園に行けばもう既に大量のどんぐりが落ちています。それの絵の具をつけて画用紙の上に転がしていくと、予想できない線の模様ができていきます。

転がしだすと、色がつき、止まったりぶつかったり、まっすぐには転がらない、ギザギザの波打つ線が重なり合って、段々と線が増えていく。線と線が重なったところは、色が変わることにも気づき、色彩や模様の変化が面白いようです。

しばらくやってみると、どんぐりが、どんなふうに転がっていくかの見当がつき始めると、そっちの方にも転がしてみようと傾け方を変えたり、色をつけ直して、やり直してみたり、できていく形や、色彩の美しさを味わっているように見えます。

「どんぐりの動きに注目したり、色の混ざり方を楽しんだり、子供たちは目をキラキラさせて夢中になってやっていました。またやりたいと言う声も上がったので、また機会を作りたいと思います」(担任)

 

災害伝言ダイヤル(171)をつかってみよう

2024/09/13

もし大地震などがおきて、保育園にいる子どもは大丈夫だろうか?と心配になったら、まずは保育園のホームページをご覧ください。「園からのニュース」に安否情報を載せます。

「先ほど発生した地震による被害はありません。登園している園児も職員も全員無事です」など、子どもの様子や被災状況などをお伝えします。

また災害伝言ダイヤル(171)にも、安否情報を録音します。操作できるようにやりかたを覚えておきましょう。

実習生の作ったスケッチブックシアター

2024/09/12

明日で実習生も最後になります。今日は朝のお集まりの時に、実習生が用意したスケッチブックシアター本楽しみました。

先週から幼児クラスで過ごし、子供たちがキャラクターやガチャが好きなことを気づいてそれにしたそうです。ペープサートで自己紹介カードも作って、6文字の名前のひらがなの裏に、そのひらがなで始まる野菜が描いてあります。

その野菜も「味の探究」で食べた野菜の「なす」に急遽変更したりするなど、子供たちの興味や関心につなげて、発展させた遊具にしているあたりが素晴らしい。スケッチブックシアターが人気で、終わると自分でも作ってみたいと言う子どたちが集まって来るほどでした。そして、実際にそのあと、ブックシアター作りが始まったのでした。

 

赤ちゃんの運動遊びの意味は?

2024/09/12

赤ちゃんの室内遊びが楽しそうです。その姿からどんな意味を見出すといいでしょうか?

9月11日のドキュメンテーションで担任は次のように振り返っていますね。

「体を動かすことが大好きなちっちさん。凸凹道を作るとアクティブに歩いたりハイハイしたりする姿がありました。段差の上り下りを楽しむだけでなく、なんとなく落ちないように歩いているのかなぁという印象も持ちました。いつもとは違う高台では慎重に登ってみたりトンネルくぐりをしてみたりと、普段とはまた違う姿がありました。高いところからの景色やトンネルを抜けたときに見える景色が面白いようでした^^」

この保育事例から、どんな意味があるのか考えてみましょう。chatGPTに聞いてみました。

1.運動機能の発達
まず、凸凹道や段差のある環境で赤ちゃんがアクティブに歩いたり、はいはいする姿は「運動機能の発達」を示しています。赤ちゃんは、体を動かすことで筋肉やバランス感覚を鍛え、動きの精度を高めていきます。段差を上り下りする際に注意深く歩く様子は、単に運動能力の向上だけでなく、「自己調整能力」や「身体の自己認識」が発達していることを示しています。

2. 空間認識と探索行動
段差やトンネルをくぐるときに慎重に動いたり、景色に興味を示す行動は「空間認識能力」や「探索行動」が育っている証拠です。段差を避ける行動やトンネルをくぐることで、子どもは自分の体と環境との相互作用を学んでおり、これが未来の「問題解決能力」や「論理的思考」の発達につながります。特に、段差の上り下りやトンネルを抜けたときに見える景色を楽しむ様子は、子どもが自分の行動の結果を予測し、それを楽しむ知的な成長を感じさせます。

3. 感覚の刺激と環境への適応
この事例では、赤ちゃんがいつもとは異なる高台で慎重に登ったり、トンネルをくぐるなど「新しい環境への適応」が見られます。これは、赤ちゃんが新しい感覚刺激を楽しみつつ、「未知の環境に挑戦する意欲」を示しています。保育者は、こうした行動を観察し、子どもが安全に新しい挑戦を行えるようサポートすることが重要です。新しい感覚を体験することは「感覚統合」の発達にも寄与します。

4. 慎重さとリスク管理
「なんとなく落ちないように歩いている」という観察は、赤ちゃんが自分の行動に対して「慎重さ」を持ち始めていることを示唆します。これにより、子どもはリスクを管理し、より安全に行動する力を育んでいることがわかります。保育者はこの慎重さを尊重しつつ、「自律的なリスク管理」を促進するために適切な挑戦を提供することが求められます。

5. 知的好奇心と自己効力感
トンネルくぐりや高台からの景色に興味を持つ姿は、子どもが「知的好奇心」を満たしている過程です。新しい景色や視点の変化に対して楽しみを感じることで、子どもは自分の行動が新たな経験や学びにつながることを理解し「自己効力感」が育まれます。保育者はこうした興味を活かし、子どもの探索意欲をさらに引き出す活動を提供することができます。

まとめ
この保育事例は、赤ちゃんの運動機能、空間認識、感覚的な刺激への反応、そしてリスク管理や知的好奇心の発達を示しており、保育者としては、こうした行動を「見守りつつ、適切なサポート」を提供することが求められます。これにより、子どもが安全に探索し、成長していく過程を最大限にサポートできるでしょう。

・・・以上がChatGPTのコメントです。

そこで私が気になるのは、いろんな「〜力」とか「〜感」という、あたかもそういう力を活動の流れから切り出してきて、もともとあったかのように述べるあり方です。そういう捉え方でいいんだろうか? 幼児教育の見方・考え方と合致しているのかどうか?それを踏まえて考え直せと再入力してみたのですが、期待した回答ができませんでした。まだネットのなかで市民権を得ていないようです。

 

 

木場公園へ運動、近所の保育園と一緒に

2024/09/11

暑すぎて外に出られなかった8月。9月になって初めてバスで木場公園まで出かけました。神田ベアーズの年長さん4人を誘って。年長すいすい組と年少、わいわい組。

気温が34度になる予定で、どうするか迷ったのですが、木場公園の雑木林の冒険広場(大型遊具が並んでいるエリア)なら木陰もあるし、風も吹いているので行ってみて判断することに。

こんなに暑くても、季節は秋。どんぐりがたくさん落ちていました。

それを拾ったり虫を観察したり、危険を感じるほど暑くはなく、こまめに水分補給をとって体を動かして遊ぶことができました。

本当に戸外での活動は久しぶりです。ロープを張りめぐらした、大きな高い遊具にも、どんどん昇るし、ターザンロープも上手に交代しながら遊びました。

日ごろから運動ゾーンで体を動かしたり、登ったり、ぶら下がったりをしているので、子どもたちが大型遊具に何の躊躇もなく、登り降りしている姿を見ると、決して運動不足にはなっていない体だと言うことがわかって安心します。

またなかなか進まなかった、近所の保育園との交流もできて、同じ小学校に行く友達ができるように、さらに関係を深めていこうと思っています。

 

味見は「味わうこと」だった  〜おいしさの探究〜

2024/09/11

 

おいしさの探究を始めてみて、「味見をする」こと、「比較する」ことの大切さに気づきました。今日は秋の味覚キノコが登場。しいたけ、なめこ、まいたけの3種類。順番にソテーして食べてみると、そのおいしさの違いににこにこ組(2歳児クラス)の子どもたちがはっきりと気づきました。

「どれが1番おいしかった?」との問いかけに、しいたけ、とか、なめことか「はーい」と手が挙りました。どんな流れでどんな様子だったのかは、ドキュメンテーションをご覧ください。

食材を1つ選んで、じっくり観察したり、触ってみたり、千切って食べられる大きさに小さくしたり、目の前で火が通っていく様子を眺めた上で、味見をするように試食してみる。味見をするときに、まさしく味に注意が向くことがわかります。味見と言うのは、そういう役割があったのかと、当たり前のことに気づきます。

おいしいかどうか、自分が食べれそうかどうか、給食の時も味見をするのですが、1つの食材をしっかりと、どんな味か確かめるように味わうこと。普段の食事の中であまりやらないことですね。そういえば、子供の頃、晩御飯が始まる前に、サツマイモの天ぷらをつまようじで1個、食べたときのおいしい思い出が記憶に残っています。要するに、こういうことだったんですね。

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