こんなに小さい命の、いち日、ひと月、いち年が愛おしい。今日、誕生会で「ひとつ歳をとったこと」をみんなでお祝いしました。誕生会で子どもたちの表情をよ〜く見ながら、ついこんなことを考えてしまいます。この子たちが将来困らないように、今できることは何だろう。この子たちがすっかり大人になっている2050年ごろの世界は、どうなっているんだろう。
ジャック・アタリ。ユヴァル・ノア・ハラリ。ジャレド・ダイヤモンド。彼らの世界の将来予想を読むと、76億の人が住む地球という世界が今世紀末までもたないかもしれないという危機感が共通です。その代表的な危機は、核兵器、気候変動そして科学革命です。この3つの「アンコントロール=暴走」を食い止めることを人類ができるかどうか。そして科学革命は人工知能=アルゴリズムによって、人間の自由がハッキングされる世界が来るのかどうか。
これまでの1000年に比べて、これからの100年は、誰も正確に予想できない時代になりました。私たちはこれまでの過去とは、全く質も規模も次元が異なる「革命」の真っ只中にいます。予測はできなくても、「不確かなこと」「危機が迫っていること」は確かなことです。
教育を考えると「これまでにない資質・能力が必要なこと」も確かです。20年後の大学受験は、今求められているような知識や技能はでは全くありません。それも明らかでしょう。必要なものは、英語のCで始まる4つの力だと、よく言われています。クリティカル・シンキング、コミュニケーション、コラボレーション、そしてクリエイティビティ。批判的思考、意思疎通力、協働性、創造性です。
「人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ」(ハラリ『21Lessons』)
しかも、もっと重要なことで、きっと正確に理解されないだろうことは、「自分自身が自分自身であり続けること」です。自由に生きているように見えて、生かされているに過ぎないという現実が、すぐそこにきています。これは自覚の問題なので、今の教育を続けていると、全く手に負えない難問に直面します。厄介なのは、それが課題であることに気づかないで進行してしまうことです。
この現代版の「無知の知」に自覚的であることの難しさを、誰がどのように子どもたちに、あるいは青年たちに伝えることができるのでしょうか。先ほどの4つのCは、この自覚の延長線上に培われるものなので、どのように生きるかという目的がなければ必要性と喜びを感じようのないスキルだからです。