昨日の「イヤイヤ期」の話の続きです。今日は子どもの心の支え方を考えます。
0歳から満3歳ごろ前の「発達の特徴」を並べてみると、イヤイヤ期の特徴がはっきりしてきます。イヤイヤ期が始まるのは、言葉を獲得して、同時に自分が自分であることがわかり始めて、周りの人々とのやりとりが盛んになっていく頃からです。言葉を獲得する頃に、盛んに指を指したり、物をあげたりすることが増えます。これを三項関係というのですが、自分と相手(母や父)の二者関係から、間にモノが入ってきてやりとりするので三項関係になっていきます。
その時期に、子どもは、自分の意図と相手の意図をくっつける、ということができるようになります。保育園でも、まだ言葉でうまく言えない時期の「う、う」と指差している意味が「おもちゃとって」だったり、抱っこしていたら指差しているのが「あっち連れてって」だったりします。実際にあったのがですが、せっかく履いた靴下をまた脱いで最初から自分で全部やろうとしたり、します。絵本を持ってきて前において「これ読んで」だったり。
こうした行動の顕著な共通点はなんだと思いますか?
それは、全部「子ども発信」だということです。発達の言葉では「自発性」です。
ところが反対に大人発信の「こうしようか」とか「これ食べて」とかになると、ある時期から「いや〜」ってなったりします。「何して欲しかったの」と聞き返しても、本人もわからないから、そうじゃない!ってことだけが「いや!」となってかえってきます。今日はその時の対応を考えようというわけです。どうしたいのかがわかれば、解決できるのですが、これには本人も答えがない、と考えてあげましょう。それがこの援助の最大のポイントです。
お腹が減った(食欲)とか、眠い(睡眠欲)とか、体を動かしたい(運動欲求)とかなら、お母さん(お父さん)も察しがつくのですが、この時期の子どもは色々なことがわかってきて、やりたい気持ちが大きく膨らんできているので、過去に経験した「心地よさ」を味わいたくて、その感触を思い出すのですが、それを経験するには、どうしたらいいのかわからないので「ねえ、あの心地好さを味わいたいんだよ、どうにかして!あれ、あれができるようにして!」と一方的に要求してくる感じですよね。まだ答えがないことを自分でもわかっていないけど、そうじゃない、違う!という感覚だけははっきりしている、という感じです。私たちは発達のことを勉強するので、それは正常発達の特徴だと教わるのです。でも、そこをどう噛み砕いで説明していくのがいいのか、悩みます。
ポイントは、子ども本人もどうしたら、それがゲットできるのかは、本当はわかっていません。だから「どうしたいの!」ってムキになって聞くのはやめたほうがいいです。原理的に本人もかわかりようがないのです、まだ。生理的欲求じゃなくて、社会的な(人との関係の中での)しかも文化的な(生活や遊びの)ものなので、子どもはそれを自分のものにしていく入り口に立っているのです。これからそれを学んでいくので、これから自分なりの居心地の良さを見つけていくことになります。それが自分づくりの道です。
社会的な欲求には、愛情とか、甘えとか、承認とか、達成感とか、所属感とか色々ありますが、ほとんどが人間関係の中で満たされるものです。それを三項関係(言葉の発達)と組み合わせながら、子どもはパズルのように自分づくりを始めていると考えてあげましょう。すごいことに挑戦し始めているんです。
(余談ですが、昨日もお伝えしたように、この社会的欲求の方は、今の時代の親や地域の価値観で変わるものなので、みんなが共同して信じ込んでいる虚構(というと、がっかりするかもしれないので、共有主観的世界とでも言っておきますが)です。生理的欲求の方は虚構ではありません。生物学的な自然の摂理です)
さて、イヤイヤ期はいつまで続くのでしょうか。
だんだんと、自分のやりたいことはこれだったんだ、とやってみてわかるということの繰り返しなので、その子どもなりに、納得の仕方が違います。しかも言葉が発達していく中で、脳の言語野のシナプスの発達が整理されていきます。ですから私たちは、子どもの気持ちを代弁すること、言葉でモヤモヤした意識を整理してあげることをしています。整理するというのは、子どもの脳内の概念ネットワークを、この日本文化の象徴体系に適応させることだとも言えます。
「う、う」といったり、「ぎゃー」と騒いだりしながら、それを私たち保育者は「これ(靴箱の棒)にぶら下がってみたかかったんだね(でも、危ないから別のところでやろうね)」とか「くるくるチャイムの球を下から上に転がしてみたかったんだね」とか言葉にしてあげならが、子どもには「受け止めてもらえた」ということを返す、という心のコミュニケーションを必ずやるようにします。やってみたいことが社会的に認められないことでも、受け止めたよ、という意味の共感は必要です。社会的にできないこと、物理的に不可能かなことを、学んでいく機会になっているからです。
(ちなみに自然現象を相手に学んでいる姿を、ちっちのブログのように「小さな科学者」と捉えているのも、秀逸な共感です)
援助のポイントとしてよく言われていることをまとめるとこうなります。
(1)イヤイヤ期は自分の快さを求めて自発性を高めている発達上の大切な現象である。内発的な心の発達なので、そのマイナス感情を制御する経験を学んでいる貴重なもの。
(2)自分づくり(探し)の時期であり、その子の感性で引き寄せようとしている世界を一緒に探してあげるつもりで接しましょう。それがなかなか見つからなくても、それは子供のせいでも親のせいでもない。ホモ・サピエンスの必然からくるものなので。
(3)自分づくりは、身近な他者との心の通い合いで育ちます。特に楽しい経験を共に過ごすことが、イヤイヤ期を短くするコツです。保育園ではそれが有利です、子ども同士の豊かな関係がありますから。イヤイヤの現象が起きている時以外の時間が大切です。
(4)イヤイヤ期は子どもが大人と近い感情、例えば他人が辛いと自分も辛いとか、他人が嬉しいと自分も嬉しいとか、そうした思いやりなどの大人と近い感情が持てるようになった頃、自分づくりの第1期終わりです。その頃、イヤイヤも収まっています。
何年か前に朝日新聞で「イヤイヤ期」という名前はマイナスのイメージだから、他の名前に変えたいという読者キャンペーンをやったことがあります。その時に、私だったら「自分づくり期その1」ぐらいにしたらいいのに、と思ったことがあります。