MENU CLOSE
TEL

2024年 10月

赤ちゃんたちは研究者

2024/10/05

今週のクラス別ドキュメンテーションを見直してみたら、外遊びがふえて春にやった同じ活動が復活しているのですが、前よりも変わっていることがあります。ダンゴムシをまた部屋で飼い始めた男の子たちは、以前の学びを活かしてすぐにおうちが完成しました。弱っているダンゴムシと元気なダンゴムシがいるそうで、その見分けがつくというのも大したものですが、土がない!と本当に泣きそうな顔で心配しています。

子どもの姿の目の付け所が変わってきた先生もいます。今年は子どもの「探究」する姿に着目しているからでしょう、子どものいろんな「気づき」に気づこうとしています。たとえば10月2日の個人別の日誌。

「Kちゃん(10ヶ月)は、日の光が差し込んでいるところまで探索にいくと、立ち止まって床を叩いていた。保育者も同じように手を当ててみると、他の場所よりあったかいことに気づく。温度の違いに気づいたのか、色の違いに気づいたのか、Kちゃんはどんなことに気づいて立ち止まったのか。子どもたちの気づきや発見に保育者もよく気がつき、感じていることを一緒に味わっていきたい。」

Nちゃん(13ヶ月)は背の高さにあったコンビカーを選んで探索を楽しんでいました。鏡のところまで行くと、ぶつかってしまい、どうしたら進めるのかな?と試行錯誤していました。

「コンビカーで鏡のところまで行くとぶつかって動かなくなってしまう。前に進めてみたり動かしてみたり、どうしたらいいのだろうと試行錯誤しながらやってみる中で、バックしたらいいのかもしれないということに気づき、バックして動かしていた。自分で試行錯誤するなかで、ものの性質について学んでいくため、物事にじっくりと関わる機会や時間を大切にしていきたい。」

昨日は朝急に雨がふったので室内散策に切り替えた時、「音」をテーマに、いろん部屋に楽器をずらりと出して置いて、好きなように関わらせてあげていました。

「園内探索の中で、楽器に親しむことができるように、探索先に様々な楽器を用意してみる。気になって手に取ってみて、触れてみたり、振ってみたりする中で、音が鳴り、その面白さを感じて、触れてみることを繰り返す姿があった。 3階ではお兄さんやお姉さんがハンドベルの演奏をしていて、その姿を見て同じように手にとって振ってみたり、触れると音が鳴ることに気がつき、様々なベルを鳴らしてみる姿があった。 探索先にさまざまな仕掛けを用意したりしながら、子どもの触れてみたい•関わってみたい気持ちを引き出していきたい。」

赤ちゃんたちが「まるで研究者のように」見えていたそうです。いや、先生たちも子どもたちに負けない研究者のようですよ。

そこのところを大事に想像する難しさ

2024/10/04

子どもは気持ちや思いや考えを、言葉にしても表現にしても、まだ外に出すことが難しいので、何をどう感じたり思ったりしているのか、周りの大人がよくわからなくなることがあります。いやなの? 不安なの? ちょっとこわいね? 迷うよね?・・・というのは感じ取れる子もありますが、どういうふうに、なぜそうなのか、あるいはどうしたいのかなどが、本人と一緒にこちらもわからないで思案するという感じです。

思いなどの内容にしても、表しにくい仕組みにしても、その理由がわかると、そういうことだったんだね、ということになるのですが、その「わからなさ」と「そうだったんだね」の間の中間は、狭いのか広いのか、精神は性質なのに、そういう空間化して量にしてしまう私たちの誤解なのか、いずれにしてもそういう世界があるんだろうと思います。

思い通りにいかないで癇癪を起こすという見立てが的を得ているときもあるでしょうが、それはまだわかりやすい方の部類で、なんで?と、よくわからないこともしょっちゅうあります。私たち大人は(というか子どもそうですが)、その中間部分をなかったことにしがちかもしれません。大人によっては、なにかそれを表わしてくれない方が悪いみたいな空気感を醸し出してしまうときもある気がします。そういえば、子どもはそういう雰囲気はまず出しませんね。

 

それに輪をかけて、もちろん人によりますが、それを焦ったく感じたり、子どもの方へ「しょうがいないなあ」という気持ちをなげかえしてしまっていることもありそうです。私もしてしまうことがあります。そういう気持ちで投げ返され方は子どもの方は、また「ちっとも、わかってくれない!」という気になって泣きそうな気持ちになったり、イライラしたり、「もう、しらない!」とプンプンしたりします。場合によっては怒って、癇癪をおこすことだってありますよね。大人もいつでも仏様みたいに対応できるものでもない、というのが現実でしょう。

気持ちが落ち着くのと、気持ちの整理がつくのは違うのでしょう。この中間地帯にいる感じは、誰からに共感的に掬い取ってもらう中で、情動が突き上げてくる感じがおさまりながら、聞こえてくる言葉が幸運にも、自分の気持ちや思いの一部分を触ってくれたような気がして嬉しなるかもしれません。そこから自分の一歩が踏み出されていけば、素敵なことなのでしょう。なにか止まっていたところから世界方への光がさすような、そんな気持ちが表情にちらりと現れて、なにかが動き出す感じ。それなら・・と気持ちが動き出していきます。

私たちはそんなとき、「疲れていたし」「今日は体調もイマイチだったし」とか、コンディションの要因を語り合って中間部分をそっとしておくことにします。そういう光景をみると経緯をよく知っている担任のおおらかさに本当に感心します。そこは本人しか関与できない大事な人権の領域なのかもしれませんから、それを大事にしてあげているのでしょう。

10月4日 昼食

2024/10/04

ご飯

鮭のちゃんちゃん焼き

ひじきのうま煮

白菜のすまし汁

バナナ

「子どもといると励まされる気がしてくるんだよね」

2024/10/03

子どもと共にいると励まされる気がしてくるんだよね。私の友人がそういいました。私もそう思います。

その話の影響で、今日はちょっと変なことを書きます。世間ではいろいろなことが起きていますが、それでも、私たちはもはや狩猟生活者ではありませんから、いまのところ日々の食べ物に苦労する事はとりあえず無いのですが、今日、年長さんは魚釣りにでかけたのですが、さっぱり釣れず、戻ってきました。最初から疑似体験や遊びとして計画されている活動ですから、たとえ獲物が取れなかったとしても、切迫感はありません。それなりに子どもたちの落胆はあるのですが、魚がつれなかったとしても、生死にかかわるようなことでないので、死に物狂いなるようなことでもありません。

衣食住に事欠かない平和な社会生活の中にあっても、子どもの飽くことのない熱量に圧倒されっぱなしです。子どもの好奇心の旺盛なことと言ったら、まるでスポーツのハードトレーニングをやっているくらいエネルギーを費やしています。とにかくエネルギッシュで飽くなき探究心に満ちています。それは乳児も幼児も同じです。

次から次へと何かを見つけてきてはやりたがり、その都度、ああでもない、こうでもないと試し、その最中をじゃまされると怒り出し、やった〜できた!と自画自賛しては「ほら、みて」と認めてもらうことも忘れず、外へ行こうと室内であろうと、自分でなんでもやろうとして挑戦し続けるような姿の連続です。もちろんお腹がすけば、お昼ご飯をもりもりとたべて、疲れてうとうとしたり、お昼寝をしたりします。

そういう姿がうまれている仕組みのようなことや、どうしてそうなっていくのかといった意味を理解しようとすると、とてもミクロな営みを大きな流れの中でとらえていくような努力が必要になります。それを解明するのは専門家でも相当に難しいことのようです。

たとえば、保育園生活の1日の中に入っていることを全て取り出すことができるとしたら、その数は宇宙の星の数より多いのかもしれません。まさか!と思われるかもしれませんが、本当にそういういことかもしれません。もしそうなら、とてもそんなことは、できっこないので、とりあえず、共通理解ができる、ある常識的というか、理解し合える程度のコミュニケーションのスタイルに落ち着かせておくことが必要になります。

そうせざるを得ないのは、たぶん人間が切り結んでいる私たちの世界の捉え方が、ある枠組を通して理解しているからで、捉えきれていない世界が膨大であるかもしれないことと関係するでしょう。また一方で私たちの表象や記号は現実とずれているので、否応なく増殖していくという現象となって現れているからでしょう。

赤ちゃんの首が座った、寝返りを打った、初めて歩いた、そんなことも、1つずつの中にさえ、銀河系の星の数ほどの様々なことを取り出すことができるでしょう。そんなことをしても、私たちの普通の生活にとっては、あまり意味をなさないでしょうから、私たちの長い進化のなかで生じた必要に応じて、作られてきたスタイルを基本にしながら、物事が成り立っていると思えばいいのでしょう。

ですから、私たち散文的な出来事を語りながら、ときどきその細部に分け入って、驚いたり、不思議だったりしながら子どもと共にいる面白さを楽しみたいと思います。

小学校以降の生活と学びにつながる「子どもの姿」をアーカイブでご覧いただけます

2024/10/03

保育アーカイブでは、いろいろなテーマごとに「園長の日記」で紹介したブログを一覧でご覧いただけます。

たとえば年長さんがどんな経験をしてどんな姿に育ちゆこうとしているのか、小学校での生活と学びにどのように繋がっていくのか、そんな様子をご覧になりたい時は「10の姿」のカテゴリーをご覧ください。

https://www.chiyodaseiga.ed.jp/category/hoiku-archive/

(パソコン)

トップページ → 左上の「保護者の方へ」 → 左側「カテゴリー」 →「10の姿」

(スマホ)

メニュー →  「保護者の方へ」 「保育アーカイブ」 →「10の姿」

 

 

12月の園児を募集中

2024/10/02

12月の園児を10月1日から10月31日まで募集中。結果発表は11月11日です。

https://www.city.chiyoda.lg.jp/documents/1255/r606ichiran.pdf

令和6年度保育園・こども園等の入園案内 (chiyoda.lg.jp)

3歳以上の幼児は入りやすいので、ぜひ見学にお越しください。

当園の保育は幼稚園教育要領・保育所保育指針を具体化したものです。

お子さんのそのままの自分らしさをたっぷりと認めながら、

しかも可能性を最大に引き出す環境の中で充実した学びができます。

保育園は幼稚園のような教育をしていないという誤解が解けます。

ぜひ一度、見学なさってみてください。

もし今の幼稚園や保育園で疑問をお持ちの方はご相談ください。

オンライン申請・郵送の場合は締切は 10月24日(木)までです。

千代田区ホームページ – 保育園・こども園等入園申し込みのオンライン申請 (chiyoda.lg.jp)

ご希望の方は千代田区へ応募ください。

<募集人数>

0歳 0名

1歳 0名

2歳 0名

3歳 5名

4歳 0名

5歳 3名

合計 8名

*ただし、千代田区のホームページよりも多いクラスがありますが、受け入れますので応募してください。

変更になることもあるので、保育園へお問い合わせください。

「ねこのお医者さん」にみる2歳児の言葉の理解

2024/10/02

子どもたちが環境の方から自らに取り入れていくものはたくさんありますが、ことばはその最たるものかもしれません。昨年ベストセラーになった今井むつみさんと秋田喜美さんとの共著『言葉の本質』を読んだら、保育園で散々やっているCDS(チャイルド・ダイレクテッド・スピーチ)やらオノマトペやらがいかに大事なことかと再認識する機会ともなり、また赤ちゃんたちにとっての周りの人の「声」や身体的な体験(専門的には「身体的接地」ということなのですが)のありようを振り返る機会にもなっています。

先週のお誕生会で、また数年前の3歳児のお楽しみ会で親しんだ「ねこのお医者さん」を、夕方4時ごろ満2歳半の子どもがお医者さん役になって、担任と楽しんでいました。歌に出てくる患者さんは、その場のアドリブで先生がいろいろ演じます。

まぁ、なんでもいいので、先生がお熱が出て体温を測ってもらったり、咳が出たからと咳止めをもらったり、隣にいたRちゃんが鼻水が出ているからそばのティッシュをもってきてもらったりと、2歳のお医者さんが、できそうなことをお願いしながら、いろんな病気を治してもらっていました。

その都度、言葉が通じて、何か行動ができてしまうというのは、一見あたりまえのことのようですが、この本を読んだ後だと、それがいかに凄いことなのかということがわかるのです。

そこで気づいたのですが、あれは何と「もの」の名前をどんどん覚えていく年齢なのですが、「もの」や「動作」から「名詞」や「動詞」を覚えていく方向と同時に、名詞や動詞から、それを理解して見立てることもできてしまう姿をみていると、本に出てくる「言語の本質」のアブダクション推論の「洞察」の具体的な実例を確認しているかのような感覚を覚えました。この本の面白さは「オノマトペ言語起源説」という提案になっていることですが、著者はあくまでも「それも仮説です」と断ってあります。このテーマは永遠の近似値さがしなのでしょうけれど。

とにかく、人間は不思議なことですが、人間の知性がとらえる範囲を超えたところに、世界に組み込まれている生命の仕組みは働いているように思えるので(別に神秘的なことをいいたいのではないのですが)、知覚と行為のその間をいくら細かく分析してみても、子どもの成長という事実は、そうした理屈を超えているように感じてしまいます。

top