保育園生活を始めると、子どもに熱があるかどうかを調べるために、毎日体温を測る習慣が身についていることと思います。大人も体重を測るように、自分の体温も測り続けると、体温が体調の変化を教えてくれることがあります。もともと人間関係はストレスを生じるものなので、自分が抱え込んでいるストレスの量を測定できる「ストレス測量計」があると便利なのになあ。このままだと、ちょっとしたことでキレちゃうかも、とか「あ、かなり無理しているなあ、ちょっと行きに抜きしないとまずいな」とか、教えてくれるガジェットがあったら、きっと売れるだろうなあ、なんて思います。
どうして、あんなこと言ったんだろう!とか、ああ、こうしておけばよかった、とか、そうした後悔が日本中で、いや世界中で爆発的に起きています。こういうことは、ホモ・サピエンスが苦手な環境なので、ある意味でそうなってしまうのは仕方がないことです。200万年も続いた旧石器時代の心と体に初期設定されている私たちは、脳の深いところにある扁桃体が不安を感じるようにできていたりすることもそうですが、元々、不安なことが続くと色々な症状を呈します。気持ちを切り替えて、そうならない工夫をしましょう。
ソーシャルディスタンスは、物理的な意味だけではなく、本来は心理的なものです。基本的に衣食住が満たされている日本の現代社会では、高度経済成長期が終わっても、地方に戻らず核家族を基盤にしながら都市生活と郊外化が急増していきました。そして、だいたい80年代以降、社会は人間関係が希薄化するように変わってきました。それが居心地がいいのでしょう。村的な緊密な生活を避けることができる個人主義的な都市生活者が急増していきました。
そこで役立てたいのは、自分のストレスサインを見つけることです。夫婦関係でも親子関係でも、それは誰かのせいではなくて、相手に変えてもらおうと思うのではなく、違いを理解しあって、認め合って、何がストレスを発生させているのか、察し合いましょう。我慢するとストレスは溜まります。人のせいにする気持ちがむくむとく湧き上がり、自分の不安を解消しようとします。
ドライに分担するもよし、その時は自分がやっていることの6割できれば合格としあうこと。細かいところまで求め合うとストレスが溜まりますよ。その辺りの「違い」は、伝えあうことができれば、もう合格。察し合うことを求めあってもうまくいかいので、分担していることだけでもよし、としましょう。また一緒にできる何かをやるもよし。そして子どもを含めた生活のリズムは変えないようしましょう。朝ごはんが済んだらシンプルに3密を避けて、午前中は外に出て日光を浴びて体を動かしましょう。今日は雨だったので、私は午後から保育園で思う存分、大工工事をしました。明日は、晴れます。外でストレス発散しましょう!